マンハッタンカフェとトレーナーは怪異の海に揺蕩う   作:郡山 氷里

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山が哭く-弐

「トレーナーさん……?」

 

 マンハッタンカフェから見ればまさしく煙のごとく、トレーナーはその場から姿を消した。足音も、声もしなかった。怪異が近くにある時の、芯から冷えそうな寒気は感じない。だから油断していた。まさか、この一瞬で連れ去ってしまうとは。

 

「カフェさんのトレーナーさんまで……」

「ええ、でも。目的は変わりません。グラスさんの、トレーナーさんを探しましょう」

「ですが」

「あの人は、大丈夫ですから」

 

 カフェは自分の服の襟を握りしめた。信頼が半分、強がりが半分。本当は今すぐに彼を探しに行きたい。同時に、彼がそれを望んでいないことも分かっている。自分は大丈夫だから、問題ないから他人を助けてあげてほしいと、そう言うに決まっている。

 

「行きましょう」

 

 意を決して顔を上げた時、ウマ娘の聴覚が異音を捉えた。

 

 泣き声。子供の、少年の。親と逸れた迷子が立ち尽くしている時のような、誰かを求めるすすり泣き。

 

「カフェさん」

「向かってみましょう。怪異だとしても、何か手がかりが得られるかもしれません」

 

 二人は声のする先へと進む。消えてしまいそうな微かな声は、山を登るにつれ段々と近づき大きくなっていく。中腹まで辿り着くと、声の主の正体もはっきり認めることが出来た。

 

「ぐすっ、ひっぐ」

 

 小学生低学年くらいの、小さな男の子だ。黒いTシャツに短パンと運動靴。膝にはガーゼが貼ってある。

 

「ボクくん、大丈夫ですか?」

 

 グラスワンダーが駆け寄る。しゃがんで視線を合わせると、幼い顔がよく見えた。泣き腫らした瞼は赤く、涙と鼻水で顔はぐずぐずになっている。

 

「あら。ちょっと待ってくださいね。今タオルでお顔を拭きますから」

「……お姉ちゃんたち、だれ?」

「登山客のウマ娘ですよ~」

「あなたは?」

 

 男の子はグラスに顔を拭いてもらうと、ぽつぽつと喋り始める。

 

「あのね、お母さんとね、来てたの。でも、気付いたらお母さんがいなくて。けーさつの人も探してくれてるんだけど。しんぱいで」

 

 グラスとカフェは顔を見合わせる。他に行方不明者が居たという話は聞いていない。聞いていないが、ありえないとも断じられない。グラスのトレーナーが居なくなっているのだ。他に被害者が居てもおかしくはないだろう。トレセン学園に伝わっていないのは連絡ミスだろうか。

 

「あの」

 

 グラスがカフェに呼びかける。言いたいことは分かっていた。怪異の寒気は未だ無い。こんな小さな子を山に一人ぼっちにしておくわけにもいかない。

 

「私も一緒に降ります。捜索はそれからにしましょう」

「いえ、私一人でも」

「このような状況ですから」

 

 何かあった時に、一人では対処できない。カフェの側も例外ではない。時間は掛かっても、二人で安全な麓まで連れて行った方が良いだろう。

 

「お姉ちゃんたちも、だれか探してるの?」

「え、ええ。私より背の高い男性なんですけど」

「ぼく、みたよ」

「え?」

「おとなの男の人がね、ふらふらー、って山を歩いてたの」

「どんな人でしたか!?」

 

 思わず肩を強く掴む。

 

「いたっ……!」

「あ、ごめんなさい」

 

 男の子の悲鳴で我に返ると、グラスは深々と頭を下げた。どれだけ冷静に振る舞っていても、心の中では焦りと不安で一杯になっている。これではいけない、とグラスは息を吐いた。心を乱しては、トレーナーに合わせる顔がない。

 

「ボクくん。どんな格好だったか、お姉さんに教えてくれますか?」

「クロって名前あるもん」

「はい。ごめんなさい、クロくん」

「いいよ」

 

 それでね、とクロは話し始める。山頂で、お母さんと一緒に居る時に、グレーのジャケットを着た男が覚束ない足取りで歩いていたのだという。その特徴は確かにグラスワンダーのトレーナーと一致していた。

 

「クロくん。見た場所まで私達を案内してくれませんか?」

「グラスさん」

「分かってます……でも、少しだけ寄り道させてください」

 

 強くお願いされてはカフェも断りきれない。クロが頷いて、グラスの手を取った。そして今度は三人で歩き始める。山頂を通り過ぎ、登山道の反対側に入る。段々と霧が出てきたことにカフェは気がついた。グラスとクロの二人はそれ程気にしてもいないようだ。

 

「違う」

 

 自分より先を歩くグラスとクロの歩みに()()()()()()()()

 

「グラスさん!」

 

 反射的にカフェはグラスの腕を引っ張った。グラスとクロが繋いでいた手は簡単に離れ、バランスを崩したグラスをカフェが抱き留める。心臓がバクバクと鳴った。クロが不思議そうに振り返って首を傾げていた。

 

 ──崖の奥、宙に浮きながら。

 

「おかしイな? なんデ気づいタの?」

 

 クロの声がノイズを帯びる。後一瞬遅ければ、グラスは崖の底に転落していただろう。いくらウマ娘でも、受身も取れないまま滑落すれば命が危ない。グラスはつま先が地面を離れていたことに恐怖する。止まるつもりなんて無かった。

 

「最初から、違和感はありました」

「えエ、完璧に演ジたと思ったノに」

「実際、騙されましたよ。本当はその場で引き剥がすべきだったのに」

 

 カフェが引っ掛かった部分。自分の気の所為だと一度は誤魔化した証拠。

 

