マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う 作:郡山 氷里
レース場はカフェが思っていたよりもしっかりした作りをしていた。一周はダートで半マイル程だろうか。その外側に作られた芝のコースは1000mを超えるだろう。
「こんな場所が……」
「普通、こんなレース場を整備するのってかなりお金が掛かるんだけどね」
施設を賄えるだけの金額が賭けによって動いている。カフェは自分の想像が甘かったことを恥じた。レースの観客は百人近くになるだろう。そのほとんどが何万と遊びで賭けられる資産家だ。
「闇レース場って何処もこんなに大掛かりなのかな?」
「まさか。ここは上澄みも良いとこさ。整備もされてない公園で、日雇いのおっさん共がチケット握りしめて吠えてる方が多い。そんな場所じゃ客も選手も程度が知れてるがな」
人の波をすり抜けて、コースが一番よく見えるところまで出る。はぐれそうになったトレーナーを引っ張り出した先で、ナカヤマが指をさした。
「ちょうど良かったなお二人さん。ちょうどステイズコールのレースだ」
ゲートの前では四人のウマ娘が待っていた。八人分のゲートが用意されているのを見るに、参加者が居ないのをかき集めてきた様子だ。誰がステイズコールか、目を見ればすぐに分かった。三人はやる気無さそうに体を動かしている。
「あのウマ娘、トレセン学園に居た筈だ。確か……ルーリュミエルだったかな」
「知り合いか?」
「いや? トレセンの名簿で見たことがあるから覚えているだけさ」
トレーナーは自分の頭をこつんと指でついた。トレセン学園に在籍していたウマ娘なら顔と名前はだいたい一致する。スカウトする可能性もあるし、ライバルになる可能性もある。誰でも調べてはいるだろうが、記憶力には特に自信があった。
「何故……勝つ気がないのに出ているのでしょう」
「参加するだけでお金が貰えるんだろうね」
胴元が最も避けたいのはレースが不成立になることだ。だから金を握らせてでも頭数を揃える。そうすれば、穴狙いのカモから僅かにむしり取る事ができる。
「カフェ、あのウマ娘についてはどう思う?」
トレーナーが尋ねる。カフェはしばらく考え込む素振りを見せた。その視線は残った一人、濁り切った闘志を目に宿したウマ娘に向けられている。間違いない、彼女がステイズコールだ。最初にゲートに入ると、観客には目もくれない。
「……真っ暗闇、空虚、渇望」
「なんだ、暗号か?」
「いえ……抱いた感情そのままです。レースへの勝利に飢えている……そして、それは満たされることがない」
ゲートが開いた。ワンテンポ遅れてのスタート。トゥインクルシリーズではほとんどあり得ないことだが、全員がスタートダッシュをミスした。或いは、一線級の世界では遅く見えるだけで、彼女達にとっては普通のスタートなのだろうか。ステイズコールも最後方四番手だ。2000m芝のレース、最初の一周を一分と十二秒で通る。その間、順位どころか立ち位置すら全く変わっていない。
「ここから、だ」
ナカヤマフェスタが呟く。最終コーナーの手前、ステイズコールがペースを早めた。ロングスパートを見越した緩やかな初動、しかし他の三人を瞬く間に抜き去っていく。今まで散歩気分だったのが、急に牙を向いたような衝撃。
「……ついていかない」
もし全力で追いすがったならば、このペースならまだ間に合っただろう。ワンチャンスを狙う者は誰も居ない。ステイズコールはただ、当然のように一バ身前に出て、最初にゴール板を駆け抜ける。
「なんだか、リハーサルのようです」
カフェの言葉は言い得て妙だった。これから本番をやるかのように、あっさりとレースは終わってしまった。トゥインクルシリーズにあるような余韻は無い。ステイズコールが勝つという筋書きを確認しただけ。そして、本番にはならず次のレースへと向かっていく。
