マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う   作:郡山 氷里

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これまでよりちょっとだけ前の話。アプリではカフェとタキオンが同じ部屋を使っているので


寄る辺なき標-壱

 これはまだマンハッタンカフェとアグネスタキオンが同じ空き教室を使っていた頃の話である。

 

「トレーナー棟に謎の空き部屋?」

 

 広い筈の空き教室は半分以上が実験器具によって占拠されている。コーヒーと紅茶、それも薬品の匂いが混ざり合って気が狂いそうな室内で、簡易キッチンを分担する二人が話している。片方は大樹のように背が高く、枯木のように線が細いマンハッタンカフェのトレーナー。もう片方は鼠のように小さいアグネスタキオンのトレーナー。

 

「そ、タキオンが前に調べてたんだけど。トレーナー棟には誰も使ってない部屋が一つあるんだって」

「聞いたことないけどなあ。ただでさえ個室取り合ってるのに、遊ばせておく余裕は無いと思うけど」

 

 湯煎で溶かしたチョコレートを型に流し込みながら彼が言う。多くのトレーナーにとって個別のトレーナー室を持つのは大きな夢だ。一定以上の人数をまとめるチームトレーナーか、重賞勝利などの大きな功績を残したウマ娘のトレーナーでなければトレーナー棟に自分の城を構えることはできない。現状では部屋が足りず、第二トレーナー棟が建設中だ。仮に空き部屋があったとしても一瞬で埋まってしまうだろう。

 

「それがねえ、理事長さんに聞くと面白い答えが返って来たのよ。聞きたい?」

「もったいぶらないで教えてくれよネズミちゃん」

「仕方ないなあ幽霊さん」

 

 ネズミは炒め物の火を止めた。担当であるタキオンの夕食だろうもやし炒めを皿に移す。

 

「辿り着けないんだって」

「ほう?」

「その部屋は一階の一番隅にあるんだけど、地図を頼りに向かおうとしても通り過ぎちゃうんだって」

「そりゃまた奇っ怪な」

「うちのタキオンも嬉々として調査したみたいだけど、結果よく分からずって感じみたい」

「そう、調査しようにも到着できないのだから仕方が無いねえ」

 

 がらがらと引き戸を開けて入ってきたのは超光速のプリンセス、アグネスタキオンだ。制服に乱雑に白衣を羽織って、部屋の主と言わんばかりにキッチンまで向かってくる。

 

「さてモルモットくん。私がここに来たということは即ちお腹を空かせているということだが、もちろん用意は出来ているんだろうね」

「はいはいちょうど出来たてだよー」

 

 そう言って皿と箸を渡す様子は、主人に料理を作る主婦というよりは、子供を育てる母親のようだ。彼はそんな感想を抱いたが言葉にはしないでおいた。口を滑らせればネズミの頭が鳩尾に突き刺さることを知っている。

 

「どういう原理で人を跳ね除けているのか、実に興味深いのだがねえ」

「こーらタキオン。食べるか喋るかどっちかにしなさい」

 

 ネズミに怒られて口に含んだもやし炒めを飲み込む。

 

「何しろ、あのカフェですら入れなかった」

「カフェが? そりゃ珍しい」

 

 彼は心底驚いた。トレセン学園に棲む怪異にとって、マンハッタンカフェはどうやら最上位に位置するらしい。人を襲う低俗な怪異ですらもカフェには、もしくは彼女と共に居る()()()()には抵抗できない。

 

 型どったチョコレートにラップを掛けて冷蔵庫にしまう。カフェからは何も聞いていないが興味深い。趣味のお菓子作りを早々に切り上げてタキオンから詳しい話を聞こうとする。

 

「カフェ曰く、何かを守っているそうだ。だから誰も入れようとしない。果てさて、何が残されているのか興味深い」

「そのカフェは今どこに? てっきり君と一緒に戻ってくるものだと思っていたけど」

「彼女なら調べたいことがあると言って何処かに行ってしまったよ。私もついていこうとしたんだがね、撒かれてしまった」

 

 タキオンは残念そうに首を振る。

 

