マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う 作:郡山 氷里
実は、服を買いに行こうとするとダイワスカーレットがついてくるので、どうにかして一人でこっそり行く手段を探している。
「ふぅん、ネズミちゃんがそんなことを」
いつものコーヒーブレイク。カフェがネズミとした話をトレーナーに言うと、彼は不満そうに口を開いた。
「あの……怒ってます?」
「別に? 俺じゃなくてネズミを頼りにしたんだとか、そんなこと思ってないから」
目を逸らして、心なしか頬も膨らんでいる。子供じみた態度にカフェは困ってしまった。いい歳した男の嫉妬など見てて気持ちの良いものでもないが、少し愛らしいと感じてしまうのはあばたもえくぼというところだろうか。
彼も大人げない態度だと分かっているのか、大きく息を吐くと、普段の調子に戻る。幼稚な嫉妬でも、怪物を前にしても平常心に一瞬で戻す。
「まあ、あの子はあの子でドライ過ぎるところがあるから。話半分に聞いておくといいよ」
「昔から……そうなんですか?」
「昔はもっとドライというか、無気力だったよ」
無気力。その言葉はネズミからは掛け離れたものに思えた。いつもタキオンの為に奔走している彼女は無気力とは無縁に見える。
彼が今日の付け合せをテーブルに置く。アップルパイの甘い香りがした。間違いなく偶然なのだが、ネズミのミートパイに対抗して出したかのようだ。
「トレセン学園にはあんまり居ないけど、自分の能力にかまけて斜に構えるタイプだったよ。タキオン狂いの今の方は、やっぱり意外に思われるんじゃないかな」
夢中になれるものを見つけたと言えば聞こえは良いが。
その話を聞いていると、彼とネズミはもしかして似た者同士なのではないか。そんな疑問が浮かぶ。エアシャカールのトレーナーや、ダイワスカーレットのトレーナーから聞く限りでは、彼もまた相当
「それにしても」
手掴みでアップルパイを平らげる。ネズミの話はここで区切りたいようだった。あまり長話をすると、また嫉妬がふつふつと浮かび上がってくるのかもしれない。
「ユキノちゃんが灰のウマ娘とお知り合いになっていたのは予想外だね。世間は案外狭いものだ」
「今のところは……危険は無さそうですが」
「ネズミちゃんじゃないけど、それなら今は無理に関わらなくても良いんじゃないかな。あの子の言う通り、何かが起きた時の対処法を考えておくと良い」
「何か……ですか」
「うん。例えば……ユキノちゃんが門限過ぎても戻って来なかった時とか。どうしようか」
思考時間は三秒にも満たなかった。
「トレーナーさんに連絡を取ります」
「……うん、俺を頼ってくれることはとても嬉しい」
言い方を変えようか。彼は二つ目のアップルパイを千切る。半分をカフェに手渡し、もそもそと齧る。カフェも同じように小さな口でアップルパイを咀嚼した。熱した果実の甘さが口内に澄み渡っていく。
「カフェから連絡が来た俺は先ず何をすると思う?」
「状況を整理して……解決法を考えて……」
「もっと具体的に」
具体的と言われても、出題がそもそも抽象的だ。分かる筈が無いと思いながらもカフェは考える。ユキノが戻って来ない。おそらくユキノ本人にはもう連絡を取っているだろう。次に、ユキノと仲の良いゴールドシチーやカレンチャンに連絡を取る。しかし、これが答えだとは思わない。それら全てが空振って初めて事件が起きていると認識するのだから、最初ではない。学園の外でユキノと関わっているのは
「……ネズミさんに連絡を取る、ですか?」
「うん。事件だと思ったらそうなるだろうね。あの子は灰のウマ娘を尾行していったんだろう?」
第一容疑者になる灰のウマ娘について、一番多くの情報を持っているのはおそらくネズミだ。そして、有事の際にトレーナーの次に連絡が取りやすいのも彼女になるだろう。彼女の行動力はタガが外れていて、異常事態においてはこれ以上なく頼りになるだろう。
「そして灰のウマ娘のもとへ向かう。それが無関係ならば灰のウマ娘にも捜索を手伝ってもらおう。
「そんなすぐに……動いてくれるでしょうか」