「うーん……カフェ、どうする?」
どうする、という言葉には幾つも意味が込められている。
「全てのレースがリハーサルなのであれば……本番を起こすしかないと思います。筋書きから外れて……そして、彼女達が満足するようなレースを。敗北に気が付かせてあげないと……」
「ふむ、ナカヤマさん。君だったらステイズコールに勝てるかい?」
「あ?」
次のレースに行っていた意識が引き戻され、ナカヤマはトレーナーの顔を見上げた。二秒程睨み合い、肩をすくめる。
「ま、勝とうとは思わねえな。勝つには全部出さなきゃならないだろ。割に合わねえ」
「じゃあ、カフェは?」
「……一人では、難しいかと」
マンハッタンカフェでも無理だと言う。負けず嫌いの彼女達が諦めるということは、単なる実力に収まらない何かがそこにあるということ。
「一人では無理。二人なら?」
トレーナーが重ねて問う。きっと、トレーナーとカフェが考えていることは一緒だろう。
「……ナカヤマさんが協力してくれるのであれば、負かす方法はあります」
「へえ」
口角が吊り上がる。新しい獲物を見つけた捕食者の顔だ。
「つまらない策には乗らねえぞ」
「それは困った。全く面白い策じゃないからね。こういう賭け事の場には相応しい、ちょっとしたズルをするだけさ」
「どうだか、良いから聞かせてみな」
「あの……その前に、どうやって彼女と走るかを考えた方が良いのでは?」
「あ? そんなの考える必要もねえよ」
ナカヤマは人混みの中を歩き出す。カフェも慌ててついていき、トレーナーもカフェに手を引かれた。
「よう、相変わらず湿気たレースになってんな」
「ナカヤマさん!? 頼むから出てくださいよ! これじゃあ上がったりだ」
ナカヤマが話しかけたスーツの男は、泣きそうな顔ですがりつく。どうやら、元々ナカヤマフェスタを勝たせられないかという話があったらしい。
「良いぜ。気が変わった。出てやるよ」
「ホントですか!?」
「ただし条件がある」
ナカヤマの目がトレーナーに向いた。必要なものがあるなら今言えと、そんな顔だ。
「そうだな」
トレーナーはコートの襟を正した。
「うちのウマ娘が出ることと、ナカヤマさん、ステイズコールを除いて最低でも十人以上の出走者を集めること」
そうすれば、レースに勝てる。トレーナーは断言した。
■
数日後、再びレース場に足を運ぶ。観客ではなく、今回は参加者として。マンハッタンカフェも勝負服に身を包んでいた。
「まさかたづなさんから許可を得るのが一番面倒だとは思わなかったよ」
とほほ、と疲れ顔で息を吐く。URAは闇レースの存在を認めていない。そういうものがあると認めてしまえば、対処に乗り出さなければならなくなる。知らぬ存ぜぬで済ませられるならそれが一番良い。
「そこまでして勝負服にこだわる理由があるんだろ?」
ナカヤマフェスタも勝負服に着替えている。闇レースにトレセン学園の生徒が出ること自体は誤魔化せる。他人の空似だと言えば良い。だが、勝負服を着てはそうもいかない。勝負服は、ウマ娘の個性の象徴だ。勝負服を着てレースに参加するということは「トレセン学園のウマ娘」として参加するということだ。学園にとってそれは都合が悪い。
「まあね。いやぁ、理事長を丸め込めば楽に終わると思ったんだけど」
事件解決のため、と言えば理事長はあっさりオーケーを出した。理事長権限で無理を押し通そうとしたのだが、理事長秘書は流石に堅物だ。
トレーナーは腕時計を見る。目的のレースまで後少し。
「カフェ、行っておいで」
「はい……ナカヤマさん、行きましょうか」
