綺礼は今回の聖杯戦争において監督役という肩書を与えられはしたが、参加者の大半は見知らぬ者たちであり、当然そんな彼らになんの感情も抱いていなかった。ただ、かつての同輩であるジャンマリオが参加しているという事については多少の興味がわき、少し遊んでやるか程度の事は考えていた。
監督役が参加者に特別な感情を抱かないのは当然なのだが、そもそも綺礼は参加者に効果的に苦しみを与えてその様を楽しむところに主眼を置いていたのである。
しかし、冬木教会に現れた古き知人は、あろうことかクラウディアの話題を持ち出した。
「嫌な事を思い出させる……」
綺礼はクラウディアの記憶を封印している。それは綺礼にとって自分の中の悪を認め、決定つけた事件でありそれを他人に触れられることは我慢ならなかった。
綺礼はそのまま応接室ですっかり冷めた紅茶を飲みながら来訪者を待っていた。間違いなく戦いになるだろう。そんな予感にうっすらと笑いすら浮かべながら。
待つことしばし、来客は思いのほか紳士的な態度で現れた。
「言峰綺礼、少し時間は良いか」
その言葉にソファに深く腰を下ろしたまま綺礼はジャンマリオに目を向けると自ら飲んでいたカップを掲げて言った。
「これはジャンマリオ。よく来てくれたね。紅茶でも飲むかね?」
態度は紳士的ではあるが心理的にはお互いすでに臨戦態勢である。不自然な会話をしながらもジャンマリオは綺礼に対し聖堂教会として聞いておかなければならないことを質問する。
「いくつか私は君を糾弾しなければならない。君は時計塔の派遣した魔術師ゲゲイーは事故で亡くなったと言ったがそれは違う。その証拠に彼のサーヴァントであったはずのライダーは君をマスターとしていることを確認済みだ」
さらにジャンマリオは聖堂教会から与えられた任務もついでに加えた。
「聖堂教会では前回の第4次聖杯戦争の結果報告にいささか以上の疑問を持っている。虚偽報告の疑惑が君には掛けられている」
「ほう。それはそれはジャンマリオ、しかし君はそんなことを言いにここに来たのかね? 違うだろう? カレンは元気だったかい?」
ジャンマリオはその一言に思わず前に踏み出しそうになった。「貴様がそれを言うのか」クラウディアの忘れ形見であり聖堂教会で保護されている少女が出発前のジャンマリオに言った言葉が思い出される。
あの時彼女は「ガツンとやっちゃって!」そう言った。
「カレンは君の娘なのだろう……」
拳を握りしめ吐き出すように呟いたジャンマリオの言葉に綺礼は特に反応することはない。
「当然調べてきたというわけか。その通りだよ。私とあれの間にできた娘だが、あまり興味はないな。しかし君にそれを言われるのはいささか気に入らないがね。
時にジャンマリオ。君は元異端審問官としてこの聖杯戦争に参加しているが……果たして聖堂教会の意図はどこにあるか考えたことはあるかな?」
「なんだと?」
「君は聖杯戦争を軽く考えているようだ。聖杯戦争は7人のマスターの殺し合い、もとより参加したマスターの大半は死ぬのだよ、教会は君の帰還など期待していないのではないかね、若しくは教会の中に君の事を邪魔に思っている者がいるのではないか」
「世迷言を。何を根拠にそのような事を言う」
「カレンの父親を捜せとでも言われたか? だが、そもそもそれは聖堂教会からの正式な依頼なのかね。更にあれに至っては聖堂教会とは全く無関係な人物だ。だが、君にとっては無視できない名前なのだろう。
しかも、調査を進めれば私に行きつくことは事情を知っている者からすれば容易に想定できるはず、逆に言えば、君にその依頼をした人物に、君を始末するよう私が依頼を受けたようなものじゃないのかね」
「黙れ綺礼、勝手なことを! 今回の依頼はきっかけに過ぎない。依頼などなくとも私は何れ貴様にクラウディアの事を問いただしていただろう。彼女はどうして自殺などしたのだ!」
「ジャンマリオ。それ以上私の前でその名前を口にするな」
「お前と結婚などしなければクラウディアは幸せになれたはずだ! 綺礼! お前は彼女の死に責任がある!」
