マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う   作:郡山 氷里

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写り込む欲-弐

 カフェは暇を持て余していた。彼女のトレーナーは情報収集の為にトレセン学園に居ない。時計を見るといつものコーヒーブレイクの時間だが、トレーナー室に居るのも落ち着かなかった。

 

「前は……一人でも、大丈夫だったのに……」

 

 トレーナーに出会う前は、彼女と同じ時間を過ごす相手など家族くらいしか居なかった。腐れ縁のアグネスタキオンや同室のユキノビジンでさえも、どちらかと言えば友人。その程度の認識だった。親元を離れ、一人この学園にやってきたカフェにとって()()()()以外は須らく路傍の石だった。

 

 それを変えてしまったのがトレーナーだ。彼が自覚しているよりもずっと、カフェにとって彼の存在は大きなものになっていた。ちょっとした写真に嫉妬してしまったり、一人の時間を苦痛に感じてしまうようになった。

 

 気分を紛らわせようとカフェは外に出る。日暮れ前の太陽が彼女の白い肌を刺した。グラウンドでは今日が練習日のウマ娘達が必死に腕を振っている。ゴール板を走り抜けると、タイムを測っていた恐らくトレーナーだろう女性と話して、喜びで飛び跳ねていた。きっと自己ベストが出たのだろう。普通のやり取りを、カフェは少しだけ羨ましいと感じた。

 

 カフェと彼の関係は、唯のトレーナーと担当とは言い難い。いや、最初の三年間はお互いすれ違ったりしつつも真っ当にトゥインクルレースを勝とうとがむしゃらになっていた。URAファイナルズを優勝で締めくくり、一度ゆっくりしようとなった時、彼女たちはレースを走るパートナーから少しだけ変容した。

 

 

 トレーナーはカフェを()()()()()とはしていないし、カフェも形振り構わず勝とうとはもう思っていない。勿論、レースに出走するならば全力を尽くすし、冷たい闘争心が失われた訳でもない。それでも、張り詰めた糸が切れたという感触があった。

 

 二人が離れることは想像がつかない。しかし、トレーナーと担当ウマ娘という関係性はもう薄い。新たな繋がりに名前をつけられないまま、カフェはここまで歩いてきた。

 

「そんなところも……嫌いではない……ですけど」

 

 ふわふわとした雲を掴むような関係性。心地良さはある。毎日コーヒーを片手に語らい、言葉にせずとも互いの気持ちが伝わる。かけがえの無い存在になっていた。

 

 三女神の像が見えてきた。ぼんやり歩いているうちにこんなところまで来てしまったのか。そろそろトレーナー室に戻ろうかと踵を返したカフェは、向かってくるウマ娘と目があった。

 

 くすんだ芦毛。特徴的な黒いメンコ付きカチューシャ。世間一般の流行に疎いカフェでも知っている。

 

「こんにちは!」

 

 カフェが振り返ったのに気が付いて、カレンチャンは愛らしい仕草で挨拶する。いつ如何なる時でもカワイイを忘れないプロフェッショナルだ。

 

「ええ、どうも……」

 

 依頼を受けている手前、本人から情報が得られるならそれに越したことはない。わざわざ相手から話しかけてくれているのだから、チャンスだった。

 

「カレンさん、でしたよね」

「はい。カレンチャンでーす! マンハッタンカフェさんに覚えてもらえてるなんてカレン嬉しいです!」

「私のことを……ご存知で……?」

「はーい、ユキノちゃんからお話をよく聞いてまーす」

 

 そういえば、ユキノビジンは彼女と一緒にいる事があるとカフェは思い出す。カフェがカレンチャンのことを知っていたのも、ユキノから聞いたからだ。友人の友人という距離感の難しい間柄である。

 

「コーヒーがとっても美味しいって、ユキノちゃんが楽しそうに教えてくれました」

「ユキノさんは……とても幸せそうに飲んでくれるので……」

「今度、カレンも飲んでみたいなあ」

 

