意識を失った空を背負い、セイバーはアパートまで歩いて帰った。セイバー自身正体不明の敵から負った傷は深く、彼女をベッドに寝かせた後は、霊体化し回復に努める以外の選択肢はなかった。
本当ならば自分が召喚された衛宮家の土蔵が回復には最も適した場所なのだが、もちろん高熱を発し意識のないマスターをそんなところに連れて行くわけにはいかない。だが、幸いにもこのアパートの下にも小さな霊脈が通っているようで、多少なりとも回復には役立ちそうであった。
誰かに後をつけられていなかったか……細心の注意は払ったつもりではあったが、満身創痍の自分では気づけないことがあったかも知れない……一抹の不安を覚えつつもセイバーは眠るように意識を失った。
マスターを背負ったセイバーが満身創痍でアパートへ向かう道すがら、桐生空の中では変化が起こっていた。
……醒……覚醒……
……条件成立による術式……自動起動…………
…………主導交代、客人就床……記憶……同期……正常……
…………交代完了…………記憶同期……異常なし……
「ん……」
セイバーが意識を失ったしばらく後に彼女は目覚めた。
「……そう。目覚めてしまったのね、私……」
誰に言うでもなく呟く。
「想定通り、やはりこうなった。戦いが始まる。覚悟を決めて臨まないと……」
そして、現在の自分の状況を確認する。
(セイバーは相当ダメージを受けてしまったようね。でも、霊基自体に問題はなさそう。魔力供給の経路(パス)を全て回復に)
薄暗い中、空の体が朧げに光を帯びる。
自らの意思で自分の魔術回路を活性化させている。倒れる前とは全くの別人である。
「私は桐生空。桐生家の魔術師……」
確かめるようにそうつぶやく。
(そう。私が本当の桐生空。本当は目覚めない方が良かったのかもしれない。私が目覚めたということは、あの娘が戦いに巻き込まれたということ。聖杯戦争という魔術師同士の争いに)
桐生空は自分の体を預けていた『あの娘』に思いを巡らせながら、自分の過去を振り返った。
十数年前、関東の山奥の村にある神社に一人の娘が誕生した。桐生空である。桐生家は神社の守り人という表向きの顔と代々魔術刻印を受け継ぐ魔術師の家という魔術の存在を知るもの以外には理解できない裏の顔をもっていた。桐生家はそれに加え、複雑な事情を抱える家系でもあった。
魔術師の家系としては珍しく、他の魔術師家系の分家であり、その歴史は比較的浅く二百年にも満たない。大本である魔術師本家の開祖の名はマキリ・ゾォルケン、日本名は間桐臓硯。今から二百年ほど前、この冬木市に大聖杯を設置し聖杯戦争を開始させた魔術師御三家の一つ間桐家の当主である。
本来、魔術師の家系というものは魔術の秘匿性、研究の特殊性、魔術刻印の継承等の事情があるため分家することはほぼあり得ない。通常その家から出奔する者は魔術刻印を継承することはできず、魔術師としての未来を絶たれてしまうためである。しかし、桐生家の初代はそうはならなかった。
桐生家初代、間桐勇夜は魔術に対する考え方の決定的な相違から開祖臓硯と袂を分かった(初代の自伝によると「あまりの邪悪さに嫌気がさした」らしい)。ここで魔術師としての将来どころか死をも覚悟していた初代ではあったが、何の気まぐれか間桐臓硯は魔術刻印の一部を彼に移植し分家を許したのである。流石に無条件ではなく、分家には条件があった。
「桐生姓を名乗ること」と「間桐本家から要請があった場合、必ず生命を賭して助力すること」の二つである。
一つ目の条件は間桐と同じ「桐」という文字を姓に刻むことで何かしらの魔術的な意味合いがあると考えられる。もう一つの条件はそのままであろうが『生命を賭して』という部分が問題だ。魔術刻印はある意味呪いともとれる魔術師の家系に課された宿命。この二条件は間違いなく引き継ぐ魔術刻印に刻み付けられるだろう。桐生家初代は迷った果てにこの条件を承諾し間桐家の分家となったのである。
