【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

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薫陶 イ長調 作品3
ショパンはスミレがお好き?


 

 

 

 

 

 

 

 

『それでね、お母さん(・・・・)はね、勝っちゃうんだ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん」

 

 ふと、彼女(・・)の声に呼び起こされる。彼が見ていた(シアター)は、昨日のオークス。

 

 額に手を添え僅かな沈潜。担当のエアグルーヴは確かに見事な勝利を納め、彼としても安堵の息を吐ける結果となった筈だ。

 

 だが、どうしても払拭できない要因が一つ。

 

 あの"黒鹿毛の不思議な少女"

 

 秋名は確かに目にした。あの少女の口の動いた通りに、目の前の現実が導かれるように動いたのだ。

 

 彼女の語り、ただの出任せを言っているようではなかった。予想を口にしている訳でもないようだった。

 

 まるで、エアグルーヴがあのレースで差しを抑えて勝利するという結果を"知っていた"かのように、予想でなく"事実"を語っているかのように。

 

「ショパン……」

 

 秋名が少女に対して感じている違和感は数多い。しかし、それらはどうも、妙に心地の良い違和感。時に彼女が、自分の近くに居ることが、ごく自然のように錯覚してしまうほど。

 

 知らない筈なのに、知っているかのよう。

 

 知っていると彼の何かが言うくせに、彼の記憶は彼女を知らない。

 

 無次元の矛盾の中で戸惑う。その裏側で、あの少女の面影がくすりと笑う。

 

 別に何を憂いているというわけではないが、どうも上手く言語化できない想いが、下がらぬ留飲として彼に残る。

 

 彼女に感じる何か(・・)とは、何なのだろう。

 

 解など期待できぬ、難解な数式の前から逃れるように、彼は単身用にしては中々に持て余す程の面積を誇るベッドから身を起こし、洗面所へ。

 

 がさり、ごそり。いくら多忙を極めている身とはいえ、この部屋の節操のなさとは、女帝の杖を語るトレーナーとして如何なものか。彼女に見つかれば大目玉かもしれない。

 

「まぁ、そんな滅多に来るものじゃないしね」

 

 そんな中身のないぼやきをひとつ吐いて、歯ブラシを口に入れた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

『女帝エアグルーヴ、オークスの称号をその手に……』

 

 大きな見出しを優美に飾るは、名実共に相応しき冠を手にしたウマ娘。それが己の担当だというのなら、どうなのだろう。

 

 抜け征く程の天候に恵まれた、トレセン学園の廊下の中腹。秋名は担当の見出しを一つ眺めては、ページを捲り、また見出しへと戻る。自分の担当が大きな書面に写し出されることは、やはり気分がいい。秋名に関する言及についてもちらほら。歩き読みはよくないと知りつつも、気が付いたらまた折りたたんだ新聞を広げてしまう。

 

「――よーォッ! 司ぁ! ナンだお前そんなに自分のオンナに惚れ込んでんのかぁ!?」

 

 陽気で軽薄なトーンが、前触れもなく彼の背を叩く。その男は秋名の名を呼ぶと、そのまま膝で彼の尻を蹴り上げた。

 

「うわっ!……なんだ、君か。礼司」

 

「何だじゃねぇだろ。テメェ、よくもオークスで俺の担当ボロッカスにしてくれやがって」

 

「ああ、内枠1番のあの娘。そうか、君の担当だったんだ。彼女もよく健闘した娘だとは思うよ。だけど、レース前に突っかかってくるのは止めるように言ってあげな。下手すりゃ競争中止になる」

 

「言って聞くようなタマでもねぇよ。俺の担当だぞ。でもま、いい刺激にはなっただろうよ。ベソかきながらサ、次こそは絶対膝付かせてやるってよ」

 

「そう、甘くはないと思うよ」

 

 秋名は眼鏡超しの瞳をきらりと光らせて、同期である織戸礼司へと言った。

 

「お高く留まってんな。直にわかる。ってないい前置きでさ」

 

 そう言うと、織戸は懐からくしゃくしゃに皺の寄った一枚の書類を秋名へ。彼はそれを受け取り、皺を伸ばし、中身に目を落とす。それはとあるレースへの申し込み用紙。これは? と秋名が問う。

