マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う 作:郡山 氷里
マンハッタンカフェとそのトレーナーが理事長である秋川やよいから呼び出されたのは、冬も過ぎ、そろそろ春の兆しが見え始める頃だった。
「歓迎! よく来てくれた。君達に頼みたいことがある」
理事長室にはこの猫を乗せた少女の他に、もう一人見覚えのないウマ娘が居る。トレセン学園指定のものではなく、市販のジャージだ。顔を真っ青にして、必死に体の震えを抑えているようだった。これはただならぬ事態のようだとトレーナーも気を引き締める。生徒会長のシンボリルドルフを通さず、直接マンハッタンカフェが呼ばれたということは、"そういう"ことなのだから。
促されて応接用のソファに腰掛ける。彼とカフェ、向かい合うようにして理事長とそのウマ娘がいる。
「どのようなご用件でしょう」
「うむ! それを説明する前に一つ聞こう。君達は闇レースというものを知っているか」
「闇レース……?」
マンハッタンカフェが首を傾げる。言葉からどんなものかはなんとなく予想がついた。代わりにトレーナーが答える。
「URAの管轄外で行われる野良レースの内、賭け事を内包しているもののことですね」
トゥインクルシリーズのような、URAが主催するレースでの賭博行為は固く禁止されている。これはまだ大人になっていない少女達への悪影響と、レースが社会的に市民権を得るためのクリーンイメージの形成の為だ。非公式かつ小規模の賭け事は全てを捕まえることもできないが、例えばブックメーカーのような大事業は廃れている。
だが、順位の出るスポーツである以上、賭博を生業とする組織が目をつけないはずもない。URAが駄目なら自分達で賭け事の仕組みを作れば良い。そうして生み出されたのが闇レースだ。どれほどの規模なのか、トレセン学園に居ては分からないが、ウマ娘に関わる問題として深く根ざしていることも間違いないだろう。
「正解! 彼女はその闇レースの参加者だが、訳あってトレセン学園に助けを求めてきた。君達には力になってほしい」
「力になれと言われても」
自分達は心霊には心得があれど裏社会に敏いわけではない。彼は困ったように髪をかき、カフェに目配せした。
「あの……私はマンハッタンカフェと言います。名前を、聞かせてもらえませんか?」
震えるウマ娘にカフェが話しかける。その眼差しは困惑と、警戒が混ざっている。視線はウマ娘の少し後ろ、警戒心はけしてウマ娘に向けられたものではない。彼女にまとわりつくナニカに向けられたものだ。それを察したトレーナーも意識を切り替える。どうやら、ちゃんと自分達が関わるべき話のようだと。
「ひっおねが、ころさ」
「落ち着いてください。あなたを殺すほどの力はその子にはありません。大丈夫ですから」
熱心にカフェが落ち着かせようとしたお陰か、ウマ娘の震えも治まっていく。青ざめた顔はそのままだが、パニックからは抜け出したようだ。
「落ち着きましたか?」
「は、はい……ありがとうございます」
「どういたしまして。しかし……どうしてこのようなことに?」
「それは……」
ウマ娘は語り出す。彼女はコルセットと名乗った。元々はトレセン学園の生徒で、芽が出ずに引退した後、闇レースにスカウトされたのだという。
「私以外にも、何人かトレセン出身の子は居ました。闇レースの世界だと、トレセン学園に居た事はステータスになるから、って」
トレセン学園はレースを目指すウマ娘にとって狭き門だ。そこに在籍していたということは、一定以上の強さを持つのと同義で、最初は他よりも優遇されるのだという。実際、彼女も闇レースではそれなりに優秀な成績を収めていたらしい。
「でも、あいつが現れたんです」
それが悪夢の始まりだった。
そのウマ娘は、メイクデビューを大差をつけて勝利したのだという。それだけならまだ珍しい程度で済んだ。元トレセン生徒や、トレセンに行くだけの才がありながら、家庭環境によって諦めたウマ娘の中には、他を圧倒する力量の持ち主も居る。