「黙れと言った! ああ、そうだ。勝手に自殺などされて困ったよ。どうせ死ぬなら私の手でどのように死んでいくのか確かめながら殺したかったものだ」
その言葉にジャンマリオが激高する。
「やはり彼女の自殺の原因は貴様だったのだな! 私の腹は固まった、ここで貴様を抹殺し、聖杯を使ってクラウディアを生き返らせる!!」
その言葉と共にジャンマリオは懐から黒鍵を取り出すと即座に戦闘態勢に入った。
「ふん、やはり貴様の願望はそこに行きつくのだな……、それは、結局あれを愛せずあれの死を目の当たりにしても何も変われなかった私のことを、己の死が無価値だったかもしれないことを、クラウディアに突きつけることになる。
ジャンマリオ、君は何か自分に都合の良い勘違いをしているようだが、その願望の果てには悲劇しかないのだよ」
そう言いながら綺礼も黒鍵を取り出す。
「聖堂教会の意図通りに動いてしまうのも気に入らないが、君は私にとって無視できぬ程に不愉快な存在となったようだ。本来私自身が手を下すのは趣味ではないのだがな」
そういうや否や言峰綺礼は黒鍵をジャンマリオに投擲すると背後のドアに走り去った。
「ま、待て! どこに行く!」
慌てて後を追うジャンマリオだったが綺礼の言葉に何か引っかかりを覚えていた。
聖堂教会の意図? 確かにジャンマリオにとって今回の任務は不可解といえる点が多々あったのだ。
そもそも綺礼の不正を糾弾するためであるならば直接教会本部に綺礼を召喚するはずである。それをわざわざサーヴァントを与えてまでこの歪な聖杯戦争に参加させた理由がわからなかったのだ。
ジャンマリオにとってはクラウディアの事を直接綺礼に問い詰めることができるチャンスであり、かつて恋した女性の敵をとるために都合がよかったわけだが、教会側がそれを把握していたとするなら?
そう考えるとあながち綺礼の言う事もでたらめとは思えない点もあったのだ。
「だがそんなことはこの後考えればよい話だ!」
ジャンマリオは綺礼の精神的揺さぶりと断じこのことは今は考えないと心の中に仕舞い込むことにした。
ドアを出た教会の裏庭で綺礼は黒鍵を構え待ち構えていた。
「いやいやすまない。あの応接室はあれでも少々金がかかっていてね。荒らされるのは困るのだよ。これでも私はこの街では立場のある神父でね。そういった部屋も必要なのだ」
「ふざけるな! そういう心配は私を倒してからにしてもらおう!」
ジャンマリオは黒鍵を片手に3本、両手合わせて6本を構える。腕をクロスにするとコマンドワードを唱える。
「000 Tutte le armi, preparazione」
その言葉に合わせて空に放たれた黒鍵はジャンマリオを囲むように空中に浮遊した。さらにジャンマリオは6本の黒鍵を懐より取り出し構える。
「ほう。しばらく見ない間に珍妙な魔術を覚えたものだな。だがこの私に通用するかな?」
ジャンマリオを煽る綺礼。
「その言葉はこの攻撃を受け切ってから聞きたいものだ! 001 Lancia missiles」
ジャンマリオは短くコマンドワードを唱えると自らも疾風の速度で突進をする。ジャンマリオを追いかけるように6本の黒鍵は綺礼に向かって殺到した。
ジャンマリオの格闘技術はもちろん代行者としても上位に入るほどの技術である。しかし言峰綺礼も八極拳を母体とした殺人拳を操る格闘術の達人である。
二人の戦いは素人では目で追う事すら困難なスピードで確実に急所を狙いあうまさに「死合い」といえた
ジャンマリオの魔術は黒鍵の自在運動に特化されている。空中に射出された6本の黒鍵は彼の意志に連動し標的を攻撃する。ジャンマリオ自身の格闘能力の高さもあり対個人において彼は無敵を誇っていた。
「なかなかのものだな」
しかし綺礼の反応速度も尋常ではない。かつて綺礼は衛宮切嗣との戦いの際、倍速化した切嗣と対等以上の戦いを繰り広げた男である。
まるで風を纏ったかのような綺礼の手刀によりジャンマリオの黒鍵は一本、二本と撃ち落とされていく。
