第4.5次聖杯戦争   作:慶天

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28話 願望の果て

「マスター!」

 アパートの階段の下、地面に座り込む空に沖田総司は駆け寄った。

 空は疲れているようだが命に別状はなさそうだ。

 左手で令呪の宿った右腕を抑えているが、その右腕は弱々しくいつもよりとても細く感じられた。そして右手の甲に刻まれた令呪は三画から一画に変化していた。

「先ほどの戦いはマスターの援護がなければ勝てませんでした。令呪を二画も使ってくださったのですね。本当にありがとうございました。

 っと、それよりもお身体の具合は。もう起き上がっても大丈夫なのですか」

「令呪? そうなのかな……よくわからないけど、とにかく必死で……私、総司さんの助けになれたのね、よかった……。あれからどのくらい経っているのかな。私、随分長い間眠っていたみたい」

 

 空は右手を総司の頬に当てた。

「私を守るためにこんなに傷ついて……、総司さん、あなたのことを人殺し呼ばわりしてしまったこと、ごめんなさい……。ねえ総司さん、実は私、眠っている間に怖い夢を見ていたの……夢の中で私がツヴァイちゃんと戦ってて……、でも聖杯戦争に参加するってそういうことなんだね。今だって総司さんが居なければ私はきっと殺されていたんだよね。私たちを襲ってきた女の子にも驚いたけど、いつだって総司さんは私を全力で守ってくれる。私がこの街で頼れるのは総司さんだけなの。本当にありがとう」

 

 あれ? 何かおかしくないか。

 マスターはアサシン陣営と戦った時のことを夢の中の出来事のような言い方をしている。実際あの時のマスターは、私が良く知る桐生空とは別人のようだと私自身も感じていたのだけど……

 

 空、いや正しくは宙の記憶は本来の空が目覚めてからは極めて断片的で夢のようにはっきりしない物になっていた。父、蒼賢のかけた暗示が正しく作用していたならば、交代後の宙は深い深い眠りにつき、空の記憶が宙に影響を与えることも例え空が意識を失っても代わりに目覚めることなどなかったはずだった。しかし、契約によるサーヴァントとの繋がりが、想定外のイレギュラーを引き起こしていたのだ。

 空が刻印蟲の駆除のために魔力を使い果たし、本当に意識を失ったことを機に宙の意識が再び目覚めた。これは空も蒼賢もまったく想定していなかった事態だった。

 

「総司さんは私が聖杯戦争をやめたいなら令呪で自害を命じてくださいって言ったよね。でも、私にはそんなことできないよ。それから、私が聖杯に託す望みは何かって質問の答えについては、今の私の望みは聖杯に託すようなものじゃないの」

「それは、どういう……」

 

「早く用事を済ませてお父さんと…………小雪ちゃんたちが待ってるお家に帰りたいってことかな。……あれ? 私何か大切なこと忘れてる? 誰か他にも居たような気が……」

 空の眼から一筋の涙が流れ落ちる。

「あれれ、私何で泣いてるのかな、おかしいな……」

 

「マスター……?」

 突然涙を流し始めた空に狼狽える総司。

 ああ、やはり私のマスターは優しい人なんだ。総司は目の前であたふたする少女を見つめ改めてそう思った。この人が私のマスターだ。

 

「急に泣いちゃってごめんなさい。でも、何が言いたかったかっていうと、私も覚悟を決めました。これからは聖杯戦争のマスターとして総司さんと一緒に戦います。聖杯に願う望みは特にないので、総司さんが願望を叶えるのを見届けるってことにします。こうは言っても私、大して役に立つとは思えないので、総司さんこれからも守ってくださいね」

 

「あ、あの……マスター。お気持ちはありがたいのですが、先ほど倒した敵が私を除いた最後のサーヴァントだったみたいです。多分聖杯戦争は我々の勝利ということで終わりかと……。この後どんな儀式が待っているのかは私にも分かりませんが、あとは聖杯に望みを告げればいいのだと思います」

