虚無宙域   作:伯林 澪

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第二話・序章

──宇宙空間・国際協定座標TQ201/AR998──

「――!?」

ジョン・ヘインズ中尉が異変に気付いたのは、仮眠から()めたときだった。口に酸素マスクをあてがわれていたのだ。辺りを見まわすと、周囲からエラー音や船員の怒号が聞こえてきた。

 

「システム再起動を試せ!」

「姿勢制御エンジン動作停止!」

「バックアップはまだか!?」

「前方レーダー3号、ブラックアウト!」

「整備班は何をしているんだ!」

 

USS〈スペース・パイオニア号〉は最新鋭の宇宙巡洋艦だ。よほどの大規模攻撃に(さら)されたのでないかぎり、このような事態にはならないはずだが――そう考えた中尉が制御コンソールを見ると、船体の破損は見られないかわりに生命維持装置の表示が〈DISABLED(無効)〉となっている。原因を示す欄には〈UNKNOWN SYSTEM ERROR〉。

しばらく啞然としていた中尉が少しでもシステム復旧作業に加勢するべく立ち上がると、すぐ横で低いビープ音がした。振り返ると、エア・ロックの気密状態表示が〈UNLOCK〉となるところだった。――生命維持装置が故障し、さらにエア・ロックから空気が漏れ出していては、この宇宙船の船員の命はもって十数分だ……酸素タンクの残量はすでに危険領域に入っているうえ、いま起きている船員は現状把握に手一杯で、救助を呼ぶことまでは手がまわっていないようだ。このまま誰も救援をよこしてくれなければ、我々はまず助かるまい――中尉は過呼吸にならないよう気をつけながら、無電機の前まで歩いていき、周波数を国際緊急周波数にあわせて通信を試みた。

メイデイ(MAYDAY)メイデイ(MAYDAY)メイデイ(MAYDAY)!こちらSA972、USS〈スペース・パイオニア号〉!ワシントン管制センター (WACC)へ、WACC応答願います!」

『WACCよりSA972へ、感度良好』

五秒とたたずに管制官が応答したので、中尉は心中で安堵しつつ救援要請を返す。

「こちらSA972、至急救援機を出していただきたい。当艦はシステムエラーにより生命維持装置が停止、さらにエア・ロックの故障により残存している酸素も漏洩している」

『WACC了解、ただちに救援機を送る。貴艦の位置は?』そう問われ、中尉は戦術マップを見る。

「こちらSA972、本艦の現在位置は、国際協定座標TQ201/AR998だ」

『WACC了解。救援機はただいま出発、当該座標到達まで約七分』

中尉は反射的に酸素残量表示を見る――表示は〈3min.〉。中尉は酸素をセーブすることも忘れ、ほとんど叫ぶようにいった。

「こちらSA972、私の酸素ボンベ残量はあと三分しかない!救援機の速度を上げていただきたい!」

『こちらWACC、救援機は最高……中だ……その……待機……』

管制官の声にノイズが走ると、とたんに無線がブツッと音をたてて途切れた。

「WACC?WACC応答願います!こちらSA972――」

そこで、中尉は酸素残量が少ないことを思い出し、叫ぶのをやめて残量表示を見た……表示は〈05sec.〉。五秒間はまたたく間に過ぎ、中尉は化学合成の酸素がマスクへ排出されなくなるのを感じるや否や、恐怖で失神した。

 

〈スペース・パイオニア号〉の亡骸(なきがら)に救援機が到着したのは、船員全員が死亡した三分後のことだった。彼らはシステムに精密検査を行い、システムエラーの原因を突き止めるべく、当該機の中枢制御コンピュータをつんで帰路についた。だが、救援機は()()()()をおこして大気圏再突入に失敗し、燃えつきた……

 

 

──米国宇宙防衛司令部──

八月の蒸し暑い朝、米国宇宙防衛司令部 (USSDC)長官は、寝起きで眠い目をこすりながら青年将校の報告を聞いていた。――ここ数十年で、地球温暖化はますます加速し、ときには最高気温四五度を記録することもあったが、長官室のエア・コンディショナーは囂々(ごうごう)と音をたてて、摂氏二五度の風を長官の胡麻塩(ごましお)頭に吹きつけていた。