「ちっ! 010 N.2 Armi, preparazione! 031 Stella cadente」
コマンドワードと共に左手に持った黒鍵を上空に放り投げる。そのまま流れるように彼は身をかがめ綺礼の足に向かって右手の黒鍵を投擲した。
足元に向かって投擲された黒鍵を綺礼は右に体を捻り回避する。その瞬間綺礼の頭上に先に投擲された3本の黒鍵が突き刺さる。……かに見えたが綺礼はそんなことは先刻承知とばかりに自らの黒鍵を一閃することで3本の剣を弾き飛ばしてしまった。
「なかなかに面白い見世物だな。しかしその程度ではな」
そう言ってジャンマリオを皮肉気に睥睨した綺礼だが、次の瞬間「くっ」と小さなうめき声をあげることになった。思わず振り返る綺礼。彼の左肩には背後から一本の黒鍵が突き立っていた。
「面白い見世物だったかい?」
ジャンマリオは綺礼に向かって再び黒鍵を構えながらニッと笑った。
「ふはははは。なるほど面白い。ジャンマリオ、君はなかなかに面白い」
綺礼はさもおかしそうにひとしきり笑うと肩に刺さった黒鍵を引き抜いて投げ捨てた。そしてその傷口は即座にふさがった。
「それではこちらからも行かせてもらうとしよう」
そう言って先ほどの速度をさらに上回るスピードでジャンマリオに迫る。八極拳に魔力を上乗せした彼の攻撃はその一撃一撃が致命の破壊力を誇る。
ジャンマリオは先ほどの綺礼の再生力に驚愕していた。情報により綺礼が治癒の魔術を習得しているという事は知っていた。しかし彼はろくに魔術も使用せずに傷口をふさいでしまったのだ。しかも血の一滴すら流れていなかった。
「貴様! 何か人外の力に手を出したか!」
綺礼の攻撃を防ぎながらジャンマリオは叫ぶ。
「さて……な? どうだろうな」
綺礼の攻撃は熾烈を極めた。ガードするジャンマリオの腕には軋みが生じ、受け損なった攻撃で何本かあばら骨にもダメージを負うことになった。
「く、おのれ! 100 Aggregazione」
ジャンマリオのコマンドワードにこれまで射出されていた黒鍵が綺礼に向かって殺到する。
さすがの綺礼もすべての黒鍵を躱すことは困難と見たか一度間合いを取るため飛び退った。
「さすが言峰綺礼といっておこう」
ジャンマリオは打撃を受けた胸部を押さえながら口元の血をぬぐい、そして不敵に笑顔を浮かべた。
「だが、勝つのは私だ! 来い! ランサー!!」
「了解しました! マスター!!」
ジャンマリオの声と共に上空からワルキューレが神槍を構え言峰綺礼に向けて急降下を開始した。
ワルキューレ・スルーズの強襲にさしもの綺礼もその場から飛び退って回避を行う。
「ここにランサーがきたという事はどういうことかわかるだろう。言峰綺礼、貴様にすでに勝ちはない」
「ほう。そうだな、やはりあのライダーごときでは神代の英霊を抑えることはできなかったようだな。だがそれがどうした? どうしてそれが私の敗北に繋がるのか少々理解しがたいものだ」
いかな達人級の武術を操ることが出来ようと人間がサーヴァントと物理的に戦う事は無謀といわざるを得ない。それほどまでに存在自体の「格」が違う。
しかし綺礼のその言葉にジャンマリオは何か不吉なものを感じた。先ほど見せた驚異的なあの回復力は明らかに人の領域を超えたものだったからだ。
「ランサー、言峰綺礼を無力化しろ! 手足の2,3本斬り飛ばしてもかまわん!」
「了解です! マスター!」
ジャンマリオの命令にワルキューレ・スルーズは綺礼に向かって突撃する。突き出された偽・グングニルのその切っ先は確実に綺礼を貫くはずだった。
「神代の英霊とはその程度なのか?」
驚愕したのはスルーズである。グングニル本物ではないにしろオーディンより授かった神具である。彼は神槍をこともあろうか生身の体で、しかも片手で弾き飛ばしたのだ。
「な、なに!?」
「舐めないでもらおうか!」
そう言うと綺礼はスルーズに向かって拳を突き出す。
震脚の音がまさに爆発が起こったかのような轟音を響かせる。
風を纏った棒拳をスルーズはかろうじて盾で受け止める。その衝撃にスルーズは地面をすべるように後退した。