初代の研究が解呪に特化したものであり将来的に呪詛を解除できると楽観視していたのか、はたまた他の理由なのかは定かではないが、ともかくこの時桐生家は始まったのである。しかし、これが悲劇の始まりとなってしまった。
呪いだ。正しくそれは呪いであった。桐生家が引き継いだ魔術刻印には継承時に条件とされた二条件以外にさらに強力な呪詛が刻みこまれていた。桐生家の人間は異常に短命となってしまったのである。
最も長命とされる初代でも四十代の若さで亡くなっている。嫡子以外の兄弟、すなわち魔術刻印を継承していない者は特に顕著であり病や不慮の事故等、原因は様々だが早期に急逝している。この理に例外は無く、外からやってきた配偶者であっても、桐生姓となり桐生家に名を連ねた時点で影響を受ける。
魔術刻印を継承している者でも、刻印を受け継ぐべき次の世代が一定の年齢となった時点で急速に衰弱する。魔術刻印が家の人々の精気あるいは運気を吸収しているとしか考えられない状況、刻印に組み込まれた恐るべき呪詛である。
桐生家の歴史は呪いとの戦いであった。呪いから逃れるために刻印の継承を放棄すれば刻印に命を奪われてしまう。刻印を継承し、呪詛を魔術的に研究し解析し続け解呪するしか、この悪夢の連鎖を断ち切れない。
苦難の連続であった。桐生家は多数の犠牲を払いながら、刻印の解呪方法に到達するための「解呪」、呪いの影響に対抗するための「身体強化」、呪いの影響下での魔術行使を補助するための「術式による自立自動詠唱」などの研究を代々文字通り命を懸けて続けていった。
もちろん、呪詛の大元である間桐家を含む御三家や聖杯戦争についての情報も蓄積していった。
十数年前、空の父親となる桐生蒼賢は悩んでいた。妊娠している自分の妻に解呪の術式を使うか否か。彼は桐生家の嫡子ではあるが一人っ子ではなかった。
彼の母は彼の妹を流産した後、彼の弟を生んだが小学校に上がる前に交通事故で亡くなった。それを追う様に彼の母も病でこの世を去った。彼の父親は彼に刻印を継承した後、1年も経たぬ内に衰弱死した。
彼は桐生家の魔術刻印の呪いの脅威を経験から痛感していた。百数十年の歳月をかけた研究でも刻印の呪詛の完全な解呪方法は完成していない。
ただ、彼は呪いの影響を軽減する理論にまでは到達していた。しかし、理論のみでこの術式を実際に試した者はいない。副次効果で何が起こるかわからない上に成功するかどうかもわからない。そんな不完全な術式を愛する妻、そして生まれてくる我が子に使うなど……
病院の検査によると彼の妻は双子を妊娠している。生まれてきた双子の内どちらかは……いや、もしかしたら片方の子供は流産ということも……。もう身近な者の死は見たくない。ましてや妻や我が子の死など、絶対に。彼は悩みぬいた末、身重の妻に先祖代々の研究成果を使う決心をした。
そして数日後、一人の女の子が誕生した。
桐生空である。いや正確には双子の女の子が誕生したのだが、一人は初めから息をしていなかった。片方の娘は死産であった。桐生蒼賢は術式を行使した自分自身を責めた。何も……何も変わらなかった。
あなたのせいではないと彼を励まし続けた妻は、出産後体調を崩しがちになり空が小学校に通うようになるのを目前にして静かに息を引き取った。
蒼賢はすべてに絶望し、自らの代で刻印の継承を止めることを決意した。それは彼と彼の娘の代で桐生家が潰えることを意味しているのだが、当時の彼はそのような大事にさえ考えが及ばぬ程、心の余裕を失っていた。
月日は流れ、桐生空姉妹は成長していった。
姉妹……そう姉妹なのである。桐生空と宙(ちう)の双子姉妹。姉の空と妹の宙、二人とも健在だ。ただ、妹の宙は少々特殊な存在である。
