マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う   作:郡山 氷里

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血肉となりて

「ねえ、やめようよ」

 

 深夜のトレセン学園を三人のウマ娘が歩いていた。一人はライトを持ってずんずんと前を行く。ライトの光から離れるのが怖いのか、他の二人はその後ろに蝉のように張り付いていた。

 

「どうせなんか出たって見えないんだから」

 

 先頭の彼女は楽観的な言葉で友人を宥める。トレセン学園には()()というのは有名な話だ。心霊体験の筆頭とも言えるマンハッタンカフェに関わらずとも、そんな噂は毎日のように立っては消えていく。

 

「でも、血肉さんはウマ娘も食べちゃうんでしょ?」

「作り話じゃんそんなの。もしあったとしても逃げ切れるでしょ」

「ねえ……あれ」

 

 後ろを向いていた先頭に変わり、二番目のウマ娘が廊下の先を指差す。ライトの薄ぼんやりとした光に照らされて、人が立っていた。暗くて顔はよく見えない、背丈は成人男性と同じくらいだろうか。

 

「あ、あれって」

 

 彼女達の目を引いたのは、その影じゃなかった。その影の足元。真っ赤に広がった水溜りだった。

 

「い、いやあああああああああああ!」

 

 少女達の悲鳴が、深夜の校舎に響き渡った。

 

 

 マンハッタンカフェのトレーニングは、他の一流ウマ娘と比べるとやや少ない。彼女自身、夜にある()()()()との併走を大事にしているから。そして、彼女自身の脆い足先を案じてのことである。他のウマ娘達が練習に明け暮れている夕方は、彼女にとってはトレーナーとの心安らぐ一時であった。

 

「そういえば、聞きましたか?」

 

 いつもはトレーナーから始まる語り出し。今日は珍しくカフェからだった。飲んでいたコーヒーを途中で止め、カフェの話に耳を傾ける。

 

「昨晩、()()()()が出たと聞きました」

「血肉さん、って最近流行ってる都市伝説の?」

 

 ええ、とカフェが頷く。

 

「夜更かししてはいけないよ。血肉さんがやってくる。大鉈持ってやってくる。血肉さんはなんでも食べる。あなたも、あなたも、血の一滴まで残さず食べる」

「ウマスタで流行ってるんだっけ?」

 

 ウマスタで詳細不明のアカウントからアップされた『血肉さん』という歌は、ホラーチックな世界観と、投稿者の情報が何処からも出てこない不気味さから、ウマ娘たちの間でそれなりにブームとなっていた。その理由の一端には、インフルエンサーであるカレンチャンが反応したことも理由にあるらしい。だが、あくまで創作。由縁も由来もある代物ではない。

 

「深夜の学園に肝試しで入った生徒たちが血肉さんに出会ったそうで」

「深夜のトレセン学園に、とはまた命知らずな……」

「あの、殆どの人にとってはそれ程危険ではないので」

「あ、そうか……」

 

 深夜のトレセン学園は魑魅魍魎が跋扈する危険地帯だ。ただ、それが顕在化するのは怪異に親しいカフェと、怪異に好かれやすいトレーナーが居るからで、霊感の強い人でもなければ出会うことはまず無い。怪異に慣れすぎて、常識からズレてしまっていたことに気づき、照れ隠しにコーヒーを飲む。

 

「でも、そんな話俺は聞いてないけどな」

「私も、ヒシアマゾンさんから聞いたので。公にはまだしていないそうです。いたずらに不安を煽るわけにもいかないと」

「ってことは、被害は出てないのかな?」

「はい……出会ったウマ娘はすぐに逃げたので無事だったらしいのですが。翌朝寮長が確認しに行くと、証言のあった場所に血の乾いた痕が出来ていたそうです」

「血、ねえ。刃傷沙汰は管轄外なんだけど」

 

 荒事は苦手だと息を吐く。

 

「ま、血肉さんに食われる肉も無いけどさ」

「それは……頑張ってつけてください」

 

 カフェのトレーナーは病的なまでに痩せていて、そして背が高い。ちょっと押しただけで圧し折れるのではないかと危ぶまれる体では、当然筋トレも中々出来ない。トレセン学園で運動をさせてはならない人を選ぶなら、彼か樫本理事長代理のどちらかだと言われる程だ。

 

「そうは言っても体質だからね。カフェだって怪異を気にしないようにしてくださいと言われても困るだろう?」

「……屁理屈では?」

「バレたか」

 

 付け合せのスモークハムを口に運ぶ。線の細さから驚かれることも多いが、彼は結構な健啖家だ。カフェも食欲のある時は身の丈に合わない量をぺろりと平らげてしまうが、彼程ではない。料理趣味もあって、カフェがコーヒーを淹れるときにはほぼ必ず彼が付け合せを用意している。最近ではカフェの同室であるユキノビジンとコーヒー用のクッキーについて意見交換していたらしい。

 

「さて」

 

 用意していたスモークハムを全て食べてしまい、袋のドライフルーツに手をかける。コーヒーはもう飲み干してしまったが、彼が普段好む角砂糖の代わりなのだろう。

 