 

「なんだお前、トレーナーの癖して申込用紙の一枚も知らねぇってのか?」

 

「手短に頼むよ」

 

 秋名はやや怪訝に言う。仕事が増えそうな予感を肌で感じた。

 

「ナンてことねぇ。ウチのお袋が送りつけて来たんだ。地方競技場でのシロートレースなんだとよ」

 

 そこに記載があったのは、確かに中央とは遠く掛け離れた地方競技場の名と、イベントの旨。

 

「なんでまた。こんなもの」

 

「地域振興イベントなんだと。地方競技場を丸々貸し切って、未来あるウマ娘たちの腕だめしをここでだとさ。要はただの地域運動会ってワケだ」

 

 織戸は壁に背を預け、自分の抱える面倒事を秋名へ押し付ける手続きを語り続けた。

 

「未就学ウマ娘から成人ウマ娘まで、階級別でなんでも御座れなワケ。だが。ひとつ面倒なことがあってな。そのイベント、応募率がイマイチ良くないらしくてな。ほら、中等部とか高等部の若手連中のレースって華だろ? このイベントでも一番の目玉にすべく、フルゲート開催にしてぇんだけど」

 

「なるほど。君のお母さんは、選手集めとして君を頼ってる訳だ」

 

「そゆこった。だが、俺が抱えてる連中ってのは中央を走る化け物揃いだ。…そんな奴がこんな地方の素人レースに出ても見ろ?その辺のスプラッター映画より酷い始末になる」

 

「だからって、どうして僕なんだ? エアグルーヴを出せと言うのかい?」

 

「そら駄目だ。ただのスナッフフィルムになっちまう。そーじゃなくてサ。いんだろお前のとこ、ちょーど良さ気で暇そうなやつ(・・)が」

 

「もしかして、ショパンのこと言ってる?」

 

 そゆこと。と織戸は眉の端をクイと上げて言う。これで万事解決の兆しが彼には見えているのだろう。

 

「待ってくれ。そもそも彼女はレースへの出走権限を持たないウマ娘だ。そんな勝手なこと」

 

「そりゃ中央のハナシだろ? これはただのシケた地域の祭りみてぇなもんだ。飛び入り参加大歓迎。むしろ来てもらわねぇと参っちまう。なぁいいだろ? 頼むよ。俺の顔立てると思ってさ。お袋ももうその気なんだよ」

 

 秋名は再び書類に目を落とす。申込用紙の皺が、彼の眉間にも伝染るようだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 古書物とインク、時に珈琲の香りが、何時もと変わらぬ生徒会室の時を彩る。そこに流れるBGM。何時もなら、ルドルフの好む洋楽でも流れているものだが、今日ばかりは少し違う。

 

 カリカリカリと、HBの鉛の芯が削られる音が響き、さらさらさらと、一冊の白いノートの上を、鉛のペン先が滑らかに踊る。そんな勉学のワルツだった。

 

 時にふと、その軽快な音が途切れたかと思えば、エアグルーヴはペンのノックキャップを顎に翳し、くるりと一度器用に回すと、再びノートへ数式を書き込んでゆく。

 

「随分と精が出るな。生徒会の仕事の合間にも勉強とはね。レースが終われば、次は考査に余念が無いと言ったところか? 文武両道の示しとして感心だ」

 

 そう、ルドルフが生徒会長の席から頷きながら言った。しかしエアグルーヴは、少しだけ頬を紅潮させ、どこか歯切れの悪く、ルドルフの声に応える。

 

「ああ、いえ。私のではないのです。その、ショパンが。数学がどうしても難しいと言うものですから」

 

 確かに、彼女が展開してゆく数式は、高等部で習うにしては聊か簡単すぎる。それは中等部の、それも初等部生クラスが習う程度の幼い内容。そこには色ペンやマーカー等も足され、要点が小綺麗に纏まっている。

 

「ああ、なる……ほど。そうかい。ああ、そういえば。君が提出していた寮の備品発注書、承認しておいたよ。見たところスキンケア用品の銘柄を軒並み変更しているようだったが、理由があるのかい?」