二人がパドックへと消えていくのを見送る。姿が見えなくなると、トレーナーはポケットから角砂糖を取り出した。ひとつまみ口の中へ放り込む。
「彼女達が勝てないとは、正直思わない」
余りにつまらない必勝の策。レースに絶対は無いが、もはやレースにすらならないだろう。問題はその後。
「勝って終わり、だと良いんだけどなあ」
非力な自分に出来ることはもう無い。彼はおとなしくレース場に意識を切り替えた。
■
「はじめまして……ステイズコールさん」
ステイズコールは淀んだ視線をカフェに向けた。果たして焦点は彼女に合っているのか。
「────」
彼女は何かを言葉にしようとして、やめた。瞳が右に左に揺れる。カフェを真っ直ぐ捉えることはない。まるで誰かを探しているようで、目を背けているようでもあった。
ひそひそと、周りから話し声がする。カフェ達の都合でむりやり集めさせられた参加者達だ。出走金と、トウィンクルシリーズのウマ娘と走るまたとない機会。そして、あの無敗王者が負けるかとしれないという期待。遠巻きながら、刺さる感情は悪くない。
「出走者の方は順番にゲートに入ってください」
係員が呼び出しをかけると、ステイズコールは歩いていく。彼女にとって大事なことは、レースに勝つことであって、相手は問わない。
「行くぞ」
カフェも名前を呼ばれ、ナカヤマと一緒にゲートへ向かう。
「では、ナカヤマさん。お願いしますね」
「博打って言うにはつまらない案だが、乗った以上はやるさ。だからお前はしくじるなよ」
「ええ、分かっています」
全員がゲートイン。態勢整って、ゲートが開く。
そして、マンハッタンカフェは大きく出遅れた。
観客からどよめきが起こる。優勝候補の一人が最速で一着争いから脱落したと言っても過言ではない。おおげさなまでの悲鳴と落胆が彼らを襲い、しかしその視線はすぐに先頭争いへと移った。
ハナを取ったのはナカヤマフェスタ。ナカヤマにとっては普通の走りでも、この闇レース場のレベルより遥かに高い。後続は自然と千切れて行き、殆ど独走状態のようになる。縦長の展開で、ナカヤマに迫る影が一つ。
「はっ、そう来ないとな」
ステイズコールがナカヤマの1バ身後ろにつけた。他がぐんぐん離されていく中、彼女だけがぴったりマークしている。
観客からため息が漏れる。これはステイズコールのいつもの勝ちパターンだ。ペースランナーの後ろに構えて、終盤で抜き去る。今回もそれで終わりだろう。トゥインクルシリーズのウマ娘ですら彼女には勝てない。そんな諦観が流れる。
「させるかよ」
半マイルが過ぎた。もう観客の目にはナカヤマとステイズコールの二人しか映っていない。かわして前に出ようとするステイズコールをナカヤマが巧みにブロックする。彼女が抜けない事態は初めてだった。諦観から少しずつ、ナカヤマを応援する空気に変わっていく。何度も防ぐ防御の走り、一線級のウマ娘を間近に見れる興奮に、観客席は熱狂し始めていた。
ステイズコールの表情も人間らしいものに変わる。中々引き剥がせない苛立ちと、勝ちへの歪み切った欲求。ナカヤマも汗を冷たく感じる程に、異常で狂った気迫。競り合うには、同じだけの狂気に身を委ねなければならない。
最終直線、ついにステイズコールがナカヤマを躱す。遠のいていく背中を見ながら、ナカヤマはニヤリと笑った。
「ここまで
「……当然、です」
ナカヤマの影から、マンハッタンカフェが現れる。ラビット──ドッグレースを由来とする、捨て駒のペースメーカー。最終直線までステイズコールを惹きつけ、カフェにバトンを託す。
出遅れたその瞬間に、マンハッタンカフェへのマークは外れていた。俯瞰できる観客すら彼女を見失っていたのだ。レースの中に居る彼女達が気付ける筈はなかった。
漆黒の勝負服がはためく。影に紛れ、横にいる相手からすら自分を隠す黒い外套。わざわざトレセン学園と交渉したのは、全てこの一瞬の為に。
