マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う   作:郡山 氷里

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山が哭く-壱

「行方不明、ですか」

 

 マンハッタンカフェと彼女のトレーナー。霊的なトラブルシューターとも言える二人に舞い込んできたのは、トレセン学園のトレーナーが山で遭難し、行方不明になったという事故だった。

 

「お言葉ですが理事長。そういったのは警察の管轄では?」

 

 トレーナーの疑問は尤もだ。カフェは登山も趣味にしているが、山岳救助隊のような特殊訓練は受けていない。トレーナー自身に至っては坂を登るだけでも重労働なインドア派だ。そんな二人に任せるよりは警察や救急に任せた方が安全かつ確実で、自分達が呼ばれた理由が分からない。

 

「うむ、勿論警察に連絡はした。しかし、当時トレーナーと一緒に居たウマ娘が二人に頼みたいと言ってな」

「そのウマ娘とは?」

「もう直、警察からの聞き取りが終わってこちらに来る筈だ」

 

 理事長が言うのと同時に、扉の向こうから足音がする。立ち止まると四度ノックをして、扉をガラリと開けた。

 

「失礼します」

「貴女は確か……グラスワンダーさん、でしたよね」

 

 カフェが確認するように問い掛ける。グラスワンダー、中等部に所属するウマ娘で、トゥインクルシリーズでも活躍している。カフェは一緒に走ったことはないが、知人であるスペシャルウィークと仲が良いことは知っていた。その時の彼女はもっとほんわかとした大和撫子のような少女だったと記憶しているが、今のカフェから見えるグラスは、背中に鬼神が宿りそうな激情を秘めた顔付きをしている。

 

「うむ。行方不明になったのはグラスワンダーくんのトレーナーだ。そして彼女は、居なくなる直前まで隣に居たという」

「……トレーナーさんは、私が目を離した一瞬の隙に居なくなってしまいました。不覚です」

「言葉通りに解釈するなら、煙みたいに数秒で消えたってことになるけど、その認識で良いのかな」

 

 グラスは小さく頷く。瞬きの間に、煙のように人が消えてしまう。彼はその事象に相応しい言葉を知っている。

 

「神隠し、ですか」

 

 神隠し。昔において天狗や狐の仕業とも謳われる失踪事件のことだ。現代でこそ多くは遭難や人攫いだと説明がつけられているが、神の仕業としか言いようの無い事例も未だ残されている。民間伝承では二、三日でひょっこり戻ってくることも珍しくないが、それを期待するのも酷だろう。

 

「なるほど、山に登って神隠しとは。そこは有名な霊山だったりするのかな」

「いえ……T山ですよね。私の知る限りでは特別強い気配は感じなかった筈ですが」

「登ったことがあるのかい?」

「はい、一度だけ」

 

 カフェが言うのなら間違いはない。霊山ではなく、しかし実際に神隠しが起きているとなると、あまり良い推測は立てられない。

 

「ってことは、最近良くないモノが棲みついちゃったパターンか」

「もしそうであれば、警察の方々はむしろ二次被害を受けてしまうかもしれません」

「あの、お二方」

 

 カフェと彼の会話にグラスが割り込む。決意を込めた瞳で、二人を見た。

 

「私と一緒に、その山に登ってくれませんか?」

「一緒に、ですか?」

 

 グラスの要求は予想外だった。助けに行ってほしいと乞われるのは分かっていたが、まさか自分も連れていけなどとは。

 

「ここで一人安穏と結末を待つのでは名折れです。迷惑でなければ、私も捜索に参加したい」

「……今まで知らなかったけど、グラスさんは芯が意外と過激なんだね」

 

 ギラついた目、固く結ばれた唇。もはや大和撫子というより女傑と形容した方が良い。闘争心が表に出にくいウマ娘はしばしば居るが、彼女はその中でもギャップが特別強いようだ。

 

