【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

17 / 37
『可愛いだろう? あの娘は』

そう言ったのは、一人の淑女だった。絵の具を乱雑に混ぜ合わせたような、曰く良好な天気へ、穏やかを向けながら。

「そう、かもな」

否定はしなかった。確かにあの娘(・・・)感じた愛情は、どうも偽りのそれとは違ったように感じたのだから。

だが、まだ払拭しきれない。氷解できない。感得は未だに遠い。エアグルーヴにとって、あの娘はまだ『不思議な娘』のままなのだから。

『満更でもないようだな』

少し熟れた淑女は、砂浜の砂を優しく蹴りながら、満悦をその顔に映し、そういった。

エアグルーヴは、彼女の言う満更でもないという言葉に引っ掛かりながらも、彼女へ訊ねた。

「あの娘は、何処から来て、何処へ行くんだ?」

『何処へも行かない。ずっと私のそばに居る。……いや、私があの娘のそばに居ると言ったほうが正しいのか』

淑女は、空中に向かって何かを撫でるような仕草をしたのちに、それを抱きしめた。懐深く。大切なもののように。

彼女の行動に、エアグルーヴはただ悶々としながら、黄昏の映えるビーチで、足を抱え砂浜へ深く座っていた。

淑女は、エアグルーヴの隣に腰を下ろし、何が憂いだと問いかけた。エアグルーヴは、隣に座った淑女の横顔を見た。端正に整った相好は、まるで何処かで見たことのあるような、強い既視感を覚えた。しかしそれは、母や姉妹のどれにも当てはまらない。

「あの娘は誰だ。どうして、私のもとへ来たんだ」

縋るような声色だった。どうしても、解が欲しかった。だが、淑女は意地悪だった。

『それを言ってしまっては、趣がないと言ったところだ。それはあの娘と二人で探すこと。そう、お母様も宣っていたではないか』

「……焦れったい」

エアグルーヴがそういうと、淑女はふふふと声を出して笑った。

『いいじゃないか。私は羨ましい。朝起きて、あの娘が横にいる。おはようと言ってくれる。食卓を囲めば、あの娘の笑みが、何よりの調味料だ。夜も一緒。安心を求めて擦り寄ってきてくれる。今はまだ気が付いていないだけだ。わたし(・・・)はあの娘に生かされている』

エアグルーヴは目を閉じて首を横に振った。淑女は、再び笑いながら、まだ青いなと言った。

『……ひとつだけ、忠告だ』

淑女は唐突に語った。淡く不確かな、いい天気を眺めながら。

「忠告?」

『天気が悪くなりそうだ。嵐は突然やってくる。傘を用意してあげてくれ。あの娘が濡れないように。抱きしめてあげてくれ。あの娘が凍えないように』

そういうと淑女は、形容し難い、深く淀んだ海へと歩き出した。

もう少しだけ、あの娘を頼む。そう言い残して。

「またか……またそうやって。いつおまえ(・・・)は迎えにくるんだ」

エアグルーヴがそういった……。

瞬間、エアグルーヴは自分が彼女に対し、何を問いているのかが理解できなくなる。

また、いつ、おまえ……。砂浜、海……?


揺れる。思考が揺れる。

叫ぶ。沈黙の中から、理性が叫ぶ。

呼ぶ。埋もれた意識の中から、己自身を手繰り寄せ、呼び覚ます。



瞬間、理解に及ぶ。




――ここは、夢の中だと。



定期的に見ていた、あの夢なのだと。



然るべき疑問。目の前に居るウマ娘は、誰だ――



「――待て!!」

エアグルーヴは地面を蹴り上げ、駆け出す。そして、淑女の背を追った。だが、追いつかない。身体が思うように動かない。それは、地面が砂浜だからか? それとも、夢の中だからか。

淑女は膝丈程の浅瀬で立ち止った。そして、エアグルーヴのほうを見た。エアグルーヴはようやく彼女の顔を、はっきりとした意識の中で、改めて見た。

「おまえは誰だ……。ここは」

おまえ(二人称)……?  ふふ、何を言うかと思えば。……わたし(一人称)だろう?』

そういうと、淑女は再び海へ向かって歩き出した。

エアグルーヴは、その背をつかもうと、思い切り手を伸ばし、柔らかい何かを掴んだ――。




ヒーン!!!!




