マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う   作:郡山 氷里

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シャカトレのヒミツ①
実は、硬いお菓子を齧っているのが好き


灰色の肖像-伍

「トレーナーさん!」

「タキオン!?」

 

 二人の叫びは届かず、彼とタキオンはうねりに呑まれて消えていく。エントランスは何事もなかったかのように元の真っ赤な姿に戻っていた。ネズミは苛立ちと共に頭をかく。

 

「やってくれるなあ」

「……二人はまだ、大丈夫だとは思います。他の場所に連れて行かれただけで」

「うん。タキオンがこの程度でどうにかされるとは思ってないよ。ただ」

 

 ガリ、と親指の爪を噛んだ。目の焦点が揺らいでいる。狂信者から崇拝対象を連れ去ればどうなるか。

 

「舐めた真似してくれるよね」

「あら……それ程大事ならば肌見放さず持っていれば良かったのに」

 

 カツン、カツン。

 

 灰のウマ娘が階段を降りてくる。その姿は、ユキノと離していた時の優しげな様子とは程遠い。くすんだ色のドレスを纏い、狂気と嗜虐に満ちた眼差しで二人を射抜く。

 

 本質的に別だ。カフェはその霊感で理解する。どうして、灰のウマ娘が害ある者だと認識できなかったのか。その答え合わせが目の前で起きている。

 

 いわば、疑似餌。眼の前の同じ姿をした怪異をグレイと呼称しようか。アッシュレディに怪異としての自覚はない。彼女は標的とした相手をこの家に連れてくる役目であり、無自覚な共犯者。黒幕はこのグレイ。ダブル・イメージのように、一つの物質に二つの存在が重なっている。二重人格とも言い難い、別の存在とも言い難い。まさに隠し絵と呼ぶにふさわしい。

 

「今度からそうするわ」

 

 思考に時間を取られたカフェと違い、ネズミの行動は迅速だった。肩に掛けたバッグから取り出したのは、鈍く光るハンドガン。狙いを定め、躊躇うことなく引き金を引く。グレイの目は見開かれ、後ろに吹き飛んだ。

 

「えっ……」

 

 反応が遅れたのはカフェもだった。この現代日本で、銃を持ち出す人が居るなんて誰が想像できただろうか。その視線に気が付いたネズミはからっと笑って銃を振る。

 

「大丈夫、これ改造エアガン」

「そういう問題では……」

 

 威力的に銃刀法違反ではないかとか、だからといってノータイムで発砲できるのかとか。言いたいことは尽きない。彼と共に居る時よりも遥かにカフェは振り回されていた。

 

「人間じゃないって聞いてさー。じゃあこれくらいは持ってこないと駄目だよねって」

 

 視線を戻すネズミは警戒を緩めていない。吹き飛ばされたグレイがゆらりと立ち上がる。血の代わりに紅い絵の具が流れていた。

 

「ほら、生きてる」

「随分無粋なのね」

「怪物にかける情けは無いので」

「ええ。私もそう思うわ。遊ぶつもりだったのだけれど」

 

 ぐにゃり、と再び床が歪む。今度は明確にカフェとネズミを殺そうと、押し潰すような動きに変わる。

 

「ネズミさん!」

「大丈夫だって」

 

 カフェに悪意は届かない。怪異に囲まれ、怪異に守られている彼女を害しようと言うのは至難の業だ。どれだけ伸ばしても届かず、万が一届いても()()()()によって叩き落される。

 

 では加護の無いネズミはどうか。襲い来る紅い波をかわし、足場にし、ちょこまかと逃げる鼠のように捕まらない。グレイの表情が次第に苛立ちに染まっていくのが分かる。

 

「隙あり」

 

 ネズミが再び発砲する。素人の狙いだ。グレイには当たらずその横を掠めていった。それでも、相手を怯ませるには十分。建物による攻撃が止まる。

 