 

「えっ……、あ、そうなんだ……、私の決意っていったい……、あぁ、でも良かった。本当に良かったよ。寝ている間に勝ってるって、私めちゃめちゃツイてるなぁ、あはは……」

 

 マスター、私自身の願いはもう叶っているんですよ。だけど、自覚はないようですが、貴方にはきっと何か秘密が隠されている。それが良くないものならば、それを排除するのが今の私の願いです。

 

「先ほどから魔力に疎い私でも感じられるほどの、強力な魔力を感じます。そこに恐らく聖杯が顕現しているのではないでしょうか。マスター早速向かいましょう」

「あの……、着替える時間くらいはあるよね……」

「……はい」

 着替えを終えた空とセイバーは強力な魔力の発生源へと向かった。深夜でもあり、ここ最近の事件、事故続きにより日が暮れてからの外出を自粛する風潮もあり道行く人はなく、一定間隔で道を照らす街灯の明かりだけが、アスファルトを照らしていた。

 

 セイバーは霊体化することなく空の傍らを共に歩いていく。これは深夜の街を一人で歩くことに空が不安を訴えたからであった。

 当然警戒は必要とはいえ、既に敵と呼べる存在はいないはずだった。しかし、同じ傍にいる状態でも、視界に入っている方が安心できるのだろうという想像は容易い。それに聖杯に辿り着く前に総司は空に色々確認したいことがあった。

 

 途中、例の公園の前に差し掛かった時に空が呟いた。

「学校とかもそうだけど、昼間賑やかなところって、陽が落ちて人が居なくなると不気味で怖いよね。そう言えばツヴァイちゃんと初めて会った時、あの子この公園に独りで居たけど怖くなかったのかな」

 まただ。アサシン陣営に関するマスターの発言には強烈な違和感がある。しかし、この件については慎重に探りを入れた方が良い気がする……

 

「そう言えば、怖い夢を見てたって話をしたけど、あれは前に総司さんがツヴァイちゃんのことを敵のサーヴァントかも知れないとか言ったのが原因だと思うんだよね」

「マスター、その夢の内容をもう少し詳しく教えてくれませんか」

「えっ? 確か……、ツヴァイちゃんと私が1対1で戦ってるとかそんな感じの夢だったかな。結果どうなったのかは覚えてないんだけど、とても悲しかったのは覚えてるよ」

 

「……マスター、ちなみに眠る前の最後の記憶はどうなっていますか」

「私が総司さんに酷いことを言っちゃって、あなたから自分の覚悟とかを聞かされたところ辺りから、ハッキリした記憶がないの。私どうなっちゃったのかな」

「確かに、私と話をしている途中にマスターは突然高熱を出して気を失いました。二日前の夜のことです……」

 

 もう疑う余地はない、私がマスターの人格が変わったと感じていた期間とぴったり一致する。ということはその間のマスターは桐生空ではなかったということになる。しかし、こんなことが起こり得るのか……皮膚の下を蠢いていた寄生虫が何か関係しているだろうか。

 

「ねぇ、総司さん。私、その時からずっと気を失っていたってことになるのかな」

「え、えぇ。大河さんとも相談して、明日目覚めなければ病院に連れて行こうって言ってたところです」

「気絶中も夢を見るんだね、これって新発見ぽくない。でも、途中から寝てたって可能性もあるかな」

「そ、そうですね。あはは」

 アサシン陣営との戦いのことはマスターには知らせない方がいい。あんな結末、今の優しいマスターが受け止められるはずがない。

 詳しい原因は分からないが、これを呪いの類と仮定するなら、聖杯が全て解決してくれるのではないか。今はそれに賭けるしかない。

 

 やがて魔力の発生源は、侵入禁止の表示によって道が閉ざされ、複数の工事車両が停め置かれた冬木市民会館跡地からであることが分かった。

 街灯の明かりすらないその場所へ二人は向かっていった。

 

 

 

