私立穂群原学園。冬木市に存在する学園で初等部から高等部まで一貫教育を行う私立学校である。比較的歴史の浅い学校で地元との交流を積極的に取り入れており、毎年の文化祭では食材の調達などで地元商店会とは良好な関係を結んでいた。
しかし冬木大災害からまだ街は復興途中のところも多く、商店会も完全復旧とは言えない状態である。
毎日工事にかかわる重機がたてる大きな音がこの街の新たな名物となっていた。
そんな穂群原学園高等部2年に一人の転校生がやって来たのは、世界的に話題となったその冬木市大災害から5年後のことであった。
桐生空17歳。
黒髪をボブカットにした彼女はいわゆる大和なでしこ的な清楚な美少女であったため、転校当初はクラスの話題となった。しかし本人の引っ込み思案な性格もあり、どうにもクラスに馴染めず次第に一人でいることが多くなっていた。
空の名誉のために補足するが、彼女は決して根暗や人嫌いなわけではない。事実一度気を許した相手に対しては、驚くほど饒舌になるのであるが、山奥育ちの娘が地方都市とはいえ誰一人知った顔のいない都会に出てきたのだ、すぐに環境に馴染めないのも仕方がないことである。
クラスから浮いていると感じた彼女はもともと剣道に入れ込んでいたこともあり剣道場に入り浸るようになっていく。そんな彼女が剣道部でも有力な戦力になるのにそんなに時間はかからなかった。
「おーい! 空ちゃん! 元気かーい!!」
そんな穂群原学園剣道場にひときわ明るく大きな声が響く。
「あ、藤村先輩! こんにちは!」
剣道場に現れたのはこの学園のOGであり冬木市の重鎮藤村雷画の孫娘、藤村大河である。剣道四段という相当な腕前で、剣道界では「冬木の虎」の異名で恐れられていた。
ところでこの藤村家、簡単に言うとヤクザである。
空が剣道場に通い始めた頃、なんだかんだ理由を付けて後輩の指導をしていた大河は黙々と素振りをしていた空に興味を持って一度立会稽古をしたことがあった。前述の通り大河は20歳にして四段の腕前を持つ剣豪である。そんな大河と互角ともいえるほどに善戦した空を大河はいたく気に入っていたのだ。
「ねね! 今日うちにいらっしゃい! おじいちゃんがあなたにあげたいものがあるんだって!」
道場でひとしきり汗を流してこれから衛宮家の道場にお邪魔しようとしていた道すがら、大河が空にそう提案した。
「渡したいもの?」
なんだろう? そう思って空が大河に聞き直す。
「この間おじいちゃんと幕末談議で盛り上がってたでしょ? おじいちゃんそれがすごく楽しかったみたいでね。『空ちゃんにこれをあげるんじゃあ!』とか言って張り切っちゃってるのよ」
藤村雷画、いい年こいてJKに何をしようというのか。
「は、はあ。いったい何をくれるんだろ?」
「なんだかわからないけど維新の志士所縁の物らしいわよ。私はあんまりそういうのに興味ないし、空ちゃん貰ってあげて」
大河はこれでも教師を目指して勉強中だという。目指しているのは英語教師だというけれど歴史にももうちょっと興味を持ってもいいのに。と、空は何となく思った。
衛宮邸に着くと士郎と切嗣は家にはいなかった。しかしそこは藤村大河、勝手知ったるなんとやらである。
早速道場に上がり込むとろくに防具もつけずに稽古を始める二人。時間にして一時間も稽古をしていたが、どうにもこの家の主が帰ってくる気配がなかった。
「士郎も切嗣さんも帰らないのかな?」
大河はそう言って竹刀を置いた。
「そうですね。もう6時ですしそろそろ雷画さんに会いに行かないといけませんね」
「おお! そうだった! いや忘れてたわ。おじいちゃん拗ねると面倒くさいから早く行こう!」
手早く道場の掃除を済ませ、二人は藤村邸に向かうのであった。
藤村雷画は冬木市の重鎮であると同時に古くからこのあたり一帯に根を張る極道一家のドンであり、歴史的な物品の収集家でもあった。
そんな雷画が桐生空に渡したものとは、それはおそらくカタナの鍔であると思われた。
カタナの鍔というものは相手の攻撃から手を守るものというよりは、突いたとき刀身側に自らの手が滑らないようにすることが目的に付けられたものである。
実はカタナの鍔の収集家というのは日本全国に結構存在する。
