【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

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Fairy Dance

「司ぁ。いるかァ?」

 

 沈黙が彩る秋名のトレーナー室の引き戸を足で開けたのは、彼の同期の織戸だった。彼は両手に大きく膨れた袋を引っ提げて、それを机の上に置いた。

 

「この間のさ、出てもらったろあの地方(イナカ)のレース。お袋がさ、お前とショパンに礼だってさ。お袋のヤツ、すっかりあのショパンに虜にされちまってるみたいでさ、カワイイカワイイってウルセェんだよ。良ければ今度連れてきてくれなんて抜かすもんだからさ……」

 

 一方的に話を進める彼が次に目にしたのは、この部屋に差し込む光を恨むように睨み続ける、物憂げな同期の姿だった。どうも織戸の話を聞いているようには思えない。

 

「おい、聞いてんのかよ? ほら桃だぞモモ。いいカタチしてんだろ。お前のケツよりいい形してるってこの間担当(ファイバトリガー)のやつに言ったら本気で蹴っ飛ばされてよ」

 

 袋から取り出した桃を彼の前で振っても、秋名はまともな返答を返さない。織戸はそのまま机に掛けた。

 

「こりゃ重症だな。どうした、担当にタマ(・・)でも蹴られたか? それかバクチで10万くらいスったか?」

 

「……君と一緒にしないでくれよ」

 

「だあったら話くらいしろよ。察しろだなんて男が使える文言じゃねぇぞ」

 

「察してほしいだなんて言わないよ。桃はありがとう。後で頂くよ」

 

「ったあく、スカしてんじゃねぇよ。トレーナー養成所時代からのヨシミだろ。首席のエリート秋名クンよぉ」

 

「……確かに、出席日数スレスレのお情けで卒業させてもらった織戸クンとは長い付き合いだね」

 

 ようやく秋名の表情が少し砕けた。その好機を織戸は見逃さず、笑いを含んで会話を続けた。

 

「あれからどのくらい経ったんだろうな。俺たち同期組、7人纏めてココに採用されたハズなのに、気が付けばもう俺とお前の2人だけだよ」

 

「え? 三上君は?」

 

ココ(・・)ダメにして去年辞めてったよ。抱えてた担当、結局一回も勝たせてやれなかったんだとさ」

 

 織戸は拳で心臓を二回叩いてそういった。

 

「……そっか」

 

 秋名は、重い溜息と共にそういった。また一人、友人が去っていったことにすら気付いていなかった自分が、少し非情なようにも感じた。

 

「まぁこの業界、生き残れるヤツしか生き残れねぇ。結果出して、お上の命令には従って。"いい子"でいるのがイチバンだ」

 

「君はいい子?」

 

「ほら、問題児ほどカワイイっていうだろ?」

 

 織戸が机から腰を上げ、秋名のトレーナー室を後にしようとした時だった。秋名のデスクに一枚の写真を見つける。それは着物に身を包み、入念に粧された一人の色白の女性。

 

「んぁ!?  なんだお前これ!」

 

「あ! ちょっとそれは!」

 

 手を伸ばす秋名の手を、織戸は遮った。

 

「はっはーん。コレだなお前の憂鬱の原因は。どうしたシッパイ(・・・・)でもしたのか?」

 

「違うよ! 縁談さ。持ち掛けられてるんだ」

 

「縁談ン?……おいこれもしかしてアレか? あの眞城理事の娘か?」

 

「知ってるの?」

 

「URAに居る知り合いが言ってたんだ。何でも現役のトレーナーを相手に、婿養子を探してるんだとかさ。向こうじゃちょっとした有名な話らしいが。そうかその的はお前だったのか」

 

 秋名は写真を取り返すことを諦め、再び椅子に深く掛けた。

 

「どうして現役のトレーナーなんかを」

 

 愚痴のようにそう言った。

 

「幅ァ利かせてぇんだろうな。現役トレセン学園の優秀なトレーナー。そいつを丸め込んで、ある程度裁量のある席にさえ着かせりゃあ、トレセン(ここ)もあのオヤジの所有物同然ってハナシさ。要はお前、あのオヤジの犬にされちまうってことさ。政略結婚に使われる娘も不憫っちゃ不憫だな」

 

「君はどう思う」

 

「俺は死んでも御免だね。あんなハゲの犬になるくらいなら、担当とデキ婚でもしたほうがまだマシだ」

 

 君が言うと洒落にならないと秋名が言い、織戸は不敵に笑った。

 

「ケド、お前は別だろ。司」

 

 彼の意外な言動に、僅かに瞼が痙攣した。

 

「どういう」

 