 今回の聖杯戦争においてアインツベルンの管理する小聖杯はイリアスフィールのクローンであるツヴァイの体内に「黄金のリンゴ」という形で納められていた。

 前回の聖杯戦争においては、同じくアインツベルンから参加したイリアの母であるアイリスフィールの体内に収められていたが、アイリはマスターではなかったため、小聖杯を収めた器は英霊が一騎座に戻るたびに人としての機能を失っていくという仕様となっていた。

 

 次回の聖杯戦争に参加予定のイリアは自らマスターとして戦うため、最後の英霊が座に戻るまで身体機能は損なわれないまま体内に保持できるよう改良がなされ、今回ツヴァイの体内に納められた聖杯はその試作品といえるものとなっていた。ツヴァイは聖杯の動作実験も兼ねていたのだ。

 

 しかし、それを知っていたホムンクルスでありツヴァイの保護者であったリセはジャックの外科手術を用いその小聖杯をツヴァイの体内から摘出していた。リセの願いはツヴァイと共に人間に生まれ変わることであり、そもそもツヴァイを失敗する可能性のある実験につき合わせるつもりがなかったのである。

 

 まともな手術で取り出せるような代物ではないのだが、ジャックの外科手術は一般的なものとは根本的に違う。逆に言うならジャック以外がそのようなことをしたなら即座にツヴァイは死亡していただろう。

 ツヴァイから切り離された小聖杯は、前回聖杯が顕現したこの場所に隠された。6騎の英霊の霊基と聖杯の顕現に足るだけの霊脈の淀みが、新たな聖杯をこの地に顕現させていた。

 

 

 

 空と共に市民会館跡地に踏み入った総司はそこに大きな空間の歪みを見ることとなった。

 なんという魔力だろうか。思わず膝をつきそうになるほど圧倒的な魔力が流れ出している。今自分が見ているもの、それこそがこの戦いの目的。それこそが聖杯。

 そこには金色に輝く杯が空中に浮遊しており、空間に空いた「穴」から滔々と流れ出る液体を受け止めていた。

 

 これが聖杯……

 しかしそれは総司が想像するような神々しいものではなかった。

 確かにそこに存在する圧倒的な魔力は想像を絶するほどであり、この世に存在するあらゆる魔術具の頂点と言っても誤りないだろう。

 しかし、何なのだろうこの禍々しい魔力は。

 

 虚空に空いた穴から流れ出す液体を受け止め続ける黄金の杯は確かにそこに存在しており、これが求め続けた願望器であろうことは疑いなかった。

 だが流れ出す液体は禍々しく何か冒涜的ともいえる気配さえ醸し出していた。

 

「それでも!」

 総司は聖杯に向かい自らの願いを叫ぶ。

「聖杯に望む! 我がマスター、桐生空に掛けられたあらゆる呪いを祓い彼女を私と出会う前の幸せな少女に戻したまえ!」

 

 沖田総司には本来聖杯に願う望みはなかった。彼女の願いは「最後まで仲間と共に戦い抜くこと」である。

 かつて生前病に倒れ、新選組の最期を仲間たちと共に戦えなかった後悔を今度こそ晴らしたい。それが総司の願いである。

 しかし、聖杯戦争に勝ち残った今、その願いは既に叶っている。

 

 今、総司の胸に浮かぶのは、現代という平和な世の中にあって聖杯戦争などという異常な事態に巻き込んでしまった桐生空という少女。彼女を取り巻く謎の現象を、何も理解できていない総司にとっては呪いという曖昧な表現でしか言い表せない何かを取り除き、もとの平穏な日常の中で暮らす優しい彼女に戻してあげたかった。

 

 それが沖田総司の願いとなった。

 

「えっ? それが総司さんの願い? 私? 呪い? って何?」

 総司が聖杯に何を望むのか、興味津々で見守っていた空は、彼が聖杯に願った内容が自分に関することであり、また身に覚えのない内容だったため、理解が追い付かなかった。

 

