マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う   作:郡山 氷里

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寄る辺なき標-弐

 トレーナー棟の入り口は左手に101号室、右手に156号室がある。廊下を一周できる作りになっており、ちょうどここから対角線上に開かずの部屋、127号室がある筈だ。カフェは左手側から真っ直ぐ歩く。トレーナーが待っていると、しばらくしてカフェは右手側から歩いてきた。

 

「やはり駄目ですね」

「俺が試してみようか?」

「ええ、右手側からお願いできますか?」

 

 実際どういう仕組みになっているのか。彼は右手に部屋の番号を確認しながら歩いていく。途中で教員棟や教室棟に繋がる渡り廊下もあるせいで、一本道とは言えない。130号室、129号室、128号室、126号室と数えたところで足を止めた。

 

「飛んだな」

 

 一度戻る。128号室。どれだけ気を付けて行き来しても、127号室の前で立ち止まれない。空間がねじ曲がっているのか、それとも意識を逸らしてしまう呪いでもあるのか。

 

「まあ前者だろうな」

 

 彼はあっさりとそう結論付ける。後者であれば解決手段はいくらでも思い付く。巻き尺を頼りにメートル単位で動いても良い。二人で両側から歩けば、ややこしい手順を取らなくても辿り着ける。127号室前の空間だけが抜き取られて、ワープするような形になっているのだろう。どうやっても、どこからどこまでも、考える意味はない。正確な数字を求めたがるタキオンやシャカールは嫌うだろうが、怪異にとってファジーな部分はそれほど重要にはならない。

 

 トレーナーはポケットから巻き尺を取り出すと乱雑に放り投げる。一部分で断たれることはなく、見た目には真っ直ぐ転がっていった。つまり、なんらかの要素で人だけをワープさせる空間になっているということだ。

 

「で、あるならば。答えそのものは簡単だ。センサーをすり抜けてやれば良い」

 

 言うは易し行うは難し。どうやって怪異の目を潜り抜けて入ろうというのか。少なくともトレーナーにそんな異能力は無いし、ウマ娘でも不可能だろう。ドローンを使えば開けることは出来るかもしれないが、マスターキーを器用に鍵穴に嵌め込むような真似が出来るドローンなど所有していないし操作もできない。或いはゴールドシップならば持っている可能性もあるが、彼女に頼むのは自殺行為と同じだ。暴れウマ娘を制御する方法など彼は持っていない。

 

「やっぱりカフェに任せるしかないか」

 

 カフェは試してみたいことがあると言った。彼女には既に突破する手段が一つ思いついてる。下手な考え休むに似たりと、彼はそのままぐるりと回って戻ってきた。元の場所ではカフェがそのままの姿勢で待っている。

 

「どうでしたか?」

「試してみたけど俺には無理そうだ」

「やはり……そうですか。では、私一人で行ってみます」

「大丈夫かい?」

「ええ……一人でないと、出来ないので」

 

 カフェは目を瞑る。左手を前に出し、ゆらりと歩き出した。ふらふらと、体を前に倒して、まるで誰かに手を引っ張られているかのようだ。不自然で不可解な動きの意味を彼はすぐに理解する。

 

 右へ左へ、体の軸はブレながら。壁にぶつかることもなく進んでいく。怪異によるエスコート。彼女の手を引く目に見えない存在は、おそらく部屋を隠している黒幕にも気付かれることはないだろう。それを隠れ蓑にしてカフェは入り込もうとしているのだ。

 

「確かに、俺には出来ない奴だ」

 

 怪異の上に立つカフェだから出来る解法。しかし、成功率は半分も無い。怪異がカフェを引き入れてくれるのか。本当に目くらましになるのか。論理的な証拠は何処にもない。遠くなっていく彼女の背中を見つめていると、カフェの姿がふっと消える。彼は複雑な気持ちをまとめる為に角砂糖を齧った。

 

 怪異の足が止まり、カフェは目を開ける。変わらぬ廊下、違いのないドア。プレートには127号室と書かれている。

 

「……お邪魔、します」

 

 四度ノックして、彼女は理事長から借りた鍵を挿した。ガチャリと音を立てて錠が開く。ドアノブを捻ると、歪んだ扉のせいで引っ掛かりがあった。

 

「……これは」

 

 中に入ったカフェは息を呑む。真っ暗闇で先の見えない廊下が続いていた。スマホのライトを点けると、明らかに本来の部屋よりも広い。

 

「…………」

 

 カフェは歩き始める。この先にあるのは、この部屋の主が誰にも見られたくないもの。だが、この怪異がカフェを害するつもりが無いことは分かっていた。赤点のテストを隠す子供のような、拾ったきれいな石を持ち帰る子供のような柔らかさがこの場所にはある。

 

 怪異とカフェの根比べ。悠久とも言える時間が過ぎ去った後、先に折れたのは怪異だった。廊下の先に、一度通ったはずの127号室の扉が見える。カフェは迷うことなく扉を開けた。

 

「……ああ、なるほど」

 

 使いかけのノート。開かれたアルバム。みずみずしい生花。埃被ってもいない、五十年前の姿そのままに残っている。

 

 転がっていた鉛筆を持ち上げた。ほんの少しの重みと黒鉛の匂い。わざとらしいくらいの現実味にカフェは視線を落とす。

 

「そういうこと……なんですね」

 