「この際君経由でも構わない。何か分かったなら教えてくれたまえ」

「まあそれはある程度構わないんだけど一つ聞いていいかな?」

「なんだい?」

「なんでそんな部屋を調べようと思ったんだい?」

 

 やれやれ、と呆れた。

 

「そんなもの、ここが手狭になってきたからに決まってるだろう」

「あー……」

 

 この教室は元々カフェが生徒会の許可を得てコーヒーを淹れる為に拵えた部屋である。それがタキオンの暴走によりお目付け役代わりに共用するようになった。一人から二人、そしてそれぞれのトレーナーが増えて四人。ひとクラスの人数は入る部屋でも、研究機材や簡易キッチンが場所を取り狭さを感じるようにはなっていた。

 

「頻度の低い機材なんかを保管する倉庫代わりに出来ないかと思ったんだけれどねえ」

「理事長が許すかなあ……」

 

 二組共用のトレーナー室といえば、あの理事長相手なら通る気もするがさておき。彼は大きく伸びをすると、エプロンを置く。

 

「じゃ、ちょっとカフェの所に行ってくるよ」

「場所が分かるのかい?」

「予想はね。悪いけど連れて行くつもりはないよ。カフェも望んでいないってことだから」

「えー! 全く君たちは秘密主義が過ぎるねえ」

「まあね。結果報告くらいはさせてもらうさ」

 

 ひらひらを手を振って、彼は教室のドアをくぐり抜けていった。

 

 

 トレセン学園における情報通とは誰か。その質問には幾つか答えが出るだろう。一度会えば忘れないと言われ、生徒会長として情報網も広いシンボリルドルフ。寮長として生徒たちの生活に深く関わっているフジキセキやヒシアマゾン。或いはデータ収集に長けた何人かのトレーナーをあげる声も出るかもしれない。その中で、最も情報通として信頼している相手のところにカフェは居る。そしてそれはトレーナーが想像している相手と同じだろう。

 

 トレーナー室の扉をノックする。

 

「もしもし、カフェがこちらに来てないかな」

 

 しばらく後にドアが開く。顔を覗かせたのは、何処か犬っぽさを漂わせる青年だった。背はそれなりにありそうだが、カフェのトレーナーと比べると流石に見劣りする。

 

「幽霊さんすか。カフェさんならシャカールと話してますけど」

「トレーナーさん。どうかしましたか?」

 

 青年の肩越しに、ノートパソコンのモニターと向かい合っているカフェとエアシャカールが見えた。

 

「いや、タキオンから話を聞いてね。それならカフェはここに居るだろうと」

「ああ……トレーナーさんも気になりますか?」

「まあね。お邪魔してもいいかな?」

 

 彼が尋ねるとシャカールは鬼の形相で舌打ちをした。どうにも彼女は幽霊と呼ばれるカフェのトレーナーを嫌っているようで、彼を見ると露骨に機嫌が悪くなる。嫌われている理由は彼も概ね理解しているのだが、改善の兆しはない。彼の問題でも有り、彼に解決するつもりが無いのだから仕方のないことである。

 

「チッ、んじゃ一から説明し直すぞ」

「よろしく頼むよ」

 

 シャカールのトレーナーが用意してくれた椅子に座り、カフェの横からモニターの画面を覗き込む。シャカールがファイルをクリックすると古い写真が出てきた。画質の荒い、使い捨てカメラで現像されたものをさらに直撮りした写真。褪せた本棚と机が写っているそれが、件の部屋であることは彼にも分かった。

 

「トレーナー棟127号室が最後に使用されていたのは五十年前。この写真はその時の内装を写したものである可能性が高い。そっから今日まで使われてないってんだから、まあ今もそんな変わりやしねえだろうな」

「その最後の使用者は?」

「……ルーデンエコーってウマ娘だ。当時は今ほどトレセン学園の規模も大きくなかったからな。トレーナーが無名でも個室が貰えたらしい。残ってんのは名前くらいで記録は殆ど残っちゃいねえ。少なくとも、当時の重賞相当のレースには名前が載っちゃいなかった」

 