「ば、ばかな!」
ジャンマリオは驚愕した。通常の人間がサーヴァントに、しかもワルキューレほどに霊格の高いサーヴァントとまともに打ち合うなど出来るはずがないのだ。
「言峰綺礼! 貴様何をした!」
「何をしたとはずいぶんな言い草だな。ジャンマリオ、それが君の限界なのだよ」
「ランサー! 奴を人間だと思うな! サーヴァントと理解しろ!」
「はい、マスター!」
ジャンマリオの声にスルーズはスキルを発動する。ルーンの魔術である。現代の魔術師たちが使用するそれとは異なり、神代の威力を有する原初のルーン、北欧の大神オーディンによって世界に見出された魔術は根本的に現代魔術を上回る。
ルーンの起動によりワルキューレ・スルーズはよりその速度を上げる。
対して綺礼は眼を閉じるとまさに心の目というべき技を見せた。突き出される神槍をことごとくかわし、弾く。
一見して互角のように見える戦いであったが、ジャンマリオは少々ほっとしていた。いかに言峰綺礼が人間離れしていようと明らかに押しているのはスルーズであり、綺礼は防戦一方のように見えた。
しかしやはりジャンマリオは綺礼のその異様な回復力に疑問を持たずにはいられなかった。スルーズの神槍は確実に綺礼の体に傷をつけているはずなのだが、全く血が流れないどころかたちどころにその傷そのものがなかったことになってしまうのだ。
やはり何か特殊な術式を使用しているのか?
その時異常に大きな魔力がその場に現れた。まさに魔力の爆弾ともいうべき衝撃にジャンマリオとスルーズがその足を止める。
「ふぁあ、こんな夜中に何やってるんですか」
場違いな子供の声が聞こえた。しかし、確かな威圧感を放つ気配。
スルーズは咄嗟に綺礼から距離を取る。
「こ、子供? でも何この巨大な魔力は……」
今戦っているのは冬木教会の裏庭である。そこはいくつかの樹木が生えているだけの簡素な中庭であり、中空の大きな月が明るくあたりを照らしていた。
そんな中庭の一角でその体躯からは想像できないあまりにも大きな魔力を纏う不思議な少年の姿にスルーズは息を飲んだ。
「気づいてもらえましたか。まあわざと魔力放出しましたからね」
現れたのは現代風のパーカーを着た赤い瞳が特徴の金髪少年である。しかしただの人間であるとはとても思えなかった。
「さて言峰、夜中に近所迷惑ですよ。遊ぶのは止めてください」
突然現れたその少年の言葉に綺礼は恐縮したように一度顔を伏せるとやれやれといった風に肩をすくめた。
「君は何者だ? その魔力からして一般人ではなさそうだが」
「そうですね。僕は……召喚された英霊と言えば理解しやすいですか?」
「何ぃ!?」
少年の外見に少し警戒を解きかけたジャンマリオは再び身構えた。
言峰のサーヴァントはライダーのはず。まさか、もう1騎いたのか。それとも他のマスターと共闘、あるいは……
「貴様何者だ! 言峰のサーヴァントであるライダーはすでに排除した。何者かは知らぬが邪魔だてしないでもらおう」
ジャンマリオは突然現れたこの英霊を名乗った少年に、敵意も露に言い放った。
「まあ、そうなりますよね。でも、結構ピンチでしたよね。外野からの援助もあったみたいだし。あのレベルのサーヴァントに苦戦するようなら、この僕とやりあうには不十分だと思いますよ。そもそも僕はあまり戦いたくないので、ここは引いてもらえないかな?」
何故、この英霊? は先ほどの戦況を細かに把握しているのか。しかし……
余りの傲慢かつ自分勝手な物言いに冷静なスルーズも気色ばむ。
「その魔力の大きさからいずれかの英霊とお見受けする。しかし、このランサーの行く手を遮るというのであれば排除するのみ。よろしいですか?」
「はあ、じゃあ仕方ない。これ以上騒がしくされても困るし。今回、言峰にしては珍しくまずい立ち回りでしたね。ここは僕が変わりましょう。一つ貸しにしておきますよ」
「ふん。好きにしろ」と一歩下がる言峰綺礼。
少年は先ほどまで言峰のいた位置に立ち、スルーズを指さし言い放った。
