リチャードソンは李が心底驚いた顔をしているのを見て、ああなるほどと合点がいった。
中国は、結果的に米国ほど発展はしなかったものの、シベリアのほとんど全域とインド半島東部を併呑し、宇宙開発競争においても米国と比肩するほどだ。その中国の宇宙機関であるCNSAの局長たる李が現状を把握していないというのは些かおかしな話だった。
「………」
彼が李のそばに控えている緑制服の政治将校とおぼしき男を見据えると、男は一瞬目を合わせたなり、視線を宙へと彷徨わせる。
(やはりか)
親米派との噂が絶えない中、実力のみを足がかりとして名目上の局長に就任した李は、検閲済みの〝最新情報〟に踊らされていた、というわけだ。
だが、李に〝真実〟を教える前にいちいち中国共産党の上層部に諒承を得ている暇はない。こうしている間にも事態は刻一刻と深刻化しているのだ……リチャードソンは秘書に耳打ちをして護衛を増員させてから、「いいですか」と前置きをして切り出した。
「人類はいままで、大量の人工衛星や宇宙ステーション、あるいは探査機を打ち上げてきました。しかし、役目を終えた人工衛星などはそのまま軌道上に残存しつづけ、二年前にNASAが行った調査では――低・中高度周回軌道のうち、すくなくとも五七パーセントが航行禁止宙域の基準に該当しました。原因は、宙域一帯に存在する宇宙塵です」
そこまでいうだけで事態の深刻さを察したのか、みるみるうちに李の顔が蒼褪めていった。
「……とすると、最近頻発している人工衛星などの事故で、航行不能宙域が爆発的に増加している、ということですか」李が顔を伏せ気味にして言う。
「その通りです。すなわちこれが意味するところは、たとえ生き残った宇宙船が地球へ帰還しようとしたとしても、大気圏再突入を行う前に蜂の巣となってしまい――」リチャードソンがそこで言葉を切ると、李が引き取って言う。「最悪の場合、地球が全宇宙から孤立してしまう、と?」
「ええ――これが二〇〇〇年代ならばそれでも問題は少なかったでしょうが……」リチャードソンは残念そうに続ける。「いまや地球の資源はあらかた採り尽くされてしまいましたしね」
彼の言葉に嘘はなかった。いまや地球では石油、石炭、天然ガスといった天然資源がほぼ完全に枯渇してしまっており、唯一残っているウラン鉱石も、あと五〇年たらずで尽きようとしていた。再生可能エネルギーで代替しようにも、太陽光パネルや風車をつくるための金属資源の確保にすら汲々としている有様なのだ。
「し、しかし」だが、李は動揺しつつも反駁を試みた。「それならば、なぜ今になってそのような話をされるのです?我々にできることは、ただ諦観することだけではありませんか」
両者のあいだに沈黙が流れるが、そのわずかな静寂は、リチャードソンの妙にはっきりとした「いいえ」という声に破られた。彼はさらに続ける――「たしかに、宇宙塵のせいでたいていの宇宙船や人工衛星は破壊されてしまいます。地球から頑丈な宇宙船を打ち上げるにしても、金属資源はもうありません。ですが、お忘れではないですか……〈ドナウ9号〉のことを」
〈ドナウ9号〉――李もその名前には聞き憶えがあった。二五年前、欧州連合宇宙軍 (EUSF)が数十隻の宇宙船をスクラップにした鋼鉄の塊からつくりあげた、耐核地雷原型宇宙船である。――だが、たとえ地球を覆う宇宙塵のヴェールを突破できたところで、その先に何があろう?そこにあるのは死んだ宇宙だけなのだが……
そこまで進んだ李の思索の糸は、先ほどの調子とくらべて妙に甲高くなったリチャードソンの声に断ち切られた。
「ええ、ええ、そうでしょうとも!たしかに、〈ドナウ9号〉は宇宙塵の層を突破する道具にすぎません。ですが――我々が国防情報局 (DIA)の機密室の奥底で発見したこの文書こそ、〈ドナウ9号〉を人類救済の救世主へと変貌させる鍵となるのです」リチャードソンは銀色に光るアタッシェケースから一束の書類を出すと、勢いよくテーブルに叩きつけた。書類には〈SC66〉とあり、その上を〈CLASSIFIED〉の赤文字が横切っている。
