「下がって!」
突然聞こえてきたエレナの声にクガイは即座に反応した。その場を飛びのくとクガイとウリエの間に電撃のカーテンが降り注ぎ、ヴォールメンハイドラグラムの刃を地面に叩き落とした。
クガイの危険を察知したエレナが、クガイとウリエの間に割り込む。
「マスター! ここは撤退するべきよ!」
「馬鹿言ってんじゃねぇ! おまえさんはサーヴァントの相手をしろ! 時間がないって言っただろ!」
突然割り込んできたエレナにクガイは激高する。
あまりのクガイの剣幕に一瞬たじろぐエレナだが、このままでは戦闘で勝利してもクガイの命が持たない。
「あなたが死んじゃったらファリンちゃんが生き残っても意味がないでしょ!」
エレナは病室で微笑むファリンを思い出し苦しげな顔をした。
クガイとエレナがそんなやり取りをしているのを見たウリエは、首から下げていた宝石のペンダントをキャスターと自分の間に投げつける。
投げつけられたペンダントを中心に半径5mほどの空間にひずみが生じ、その空間以外の時の流れが極端に遅くなった。
種を明かすとペンダントを中心とした、空間内の時の流れが一時的に早くなっているだけで、それ以外の時間は通常通りに流れているのだが、特殊な空間内に捕らわれた二人からは、周囲の動きが止まったようにすら感じられた。そんな周りの喧騒から切り離された空間でウリエはキャスターに語りかけた。
「突然割り込んでごめんなさいね。前回は要らぬ邪魔が入りましたから、これで少しの間だけですがあなたと二人きりでお話ができますわね」
時間干渉系の魔術? エレナは何が起こったのかとあたりを見渡し、それが敵マスターの仕掛けた魔術であると理解する。敵サーヴァントと1対1の状態を作るなどこの娘正気なのかしら? エレナはそう思ったがウリエの丁寧な態度に何か意図があるのだろうと話を聞くことにした。
「キャスターさん、あなたのことは独自に調べさせていただきましたわ。
あなたの宝具サナト・クマラは近代神智学において人類進化を導く存在を表すもの、そこから導き出されるあなたの真名は、神智学の祖にしてオカルト研究の第一人者でもあるブラヴァツキ―夫人ではないのかしら」
ウリエの問いかけにエレナは少し驚いたような顔をして答える。
「ええ、そうよ。あたしの名前はエレナ・ぺトロヴナ・ブラヴァツキー。神智学の提唱者であり、マハトマの叡智を授かりし者よ」
神智学に理解があるのだろうか? エレナは今まで出会った多くの魔術師やかつての時計塔について記憶をたどる。
「あなたのことがもっと知りたくて、ソフィアリ家に頼んであなたの著書シークレット・ドクトリンを探させたのだけれど、さすがに希少で通常ルートでの入手は不可能なのですって。残念ですがこの短期間で手に入れることは叶わなかったわ」
ウリエは事、魔術に関してであるなら極めて公平であり、今まで考えられてこなかった理論等に対する知的好奇心は貪欲といえるほどに高い。
「でもね、私なりにあなたのことは調べましたの。
改めてあなたは本当に規格外の凄い魔術師なのね。
あなたが提唱した、人間は普遍的な魂の現身であり、その至高の神霊と同一の本質を共有しているがために初めから永遠で不滅である、という思想はアインツベルンの唱える第三魔法の概念と一致するし、人間は輪廻の連鎖を通して起源へ旅する神性の輝きが具現化したもの、全宇宙の根底には、絶対的で人智を超えた至高の神霊や無限の霊力が存在しており、見えるものも見えないものも含めた万物の根源になっている、という思想は全ての魔術師が求める根源の渦のことよね。
あなたは独自にこれらの真理に到達し、先達であるマハトマの叡智を得ることですべてのことを理解し、あんな凄い魔術が行使できるのでしょうね。
真理にまさる宗教はない、というあなたの残した言葉には凄く重みを感じるわ」
エレナは正直驚いていた。自分が存命中についぞ理解されなかった神智学の深奥をこの年若い娘が理解しかけているという事実に。そしてこの魔術師とならば魔術の根源について話せるのではないか? そんな期待すら持てる気がした。気が付くとエレナは身を乗り出さんばかりにウリエの話を聞いていた。
「ただ、あなたにとっての不幸は、あなたの思考が高次元過ぎて、一般人に理解させるのが困難だったってことなのかしら。あなたは別にマハトマからのメッセージを物理的に受け取っていた訳ではないのでしょうけれど、手紙として受け取ったと示すことで周りに理解させ易いと考えたんじゃないのかしら? そこをSPRのホジソンに衝かれてインチキだと糾弾された……
