【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

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Cupid

 

 エアグルーヴは戸を閉じた。翠萌ゆる夏に似つかわしく無いほどに、引き戸は冷たかった。

 よかったのだ。これでよかったのだ。

 

「ああそうだ。私は、ただ一人でばかげた夢を見ていたのだ」

 

 彼も彼女も、伴侶でなければ、未だ恋仲の関係ですらない。ただの担当とトレーナー。たったそれだけの関係だ。己の指導者に目出度い話があるというのなら、これを推さずして何が担当ウマ娘だ。

 

 これでよかったのだ。……これで。

 そう何度も心で呟く。時にそれは声となっていることすらも、彼女は気づかない。

 

「……すまない、ヒシアマゾン。やはり私は、まだ子供だったのかもしれない」

 

 そう言いながら、一歩一歩、彼の部屋から遠ざかってゆく。それが心の距離だと歌えば、安い歌詞だ。

 

 そこに、一人の黒鹿毛の姿。不穏を感じ取るその表情は、どこか切ない。

 

「ああ、ショパン。昨晩は悪かったな。私としたことが、大人げなかった。謝ろう。また、菓子でも買ってやろうか?」

 

 女帝のその表情は笑っていた。まるで憑き物が落ちたような、晴れ晴れとしたもの。

 だがショパンは、首をふるふると横に振った。

 

「ねぇ、トレーナーさん。お見合い本当にしちゃうの?」

 

 彼女は焦燥に支配されているようだった。大好きなお菓子の言葉も意に介さない。

 

「ショパン。これは大人の話なんだ。トレーナーの幸せを願ってやることもまた、淑女ウマ娘たる振る舞いだ」

 

先輩(おかあさん)は……トレーナーさんのこと好きじゃないの? そんな、誰かに……」

 

「好き、か。全幅の信頼は置いているさ。だが、彼にとって私はまだ幼い。……多少の気の迷いがあったことは確かに認めよう。連れ添った時期が成熟した故の倒錯だ。だが、これでいいんだ。これで……」

 

「あきらめちゃうだなんて、そんなの……そんなのって!」

 

「ショパン!」

 

 廊下に、少し張った女帝の声が轟いた。反射的にショパンは身を強張らせた。そして静かに目を開く。そこにあった女帝の顔……敗北を噛み締めていた。

 

「いいんだ……これでいいんだ。トレーナーが幸せになるのなら、それでいいじゃないか。私は何も持たないんだ。持たざる者だったというだけだ。それが、それだけが全てだ」

 

 僅かに唇が震えていた。何かを押し殺していることは傍目から見ても分かった。

 そしてエアグルーヴは、その場にショパンを残して再び立ち去った。

 

――

 

 ショパンはトレーナー室の扉を開けた。

 そこに、写真を眺めては溜息をひとつ漏らす秋名の姿があった。

 

「トレーナーさん……」

 

「ああ、ショパン。どうしたの。お菓子ならそこに」

 

「お見合いしちゃうの?」

 

 単刀直入だった。幼子(おさなご)の恐れ知らずほど怖いものはないものだ。

 

「あ、ああ。そうだね。参っちゃうよね。こういうのって」

 

 ウマ娘と言えど、やはり年頃の女の子。縁談などと言う話には関心があるのだろうと、秋名はショパンのセリフに付き合った。

 その人と結婚するのかというショパンの問いに、秋名はまだ決まった訳ではないと、客観を装う日本人らしき言葉を並べた。きっとこの後に続く会話は、相手はどんな女の人なのかだとか、結婚式はやるのかだとか。少女らしい話題に違いないだろう。そんな秋名の予測を、ショパンは一言で裏切った。

 

「ねぇ、そのお見合い……断ったりできないの?」

 

 秋名は虚を突かれたような言葉に、僅かに尻を浮かせた。年頃の少女が、なんと破談を提案してきたのだから。彼は、えっと感嘆詞を口から飛ばした。

 

「な、何を言い出すんだい。君は」

 

「だって、トレーナーさんには先輩(おかあさん)がいるじゃない! なのに、そんな女の人だなんて!」

 