「これは、スカンジナビア統合評議会が極秘で作成した文書の複製です。この計画は三年前に実行にうつされ、EUSFが極秘裏に協力したようです」彼がめくったページには、宇宙ステーションのような建築物のイメージ図が載っている。図の上には、黒々と〈OPERATION LAST STAND(“最後の砦”作戦)〉の文字があった。
「こ、これは……?」李は困惑しつつリチャードソンに訊く。リチャードソンはただ微笑み、彼の手元にその書類を押しやった。
李が〈“最後の砦”作戦〉と題されたその書類を読んでいると、CNSAの職員が彼のもとへ走り寄り、一枚の書類を手渡した。彼はそれを一瞥してからリチャードソンに声をかける。
「今しがた、残存宇宙船の確認がとれました。といっても無線を傍受しているものだけですが――人民解放宇宙軍〈蒼天3号〉、EUSF〈ピレネー12号〉、USS〈アラバマ号〉、カリフォルニア・エアロスペース社〈プロキシマ8号〉、欧州客船協会〈パスファインダー号〉、民間宇宙船〈ポラリス7号〉ほか二五隻です」李はそういうと、もう一度書類に目をおとした。
生き残りはたった三一隻……李は書類の文字を目で追っていたが、内容は何ひとつ頭に入ってはこなかった。かわりに頭痛と眩暈がはげしくなり、彼は椅子からずり落ちようとする老体を必死で押しとどめた。――さよう、人類が築きあげた巨大な――しかし全宇宙に較べれば矮小極まりない――文明は、宇宙船三一隻と〝死んだ〟地球とを遺して滅びようとしていたのだ……
だがそこで、彼の眼は〈Kepler―22b〉の文字をとらえた。
――ケプラー22b!
それは地球から約六二〇光年の距離にある、白鳥座ケプラー22星系のバビタブル・ゾーンに位置する惑星であり、これまで発見されたものの中でもっとも人類移住に適した地球様惑星である。――だが、と李は考えた。〈ドナウ9号〉を移住用輸送船として使うとしても、あの堅牢という言葉を具現化したような宇宙船ですら、何度も宇宙塵の嵐をくぐり抜けるには力不足だ。とすると、私の眼の前に座っているこのリチャードソンという男は、移住できる人類の選定をするつもりなのだろうか――?
──描円具座γ星宇宙管区ε―15宙域──
CNSAと連絡がとれた宇宙船が一隻、欧州客船協会がユンカース・スペースクラフト社に発注し、二年前に完成したばかりの豪華旅客宇宙船〈パスファインダー号〉は、顕微鏡座γ星宇宙管区ε―15宙域に静止していた。
「ええ、ええ――本当ですか?信じられん――いや、しかし……」宇宙船の中央に位置する第一艦橋のせまい無電室で、船長がCNSAのオペレーターと交信していた。
「了解しました。NASAもそういっているのなら……ええ、まだ燃料棒を入れ換えずとも大丈夫でしょう」船長は早々に交信を終えると、無電室から出て船員に号令した。
「諸君、我々はただいまより地球へ帰還する。通信封鎖状態でだ――どうやら緊急事態で、我々の宇宙船が必要らしい……くわしいことは判らんが、一刻を争うそうだ」顔面蒼白の船長はそれだけいうと、船員の質問を無視して自室へ引きこもってしまった。
「なあ、おい――船長は何か隠してやしないか?顔が真っ青だったぜ」操縦士は隣に座る同僚にぶつぶつ言いながらも、出発にむけて原子力エンジンのスラスト・レバーをわずかに押し出し、いくつか計器を調整した。そして、地球への最短経路を検索しようと電子マップを開き、起動したソフトウェアは、自動的に通信衛星〈青島43号〉に接続した。――十秒とたたないうちに、計器がでたらめな値を示しだし、艦橋のそこここからエラー音が鳴りはじめた。ひとりでにエンジン出力が最高に設定され、船尾で四基のP&W SNE―577型エンジンが囂々と猛り狂う。静止していた〈パスファインダー号〉はゆっくりと動きだし、ぐんぐん速度をましていった。