でも、私はあなたの主張を全面的に信じるわ。だって、あなたはあんなに凄い魔術を行使できるじゃない。マハトマの叡智を具現化させたあんな魔術、他の誰にも行使できない。あれは紛れもなく本物ですわ。
ああ、ちなみにSPRは13年前にホジソンレポートを彼の先入観に基づいてなされた不徹底なものだったとして、内容を否定しているのよ。ご存知だったかしら」
ホジソンの名が出たところでエレナは苦虫を噛み潰したような渋い表情をしたが、その後のことを聞き嬉しそうな顔をして、くすっと笑った。
「そのクガイって男は欲しいものがあるなら実力で手に入れろと私に言いましたわ。あなたにその気があるのならば、私はバーサーカーとの契約を破棄してあなたと再契約したいと思っているのだけれど。いかがかしら」
「……そうなの。そこまで神智学について勉強して理解を示してくれたことについては素直に嬉しいし感謝を示すわ、ありがとう。魔術協会にも見所のある魔術師がいるのね」
エレナは何かを懐かしむような遠くを見るような目をしてからウリエに向き直る。
「あたしもあなたに少し興味が湧いてきたわ。ねぇ、あなたは聖杯って何だと思う? んー、ちょっと質問がアレかしら、そうね、あなたは聖杯に何を望むの? ……いえ、それはいいわ。さっきあたしのマスターが言った通り人の望みなんてまさに人それぞれだから。……そうね『聖杯戦争』ってなにかしら?」
聖杯戦争、それは願いをかなえる願望機である大聖杯をめぐる魔術師たちによる儀式。聖杯を求める七人のマスターと、彼らと契約した七騎のサーヴァントがその覇権を競う。
他の六組が排除された結果、最後に残った一組にのみ、聖杯を手にし、願いを叶える権利が与えられる。そんな今さらな質問をなぜこの英霊はしてくるのだろう。ウリエは質問の意図がわからず困惑する。
「聖杯戦争に参加するマスターはどうしてサーヴァントなんていう過去の英霊をあえて呼び出さなければならないのかって考えた事あるかしら?」
ウリエにとっては考えた事もない質問だった。なぜサーヴァントを呼び出さないと聖杯戦争に参加できないのか? そもそもそれが前提条件だったため、その理由など考えた事もなかったのだ。
「サーヴァントはかつて人だったもの。ちょっと人とは思えないような英霊も混じっているけどね。聖杯戦争とはサーヴァントを召喚させる事自体に意味があるような気がするのよね」
ウリエは考える。そもそも聖杯戦争とは御三家といわれる魔術の大家がシステムを構築して始められたと言われている。ならなぜその御三家はこのような面倒な儀式を用意したのか。そこには何か隠された意味が存在していると考えるほうが自然だと思われた。
「たぶんだけどね、聖杯戦争におけるサーヴァントは使い捨ての駒のようなものだと思うの。おそらくこの大掛かりな儀式にはその霊基こそが必要なのじゃないかしら。でもね、理解はできても納得できないこともあるのよ。あたしたちサーヴァントは例えこの戦いの中で殺されたとしても、存在そのものが消滅するわけじゃない。また別の場所で召喚されれば、そこに顕現することになるでしょう。
じゃあ今ここに居るあたしはまがい物なのかと言われると、決してそんな事は無いわ。生前のことも覚えているし、生前に抱いていた夢や叶えたい願望も何も変わってはいない。そしてこれは多分あたしだけじゃない。あなたのサーヴァントにもきっと叶えたい願望があるんじゃないかしら」
エレナは先ほど闇の中から不意に現れるように襲い掛かってきたバーサーカーを思い出す。バーサーカーという割には知性を感じられるサーヴァントだった。
「今回あたしはクガイというマスターに召喚され、今まで一緒に戦ってきたわ。この戦いの中で彼は一度たりともあたしを駒として扱ったことはなかったの。マスターは令呪がある限りサーヴァントを好きなように扱える。でも、彼とあたしは常に『相棒』だったわ。あんな見た目で態度も悪いけど、なかなかにいい男なのよ、マハトマは感じないけどね」
「で、でも、私のマギシェス・ゴルドは有毒なのよ。既にその男が体内に取り込んだ量は致死量を超えていますわ。放っておいてもあと数日も経たずにあなたのマスターは命を落としますわよ、そうなったらあなたも……」