 

 

 杯に『泥』は注がれ続ける。

 

 

 

「何も起きない……。なにか足りていないのか?」

 総司の願いが聖杯によってかなえられる気配が感じられない。この聖杯は偽物なのか? それとも必要とされる儀式が足りていないのだろうか。

 

 そんな風に焦りを感じている総司の背後から声がした。

 

「アインツベルンのホムンクルスが小聖杯の管理を放棄するなど、ユーブスタクハイトめがどんな顔をしておるのやら、まったく考えられぬことが起こったものよ」

 そこにいたのは小さな老人だった。老人ではあるのだがその存在感は圧倒的であり、まともな存在でないことは一目で理解できた。

 総司は空を背後に庇うような位置へとじりじりと移動する。

 

「空(うろ)よ、そなたが勝ち残ったのは上々、余計な後始末をせずに済んだわ。よくやったの」

「うろ? 間桐のおじい様、どうしてこんなところに。実は私、何だか良く分からない争いに巻き込まれてしまって、今までこの総司さんがいろいろ私を助けてくれたんです」

 

 ん? こやつ何を言っている。低下しているはずなのは間違いないが、あまりにも魔力が感じられんな。

「ふざけるのはその辺にしておけ、汝(うぬ)は此度の聖杯戦争にマスターとして参加するために桐生家から馳せ参じた魔術師であろうが」

 

 その言葉に驚いたのはセイバーである。

「マスターが聖杯戦争に参加するために馳せ参じた魔術師だと。貴様いったい何者だ」

 

「儂は間桐臓硯、間桐家の当主よ。桐生家は此度のような事態に間桐に助力することを条件に分家を認められた存在。もしやおぬし、己が主人の素性を全く理解しておらぬのか」

「うぐっ」

 もしこの老人の言う事が事実なのだとしたら、私を召喚した時の術式など、今までまったく理解できないので目を背けてきたことにも一応説明は付く。しかし、だとしたら私が守ろうとしている桐生空とは一体どういう存在なのだ。

 

「マスター! この老人の言っていることは本当なのですか」

「知らない、分からないよ。私は大学進学のために親戚の間桐さんのお世話になりに冬木に来たんだよ、聖杯戦争、魔術師、全部こっちに来てから初めて聞いた言葉だよ」

 嘘など一切吐いていない、本当に身に覚えのない話なのだ。空は頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。

 

 そんな空の様子を見て臓硯は考えを巡らせる。

 こやつ当初の人格に戻っておるな、確か父がかけた暗示で別人格が表に出ていたとか申しておったが、当の蒼賢は数日前に衰弱死しておるのは確認している。改めて暗示をかけ直したとは考えにくい……、もしや初めから任意の人格を使い分けておるのか。食わせた蟲は回収したが、どうやら儂を謀っていたのはこやつ自身のようよな。

 

「まぁ、良い。ところで、セイバー、先ほど聖杯に願いを唱えておったが、無駄なことよ。 そもそも、この聖杯は願望器としての力が足りぬ未完成品ゆえな」

「な! 間桐家の当主、それはどういうことだ!」

「カカカ、そう恐ろしい顔で睨むな。聖杯は完成しておらぬのだから、願望器として働かぬのは当然であろう。聖杯の完成には7騎の霊基が必要なのだ。この意味は分かるな」

 

「そういう……、ことですか……」

 

 総司は全てを理解した。

 当初の自分の願いは既に叶っている。追加の願いの代償が自分の命を捧げること、ああ、何て分かり易いのだろう。むしろずっと死に場所を探し続けてきた自分にとっては相応しい結末にすら思えた。

 

「マスター、よく聞いてください。マスターには確かに魔術師としての素養とそれを使いこなすための隠された側面が存在します。何故こんなことになっているのか私には分かりませんが、きっとマスターは魔術師としては優し過ぎるのでしょう。でも、私はそんなあなたのことが好きですし、ずっとそんなあなたで居て欲しいと思っています。聖杯は万能の願望器です。私が聖杯にあなたの幸せを願うことは叶いませんが、代わりにあなたがあなた自身の幸せを願ってくれませんか。あなたに害をなすものが全て無くなるように」

