「形態解除、再集結」
ウリエはメラヘルを倒せる人間がいたことに動揺を隠せなかったが、今は驚いている場合ではない。すぐさま冷静に新たなコマンドワードを唱えた。
メラヘルの左手と全身を覆っていたヴォールメンハイドラグラムがどろりと銀色の液体状になり、流れるようにウリエの足元に集まりサッカーボールほどの大きさの半球体状に再形成された。
「あなたごときがメラヘルを倒すとは、正直驚きましたわ。一応名前くらいは聞いてあげてもよろしくてよ。そちらは色々調べていたみたいですし、私の名前はもうご存知ですわよね」
「そういや名乗りもしてなかったんですかね。こりゃ失礼しやした。あっしの名は劉九垓といいやす。ま、ケチな殺し屋でさあ」
そう言いながらおどけた礼をするクガイにウリエは激しく嫌悪感を覚えたが、同時に妙に納得もしていた。やはりこの男は暗殺者だったのだ、と。
ウリエにとってクガイという男は今まで関わった事がない人種といえた。基本的にお嬢様育ちであり、クガイのような粗野な人間とは無縁の世界で育ってきたのだ。
もちろん時計塔内部での抗争や派閥間の問題など幾つも経験しているが、あくまでも上流な人々の中であったためここまで粗野で粗暴な人間など見た事がなかったし、そもそも人として許せなかった。
しかし、実際には人間離れした能力を持つこの男に、今までに感じたことがないような恐怖心すら覚えていた。そんなことはおくびにも出さず虚勢を張ってみたものの、メラヘルを破壊され、状況が非常にマズイことになっているのは事実である。
様々な思いが頭の中でぐるぐると渦巻く。まさかメラヘルが倒されるなんて……。私は何のためにこんな辺境の島国までやって来たの……。こんな魔術師くずれの暗殺者に私が敗れるというの……。今までの鍛錬は無駄だったの……。お兄様とお姉様に合わせる顔が無い……。お兄様たちを殺したマスターもこいつの様な暗殺者だったのかしら……
突然もつれていた糸が解けたような感覚を覚えた。もしこの暗殺者に私が自分の力で勝利することができたなら、姉と義兄への手向けになるのではないか。私はその為にマスターになったのではなかったのか。そう考えると、頭の中がクリアになったような気がした。目に前のこの男にだけは負ける訳にはいかない。やってやるという気力が湧きあがってきた。経験したことが無い何とも不思議な感覚だった。
「本当にあなたを見ているとイライラするわ。今名前を聞いたことを即座に後悔するくらいにね」
「おやそうですかい? こちらとしてはお嬢様に合わせたエレガントな礼をしたつもりなんですがね? えーっとウリルさん?」
「自律攻撃、近接防御」
命令を受け、ヴォールメンハイドラグラムの表面が細かく波打つ。
ウリエは回収した月霊髄液に命令を与え目の前の失礼な男に言い放った。
「これから自分を倒す相手の名前すら覚えられないなんて可哀想な男ね。劉九垓、さっさとかかってきなさい!」
かかってきなさいと言われましてもねぇ。クガイはウリエの足元で転がるヴォールメンハイドラグラムを見ながら思案を巡らす。
どう考えても迂闊に踏み込むとあの液体金属の餌食になる事は明白なのだ。さらに先ほどのオートマトンとの戦いでクガイは相当手の内を晒している上結構な怪我を負っている。近接攻撃に対してトラップを仕掛けていることは大いに予想できるだけに慎重にならざるを得なかった。
しかしクガイにとっては必殺の古銭を当てさえすれば勝ちであるという事は間違いなかった。遊園地で見られている可能性は高かったが、その効果までは正確に知られていないはずである。
とはいえ……簡単に当たっちゃくれないでしょうな……
クガイは肩を揺らせながらポケットに手を入れ数枚の古銭を左拳の中に握り込んだ。
このままじゃどうしようもないですな。クガイはそう覚悟すると右手を突き出し気を巡らせ始めた。
ウリエには必勝の作戦があった。
そもそもウリエには飛び道具は効果がないどころか最悪のカウンターを引き出すことになるのだ。
ウリエは瞬間湯沸かし器と周りの人間に揶揄されることも多いが、地頭の良さは時計塔の中でも上から数えたほうが早い人物である。