「本日早朝、第六八九戦闘航空団が哨戒飛行を実施し、フロリダ半島沖で民間宇宙船の残骸を発見しました。当該機はジェイムズ&ポーター商会所有の〈アルファ・ケンタウリ号〉と特定、墜落原因は()()()()による意図せぬコース変更と思われます」将校は淡々と告げる。

「ご苦労。それくらいならさして珍しくもない。当該機の残骸は回収し、所有者には連絡を入れておけ」長官は乱れた髪を搔きながらこたえる――何だってこんな()()()()()()事件で俺が起こされなけりゃならんのだ?

青年将校が部屋を出ていくと、長官は大欠伸(おおあくび)をした――カレンダーはAUG・27を指している……今日は日曜日だ、もうしばらく寝たところで罰は当たるまい……

そう考えるなりベッドに横になり大いびきをかき始めた長官が、〈スペース・パイオニア号〉の事故を(しら)せる(くだん)の青年将校の大声で叩き起こされたのは、それから五分後のことだった。

 

RQ―21の漏洩から数週間がすぎるころには、事故宇宙船・衛星の数は指数関数的に増加しつつあり、その数が一日に千件をこすことも珍しい話ではなくなっていた。だが、その原因をコンピューター・ウィルスにもとめる声は、ほとんどおきなかった。

そして――開発元たるSERCのE―9課は、いま起きている現象がRQ―21の効果と吻合(ふんごう)しているのにもかかわらず、上層部への報告をためらった。――責任の追及をおそれたのである。

さよう、()()()()()()()()()()……その思考の根底には、人類という若木への淡い期待があった。

――我々が報告せずとも、きっと人類はRQ―21への対抗策をうみだせるはずだ。凶悪ウィルスのHawkeye(ホークアイ)CastDie(キャストダイ)をも駆逐しえた人類なのだから……

だが、RQ―21が〝乗務員の死亡〟を引きおこし、それによって被害報告自体があがりにくい――すなわち、ウィルスの解析をおこなうための〝サンプル〟が集まりづらいということに、E―9課はついに気づかなかった。

 

──ワシントン宇宙管制センター (WACC)──

『……以上、現場からの中継でした。次のニュースです――今月の未帰還宇宙船の報告件数がついに一五〇〇件をこえ、連邦宇宙捜査局 (SBI)が調査に乗りだしました。所属不明の宇宙船が地球周回軌道上の宇宙船を撃墜しているというデマも広がりつつあり、当局は根拠のないデマへの注意を呼び掛けています……』

レーダー・コンソールの横で、携帯テレビ受像機が早口でそうまくし立てているのを聞きながら、マーク・キャンベル一等宇宙管制官は山と積み上げられた〝事故機〟の報告書と格闘していた。書類を一山片付けてから、すこし休もうとコーヒー・サーバーに歩いていくと、同僚のピーターに出くわした。

「ようマーク、随分と顔色がわるいな。鏡を見てみろ、今にも死にそうだぜ」

と、暇にあかして管制室を訪ねたその男は揶揄(からか)うように言う。

「ああそうともさ、だからコーヒーを飲みにきたんだ。カフェインが必要でな――ここ数ヶ月で急に事故機がふえ出したのはお前も知ってるだろうが……ここワシントン管制にも救難信号はごまんと届く。お前は――たしか会計だったかな……噂くらいは届いてるはずだ」マークは紙カップにコーヒーを注ぎながら答えた。

「うん、確かにきいている。この間なんぞ、エウロパ航空のボウイング971型機が天王星α(アルファ)-7宙域で大事故をおこしたそうじゃないか……」ピーターはアール・グレイを注ぎながら、軽い調子でいう。