比翼 嬰ハ長調 作品4
マルクパージュ


 

 

 

 

彼女の嘶きに叩き起こされる。

 

夢の中で掴んだ柔らかい何か。それは、いつも掛布団の中から生えてきているショパンのお耳。意識喪失下の中、力加減も知らずに掴んだものだから。

 

「なっ、なにっ!?」

 

ノンレム睡眠から覚醒へと、強引に引き摺られたショパンは、状況も理解できずに、寝惚け半分に狼狽えた。

 

「え!? あ! すまんっ!」

 

エアグルーヴは慌てて手を放す。自慢のお耳を虐められたショパンは、耳をさすりヒンヒンと鳴きながら、ファインモーションのベッドへと逃げ込んだ。

 

「もぉ、グルーヴさん。ショパンちゃんいじめちゃだめだよ!」

 

ファインモーションは欷泣するショパンの頭を撫でながら、女帝へ苦言を呈した。

 

「誤解だ! 虐めてなどおらん! ただ、ちょっとその、ショパン。悪かった……」

 

現実に戻ったエアグルーヴが、彼女(・・)について考察する余裕はなかった。要は、また逃げられたということだ。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「もぉ、ほんとに痛かったんだからね!」

 

「わかったわかった。悪かったと言っているだろう」

 

季節は、穏やかから強かへ。近景のコントラストは、朧気から鮮烈に。冬の気配がどうも遠くへ消えて行ってしまった初夏の終わり、半袖の生徒もちらほらと見え始めたこの頃。今日も今日とて、ショパンはエアグルーヴについてく、ついてく。詫びの印にと、購買部で買ってもらったお菓子を懐に抱えて、すっかり慣れてしまったエアグルーヴとの関係に、少しふてぶてしくなって。

 

二人が並んで歩く姿。最初こそは、皆の注目の的ではあったことは確かだった。だが、今はもう、彼女たちの関係に敢えて見向きする者たちなどそう居ない。ショパンを不審者扱いする生徒も、既に遠い過去。

 

それどころか『ショパンちゃん』と名前を呼ばれては、撫でられ突かれ与えられ。不思議な娘から始まったショパンの人気(ブランド)。今となっては、純粋な愛嬌を求めて寄ってくるウマがほとんど。風の噂曰く、ちょっとしたファンクラブ(・・・・・・)もあるとかどうだとか。

 

今日も、ワンダーアキュートから飴をもらって、スーパークリークからたまごボーロのようなお菓子を貰った拍子に誘拐されそうになって*1、アグネスタキオンから七色に光るニンジンジュースを貰って、ゴールドシップから銀杏をもらって。結局エアグルーヴに貰った物を半分くらい捨てさせられて。

 

同級生から呼ばれれば手を振って、教官や顔見知りのトレーナーには、愛想の良い挨拶を送って。

 

皆が受け入れ始めている。ショパンの存在を。あのルドルフでさえも。

 

ショパンの新しい体操服を発注したのは、他ならない彼女だ。例え仮初であろうと、今の彼女は我々の大切な仲間であることに相違ないと、そういって。

 

そして、今のその状況を、エアグルーヴ自身も無意識の下に受け入れようとしていた。あの娘がいる、少し微温湯的な心地よさが、どうも癖になりそうだった。

 

今日も、学園で一日を過ごし、花の手入れを共にし、秋名とのトレーニングに精を出して、寮に戻って夕食を摂り、風呂に入り、ショパンの経過観察台帳へ異常のない旨を記載し、そして同じベッドで就寝する。そんな毎日が、何時しか非日常から、当たり前の日常へと変わり始めていた。

 

彼女の監視係としての終点は、無事にあの娘を親元へ返してあげること。しかし、少し。ほんの少し。太陽の黒点程微小に。

 

ずっとこのままでも、いいんじゃないのだろうか。そう、非ぬことを考えてしまう心が芽生え始めていた。

 

 

もっと悪く、曲解を交えて表現するなら。

 

 

この娘を手放したくない。そう言い換えてしまえるほどの、悪い心が確かにあった。

 

 

ショパンはエアグルーヴから買ってもらったお菓子と、先輩ウマ娘たちからもらったお菓子を両手いっぱいに携えて、安堵と歓びに満ちた表情をエアグルーヴへと向けた。その表情は、晴れ晴れとしたいい天気(・・・・)のようだった。

 

 

『天気が悪くなりそうだ』

 

 

ショパンの笑顔を見た瞬間、脳裏にあの淑女の声が聞こえた。だが、エアグルーヴは聞かぬ存ぜぬふりをした。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「ここは慎重にですよ。乱暴にしちゃうと、すぐに破れちゃいますから」

 