 空には総司が何を言っているのか、半分も理解できなかった。

 

「幸せって聖杯に願わないと手に入らないものなの? 私、今でも結構幸せだよ。どうして故郷を離れてまで大学に行きたいって思ったのかよく分からないんだけど、それももう辞めるね。明日にはお家に帰ろうと思うからさ、よかったら総司さんも一緒に来てよ。お父さんにも紹介したいし」

 

 この人は、一体どこまでお人好しなのだ。

「マスター! それでは駄目なのです!! このままではまたきっとあなたは争いに巻き込まれる。私はサーヴァントなので自分の意志では霊基を聖杯に捧げることはできないのです。令呪を使って私に自害を命じてください、その後聖杯に自分にかかった呪いを祓うことを願ってください。お願いですから」

「自害って何言ってるの。それに争いに巻き込まれても、また総司さんが私を守ってくれるよね」

 

「ククク、黙って聞いておれば、随分と滑稽なことを宣ったものよ。 汝の父、蒼賢ならもうこの世にはおらぬわ」

「えっ……な」

「桐生の家には魔術刻印に刻まれた短命の縛りがあっての、魔術刻印を持たぬ一族は 漏れなく寿命を削られる。思い当たる節はあろう。中でも魔術刻印を後継者に引き継いだ当主は急速に老いさらばえる。汝の父は数日前に老衰でくたばっておる。遺体の処理は蟲を遣って儂がしておいてやった。骨も残っておらぬ故、誰も汝の父の行方を知る者はおるまいて」

 

「う、うそ……」

 空の顔から血の気がひいていく。

「貴様、やめろ!」

 総司が臓硯に向かって叫ぶ。

「ここまでお膳立てした上で、聖杯を完成させぬという選択なぞあるわけがなかろう。汝が殺したアインツベルンの小娘や、他のマスターに対しても申し訳がないとは思わぬのか」

「わた、私が……ころし……たの……。誰を……」

「マスター! あいつの言葉に耳を貸してはいけません」

 

「所詮はホムンクルスに過ぎんが名前があったの……、確か、そう、ツヴァ」

 ズシャッ!! 

 全て言い終える前に総司の突きが臓硯の身体を貫いた。

 だが臓硯を貫いた総司の刃にはまるで手応えが無かった。

 そして臓硯の身体は穴の開いた部分から無数の蟲と化しバラバラと崩れ去り、別の場所でもとの老人の姿に戻っていった。

「まったく気の短い奴よ」

「化け物め!」

 

「い、いやあああああああ!」

 その時、空の悲鳴が響き渡った。がくがくと膝を震わせその場に崩れ落ちる。

 空の脳内ではフラッシュバックの様にツヴァイとの出会いや戦いの場面が再現されていた。

 

『あたしとお友達になってくれるの。やったあ、凄く嬉しい。初めての友達……うふふ』

『うん、ママは……、いないよ……』

『そうだね……もう友達ごっこはお終いだもんね……』

『ジャック……ママが待ってるよ……お家に……帰ろう……』

『ぐほっ、ごぼっ!』

 

「そ、そんな……あれは夢じゃなかったの……、本当に私が……」

「マスター! 気を確かに!! 大丈夫、大丈夫ですから!」

 くそっ! 何が大丈夫だ。恐れていたことが起こってしまった。一体どうすればいいんだ。

「駄目……酷すぎるよ……どうして……私が……こんなことを……、た、助けて……、姉さま……」

 

 ここで空(正しくは宙)の意識は途切れた。

 