「僕は英雄王ギルガメッシュ。では戦闘再開です。行きますよ~っ!」
その言葉と共に投擲された剣の鋭さにスルーズは身動き一つすることができなかった。剣はスルーズの頬を掠め建物を貫通して見えなくなった。あまりにも早く鋭いその投擲に偽・グングニルを握る手に汗がにじむ。
「へえ、その槍はグングニルですか? いや……少し違うな。なるほど。あなたはおそらく戦乙女の一騎ですね。戦乙女などという神の傀儡が英霊として召喚されるとは何て歪な。今次の聖杯戦争は本当に茶番かもしれませんね」
その一言にヒルド、オルトリンデを含めた「ワルキューレ」は激高する。
「私たちを神の傀儡と言われるのですか……。貴方こそ、そんな年端もいかない姿で召喚されるなど歪の極み。戦乙女の誇りを傷つけた罪は重い! ここで消滅していただきます!」
「ふう、よく喋るお人形だ。さて、これはどうですか?」
ギルガメッシュはそう言いながら、すでに展開している「王の宝物庫」を開帳。背後に現れた空間から射出される剣、槍、弓矢、その他のあらゆる武具は全て原典宝具である。
出現したあまたの武器は一斉にスルーズに向かって射出される。爆音とともに殺到するそれらをスルーズは見事な体術ですべて回避するとギルガメッシュに向かって白鳥礼装を展開する。
少々驚いた顔を見せたギルガメッシュだがすぐに余裕の表情を取り戻す。
「やりますね!」
「どうした、少年英雄王! お前の力はそんなものか」
白鳥礼装を展開したスルーズにとっては王の財宝の一斉射撃を躱すことはさして難しい事ではなかった。むしろその隙を狙ったかのようにギルガメッシュに突撃を敢行する。
「やれやれ、これは躾が必要ですね。その程度で勝ったつもりですか」
ニヤリと不敵に微笑むと共に新たな宝具を展開する。
「お次はこれです! 天の鎖(エルキドゥ)!」
突撃するワルキューレ・スルーズに対しギルガメッシュは「天の鎖」を解き放った。
かつてウルクを七年間飢饉に陥れた“天の牡牛・グガランナ”を捕縛した鎖である。
(ちなみにグガランナをウルクに放ったのはギルガメッシュにフラれて逆切れした女神イシュタルである。ウルクの都市神とはいったい……)
自らの親友の名を冠した彼の所有物の中でもお気に入りの宝具であり、その信頼度はエア以上とされる。
解き放たれた「天の鎖」は高速で飛び回るスルーズをまるで生きているかのように付け回す。それは先に戦ったコロンブスの宝具に比べることがおこがましいほどの精度と速度を誇っており、徐々にスルーズは追い詰められていった。
しかしスルーズ達ワルキューレにすれば最悪代替召喚という切り札がある。コロンブスの宝具から脱出した方法をとればおおよそ考えられる事態からの脱出は可能である。
だからといって簡単につかまってしまえばマスターであるジャンマリオに危険が及ぶ。スルーズは高速で迫る鎖を回避しながらギルガメッシュに向かって神槍を投擲した。
「ふむ、なかなかです。ですがまだまだ甘いですよ!」
投擲された神槍は鎖の一本が容易く叩き落した。そしてギルガメッシュの声と共に「天の鎖」はさらにその速度を上げる。
かろうじて回避を続けていたスルーズだがついに鎖は彼女の脚に絡みつき、次々とその体躯を拘束し始めた。
「……オルトリンデ。頼みます」
「り、了解しましたお姉さま!」
すかさず代替召喚に踏み切るスルーズ。
しかしそこでワルキューレたちは自分たちの認識の甘さを痛感することとなった。
「な!? 入れ替われません、お姉さま!」
「何? この鎖は!」
「その鎖はあなた方を霊基ごと縛り付けているのです。お得意の大道芸程度では抜け出せませんよ」
「天の鎖・エルキドゥ」その能力は“神を律する”もの。
それは使用者の意思に応じて相手を追尾し拘束する。そして捕縛した対象の神性が高いほど硬度を増す特性を持ち、神性を有する強力な英霊に対抗できる数少ない対神兵装である。まさに高い神性を持つが故にワルキューレにとっては最悪の宝具だったのだ。
「バカな! ギルガメッシュ王だと! ギルガメッシュは前回の聖杯戦争で敗れたはずだ! 遠坂時臣は死亡しているはず!」
