「クガイの野郎が裏切っただと?」
シンガポールにある高層ビルの最上階にあるペントハウス。そのプライベートバーでグラスを傾けていた李将司(リ・ジアンユー)は不機嫌を隠そうともせずに声を出した。
「はっ! 香港にて死合会のアジトを襲撃後、聖遺物と共に行方をくらましました」
「あの野郎……。目をかけてやった恩を忘れやがって……」
ジアンユーの目はまさに怒りで真っ赤に染まるがごとく険悪な色を浮かべていた。報告をした部下の顔色はそれに反比例するように青くなって行く。
「それで、手は打ってあるのだろうな?」
ジアンユーの言葉に部下は生唾を飲み込み、報告を続ける。
「はい! 聖遺物を奪ったとなると奴の狙いは聖杯戦争と思われます。何人か腕の立つものを日本に差し向けました」
ジアンユーはグラスの中身を一気に飲み干し忌々しげにつぶやいた。
「無駄だろうな……。奴がすでに英霊を召還していたならその辺の殺し屋など何人向かわせても歯が立たん。……クソッ!」
魔術師の力は強力である。特にクガイは永年365党の殺し屋として魔術を行使し続けた腕利きの魔術師である。
聖杯戦争まであと2か月、ここで死合会から聖遺物を奪えなかったのは大誤算だ。
「ボス、そうカリカリするもんじゃなくてよ? ほら、報告に来た彼、今にも死にそうな顔してるじゃない」
そうジアンユーに声をかけたのはこのプライベートバーでバーテンダーをしている女性だ。彼女の名は王雪麗(ワン・シュェリー)。バーテンダー兼ボディガードの一人である。
シュェリーはバーテンダーの制服を着用しているが、そのスタイルの良さを隠すには全く不十分であった。蝶ネクタイで襟元は詰められているが、逆にそれゆえ豊かなバストは強調され男たちの視線を集めるには十分すぎる存在感を放っていた。
足元はといえばタイトなスカートのスリットは深く切れ込んでおり、普段そういった女性を見慣れているジアンユーでさえ時に目を奪われるほどの妖艶さを醸し出している。
もっともそういった女であるからこそ彼のボディガードなどという役職にいられるのであり、言うまでもなく愛人を兼ねている。
「シュェリー、しかしこれは許せんぞ。よりによって聖遺物を持って逃げやがるとは完全にこちらと事を構えるつもりじゃねぇか。100回殺しても気が済まねぇ」
「ふふふ。じゃ捕まえて凌遅刑にでもしちゃいましょうか」
シュェリーはきれいな顔にそれはそれは無垢な笑みを浮かべ恐ろしい事を言い放った。
凌遅刑とは存命中の人間の肉体を少しずつ切り落とし、長時間にわたり激しい苦痛を与えて死に至らす処刑方法である。清の時代の中国や朝鮮半島で行われていた残虐な処刑方法である。
もっとも365党に限らず華僑系のマフィアでは今でも好んで続けられている。
「当然だ。俺自らが奴の面の皮剥いでやる」
ジアンユーは右の拳を左手で包みバキバキと関節を鳴らしてそう言った。
「でもそれなら早い目にあの子らを行かせた方がいいんじゃなくて?」
シュェリーの言葉にジアンユーはニヤリと笑い「そうだな」と答えた。
「おい! 今から召喚の儀式をやる! ここにあの二人を呼べ!」
シンガポールの華僑系企業、その中の一つ、多くの商社を系列に持つ財閥が「十二色旗」である。そしてその会頭が李将司(リ・ジアンユー)でありシンガポール上流階級のなかで最も影響力のある人物の一人として知られていた。
リ・ジアンユーは年齢にして56歳、筋肉質な体に明晰な頭脳を持つ実業家であり、表向き「十二色旗」の会頭として辣腕を振るっているがその実裏社会に大きな勢力を持つマフィア「365党」の首領であることはあまり知られていない。
もともとシンガポールには華僑系のコミュニティが多く、彼らは相互扶助を目的とした組織を幾つも作っていた。
同族間の連帯意識が高い彼らはそれゆえに裏切りに対しては情け容赦なく報復を行う。そんな彼らがそう時間をかけずにマフィアにまで成長したのは驚くようなことではなかった。
365党がその他の華僑系マフィアと大きく異なっている点は魔術を行使するという事である。当然のことだが一般的に魔術の存在など信じられていない。
そしてジアンユーも彼本人が魔術の素養を持っているわけではなかった。しかしそんな彼が底辺時代を過ごしたのはそうした魔術師を積極的に狩りに行く集団だった。「イマジンキラー」と名乗るシンガポールにおける魔術師がらみの事件を追いかける暗殺者集団である。
そんな組織でジアンユーは育ち、頭角を現していくことになる。気が付けば彼は表の世界では実業家として成功し、裏の世界では「イマジンキラー」を母体とした闇組織365党の頭領となっていたのだ。
365党の頭領となってからは今まで狩る対象であった魔術師を積極的に採用し、その強力な暗殺能力を武器に次々と同じような闇組織を併合していった。