その言葉は、彼女の小さい気持ちに、更に圧をかけるものだった。そのプレッシャーは、僅かな体温の上昇と、手先の震えとなってショパンの身体に悪戯をした。

 

慎重に、慎重に。ピンセットで一枚ずつ、丁寧に。キッチンペーパーに張り付いた、菫の花弁を剥がしていく。まるで大手術のよう。

 

一枚はがして安堵の息を吐き、次の一枚へと向かっていく。

 

「そうそう、上手ですよ」

 

小さい指導者(ニシノフラワー)は、自身の手を絡み合わせ、ショパンの大健闘を見守る。ショパンの緊張が、彼女にも伝染(うつ)るようだった。そして最後の一枚。ショパンの油断が少しだけ形となって現れた。あっと声を出した時には既に遅かった。菫の花弁が僅かに欠けた。

 

しゅんと気を落として、耳をへたりと折ったショパン。そんな彼女にも、ニシノフラワーは優しかった。

 

「気を落とさないでください。これくらいなら大丈夫です。大切なのは完璧に作ることじゃなくて、気持ちを込めて作ることなんですから!」

 

自身と年齢も背丈も大きく変わらないはずなのに、心の余裕は立派な大人。こんな押し花ひとつ作る間にも、その成熟した心というものが垣間見える。

 

小さな先輩の言葉に、ショパンはこくりと頷いて、栞サイズにカットされた和紙に花弁を置き、ラミネートフィルムで加工していく。ラミネータが温まるまでの間に、ニシノフラワーは、その手作り栞を誰に渡すのかと訊ねた。ショパンは静かに『大切な人』と答えた。

 

ラミネータから出てきた栞はあつあつだった。ショパンは冷まさずに手に取ろうとしたものだから、反射的にヒンと鳴いた。そこから、ラミネートの余肉をフラワーが丁寧にカットすれば、ショパンオリジナルの菫の栞が出来上がる。ショパンはそれを太陽に翳し、きらきらとした瞳でそれを喜んだ。

 

「おかあさん。喜んでくれるかな」ショパンは確かにそういった。ショパンの噂を既に知っているフラワーは、そのことについて触れずに「ええ、きっと」と応えてあげた。

 

ショパンはニシノフラワーに深く頭を下げると、お礼を一言置いて、美術室を後にした。

 

これを手渡したときの母の表情はどうなるのだろう。母の大好きなお花で作った(マルクパージュ)は、きっと喜んでくれるに違いない。浮き立つ脚で、軽やかなステップを踏めば、彼女の踵から軽快なワルツが弾き出される。

 

とうに過ぎてしまっていた母の日。だけど、ずっと叶えたかった夢。――母への贈り物。これで母への恩返しができる。そして友人たちにも、私だってお母さんに贈り物をしたんだぞって自慢できる。

 

「……そういえば、私っていつまでここに居るんだろう」

 

それは、未来に居る友人たちの顔を思い出し、語った一言。ずっと気が付かないふりをしていたが、この過去にやってきて少しの時間が経過していることは肌で理解できること。

 

ここは夢のような世界だ。母が居て、父が居て。自分をちゃんと見てくれて……。

 

でも、自分がこの世界に居続けることは、本当に正しいことなのだろうか。母と、未来の自分の居場所と……天秤に掛けてどちらを取るか、それを判断するには、ショパンはあまりにも幼すぎた。

 

自分がこの過去へ来た理由とは何なのだろう。母と邂逅するため、本当にそれだけなのだろうか。

 

ショパンは軽やかな脚を止め、窓から中庭を覗く。そこに佇む三女神像。幸せの根源。

 

ショパンは確かに願った。母と会いたい。母の想いを継ぎたい。それは、ある意味を以て叶ったのだ。だが、三女神は未だショパンへ何の働きかけも見せない。まだ貴女にはやり残したことがある。そう言いたげなようにも感じた。

 

ショパンの答えは、閑却だった。もう少しの間だけ、知らないふりをした。そして愛する母が居るであろう、トレーナー室へと向かった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

「なぜそれを早く言わないッ!」

 

ショパンがトレーナー室の引き戸に手をかけようとした時だった。木製のドアを突き破って飛んできたのは、エアグルーヴの怒号だった。向けられる相手は、おおよそ察しの付く人。

 

ショパンはそろりと戸を開け、中の様子を伺った。そこには、秋名の机に手を付いて、何かを訴えかけているエアグルーヴの姿。耳を後ろに絞り、目尻を大きく釣り上げて、どうも穏やかではない様子だった。