しかし、そのウマ娘はずっと勝ち続けたのだという。無敗の王者。賭け事にとっては面倒なこと極まり無いだろう。いつしかオッズは1倍を僅かに超える程度になり、賭けにならなくなった。
しかも、そのウマ娘はレースに出る頻度が異常だった。
「毎日のように、レースに出てたんです。もうあいつの出るレースには誰も出たがらない。だけど、出さないわけにも行かない」
運営者にとって、客引きの王者はいつしか邪魔な存在になり始めた。全てのレースに出る勢いでは、いくら胴元が勝つギャンブルといえど成り立たない。
「最初は八百長を持ち掛けたそうです。でも断られて、だから強硬手段に出ることになりました」
言うことを聞かない選手は潰してしまえ。URAでは考えられないようなことにカフェは息を呑む。
「それで……それで……」
コルセットは再び震えだしていた。
「落ち着いて……コーヒーでも淹れましょうか」
「いえ……大丈夫です。話させてください」
すう、と彼女は大きく息を吸った。ゆっくりと吐き出し、無理に心を落ち着かせようとする。
「それで、足の一本でも折ろうと、何人かのウマ娘であいつを取り囲んだんです」
選手生命までは良い。しばらくレースに出られないようにしてやれ。彼女が受けた命令はそんなものだったという。そうして札束を握らされたウマ娘達が集まった。正確な人数は覚えていないが、ウマ娘一人で対抗するのはとても無理な人数だった。顛末に思うところはあったが、金を貰った以上は退くに退けないと覚悟を決めた矢先。最初に動いた一人が見えない力に吹き飛ばされたのだという。
「全然、相手にもなりませんでした。みんな叩きつけられて、ぐったり動かなくなって、あいつが私を見て。怖くなって、逃げ出したんです」
依頼主のところにのこのこと戻るわけにも行かない。どうすれば良いのか分からず、辿り着いた先がトレセン学園だった。
「あいつは、悪魔と契約したんだ。だから、あんなに速くて」
「……なるほど、よく分かりました」
詳細は分かった。カフェの反応を見る限り、悪魔と契約したという言葉も、ただの戯れ言ではないだろう。しかしどうしたものか。闇レースの主催者に、心霊的に危ないものがいるからといって通じる筈もない。トレーナーには、そういった方面へのアテは全くなかった。そもそも理事長に呼び出されたのでなければ、はいそうですかと聞かなかったことにしたほうが早い。
「嘆願! 君たちにはこの事件の調査をしてもらいたい。仮に悪魔というものが居たとしたら、トレセン学園にその魔の手が伸びないとも分からないのでな」
「まあ、善処はしますが」
理事長は真剣な表情だ。悪魔なんてものが横行すればトゥインクルシリーズの価値はつかなくなるだろう。そして、不相応な力には代償がつきものだ。対岸の火事だと笑ってみているわけにはいかない。
兎にも角にも、一度そのウマ娘を見てみるしかないと、トレーナーはため息を吐いた。
■
「おろ、カフェさんとこのトレーナーさんじゃないすか。どうしたんですか?」
「ちょっと頼みたいことがあってね」
彼とカフェの二人が訪ねていたのは、ダイワスカーレットとそのトレーナーだった。いかにも快活な好青年といった風体のダイワスカーレットのトレーナーは、突然の来客にも嫌な顔一つ見せない。
「頼みたいことですか?」
「うん、ちょっと服を見繕ってくれないかな」
「服?」
ダイワスカーレットのトレーナーは、彼が知る限り最もファッションに精通している。それは彼の知り合いがどうにも自分の着る物に無頓着な人が多いからというのもあるが、それを差し引いても、一番信頼できる相手だ。
「ああ、出来れば俺だと分からない感じの。なんていうかな、変装じゃないんだけど」
「お忍び用ってことすか?」
「そう、そんな感じ」
件のウマ娘を直接見るには闇レース場に行くしかない。しかし、マンハッタンカフェはトゥインクルシリーズ最前線を走るウマ娘として、彼はそのトレーナーとしてそれなりに顔は知れている。相手に無用な混乱を与えたり、マスメディアに見つかって余計に事態こじれさせないように、目立たない服装で向かう必要があった。