365党がシンガポール最大の闇組織になるのにそう時間はかからなかった。
ジアンユーは自らが365党を支配してから魔術師の強化を人工的に出来ないかと考えていた。
「強化魔術師計画」
そのプロジェクトはそう呼ばれていた。世界中から魔術師の才能がある子供を「調達」して徹底的に魔術訓練を行う。時には外科手術を利用した魔術回路の強化まで行われた。
そんなジアンユーの耳に聖杯戦争の話が聞こえてくるのは決して偶然ではなかったはずである。
日本のとある街で60年に一度「なんでも願いの叶う」聖杯をめぐって魔術師同士による戦いが行われる。
何とも魅力的な響きであった。「なんでも願いが叶う」という部分は眉唾だとしても、世界最古の魔術三家が参加している時点でその時代の魔術師世界一決定戦である。
そんな中ジアンユーは日本の冬木市で起こった大災害について調べているうちにそれが「第四次聖杯戦争」の結果であることを知ることとなった。
ジアンユーは非常に悔しがった。聖杯戦争は60年に一度と聞く。これでは自分が聖杯戦争に参加することは生きているうちには適わないではないか。
それでも彼は過去に召喚された英霊についてあらゆる資料をあさり、その宝具、霊装、スキルを調べ上げた。中には神の領域ではないかと思われるような強烈なスキルの発現も確認された。
いくらなんでもこれは誇張されているのだろうとジアンユーはそれについてはそう結論付けた。いかに英霊とはいえ元は人間である。神のごとき御業を使用することはできぬと考えた。
そしてジアンユーが次に行ったのはそんなサーヴァントに勝てるような魔術師の育成である。
世界中から集められた子供の数は100人を超える。そんな子供たちの中から「対英霊魔術師」の育成を始めたのである。
しかし年端もゆかぬ子供たちがそのような無茶な訓練と外科手術に耐えることなどできるはずがなかった。
次々と死んでゆく仲間を目にした子供たちは次第にその心も壊れていった。まともな神経ではこの世の地獄ともいえるようなこの施設で生きていけなかったのだ。発狂するものが絶えない中、心を閉ざす技術を身に付けたものだけが生き残っていった。
しかもそんな状況の中でジアンユーをまるで神と崇めるような洗脳教育も施されていった。
そんな中に二人の日本人がいた。試験体65号と66号である。この二人は年子の兄妹であるが、あまりにも小さいころに攫われてきたため、妹の方にはその記憶は残っていなかった。
兄の方も日々の過酷な訓練を生き残ることで精いっぱいであり、常に妹を気には掛けていたがだからといってどうすることも出来なかった。せいぜい夕食のパンをひとかけら分ける事くらいしか出来なかった。
やがて二人も生き残るため次第に心を閉ざしていった。完璧な魔術師、そして誰にも心を許さない鉄の心を持った戦士が出来上がっていった。
そして二人がそれぞれ12歳、11歳になった時ついに施設にいる子供は彼ら二人だけになってしまった。いったいどれだけの資金がこの研究に費やされたのだろう。たった二人を育成するために費やされた資金は莫大な金額になっているはずである。
そしてここまでたどり着けなかった人命の如何に多い事か。
ところがそんな時ジアンユーに朗報がもたらされる。今より1年後に「聖杯戦争」が行われるというのだ。
ジアンユーは狂喜した。この「聖杯戦争」に自分の傑作である65号と66号を参加させることができるではないか。
そして最後の調整が行われる。サイバネティック手術である。魔術師として魔術回路を強化し、さらに強化骨格により身体能力の向上を図る。
左腕と鎖骨がチタン合金に取り替えられ、さらにその左腕には火器を内蔵するというまるで「ぼくのかんがえたさいきょうのへいし」を地で行く人体改造が施された。
もちろんそんな歪な人体改造を施された人間が天寿を全うできるはずがない。
前例がないので彼らが果たして何歳まで生きることができるのかはもちろん不明ではある。公式に記録はされていないが、間違いなく通常の人間に比べ短命なものとなるだろうという事は彼らを改造した科学者全員の一致した意見である。
サイバネティック手術が成功して後約半年は改造された体に順応するために比較的緩やかな調整が行われた。この期間が二人にとってこれまでの人生で最も穏やかな日々であったかもしれない。
そしてこの半年という期間は彼ら二人にとって特別なものとなっていた。
彼らに再びよみがえった人としての心に気が付いた者は誰もいなかった。
現実的に考えるとこの二人に掛けた金額は天文学的な額になっており、単純に強力な戦闘部隊を育成するほうが安上がりである上、使い勝手が良いはずである。
にもかかわらずここまで徹底した人体改造が行われたのはひとえにリ・ジアンユーの情熱であったといえる。