 

いつもの秋名ならば、ここでエアグルーヴに気圧されて、謝罪の言葉を一つ飛ばすのがお決まりというやつだ。

 

だが、今回ばかりはどうも違った。エアグルーヴの圧に、彼は真っ向から向かっていた。

 

「隠していたつもりじゃない。僕だって、気乗りしない話なんだ」

 

「気乗りだとか、そういう話ではない! そんな大事なことを、貴様は!」

 

「……悪かったとは思っている。だけど、君には関係のない話だ!」

 

秋名の言葉に、エアグルーヴは僅か1/10秒、呼吸を忘れた。そして、多少の沈黙の後、自嘲するように少し嗤って、静かに語った。

 

「そう……だな……。私には、関係のないことだ……」

 

微かに震える唇でそう言った。秋名はもう一度冷静な話を求めるべく、エアグルーヴと名を呼んだ。だが、エアグルーヴはそれを無視して、彼に背を向けた。

 

がらりと戸が開かれたとき、そこにショパンがいることにエアグルーヴは気づいたが、特に言葉をかけることもなく、ショパンを置いてその場を去っていった。

 

ショパンはトレーナー室の中へ入り、何があったのかと秋名へ訊ねた。だが、秋名は椅子に深く掛け、君にはまだ早い話だよとショパンの頭を少し撫でて、自身の背後にある太陽を睨みつけた。

 

理解が及ばないショパン。何もわからないまま少し悶々としながら、秋名の机の上にあるお菓子を手に取ろうとしたときに、一枚の写真を見つけてしまう。それは、慎ましく淑やかに、着物に身を包んだ一人の女性の写真。ショパンは思わず綺麗だと口にした。

 

秋名はその写真を黙って取り上げた。そして、それを太陽に翳して、憂いの仮面を顔に着けた。今日はもうお帰り。そうショパンに言った。

 

ショパンは、喧嘩をするのはいいけど、ちゃんと仲直りしてよねと秋名へ言った。秋名は黙ってショパンの頭を再び撫でた。そこに、一本の入電があった。秋名は億劫さを隠さずに、その入電に応じた。

 

「はい、秋名です。ええ。例の縁談の件ですよね……」

 

大人の話と察して、ショパンはトレーナー室を後にした。

 

寮に帰る道中、結局栞を渡せなかったことを一人で勝手に嘆いた。

 

「はぁ、どうしてこんな時に限ってケンカなんてするかなぁ。結局お父さんが悪いのかな? エンダンがどうとか言ってたし……」

 

自分の吐いた言葉に疑問を抱く。語彙に乏しいショパンでも、その言葉の意味を、何処かで聞いたことがあるような気がした。

 

「エンダン……? エンダンってなんだっけ?」

 

とぼとぼと歩くショパンの背に、声がかかる。振り向いた先にいたのは、ニシノフラワーだった。ちゃんと栞を渡せたか? とショパンに訊ねた。だが、ショパンは黙って首を横に振った。

 

何故? とフラワーが重ねて訊ねる。ショパンは理由を彼女に話すより前に、一つ質問を投げた。

 

「ねぇ、フラワーさん。エンダンってどういう意味なんですっけ?」

 

「エンダン……ですか?」

 

ショパンは頷いた上で続けた。

 

「なんか、トレーナーさんがエンダンがどうとか言っていて、それで先輩(おかあさん)がすごく怒っちゃって……」

 

ニシノフラワーは、口元を押さえ、そうですかと言った。

 

「縁談っていうのは、お見合いのことですよ。その、言うなれば、ショパンさんとエアグルーヴさんのトレーナーさんに、お嫁さん候補を打診されていると言ったところが妥当でしょうか……」

 

そういえばと、ショパンはトレーナー室で見たあの写真の女性を思い出す。とても優しそうで、とても美人で。それが、あの秋名のお嫁さんに……?

 

「そっか……そりゃお母さんも怒るはずだ……ん?」

 

何かを納得した先、何かに引っかかる。どうしたのかとフラワーが訊ねても、ショパンには届かない。

 

「え……?……あれ? だってお父さん(秋名)お母さん(エアグルーヴ)と結婚して、そして私がなのに……? お父さんにお見合い……? お嫁さん候補……?」

 

ショパンはようやく事の重大さに気が付く。

 

そんなことが実現してしまえば――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――私が生まれてこなくなっちゃうじゃないか!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
調べに対し、『自分もお母さんと呼ばれたかった』等と供述しており

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。