「え……エアグルーヴ!?」

 

 ショパンの言葉に惑わされ続ける。彼女の主張は、エアグルーヴという女性がすぐ近くにいるというのに、縁談とは何事かということらしい。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。エアグルーヴはただの担当ウマ娘だ。そんな、急に何を!」

 

「じゃあトレーナーさんは、お母さんのこと好きじゃないの?」

 

「好きって……そりゃあ、彼女はとても美しいウマ娘だとは思う。信頼もしている。だけど、それとこれとは違うんだよ」

 

「だって、だって結婚って好きな人同士でするんでしょ!? そんな、よく知らない女の人となんかじゃなくて、ずっと、ずっと綺麗で優しいエアグルーヴってお嫁さんがすぐ近くにいるってのに!」

 

「お、お嫁さん!?」

 

 ショパンの度を越えた発言が、益々秋名を混濁の底へと誘う。

 

「お願いトレーナーさん。気づいてよ……」

 

 そう訴えかけるショパンの瞳は潤んでいた。彼女の言うことに従わなければ、何か災いが起こるといわんばかりのものだった。

 

「ショパン……あまり大人を揶揄うものじゃないよ。君はまだ子供だからわからないんだ」

 

 秋名の回答は、ショパンへの諭しだった。秋名はそれ以上、ショパンを相手にしなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 さらさらと、じょうろから滴る水の音は優しかった。それだけが、今のショパンへの同情であり、慰めの音色だった。

 綺麗なお花の色が、今日はどうしてもくすんで見えた。自分が大切に育てた菫でさえも。

 

 今日はどのくらいお水をあげたのだろう。肥料はあげたのだっけ。全てが身入らず。きっと女帝の前でこんな体たらくを晒せば、気が緩んでいると叱咤がすっ飛んで来るに違いない。

 

 でも、本当にそれどころではないのだ。この世界で、この時代に、父と母が結ばれない結末が現実となれば――知っている。映画で見たことがあるのだもの。過去が時空が狂った主人公は、未来で消えてしまうのだ。

 

 消える。この身体が、消えてなくなる。

 

 ショパンという存在は、最初から『なかったもの』となる。

 

 皆の記憶から、消えてなくなる。

 

 愛する母の記憶からも、欠片も残らず消えていく。

 

「消えちゃうの……私……?」

 

 水が滴る。じょうろとショパンの瞳から。

 

 思わずその場で肩を抱き、蹲りそうになった。

 

「そんな……そんなぁ……」

 

 どうすればいい、どうすればいい。父の縁談を破談へと導くには。父と母、互いが懇ろになってくれるには。自分が産まれてくる未来を守る為には。

 

 縁談の場に乗り込んで、花婿を奪う? 父と母を二人だけの密室へと押し込んで強引にでも『いい雰囲気』を作る? 思い切って、母から父へ愛の恋文を唄わせる……? どれもこれも現実的ではない。

 

 じゃあ、このまま自分が消えていく現実を受け入れろというのか。冗談ではない。

 

 ではどうすればいい、どうすればいい。八方塞がりとはこのことだろうか。

 

 大人なら、力があれば、自分が魔法使いなら。どうにだってできるというのに。できることはここに蹲ってベソを掻いてるだけ。何も……何も成長なんてしていないじゃないか。結局自分は何もできない――。

 

 その時ふと、ショパンは思い出した。昨夜のベッドで、ファインモーションとした会話を。

 

『困った時はおまじないをするといいよ。きっと精霊たちが二人を救ってくれる』

 

「おまじない……?」

 

 そんなもの、効果なんてあるのだろうか。でも、現にショパンは三女神へのお祈りあってここにいることは事実。……なら、或いは。

 

 ショパンはその場で手を組んで、花壇の花々に向かって目を閉じた。

 

 

 

 精霊さん、精霊さん。どうか、父と母を結んでください。二人が夫婦となれる未来を、作ってください――。

 

 

 こんなもので合っているのだろうか。でも、何もしないよりはましだ、きっと。心で呟いて目を開けた時だった。

 

 ぶうん、ぶうんと彼女の周りを何かが飛ぶ。それはとても小さく、目にもとまらぬ速さで、縦横無尽に。

 

