【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

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トレーニング

「ショパンを?」

 

「ああ、実は押し付けられちゃってね」

 

 秋名の提案に女帝は眉間に皺を作り、彼の差し出した書類に目を落とす。そこに記されている内容、秋名が語った通りの内容だった。

 

 地方の競技場を貸し切り、執り行われる無名のレース。その報酬には、栄誉も金も記録も何も絡まない。あるとすれば、そこに参加をしたという思い出と、参加賞くらいのみ。

 

「たわけっ! そういうお人好しなところが身を亡ぼすとまだわからんか! いい加減付け込まれていることを自覚しろ! それに、あの織戸というトレーナーも大概だ。…ええい、容赦ならん! ヤツのもとへ……」

 

 エアグルーヴは温和を忘れた仮借なき姿勢を見せる。女帝の杖であるトレーナーを、こうも良いように利用されようなど、腹の虫が収まらない。トレーナーを安く見られることは、即ちエアグルーヴ自身を安く見られていることも同義なのだから。

 エアグルーヴは怒りに身を任せて踵を返すと、秋名の呼び止める声を無視して取っ手に手をかけようとした。

 

「私、走れるの……?」

 

 ショパンの一言を、女帝の左耳が捉えた。彼女は足を止め、ショパンを見た。秋名も釣られて視線をショパンへ。

 

 そこにいた(ショパン)。少しだけ頬を紅潮させ、心なしか尾も耳もふわふわと揺れ動いていた。

 

「ショパン、お前……」

 

 身元不詳といえど、ウマ娘。彼女たちは走りに生きる意義を見出す種族。それは、不思議な娘(ショパン)と言えど例外ではない。

 

 彼女の瞳から、汚れのない欲、純粋が溢れる。それが女帝の心を刺激した。だが、彼女はショパンから視線を外して冷静を語った。

 

「ショパンとは、トレセン学園(ここ)の生徒ではない。彼女をトレセン学園生として出走させられる権限はないんだ」

 

「承知の上さ。だけどこれは、そもそもURA管轄のレースじゃない。地域振興の」

 

 秋名は織戸の受売りを語った。だが、彼の口調には幾何かの違和感。嫌々押し付けられてというより、この話を前に推し進めたいという焦燥が滲み出るようだった。

 

 女帝の眉が動く、秋名の真意をここで彼女は見抜いた。

 

「待て、貴様さてはこのレース、“断れなかった”ではなく、“断らなかった”な?」

 

 うっ、と秋名の喉が瞬間的に息を詰まらせた。(エアグルーヴ)の鋭い眼光で磔にされる(トレーナー)。それはショパンにとって初めて見る夫婦喧嘩…?

 

「え、いや、そんな」

 

 どう取り繕っても遅かった。そう、秋名は断らなかった。

 

 

 ショパンに走る機会を与えたがったが故に。半ば故意に――

 

 

「どうなんだ」

 

 エアグルーヴの尋問に、秋名が耐えられるはずもなく。机に俯き、頷いた。

 

「……この娘、君の走りを見ている時、何時も羨ましそうに見ていた。身元を明かせないのは、きっと複雑な理由があってのことだとは思ってる。だからと言って、このままずっと場外のままに留めておくのは、トレーナーとして少し心苦しくてね」

 

 トレーナーとして。果たしてそれは本当に職務としての想いなのか。

 

「どんな理由があれ、恵まれる機会を享受できる権利はこの娘にだって平等にあるはずだ。ウマ娘であるのなら」

 

 秋名のセリフを黙ってエアグルーヴは飲み続けた。

 

 10秒の沈潜。ショパンにとってはその時間は永遠な程にも感じた。

 

 先に口を開いたのはエアグルーヴだった。視線の先、居たのはショパンだった。

 

「ショパン、お前に問う。走る意思はあるか?」

 

 ショパンは少し戸惑いながらも、頷いた。

 

「……。いいだろう。ただし、やるのなら勝ちにいくぞ。地方の祭りだ何だか知らんが、やるのなら死力を尽くせ。仮にでも女帝の下に居るウマ娘だ。妥協や泣き言は一切認めん。もう一度問う。それでも走るか?」

 

 ショパンはもう一度頷いた。女帝と似た釣り目の中に眠る、藍玉の瞳を女帝の灰簾石の瞳にぶつけた。己の意思を、瞳で語った。

 