ジアンユーは極めて現実的な人間である。そのため聖杯が「なんでも望みをかなえる」願望機であるという事を眉唾だと考えていた。
彼がこの聖杯戦争に望むことは「自分の用意した戦士が最強であることを証明する事」である。聖杯を手に入れたのならそれは今後の活動で有利になるのではないかという程度にしか考えていなかった。そういう意味では正しく聖杯について理解していなかったという事になる。
その日、李星(リ・ジン)と李月(リ・ユェ)はジアンユーに365党の本拠である高層ビルに呼び出された。その地下で今日召喚の儀式が行われるという。
二人はともに中性的な顔立ちをしており、その姿はとても良く似ていた。意図的にそういう風にされているといえる。過酷な訓練のせいか二人の顔立ちはとても12,3歳の子供とは思えないくらいに大人びたものになっていた。
二人ともに黒のスーツ姿で髪型も同じである。身長は男であるジンの方が若干高いが、この姿で動き回られると二人を見分けることは困難であろう。
ジンとユェはすでに聖杯戦争の知識を教え込まれていたため、特に混乱することもなく召喚の儀式を受けることになる。
呼び出された二人はまるで人形のようにおとなしく、また従順にしていた。
「いよいよ聖杯戦争が始まることになった。お前たちはそのために存在する。今こそこの父の願いをかなえるのだ」
ジアンユーは二人の子供を前に尊大に言い放った。
「はい父さま」
「ユェ、こっちに来い」
ジアンユーはユェを呼ぶと右手に何か糸のようなものを巻きつけた。
「父さま、これは?」
「聖遺物だ」
「……はい」
ジアンユーは聖遺物をユェの右手に巻き付け、ジンを振り返った。
「ジン、お前はユェの影だ。二人で必ず聖杯を手に入れろ。俺の望みをかなえろ」
「……ああ」
ジンは鋭い目つきでジアンユーを見返している。そんな時ユェに異変が起きた。
ユェの右手に紋様が浮かび上がり始めたのだ。ユェは一瞬苦しそうに顔をしかめたがそれ以降は姿勢を崩すことも、表情を変えることもなく耐えていた。
「ふむ。やはり相性は良いようだな。ユェこれよりお前は英霊を授かる。ジンと共にその英霊と協力して聖杯戦争に勝利しろ」
そして召喚の儀式が開始された。
「あなたの真名を述べなさい」
召喚陣に現れた英霊にユェが訊く。
「俺の名は────―。お前が俺のマスターかい」
現れた英霊はアーチャーである。萌黄色の胸甲を纏った精悍な青年はユェを見つめて答える。
「そうよ。私があなたのマスター。これより日本に向かいます。あなたは私たちと共に聖杯戦争に参加し、聖杯を手に入れ父さまの願いをかなえます」
「父さまの願い、ね。で、それがお前の願いなのか?」
「そうよ。父さまの願いこそ私たちの願い」
「……。まあいいだろう。お前の本当の気持ちはおいおい聞かせてもらうとしよう」
「……本当も何もないわ」
そんなユェとアーチャーの会話にジンが割り込む。
「ユェ、そんなことはどうでもいい。さっさと行こうぜ」
「ジン、お前はユェと同じ紋様を右手に刺青しておけ。今からすぐだ」
「……わかったよ」
そんな二人と英霊に向かってジアンユーは言う。
「それとな……。クガイの奴が裏切った。しかもジン、お前に使う予定だった聖遺物を持ち逃げしやがった。間違いなく奴も聖杯戦争に出てくる。絶対に殺せ。奴は厄介だ」
「クガイなんざ俺たちの敵じゃねーよ。安心しろ、親父」
ジンはぶっきらぼうに言い放ち、ユェを連れてこの場から立ち去ろうとした。
その振る舞いはまるでジアンユーの前からユェを一時でも早く連れ去りたい、そんな風にも見えた。
※※※
俺の戦いはもう終わったんだと思っていたんだがな……
久しぶりに現世に出てみれば今の戦争はあんな子供まで戦士として繰り出すのか。
今回の戦いは正義を成すための戦いじゃ無いようだが、望まぬ戦いをする子供を助けることも一つの正義だと思う事としよう。
ま、あの状況じゃ二人とも本音を言う事なんてできないだろうしな。
特にあのジンという少年は……
アーチャーには単独行動という便利なスキルがある。俺なりに少し状況を調べさせてもらおうか。
※※※
ジンとユェはアーチャーが召喚された次の日には日本に発つこととなっていた。
ところがそんな時に限ってトラブルとは起こるものである。
シンガポール空港に致命的な管制システムエラーが発生したのだ。復旧には丸一日を要し、アジアのハブ空港であるシンガポール空港が機能しなくなった事は世界的なニュースとなった。
結局ジンとユェはその翌日に日本に向かうことになったのだが、このトラブルが自分のサーヴァントであるアーチャーの仕業であることを知る由もなかった。
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