 話の持って行き方が上手い。カフェは自分の次の言葉が自然と誘導されていることに気がついた。それでも悪い気はしない。自分の趣味に興味を持ってもらえるのは嬉しいことだし、トレーナーの居ない自分が暇を持て余していることに変わりはないのだから。

 

「それなら……もし良ければお淹れしますが」

「えぇ! いいんですか?」

「はい。今日は……トレーニングも無いので」

「それじゃあ、お言葉に甘えちゃいまーす」

 

 そして、カレンチャンを連れてカフェが戻ろうとした時だった。カフェの全身に寒気が走る。怪異が姿を現す時の悍ましい感覚。吸い寄せられるように見上げた先には、夕日に照らされて光る何かが。それは自由落下の加速度を伴ってこちらに向かってくる。

 

「……危ない!」

 

 咄嗟にカレンチャンの腕を掴んで引き寄せる。落下物は直前までカレンチャンが居た場所を通り抜けて地面へと突き刺さった。鈍い音と、舞う土埃。直撃すれば怪我では済まなかったかもしれない。

 

「これは……蹄鉄?」

「あ、ありがとうございます」

 

 流石のカレンチャンも顔がひきつっていた。腰を抜かしたり、悲鳴を挙げなかったのは彼女のメンタルが為せる技だろう。カフェは埋まった蹄鉄を拾い上げる。何の変哲もないただの蹄鉄だ。ただの蹄鉄が、大空から落ちてくることなど普通ではありえない。たとえ誰かの作為だったとしても、どうやってあの高さまで蹄鉄を放り上げられるだろう。よしんば、カワカミプリンセスのような剛力のウマ娘が投げたとしても。或いは屋上から風に流して落としたとしても。どうやってピンポイントにカレンチャンを狙えるだろうか。

 

 有り得ないとどれだけ否定要素を重ねようと、起こったことは事実だ。その結果から導かれるのは、ここに残っているのは危険だということ。

 

「カレンさん。私達のトレーナー室に行きましょう。そこなら安全です」

「びっくりしたけど、大丈夫ですよ? こんなこと何度も無いと思いますし」

「いえ……また起きます。このままでは、確実に」

 

 カフェの目を見て、カレンチャンは言葉を詰まらせる。彼女にだって、思うところがある筈なのだ。カレンチャンのトレーナーや、アドマイヤベガが気がついていることに、聡い本人が気がついていないはずがない。

 

「……それじゃ、お邪魔しますね」

 

 今度こそカレンチャンを連れてトレーナー室へと向かう。カフェ達のトレーナー室は、親しい人でなければ見つけるのも困難な()()()の場所だ。怪異と言えど簡単には近づけない。

 いつもはトレーナーが座っている椅子にカレンチャンを座らせて、カフェはお湯を沸かす。その間にスマートフォンの通話ボタンを押した。

 

「もしもし、何かあった?」

 

 ツーコールでトレーナーが出る。

 

「トレーナーさん。先程、カレンさんに出会ったのですが」

「うん」

「私の目の前でカレンさんが怪異による被害を受けました。幸い怪我はありませんが」

「……うん」

 

 電話の向こうで彼が息を呑む音が聞こえる。直接的な被害に発展するにはもう少し時間がかかると思っていたのだろう。取り乱すことはなく、冷静に話の続きを促す。

 

「現在はトレーナー室に来てもらっています。パニックにはなっていないようですが」

「分かった、すぐに戻るよ。出来れば目を離さないようにしていて」

「分かりました。お湯が湧いたので……そろそろ失礼しますね」

 

 通話終了のボタンを押す。今日あるのはキリマンジャロのブレンド豆。純正ではないがそれなりに値の張った豆だ。ミルに流し混んでハンドルを回す。ゴリ、ゴリと硬い豆が挽かれていく音がトレーナー室に響く。サーバーにコーヒーペーパーをセットして、挽いた豆を注ぐ。少量のお湯で蒸らすとコーヒーの匂いが一気に室内へ広まった。少しずつ、溢れ出さないようゆっくりと残りのお湯を注いでいく。やがて二杯分のコーヒーがサーバーに貯まると、カフェは来客用のソーサーとカップを戸棚から取り出した。

