マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う   作:郡山 氷里

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今回ちょっとグロ描写多めなのでご注意ください


胡蝶の悪夢

 マンハッタンカフェは美しいウマ娘だ。トレーナーは心の底から信じている。カラスの羽根よりも黒い髪、絹よりも滑らかな長髪は砂金よりも価値があると信じて疑わない。陶磁器の肌も、トパーズの眼も、その全てが有象無象の宝石など歯牙にもかけない輝きを放っている。

 

「嗚呼、本当に……綺麗だ」

 

 ()()()()()()()()()()()()に見惚れながら、彼はそう呟いた。

 

 木箱の中、彼女の肌を愛おしそうに撫でる。衣服を全て脱がされ、顕になった彼女の肢体は、屍体とは思えない程生気に満ちている。虚ろな眼さえ今にも光を取り戻しそうだ。

 

 一頻り触り心地を楽しんだ後、彼は巨大な釘を一本手に取った。カフェの首筋すぐ横に添えると、金槌で釘の頭を叩く。丁寧に、カフェの何よりも尊い身体を傷つけないように。反対に首筋に、脇の下に鼠径部の横に、指の隙間に、1mmたりともズレが生まれないように釘を何本も打ち付けていく。体力の無い彼にはそれだけで重労働だ。息を切らしながら、淡々と作業を続ける。五十本目の釘を打ち終えて、彼は立ち上がり出来栄えに満足した。

 

 無数の釘に縛り付けられたカフェは、さながら昆虫標本のようだった。どこからともなく染み出したホルマリン液が木箱を満たしていく。これで完成だ。永遠に朽ちることのない、マンハッタンカフェの標本。いつまでも彼の手から失われることのない美しき黒揚羽。

 

 恍惚とした表情で作り上げた芸術を見つめていた彼だったが、心の奥にぽっかりと空いた穴が、いつまでも埋まらないことに気付く。どうしてなのか、その理由が分からない。彼は永遠を望んだ筈だ。誰にも邪魔されず、美しいマンハッタンカフェと共に有り続ける。それ以外は望んでいないのに。何かが足りない気がしてならない。

 

「カフェ、どうして俺は満たされない。カフェを手に入れたというのに。君が傷つくことはないのに」

 

 返事はない。

 

「俺はどうすれば良い。どうすれば君は許してくれる。どうすれば君は答えてくれる」

 

 返事はない。

 

「ああ、そうか。そういうことか。当たり前だよな。どうして、そんなことに気が付かなかったのか」

 

 返事はない。

 

 あの鈴の鳴るような愛らしい声が無い。当然だ。彼女はもう息をしていないのだから。彼がその声を止めてしまったのだから。彼女の九十九を手に入れる為に、大切な一を失ってしまった。彼女はもう十全にはならない。

 

──何かがおかしい。

 

 何かを忘れている。とても大事な何かを。

 

「なんだ、なんだ、なんだ、なんだ」

 

 ぶつぶつと繰り返す。彼は人生の中で必要なことは一切忘れたことがない。完全記憶能力は一つの呪いですらあった。思い出したくないことすら忘れることができないのに、必要なものを忘れる筈が無い。

 

 だから、忘れていることは、知らないことの筈。

 

 カフェの標本は消えていた。この世界にはもはや何も残っていなかった。ただもぬけの殻となった彼が残されているだけだった。手に入れたいと思っていたものは一つ残らず手のひらからこぼれ落ちていく。

 

「俺は、だいそれたことは望んじゃいなかった」

 

 彼女の全てを手に入れようだなんて、思ったことも無かった。この世界は、彼の望んだものじゃなかった。

 

「俺はただ、彼女の隣に居られるだけで良かったんだな」

 

 

 見慣れたトレーナー室。マンハッタンカフェはいつものようにコーヒーを淹れる。手慣れた手付きで二人分。部屋中に香りが広がった。ぽとり、と最後の一滴がサーバーに落ちた。マグカップに注ぐと、二人で選んだテーブルへと運んでいく。

 

「出来上がりましたよ、トレーナーさん」

 

 カップを置いて、向かいに座る。トレーナーの顔を見て、カフェは安堵の笑みを浮かべた。

 

 そこにあるのは木乃伊だった。すっかり水分が抜け落ちて、白骨化もせず残っている誰かの屍体。トレーナーかどうかさえ定かではない。しかし、それは彼女にとっては重要ではない。この部屋で、この時間に、トレーナーと二人でコーヒーを飲む。それが彼女のルーティーン。本当にトレーナーであるかは気にする必要もない。

 

「今日は……ユキノさんがクッキーを焼いてきてくれました。一緒に……いただきましょう」

 