彼女には自分の身体が無い、魂だけの存在なのだ。魔術的には幽体(アストラルボディ)のみでこの世界に存在しており、いわゆる幽霊とは違い存在自体は非常に安定している。魔術界における第三魔法『魂の物質化』の具現に最も近い存在ともいえる。
もちろん彼女には自分の意思があり、姉の空とは念話で意思の疎通ができる。また、双子であるが故か姉の空と幽体を交換することにより、姉の身体を通じて通常の生活をすることも可能だ。
その間、姉の空が幽体のみの存在となるので、幽体の交換は姉の同意が無ければできないが。
宙の存在が判明したのは空が小学校に入学してしばらくしたころ、幽体の交換に初めて成功した宙が空の身体を通して父親の蒼賢に訴えかけたからである。
蒼賢ははじめ空の悪戯かと思ったようだが、空が知るはずのないことを宙が言い当てたため魔術的に調査し、その存在を認識した。
蒼賢は自分の双子の娘が特殊な状態とはいえ二人とも健在であることに涙した。もっとも空と宙の二人にとっては生まれたときからこの状態であり、それが自分たちにとって普通な日常だったわけで、むしろ妹の身体が無いことが不自然であることを後から周りの環境に気づかされたという感じであった。
この姉妹がこのように存在している状況は、魔術刻印の呪詛と父蒼賢の行使した解呪の術式が干渉し合って起こったたぐい稀なる奇跡であろう。
成長していく二人。
空は父蒼賢が封印していた書斎にたまたま入り込んでしまった際に目にした魔術書を機に桐生家が魔術師の家系であることを知り、父の教えを受けながら魔術師としての知識と経験を積み重ね、魔術の研究に傾倒していった。
その過程で桐生家に伝わる魔術刻印の呪詛や本家の間桐家や聖杯戦争に関する知識も得ることとなる。もともと頭が良かった空であるが、こと魔術に関しては天才的であった。高校に進学するころには、桐生家が積み重ねてきた魔術術式のほぼ全てをマスターし自らのオリジナル術式を組み込むことすら可能としていた。
ただ、元来社交性に乏しく人付き合いが苦手で、体を動かすこともあまり好きではなかったため、煩わしい学校生活中はほとんど妹に身体を預けており、学校より自宅の魔術工房で研究している記憶の方が多いという日々を送っていた。
一方宙は事情が異なり、姉同様自らすすんで人付き合いを行うことはない人見知りする物静かな性格ではあったが、学校で仲良くなった数人の友人とは親密に交流していたため、おそらく自分には身体が無い(姉の借り物)という認識が、彼女から積極性を奪っていたものと思われた。
そんな宙に転機が訪れたのは、小学四年生の夏休みに家の神社の裏手で父蒼賢が御神刀で悪霊の類を切り祓っているところを目撃した時だ。
実は宙は、自らが幽体であるにもかかわらず幽霊の類が大の苦手であった。空には見えないらしいのだが、宙は稀に幽霊を目撃することがあり、最初の頃自分と同様の存在だと思い接触を図ったことがあった。ところが、彼らは思考の大半を怨みや後悔の念に囚われており、言葉が通じず意思疎通ができないのである。意味不明な呪いの言葉を浴びせられ、宙は、幽霊は恐ろしい存在であるという認識を持つようになった。
ところが、その日父は御神刀を用いてその恐ろしい存在を浄化させていたのである。
「宙。これもうちの家に伝わる神職としての大事な仕事のひとつなんだ。悪霊は存在し続けることで周りに悪い影響を与えるのみならず、自らも苦しんでいるのだ。彼らを祓ってあげるのも桐生家の務めなんだよ」
父は優しく微笑みながら宙にそう語った。
蒼賢は剣道と居合の有段者でもあり、御神刀を振るう父の姿を目撃した宙に力強さと美しさという強烈な印象を刻んだ。その翌日から、宙は竹刀を手に剣の道に邁進していったのである。