 蟲の駆除に魔力を使い果たした空は一時的に意識を失った。少し魔力が回復したら意識を取り戻して元通りのはずだったが、空が意識を失うと同時に宙が目覚めた。これは空がまったく想定していなかった事態であり、おまけに目覚めた宙が父の暗示により空のことをまったく覚えていなかったため、空は意識を取り戻してからも身体の支配権を取り戻すことができずにいた。今まで双方の同意により精神の交換を行ってきたため、強制的に交換するという手段が確立されていなかったのだ。

 今、精神的に追い込まれた宙が無意識下とはいえ姉に助けを求めたことにより、空の意識が表層に現れた。暗示が解かれたのであろうか。

 

 空は突然目を見開くと、すっくとその場に立ち上がった。

「マスター?」

「間桐臓硯様、大変失礼しました。桐生空只今目覚めました」

 突然豹変した空に総司が戸惑いの声をあげる。

「お、お前は! あの時のもう一人のマスターだな。また私のマスターの意識を乗っ取ったのか、一体誰なんだ、お前は」

 臓硯も怪訝そうに空を眺めながら口を開いた。

「そこなセイバーの疑問も尤もよ。汝は多重人格者なのか。納得のいく申し開きをしてみせよ。話くらいは聞いてやろう」

 

 空は今まで隠していた事実を語り始めた。

「先ほどまでこの身体を使っていたのは私の双子の妹、宙です。宙は死産でしたが精神は失われず、私の身体の中に宿りました。母が妊娠中に父、蒼賢が用いた解呪の術式が思わぬ形で作用したのではないかというのが、父と私の見解です。私たちは一つの身体を二人で共有して今まで暮らしてきました」

 

「ほほぅ、面白い。しかし、精神が入れ替わると魔力量まで変化するのか。先ほどの小娘からは魔力が殆ど感じられなかったぞ」

 少なからず興味を抱いたらしき臓硯が、疑問を口にする。

 

「仰る通りです。妹、宙には魔術師としての素養は全くありません。ですので、妹が身体を使っている間は魔術回路が機能しなくなるため、魔力がほぼ無くなってしまいます。昔は身体を使っていない方は幽体となって意識を保てたのですが、ここ数年入れ替わると眠ったような状態になり霊体としての維持ができなくなってきました。妹との肉体の共有が不安定になりつつあると感じています。

 失礼ながら、桐生の魔術刻印に刻まれた間桐の契約が、私が成長し、桐生の正当な魔術継承者であると認識するにつれ、魔術を使えず、本来は存在しえなかった妹の精神を異物として抹消しようとしているのではないか。父はそう言っていました。お前たちにとってこれは間桐本家の呪詛である、と」

「随分な言いぐさだが、すべて蒼賢の妄言かも知れぬではないか」

 

「解呪については桐生家随一の父にも間桐本家の呪詛は解けませんでした。いずれにしてもこのままでは妹の精神は消滅してしまう。そこに今回の聖杯戦争と間桐本家の要請です。例え父が妄言を吐いていたのだとしても、聖杯には望みを叶える力がある。それにもし、父の言う通り妹の消滅が間桐の呪詛によるものなら、今回の要請に応じることで呪詛から解放される可能性もある。私にとってはこの聖杯戦争は負けられない戦いとなりました」

 空は臓硯に思いの丈をぶつけた。

 

「ならば何故、最初から汝が戦わず魔術の扱えぬ妹を儂に会わせた。万一儂が妹に聖杯戦争への参加を求めなければ、先ほど汝が語った話は根底から成り立たず、妹は消滅してしまうのではないのか」

「私が必勝を誓って聖杯戦争に望んでも、必ず勝てる保証はありません。戦いに敗れ二人とも死ぬくらいなら、この身体を妹に譲るつもりで父に暗示をかけてもらいました。妹に危機が訪れない限り私は目覚ず、妹の記憶からも私の存在を消したのです。妹が平穏無事に生きていけるなら、私は消滅しても構わないと考えていました」

 

「自己犠牲のつもりか、実にくだらん、儂にはまったく理解できぬわ」

 吐き捨てるように呟く臓硯を尻目に、総司は今まで揃わなかったパズルのピースが次々とはまっていく様な感覚を覚えていた。今ようやく桐生空という自分のマスターを理解できた気がした。