 

「ええ、それもショパンが。あの娘、結構肌が弱いみたいで。できるだけ添加物の少ないオーガニックなものでないと、すぐ肌荒れを起こしてしまって。勿論寮長には合意をとっております。少々コストが嵩張ってしまいますが、目を瞑っては頂けませんか」

 

「あ、ああ。ま、まぁ。そういうことなら……」

 

 ルドルフは少しだけ、呆気にとられながらも、真剣なエアグルーヴにこれ以上を意見できなかった。

 

 そこに、老朽化が進んだ生徒会室の戸を足で開ける不届き者の姿が。気怠い声色に載せて。両手に大きく膨れ上がったレジ袋を引っ提げて。

 

「ああ。ブライアン。買い出しご苦労だったね」

 

「ちッ。たまにはアンタが行けよ」

 

 そうブライアンは悪態を付きながら、生徒会のテーブルへ雑に袋を置く。そこから出てくるもの。生徒会で使うテープやステープラといった雑貨や、珈琲豆や紅茶のパックなど。そしてもう一つが、エアグルーヴが花壇のガーデニング用にと注文つけた花の種。クレマチスやマリーゴールド。ベニチュアやラベンダーといったこれからの季節を彩る担い手たち。

 

 そんな彼らの中に隠れるように、一つの種。

 

「これは、スミレ?」

 

 ルドルフが手に取り、僅かに首を傾げて言う。

 

「それも、ソイツのリクエストだ。スミレなんてどこにでも咲いてんだろうに」

 

「ああ、スミレは多年草の中でも特に育てやすい品種なんだ。今度からショパンに育てさせてやろうと思ってな。丁度ショパンもスミレが好きだと言っていたから。命を学ばせてやるにはいい機会だろうと思って」

 

「……」

 

 エアグルーヴを除く二人に残るは、モノも言えぬ沈黙。

 

 最近のエアグルーヴ。口を開けば出る言葉は、ショパン。

 

 やたらに面倒見のいいという範疇を、超えかけているようにすらも伺える。どちらかというと、お節介の類だ。

 

 スミレの種を日に翳し、少し和みのある横顔を二人に見せる。あの娘はこの種を気に入ってくれるだろうか。その心を顔で語っていた。

 

 それを流石に見かねたブライアンが、エアグルーヴへ言った。

 

「なぁ。お前、本当に母親みたいになってきたな」

 

「なッ!?」

 

 どくん。意表を突かれたようなブライアンの一言に、女帝の顔は焦燥に書き換わる。

 

「ど、どこが、貴様!」

 

「どこがって、自覚もないのかお前」

 

 ブライアンはエアグルーヴの目の前に置いてあるショパン用の学習ノートを取り上げて、女帝の前でひらひら。

 

「忘れたか。アイツ(・・・)は正体不明の不審ウマ娘だ。そしてお前はただの監視役。それがなんだ。そんなヤツのテスト対策に、こんな手間をかけてやる義理がどこにある?」

 

「学業は全てにおいて優先される。例え身元が不詳であろうと、蔑ろにしていい理由にはならん。将来を思やってやるのならそこは」

 

「だからなんでそんな義理がお前にある。身元すらもわからんそんな子供の将来を想う理由は」

 

「それは……」

 

 エアグルーヴは思わず言葉を噤んだ。らしくない女帝が垣間見えた

 

「差し詰め、放っておけないのだろう」

 

 沈黙の海原で溺れるエアグルーヴに船を出したのはルドルフだった。何時もと変わらぬ声色を、宥めの調べに載せて、いつも言葉で鍔競り合う二人を窘める。

 

「会長」

 

「ブライアンの言うことにも理はあるが、それだけエアグルーヴがショパンと懇意だというのなら、否定してくれることもない。彼女の"胸襟を開く"ことを目的とするのならね。だが、エアグルーヴ。ブライアンも言うように、彼女の身元は依然として不明のままだ。彼女の目的も、その狙いも、未だ明瞭ではない。私は君の言ったリスク(・・・)が完全に払拭できたとはまだ思っていない。…それが明らかになるまでは、あまり情を持ちすぎるな」