 

「お待たせしました」

 

 とぽ、とサーバーからカップに、抽出されたコーヒーを注ぐ。

 

「すごい、良い匂い」

「シュガーとシロップ、ミルクはこちらにありますので好みに合わせてお使いください」

 

 カレンチャンはブラックのままカップに口をつけた。

 

「わあ、とても美味しいです」

「お口にあったようで……何よりです」

 

 カフェはいつもの席に座り、自身もブラックのままコーヒーを飲む。後数十分もすればトレーナーも戻ってくるだろう。それまでの間、彼女が聞き出せることは聞いておきたい。

 

「カレンさん……あの蹄鉄に、思い当たりはありますか?」

「思い当たりと言われても、ただの事故ですよ?」

「……そうではないことは、あなたが一番よく知っているのでは」

 

 カレンは黙ってしまう。聞いていた通り、彼女は他人を頼ろうとしない癖があるようだ。それは求道者じみたカワイイへの信仰と、心配をかけたくないという優しさから来ているのだろう。それは簡単に崩壊することをカフェは知っている。

 

「……カレンさんのトレーナーから、ご相談を受けました」

「お兄ちゃんから、ですか?」

 

 彼女はトレーナーのように口が回る方ではない。回りくどい言葉でそれとなく引き出すことは出来ない。

 

「はい。あなたが怪異に悩まされているようだから解決してほしいと。あなたはきっと、自分からは相談できないから、頼んだと」

「そんなこと、言ってたんですね」

 

 実際にそう言っていたのはカレンチャンのトレーナーではなくアドマイヤベガなのだが、おそらく両者とも気持ちは同じだろう。

 

「……自分で解決しようという心意気は素晴らしいものです。だけど、だからこそ私達にも手伝わせてくれませんか?」

「…………」

 

 カレンチャンの目を見た。不安と、怯え。それと僅かな失望。カフェは確信する。カレンチャンは原因を知っていると。そして、その答えが彼女にとって望ましくないものであると。

 

「お願いします……」

「……カレン、カワイイを皆に伝えるために、参考にした人が居たんです」

 

 ぽつり、カレンチャンは話し始める。

 

「その人のウマスタを見てメイクとかファッションとか勉強したり。このウマ娘用のカチューシャも、その人がしていたのがカワイイって思って自分もするようになったんです」

 

 カレンチャンの原点とも言えるウマ娘。それが、怪異の正体なのだろうか。

 

「でも、最近その人が活動休止しちゃって。パニック障害らしいんですけど。ちょうど、その頃から怪異が出るようになって。お兄ちゃんが話したってことはたぶん心霊写真の件ですよね」

「……ええ」

「あの写真に写ってた女の人。それがその人に見えたんです。でも、気の所為で思い込みじゃないかって。カフェさん、さっきの蹄鉄を見せてくれませんか」

 

 言われるがままにカフェは拾った蹄鉄をカレンチャンに手渡す。軽さが売りのアルミ合金製の蹄鉄。

 

「このメーカーのこの型番。その人が使ってる蹄鉄なんです。知りたくていっぱい調べたから間違いありません」

「その方が、あなたを襲っていると」

「でも、どうしてなのか理由が分からなくて。同じジャンルではありますけど、直接話したことはなくて」

「それは、分かりません。でも」

 

 トレーナー室のドアがノックされる。カレンチャンは肩を跳ねさせるが、カフェは誰が来たのか分かっていた。

 

「後は私のトレーナーが、解決してくれますから」

「カレン、大丈夫か!?」

 

 カフェのトレーナーを押し出すようにしてカレンチャンのトレーナーが飛び込んでくる。血相を変えて駆け寄り、カレンチャンに怪我がないことを確認するとふうと息を吐く。

 

「良かった。カレンに何かあったらどうしようかと」

「えっと、心配かけてごめんねお兄ちゃん」

 

 カレンチャンの表情が和らぐ。メンタルケアに関しては、本職のトレーナーに任せておけば問題ないだろう。カフェは視線を動かして、押し出されて脇腹を押さえているトレーナーに話しかける。

 