 ポケットから、ボロボロに焦げて崩れ落ちたクッキーを取り出す。お世辞にも、ユキノビジンが焼いたクッキーとは思えない。それでも別に構わない。ここでユキノから貰ったクッキーを開けるという行動そのものが大事なのであり、動作に使われる小道具はどうでも良い。

 

「いただきます」

 

 食べ物の体をなしていないクッキーを口の中に押し込む。苦くて食べられたものではないというのに、味覚が壊れているかのように黙々と消費する。

 

「不味い」

 

 言ってしまってからしまったという顔をする。ここは「美味しい」というべき場面の筈だ。どうして不味いなんて言ってしまったのか。

 

「トレーナーさんは……どう思いますか?」

 

 返事はない。木乃伊に動かす口など無い。ここでトレーナーが言葉を返してくれないのは、ルーティーンから外れている。一つ外れた歯車が次々と全ての動きを狂わせていく。

 

「どうしましょうか……」

 

 お友だちからも答えはなかった。いつもの、暖かさに溢れていた筈の空間が孤独な静寂へと変わる。

 

「独りは……嫌です」

 

 カフェは孤独が嫌いだ。お友だちも居ない。トレーナーも居ない。そんな世界は気が狂ってしまいそうだ。こんなものは、彼女の望んだ世界ではない。

 

 カフェは部屋を飛び出した。あんな腐り落ちた木乃伊はトレーナーではない。こんな下手なクッキーをユキノは焼かない。トレーナー室は、こんな冷たい部屋ではない。彼女がこんなにも苦しんでいるというのに、お友だちが助けに来ないわけがない。

 

 部屋の先は、見たことのない道だった。訳も分からないまま走り続ける。

 

「トレーナーさん……どこですか……!? ユキノさん……タキオンさん……!」

 

 大切な人の名前を叫び続けた。喉ががらがらに枯れて痛い。それでも、孤独の痛みに比べればずっとマシだった。爪が欠けるほどに、肺が熱くなるまで、ただひたすらに探し続ける。

 

「ここは……どこですか! 私の居場所はあの部屋なんです……こんなもの、知らない!」

 

 鏡が割れた。無数の破片にカフェの顔が写る。数多の視線から一つ、ニヤリと笑った気がした。咄嗟にカフェは破片を掴む。鋭利な断面に彼女の白く細い指から血が滴った。気にするものか、彼女は握る力をより強くして、粉々に破片を砕こうとする。破片の影が顔をひきつらせた。

 

「やめ──」

「私の声で……話すな」

 

 破片は砂になった。彼女を包むハリボテの全てが粉になって消えていく。

 

「さようなら」

 

 彼女の宝物を穢した小鬼よ。彼女はもう、がらくたを見ることはなかった。

 

 

 かちゃ、かちゃ。食器のぶつかる音が響く。気味の悪い金属音で、アグネスタキオンは顔をしかめた。それも些細な事だと見逃して、彼女はメインディッシュへと手を付ける。

 

「モルモットくんの脳髄、どんな味がするんだろうねえ」

 

 椅子に座らされたネズミ。眉の上から頭蓋が開かれ、脳みそがむき出しになっている。ナイフとフォークが何度も切断された頭蓋骨にぶつかっていた。

 

 タキオンに全てを捧げたモルモット。彼女にとってネズミは特異点で、理解の難しい存在だった。狂っていて、同時に彼女を狂わせる。ネズミを構成する物質が何なのか彼女は知りたかった。

 

 対象物との一体化。タキオンが選んだ手段だった。ネズミを作る脳を摂食すれば、何かが分かる気がした。クールー病だとか、倫理的な問題は些事で、知的好奇心を満たすことこそ最優先事項で。彼女もそれに同意した筈だ。覚えていないが、きっとそうに違いない。

 

 スプーンで脳髄を掬う。生暖かい臭いがした。これを食べるくらいなら、ミキサーで混ぜた栄養食の方がずっとマシだろう。意を決して飲み込む。苦い、不味い、汚い、悍ましい。狂気的所業に返ってくるのは気が狂いそうな結果。

 

「駄目だねえ。やっぱり、君のことは理解できそうにないよ」

 

 食器を置く。半分も口にしていない。こんな

 

「苦いねえ。トレーナーくん、口直しに何か作っておくれよ」

 

 袖を振って食事を要求する。数秒待っても返事が無いことにタキオンは眉をひそめ、すぐにその理由に思い当たる。

 

「トレーナーくんは、食べてしまったんだったねえ」

 