 

「もし、宙の消滅が桐生の魔術刻印に刻まれた呪詛が原因ならば、今回間桐本家の要請を達成したことでその影響から解放されるのでしょうか。だとしたら、私はもう聖杯に望む願望などございません」

 そもそも、桐生家は分家の際に間桐家によって刻まれた呪詛にずっと苦しめられてきたのである。今回の働きで間桐の呪詛は祓われるのか、空の疑問はその一点に尽きた。

 

「確かに汝のいう呪詛とやらが今後桐生家に影響を及ぼすことはあるまい。ただ、精神体の消滅などという、異常な状況に呪詛がどう影響を与えるのかなど、儂の与り知らぬことよ。

 そんなに心配なら、セイバーの霊基を聖杯に捧げ、汝の願望を唱えれば済む話よの」

 ただし、此度の聖杯は願望を叶えるためのものではない。セイバーが消滅した時点で汝には願望を口にする前に死んでもらうことになるがの。臓硯の足元から数匹の蟲が影を伝って空の方へ向かった。

 

 桐生空は沖田総司を見つめ手を握った。

「セイバー、勝手なお願いなのは重々承知しているけれど、宙を救いたいの。今まで色々秘密にしていたことは謝ります。ごめんなさい」

 空の手からは、いつもと変わらぬ温もりが感じられた。

 

「それは、先ほど私自身がマスターに求めてたことと同じことです。あなたが、彼女が誰か忘れている気がすると涙を流していた存在そのものだったのですね。どうかこれからもあなたがマスターを守ってあげてください」

 

 総司は空に一礼すると聖杯に向かって歩き始めた。

 

「令呪を以て……」

『──―っ! ダメ―……―っ……よ……―……──っ。…………』

「!」

 令呪を使おうとしたその時。空の意識に宙の心の叫びが流れ込む。

(宙はセイバーの消滅を望んでない。このままセイバーを強制的に消滅させてしまっても良いのだろうか)

 令呪の使用をためらう空。

 その刹那。

「令呪を以て命ずる。自害せよ、セイバー」

「なっ」

 間桐臓硯が自らの右腕に宿った命令権を行使する。

「何故、貴様が令呪を!」

 おもわず総司は叫ぶ。

 

「桐生空の令呪は、元々間桐の代理マスターとしてのもの。本来の主が令呪を使用しても何の問題もなかろう」

 令呪による理不尽な強制力が沖田総司に襲い掛かる。

「あっ……」

 突然のことに、一瞬ためらう空。

「お主が自害すれば、そこな桐生空とその妹は救われるのだぞ。何を抗うことがある? 

 それが貴様の望みなのだろう。疾く自害せよ、セイバー」

 更に強力になる令呪の暴力的な強制。

 葛藤しながらも従うしかない。観念するセイバー。

「くっ、貴様の命令でというのは無念だ……が……」

 彼女は怒りの形相で間桐臓硯を睨みつけた後、桐生空の方に向き直り、少し微笑むと同時にその胸部に自らの愛刀を突き立てた。

「マスター、どうかお幸せに……」

 セイバー沖田総司は光の粒子となって消滅していった。

 

『──―っ! ──―っ……──っ。……―っ…………』

 ためらった一瞬が桐生空には永遠のように感じられた。

 取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない。

 空の心に強烈な不安と後悔の念が湧き上がる。

 セイバーが消滅した後、空は自分の中の宙に呼びかける。

「宙、全て終わったのよ。これからも私たちは二人一緒よ」

 返事はない。

「宙……、宙、どうしたの、宙!」

 反応がない。

「ねぇ、お願いだから返事をしてちょうだい。何か言ってよ、宙!!」

 いくら呼び掛けても宙の存在が感じられない。全くの空虚。

 今までこんなことは一度もなかった。

「いや、いやだよ。私を一人にしないで。宙、宙──―っ。うわああああ」

 号泣する空。

 