「例えそうなのだとしても最後まであたしは彼の願望を叶えるお手伝いをしてあげたい。そう心から思っているの……これ以上話すことはないわね」
──―断られた。どうして? この英霊は私ではなく、あの男を選んだ。にわかには信じられなかったが、これが現実なのだ。
「ちょっと待って、ブラヴァツキ―夫人。最後に一つだけ確認させて。もし、もしいつか私が貴方を召喚したなら。その時は私の気が済むまで魔術やそれ以外のことについてもお話しに付き合ってくれるかしら?」
「よくってよ、その日を楽しみにしているわね。
あ、それとあたしの事はエレナでいいわ。ブラヴァツキ―夫人って呼ばれるの、あまり好きじゃないのよね」
そう言うとエレナはパチンと指を鳴らす。その音でウリエが放った魔術具はパキンという音と共に砕け散った。
「あたしの神智学にそこまで理解を示してくれたことには本当に感謝します。ウリエ=ヌァザレ=ソフィアリ。あなたにはマハトマを感じるわ、出来れば生前に会いたかった……。もしかしたら……」
その言葉の先を口にする前にエレナは小さく首を振りウリエに背を向けた。
そしてエレナはぐったりとしてはいるがまだ何か言おうとしているクガイを担いでその場を離れていった。
ウリエはエレナとの会話を頭の中で繰り返していた。聖杯戦争っていったい何なのだろう。魔術師世界一決定戦という考えは先ほどの戦いの中で捨て去った。だが、ではなぜこのような大儀式が当たり前のように行われているのだ? いったい誰がこの聖杯戦争で「得」をするのだ? ウリエにはその答えを得るためにはまだ知識が足りていなかった。
思考の海に沈みそうになったところでふとウリエは自分の胸元を見る。そしてエレナとの話から一気に現実に引き戻された。
自分の胸元はマギシェス・ゴルドで金色に染まっていた。
ドレスの胸元と胸を覆っていたお気に入りのフリフリの下着までもが大きく破れて素肌が見えている。そしてその衣服、そして素肌には金粉が異常に付着していた。
「あ、危なかった……のね」
クガイの古銭が命中したあの一瞬、ウリエは完全に死を覚悟した。
ウリエはメラヘルに収納している分以外に携帯用のマギシェス・ゴルドを別の用途も兼ねてある場所に入れていた。クガイの攻撃は唯一当ててはいけない場所に命中したのだ。ウリエにとっては正に九死に一生を得たかたちとなった。
エレナの護符は浮遊するマギシェス・ゴルドを吹き飛ばすことには成功したが、ウリエが身に付けているものまで吹き飛ばすことはできなかった。
「止めは刺せなかったけど、彼が私の前に立つことはもうないでしょうね……」
ふう、と息を吐き出し考えを切り替えるように大きく首を振り破壊され横たわるメラヘルに目を向け呟いた。
「あなたが頑張ってくれたおかげであの男に勝つことができたわ。ありがとう、メラヘル。ロンドンに戻らないと私ではあなたを直してあげることはできないの。ごめんなさいね」
ウリエはそう言えばバーサーカーは何をしていたのかとヴラドの姿を探した。
そんなウリエのもとに頭を振りながらバーサーカーがふらふらとやって来た。
「うぬ……あのキャスターめは余と全く相性が良くない。まだ目がチカチカしよるわ……。あのキャスターめ珍妙な魔術を使用しよって」
ウリエはバーサーカーを見て先ほどのエレナの言葉がよみがえった。
バーサーカーにも聖杯に掛ける願いがある……ね。
「バーサーカー」
「う、うぬ? 少々遅れはとったがあの宝具は使わせなんだぞ? あやつは太陽の光の加護を持っておるようでな。少々余とは相性が良くないようだな。しかし余の攻撃は確かに効果があったようだぞ? 十分に足止めはできていたであろう」
まるで子供が母親にするような言い訳を聞きながらウリエはため息を一つ吐いた。
「ふう。まぁ、勝てたのだからいいわ。ヴラド・ツェペシュ、ご苦労さま。メラヘルを回収するのを手伝って頂戴。……ねぇ、今まで聞いていなかったけど、あなたが聖杯に託す望みって何なのか聞かせてくれるかしら……私にできることがあるなら手伝ってあげるわよ」
むぅ、絶対罵られると思っておったのだが、急に優しくなって気色悪いわ。改めてこの小娘だけは全く理解できぬな。
ヴラドはキャスターのみならず、ウリエとも相性が良くないようだった。
お読みいただきありがとうございます。