「うーん。ぶっ殺すにはちょっとパワーが足りないか」

「私達の目的は……トレーナーさん達に任せましょう」

 

 ここに本体が居るのならば、二人に割くリソースは無いだろう。ユキノビジンの奪還が第一目標であることはどちらも履き違えていない。カフェ達はただ、時間を稼げば良い。

 

「余裕なところ悪いけれど、あの二人が戻ってくると本気で思っているのかしら」

「当たり前じゃん」

 

 からからとネズミは笑う。最初の憤怒は何処へやら、グレイを嘲笑し、神経を逆撫でる為だけに、いくらでも馬鹿にしてみせる。

 

 グレイは困惑していた。ここは自分の庭で、相手にとっては何も知らぬアウェーだ。相手に決め手はなく、こちらは一度でも捕まえれば殺し尽くせる。そして分断し、精神的な動揺も誘ったはずなのに、どうして自分の方が追い詰められているような気分にさせられるのだろうか。

 

 そして、このウマ娘(マンハッタンカフェ)は何者なのだ。彼女が感じたのは虎の尾を踏んでしまったかのような後悔と恐怖。この人間(ネズミ)がどれだけ狂気的で、優れた能力を持っていようと人間の域を脱してはいない。いや、身体能力だけでかわし続けるのは人外染みてはいるが、焦るほどではない。

 

 だが、マンハッタンカフェは違う。彼女は何もしていないというのに、彼女の周りに漂う無数の怪異が全てを弾いてしまう。何故、これだけのものが彼女を守るのか。

 

 かくなる上は。突然、グレイは攻める手を緩めた。

 

「あら、もうガソリン切れ?」

「いえ、あなた達を相手するのは骨が折れるのは認めましょう。だから、先に簡単な方からすり潰してしまおうと思いまして」

「ふーん」

 

 発砲。グレイの眉間に風穴が空いて、染料が滴り落ちる。だがそれだけだ。人間のように脳漿を吹き出して死ぬようなことは無い。

 

「私があなたを捕えられぬように、あなたも私を殺す手段は持ち合わせていないのでしょう?」

 

 カフェが視線を横に向けると、壁がせり出て他の道を閉ざす。これまでやらなかったのは。幾つもの動作を同時に行うことは出来ないからだろう。時間を稼ぐのが、カフェ達から相手へと変わる。

 

「ご心配なく、あちらを先に始末したらあなた達も同じ場所に送ってあげますわ」

「うーん、どうしようか」

 

 ネズミは飛びかかりたい気持ちをぐっと抑える。今までかわせていたのは、相手から離れて広く場所を取っていたからだ。これから相手は、迫ってくる相手を弾き返すことだけ考えていれば良い。

 

「……問題は無いと、思います」

 

 反対にカフェは冷静なままだった。一歩も動かず、ただそこに立っている。そこにあるのは、無条件で無責任な信頼。これまで何度も危機を乗り越えてきた、彼ならばこの程度の脅威に屈することはないという確信。

 

「タキオンさんも……居ますからね」

「まあ、それもそっか」

「……余裕ぶっていられるのもいつまででしょうね」

「そーの言葉そのままそっくりお返ししちゃおうかな」

 

 ニィと、ネズミが唇の端を吊り上げる。

 

「今、タキオンに返り討ちにされたでしょ」

「…………」

 

 図星だった。カフェのトレーナーとタキオンを襲った怪異は、タキオンの振りかけた薬品によって崩壊し、機能停止した。だが、その情報をネズミは知り得ない筈だ。

 

「なーんか、来たは良いけど、あんまり私の出番無かったなあ」

 

 全てが終わったといわんばかりに銃口を下げる。もうグレイに興味は残っていない。

 

「舐めた真似を」

「だってさー、カフェちゃんもう時間は十分でしょ?」

「はい……」

 

 空間が捻じ曲がる。それはグレイによるものではなかった。

 

「この異界は理解しました」

 