空はそもそも歴史オタクなところもあり幕末の動乱期はもっとも彼女の好きな時代であった。赤報隊、白虎隊、そして新選組。この年頃の少女があこがれるのも無理はない。
そしてこの時代が好きだという女子中高生にはいわゆる「腐女子」といわれる層が存在するのだが、ご多分に漏れず彼女も若干腐り気味である。しかし彼女は必死にそれを隠していたので知る者はいなかった。
おそらくそんなことが周りに知られたなら彼女は登校拒否になるだろう
腐女子とかそういったことは別として彼女の幕末に対する知識は相当なものであり、そういった話が雷画と意気投合するきっかけになった。しかしさすがに貰ったこのカタナの鍔はどういういわれのある物なのか想像もつかなかった。
渡した雷画自身どういった経緯でこれがコレクションに加わっていたのかよくわかっておらず、ただ維新の志士所縁の物だという事しか知らなかったのだ。
もっともそういうものだからこそ気軽に空にプレゼントしたのではあるのだが。
そしてこの正体不明の「カタナの鍔」が桐生空の運命を大きく変えていく事となる。
「それにしてもいったいこれ誰が使っていたものなんだろう?」
自宅アパートに戻った空はベッドに寝ころび貰った鍔を玩びながら歴史ロマンに想像を膨らませていた。そして空自身幕末好きであるため、そんなロマンあふれる物品を貰ったことが実はかなりうれしかった。
「よく見ると結構使い込まれてるわよね。しかもこれ刀傷じゃないのかなあ。実際これって戦いに使われた物なんじゃない?」
ゴロゴロとベッドで寝ころびながら鍔を眺めていた空に異変が起きたのはそんな時である。
突然右手に凄まじい痛みが走った。
「い、いったあああ!!」
まさに激痛というべき衝撃が右手に発生し思わず左手で右手を押さえ体を丸めてその痛みに耐えた。
「な、何なのよ──―!」
痛みは3分程続いただろうか。空には1時間とも2時間とも感じられたのではあるが、額に脂汗を浮かべて耐えていると不意にその痛みが消えてなくなった。
息を荒くして痛みの走った右手を見た空は再びショックを受けた。
「な、なんか変な模様が浮き出てる!」
こんなイレズミみたいなもの学校にばれたら停学とかになっちゃうんじゃないの?
実際はそれどころではない騒動に巻き込まれることが確定した瞬間だったのだが、普通の女子高生の空にとっては聖杯戦争などまったく想像の外の事である。
学校にばれないようにどうしようかとその夜は遅くまで考えていた。
こういうのって誰に相談したらいいんだろ? とりあえず大河先輩かなあ……。
次の日空は何とか右手に浮かび上がった紋様を隠しながら授業を切り抜け、放課後剣道場に駆け込んだ。剣道の練習をしている間は籠手を着けているため無事に隠し通せたのだが、残念なことにこの日は大河が剣道場に現れることはなかった。
「むー。こんな時に限って大河先輩来ないし」
大河にすれば言いがかりも甚だしいのだが、空はほとほと困っていた。
「衛宮さんのところに行けばわかるかな」
本来なら病院にでも行くべきなのではないかと空も考えたが、なんだかそういう問題ではないような気がしていた。
「だってこれなんだかオカルトっぽくない?」
明らかに普通に出来た痣ではない。何らかの紋様であることは明らかであり、オカルトについて自分が知る限り一番詳しそうなのは衛宮家でもあるのだ。
かつて空は衛宮家の養子である士郎から蔵の中にはそういったオカルトめいたものが数多く置かれていると聞いたことがあった。なんだか魔法陣のようなものまであるという。
しかもその蔵であるが、士郎が秘密基地として遊び場にしていることもあり鍵もかけられていないことが多かった。
衛宮邸に空が着いたとき確かに大河や士郎も在宅はしているようであったが、どうにも雰囲気がおかしかった。特に大河はずいぶんと焦ったような雰囲気を出していたので空はそっと母屋を離れ蔵へと向かった。
「何かあったのかな?」
まさか衛宮切嗣が臨終の床にいようとは空には考えもつかなかったのだ。
衛宮家の蔵は普段から士郎が魔術の訓練に使っている。後に聖杯戦争に参加することとなる士郎は切嗣から魔術の指南を受けていた。切嗣自身は士郎が魔術師を目指すことをあまりよくは思っていなかったようであったが、士郎は一風変わった才能も秘めていた。