そんな彼女にここまでの戦いでいくつもの手の内を晒しているクガイは圧倒的に不利な立場に立たされていた。
逆にウリエは今回の聖杯戦争で実際に戦闘を行うのは初めてであり、誰も彼女の戦い方を知る者はいない。
ウリエの切り札は決してヴォールメンハイドラグラムではない。義兄より譲り受けたこの液体金属は便利ではあるが、ウリエ本来の魔術とは別の存在である。
マギシェス・ゴルド。これこそがウリエの切り札である。あらゆる飛び道具を封殺し即座にカウンター攻撃となる金色の微粒子。銃弾すら反射するその攻防一体の金色の霧。
メラヘルの体内にはマギシェス・ゴルドの格納スペースがあり、既に戦闘開始時に必要な量の散布は完了、ウリエを中心に結界が展開されていた。加えて先ほど破壊された際、クガイの必殺の一撃により、メラヘルの体内の格納スペースが爆散、後背部が吹き飛び、収納されていたマギシェス・ゴルドが高濃度で飛びちっている。通常は若干彼女の周りがキラキラしている様に見える程度なのだが、今は一目で目視確認できる程の微粒子がウリエを中心に漂っていた。まさにメラヘルの置き土産とも言える。加えてこの術砂には、この五年間で飛び道具反射以外のある効果が付加されていた。
ウリエはそれを身に纏いながら同時に風の魔法陣を幾つも自分の周りに設置していく。
「さあ踏み込んでいらっしゃい! あなたがどれほどの魔力を持っているのかまではわからないけれど、このトラップを破れるものなら破ってみなさいな!」
不敵な笑みを浮かべながらウリエはクガイを睨んでいた。
しばしのにらみ合いの後先に動いたのクガイであった。クガイにはウリエの設置した魔法陣が見えていた。いや見えていたというわけではない。わずかに揺らぐマナの歪みを感じ取れたというべきか。
クガイは箭疾歩(せんしっぽ)で急速に間合いを詰める。絶招歩法ともいえるこの技は馴染みのないものにとっては瞬間移動したように見えただろう。実際ウリエも突然目の前に現れたクガイに驚愕の表情を浮かべ身構える。
しかしそんなクガイに反応したのがヴォールメンハイドラグラムである。ウリエによって自律行動の命令を与えられたそれはウリエがどのような状態であろうと彼女を守り、敵を排除する。
だがクガイにとってはそれも予想の内であり、狙いは最初からヴォールメンハイドラグラムと周りに浮かぶ魔法陣であったのだ。
ヴォールメンハイドラグラムはクガイの掌底に対し威力を相殺すべく正面から同様の打撃をクガイの掌にぶち当てる。ただの水銀ではない高密度の液体金属による打撃により掌を破壊する意図をもった攻撃である。そして同時にいくつもの魔法陣が起動しようと輝きを放った。
クガイはヴォールメンハイドラグラムにそのまま掌底を打ち込み、発勁を放つ。
一瞬波打ったかと思うとヴォールメンハイドラグラムは水風船が破裂したかの様に辺りに飛び散った。月霊髄液の飛沫は仕切り直しとばかりに即座にウリエの足元に再集結する。それに対して、突き出されたクガイの掌底には傷一つなく、月霊髄液が飛び散ったことにより、掌底を間に挟んでクガイとウリエの目が合った。
ニヤァ。
目が合うとクガイはその獰猛な笑顔のままウリエに対してさらに口角を上げた。
―殺される! ―
ウリエはまるで背筋が凍ったかのような悪寒に襲われるが、体は硬直したかのように動かなかった。
死、一瞬そのイメージが頭に浮かぶ。しかしウリエを救ったのは起動したトラップ群である。クガイは飛び込むと同時にいくつかの魔法陣を破壊していたが、足元に見逃したものがあったのか風の刃をクガイに向けて吹き上げたのだ。
クガイの狙いは最初からトラップを空発動させることであったのだが、クガイも自身が右足に深手を負っていることを失念していた。わずかに身を引くタイミングが遅れたのだ。
風の刃はまるでつむじ風のようにクガイに襲い掛かる。あたりに散らばっているメラヘルの破片なども巻き込んでクガイの体に無数の傷をつけた。
しかしそれでも傷は決して深くはなかった。金属片により切り傷を幾つかつけられたが、本命である風刃はすべて躱せたからである。