 

「……肝に銘じます」

 

 エアグルーヴは小さい嘆きを残し、生徒会室を去った。

 

「おい、アイツ」

 

「言ってくれるな。彼女も思い悩んでいるのだろう。あの娘とどう接していくべきかと」

 

「にしても、まだわからんのかあのガキは」

 

「そうだね。こうも長引くとは思っていなかった。支援センターの牧野君とも連絡は取り続けているが、奇妙な程に何もわからない」

 

「じゃあ何だ。卒業までアイツをここに置いておくつもりか」

 

「それは参ってしまうね」

 

 ルドルフは無糖の珈琲をひとすすり。沈黙に溢れかえる生徒会室に己の声を垂らす。

 

「行方不明者のリストにもない。彼女に関する届け出や公的書類すらも出てこない」

 

「そこまで来ると、さすがに気味が悪いな。そんなことありえるのか?」

 

「"あり得ない"が率直なところだ。仮に考えられるとすれば、彼女はそもそも日本のウマ娘ではないという説に辿り着く」

 

「どう見たって日本ウマ娘だ。言葉にヨレもない。言動振る舞いも日本ウマ娘のそれだ」

 

「しかしそれは否定する根拠にはならない。不法入国を狙った生徒への成りすまし」

 

「だがそれだと」

 

 ブライアンの言葉をルドルフは遮る。きらりと瞳を滾らせて。

 

「そう。彼女の行動に整合が取れない。そうであるとするならば、身元はひた隠しにする必要がある。しかし彼女はわざわざ騒ぎになる選択を取った。そして私たちに身元を洗い浚い調べられる結果になった」

 

 ブライアンは深くため息を吐くと、まるでわからんと嘆きながら頭を掻いた。

 そんなブライアンの嘆きを横目で流したルドルフは、机の引き出しに手をかけて、一枚のカードを手とる。

 

「それ、アイツの学生証か。戻ってきたのか」

 

「ああ。解析不可との結果でね」

 

 ルドルフはその未来の日付が載った学生証を、わざと日の当たるところへ置き、その意匠を眺めた。

 

「なぁ、ブライアン。私、一つ思うことがあってね。どう辿っても繋がらない彼女の言動。一つだけ、すべてを説明つける条件があるんだ」

 

「条件?」

 

「――彼女(ショパン)が一切として嘘を言っていないという条件だ。勿論、あり得ないがね」

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

「あ! 先輩(おかあさん)!」

 

 その鹿毛を見つけるや、黒鹿毛は尾を靡かせて彼女のもとへ走る。

 

 エアグルーヴは既に目に馴染んだショパンへ、無言を返した。

 

「どうしたの? あんまり元気ない」

 

「いや、この間のレースの疲れが抜けきってないだけだ。良くないな、模範である女帝(わたし)として」

 

 久方ぶりに吐く嘘は、どうもぎこちない。ショパンに見抜かれぬものかと小さな不安が彼女を襲う。じゃあ、今日の練習はお休みする?とショパンが問うが、そうはいかん。とエアグルーヴはショパンに背を向けた。

 

 今日とて今日も、ショパンはエアグルーヴの背中についてく、ついてく。

 

 二人が目指すは、トレーナーの部屋。放課後に来てくれと連絡が入っていたらしい。

 

 その道中、エアグルーヴがショパンに問う。

 

「なぁ、お前はどこから来たんだ」

 

 それは二人の間では既に形式的なものになりつつある問いかけ。エアグルーヴが問い、ショパンは沈黙か整合の取れぬ答えを。初めてショパンと会ったあの日から、何度この問いかけをしたのだろう。進展した答えが返ってきた試しなんてないのに。

 

 今日も、例に倣うようにショパンは沈黙。つかつかと、彼女らの足音だけが絡み合って響いた。

 

「私にすらも答えられないのか」

 

「だって、どうせ信じてもらえないんだもん」

 

「未来から来た。か?」

 

 ショパンに二度目の沈黙、そして開口

 

「本当にそうって言ったら、信じる?」

 

「ばかばかしい。……信じるわけがない」

 

 

 

 

 

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