「貴方の影が、私達よりも薄かった」

「……ハハ」

 

 クロが口を大きく広げて笑う。顎が外れるほど、口が裂けるほど。

 

「ハハハハハハハハハハハハハハ

            ハハハハハハハハハハ

   ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ

                                      ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ

ハハハハハハハハハハハ

ハハハ     ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 

 それはもう、人間の笑い声ではなかった。金属が擦り合う時の不快な高音よりも不快で。近くで響く花火の音よりも轟いて。暗闇に滴る雫の音よりも恐怖を煽る怪異の音。ゴキリとクロの首が折れる。縦に百八十度折れ曲がる。下手なホラームービーのようだ。現実でさえなければ、手を叩いて笑っただろう。

 

 霧は真っ赤に染まっていた。カフェはグラスをより近くへと引き寄せる。今逸れてしまえば、この血の霧の一部として取り込まれるのは分かりきっていた。怪異が為す寒気に鳥肌が立つ。ここまで悪意に満ちた怪異に出会ったのはいつぶりだろうか。あの時は()()()()が助けてくれたが、今回は。

 

「トレーナーさんを、何処にやったんです!」

 

 グラスが叫ぶ。悪意に満ちた存在が目の前に居る。行方不明になった自分のトレーナーと結びつけてしまうのは当然だ。

 

「さア? どうだっタっけ? 覚えテないヤ」

「……許しません」

「許さなクて、どうスるの?」

 

 恐怖は怒りに塗り替えられる。クロが宙に浮かんでいるのでなければ、今にも飛びかかりそうな威圧感。怪異が相手では敵わないかもしれない。それでも、刺し違えてでも怨みを晴らそうという覚悟。それを浴びてクロは恍惚の笑みを浮かべた。おそらくは、そうやってどうにもならず絶望している姿を見たいのだろう。

 

「では、まだ無事ということですね」

 

 カフェの言葉にクロのニヤついた笑みが消えた。

 

「本当は語りたいのでしょう? どれだけ無様に死んだのか。どれだけ滑稽に落ちていったのか。話したくて仕方ないでしょう。でも、そうしないということは。貴方は前回も失敗した。彼女のトレーナーを落とすことが出来なかった。違いますか?」

「都合良ク考えルね」

「貴方のペースに乗ってあげる理由はないので」

 

 カフェはクロに背を向ける。グラスの袖を引いて、まるで彼に興味はないとでも言うかのように。

 

「カフェさん!?」

「あの怪異に構う理由はありません。人を騙すことしか出来ない小物ですから」

 

 走りますよ、と小さく告げ、カフェはその健脚を飛ばす。グラスもこけないように必死にそれに着いていく。

 

「逃げルな!」

「ついてきてますよ、クロくん」

「振り向かないで、振り切りますよ」

 

 必死に足を動かすも、怨嗟の声は離れない。それどころか、着々と近づいてさえいる。ウマ娘の速度を物ともせず、逃がすものかと獲物を追いかける。

 

「追いつかれます!」

「もう少し粘ってください!」

 

 悲鳴にも似た叫びに怒号で返す。落ち着いている余裕なんて無い。霧の中を、道を変え走り続ける。それでも、蹄鉄も無いただの登山靴では限界があった。ついにクロの手がカフェの肩を掴む。千切れそうな強さにカフェは顔を歪めた。

 

「捕まエた、逃さナい。食っテやる」

「捕まえた?」

 

 息を切るカフェ。その目は絶望には染まっていない。

 

「逃げ切りましたよ、私たちは」

 

 バチン、とクロの手が弾かれた。

 

「ナニが」

 

 焼けるような痛みにクロはようやくカフェ達以外に意識が向いた。そして、その場にあるものに顔を青褪めさせた。石彫の男女の像。そしてカフェが持つ小さな紙切れ。

 

「道祖神様。この度はこのような小さな御幣で申し訳ございません。どうか私達をお守りくださいませ」

 

 道祖神。山の峠に祀られる神像。外来の疫病や悪霊、はては旅行安全と八方に加護を与える人の味方。

 山登りが決まった時から、カフェは念のために道祖神のある場所を調べ、手作りの御幣を用意しておいた。万が一怪異に襲われ、太刀打ちする手段が無かった時、最後の拠り所にする為に。まさか本当に使うことになるとは思っていなかったが。

 

 光が、クロを包む。光としか呼びようがなかった。目に見えない流れで、しかしそこにあると確信できる不思議な力の本流。カフェ達から引き剥がし、地へと叩きつける。いや、踏みつけているのかもしれない。何が起きているのかさっぱり分からないグラスはそんな感想を抱いた。大きな誰かが、クロを踏みつけて、押し込めている。

 

「イヤダ、イヤダイヤダイヤダ許シテ猿田彦様」

 

 消エタクナイ。無垢な子供の姿をした怪物は、叱られて泣きじゃくるように姿を消した。霧が晴れ、山道は元の姿を取り戻している。

 

「カフェさん。あれは、なんだったのですか」

 

 顔面蒼白のグラスの問いかけには、カフェは答えることが出来なかった。ただ、危険は去ったのだと、そう伝えることしか出来なかった。

 

「まだ、問題は解決してません」

 

 クロは消えた。しかし、グラスのトレーナーも、彼もまだ戻ってきてはいない。こちらとは別口の怪異だったのだろうか。

 

「少し、休憩したら捜索を再開しましょう」

 

 だが、今は全力で走ったこともあって心身共に疲れ果てていた。カフェがナップサックから水筒を取り出すと、グラスも気がついたように自分の分を取り出す。喉がからからになっていた。

 

 そして、息を整えると。二人は改めて道祖神に深く頭を下げた。




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