 トレーナーがちらりとカフェを見る。この場における決定権は彼ではなくカフェにある。体力を使う場所であればトレーナーは殆どお荷物だ。だからと言って部屋でぬくぬく待っているつもりもなければカフェを一人にするつもりもない。カフェが二人目の庇護者を許容できるか、言外に尋ねる。

 

 カフェは脳内のパズルを組み立てるように指をくるくると回した。

 

「好ましい提案ではないのですが、分かりました。その山には私も興味があります。三人で捜索しましょう」

「……! ありがとうございます」

 

 グラスは深々と頭を下げる。

 

「感謝! 警察への根回しは既に行っている。必要な装備があれば私が用意しよう!」

「バックアップが手厚くて助かりますね」

 

 一般人の介入をどうやって警察に納得させているのか。恐ろしいものを感じたが、気にしないよう目を瞑った。

 

 

「いや、ほんと……山登りってキツイね」

「トレーナーさん……まだ登り始めて十分と経っていませんよ」

 

 グラスワンダーのトレーナーが消息を絶ったというT山。標高は400m程度とけして高い山ではない。比較的軽装の登山道具を装備して、三人は山を登っていた。トレーナーは水筒などの重量があるものをカフェに持ってもらったにも関わらず、一人だけ既に息を切らしている。

 

「いやぁ、こうなる度に体力をつけようとは努力してるんだけど」

「無理はしないでくださいね。こまめに休息は入れますから」

「申し訳ない」

 

 カフェから受け取った水筒で水分補給をしながら、山頂の方を見る。迷うことが有り得ないとは言わないが、初心者でも歩きやすいハイキングコースだ。道を逸れたとは考えにくい。遭難者が出たということで登山客は締め出されているが、普段であれば賑わいもある筈だ。

 

「ふう。カフェ、嫌な雰囲気とか感じる?」

「今のところは。ですが、神隠しは一瞬で起きますから」

「気は抜けないってことか」

 

 この中で狙われるとしたら、おそらくトレーナーだろう。彼は自身が怪異に好かれることを自覚している。そして、今回の怪異がグラスではなくそのトレーナーを狙ったことからも、ウマ娘二人より自分の方が危険だと判断していた。

 

「グラスさんは大丈夫?」

「お気遣いなく。自分のことは一番よく分かっています」

 

 実際アスリートとして、ウマ娘としてこの程度の山登りは苦にならない。しかし、彼女の表情は暗い。かのトレーナーを探そうにも手がかり一つないのだ。焦るのも仕方のないことだろう。なんとか気を紛らわせる一言でも言えたら良いのだが、彼にそんなセンスは無い。

 

「あまり、思い詰めないでくださいね。心の隙間に彼らは反応しますから」

「分かりました」

 

 カフェの言葉にも堅苦しく頷く。

 

「とりあえず、グラスさんのトレーナーが消えたって場所まで行こうか」

 

 額に浮かぶ汗を拭う。整備された登山道でも、大小転がる石ころが不快だった。蹴飛ばした一つが他の石にぶつかってこつんと音を立てる。そんな音すら響く程静かな行軍だ。

 

「……ん?」

 

 異変を感じたのは、さらに三十分程登った時だった。霧が出てきていた。いつの間に、と思うより早くトレーナーはカフェとグラスの姿を探す。自分の少し前を行っていた筈の二人の姿が無い。

 

 神隠しにあった。そう判断するのに時間は掛からなかった。

 

「しまった。気を付けていたつもりだったんだけど」

 

 ポケットから角砂糖を取り出して口に放り込む。直接的な甘みが口の中に広がって、頭が冴えた気がする。考え事をする時は、必ず糖分を取ってから。一度足を止めて思考を組み直す。

 

 はぐれないようにしていたが、霧に気を取られた一瞬の隙間に攫われた。まだ霧は濃くなっていて、数メートル先すら今は見渡せない。足元を蹴る。小石がぶつかり合って音を鳴らした。地に足つかない状況になっていたらどうしようかと考えていたがその心配は無いらしい。

 

「あてもなく歩き回るとして。道具は……水筒以外はちゃんと持ってるな。偉いぞ俺」

 