「仕事として来てない以上、俺らが積極的に首を突っ込む理由は無いわけだけど。カフェはどうしたい?」

「そうですね……」

 

 顎に手を当てて考え込む仕草を見せる。

 

「関わる必要は、無いと思います」

「ほう、どうして?」

「今回の件、嫌な気配を感じないので。迂闊に刺激しない方が良いかと」

 

 血肉さんという残酷な話にも関わらず、危険な匂いはしなかった。もし放っておいた所でそう易易と誰かに害を為すことはないだろう。しかし、怪異とは変異しやすいものでもある。カフェ達が関わることによって、本来無害であった物が脅威に変じてしまうよりは、推移を見守っていきたい。

 

「私達の出る幕は、無いと思います」

「カフェが言うのなら、そうなんだろうね」

 

 カフェの判断には全幅の信頼を置いている。トレーナーはドライフルーツを一つつまみ上げると、そのまま口に放り込んだ。

 

 

 最初の報告から一ヶ月。血肉さんの目撃例は後を絶たなかった。眉唾なものもあれば、信ぴょう性の高いものまで様々。都市伝説としてはよくある流れだ。トレセン学園内の血痕も何度か発見されていて、元々はウマスタで流行っていただけの噂が、学内全域に広まりつつあった。

 

 それでもカフェは変わることなくコーヒーを淹れている。

 

「今日は……マンデリンのフルシティローストが入ったので水出しにしてみました」

「ほう。こっちはスコーンを焼いてきたよ。マッチすると良いけど」

 

 さくりとスコーンを齧る。トレーナーの手元にはコピー用紙が束になっていた。内容にはもう興味が無いのか、食べかすが落ちないよう膝に置いてしまう。

 

「トレーナーさん、それは?」

「血肉さんについての資料。流石に悪戯で済ませるわけにもいかない回数になってきたからね」

 

 ベテランや実力のあるトレーナーを集めてのヒアリングと注意喚起が目的の会議に、彼も参加していた。情報は生徒会主導で集めたようで、シンボリルドルフやエアグルーヴのトレーナーが議長として始まった会議は、しかし何の進展もなく幕を閉じた。

 

「読むかい? 俺はもうだいたい把握したから」

「一応、頂きます」

 

 コーヒーを飲みながら一枚ずつ捲る。血肉さんの目撃された場所や日時、血痕の出来ていた箇所も事細かに記されている。主筆はエアグルーヴのトレーナーだろうか。不謹慎ながら、読み物としても楽しめるものになっていた。

 

 一ヶ月の間に血肉さんが観測されたのは四回。最初は例の肝試ししたウマ娘が。二度目は仕事で残っていたトレーナーが。三度目はトレセン学園で働いていた用務員が。四度目はまた別のウマ娘が。彼女たちの証言で共通しているのは身長は170cm前半、顔はフードを被っていて見えない。そして、その足元には血溜まりが出来ていたこと。

 

「問題は、怪異じゃなくても狂気的な犯人が居るってことか」

「時として、()()よりも人間の方が恐ろしいことはよくありますから」

 

 本当に怖いのは生きた人間だ、なんて。ホラー映画によくある陳腐なオチだ。

 

「だから、腕っぷしに自信のあるトレーナーが深夜の見回りに加わるらしいよ」

「それは、犯人さんが気の毒になりますね」

 

 一番息巻いていた桐生院トレーナーは女性だからと止められたが、メジロライアンのトレーナーやゴールドシチーのトレーナーが捜査に乗り出すという。ウマ娘ならいざ知らず、ただの人間では逃げることも出来ないだろう。

 

「そうだね。まあ、この一件はこれで落ち着くだろうけど。カフェも安全には気を付けてくれ。どんなトチ狂った輩が居るか分からないんだから」

「……それは、トレーナーさんの方では。私はウマ娘なので暴力には多少抵抗できますが、トレーナーさんはそういうわけにもいきませんし」

「俺が襲われることなんて、滅多にないと思うけどな」

 

 呑気に口を滑らせたトレーナーを、カフェが呆れた目で見つめる。

 

「夜の電車」

「うっ」

 

 気がつけば知らない電車に乗っていたことがある。

 

「たづなさんに化けた怪異」

「それは」

 

 名前を呼ばれ、連れて行かれそうになったことがある。

 

「タキオンさんに連れられて七不思議を調査したときも、襲われましたよね」

「よく覚えてるね、そんなにたくさん」

「トレーナーさんが、襲われ過ぎなんです」

 

 怪異に好かれやすい。カフェに出会うまで自覚していなかった彼の性質は、カフェからすれば今まで良く無事だったと驚愕するほどだ。

 

「トレーナーさんが居なくなったら、私は……」

「分かった分かった。気を付けるから。俺だってカフェを残して居なくなるつもりはないよ」

「本当ですね?」

「ああ、誓うよ」

 

 俺はもう、カフェの血肉のようなものだから。とは言わなかった。ポエミー過ぎて、気持ち悪がられる。それに、本当に血肉なら、わざわざ主張なんてしないものだから。

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