「お前くらいのデキる男なら、受け入れちまうのもアリなんじゃねぇのって言ってんだよ。俺はあのデブが嫌いだから喰わねぇ話だけどよ、お前ならきっと上手くやれんだろ。トレーナー業なんざいつ首がスっ飛んでも可笑しくねぇ。だが受け入れちまえば、汚点はあのクソ糖尿野郎とお近づきになることくらいで、残りの人生薔薇色だぞ。女もソコソコ悪くねぇ」

 

 織戸は写真を眺めながら、あんなのからでもこんな女が生まれるのかと呟いた。

 

「どうせお前、今女もいねぇんだろ? いいんじゃねぇかこの辺が潮時ってことでさ。上手くやりゃ死ぬまで安泰、行く行くはトップ陣の席からの天下りだぞ。将来が約束されるってなモンだ。お前なら相応しいよ。女が気に入らねぇなら隠れて遊べばいい。それとも何だ、拘りの女でもいンのか?」

 

「僕は……」

 

 

『ねぇ、トレーナーさんは、おかあさんのこと……好き?』

 

 

 ふと脳裏で、あの娘の声が過った。

 

 

「……女の人のことなんて、僕にはわからない」

 

「ソーソー、それでいい。汚ねぇ金が入ったら寿司でも奢ってくれよな」

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 織戸と入れ替わりで訪れたのは、沈黙だった。

 秋名 司。二十余年の歳月を経て立ち向かう大きな決断。優柔不断が少し目立つ彼にとって、それは余りに大きすぎる問題。

 

「結婚だなんて考えもしなかったからな……」

 

 自分が憂いていることは何なのだろう。織戸の言うように、この上なき光栄な話であることは確かなのに。

 この歳で人生の墓場に身を投ずることを忌避しているのか。或いは、自身が穢れに染まることを恐れているのか。また或いは――自分が本当に求めている女性が別に居るのだろうか……だなんて。

 

「トレーナーさんっ!」

 

 そこに、麗らかな一つの風。黒鹿毛の少女の姿。

 彼女は、トレーナー室で秋名を見つけるや、お菓子には目もくれず、彼の手を引っ張った。

 

「ねぇ、トレーナーさん! お出かけしようよ!」

 

 ショパンは目をきらきらと。自慢のお耳と尻尾をぶんぶんと振って。少しの自信と、興奮を身に纏う。

 

「お出掛け? また君は藪から棒だな」

 

「ね! ね! いいでしょ?」

 

「行くって何処に」

 

「あのね! すっごくいっぱいお花が咲いてる綺麗な丘があるの! 先輩(おかあさん)がどうしても行きたいって!」

 

「エアグルーヴが?」

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

先輩(おかあさん)は、トレーナーさんがあの人と結婚するのが良いと思ってるの? 正しいと思ってるの?』

 

 

 

『だって――おかあさんはトレーナーさんのことが好きなんでしょ!?』

 

 

 

「……」

 

 

 黒鹿毛の娘の言葉が、何度も頭でリフレインする。

 忘れようと思っても、気が付けばまたその声が、イヤーワームのように鳴り続ける。

 

「多少の気の迷い……か」

 

 掠れるような声は、湯気のように儚く空中へと消えてゆく。

 その言葉に、何を願う訳でもない。ただ、ただ。

 

「エアグルーヴ。君の意見を聞きたい」

 

 とん。と背中を刺されたような感覚だった。彼女ともあろう者が、今が会議の最中(さなか)であるということを失念していたらしい。揺れる精神状態の中、なんとかその場を理解しようと試みる。

 だが、もう何もかも遅い。また、後手に回ったというだけだ。

 

「……すみません。会話の趣旨を、もう一度戴けませんか」

 

 ぴくりとルドルフの眉が動いた。

 

「ほう、君が上の空とはね。何か憂い事でもあるのかい。まぁ、差し詰めショパン絡みと言ったところだろう?」

 

「え、ええ。お察しの通り」

 

 挙句、自分の言葉に嘘を塗る。これが女帝のすることかと、己を嘲笑う。

 

「あまり気負いすぎるな。ショパンを見ているのは君だけではない。和衷協同の心を忘れてくれるな。私たちは仲間だ。……きっと、あの娘も」

 

「ええ。心得ます。それで、問いかけの内容を今一度」

 

「ああ、今月の我々の活動についてだが、生徒たちに親しみのある挨拶運動の実施というのを考えていてね。このミニハロン棒をもってハロー(ン)というのはどうだろかと」

 

「却下願います」

 

 

 

 

――

 

 

 

 悶々とした気持ちとはそう簡単には拭えない。会議を終え、生徒会室を後にしたエアグルーヴに宿るは、再び吐息の病。

 

