マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う 作:郡山 氷里
実は、桐生院葵とのスポーツ勝負が白熱しすぎていつの間にか観客に囲まれていたことがある
「それじゃあ、ユキノさんはトレセン学園の生徒なのね」
「えへへ……つってもまだ全然デビューとかしてないんですけど」
ショッピングモールの四階にあるカフェテリア。チェーン店ながら質の高いコーヒー豆の香りが漂う店内で、ユキノビジンとアッシュレディはモカを飲んでいた。田舎育ちのユキノビジンにとっては、単なるコーヒーチェーンも自転車で数十分先にあるデートスポットだ。独特の雰囲気に慣れず、そわそわと落ち着きなく視線を動かしている。
アッシュレディは挙動不審な様子を気に留めることもなく、上品な手付きでコーヒーカップを傾けている。
「いえ、トレセン学園に入ったってだけでも凄いことじゃない。今のうちにサインとか貰っちゃおうかしら」
「エ! いンや別に、アタシって特別速いってわけでもないですし……サインなんて書いたこともねえです」
打てば響くユキノの様子が面白いのか、アッシュレディはころころと笑う。下品な馬鹿笑いではなく、口元に手を添えた上品な淑女の仕草をユキノは羨望の目で見ていた。
「アタシ、都会出て、キラキラのシチーガールなりたくて来たンです。アッシュさん、なんか凄い、大人の女性って感じで……」
「そう?」
小悪魔のように唇の端を吊り上げる。同性のユキノも恋に落ちてしまいそうな、蠱惑的な表情。きめ細やかに垂れ下がる赤みがかった髪を指ですくとそれだけで芸術だ。
「モデルさんとか、やってるんですか?」
「そうねえ、どちらかというと逆、かしら」
「逆?」
アッシュレディはブランド物のポーチバッグから小さめのスケッチブックとごてごてしたシャープペンシルを取り出した。
「絵描きって言うと気取った言い方になっちゃうけど。イラストを描くのが仕事なの」
「イラスト……」
「ええ、これは仕事道具よりも趣味だけど。見るかしら?」
おずおずと両手で受け取って開いてみる。アッシュレディのスケッチブックは半分以上が絵で埋め尽くされていた。モチーフは多岐に渡っており、見たことのない銅像から駅前の桜の木まで様々だ。どれも、シャープペンシル一本で描きあげたとは思えないクオリティで、ユキノの語彙ではどう言い表せばいいか分からない。
「わぁ……!」
「ふふ、素直な感想が一番嬉しいわ」
一ページ毎に表情をころころ変えるユキノを楽しそうに眺めている。気取った評論家のような相手より、子供のように目を輝かせてくれる彼女は、鑑賞者としては百点満点だ。
「良かったら、ユキノちゃんの似顔絵も描いてみたいのだけど」
アッシュレディは右手首の時計に目を落とす。時刻は十八時手前、そろそろ夜の帳が降り始める頃だ。
「ごめんなさいね。そろそろ時間だわ」
「あっ、これ……お返ししますね」
「いや、そのスケッチブックはあなたにあげるわ。気に入ってくれたようだし」
「い、イイんですか?」
「ええ、作品ってラフでも誰か他の人に見てもらってる方が幸せだもの」
シャープペンシルだけを受け取って、彼女は領収書を手に取る。それから、思い出したようにスマートフォンを取り出した。
「そうだわ。せっかくだもの、また時間の合う時にお茶しない?」
「こ、こちらこそ喜んで」
LANEを互いに交換し、レジへと向かう。お代は全てアッシュレディが出した。ユキノは自分も払うと言ったのだが、彼女は愛らしくウィンクして、年長者だからと答えた。
駅改札の向こうへと歩き去っていくレディの後ろ姿を見て、ユキノは緩む頬を引き締める。
「凄い人だったなあ……アタシも、アッシュさんに恥ずかしくないシチーガールになるだ!」
気合を入れると、ユキノもトレセン学園へと向かって走っていった。
■
「ユキノさん……何か良いことでもあったんですか?」
同室のユキノビジンがいやに上機嫌なことが気に掛かって、マンハッタンカフェはコーヒーを用意しながら聞いた。ベッドの上でぱたぱた楽しそうに足をはためかせていたユキノは、自分が浮かれていることに気が付いて照れくさそうに持っていたスケッチブックで口を隠す。