中学校からは部活動も剣道を続けており、今では剣道三段、居合道初段の腕前である。また剣の道に傾倒する中、剣を使う時代である日本の近現代史にも興味を覚え、今や一端の歴女である。
姉妹の身体と幽体についてだが、一人が空の身体を使っている時、もう一人は幽体の状態であり常に空の身体の近くにいる。幽体の存在が空の身体に依存しているため、空の身体から2mほどの距離までしか離れることはできない。身体は二人のどちらが使ったかに関係なく鍛錬されてゆくので、空の身体は宙の7年近くに及ぶ剣の修行の成果で見かけによらず強靭かつ俊敏である。
空は妹の宙に身体を貸すことにまったく抵抗を感じておらず、むしろ自分では不可能だったレベルまで自分の身体を鍛え上げてくれたこと、そして学校ではまじめな優等生を演じてくれている妹に感謝している。
また、煩わしい人間関係を妹に押し付けてしまっている自分に罪悪感を抱いている。通常の姉妹の感覚以上に妹のことが大好きであり、妹が幸せになるためなら何でもする覚悟を持っている。身体が一つしかないため、妹を自分の手で撫でることができないのが不満。
宙はいつも自分のために身体を貸してくれる姉に感謝している。自分には理解できない複雑な魔術を次々と取得していく姉を誇らしく思っている。
また、本来なら生まれた時には既に死んでいたはずの自分にはあり得なかった生活をする機会を与えてくれた姉が大好きである。姉の幸せのためなら自分はどうなってもいいという考えを持っている。
姉妹が中学生になるころから、徐々に変化が起こりだした。空の身体と幽体の距離があまり離れられなくなってきたのだ。はじめは2m程度は離れられていた距離が1m、50cmと徐々に縮んでいき、高校2年となる今年にはその距離はほぼゼロ。身体に幽体が抱きついているというか少し重なっているような状態になってきていた。
また、距離がほぼゼロになった頃から幽体になっている方は意識が徐々に失われるという現象が起き始めた。以前の様に幽体との距離がある程度離れていた頃は二人とも意識がある状態だったのだが、今は身体を支配している方は意識があるが、幽体になっている方は無意識(寝ているような状態)になってしまう。
この現象はおそらく魔術刻印の呪詛によるもので本来失われるはずだった命を、呪いを軽減することで繋ぎとめている今の状態を維持し続けるのに限界が近づいているのではないか、というのが父蒼賢と空の共通の見解であった。
つまり、このまま放置すれば宙は幽体を維持することができなくなり消滅してしまうのだ。
姉妹が高校2年生になり、宙が消滅してしまう危機が明らかになって半月ほどたったある日。ついに運命の時がやってきた。物陰から染み出るように桐生家に現れた漆黒の羽蟲のような使い魔はこう告げた。
「間桐本家より要請。聖杯を得んがため、助力を請う」
「だめだ。私は反対だ。私が行く」
「何言ってるの。そんな身体じゃ無理よ」
現桐生家当主、桐生蒼賢。空を刻印の後継者と認識した呪詛は、ついに彼の身体を蝕み始めていた。2年ほど前から玉手箱を開けたかのように老衰が進み、今や宙を魅了した剣技を披露した姿は見る影もない。
「私たちが行くわ」
空は決意を秘めた眼差しで父を見据えた。
「宙はどうする。宙はこんなことを望んでは-」
「父様。このままじっとしていては宙が消えてしまう。そんなこと絶対に許せない」
「しかし、この計画では私はともかく空、お前も……」
「いいの。私は負けない! 抗って、抗って、最悪の呪詛に打ち勝ってみせるわ」
空の考えた計画とはこうである。
まず、父蒼賢より桐生の魔術刻印を空の身体に継承する。これにより、空は魔術刻印の所有者、すなわち桐生家の当主となり短命の呪詛から次の継承者候補が現れるまで解放される。