 五十年も昔では、そのウマ娘の足跡を辿るのも容易では無いだろう。ベテランのトレーナーや教師でも五十年選手は一人居るかどうかだ。ベテランということは若くして成果を上げていたエリートでもあるだろうし、当人に直接繋がる情報を持っている可能性も低い。前理事長に尋ねて何かが分かるなら、今の理事長かたづなのどちらかが既に行っているはずだ。

 

「だいたい、開かずの部屋だってのはずっと前から分かってんだ。アンタが一日二日の猿知恵で思いつくことはやり尽くされてるさ」

「はは、これは手厳しい」

 

 棘のある言葉にも彼は笑って返す。それがシャカールの神経を逆撫ですることも知っている。

 

 シャカールは無視してファイルの続きをスクロールしていく。127号室に入る試みを記録した資料のようだ。曰く、普通に歩いて向かうと、いつの間にか通り過ぎて次の128号室に着いてしまう。目を瞑って歩いても同じ結果だった。外から窓を通じて入る試みは、窓を壊すことも開けることも出来ず失敗。227号室から穴を開ける案も出たそうだが、安全性など諸々の都合でボツになったようだ。

 

「結局、非科学的ではあるが実害は無いってんで放置されてんのが現状だ。むしろアンタらが今更首突っ込む方がヘンだね」

「まあ、俺はカフェについてきただけだから。カフェは何か気になるところがあったんだろう?」

「はい……」

 

 彼の言葉にカフェは頷く。

 

「あの部屋にいる子は……寂しそうな感じがしました」

「ふむ」

「きっと、守り続ける理由があるのでしょう……でも、それを続けても悲しみは募るだけ。もういいよ、って……誰かが言ってあげる必要があると思うんです」

「フン」

 

 シャカールは鼻を鳴らす。

 

「ロジカルじゃねえ。お望みの情報はくれてやったんだ。さっさと出て行きな」

「シャカールさん、ありがとうございました」

「俺からも礼を言うよ。忠犬くんにクッキーを渡しておいたから後で一緒に食べると良い」

「さっさと出てけ」

 

 追い出されるようにカフェとトレーナーの二人はシャカール達のトレーナー室を後にする。自分たちの部屋に戻るでもなく、足は自然とトレーナー棟に向かう。

 

「いやー、嫌われてるねえ」

 

 苦笑を浮かべると、カフェはきょとんとした顔でトレーナーの顔を見る。

 

「むしろ……逆だと思っていましたが」

「実は好かれているってこと?」

 

 おどけて言うと、カフェからの目線が厳しくなる。誤魔化すなと言わんばかりの視線にトレーナーも観念して肩をすくめる。

 

「嫌いではないよ。反りが合わないってやつさ」

 

 シャカールが彼を嫌っているのと同じくらい、或いはそれ以上に彼もエアシャカールというウマ娘を苦手としている。彼女のトレーナーは仲の良い後輩なのだが、彼一人ではあのコンビと関わろうとは思わない。彼女のようにわざとらしく表に出したりはしないが、カフェにはお見通しらしい。

 

「私からすれば、お互い仲が悪いのは不思議に見えますが」

「本人達にしか分からないものがある、といえば聞こえは良いけどね」

 

 カフェが相手だろうと、この感情を言葉にするつもりはない。口に出せば、それは呪いに変わる。いつか破綻するその時まで、胸の奥にしまっておく。

 

「それよりも、例の部屋に行く算段はついたのかい?」

 

 話題を無理に打ち切って本題に進む。タキオンは、カフェでも立ち入れなかったと言っていた。シャカールから得た情報で、何か

 

「……そうですね。試してみたいことはあるのですが。それよりも、あの場に何が残っているのか。そちらの方が気になります」

「あの部屋が生まれた原因ってことかい?」

「ええ……良きものなのか悪しきものなのか。封印だった、ということも考えられますから」

「なるほどなあ」

 

 トレーナー棟の入り口が見えてくる。引き返すのであればここが最終ラインだ。カフェは立ち止まり、トレーナーを見る。最後の引き金を頼むように。カフェなりの、彼への甘え方の一つ。

 

「カフェのやりたいようにやってみると良い。俺はそれを信じるよ」

「ありがとう……ございます」

 

 夕闇の中、その言葉を聞いてカフェは薄く笑った。




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