「おお、こわいこわい。お嬢さんの属性は風ってところですかね。……知ってましたけどね」
クガイにも情報網は存在する。遊園地で名乗られたことから時計塔でウリエという魔術師を探すことはそれほど難しい事ではなかった。
「戦いってのはこうじゃなくてはねえ」
不吉な笑顔を張り付けたクガイにウリエは改めて恐怖を覚えた。
今日この男と相対するまでウリエにとって聖杯戦争は魔術師の世界一決定戦であり、殺し合いであることは承知していてもどこかゲームのような感覚を捨てきれずにいた。
―義兄と姉もこのような感覚を持ったのだろうか―
ウリエの義兄ケイネスは前回の聖杯戦争でセイバー陣営に破れて命を落としている。あれほどの才能と頭脳を持った義兄が魔術合戦で破れるとは敵はどのような魔術師であったのかと考えたこともあった。
しかしロード・エルメロイⅡ世から得た情報を基にしたその後の調査で、義兄を殺したのは魔術師殺しと呼ばれた、魔術師専門の暗殺者だったことが判明した。そうなってくると何故そんな人物が聖杯戦争のマスターとして選ばれたのかが理解できなくなり、ずっともやもやした気分が晴れずにいた。だが、ここにきてウリエは理解した。
―これはそんな綺麗な戦いじゃないんだ―
聖杯戦争とは競技会ではない。下手すると魔術師同士の戦いですらないのかも知れない。どのような手段を使ってでも相手を殺し、生き残った者が勝者なのだ。
今ウリエは初めて殺し合いという事の意味を正しく理解した。
ロード・エルメロイⅡ世が言っていた「死ぬよりも悲惨な目にあった挙げ句、何を成すこともできぬまま惨たらしく殺されるかもしれない」という言葉の意味も今なら分かる気がした。
「参ったわね……。まさかあんたみたいなやつから学ぶことがあるとはね」
蒼白な顔をしたウリエはクガイを見据え、ため息を一つ吐いた。
「でも喜びなさい。このウリエ=ヌァザレ=ソフィアリがあなたに感謝をするのだから。あなたのことはずっと覚えておいてあげるわ」
「さいですか。そりゃよござんしたね」
クガイにとっても今の流れでウリエに古銭を投げられなかったのは失敗であったのだ。
このお嬢さん戦いに対する心構えってもんがなっちゃいないですな。しかしそれにしても厄介な魔術師であることは間違いないですなあ。まったく聖杯になんぞ関わらずに大人しく時計塔に籠っていればいいものを。クガイは心の中でそう毒づいた。
仕切り直しか、クガイはそう思って再び構えをとるが今度はウリエが主に防御の為に使っていたヴォールメンハイドラグラムを薄い刃の様な形状に変化させ今までに無かったような速度の斬撃を繰り出しながらこちらに突っ込ませ、しかも驚いたことに自らもその後に続いて飛び出してきた。
クガイは、ウリエは魔術師であり格闘能力に自信があるわけではなく、自ら好んで格闘戦を行うはずはないとタカをくくっていただけに驚いて回避を行ってしまった。
ウリエの格闘技術はあくまでも素人であり、クガイにとっては逆に大きな隙になるはずであったのにそれを生かせなかったことにクガイは歯ぎしりをした。まさか突撃してくるなどとは思いもしなかったのだ。
またウリエもただ無策で飛び込んだのではない。ウリエが通り過ぎた後には激流ともいうべき風の流れが残されていた。渦巻く風の壁にクガイは身を低くして耐える。そこに間髪入れずに槍状に形を変えたヴォールメンハイドラグラムが突っ込んできた。
「うおっ!」
お嬢さん動き変わったんじゃないですかい? クガイは先ほどまでのどこか魔術大会に出場しているような雰囲気だったウリエとは明らかに違う彼女を見て警戒を強めることになった。
ドン! という震脚の大きな音と共にクガイは突き出された槍を叩き落すが、すぐに槍は液体状となりウリエの足元に戻っていってしまった。
すると今度はまるで鞭の様なしなりをもってヴォールメンハイドラグラムがクガイに襲い掛かってきた。
鞭ならばそれを操っているものがいるのだが、この液体金属は完全に自律で行動している。いうなれば生きたワイヤーが空中から襲い掛かってくる様なものである。