「……はあああああああ!」
残り百メートル、カフェが抜け出した。誰もが勝負の終わりを確信しただろう。だが、バケモノじみたスピードで追走するウマ娘に、確信は打ち崩される。まるで超短距離走を、それこそ百メートル走を走るかのようなフォームでステイズコールが猛追する。作った筈の有利が瞬く間に埋まる。
もつれ合うゴールの刹那、マンハッタンカフェの唇の動きを、トレーナーだけが捉えていた。そして、カフェはほんの一瞬だけ、速度を上げた。
『勝ったのはマンハッタンカフェ! ステイズコールの無敗神話破れたり!』
ナカヤマを使ったフェイク。そして、カフェの全力を測り損ねるよう作りだしたレース展開。二重のトラップでもって一度の勝利をもぎ取った。
「まだ」
ステイズコールが呟いた。
「負けてない。負ける筈が無い。違う、これは間違いだ。不正だ。私の方が強い。私が、私が私が私が私が」
「いえ、
カフェははっきりと言い切った。
「あなた達は、どれだけ頑張っても勝つことはできません。満たされることはありません。その体は、あなた達の物ではありません。彼女の勝利にはなっても、あなた達の勝利にはならない」
「嫌だ、勝ちたい勝ちたい。負けたくない」
「こんなことは……言いたくないのですが」
マンハッタンカフェには、その気持ちは完全には分からない。
「誰かの体を借りている限り、あなた達は負け続けています。勝ちたければ、その体を捨ててください」
カフェが言葉を紡ぎ終えるのと、ステイズコールが倒れ込むのは殆ど同時だった。
■
長い夢を見ていた。真っ暗な海に溺れているような、空から永遠に落ちているような、苦しさだけが脳裏にこびりつく夢。彼女がようやく目を覚ますと、懐かしさを覚える天井が映った。
「やあ、目が覚めたかな。
枯れ枝のように細い青年、マンハッタンカフェのトレーナーが読みさしの本をテーブルに置く。ここはトレセン学園の保健室だった。傍らにはマンハッタンカフェが彼を守るように立っている。
「……名前」
「俺は記憶力には自信があってね。君を見てすぐに分かったよ。他のウマ娘に名乗らせてメッセンジャーにするのは、君が出来た最大限の反抗なのかな」
「無理はしない方が良い。君の体は後遺症が無いのが不思議な程にボロボロだ。休暇だと思ってもう一眠りすると良い」
「あの……彼女達は」
「還って、いただきました」
カフェが疑問に答える。
「おそらくは……かつてレースで勝てなかったウマ娘達の無念。何人分も集まっていたのは、もしかしたら以前にも誰かをとり殺したのかもしれません」
レースに勝ちたい、負けたくない。自身の強さを証明したい。多くのウマ娘が持つそんな欲求が怪異の形を成したもの。それがステイズコールの正体だった。肉体を酷使して、精神を奪って、そうして得られるものは操る肉体の勝利だけ。満たされることのない妬みと怨みが宿主を食い潰しては乗り換える。
「だから、安心してお眠りください」
「あり、がとうございます」
彼女達が消えた。その一言に安堵してコルセットは再び眠りにつく。
「彼女には失礼だけど、あっけない幕切れで良かったよ」
トレーナーは苦笑しながら本を鞄に入れた。負けを受け入れられない怪異が暴走する可能性は十分にあった。カフェならば最後には抑えられただろうが、それまでの被害は少なくないものになっかもしれない。
「彼女達も、分かってはいたのでしょう」
分かっていても、渇望せずにはいられなかった。
「まったく、ままならないもんだね。カフェ、トレーナー室に戻ってお茶にしようか」
「……ええ、そうしましょう」
自分達も他人事ではない。怨むし、怨まれる。それから目を背けるように、彼女達はコーヒーを啜るのだろう。