マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う   作:郡山 氷里

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ルドトレのヒミツ①
実は、実年齢よりおじさんに見られることを気にしている。


灰色の肖像-肆

「前衛的、って言えば良いのかな」

 

 眉間にしわ寄せてカフェのトレーナーが呟く。目に焼き付いて離れないのだろう、何度も瞬きする。エントランスからは左右への廊下と二階に続く階段が見える。

 

「これはまたなんとも言えない光景だねえ」

「趣味悪ー」

 

 一歩遅れてタキオンとネズミも横に並ぶ。手分けは愚策、だからといってどこから進むべきか。

 

「情報が無い。灰色のウマ娘に見つからないようにと考えると、端から調べていくべきか」

「いえ……その点で言えば、もう……手遅れかと」

 

 カフェが言葉にした瞬間、真紅の絨毯がぐにゃりと歪んだ。一面の赤と混ざってどちらが壁でどちらが床か分からない。身体のバランスが取れなくなり、トレーナーは咄嗟にカフェの方へと手を伸ばす。枯枝の腕は、しかしカフェには届かなかった。

 

「うぁ」

 

 脳が揺れる。尻もちをついて間抜けな声が漏れた。真っ赤なエントランスは姿を消していた。歪んだ大地と遠近感がおかしくなりそうな荒野。そしてカマンベールチーズのように折れ曲がった時計。

 

「サルバドール・ダリの記憶の固執……?」

「確か、スペインの画家だったかい?」

 

 未だに赤がちらつく頭を振りながら、声がした方へ視線を向ける。勝負服の袖を顎に当てて、興味深そうに時計を触っているタキオンがそこに居た。カフェとネズミの姿は見つからない。異様な光景を前にしても、彼女は持ち前の好奇心が勝っているようだ。

 

「シュールレアリスムの表現者として有名だね。ダブル・イメージ……隠し絵と呼ばれる表現法を発明したことでも知られている」

 

 ダリは自身の描写法を偏執狂的批判的方法(Paranoiac Critic)と称した。一つの物体が、同時に異なる別の存在にも見える。例えばぐちゃぐちゃに崩れた時計と溶けたチーズを、うなだれた人の頭をつまみ上げられた卵と。その不可思議な光景をキャンバスの中に作り出した偉人。

 

「カフェとネズミちゃんは?」

「どうやら逸れてしまったみたいだねえ。意図的か、はたまた偶然か。分かっているのは、この場を君と私の二人で脱出しなければならないというだけだ。分かるかい、幽霊くん」

「……ネズミちゃんのような八面六臂の活躍は期待しないでおくれよ」

 

 ふらふらしていた平衡感覚がようやく平常へと戻る。立ち上がると、彼の高い目線からはより遠くを眺めることが出来た。湖に白鳥が佇んでいるのは、”水面に像を映す白鳥”だろうか。

 

「アテはあるかい?」

「この部屋の主だったら何か言えたんだろうね。俺たちはとにかく歩いてみるしか無いさ」

「ふぅン。私は怪異に縁が無いからねえ。ひとまず君の意見に従おうじゃないか」

 

 タキオンが先導し、彼はその後ろに続く。見えていた筈の湖はしばらく歩いても近づく気配がない。狂ってしまいそうな風景を、二人は顔色一つ変えずに歩き続ける。見た目は荒野でも、思考の鈍るような暑さまでは再現されていなかった。もし気温まで見た目通りだったならば、十分と立たず彼は倒れていただろう。

 

「気晴らしに、ダリの解説でも聞くかい?」

「いや、興味深い話題ではあるが。私としては君達に聞きたいことが別にある」

「答えられるものなら答えよう」

 

 タキオンは身体は捻らず、見返り美人のように彼の顔を見た。

 

「トレーナーくんもそうだが……君達は、ユキノくんは攫われることを確信していたんじゃないのか?」

 

 カフェですら疑念止まりだった。それなのに、彼とネズミの対応は余りにも迅速で、前もって準備していたかのようだ。カフェの予感を信じて備えていたと言えばそれまでだが、タキオンにはそれが引っ掛かる。

 

「簡単な話だよ。灰のウマ娘がフランスの社交界から姿を消した時、同時に一人のウマ娘も行方不明になっている」

「それだけで?」

「アメリカでは、写っていたという写真のメインが消えた。シヴィル・ホールウォードという名前に聞き覚えは?」

「聞いたことがないな」

「なら良い。三十年前に突然の失踪で少しニュースになっているというだけさ」

「ふぅン……二度あることは三度あると」

「俺はユキノさんと会っていたというウマ娘を見ていないけどね」

「おや、顔を見たと言っていなかったかな」

「似た人物を、だ。直接じゃない以上、同一人物であると同定出来ない」

 