しかもその間隙を縫ってウリエは魔術をクガイに向けて行使する。もはや先ほどまでのウリエとは完全に別人であると言えた。
「な、何があったんですかね?」
クガイは答えが返ってくることなど全く期待してなかったのだが、意外にもウリエはそれに律儀に返事をよこした。
「本当に感謝するわ。そう、これは戦争なのよ。おかげで義兄が敗れた理由がわかったわ」
いったい何のことを言っているのかクガイにはわからなかったが、ただ彼女の覚悟の度合いが大きく変化したのであろうことは理解できた。
まいった、こりゃ難易度爆上がりじゃないですかい。
クガイはやれやれとこっそりため息をついた。
ただ単にウリエが近接戦を挑んできただけであるならクガイにとっては非常にやりやすくなったのだが、ウリエは常にヴォールメンハイドラグラムに守られている上に幾つのも魔法陣を同時展開している。さらには彼女を包み込む金色の霧がクガイを警戒させていた。
いったいあれがどういったものなのか未だにクガイにはわからなかったのだ。
おそらく何らかの防御機能を持ったものなんでしょうがね。クガイはそうあたりをつけていた。その考えは半分正解である。
それが恐ろしいカウンター攻撃を備えていることまではクガイにはわからない。
再び槍状と化したヴォールメンハイドラグラムを突き出しながらウリエが突っ込んでくる。同時に展開される魔法陣は容赦なく風の刃を作り出しクガイを切り刻もうと舞い踊る。体捌きと発勁でクガイはそれを躱し、また叩き落しながらヴォールメンハイドラグラムを弾き飛ばす。
そしてその刹那、クガイは切り札を切った。
クガイの切り札、それは自身のサーヴァントであるエレナから譲り受けたペンダント型の護符である。
「これはマハトマの力を込めた護符よ」
エレナは古銭の魔術一つでこの聖杯戦争を乗り切ろうとしているクガイに危うさを覚えていた。
生来、情に脆いところのあるエレナはクガイの聖杯を求める理由に本当の意味で力を貸そうと心を決めていたのだ。
クガイは六芒星に蛇をあしらったそのペンダントに魔力を込めウリエの足元に転がした。
瞬間、爆発的な閃光と共にマナの奔流が吹き荒れる。
金色の霧の正体がわからなければ吹き飛ばせばいい。単純ではあるが最も効果的といえる力技である。
さすがマハトマ様のご利益ですな! クガイ自身の魔力も大きく吸い取られる結果となったが、古銭一発分の魔力は十分に残っている。
クガイは金色の霧が吹き飛んだのを見るとエレナに感謝をしながら必殺の古銭を弾き出した。
古銭はウリエの胸に直撃する。
―勝った! ―
勝利を確信したクガイ。しかしその瞬間左手に激痛が走った。
「な、なにぃ!」
慌てて自分の左手を見てクガイは驚愕する。
クガイの左手の指はすべて折れ、手のひらは手首まで切り裂かれその傷口には一枚の金貨が埋まっていた。しかも、その硬貨の表面を覆っていた金色の物質はみるみる傷口に吸収されていき、金貨だと思ったそれが元は先ほどクガイが放った古銭だったということが分かった。
さらに悪い事に、突然呼吸が苦しくなり、吐血する。左手も痛みに加えて徐々に痺れてきていた。
―な、何が起こって……
クガイは知らなかった。マギシェス・ゴルドはウリエ以外の者にとっては極めて有毒な物質なのだ。彼女はここ数年間ヴォールメンハイドラグラムの効果的運用方法とマギシェス・ゴルドへの毒性付加の研究に時間を費やしていた。
メラヘルから爆散したマギシェス・ゴルドの量はかなりのもので、通常ウリエが身にまとっているものよりも圧倒的に濃い濃度で周囲に浮遊しており、クガイが吸い込んだ量は相当なものになっていた。加えて今まで気が付かなかったが、戦闘中クガイが負った切り傷にも大量の金粉が付着していた。
そして間髪入れずにヴォールメンハイドラグラムがクガイに追撃を加える。
刃物のように変形したそれはクガイの腹部に深く突き刺さっていた。
ウリエは動いていない。完全に自律して攻撃を効率的に加えるヴォールメンハイドラグラムの性能はさすがロード・エルメロイの作である。クガイが負った傷は確かに致命傷といえるほどに深かった。
お読みいただきありがとうございます。