「カカカ、愚かよな。汝らは同じ器に居っても相互の理解が圧倒的に不足していたのよ。宙とやらの精神は汝よりずっと善良で脆かったということ。妹にも汝のような顔見知りの少女を殺しても眉一つ動かさぬくらいの図太さがあれば、今頃は姉妹仲良く感動の再会を果たせておったものを、己の犯した罪の重さと望まぬセイバーの消滅。立て続けに科された負荷に耐え切れなかった妹の魂はすでに霧散したと見える」

 

「間桐……臓硯んっ!!」

 怒りの眼差しを叩きつける空。

 

「わしに怒りを向けるは筋違いよ。では聞くが、汝、何故わしがセイバーの自害を命じた時、自らに残された令呪を使って抵抗しなかった?」

「!」

「つまるところ、心の奥底で汝はこの結末を望んでおったのだ」

「ち、違う……」

「妹を気遣うふりをしながら、セイバーの消滅を傍観した汝は聖杯戦争のことをよくわかっておる。七騎の霊基すべてを捧げた聖杯に自らの願いをかける。根源に至るほどの魔力の奔流と引き換えに汝はその望み以外は何を失っても良いと考えた。実に魔術師らしいではないか。さすがは桐生の後継者よな」

「……ちがう……ちがうの……わたしは……」

「何が違うものか。誇ってよいぞ。そう、汝の行動が妹を殺したのだ、「妹殺し」中々様になる二つ名ではないか」

 

 絶望が空の意識を黒く染め上げていく。それはまさに今杯に滔々と流れ込んでいる泥のように黒く、深く。

 

 そして桐生空の瞳から光が消え去った。

 

「始末するつもりでおったが、その必要もなくなったわ。妹を殺したという新たな呪縛に囚われ屍のように無意味な生を貪るがよい」

 

「さて、これで7騎の英霊の霊基が揃った。しかし、アインツベルンのホムンクルスが血迷ったが故に孔が完全には開いておらぬ。これでは大聖杯の浄化、とまではいかぬか……」

 臓硯はそう言いながら未だに泥が溢れ続ける空間の歪みと杯を凝視する。

「今回大聖杯の浄化が首尾よく運べば、願望器としての聖杯が機能を取り戻した形で再顕現する可能性もゼロではない……と思っていたのだが……」

 

「ふふふ、首尾は上々といったところですかな、間桐臓硯殿」

 絶妙なタイミングで言峰綺礼が現れる。まるでどこかで様子を伺っていたかのように。

 

「この世全ての、悪-。今の聖杯はその誕生のための揺り籠のようなもの。十や二十の霊基を収めたところでその流れは変わりますまい」

「貴様、それを知った上で傍観していたと言うのかっ!」

 声の方向に振り返った臓硯が、綺礼を睨みつけながら忌々しそうに吐き捨てる。

 

「さて、どうでしょうな」

「食えぬ男め、まぁ、こちらにはこちらで準備を進めていることがある。此度の儀式が徒労であろうと、さして問題ではない。与えられた魔力により、次回の聖杯戦争こそ儂にとって最も都合の良いタイミングで行われることとなろう」

 

 小さく体をゆすると老人はその場で無数の蟲となり霧散していった。

 

「ふむ、些か面白みに欠ける結末だったな」

 

 言峰綺礼は一人立ち尽くす少女に近づき呟く。

「女よ、貴様が死ねば妹が存在していたことを知る者はこの世には居なくなる。また、すべてを失い何も持たぬ者が何かを得ることもあるのかも知れん」

 何も反応はなかったが、綺礼は気に留める様子もなく踵を返してその場を立ち去った。

 

 

 

 残された少女は長い間その場で呆然としていたがやがて夢遊病者のようにふらふらと冬木の街に戻っていった。

 




お読みいただきありがとうございます。

次話からは各登場人物のエピローグになります。
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