次に、空の身体の所有権を(一時的に)宙に書き換える。(幽体と身体の繋がりの主導権を一時的に移し替える) そうすることで宙が魔術刻印の所有者であると呪詛が認識し、宙は短命の呪いの影響を受けなくなる。つまり、消滅の危機を回避できる。
しかし、それを行った代償として、父蒼賢の衰弱は更に進み。宙の代わりに空が消滅の危機に直面することになるのだが。
結論として、空の計画は実行されることになった。宙には、宙自身が消滅の危機に瀕していること、空が宙の身代わりになること、父の余命が極わずかになることは伏せられていた。
冬木市へ行って、間桐本家の手伝いをしなければならなくなった。だから近い内に冬木市に引っ越しして、学校も転校になる。移動の間は、姉に代わって宙が空の身体を使う。という感じに伝えられていた。
空は鍛錬に励んでいた。記憶と体力は妹同様に引き継いでいるとはいえ、自分で剣を扱ったことはほぼ無い。魔術師同士の戦いでサーヴァントを使役するとはいえ、実際に魔術と身体を行使して戦うこともあるのだ。魔術刻印の移植と身体の所有権の書き換えを行う出発数日前まで鍛錬は続いた。
目標である人間大の木の人形まで3mほど、空が自分の身体に魔力を込める。
「身体強化、最速!」
一瞬の内に人形の寸前まで肉薄した空は裂帛の気合と共に人形に打ち掛かる。
「はあーっ!」
瞬時に三度、人形が揺れる。
三度目の打撃の後、空の使っていた木刀の先端が衝撃に耐えきれずへし折れ飛んで行った。
そのまま弧を描き、少し離れた地面に突き刺さる。
「お見事」
父、蒼賢が声をかける。
「身体強化による底上げで経験による宙との差は十分埋められているな。剣筋は宙のものとそっくり、というのも同じ身体なのだから少し妙だがほぼ同列まで馴染んだか。身体強化魔術は相変わらず大したものだ。流石は我が娘、といいたいところだが武器の強度までは気が回らなかったようだな」
と言いながら、右手に携えていた木刀が入っているであろう布製の鞘袋を空へ手渡す。
「私が長年魔力を込めてきた木刀だ。お前の魔力を込めれば武器としての強度はおそらく鋼鉄以上になるだろう。持っていきなさい」
「ありがとう、父様」
「礼を言うのは私の方だよ、空」
「え?」
「お前たちのお母さんが亡くなった時、私はすべてに絶望し私の代で桐生家に終止符を打つつもりでいた。それはお前たちも巻き込んで桐生家全員が死に絶えるということ。今思えば愚かな考えに取りつかれていたものだ。そんな時、お前は宙の存在を私に指し示してくれた。一族の、いや私の呪詛への抵抗は無駄ではなかったと教えてくれたのだ。お前たち姉妹は私にとって希望そのものだ。本当に生まれてきてくれてありがとう、空、宙」
「父様……」
「だからこそ、本当はお前たちを送り出したくはない」
「私だって……私だって本当は……、あ、あれ? おかしいな」
空の頬を一筋の涙が伝って落ちた。
「我慢しなくていい」
父親に促され、空の押し込めていた感情が爆発する。
「私だって本当は父様や宙と平穏に暮らしていたい。宙と二人で楽しく高校生活を送りたい。でも、どうして! どうして父様はそんなに弱っているの? 宙には何故自分の身体が無いの? どうして私たち一族はこんなに早く死んじゃうの? 何で? どうして? こんなに普通のことを望んでいるだけなのに、なぜ私たちにはそれが手に入らないのよ。特別な力なんていらない。魔術なんて使えなくても良い。訳のわからない本家の呪いなんて知らない。私達のささやかな暮らしを返して! 宙の身体を返して! 私は、私は、私は……! うわあああああああああ」
父に縋り付いて、空は泣いた。泣いた。泣いた。これまで溜まっていたものすべてを吐き出すように号泣した。