「すぐに動いてもらえるようにしておくことが、解決法を準備しておく、ってことかもね」
「覚えて……おきます」
「まあ、そんな準備なんてから回ってくれた方が嬉しいんだけど」
彼の言葉は希望的観測に満ちていて、そうならないことが最初から分かっているようだった。
そして、その未来は現実となり。
ある日、ユキノビジンは帰って来なかった。
■
「……おかしい」
部屋の中で一人カフェは呟いた。門限の時刻は既に過ぎているが、部屋に居るのは彼女だけだ。門限破りというのはウマ娘にはよくあることで、まだ夜が更けきっているわけでもない。連絡は取れていないが、充電切れという可能性もある。焦るにはまだ早いと分かっていても胸騒ぎが収まらない。
時計を見る。十九時の半分をそろそろ回ろうかというところ。二十時になれば、トレーニングの時間になる。それまでに帰ってこなかったならば、トレーナーに相談すれば良い。
「でも」
カフェはスマートフォンの画面をつける。アドレス帳から、最近使ったばかりの番号を呼び出した。数回のコール音の後に相手が出る。
「もしもし、カフェちゃんどうしたの?」
突然の電話にも、ネズミは驚いた様子を見せない。
「灰のウマ娘の居場所について、お聞きしたくて」
「んー?」
数拍、間が空く。唐突な質問に、彼女の中であらゆるシナリオが浮かんでは消えていったのだろう。
「何かあったの?」
ネズミの声のトーンが一段階下がった。
「ユキノさんがまだ帰ってきていなくて」
「門限はもう過ぎてるもんね。でも、少し早計じゃない?」
カフェ自身も過保護だとは思う。それでも。
「……ネズミさんは前に、起きてからで良いとおっしゃいましたが。私はやはり、何かが起こる前に止めたいです」
胸騒ぎが気の所為で、すぐにユキノは戻ってくるかもしれない。事件に巻き込まれていたとして、日が変わってからでも遅くはないかもしれない。
「……考え過ぎだとしても、私は不安を抱えたまま待っていられる程、強くありませんから」
「なるほど、ねえ」
電話の向こうでネズミが笑った気がした。それは嘲笑だったのか、慈愛だったのかカフェには分からない。
「幽霊さんに連絡は?」
「これからします。状況によってはトレーナーさんを危険に晒してしまうかもしれないので」
「オッケーオッケー、それじゃあ寮を出たら、駐車場まで来てちょうだいな。幽霊さんも一緒にね」
「分かりました」
ツー、と通話が切れる。カフェはそのままメールアプリを開くと、自身のトレーナー宛に短くメールを送る。駐車場まで来てほしい。詳しい理由は話す必要が無い。彼なら、その一文だけで全てを理解してくれるだろう。
私服に着替え、幾つかの荷物をカバンに詰め込むと、ヒシアマゾンに見つからないようひっそりと寮を後にする。運動服姿ならいつものトレーニングだと見逃してもらえるだろうが、私服ではそうもいかないだろう。今はとにかく時間が惜しい。
幸いにもヒシアマゾンはおろか他のウマ娘に出会うこともなく、カフェは駐車場まで辿り着く。肌寒い風に体を震わせた。もう一枚羽織ってきても良かったかもしれない。
「おっ、カフェちゃん来たね」
白いコンパクトカーのボンネットに乗ったネズミがカフェを出迎える。その横には既にトレーナーも到着していた。
「さ、乗って乗って。早くしないとね」
ネズミに促されカフェと彼は後部座席に乗り込む。低身長のネズミが使っている車だからか、彼は身を縮こまらせて窮屈そうにしていた。
「さ、早く行こうじゃないか。時間は有限だからねえ」
「……なんでタキオンさんまで居るんですか」
助手席に乗っていたタキオンの姿にカフェは顔をしかめる。制服でも私服でもなく、勝負服姿だ。おそらくは重要な実験でもしていのだろう。彼女がこの場に居ることを全く想像していなかったかと問われれば嘘になるが、咄嗟に嫌味が出たのはもはや癖だ。タキオンもそれがわかっていて、悪びれることもなく返す。
「何故って、私がトレーナーくんと一緒に居る時にカフェが連絡してきたからに決まっているじゃないか。老いないウマ娘自体は私の研究とは関わりがなさそうだけれど、こんな事態になれば話は別だ」
「……ネズミさん。出してもらって大丈夫です」