「会長には私から掛け合っておく。今日からトレーニングを始める。トレーナー、直ぐにメニューを用意しろ」

 

 エアグルーヴは二人に背を向けて語った。そして、トレーナー室の戸が閉まる音が最後に轟いた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 春の優しさが、夏の憂いへとすり替わっていく。暦上ではまだ春を語れるはずのに。カレンダーはいつから嘘を吐くようになったのか。

 

 否、ただそこに居る二人(・・)が熱いだけなのかもしれない。

 

 二重に絡まる、母娘の音――

 

「違う! 腕の振りが甘い!」

 

「どこを見ている! お前の行く先は足元か!? 顔を上げろ! 行くべきところを見据えろ!」

 

「我武者羅に走ればいいと言うものではない! 考えることを止めるな!」

 

 女帝は厳しかった。ショパンに対し、一切の甘えを許さない。私生活であるなら別だ。だが、レースというのなら…そこに居るのは誰しもが恐れる”女帝 エアグルーヴ“だった。

 

「姿勢はどうした! フォームの乱れは敗因に直結すると言ったはずだ!」

 

 秋名にとっては肝が冷える程に、エアグルーヴの指導は峻厳を極めていた。一瞬たりとも気を抜いた走りをしようものならば、エアグルーヴからの容赦のない指導がショパンへと飛んだ。

 

 乱れる。ショパンの息が、フォームが、心が。

 

 緩む。足が、気持ちが。

 

「ひぃっ……ひぃっ……っ!」

 

 練習場の第三コーナー。そこでショパンは足を止めてしまった。両膝に手をついて、全身から滲む汗を滴らせて。

 

 思わず、慈悲を求める顔をエアグルーヴへと向けてしまった。

 

「ここがお前のゴールか?」

 

 それでもエアグルーヴは甘くなかった。どれだけ泣きを言おうと、妥協も容赦も許さない。それが約束だから。それが彼女の走りに対する姿勢なのだから。

 

 併走していたショパンとエアグルーヴ。完全に根を上げたショパンに対し、エアグルーヴは息の一つすらも乱れない。

 

「大丈夫!?」

 

 そこに駆け寄ってくる秋名の姿。少しだけの不安を抱えてショパンとエアグルーヴの下へ。

 

 ショパンは顔を赤く、少しだけべそをかいた。

 

「やはり、無理があるんじゃないかな。このトレーニングメニューじゃあ」

 

 秋名とエアグルーヴが用意した、ショパン用のトレーニングメニュー。それは、彼女に対し少なからず酷を要求するものであるのは確かだった。

 

 ショパンはエアグルーヴや他の娘とは違い、基礎的な部分が圧倒的に足りていない。それをこの短期間でレースで通用するまでの水準に引き上げるというのなら、通常のメニューでは間に合っていられない。

 

 だが、それで体を心を壊されようなら元も子もない。あくまで彼女は保護している身。彼女の本当の親(・・・・)にも申し訳が立たなくなるかもしれない。

 

「無理はしても、無茶をさせるわけにはいかないよ。ショパン、御免よ。もう一度メニューを考え直そうか」

 

 秋名がショパンに手向けたのは優しさだった。甘い言葉で彼女の挫折を口説く。

 

 しかし。

 

「ねぇ、先輩(おかあさん)だったら、こういう時って、あきらめる……?」

 

 ショパンは苦渋の顔を無理やりに起こしてエアグルーヴに問いかけた。ショパンの問いかけ、僅かに驚く秋名とは対照に、エアグルーヴは女帝としての色を変えずに答えた。

 

「道理がないと判断すれば即止める。だが、兆しがあるのなら、続ける。どれだけの苦境であろうと、その先にあるものを見るためだと言うのなら」

 

「今の私って、どっちだろう」

 

「女帝としての流儀を一つ教えてやる。大事なこと、譲れないことを決める時、最後に委ねるのは他人ではない。自分の意志だ。意見を汲むことは重要だ。だが、その先を保証するものは何もない。私は決めてやらん。…お前自身で決めろ。行くか、退くか」

 

 エアグルーヴはショパンの前に、腕を組んで立った。視線をショパンから外さなかった。

 

 厳しい言葉の裏に、慈しみがあることくらいショパンにだってわかること。

 