 湖はまだ遠い。辿り着くことなど目的にしていなかった。彼の視線は、話をしながらも広い荒野の各地に隙間なく向けられている。彼にはカフェのような霊能力は無い。タキオンも同様だ。この気分が悪くなるような空間から飛び出すのに、特別な力は望めない。だから、人智を外れた世界から綻びを探り出すことが、彼らが抜け出す唯一の手段。

 

「ちょっと止まって」

 

 彼は突然しゃがみ込む。砂埃の立つ地面をじっと睨みつけたかと思うと、まさぐるように手を伸ばす。土に届く筈の指は、すっとすり抜けた。

 

「これは?」

「この世界の境界、だと思う」

 

 すり抜けた先に指を掛けて、引っ張る。力ない掛け声と、震えるだけの腕。彼の全力ではびくともしない。

 

「ふぐぐぐ……」

「……少しどいてくれ」

 

 タキオンが変わると、確かに見えない地面の先に、裂け目があった。少し力を入れると、たわんで世界全体が傾く。彼はそれを見て死んだような目で手を叩いた。

 

「流石ウマ娘」

「……君の非力さを今初めて実感したよ」

 

 カフェやネズミからの伝聞や、普段の様子から知ってはいたものの、彼女の予想以上にひよわな生き物であると思い知らされる。なるほど、カフェが過保護になるわけだ。樫本理事長代理がかよわい生き物などと呼ばれることがあるが、彼がその隣に並べられるのもむべなるかなと言ったところだ。

 

「完全に引きはがせるかな」

「力を入れればできるだろうけど、そうしたらどうなるんだい?」

「分からない。ただ、このおかしな空間からは抜け出せると思う」

「それならやってみる価値はあるね」

 

 結果の分からない実験も悪くない。タキオンは力いっぱいに裂け目を引っ張り上げた。

 

 世界がくしゃくしゃに折り曲げられて、自分のいる場所が分からなくなる。自分達も描き違えた画用紙のように押しつぶされてしまうのではないだろうか。そんな不安はすぐに吐き出された身体が、床に叩きつけられる痛みで解消される。

 

「いたた……折れる……」

「洒落にならないからやめてくれないか。私だって、君が転んで二つ折りになったなんて報告をカフェにするのは御免被るよ」

「俺もそんな死因は嫌だなあ」

 

 閃光がちらつく瞼を無理やり開くと、単純な痛みとは別の苦痛が襲いかかる。

 

「カラフル過ぎて頭が痛い……」

「物理的におかしな場所の次は、色彩がおかしな場所とは。美術館にでもするつもりだったのかな」

 

 反射光の眩しい黄色、赤、不安になるような濃い緑と青。極彩色の風景が彼らを取り巻いている。赤一面のエントランスよりはるかに主張の激しい色使いは見ているだけで頭がおかしくなってしまいそうだ。

 

「これも、誰かの作品かな?」

「さあ……ダリ程分かりやすくはないけれど。こういう派手な色彩で思い浮かぶのはアンディ・ウォーホルかな」

 

 一見して先程のダリにも負けず劣らずの空間。しかし、要素要素を切り抜いていけば、ある一面はスープ缶が幾つも並べられ、また別の面には金色の髪をたなびかせた女性の絵が膨大な彩度の差分と共に並べられている。

 

「……うん。アンディ・ウォーホルが確立したポップアートを用いている、で間違いないと思う」

「先程から、画家をモチーフにした空間ばかりだ」

「灰のウマ娘が芸術家だと言っていたんだろう? そういう繋がりなんだろうね。ただ少し気になるのは」

 

 サルバドール・ダリは主に戦中の時代を、アンディ・ウォーホル戦後しばらくに活躍した画家だ。灰のウマ娘が最初に確認されたという百五十年前から見るには、少し新しいラインナップに思える。

 

「いや、そんなことはどうでも良いか」

「攻略法はさっきと同じかな?」

「それを第一に考えようか」

 

 慣れてきたところでようやく次へ歩みを進める。悠長にしている暇はないが、焦ってもどうしようもない。彼は深呼吸一つで揺れる心を鎮めた。タキオンに至っては恐怖も焦燥も一切無いようだ。

 

「君、あれを見ろ」

 

 タキオンが壁を見上げた。つられて彼も顔をあげると、額縁をモチーフにした籠の中に、見慣れた制服が眠っている。

 

「ユキノくんのようだねえ」

「この位置からでは確信は持てないけどね。行かないわけにもいかないな。問題はどうやってあの場所まで辿り着くか」

「辿り着いた後もどうやって安全に下ろすか考えないとねえ」

 