 思い返せば、自分は何を願っていたのだろうかと自らを問う。

 担当トレーナーとウマ娘が結ばれることなど、稀な出来事だというのに。それこそそう、彼女の母親のような、特別な存在にのみ許された憧憬。小説やドラマで、その関係に契りを結ぶことが結末となる作品が多いことも、それを裏付ける一つなのだ。

 

 確かにエアグルーヴが秋名へ寄せていた感情は、好意にも似た親しみだった。しかし、何時しかそれは、心に贅肉を付け、傲慢の実を結び、不浄な欲望を育んだ。それ故に、母体は幻覚を見た。この関係が、ずっとこのまま、終りなく続くものだと、恣意的な解釈をした。

 

『君には関係の無い話だ』彼の言葉が、彼女の幻覚を解いた。

 

 心の魔法が解けた時に、彼女に残ったものは寂寥だった。気付くことに、余りに時間が掛かりすぎた。

 

 現実とは猛毒だ。誰しもがその毒に侵され、耐えながら生きている。

 皆、草葉の陰から理想を羨み、力尽きてゆく。

 

 その毒からは誰も逃れられない――例え、女帝であっても。

 

 

「おかあさん!」

 

 

 その声に、再び背中を刺された感覚が彼女を襲う。

 踵を返した先に居たのは、既に見慣れた黒鹿毛の少女。そのきらきらとした笑顔を見た瞬間に、エアグルーヴの顔は少し曇る。

 

「おい! ショパン。お前、花壇の如雨露(じょうろ)を放置していただろう! まったく、整頓をせねば次に困るのは自分だとあれほど……」

 

「ごめんなさい! でも、今それどこじゃないの! トレーナーさんがお出掛け連れてってくれるの! ね! 行こうよ! いいでしょ!」

 

「お出掛け……?」

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「あ……」

 

「や、やぁ……」

 

 それは、既に数年連れ添った間柄が交わすには、余りに他人行儀な挨拶。

 秋名は車用のウェットペーパーでフロントガラスを拭く手を止め、ショパンに手を引かれやってきたエアグルーヴの姿に固まった。

 

「そ、それじゃあ、行こうか。日も暮れちゃう」

 

「あ……ああ」

 

「じゃあ、先輩(おかあさん)は助手席ね! 私後ろに乗るから!」

 

 そういってショパンは、秋名の愛車(レヴォーグ)の後部座席へ。エアグルーヴは渋々とナビシートのドアを開けた。

 

 秋名も黙って運転席へと乗り込むと、プッシュスタートへ手を伸ばし、エンジンフードの中に眠った獰猛な獣(ボクサーエンジン)を起こし、アクセルを踏み込んだ。

 

 エンジンの振動が僅かに車内へと伝播する。二人の間には沈黙と、オーディオから流れる流行りのポップス。

 

「縁談は順調か?」

 

 沈黙を先に破ったのはエアグルーヴだった。秋名はただ一言、まぁね。とだけ。

 

「蔑ろにするんじゃないぞ。人生を揺るがす、大事な決断なのだからな……。貴様は私の杖だ。賢い選択ができる……男だ」

 

「……賢い男。か」

 

 秋名は、黙ってカーナビの指示に従う。

 

 そうすれば、見えてくる。黄色い夏の群れが。

 

 

――

 

 平日の昼下がり。閑散とした静かな駐車場に車を停める。

 ショパンは二人の手を引き、こっちこっちとステップを踏む。

 

 しばらくすると、三人の前に、秋名の背丈程にもなる大きな向日葵の群れ。それは、あのエアグルーヴをも唸らせるもの。

 

「西の丘にこんな場所があったのか。知らなかった。貴様もよく知っているじゃないか。感心だ」

 

 エアグルーヴが呟く。秋名が反応する。

 

「え? 君がここに来たいって言ったんだろう?」

 

 エアグルーヴも、秋名の言葉に反応し、二人は見つめ合う。

 

「……貴様がこの場所へ私を招きたいと言ったんだろう?」

 

「いいや、僕はショパンが……」

 

 二人は一人へ視線を向ける。そこに佇む娘。何かを企んでいる。

 

「ショパン、お前……何のつもりで」

 

 その瞬間だった。

 

 

 

 

 ショパンは秋名から眼鏡を、エアグルーヴから耳飾りを奪って向日葵畑の中へと消えていった。

 

 

 

「ッ!? おい! 待て! ショパン!」

 

「ちょ、ちょっとショパン!」

 

 二人はショパンを追いかけて、禁忌と知りながらも向日葵畑の中へ。

 

「ショパン! ちょっと! 悪戯が過ぎるよ!」

 

「ええい! どこだ! 出てこい! このたわけ!」

 