霊感の無いタキオンがついてきたところでどれだけ役に立つのか、という気分にはさせられたが必要経費だと割り切ることにする。ここでひと悶着起こすほうが無駄だ。どれだけ引き剥がそうとしたところでタキオンは着いてくるし、足を担っているネズミが彼女を放り出すこともない。
「シートベルトしっかりつけてねー」
ネズミがキーを捻る。ブオオンとコンパクトカーにしては大きな排気音がした。駐車場を出て、道路に出ると一気にアクセルを踏み込んだ。
「自動車で向かわないといけないくらい遠いのかい?」
「カフェちゃんとタキオンだけならともかく、というか私込みでも大丈夫だけど。幽霊さんは絶対ついてこれないでしょ」
首をすぼめながらトレーナーが尋ねる。天井が低いようで、元々小柄なカフェや平均程度のタキオンなら問題ないが、二百近い彼は頭をぶつけてしまうようだ。対照的に小柄な身体で巧みにドライビングしているネズミは呑気な口調で返す。
「お気遣いどうも。どうせなら今度買い替える時はもっと快適な車にしてくれ」
「幽霊さんに合わせたら私の足がペダルに届かないし。そもそも幽霊さんが免許持ってないのが悪いでしょ」
「すまないね。免許取れない人間で」
唇を尖らせて黙ってしまう彼を後目に、ネズミの車は夜の道を時速60kmで走る。トレセン学園近郊の繁華街から離れ、駅で三つ四つ離れた住宅街へ入っていく。
「幽霊さんはこの辺り来たことある?」
「二ヶ月と十四日前に来てるね。URA主導のイベントがあって、ヘルプで駆り出された」
「なら街の風景はだいたい覚えてるね」
「期待されすぎても困るけどね」
さらに郊外へと走っていき、右に二回、左に一回曲がったところで停車する。目の前には屋敷のような一軒家が建っている。景観としては浮いているわけはないものの、他の住宅よりも大きく目に留まる。著名な芸術家の持ち家と言われればそれらしいだろう。
「前来た時にはこの建物は無かったな」
「あ、やっぱり?」
路上に車を止める。狭い密室から解放されたトレーナーは大きく伸びをした。やっぱり、というようにネズミもこの建物には少なからず違和感を覚えていた。それが何に起因するものなのかまでは言語化できなくとも、おかしいという感情が危険信号として脳内を跳ね回る。
「カフェちゃん的にはどう?」
「……」
カフェは建物をにらみつける。否、カフェの視界には建物として映っていない。何か大きな怪物が、口を開けて待ち受けているかのような、歪で狂気的な洞穴。
それは動物的な姿をしていない。手足があり、胴体を持ち、目と鼻と口がある。哺乳類のようで、限りなくそれとはかけ離れた異形。想像上に描かれる悪魔の共通認識を、細分化してバラバラに当てはめた、ちぐはぐなモンスター。
「この場所、この空間は本来存在しない隙間の世界。幽世の一つ。ここに入ることは、怪異の腹の中に自分から足を踏み入れることと同じです」
「ふぅン……私にはただの建物にしか見えないが」
霊感が全く無いタキオンだけが、この建物が放つ狂気に気が付いていない。それは、ある意味では誰よりもフラットに構造物を見ているということでもある。これだけ怪異に取り憑かれた空間では、目が眩んで現実を見失いかねない。その意味では、タキオンは適役かもしれなかった。尤も、それは脅威に対して抵抗する術を持たない諸刃の剣でもあるが。
「気を付けてください。これまでは疑念でしたが……今、確信に変わりました」
ユキノビジンはここに居る。灰のウマ娘か、或いはそれに連なる何者かによって、ここに閉じ込められている。それはけして良いことではない。
「じゃあ、入ろうか」
それでも、トレーナーは事もなげに言って見せた。この中で一番脆い存在が、一番槍でも務めるかのように歩き出す。安心する要素など一つもないのに、それだけでカフェの肩の荷は軽くなる。
「君達は身の危険があるからと言って、友人を見殺しにはしないだろう?」
「……ええ、行きましょう」
カフェとトレーナーは頷き合って、門を開く。
その先は、目が痛くなるほどの赤色で染め上げられたエントランスだった。
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