後に彼は魔術師として大きく成長し、聖杯戦争史において重要な役を演じることとなる。
さて我らが桐生空であるが、驚くべきことにこの一見普通の女子高生も魔術的な才能を秘めていた。実のところ桐生家は魔術師の家系であり、空には魔術師としての才能が当然のごとく受け継がれていたのだ。
だからこそ聖遺物を手にしただけで令呪が現れるような事態になったのであるが、今の彼女はそんなことは全く知らなかった。
聖遺物とは言うまでもなく藤村雷画から渡されたカタナの鍔である。
この屋敷の住人がいないのをいいことに空は蔵の中でオカルトに絡みそうな書物を探していた。後に考えるとこの行いはまさに令呪に導かれたとしか思えないものである。
穂群原学園の女子高生、桐生空は魔術などとはまったく縁のない生活を送っていたのだ。
そしてついに空は一冊の書物を手に取る。見た事もない文字で書かれた書物なのだが、なぜか空にはそれがよく知るようなもののように思え、内容を口に出して読んでみた。
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。
降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ
閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。
繰り返すつどに五度。
ただ、満たされる刻を破却する」
──―何でこんな文字読めるのだろう。これは白昼夢ではなかろうか。自分が知らないはずの文字を読んでいる。しかもこうするのが当然だと私は思っている。
この右手の紋様が原因なのかしら? 頭のどこかではそんなことも考えていたが、口からは自然と呪文が紡ぎ出される。
「────告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──―!」
自然と詠唱が終わった。自分がこんな詠唱を行ったことが信じられない。
「っていうか、いったい今の何?」
空は自分が行ったことの意味が全く分かっていなかった。
その時、蔵の中に描かれていた魔法陣が光を放ちだした。
魔法陣に書かれた様々な記号は明るいピンク色の光を放ち地面から光を天井にまで反射させていた。
「え、なに? 今度は何?」
焦った空はバタバタと魔法陣に近づいてしまう。普通こういう時は後退ったり逃げ出したりするものなのだが、この桐生空という少女、若干普通の人間とは思考回路が違ったようである。
そして一段と魔法陣の光が強くなったと思うと魔法陣の中から一陣のつむじ風と共に桜の花びらが舞い散った。
思わず顔を庇い、目を閉じた空であったが、再び目を開いたときそこにありえないものを目撃した。
「……女の子のお侍さん?」
空の最初の印象はそれである。
「問おう。あなたが私のマスターか?」
「……はい?」
「……え?」
空は全く事態が呑み込めていない。
「マスター? って何? あなたどこから現れたの?」
「ええっ!? う~ん、と……」
現れた少女剣士はそう首をひねって考え込んだ。
「ぐぼっ」
そしていきなり吐血した。
「ちょ! あ、あなた大丈夫?」
「だ、大丈夫。というか、本当に何もわかってないのですか?」
「何がわからないのかもわからないよ! いきなり変な紋様が手に現れたと思ったら今度は変なお侍さんが突然湧き出てきて! あなたいったい何なの?」
「変なサムライ……う、ぐぼっ」
再び吐血する少女剣士。
「きゃー!」
狼狽える空。全く話が前に進まない。
その後何とか落ち着いた二人は蔵の中でお互いに正座で向かい合い自己紹介を行った。
そして空は今起こっていることと聖杯戦争についての説明を「地面から湧き出てきた変なサムライ」から受けたのであった。
「っていうかあの人女性だったの? びっくりだよ。そりゃ美少年剣士って言われてたし、そこは百歩譲って良しとして」
空は手元にあるカタナの鍔を見る。
「これはあなたが使っていたものなの?」
「ええ、それは確かに私が使っていたものに違いないです」
とたんに空の表情がにやーと崩れる。まさかこの正体不明の鍔が幕末の超有名人のものであったとは!