ジャンマリオは綺礼に向かって叫ぶ。
「ジャンマリオ、自分の物差しだけで事を計るのは良くないな。見ての通りが現実だ」
空中に天の鎖で拘束されたワルキューレを見上げジャンマリオは令呪を解放する。
「令呪をもって命ずる! ワルキューレ! 直ちにその戒めを打ち破れ!」
「く、マスター! 感謝します」
令呪の力を受け取ったワルキューレ・スルーズは全身の霊力を集中する。
僅かにではあるがワルキューレに絡みついている鎖が緩んだように見える。
「よし! もう少しだ! 重ねて令呪をもって……う、ぐぶっ!」
「マ、マスター!!」
スルーズの悲鳴が響き渡った。
「おいおい、ジャンマリオ、君は私への私怨を晴らすためにわざわざ冬木まで出張って来たのだろう、その私から目を逸らすとは一体どういった了見だね」
ジャンマリオは血を吐きながら自らの胸元を見下ろす。そこには自分の胸板を背後から貫いた言峰綺礼の手刀が突き出していた。
「さすがにそこまで自由にしてもらっては困る。注意力散漫だったな、ジャンマリオ。残念だが、君はここで何事も成せずに死ぬことになる」
呆然と飛び出した手刀を眺めた後、ジャンマリオは首を後ろへ巡らす。そこには耳元に囁くように語り掛ける綺礼が居た。
「こ、ことみねぇぇ……!」
「冥途の土産に教えてやろう。前回の聖杯戦争で私は確かに一度死んだ。そして汚染された聖杯の泥を浴びこの身は人ならざるモノになったのだ。私こそが聖杯の力で蘇った生き証人という訳だ。そして同じく聖杯の力で英霊ギルガメッシュ王は受肉したのだよ」
「ば、ばかな……」
当然のことだがそのようなことは報告されていない。まさにこのことこそ聖堂教会がジャンマリオを今回の聖杯戦争に遣わせた理由なのではないか。妙に思考だけが高速で回転する。
「ジャンマリオ、私はね、他人の破滅や苦痛にしか幸福を見いだせない人間なのだ。
こんな私をクラウディアは理解し愛してくれた。だが、彼女が私を癒そうとすればするほど、私は彼女の嘆きが見たいという願望が抑えられなかった」
クラウディア! ジャンマリオの脳裏に清廉にして美しいクラウディアの笑顔がよみがえる。
「私が自分の歪みに絶望し、自ら命を絶とうとした時、彼女は私の良心を証明するために私の目の前で微笑みながら自害したのだ。
元々死病に冒されていたので永くはなかったのだが、その時私は、どうせ死ぬならこの手で殺したかったと感じたという訳だ。これは先ほども言ったかな。
君が知りたがっていたクラウディアの死の真相は以上だ。君と彼女がどんな間柄で、君がどんな感情を抱いていたのか、私は知らないし興味もないが、これで思い残すことはないだろう。納得いただけたかね」
そういって綺礼はジャンマリオの顔を覗き込む。
「こ、言峰ぇえええええ!!!!」
「うむ、いい顔をしている。私の留飲も少しは下がったよ」
そう言って綺礼は手刀をジャンマリオから引き抜くと手に付いた血を振り払うかのように一度大きく手を振りぬいた。
地面に崩れ落ちたジャンマリオはそれでも言峰綺礼を見上げ睨みつける。しかしすでに言葉を発することも出来なくなっていた。
「ジャンマリオ、君の破滅はいい時間つぶし程度には楽しめたよ。後の事は私に任せて安らかに眠り給え」
……カレン……ごめんな……
最後にジャンマリオの脳裏に浮かんだのは笑顔で自分を送り出してくれたカレンの姿だった。
「あーあ。マスターが死んじゃいましたか。じゃあ幕引きですね。言峰、これどうしようか?」
「放って置けば消滅するが。まあありったけの宝具を叩きこんでやればいい。ただ、地形が変わらん程度にな」
「そうしますか。これじゃどの程度力が戻ったかわからないかな」
ギルガメッシュは空中で拘束されたワルキューレ・スルーズに向かって王の宝物庫を解放する。
「野蛮ですがこれも戦法の一つ。悪く思わないでね、お人形さん」
「『王の財宝ゲート・オブ・バビロン』!」
そして無数の宝具が射出された。
お読みいただきありがとうございます。