 何しろ、彼が首を痛めそうになるほどの高さに居るのだ。当然登るためのはしごなど無い。ウォールクライミングなって真似が出来るほど、彼もタキオンも野生児ではない。

 

「それに、悠長に考える時間もくれないようだ」

 

 ぼこり、と壁が膨らんだ。膨張した壁面は次第に人の形を成して、完全に剥がれ落ちる。びちょり、と絵の具が落ちる音を立てて、それは立ち上がる。白黒の髪をした壮年の老人。剥がれた壁面にあった絵画からも分かる。1986年の”Self-Portrait”。アンディ・ウォーホルの自画像が怪物となって襲い来る様は、低予算のホラー映画によくあるワンシーンのようだ。現実でなければ腹を抱えて笑っていたかもしれない。

 

「ちょっと待ってくれ。フィジカルで襲ってくるのはマナー違反じゃあないかい?」

「二体、三体、増えていくねえ」

 

 じりじりとアンディ・ウォーホルの集団は二人を取り囲むように迫ってくる。

 

「うおっと」

「うわっ」

 

 その内の一体が。腕を振りかぶった。タキオンは反応して身を屈めたが、彼は腰が抜けたまま幸運にもすり抜けただけだ。

 

「ふぅン」

「あー、これは死んだかも」

 

 彼に逃げる手段は無い。お守りでも持ってくれば気持ちばかりの抵抗にはなったかもしれないと後悔が過る。

 

「君、かからないように顔を隠したまえよ」

 

 タキオンの言葉に彼は反射的に顔を伏せる。どうにもならないと分かっていたからこそ、素直にタキオンに委ねることが出来た。

 

 液体が飛ぶ音。何かが焼ける音。物が動く摩擦音が消え、視界を塞いだ彼に完全な静寂が訪れる。恐る恐る目を開けると、人の形を保てなくなった怪物が折り重なって山になっている光景と、試験管を両の指の間に挟んで立っているタキオンの姿。

 

「……何をしたので?」

「逐一説明するのも面倒だから簡潔に言うと、薬品をかけただけさ」

「その薬品がどんな代物なのかを聞きたいんだけど……うん、聞いても意味ないね」

 

 ついでに言えば理解したくも無い。一旦は怪物の襲来も収まったようで、最初の光景とは、死骸以外何も変わらなくなった。

 

「ふむ。君、足腰に自信は……あるわけもないか」

「返す言葉もないや」

「まあいい、そこでおとなしくしておいてくれたまえ。次は助ける余裕もないだろうから」

「三女神にでも祈っておこう」

 

 何をするつもりなのかは概ね察した。彼は諦めたように身体を伏せる。タキオンは崩れたアンディ・ウォーホルの死骸を積み重ねて足場にすると、ユキノビジンのいる籠に向かって登っていく。怪物を足蹴にして物怖じしない胆力ももちろんだが、やはり一切バランスを崩さない体幹は流石競争ウマ娘。籠まで辿り着くと、力任せに格子をこじ開けた。ユキノビジンの身体を抱えると、登る時より細心の注意を払って降りてくる。

 

「カフェはあの調子だったけど、君が来てくれて本当に助かったよ」

 

 降りてきたタキオンを迎え入れる。彼が見る限りでも、抱えている彼女は一分の狂いもなくユキノビジンだ。相手にとっては奥に隠しておいたのだろうが予想は外れている筈だ。後はカフェ達に合流するだけ。彼女たちの無事を疑ってはいないが、カフェを早く安心させてあげたいという感情の方が強い。

 

「報酬はカフェへの実験協力で構わないよ」

「それは本人に聞いてくれ。俺の協力なら考慮するけど」

 

 タキオンは肩をすくめる。彼の体質は特殊過ぎて、実験をするには向かない。

 

「君に手を出すとカフェが怖いからねえ」

「君がそういうの気にする方には見えないけどね」

「酷い言われようだ。実際そうそう気にはしないけどね。カフェと君の場合は別さ」

 

 いくら私でも虎の尾をわざと踏むつもりはないよ、とタキオンは冗談混じりに呟いた。

 

「それより、ユキノくんの近くにあったものもついでに持ち帰ってきたんだが、これは肖像画かな?」

 

 タキオンが取り出したのは古いパルプ画用紙を連ねたスケッチブックだ。一番上には眠りに落ちたユキノビジンの姿が精緻に描かれている。そして、その下には何枚かの老婆の肖像画が、絵の具を載せて出来上がっていた。

 

「……これは」

「有名な画家の模倣かい?」

「いや、そうじゃないけれど……幾つか立てていた推論の一つに、これで最後のピースがハマる」

 

 間に合ってよかった。彼は全てを察し、安堵するように息を吐いた。




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