「か、返さないわよ……? これ私がもらったものなんだからね?」
「あ? え? それは別にかまわないというか……?」
「げ、言質取ったからね? うへへ」
むしろ返さなければいけない相手は藤村雷画であると思われるのだが、歴史オタクの本領発揮といった空であった。
「はあ。それで信じてもらえましたか?」
「うーん。うん。信じられないし、そりゃ幕末の人に興味はあるけど、聖杯戦争? 私そんなの興味ないよ?」
「ぐばっ」
「ちょっとー。一々吐血しないでよ」
空ももう慣れてきたのか吐血如きでは動じなくなってきた。
「申し訳ありません。この吐血は呪いともいうべきものなのです。後世の私に対する認識は病弱で薄幸という印象が強いようで、こればかりは英霊となっても、むしろ英霊だからこそ治しようがないものなのです」
「はあ。なんかあなたも大変なのね?」
確かにかの剣豪は吐血と病弱のイメージだわね。空もなんとなく納得してしまった。
「と、とりあえず聖杯戦争には監督役がいるはず。この街の古い教会とかお寺がそうだと思うのですが、心当たりはありますか?」
「いえ、まったく」
切嗣さんや士郎君なら何か知ってるかもと思いながらも、母屋の方は何か近づきがたい雰囲気である。
「う~ん……、古い教会って言うなら冬木教会が歴史あるって聞いたけど……」
「そ、そうですか。では、そこに行ってみましょうか」
そう言うと少女剣士はスゥっと姿を消した。
「え、ええ? どこ行ったの? 消えた?」
慌てる空に少女剣士の声が聞こえる。
「私たちサーヴァントはいわば霊体です。姿を消すことなど造作もない事です」
「そ、そうなのね。あなたが普通の人じゃないってことだけは理解したわ」
そんな少女サムライの言葉に空はため息をつきながらとりあえず冬木教会に行くことにした。
「ほう。それでは君が今回の聖杯戦争のマスターのうちの一人という訳だ。いやはや、これはこれは」
そう言っておかしそうに笑ったのは冬木教会の神父「言峰綺礼」である。
「あの、その聖杯戦争って私絶対出ないといけないのですか?」
空は当たり前ではあるが人殺しなどしたことがない。もちろん武道をしているため戦いというものに対してある程度の理解はある。だからといって武道は人殺しをするためのものではない。
「もちろん君は棄権する権利がある。その場合は当教会で責任をもって保護しよう。その場合は君のサーヴァントは消失し令呪は私が管理することとなる」
サーヴァントは消失する? それはこの(今は姿を消しているが)少女サムライが消えてしまうという事だろうか。
「あの、サーヴァントって人じゃないの?」
「過去の英霊が聖杯の力で顕在化したものだよ。君が聖杯を望むのならその力は大いに助けになるだろう。ただし、君も命を懸ける必要がある」
そういって綺礼はカップに紅茶を入れ空に勧めた。
聖杯戦争って、なんで私がそんなものに参加しないといけないの? 殺し合いなんて他でやってよ。何でも望みが叶うっていうのは魅力的だけど、そういうのって大体物語じゃ何かとんでもないオチが付くのよね。
「はあ……」
ため息をつきながら空は淹れられた紅茶に口を付けようとした。
「だめよ!」突然、空の頭の中に声が響いた。
「え??」
空が一瞬動きを止めた。その時
カップは突然二つに割れ空の手から滑り落ちていった。
床に落ち陶器が割れる嫌な音を響かせながら紅茶が空のスカートを濡らす。
頭に響いた謎の声に疑問はあったが、それどころではない状況になってしまった。
「きゃっ、何をするのよ!?」
「ほう……。サーヴァントはセイバーか」
「マスター、帰りましょう」
そう言って少女剣士は実体化したまま強引に空の手を引いて部屋を出て行こうとした。
「やれやれ。残念なことだ。セイバー。精々そのお花畑な少女と話し合うのだな」
綺礼はさして残念でもなさそうな素振りでセイバーの後姿に声をかけた。
「ちょ、ちょっと! 痛い! いたい! イタイ!!」
空の苦情を一切聞かないでセイバーは教会の中を大股で歩いてゆく。
「なんなのよ! 事情くらい話してよ!」
それでも何も言わずに歩き続け、教会の敷地を出たところでようやくセイバーは空の手を離した。
「いったいどうしたのよ! 神父さん紳士的でいいヒトっぽかったじゃない」
この少女はどれだけ平和ボケしているのか。セイバーは眩暈がした。
「マスター、今、殺されかけたのですよ? あの言峰綺礼という男に」
セイバーの言葉に空はきょとんとした顔をして首を傾げた。
「あのお茶、毒が入ってました。教会は信用できません。あんな男が監督役だなんて」
「え」
「聖杯戦争はもう始まっているのです。マスター、覚悟を決めてください。マスターが覚悟を決めたのならこの────、命尽きるまでマスターの力になりましょう。……今度こそ最後まで戦って見せます……」
そういったセイバーの顔は何か悲壮な決意を漲らせているように見えて空には何も言う事が出来なかった。
お読みいただきありがとうございます。