父は泣きじゃくる娘をやさしく抱きしめ、その頭を撫でた。
しばらくして────―
「ごめんなさい父様。でも、これですっきりした。私、聖杯を手に入れて桐生にかけられた忌まわしい呪いを打ち破る。そして、宙の消滅を必ず阻止して見せる」
「空、お前は本当に強い娘だな。もう止めはしない。思う通りにやってみなさい」
父は成長した我が娘たちにすべてを託した。
魔術刻印の移植をする冬木市への出発2日前の晩、空は自室で宙の手紙を見つけた。
最近は片方が活動している間、もう片方は寝ているような状態のため、姉妹の連絡方法は交代する前に相手に対して手紙を書いておく方法をとっていた。
『いよいよ出発の日が近づいてきましたね。私は昨日友達とのお別れを済ませました。うちの親戚に当たる間桐さん? のお手伝いのため、暫くここには戻れないという話ですが、今年中には帰って来られます、よね? お別れの時、小雪ちゃんが大泣きするので、私もつられて一緒に泣いてしまいました。
最近、手の平に身に覚えのない豆ができているなと思っていたのですが、姉さまは魔術だけでなく、剣道の鍛錬もされていると父様から聞きました。流石は私の尊敬する空姉さまです。私は、魔術のことはさっぱり理解できませんが、いつか剣の技について姉さまと語り合いたいです。でも、冬木までの行き方が覚えられないって(笑)少しはそういうことも身につけないと駄目ですよ。 大好きな空姉さまへ 宙より』
「宙……、私も頑張るから」
空はかみしめるようにつぶやくと、大好きな妹に思いを馳せ自分の身体を包み込むように抱きしめた。
出発前日の晩、魔術刻印の移植は問題なく成功した。あとは空の身体の所有権を宙に差し替える施術を行うのみである。
「今更だが、本当に良いのだな」
「ええ、父様。大丈夫」
「確認するが、幽体の経路を宙に移し替えると同時に呪詛は空、お前の方に強く影響を及ぼすようになるだろう。正確にはわからないが、お前たち二人のうちどちらかを消し去ろうという力は日に日に強力になっているように感じる。
時間はあまり残されてはいないようだ。宙を保護するために今回の措置を講じ、空、お前は魔術刻印の所有者でなくなる。そのように呪詛を欺くのだ。しかし、刻印所有者で無くなったお前が自分の身体を使えば呪詛はお前の命を短期間で奪ってしまうだろう。
よって、聖杯戦争が始まるまでお前は表に出るべきではない。それまでの過程は宙に担ってもらうしかない。
そこで、お前たち二人に強力な暗示をかける。
宙には、『自分は桐生空であり、自分は一人っ子で姉妹はいない。此度は進学の都合で親戚の間桐家のお世話になるために冬木市に向かう。間桐家や自分の家が魔術師の家系だということはまったく知らない』と思い込ませる。
こうすることにより、宙の記憶だけでなく、意識からもお前の存在を消し呪詛の影響を最小限に抑える。一方、お前の幽体は精神体として宙の中で深い眠りにつく。まるではじめから存在していなかったが如く、深い深い眠りに。
そして聖杯戦争という魔術師同士の戦いに巻き込まれ、宙が自身の生命の危機を強く感じた時、真の桐生空が深い眠りから目覚め、逆に宙は精神体として深い眠りにつく。ここからが空、お前の戦いが始まる時だ」
「わかってはいるのだけれど、一時的でも宙が私のことを忘れてしまうのはつらいわね」
「それともう一つ。ほぼ可能性のない万が一の話だが、間桐本家が戦力にならないと判断し、宙に聖杯戦争への参戦を強いなかった場合、空、お前はおそらく永遠に目覚めることなく宙の精神体の一部となる。宙は一生、桐生空として生きていくことになる」
「それは宙が普通の女子高生として平穏に暮らし続けていけているということでしょう。それならそれで私は構わない。宙が幸せなら、それで」
「空……」