 最低限の登山道具はナップサックに入っている。無理を押して自分で背負っていたのが功を奏した形だ。レインコートを取り出して羽織る。霧が本物なら、じわじわとこちらの体温を奪っていくだろう。

 

 過ぎたことを悔やんでも仕方がない。逸れてしまった以上、彼がするべきはカフェ達に合流すること。そして、自分より先に迷い込んでいるであろうグラスワンダーのトレーナーを見つけること。

 

「カフェ、グラスさん。聞こえたら返事してくれ」

 

 霧中に声は消えていく。それでも何度か声を張り上げた。二人でなくとも、グラスワンダーのトレーナーや、もしくは別の遭難者に出会うことができれば一気に楽になる。

 

「あれ、あれ?」

 

 返ってきたのは、知らない少女の声だった。

 

「わあ、人なんて久しぶりに見た。おにーさん迷子?」

 

 霧の中からすっと現れたのは、芦毛のウマ娘だった。中等部くらいだろうか。カフェより少し背が低い。花をあしらった着物の袖を振りながら、からんころんと下駄を鳴らして歩いてくる。目は血のように紅く、貼り付けられた笑みは愛らしさよりも先に不気味さを滲ませていた。この世のものではない、と彼はすぐに理解する。時代錯誤な格好、霧の中から現れる不自然さ。()()()()()()()()ような言い草。そのどれよりも、彼の直感が警鐘を鳴らしていた。

 

「友人と逸れてしまってね。探そうにもこの霧じゃ動くことも出来ない」

「あら、それは大変だ。お友達に会いたいの?」

「もちろん。崖から落ちたら大変だしね」

「ふーん」

 

 芦毛の少女は彼の周りをくるくると回る。真っ白な髪はカフェと対称的だ。見定めるような視線に彼は身じろぎ一つしなかった。冷や汗が流れ落ちる。湿気が喉に張り付いて、息が詰まりそうだ。

 

「お友達のところまで、案内してあげようか」

 

 異なる世界では、相手の提案を呑んではならない。カフェに最初に教わったことを思い出す。怪異は人を引きずり込む為に、様々な甘言を弄す。名前を呼ぶ声に返事してはいけない。肩を掴まれても振り返ってはいけない。彼らの言葉に頷けば、命運は彼らに握られているのと同じだ。

 

「そうだね、お願いしようか」

 

 しかし、トレーナーは迷うことなく頷いた。少女はにっこりと笑って彼の数歩前に足を運ぶ。

 

「君の名前を聞いても良いかな」

「えー、そうだなあ、シロって呼んでくれればいいよ。おにーさんは?」

「幽霊とでも呼んでくれ。知り合いにはよくそう呼ばれる」

「ユーレイ? あはは、生きてるのに変なの」

「ほんとにね」

 

 少女が歩くと、逃げるように霧が晴れていく。転ばないように彼はその後ろをついていった。下駄と安全靴の音をバックグラウンドミュージックにして、二人の会話は弾む。

 

「シロはいつもこの山に居るのかい?」

「来たのは最近かなー。ここって空気が美味しくて、良いところだよね」

「俺は来るのは初めてだから。でも、確かにそうかもしれない」

「ユーレイは初めてなんだ」

「ここには人探しに来たからね」

「人探し?」

 

 シロの足が止まる。それに合わせて彼も足を止める。

 

「うん。俺より背は低くて、黒髪でのほほんとした感じの男の人。何処かで見てないかな?」

「それがお友達なの?」

「うーん、逸れた人とはまた別かな。その人を探しに一緒に来たんだ」

「なるほどー。のほほんとした感じの男の子かー」

 

 返事はせず、シロはまた歩き出す。涼やかな空気は、違う匂いを纏い始めたのをトレーナーは感じた。甘ったるい、花の蜜の匂い。春に引き寄せられる虫と変わりないな、と彼は自嘲する。それでも、進む以外に道は無い。

 

 甘い匂いを上書きするように、彼はまた角砂糖を放り込んだ。

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