起きたら金髪ケモ耳美少女だったんだが自分の記憶がとんとありません 作:裏白いきつね
ドーロちゃんわりと織田先生のことが好きなのかもしれない。
光る線を超えた。
酸素が欠乏した脳は、それがゴールだと気づくまでに時間が必要だった。
脚は脳がゴール通過を認識するまでにかかった少しの間も止まることなく回転し続けた。
(ああ、ゴールしたんだよね。なら、脚、緩めないと)
普段ならいちいち思考しなくても思ったとおりに動くものが、今は順番に手続きをしないと動きに至らない。
1つスイッチを切り、次に別のスイッチを切るように、それをいくつもいくつも重ねていって、ようやく脚が止まる、と同時にその脚に力が入らなくなってその場に崩折れた。
ひんやりした芝の感触が頬に手に脚に心地よい。だくだくと溢れ出る熱い汗は全身を濡らし、それでも留まらず芝に滴り落ちた。
口を大きく広げ、これまた精一杯鼻も膨らませての荒い呼吸が続くが、身体が酸素を欲する勢いは衰えず立ち上がることすらまだ難しい。
湿った重い空気の中での全身全霊、フルパワーでの走行はこれまで練習で走った時とは段違いの消耗を俺にもたらした。
「ドーロさん、意識はありますか?」
聞き覚えのある男性の声に、芝の上で横たわっていた俺はようやく耳だけをその声の主に向けて意思表示をした。
「ドーロちゃん、だいじょうぶ?」
次に聞こえたのはリズちゃんの声だ。まだ声を出せない俺は、織田先生のときと同じように耳を動かして答えた。
徐々に周りの様子を捉えられるようになってきた。どうやら起き上がれない俺を心配して人が集まってきているようだ。
「意識はあるようですが。ドーロさん、立てませんか?」
眼前に声が来た。瞑っていた目を開くと、耳で感じたよりも近くに先生の顔があった。
「は、はい。まだ、少し」
息も絶え絶えに俺が答えると、先生はすっと立ち上がって救護を呼ぶ声を上げた。時を置かずに担架が横付けされ、俺の体は係員数人がかりでゆっくり担架に移される。手の指にはなにやら医療機器らしき物が取り付けられて、そこから早いテンポでピッピッと電子音が鳴り始めた。
担架ごと担がれて運ばれていく。初めての経験だが妙にフワフワとして、なんだか頼りない感じだ。運ばれる俺のすぐ隣をリズちゃんが心配そうな顔をこちらに向けて歩く。織田先生は担架から1歩離れた位置を、やはり俺のことを注視しつつ並んで歩いている。担架を担いで歩く係員も皆無言のままそれぞれの足音だけが響く。
「トドォ!! 大丈夫なのかッ!?」
ドドッと足音が響いたかと思ったら、顔を覗き込む叫びがいた。一瞬何事かと面食らったが、姿を見せたのはあちこちに泥を付けたプリ子だった。
そのプリ子の勢いでバランスを崩しそうになる担架から、リズちゃんがプリ子を引き剥がす。そのままリズちゃんはプリ子を引きずっていったが、どうやらそのへんで小言を言っているようだ。
運ばれていくうちに息も整ってきた。ふと見上げた視線が織田先生と交差する。
「どうしましたか? なにか具合が悪くなってきましたか?」
「いえ、そんなことは」
「そうですか。悪くなりそうだったらすぐ言ってくださいね」
「はい……、でももう大丈夫そうなので――」
「いや、このまま救護テントまで行きますよ。おそらく何もないと思いますが、今は僕の指示に従ってください」
柔らかく見えていた表情が一瞬で、医療のプロが魅せる横顔に変わる。やっぱりかっこいいなと、改めて思った。
§
救護テントにたどり着いた。担架からは自力で降りて、簡易ベッドに腰掛ける。織田先生が俺の脚を触診するが、それほど念入りに調べることもなく問題ないとのお墨付きをもらった。ただクールダウンは必要とのことで、両脚は冷却パックを巻かれて膝も曲げられない状態だ。
「全力で1600メートルを逃げ切ったために、体内のエネルギーを使い切った状態になっていたのでしょう。脚の筋肉が多少熱を持っていますが、故障は起きていませんよ」
「そうなんですね」
「しばらく休息すれば動けますよ、それで――」
「あの、実は午後もレースを入れているんです。走っても良いのでしょうか?」
「知っていますよ、芝二千でしたね。……そうですね、多分スタミナが持たないでしょうね。脚の疲労も残っていますし」
「だから医師としては出走そのものをあまりお薦めはできません。出走しても勝ち負けにはならないでしょうし、そうしてもいけない。無理をすればどこか故障する可能性が高いですね」
「……そうですか」
「先程の芝千六で1着だったのですから、今日はもう無理することもないですよ。出走取消はできますし」
「……少し、考えます」
「そうして下さい」
次のレースの監視に行きますと残して、先生はテントから出ていった。そこに残されたのは俺と、先生の補助をして冷却パックを俺の脚に巻いてくれた看護師さん。彼女は前に医務室でもお世話になったウマ娘だった。
テキパキと慣れた手さばきで、処置に使った器具の片付けが進んでいく。その間にもポツポツとケガや体調不良を訴えてここを訪れる人がいて、看護師さんはその都度丁寧に対応をするのだが、非常に慣れた様子でそれらをこなしていく。
「――はい。テーピングの方はこれで大丈夫です。でも無理しちゃダメですよ」
「ありがとうございます」
荷物運びで突き指したという黒鹿毛のウマ娘生徒がお礼の一言を残して去っていく。
看護師さんはその生徒をテントの出口でゆっくり見送ると、さっと戻ってきて後片付けを済ませた。さらにノートパソコンに何やら入力すると、踵を返して再び俺の方へとやって来る。その動作に無駄な所はなく、まるで精巧な機械のように隙がない。
でも俺に見せる表情は柔らかく、慈愛に満ちた雰囲気を醸し出していた。
「具合はどうですか? ヴェントドーロさん。冷え過ぎて寒くなっていませんか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「先生からの指示は30分間のクールダウンでしたから、ええっと……あと5分ぐらいかな。ちょっと左手見せてね」
看護師さんはポケットから時計を取り出して時間を確認したかと思うと、そのまま流れるような所作で俺の左手人差し指に取り付いた小さな機械を確認する。
「サチュレーションは99、脈拍は……38ぐらいかな。もう落ち着いたみたいだし、これは外しておきましょうか」
人差し指から機械がスルッと取り除かれ、電子音が止まる。数分ぶりに感じた手指の開放感を確かめるように左手でグーとパーを繰り返していると、看護師さんが俺の頭上を見上げて声を上げた。
「あっもう次のレースが始まりますね」
急に何を言い出すのかと気になった俺は、彼女の指差した俺の背後に振り返る。そこでは見上げる位置でスタンドに掲げられたTVモニターが、ゲートインの様子を映し出していた。第4レース、芝1200メートルの模様だった。
次回 「いつまでも夢だけ見られればいいけどね」