 そこでタキオンは初めて後悔した。何にも代えがたい貴重な助手であり実験体を。或いはそれらよりもっとずっと大切なものを一時の好奇心で失ったことを心から恨んだ。

 

「時間が巻き戻れば良いのに」

 

 どこまで戻れば良い。ネズミを食べるその前か、それとも出会うその前か。

 

「モルモットくんに出会えないのは、嫌だねえ」

 

 彼女が求めているのは、都合の良い実験体だけでも、便利で従順な助手だけでもない。ネズミという個人が必要なのだと今更気が付いても遅い。

 

 全ての実験が無意味で無価値なものへと成り下がる。タキオンは食器を背後へと放り投げた

 

 

「タキオンはね、ワガママじゃないといけないの」

 

 ネズミは愛嬌ある笑顔を浮かべたままタキオンだった人形を掴み上げる。等身大の人形は宙に浮かぶまではいかなかったが、吊り上がりぶらぶらと揺れる。

 

「ワガママで、こっちの事情なんか知らんぷりで、甘え上手でそのくせ本当に大事なことは煙に巻こうとして。そういう手の掛かる可愛らしい子じゃないと」

 

 タキオンの首がみしみしと軋む。仮にも愛すべきパートナーを姿かたちをしているにも関わらず、ネズミの手に加減はない。

 

「怪異なのかなんなのか知らないけどさ。私の前でタキオンを騙ろうなんていい度胸だよね」

 

 ネズミの脳内は怒りで染まっていた。彼女の聖域に土足で踏み込んだものに容赦などしてやるものかと力を込める。

 

 こきりと首の骨が完全に折れて、だらんとタキオンの全身が力なく垂れ下がる。そしてネズミは完全に興味を失って投げ飛ばした。壁にぶつかって生々しい音がする。

 

「さぁーて。偽物は処分したし、タキオンを探しに行かないと。あれで意外と揺れがちだから、似たような奴に引っ掛かっててもおかしくないし」

 

 朗らかに歌いながら彼女は歩き出す。偽物だとしても、人の形をしたものを壊したというのに、一切気に留めるそぶりもない。至って冷静な彼女はかえって狂気的に映る。

 

「さてと。これ幽霊さんとカフェちゃんも同じ目にあってるのかなあ。まああの二人なら問題は無いと思うけど」

 

 もし囚われているようならふん縛って連れ戻してやろう。タキオンの為ならそのくらい余裕だ。ネズミは虚ろな世界の中を一人歩き続けた。

 

 

「いやぁ。今回ばかりは危なかった」

 

 黄昏時、トレーナー室。カフェがコーヒーを淹れて、トレーナーが付け合せの菓子を用意する。一つたりとも歪んでいないいつもの日常。心なしかトレーナーの顔には疲れが見える。目の下の隈は濃くなって幽鬼のような顔立ちが一層おどろおどろしくなっている。

 

「私やトレーナーさんだけでなく……タキオンさん達まで狙われるとは」

「何か都合が良かったのかもしれないね。タキオンはまだ調子が戻らないのかい?」

「ええ……ネズミさんは、問題ないようですが」

「俺たちでさえしばらく囚われたっていうのに、なんなんだろうねネズミちゃんは……」

 

 感嘆半分、恐怖半分といった様子で出来上がったコーヒーにシュガースティックを注ぐ。慣れてきたと適応するのではなく、最初の最初から狂ってネジ曲がった方向に固定されている同僚のことはあまり深く考えたくない。深淵を覗く時なんて冗談交じりに言われるが、深淵に覗かれたい人間はそう居ないものだ。

 

「何を、見たのでしょう」

「それは、知らない方が良いさ」

 

 お互いは、それぞれが見た光景を伝えてはいない。それは有り得る内の最も残酷な可能性。言葉にすればそれだけで、最悪の未来を引き寄せることになる。絶望と、相反する希望、欲望。彼らの望みを()()()()()()()()()()()

 

 カフェは、いつか忘れるのだろうか。その方が良い、とトレーナーは思う。最悪の未来など、想像するだけで害にしかならない。忘れてしまえば消えて無くなる。存在しないものは、認知しなければ存在しない。だが、彼の見た光景は消えない。どれだけ消したくとも、三十年近い人生で起きた出来事全てをつぎ込んだ記憶の隅に残り続ける。端に、端に追いやろうとしても、未来はここにあると主張する。

 

「やっぱり、これは呪いだな」

「……? トレーナーさん、何か言いましたか?」

「いや、なんでもないよ。ネズミちゃんに言ったら頭突されそうなことを思いついただけさ」

「それは……言わない方が良いですね」

「全くだ」

 

 ああ、本当に。

 

「言わぬが花って奴さ」




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