「カフェの方はスカーレットさんにお願いしたいんだけど」
「良いですよ! カフェさんこっち来てください」
ダイワスカーレットに手を引かれてカフェが別の部屋へと向かうと、トレーナー二人が残された。
「で、お忍び用でしたっけ。幽霊さん目立つからなあ」
「そんなに目立つかな。むしろ目立たないとよく言われるけど」
「猫背で誤魔化されてるけど、そのタッパは嫌でも目立ちますよ」
スカーレットのトレーナーが手を彼の頭の高さまであげる。確かに彼の背は一般男性と比較してもかなり高い。流石に2mには及ばないが、その身長で、折れそうな程に細いのだ。まさしく幽霊のような風体で、夜に出会ったら悲鳴をあげられてもおかしくない。
「まあ、タッパは低いのはともかく高いのはどうしようも無いんで、その細さどうにかしますか」
「詰め物でもするのかい?」
「そんなことしたら幽霊さん動けなくなるでしょ」
失敬な、と言おうとしたが自分のフィジカルは自分が一番よく知っている。反論する言葉も浮かばず、不満そうに唇を尖らせた。
「今の時期なら、体のライン隠せるコートとか着ててもそんなにおかしくないですし、そういう方面かなあ」
「任せるよ」
「後はちゃんと背伸ばしてください。いつも猫背だからしっかり伸ばしてっと印象変わりますよ」
「背を伸ばす、ね」
ぐっと背筋を意識する。視線が上がり、首の後ろがじんと痛んだ。腰に手を当ててのびをすると、パキポキと骨が鳴る。
「あと、目立ちたくないならその場に適した服装ってことすけど、どこ行くんすか?」
「それはちょっと……人に迂闊に言えないところってことで」
「無茶振りだあ」
言葉は力を持つ。それは情報的な意味でもあり、言霊でもある。素直に話して、彼らに被害を出すわけにはいかない。
「じゃ、まあ無難な感じで……」
「それで頼むよ」
ダイワスカーレットのトレーナーは曖昧な要望にもテキパキと応える。ネイビーのタートルネックにスラックスズボン。ブラウンのモッズコートを羽織って、髪型もワックスで変える。最後に伊達メガネをかければ、元の幽霊みたいな面影はすっかり消え、線の細い好青年になった。
「よくこんな短時間で出来るね。衣服とかよくあったもんだ」
「まあ、二度や三度じゃないですしね」
「そうだったっけ?」
言われてみれば、衣服を見繕ってもらうのはこれが初めてではない気もする。余り人に話せない仕事もあるものだ。一介のトレーナーと学生にそれを任せるのは如何なものかと思うが、他に適任も居ないのであれば仕方がない。
「トレーナー、こっちは終わったわ。そっちは?」
「大丈夫、入ってきていいよ」
ノックの音に返事をすると、ダイワスカーレットがマンハッタンカフェを連れて入ってくる。
ポニーテールの上にメッシュ柄の鹿撃ち帽。漆黒のインバネスコートにカーキのタックスカート。さながら女性シャーロック・ホームズだ。本人は普段と違う髪型が落ち着かないのか、そわそわとコートの袖を握っている。
「どうです!?」
ダイワスカーレットが自慢げに聞いてくる。もしかしたら、会心のコーディネートなのかもしれない。
一種コスプレめいた衣装は逆に目立つのではないかと思うが、恥じらうカフェの表情の前では些細な問題だろう。
「うん、その……とても良いと思う」
「あ、ありがとうございます……」
まるで付き合いたてのカップルのようなやり取りに、観客二人もいたたまれなくなったのか、コホンと咳払いをしてカップルを現実に戻す。マンハッタンカフェのトレーナーもびくりと肩を跳ねさせて、バツが悪そうに髪をかいた。
「はは……二人ともありがとうね」
「ま、何やってるのか分かんないすけど、無茶はしないでくださいよ。ネズミさん止めるの俺にゃ無理なんですから」
「善処するよ」
無茶をしないとは言わなかった。
■
「お客さん、うちは一見さんお断りなんですよ」
寂れたビルの三階、闇レース場の入り口になっているというバー。入ろうとした二人は警備に止められていた。
「どちら様からの紹介ですか?」