「学園の外で、すっごい美人さんとお知り合いになったんです」
「それは、良き出会いでしたね」
「はい……アッシュレディさんて言うんですけど、その人がこのスケッチブックくれて」
ユキノが意気揚々とスケッチブックを見せる。カフェも知らない街のスケッチだった。レンガの道に、葉桜が連綿と続いている。
「これは……」
「……? どうかしたんです?」
「いえ……なんでも……ありません」
何の変哲も無い、上手な絵だ。
ユキノに伝えるべきか、彼女は逡巡する。怪異の匂いがすると言っても、ユキノが会った女性が怪異とは限らない。絵に描かれた場所のせいかもしれないし、ペンやスケッチブックそのものの問題かもしれない。受け渡しをした場所の可能性だってある。それらを根掘り葉掘り聞けるだけの実害は起こっていない。
「きれいな……絵ですね」
「はい! 今度アタシの似顔絵も描いてくれるって」
「それは、楽しみですね……コーヒーが、入りました」
「それじゃお茶にしましょう!」
二人分のカップを出しながらも、嫌な胸騒ぎはカフェの表情を曇らせたままでいた。
■
「それで、こうやってこっそりついてきたわけね」
「付き合わせてしまって……すいません」
「お呼ばれしたのは別に構わないんだけどさ」
チェーンのカフェテリア。ユキノとアッシュレディの席から離れた場所にカフェは陣取っていた。向かいに座るネズミは、注文したミートパイをナイフで切り分ける。
「幽霊さんじゃないんだなあって」
「トレーナーさんは……その、目立つので……」
身長百九十の枯れ枝みたいな大男はどうあったって目立ってしまう。変装しようが、見慣れているユキノはすぐに気が付いてしまうだろう。それに、怪異に好かれる彼では、相手にも勘付かれる可能性があった。
「なるほどねえ。まあ、私的には思わぬ収穫があったからラッキーなんだけど」
ネズミがアッシュレディに視線を向ける。ユキノと話している姿は裏表なく楽しそうに見える。
「
アッシュレディの容姿は、写真で見た老いないウマ娘に瓜二つだった。元々老いないウマ娘を追っていたネズミにとっては僥倖と言うべきか。
「誘拐とか……しないでくださいね」
「しないよー。学園の人間じゃないし、そんなことしたらタキオンに迷惑かかるしね」
「…………」
学園の人間なら良いのかとか、タキオンに迷惑掛からなければやるのかとか。言いたいことは幾つかあったがカフェは気にしないことにした。タキオンをして狂っていると言わせる女だ。第一の行動原理はタキオンの益になるか害になるかのどちらかで、倫理的なハードルはそこには無いのだろう。
不可思議で、異常な存在だ。カフェは改めて、腐れ縁の友人が持つトレーナーに思索を巡らせた。確か、カフェのトレーナーとは同期だったはずだ。カレンチャンのトレーナーと、後はライスシャワーのトレーナーとよく一緒に居たらしいと話を聞く。いつ聞いても不思議な組み合わせだ。彼とネズミはともかく、あの学園でも美男子として有名なライスシャワーのトレーナーが一緒にいる姿は想像がつかない。そもそもの話をするならば、タキオンと出会う前のネズミを想像できないと言ったほうが正しいが。
「それよりさ、カフェちゃんから見てあのウマ娘さんはどうなの?」
「どう、とは」
「怪異の可能性があるからわざわざ見に来たんでしょ?」
「……少なくとも、人ではありません」
怪異特有の怖気だつ寒気。アッシュレディが人ならざるものなのは間違いなかった。ウマ娘の姿としているだけの、別のナニカ。
「うーん。やっぱそうかー。タキオンの為にはならなさそうだね」
「はい……科学とは別の領分だと思います」
ネズミはアッシュレディからは興味をなくしたように目を離し、手元のパイの切れ端にフォークを突き立てる。
「それで、その様子だと悪いおばけでも無さそうだし」
「今のところは……そうですね」
ユキノと談笑している姿から悪意は感じられない。以前の山の怪異のように隠し通している場合も、条件を満たすことによって切り替わることもあるから、絶対に安全とは言い切れないが。人と共に暮らす怪異に対して、カフェから出来ることは何もなかった。