 カフェはあらゆる異界を経験してきた。彼女の全てを迷わせるような霊能力と、補佐する怪異。全てが噛み合わされば、他者の作り出した世界を操作することも出来る。

 

「いてっ」

「まったく、今度はなんだろうね」

 

 カフェの手によって、二人、いや三人が目の前に吐き出された。彼の手に握られたスケッチブックを見てグレイは顔色を変える。

 

「それは」

「……ああ、ちょうど良い。ネズミちゃん。ライター持ってないか」

 

 血相を変えてグレイは走る。ほんの僅かな距離、しかしその距離はどれだけ走っても縮まることはない。勝敗は既に決していた。

 

 ネズミから借りたライターで、彼はスケッチブックに火をつける。

 

「さようなら、ドリアン・グレイ。俺は君のことを何も知らないけれど、悪徳のツケを払うときだ」

「やめろおおおおおおおお!」

 

 叫ぶグレイを前にスケッチブックは燃えていく。同時に彼女の全身から猛火が吹き出して、その身を焼いた。

 

「あ、あ……」

 

 灰になっていく彼女を、カフェは悲しそうな目で見ていた。

 

 

「結局、何者だったんだい?」

 

 グレイの死と共に異界は消え、彼らは外に吐き出された。人数オーバーの彼が置いてかれて一人歩いて帰らされるアクシデントもあった翌日。タキオンとネズミはカフェ達のトレーナー室まで来ていた。ユキノビジンはアッシュレディと出会った記憶そのものを夢みたいだと思っているようで、何か手を尽くす必要はなかった。或いは覚えているのかもしれないが、全てを察したのであればそれもまた一つの解決だろう。

 

 タキオンが尋ねたのは灰のウマ娘の正体。ドリアン・グレイと呼んだことに何の意味があったのか。

 

「ドリアン・グレイと言うのはオスカー・ワイルドという作家が書いた小説のことさ」

 

 カフェの淹れたコーヒーを飲みながら、彼はカフェがユキノビジンから貰ったクッキーを齧る。

 

「画家バジルに肖像画を描いて貰ったドリアン・グレイという美青年は、いつまでも歳を取らなくなった。彼はその美貌に溺れて数十年の間、耽溺な生活を送る」

「絵画に描かれたことで不老になったと?」

「ところが、そうではなかった。彼の代わりに、肖像画が老いていったんだ」

 

 悪徳に浸かったドリアン・グレイは最終的に、自身の良心に見立ててその肖像画を破いてしまう。

 

「そして彼は死んだ。醜い老人となって、美しい肖像画と共にね」

「彼女がそのドリアン・グレイだと?」

「モチーフか、実物か。はたまた偶然似ているのかは分からないけれど。彼女を偶然見かけた時に染料の匂いがした。不老という共通点やカフェの話を聞いて、もしかしたらと考えていたんだ。怪異と物語が告示していることは多いからね。怪異から物語が紡がれるのか、物語によって怪異が生まれたのかは、鶏と卵の問題だけれど」

 

 老いた肖像画に怯えた灰のウマ娘は、一つの解決法を考える。他のウマ娘の肖像画を作り、代替品として消費すること。選り好みは制限があったのか、彼女自身のプライドの問題か。そうやって何人もの人を犠牲に彼女は生き永らえてきた。

 

「だから、その肖像画を焼いてしまえば、彼女は形を保つことは出来なくなった」

「……幽霊さん。何処からそんな妄想みたいな発想に辿り着いていたの?」

「馬鹿げたもの程真実だったりするからね。ただの経験だよ」

 

 彼はコーヒーを空にする。そこに残った黒い水滴を眺めて、ため息を吐いた。

 

「だから、やっぱり永遠なんてものはろくなものじゃないんだなって」

 

 それは誰に向けた言葉だったのだろう。誰かが返事することもなく、その言葉は虚空へと消えていった。




想定より長くなってしまいました

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