「大丈夫ですか?」

「いてて……大丈夫大丈夫。カフェ、何か新しく分かったことはある?」

「はい……順に説明しますから、後はお願いしますね」

「最善を尽くすよ」

 

 任せておけとは言わない。その言葉がカフェにとっては頼もしかった。

 

 

 ウマスタ界隈はざわついていた。大人気ウマスタグラマーCurrenが唐突にアップした文章。それは、彼女が尊敬しているというあるウマ娘について書かれていた。

 

『私のウマスタは活動は、この人のお陰で始まったと言っても過言ではありません』

 

 初期のCurrenがそのウマ娘の活動を参考にしていること。フォロワーが増えずに挫けそうになったときもその人の投稿を見て自身を奮い立たせたこと。いつかコラボしたいと思いながら、なかなか緊張で言い出せなかったこと。普段のCurrenとは違う丁寧な文面で綴られる。

 

『今、彼女は病気で休んでいます。これだけお世話になっているのに、私にできることは多くありません。ただ病気が早く快方に向かってほしいと願うだけです』

 

 そして、その文はこんな一文で締めくくられていた。

 

『いつか、願いが叶うのなら。先生とも言える彼女と、ファッションやコスメについて直接お話したいです』

 

 そのウマ娘はCurrenよりフォロワーも少ない、知る人ぞ知るアカウントだった。それがCurrenの言葉で一夜にして有名ウマスタグラマーへと名乗りを上げた。それが良きにしろ悪しきにしろ、Currenを推す人たちにとっては大事件だったのである。

 

「これで良かったんですか?」

 

 そんな騒ぎとは関係なく、今日もカフェとトレーナーはコーヒーを飲む。

 

「実際、カレンチャン周りの怪異は落ち着いたんだろう?」

「ええ……まだ数日ですが、怪異は起きていないそうです。しかし、どうして」

「まあ、こういう言い方は良くないけどね。人は自分より上の相手を妬むし、上の相手に慕われれば優越感を覚えるものさ」

 

 おそらく、今回の元凶はそのウマ娘の生霊。人やウマ娘は強い感情を抱えた時、無意識に生霊となることがある。嫉妬、怒り、否定、嫌悪。生霊は心の奥に封じ込めていた感情を発露する。

 

 カレンチャンよりも先輩でありながら、似たようなスタイルにフォロワーを追い抜かれ、流行の端に追いやられた。本人がどれだけ自覚しているかは分からないが、一切妬むなというのは無理がある。その嫉妬の感情が、パニック障害によって制御できなくなり、生霊として怪異と成した。それが今回の顛末だった。

 

「だったら、嫉妬の対象に見上げてもらえば良い。カレンチャン自身も尊敬しているのなら、それを表に出すだけで自己顕示欲は満たされる」

「それだけでどうにかなるとは思いませんけれど」

「最初の手が想像以上に効果を発揮しただけさ。俺も、これだけで全部が解決するとは思っていなかった」

 

 もっと荒っぽい手段を取ることも有り得た、と彼は言う。

 

「俺が思ってるほど、人は醜くなかったってだけさ」

「そういうものですか」

「そういうものだよ。ま、それはそれとして」

 

 コンコン、とトレーナー室のドアが控えめにノックされる。

 

「お客さんだよ、カフェ」

「こんにちはー! カフェさん。今回はありがとうございました」

「カレンさん……お元気なようで、良かったです」

「はい。それでお礼なんですけど」

「お礼?」

 

 カフェが首を傾げる。

 

「最近駅前に出来たお店に一緒に行きませんか? コーヒーとスコーンが美味しいって人気なんです」

「え、えぇと」

「雰囲気も良くて、カフェさんもきっと気に入ると思うんです」

 

 カフェは困ったようにトレーナーを見る。

 

「行っておいで。トレーニングの予定は組み直しておくから」

「……では、お言葉に甘えて」

「うん、楽しんでおいで」

 

 カレンチャンに腕を引かれていくカフェを見送って、トレーナーは残りのコーヒーを飲み干した。




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カレンチャンの台詞回し難しかった
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