「でも、その可能性はほぼ無い。こんな忌々しい呪詛をかけた間桐本家が聖杯戦争という大一番に臨むのに、わざわざ呼び寄せた桐生の人間をみすみす見逃すはずないわ」
「おそらくその通りだろう。今回の聖杯戦争は桐生家の命運をかけた大いなる賭けだ。宙、そして空、私の愛しい娘たち。お前たちにすべてを託そう。この無力な父を許せ」
魂の経路を入れ替えるという極めて特殊な降霊魔術に属する施術が今始まった。
数時間後、
「じゃあ、お父さん。私そろそろ行くね」
「気を付けて行ってきなさい。私は神主としての務めがあるから付いて行ってやれないが、向こうでも弱音を吐かずに頑張るんだぞ、空」
「うん、大丈夫だよ。心配しないで。お父さんも体には気をつけて。行ってきます」
こうして、桐生空は故郷を後にして冬木市に旅立った。
見送る父、蒼賢の姿はまるで年老いた翁のようであった。
そして、宙は聖杯戦争に巻き込まれ、私が目覚めた。
これが何を意味するかは明白。
私、桐生空はこの戦いに負けるわけにはいかない。聖杯を手にし、呪われた鎖を断ち切るまでは────。
今までとは違う、潤沢な魔力供給を受けセイバーの回復は順調のようだ。
(これでよし。後は……本家の御爺様にご挨拶しなければいけないわね)
忌々し気にそう考えていると、空はアパートの外にただならぬ気配を感じた。
「お出ましのようね」
空はほんの少し緊張した面持ちでアパートの部屋から出て行った。
「ほう。汝(うぬ)があの桐生空か。わしの想定とは少し違う、まるで別人よな。一体どういうからくりか。申し開きがあればするがよい」
影から染み出てきたような不気味な老人がアパートの外に佇んでいた。
「間桐臓硯様。はじめてお目にかかります。桐生家の魔術師、桐生空にございます。これまでにあなた様と相対しておりましたのは私とは別の人格であり、本来の私ではありませんでした。おそらく私の父親が私にかけた暗示により別人格が表に出ていたものと」
「ふぅむ」
「父は浅はかにも私が魔術の素人であり聖杯戦争では使い物にならないと臓硯様に誤認させることにより、私を戦いから遠ざけようと考えたのでしょう。大変失礼をいたしました。わが父に成り代わりお詫び申し上げます」
臓硯を前に深く跪きながら空は、父様ごめんなさいと心の中でつぶやいた。
「まあよい。この後はわしの指示に従い、間桐のマスターとして此度の聖杯戦争に改めて挑め。さすれば、今宵迄の無礼は許そう」
「ありがとうございます。改めてマスターとして聖杯戦争に臨みます」
「よし。では今後の方針だが、対戦相手のマスターと契約しているサーヴァントを悉く撃破せよ。よいか。マスターよりサーヴァントを倒すことを優先するのだ」
「マスターの排除ではなく、サーヴァントの撃破を優先、ですか?」
「うむ。そう言った。今回の聖杯戦争は通常とは少し毛色が違っておる。そうすることにより聖杯はより力を増すであろう」
正直、空は臓硯の指示の意味するところを図りかねていた。しかし、ここは素直に指示に従う風を装うことにした。何より聖杯の力が増すなら自身にとっても都合の良い話だ。
「仰せの通りに」
「よろしい。しかし、蟲の力で目覚めたものと思っておったが、どうやら違うようじゃな。これが汝の本当の魔力か。思いの外たのもしいの。以前にくれてやった施しの刻印蟲は無駄になるやもしれんな」
「!」
今、何を言ったのかこの老人は。刻印蟲……蟲??? ──。
間桐家の魔術体系に特殊な蟲を使ったものがあることは桐生の先祖が記した書物で読んで知識としてはある。その使途は──―
「汝が初めて間桐を訪れた際の晩餐を覚えておるか? ……美味だったであろう。うん? クカカカカカカ」
臓硯はしわがれた喉を不快な音で震わせた。
やられた! 既に私の体内に!! 無防備な宙に何ということを!!!