 彼女が鉛筆を強く握ると、粉になって消えてしまう。机の上を指でなぞると無い筈の埃がついた。これは現実ではない。限りなく現実に近い夢。整理され、がらんどうになってしまった部屋を埋める為の記憶の構成物。

 

「あなたが守っていたのは、思い出だったんですね」

 

 ルーデンエコーというウマ娘とそのトレーナー。けして華々しい活躍では無かっただろう。だけど三年間、或いはそれ以上の間この部屋と共に走ってきた。インテリアを飾って、花を生けて。時には喧嘩もしただろう。そして仲直りもしただろう。長い長い青春の記憶が怪異の正体だった。部屋そのものが思い出を失いたくないと反抗した結果だった。

 

「だから……あんなに泣きそうだったんですね」

 

 どうしてこの部屋だけがエゴを発現するに至ったのかは分からない。だが、この部屋の主は二人が戻ってくるのを待ち続けている。もう二度と戻ってこないことも分かっている筈なのに。寂しさを誤魔化して、思い出を上書きされないように。

 

「終わりは……確かに怖いものです。私も、何度トレーナーさんを失ってしまうと恐れたでしょう」

 

 カフェは語り掛ける。打算は無い。気持ちは痛い程よく分かるから、言わずにはいられない。

 

「立ち止まることは悪いことじゃありません。でも、再び歩み出さないことは、きっと誰にとっても良くないことです」

 

 いつかトレセン学園から離れる時が来る。いつかタキオンやユキノとも会わなくなる時が来る。いつかトレーナーに二度と会えなくなる時が来る。物語はそこで終わっても、命はそこでは終わらない。

 

「生きている限り、次は必ずやってくる。生まれてしまった以上、死ぬまでもがき続けないといけない」

 

 命を持たない怪異でも、それは変わらない。

 

「寂しさを誤魔化すには、過去に縋るのではなく、未来に甘える方が良い」

 

 本棚が、生花が、ノートが。思い出が崩れていく。

 

「もし良ければ、私と新しい思い出を作りませんか」

 

 古びたトレーナー室は消え、残ったのは全てが取り払われたまっさらな部屋だけだった。

 

 

「お、重い」

「トレーナーさん、無茶はしないでくださいね」

「うーん、流石に調理器具くらいは自分で動かせると思ってたんだけど」

 

 こぶりな鍋を抱えてトレーナーが息を吐く。カフェの持ち込んだコーヒー器具やトレーナーの調理器具。コーヒーブレイク用の机と椅子。古びた部屋は生まれ変わっていた。

 

「それにしても、カフェがあんなに強く主張するなんて珍しいね」

 

 127号室から戻ってきたカフェは、理事長のところまで行って自分達に使わせてほしいと直談判した。元々誰も使えていない部屋だったし、タキオンとの共同室があるとはいえトレーナー室を持たないG1ウマ娘だったということで、許可はあっさりと降りた。元々荷物置き場として狙っていたタキオンはカフェが離れることにぶつくさと文句を言っていたが、ネズミが上手いこと宥めたようだ。

 

 そうして無事に移転が決まり、現在は引っ越し作業中となっている。

 

「寂しさが怖いのは、よく分かっていますから」

 

 カフェ達がこの部屋を使わなければならない理由は無い。次に来る誰かに思い出を繋ぐ役割を任せても良かった。それでもカフェが自分から誘い、選んだのは孤独の怖さを知っているからだ。

 

 かつて、カフェの隣にはいつだって()()()()が居た。彼女が孤独であることはなかった。それが変わったのはあの凱旋門賞を諦めた時だ。常に側に居たお友だちを感じることが出来なくなった。今でこそ、べったりと張り付いていたものが適切な距離感に戻っただけだと分かるが、当時の彼女は一分でも気配が消えると不安で仕方がなかった。

 

 そして、初めて本当の意味でトレーナーを見た。それ以前からカフェにとってトレーナーは特別な存在だと思っていた。だけど、それはお友だちを除いた場合の話で、いわば無数の石ころの中にお気に入りがある程度だった。初めて、彼は彼女の孤独を癒してくれる存在になっていた。

 

「そうだ……トレーナーさん、写真を撮りませんか?」

 

 ふとした思い付きに、トレーナーは首を傾げる。カフェは写真が余り好きではない。彼女が写真に写ると、異なるものも写ってしまうか、まともに写らない。

 

「珍しい風の吹きまわしだね」

「ええ……アルバムを、作ろうと思いまして」

「アルバムか。俺はアルバムを見返したことはないけど、やっぱり欲しいものなのかな」

「いえ、私達の……ではなくて。この部屋を、いつか継いでいく人達のアルバムです」

 

 カフェだって、いつまでもこの部屋に居ることはない。いつかは旅立つ時が来る。その時、この部屋が次の思い出に踏み出せるようにアルバムを作りたい。このコンビの時はこうだった、このチームはああだったと懐かしむことが出来るような。そして、次のページが埋まっていくことを楽しみにできるようなアルバム。

 

「それは作るのが大変そうだ」

 

 彼は柔らかな微笑みを浮かべる。

 

「俺とカフェだけでも一冊は終わってしまう。何代も続いたらどれだけ分厚いアルバムになるんだろう」

「良いじゃないですか」

 

 この部屋が埋め尽くすこと思い出で満たされて、それでもなお続いていくとしたら。

 

「きっと、寂しさとは無縁ですよ」




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