 ショパンは額に溜まった涙を、瞳に溜まった汗を拭い。小さい背丈ながらも、胸を張ってもう一度、エアグルーヴの前に立った。

 

「それでいい。行くぞ!」

 

 ショパンは再び、女帝の背を追いかけた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「ほら起きろ! ショパン! 今日から朝練をすると言ったのはお前だぞ!」

 

「う、うん。でも、あとちょっと……」

 

「たわけっ! 早く起きんか!!」

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ。深く息を吐きながら自然に身を任せる要領でだな」

 

「ふ……っくうぅ!! い、いたいよぉ……」

 

「本当に体が硬いんだな。お前は……」

 

 

 

 

 

 

「こらっ! 野菜を残すんじゃない!」

 

「ひぃん、だってぇ……」

 

「アスリートたるもの、食は第一に優先されるべきことだ。食を蔑ろにする者がレースに勝てると思うな!」

 

 

 

 

 

「練習に忙しい等という言い訳は私は通さんぞ。それが勉学を怠っていい理由にはならん! もう一度あんな点数を取ってみろ。しばらく菓子は認めんぞ!」

 

「ヒーンッ!!」

 

 

 

 

 

 

 それでも、それでも。

 

 

 ひとつずつ。

 

 

 ちょっとゆっくりだけど、堅実に。

 

 

 周りからは母娘だなんだと揶揄われながらも、それでも二人は共に。

 

 

 

 

 

 

 

(……来てる。まだ少し甘いが、確実についてきている……!)

 

 ターフに轟く二重に絡む足音、時間が経つに連れそれらはじわりじわりと乖離してゆく。

 

 しかし今日ばかりは、その限りでもないようだ。

 

 

 

 

 ショパンの瞳に映る、エアグルーヴの背中。

 

 

 離されない。離れたくない。置いて行かれたくなんかない。

 

 

 食らいつけ、自分の足で。追いつけ、母の背中へ――

 

 

 

 

 

 

「……あまりこういうことは言ってやりたくないが、成長が楽しみになってしまうな」

 

 

 

 

 ――何れに、お前との関係が晴れる日が来たら、正式な後輩として迎え入れてやることも吝かではない。

 

 

 その暁には、お前の成長と行く末を、この目で……。

 

 

 エアグルーヴは最後、心でくすりと笑って、余力の尽きたショパンを引きはがした。

 

 

 当然、怪物級とまで恐れられるエアグルーヴの背中は安くはない。しかれども、一歩、小さいけれど、ショパンにとっては大きな一歩。母に近づいた。

 

 

 

――

 

 

「驚いたな。まさかこんな短期間でここまで仕上がってくるなんて」

 

 秋名は眼鏡の奥の瞳を滾らせていた。己の担当であるエアグルーヴ以外のウマ娘に、こうも熱くなれようとは…そんな自分にも意外性を感じ取っていた。

 

「当然だ。朝から晩まで私が付きっ切りだったのだぞ。それと、こいつの信念の賜物だと思ってもいい」

 

 エアグルーヴの徹底主義の下、厳しく作り上げられたショパン。

 

 そこにあるのは、少しの成長と、少しの自信。

 

「えへへ、私、次のレース絶対勝つからね。お父さん、お母さんっ!」

 

 

 そういい残して、ショパンは再びターフへと駆け出した。

 

 

 

「っ! あいつ! また私のことを!」

 

「ははは、わかりそうでわからない娘だね……ん?」

 

 ふと、秋名は言葉を遮る。先ほどのショパンの一言に何かを引き摺られる感覚を覚えた。

 

「どうした?」

 

「いや、今あの子、お父さん(・・・・)とお母さんって言った?」

 

 二人は互いの瞳に互いを映しあう。

 

(エアグルーヴ)のことをお母さんと呼んでいたのは何となく知ってはいるけど、じゃあ、"お父さん"って?」

 

 ふと、一つに気が付いたときに、二人は顔を背けあった。

 

「っく! くだらん冗談だっ! あいつめ! 戻ったらキツく仕置きをしてやる!」

 

 エアグルーヴは久しく憤る、然れども、心の内の鐘がこうも熱を帯びて鳴り響くのは何故なのか、彼女自身にも遠く理解が及ばなかった。

 

 

 

 

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