「まあそう嫌うでない。素直に受け入れれば更なる魔力の増強となる。励むが良い」
驚きと怒りが綯交ぜとなった感情が空にふつふつと湧きあがる。が、ぐっと堪える。
「そうそう、汝のサーヴァントは未だ回復中であろう。今、他の陣営に戦いを挑まれては少々まずいことになるが-」
間桐臓硯は空の住まいのアパートを一瞥し、続けた。
「汝のサーヴァントはなかなか良い働きをした。汝が住まうこの建物は間桐家の所有物であり、魔術工房としての機能を果たしておる。サーヴァントと汝の魔力の経路はここではより強固になる。更にこの場所に結界を張っておいてやった。他陣営のサーヴァントやマスターもそう簡単には侵入できまい。サーヴァントが回復するまでの時間稼ぎ程度にはなるであろう、安心するが良い」
その時、上空から一羽のカラスが臓硯の方に舞い降りた。いや、カラスの様に見えるがよく見るとカラスではない。蟲、蟲の群体だ。漆黒の羽蟲の群れがカラスの形をしていたのだ。羽蟲の群れは臓硯に何事かを伝達すると溶けるように彼の影の中に消えていった。
「この後、情報のやり取りは使い魔を通して行う。物影に留意せよ」
「畏まりました」
「くれぐれも、わしの言いつけを守って戦うのだ。心せよ」
間桐家当主、間桐臓硯は、文字通りその影の中に溶けるように消えた。
とりあえず、空は自室に戻った。これからの戦いは間違いなく過酷なものになるだろう。特に先刻襲撃をしかけてきた陣営が気がかりだ。セイバーは敵のマスターを倒したとは言っていたが確認はできていない。もし、相手がまだ健在ならどうするか──。
「時を開けずにまた襲撃に来るわね」
考えをまとめる間もなく、空のアパートの周りに張られた結界に違和感、そして衝撃!
(まずい。まだセイバーは回復中だ。サーヴァントがいるなら私一人では勝ち目がない。どうすれば……)
空は相手の姿を確かめようと、アパートの窓から気づかれぬよう外を伺った。
そこにいたのは、宙が公園で出会ったあの少女だった。
「あの娘は……」
その時、空の部屋の物影から形容しがたいおぞましい形をした黒い物体が這い出てきた。先ほどの話が無ければ、思わず声を上げてしまいそうな醜悪さ。おそらく間桐臓硯の使い魔の蟲だ。なんとか無言を保った空の頭に念話が届く。
『予測通り。汝を襲った陣営がここまで追ってきたようだ。しかし、この間桐臓硯が張り巡らせた結界はそう甘くはない。しばらくすれば撤退するであろう。ここに籠っておれば問題あるまい。ただ、敵にこの場所が知られておるのは良くない。まずは、この陣営から叩くしかあるまい』
前言通り、しばらくすると結界の違和感は消え、結界外の気配も何処かへ立ち去ったようだ。
『あのマスターはホムンクルスか、おそらく、敵陣営はアインツベルンだな』
アインツベルン。聖杯戦争の始まりの御三家の一つ。
『アインツベルンのホムンクルスは強力な魔術の使い手。姿形に惑わされるでない。敵は結界の外の何処かで汝が出て来るのを待っておる。心当たりがあるのなら気を付けるが良い。こちらから襲撃をかける心づもりならば……』
使い魔の蟲が少し動くと、どこから現れたのかぼろきれのようなものが床に落ちている。
空がぼろきれ(?)を拾い上げると印がついた地図のようなものが浮かんできた。
『奴らの拠点はそこにある洋館ぞ』
そこまで告げると、使い魔は元の影に戻っていった。
「あの娘がアインツベルンのマスター……」
心してかからないとだめだ。相手は魔術師。しかも、間桐家に匹敵する御三家の魔術師なのだ。いくら宙が友達になった娘とはいえ、油断すれば殺されるのはこちらの方だ。
「ごめんなさい。私たちは負けるわけにはいかないの」
自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。
「精神抑制。モード《狂戦士》」
空は自分の精神を魔術で無理やり押さえつけた。
戦いに余計な感情は不要……これで、躊躇なく戦える。
「後は身体の方を仕上げないと」
旅立ちの前夜以来だ。空は自分の精神と宙が鍛え上げた身体を同調すべく、部屋の外へ出て竹刀の素振りを始めた。
「ずいぶん久しぶりに感じるわね。少し体が重い」
空が自分の思う通りに身体が動かせると感じ始めたのは東の空が薄明るくなる頃であった。
お読みいただきありがとうございます。
ここから後半戦です。