「そうさ――彼らはもちろん、機体が操縦不能だとか、()()()()()()()()()()()とかで救難信号を送ってくるんで、俺たちも仕方なく救援機を出す。で、救援機は事故機の生存者と一緒にブラック・ボックスやら制御コンピュータやらを持ち帰るわけだが、なぜだか毎回毎回()()()()だかをおこして墜落するんだ。おかげで事故理由もろくろく判らん」マークは目を(すが)めながらつづけた。

「しかし、そこら辺には軍用の偵察衛星がうようよいるだろう。なぜ事故理由も判らんのだ?」ピーターが怪訝そうに眉をひそめる。

「それはだなピーター……事故現場付近の衛星が、軍用・民間問わず、すべて消息不明になっているからさ。しかも衛星が死んでいる範囲が()()()()()()してやがる――また中国やらネオ・ナチやらが何か企んでやがるのかな……」マークは忌々しそうにそう言うと、手にもったコーヒーを飲み干し、別れの挨拶もせずに自分のデスクに戻った。――()()、救難信号が聞こえてくる……そこで、彼ははたと気づいて後ろをふり返り、帰ろうとしていたピーターにいった。

「おい……お前は明日、冥王星に出張の予定があったな――あれはキャンセルしろ。なぜだか嫌な予感がする」

「何だって?」ピーターはとんでもないという風にかぶりを振った。「俺の乗る便は()()ゼネラル・シャトルズ225-991型機だぜ――おまけにスイート・クラスだ」

そういうと、マークが次に何かをいう前に、ピーターは高速水平エレベーターの扉をぴしゃりと閉め、上階へと消えていった。

 

はたして次の日、冥王星第七宇宙港行きのオリオン航空三五五四便――ハーマン・メルヴィルの著作から〝白鯨(モビー・ディック)〟と渾名(あだな)されたゼネラル・シャトルズ225―991型機の白い優美な巨体は、()()()()によって冥王星の渇いた大地に墜落した……

 

 

「ミスター・キャンベル? ミスター!起きてください!」

管制官の一人が、声を抑えながら呼びかけている。

「うむ……?どうした、何か用か?」

と、まだ勤務時間中にもかかわらず、居眠りをしていたらしい、ミスター・キャンベルとよばれた男――キャンベル・スミスが目をこすりながら答えた。

「それが……たったいま入ってきたニュースですがね――ゼネラル・シャトルズの225―991が、冥王星D―12区に墜落したようです」最近はいってきた若い管制官が興奮気味にこたえる。

「例の……〝白鯨(モビー・ディック)〟か。いったい何万ドルつぎ込んで――いや、それより――乗客は無事か?」キャンベルは欠伸(あくび)を噛み殺しながら()いた。

「ニュースにも中継がでていましたが――三〇億ドルを費やした機体はすでに粉微塵(こなみじん)です。生存者がいるとはとても……」

「ふん、おおかた共産主義者(コミー)の奴らがやったんだろう――まったく……うちのお偉方は何だってあんな連中を野放しにしてやがるんだ?」彼はぶつくさ文句をいいながら、制御コンソールの赤いボタンを叩いた――管制塔から耳をつんざくようなサイレンが響き渡り、スピーカーから男の野太い声がこだまする。

『第四一六救難隊、出撃準備。目標宙域はHR577/RU244、磁方位(マグネチック)二四〇度。オリオン航空三五五四便を発見し生存者を救助、輸送艦に遺留品を積載し帰投せよ』

とここで、男は言葉を切って考え込み、追加指示を出した。

『なお、同救難隊の通信手段は無線のみとする。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

そう言い終わったところで、彼は管制室の隅で微かな声で啜り泣く、一人の管制官に気がついた。

「彼は?」と、男は隣の二等管制官に訊いた。

「ああ、マークの奴ですか。同僚が彼の忠告をきかずに三五五四便に乗ってしまったそうで――速報を見てからずっとあんな調子ですよ。私としては、ただでさえ人手が足りないのでいい迷惑なのですがね……」

「まあ、彼の気持ちはわかる。俺も彼と同じ立場なら同じことをしたかもしれないしな」と、男は冷淡な若い同僚をやや軽蔑しつつ、同情をこめていった。


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