「お、おい!何が起きているんだ!」と操縦士がどなる。「俺は何もしてないぞ!」
「原因は――不明です!システムが未知のエラーを吐いています!」システムを監視していた技術要員が制御コンソールに表示された文字列を見て叫ぶ。
「解析しろ!何のためにお前を雇ったと思ってるんだ!」一等航宙士がわめいた。――だが、技術要員がこたえる前に、レーダー監視員が凍った声で叫んだ。
「約七〇キロ前方に反応あり!当該機は――EUSFのC―24E型武装輸送船です!回避信号を発信しましたが、当該機からの応答はなし!」監視員は大急ぎで機体番号をデータベースと照合する。画面に表示された文字を見て、監視員はほとんど悲鳴にちかい声で叫んだ――「回避してください!当該機はポセイドン級核弾頭を搭載しています!」
だが、もはや回避が不可能であることは誰の目にもあきらかだった。〈パスファインダー号〉はすでに秒速八キロの速さで驀進していたのだ。――操縦士は緊急逆噴射装置のレバーを引いたが、返ってきたのはむなしく響くエラー音だけだった。
〈パスファインダー号〉は秒速九キロ、十キロとさらに加速しながら、ポセイドン級恒星間核ミサイルを満載した輸送船に衝突した……
そのC―24Eの乗員は、例によって三ヵ月前に全員が死亡しており、格納庫につまれていた核ミサイルは、その四分の三が経年劣化と、船体にあいた破孔による長期間の真空への曝露により機能不全に陥っていた。そのため、じっさいに爆発したミサイルはわずか十四基にすぎなかった――だが、その爆発は〈パスファインダー号〉の優美な船首を深々とえぐり、第一・第二艦橋をあとかたもなく吹き飛ばした。
*
宇宙への本格的な進出を果たした人類にとって、広漠たる宇宙空間は巨大な〝フロンティア〟であった。宇宙であれば放射能汚染の危険性はすくないので、宇宙船の動力は腐るほどあったウラン鉱石でつくられた燃料棒を燃料とした原子炉で事足りたし、銀河系にただよう幾千万の惑星や小惑星は、厖大な量の金属やレア・メタル、さらには石油をも産出した。これは、人類がいままで節約に節約をかさねてきた金属資源と石油資源を、地球でふんだんに使えるようになることを意味した。地球温暖化を懸念する学者もいるにはいたが、多くの人々は、地球をもはや単なる「母港」程度にしか思っていなかった。
――地球温暖化だって?なあに、俺たちにはあの広い宇宙があるじゃないか!あそこには資源が山ほどあるし、地球は最悪、滅びてもいいさ……
だが、宇宙空間から「切り離された」地球――錆び、朽ち果て、あちこちを喰いやぶられた「母港」――において、あれほど湯水のように使えた金属資源と石油資源は、にわかに節約が叫ばれはじめた。
従来の内燃機関をもちいたガソリン・エンジンの類はほとんど駆逐された。そして、国内交通の主役は自動車から鉄道にうつり、国際交通の主役の座は航空機から〝原子力船〟へうつった。――小型宇宙船から取り出した原子炉とタービンのセットを、貨物船のコンテナー・ヤードやタンカーの油槽につみ、タービンからのびるロッドをプロペラ・シャフトと結合させただけの粗末な〝原子力船〟は、その加工の容易さと必要資源の少なさから、しだいにその数をふやしていった。
その反面、商業航空路線はほとんど破産していたが、デルタ航空・日本航空・アエロフロート航空・ルフトハンザ航空など数社は、各国政府の出資によってかろうじて破産を免れた。彼らは数十機が導入されていたAn―227〝ムリーヤⅡ〟型充電池式航空機のみを使い、ほそぼそながら運航をつづけていた。――交通機関をふくめて、地球文明は、あっという間に産業革命期の状態まで捲き戻されたのである。だが、もう一度文明を発達させる資源は、もはや地球に残されてはいなかった。
だが、もし、手の届く距離に〝新品の〟地球が存在したとすれば――?