「それじゃあユキノちゃんにべっぴんさんのお友だちが出来たってことでハッピーエンドね」
「そうだと……良いのですが」
カフェも胸中には不安が暗雲のように渦巻いて消えない。耳には届かない、だが確かに届く警戒音。
彼なら、その言い表しようのない感覚を読み取ってくれるのだろうか。一つ、一つ、絡まった糸を解くように文字にして、分かりやすく教えてくれるのだろうか。
「デートの最中に他の人のこと考えるなんて、妬けちゃうなあ」
切り分けたパイの一欠片を、ネズミが差し出した。ニヤニヤとと笑う口元は、タキオンが誰かを煽り立てる時と同じだ。トレーナーはウマ娘に似ると言われるが、悪癖まで似なくても良いのにとカフェは思う。
「要らない?」
「いえ……頂きます」
手でパイを受け取って口に含む。人気商品だけあって冷めていても牛挽き肉の旨味が広がっていく。
「あ、美味しい」
「ねー。これが二百円なの企業努力の賜って奴なのかな」
残りのミートパイがネズミの小柄な身体に吸い込まれていく。カフェのトレーナーもそうだが、トレーナー業というのは健啖家でないとやっていけないのだろうか。いや、ダイワスカーレットのトレーナーは少食でパートナーにもっと食べろと怒られていたな。そんなどうでもいい事を思い出す。
「ま、気持ちは分かるけどカフェちゃんはもうちょい後出しジャンケンでも良いと思うよ?」
「後出しジャンケン……ですか?」
「うん。カフェちゃんも幽霊さんも二人共、事が起きる前にどうにかしようって気持ちが強くてさ。そりゃ、事件が起きる前に防げた方が良いけどね」
ティーカップを傾けて一息吐く。
「実際のところはさ、予防って凄い難しいんだよ。実験なら仮説と予測を立てて、少しくらいケアできるけど。でも、百パーセントじゃない。そこにこだわると、疲れちゃうよ」
「でも、それじゃあ間に合わないかもしれないじゃないですか」
「うん」
あっけらかんとネズミは言い放つ。
「そんな……」
「でも、間に合うかもしれない」
声のトーンは一切変わらない。
「先んじて先んじてって考え過ぎて倒れちゃうのが、一番駄目だよ」
「それは……そうかもしれませんが」
「私は、タキオンの足が壊れないようにって考えたりはしない」
それは、タキオンに狂った彼女から出たとは思えない言葉で、虚を突かれたカフェは言葉を返す事ができなかった。
「壊れないように、ってタキオンが一番考えてることだから。私が考えるのは、もしどんなにタキオンが頑張ってもどうにもならなかった時。あの子の足が壊れちゃった時。どうやって寄り添うか。どうやって再起を図るか。どうやって新しい道に進むか。駄目だったとしても、そこで終わりじゃないから」
絶対はない。ウマ娘なら誰もが知っている。狂信者とて、タキオンが全能だとは思っていない。
「問題がないように、ってのは幽霊さんが考えてくれるからさ。あの人、頭の回転と記憶力だけはとっても良いし。だから、二人共が同じ方向を向いちゃ駄目」
「私は……問題が起きた時の解決法を……」
「そ、分担するだけで気が楽になるでしょ?」
ユキノが関わっていたこともあって、少し考えすぎていたのかもしれない。ネズミの言葉で不安が軽くなったことは事実で、頼んだコーヒーを一口も飲んでいなかったことに今更気が付いた。
「ありがとう……ございます」
「良いの良いの。おっと、ユキノちゃん達のお話も終わったみたいだね」
ネズミにつられて視線を移すと、アッシュレディが立ち上がり、バッグを手に取ったところだった。
「さて、私も行こっかな」
「行くって、どちらに?」
「ん、尾行」
ネズミも手早く荷物を手に取る。
「タキオンにとって面白い何かがあるかもしれないからね。あのウマ娘のお家くらいは把握しておこうかなって」
「…………」
倫理的には止めるべきなのだろうが、カフェにはその気力もなかった。気の良い自立した女性の面と、パートナーの為なら常識をかなぐり捨てる狂人の両方の面を備えているのがネズミという女性なのだと、今更ながらに理解した。
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