「あー……」
コルセットというウマ娘からの情報では紹介が必要とは聞いていない。行方不明者扱いであろう彼女の名前を出すのも悪手か。どう言い訳しようか考えを巡らせていた数秒、後ろから肩を叩かれる。
「私のツレだ。文句はねえな」
「これはナカヤマ様、失礼いたしました」
ニット帽とロリポップキャンディの組み合わせはトレーナーも見たことがある。トレセン学園の有名問題児が一人、ナカヤマフェスタだ。トレセン学園の生徒が闇賭場に出入りしているのは注意して然るべきだが、この状況で口にするメリットもない。
「おい、ボサッとしてんな。行くぞ」
驚いて反応が出来ていなかったカフェも、ナカヤマに促されバーの中へと入っていく。手荷物検査を受けた後、非常階段へと案内された。ここからレース場へと向かうようだ。
「……礼儀も知らないお坊ちゃんとお姫様が、こんな鉄火場に何の用だ?」
移動の最中、ナカヤマフェスタが口を開いた。
「悪いが仕事でね。詳しくは話せない」
「あの……ナカヤマさんはなぜここに?」
「なぜ?」
フン、と鼻で笑う。
「スリルがあるからに決まってる」
「助け舟を出してくれたのも、スリルがあるから?」
「そりゃ、面白そうな匂いがしたからな。第一線のウマ娘とトレーナーが"仕事"でヤニだらけになるんだ。上等じゃないか、私にも一枚噛ませろよ」
トレーナーとカフェは顔を見合わせると肩をすくめた。出来るだけ他人を巻き込みたくないという気持ちはある。助けを求めるならアグネスタキオンやダイワスカーレットと、カフェだって交流が狭いわけではない。同時に、ナカヤマフェスタが駄目と言ったところで引き下がるようには見えない。それなら目の届くところで動いてもらった方がマシか。アイコンタクトだけでそこまで意思疎通する。
「分かったよ。じゃあ早速だけど、このレース場の絶対王者について教えてくれないか」
「なんだ、あのつまらない奴が目当てか」
「"仕事"だからね」
ナカヤマはロリポップキャンディを噛み砕く。どうも、トレセン学園に所属する彼女にとっても件の王者は面白い存在ではないようだ。
「名前はステイズコール。どっから来たのかは知らん。脚質は差しで距離は何処だろうと出て来る。このレース場は芝とダート両方あるが、芝が多くてダートはそんなに出てねえな」
「ふむ、前情報とそんなに変わりはないか」
子鹿のように震えていたウマ娘の言葉を疑うわけではないものの、裏付けが取れたことに一つ胸を撫で下ろす。
「ナカヤマさんから見て、そのウマ娘はどのように感じましたか?」
「一言で言えば、チートだな」
「チート……強過ぎるということですか?」
「いや、違う」
次のキャンディを口に含む。ポケットに入れた棒には噛み跡が残っていた。
「実力が安定しねえんだ。そのレースを走る奴で、一番速い奴より少しだけ前に居る。そんな奴が安定して無敗だなんて、おかしいと思わねえか?」
「では、君は八百長ないし取引の結果だと」
「それは有り得ねえな」
有り得ない、と再び言った。
「この連勝記録は、ステイズコール自身にすら旨味が無い。だからチートだって言ったんだ。勝手に一位になっちまうチートコードを入れられちまったのさ」
ナカヤマフェスタに言わせれば、ステイズコールの連勝は彼女自身の望むものではないという。八百長にも応じず、害をなす者は返り討ちにしておきながら、連勝は望まない。
「なるほどなるほど」
「で、アンタ達の目的はなんだ? 私が答えたんだから、そっちも答えるべきだろ」
「うーん……そのチートコードを調べに来た、って感じかな。もしそんなものがあるとして、トレセン学園の生徒が持ったら大変だからね」
「だから探偵ごっこみたいな格好してるのか」
「そこは……気にしないでください……」
恥ずかしがって鹿撃ち帽を深く被り直す。
「ま、アンタ達が種明かししてくれるってんなら、止める理由は無いさ。面白いもん見せてくれよ」
長々と話していればレース場のすぐ目の前だった。ナカヤマフェスタに押されるように、二人は無敗王者の城へと足を踏み込んだ。