「え……精霊さん? 本当に?」

 

 ――なんてことあるものか。それが耳元に来た時に、聞こえてくる。あの不快な羽音が。

 

 精霊なんかじゃない。ただの羽虫だ。ソイツはぶんぶんとショパンの周りを徒に飛び回る。

 

「うわっ! 蠅? ひぃん! やだぁ! あっちいってよぉ!」

 

 女帝の血を引くだけのことはあるショパン。彼女も虫は苦手らしい。ショパンはブンブンと尻尾を振り回し、耳の近くにそれがくると、ピンピンと耳を動かして追い払おうとした。だけど、それはショパンのもとを離れてくれる様子がない。

 

 そして最後、そいつはショパンの鼻に止まる。そこでショパンはようやく悪戯好きの精霊の姿を目にした。

 それは、赤と黒のてんてん模様。あの虫嫌いなエアグルーヴでも、唯一心を許せる相手。

 

「て……てんとうむし……ひ……ひっくしゅ‼」

 

 むずむずに耐えられなかったショパンは、そこで大きなくしゃみを一つ。その衝撃で、ころんと何かが彼女の足元へ。

 鼻をすすりながら、足元のそれを拾い上げた時、彼女は思わず声を出した。それは、ショパンが大切に持っていたペンダント。優しい母の面影が残ったそれ。

 

「そんな……」

 

 先ほどのくしゃみのせいで、またチェーンが壊れてしまった。元々そこまで丈夫な代物でないにしろ、やはり悲しみはそこに残るもの。

 自身は存在の危機に冒され、大切なペンダントは壊れ、踏んだり蹴ったりもいいところだ。

 

 ショパンはペンダントの蓋を開けた。幸いなことに、中の写真は無事だった。

 その写真――エアグルーヴの未来の姿。()よりも成熟した大人の姿。向日葵畑の前で、温かく優しい表情をこちらに向けている。

 

 本物の母を目の前にして以降、それを見る機会は減ったものの、ショパンにとっては、今でもこれが大切なお守りに変わりはない。

 

「お母さん……」

 

 漏れる溜息と共に、ペンダントの蓋を閉じようとした時だった。ふと、その写真の背景が気になった。

 そこに描かれるもの、優美に映える向日葵畑。場所は、ここから西にある丘。

 

 知っている。ショパンも何度か父に連れられてそこへ行ったことがあるのだから。父は確かに言っていた。この場所が、父と母の思い入れのある場所なのだと。母がペンダントを作る際に、わざわざその場所を選んだのだと――。

 

 

 

 

 ――瞬間、ショパンの脳髄に電流が走る。まるで外部からインプットされるかのように、頭の中にとあるプランが描かれる。これなら、これなら。

 

 

 

 

 父と母を密室に閉じ込めて、『いい雰囲気』を作ることができるかもしれない。

 

 

 

 

 成功するかはわからない。だが、居ても立ってもいられない。

 ショパンはその場から駆け出す。じょうろを仕舞うことも忘れて。母に見つかればきっと大目玉だ。だが、そんなことが気にならないほどに、彼女の感情は高揚で満たされる。

 

 駆ける。駆ける。校内を駆け巡る。父はどこだ。母はどこだ。

 

 高学年生たちから声をかけられても、構っていられない。駆ける、駆け巡る。

 

 

 

 

 

 ああ。ようやく理解できた。

 

 

 

 

 ショパンがこの過去へやってきた本当の理由。

 

 

 

 

 そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――父と母を結ぶ、キューピッドとなるために自分はこの過去へやってきたのだ。

 

 

 

 

 

 

 もう、父に母に女神に頼ってはいられない!

 

 

 

 

 駆ける、駆ける、駆け巡る。自分の脚で、未来を作っていく。

 

 

 

 それが、ショパン(わたし)の使命なのだと――。

 

 

 

 

 

 








まずいな……。



益々天気が悪くなっていく。



過去(わたし)よ、早く気づいてあげてくれ。























放っておけば、あの娘は自ら破滅の道を選ぶことになる……急いでくれ。









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