 しかし、向日葵生い茂る畑の中。見通しも悪ければ、花を踏むわけにはいかないと、本気で走ることすらもままならない。

 

 その中を、ショパンは小柄な体を有利に駆け回る。

 

 秋名とエアグルーヴは、ショパンを追って右往左往。あの娘はどこにいる。こっちこっちと手を叩く音がする。

 

 右か、左か。前か、後ろか。

 

 駆け回れば、駆け回るほど、方角の感覚が鈍っていく。ただ、ショパンに踊らされる。

 

 エアグルーヴが、ショパンの尾を見つける。

 

「そこか!」

 

 そこに向かい、彼女は駆け出す。

 

 

 

 秋名はショパンの耳を見つける。

 

「いた! 待って!」

 

 彼もその方向に向かって――。

 

 

 

「捕まえ――――」

 

 

 

 

 

 

 だが、秋名の目の前に飛び込んできたのは、ショパンでなく、エアグルーヴだった。

 

 

 

 

 

「――!?」

 

 

 

 気付いた時には遅かった。慣性に操られた体を制御する方法など無い。

 

 

 エアグルーヴも、急に現れた秋名の姿に急制動をかけるも、間に合わない。

 

 

 二人は不可抗力の名の下、大きく抱き合い、そのまま秋名を下に、後ろへと倒れこんだ。

 

 

 

 

 更に厄介なことに、一瞬だが、二人の口先が触れ合った。

 

 

 

 

「あ………………」

 

 

 瞬間の出来事に、二人は何も言えなかった。

 

 秋名は大きく天を仰ぎ、エアグルーヴは秋名の胸の上で、呼吸を繰り返していた。

 

 

「す……まん……」

 

 

 エアグルーヴは茫然としながら、ただその一言を漏らした。

 

「ご……ごめん。ケガは」

 

「あ、ああ。だい……丈夫だ」

 

 

 事故だ。そうだ事故だ。

 

 

 事故だ、事故だ。これは事故だ。アクシデントだ。トラブルだ。ハプニングだ。

 

 

 だけど、今、確かに。

 

 

 そのアクシデント、秋名も自覚しているらしい。

 彼の鼓動が、とてつもなく急いでいる。

 

 

 沈黙。幾度目の沈黙。

 だが、今までとは決定的に何かが違う沈黙。

 

 二人の視線が絡み合う。

 

 互いが互い、自分が置かれている状況を見失う。

 

 彼らは沈黙の中、互いを見つめ、視覚情報を共有し、互いの香りを感じ、肌で触れ合い、急ぐ鼓動を耳で捉え、口に残った甘い唾液の余韻を転がして、五感の全てを捧げあう。

 

 刹那に、暴れだす。エアグルーヴの心の奥底に、鎖と南京錠を掛けて閉じ込めておいた本能という獣が。何度も何度も檻を叩き、覚醒を始める。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇(時は少しだけ遡る)

 

 

「なぁ、待て」

 

 エアグルーヴは暗がりに消えてゆくヒシアマゾンを呼び止めた。

 

「なんだ? 話す気になったか?」

 

「……仮の話だ。ロミオとジュリエットは、未来を変えられたと思うか」

 

「……ふうん。随分と洒落た訊き方だねぇ。アタシは悲恋の物語ってなあんまり得意じゃないんだけどねぇ。だけど、変えられたと思うよ。周りのしがらみとか、プライドとかさ、結構邪魔なものは多いけど、でもそれでも、ジュリエットは自分の命を懸けられる程の愛があったんだ。物語なんて結局は作者の都合さ。だけど、それくらいの想いがあるんだったら、きっと二人は未来を変えられた。アタシはそう思っちゃうけどねぇ」

 

「そうか……」

 

 ヒシアマゾンは再び席に着き、エアグルーヴの溜息の色を見た。

 

「それで、アンタはロミオとジュリエット、どっちなんだい?」

 

「私は……」

 

「随分と日和ってるじゃないか。あの女帝サマが。欲しい物は力尽くでも手に入れる。それがアンタじゃないのかい。ジュリエットだって毒を飲んでまで、欲しいモノを奪いに行ったんだ。……アンタならヤれるよ。アタシが保証したっていい」

 

「……慣れてるのか。この手の話」

 

「若い娘の相談なんて大体そういうもんさ。上手くいって、下手をこいて、皆大人になっていくんだ」

 

「そういうお前はどうなんだ?」

 

「ああ…………そりゃほっといてくれの一言だね」

 

 二人は互いの顔を瞳に映し、少しだけ失笑を漏らした――。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 本能が理性を蹂躙し始める。心に牙が生える。

 

 次第に、自分ではない何かに染まるように――。

 

 

「エアグルーヴ……?」

 

 いつまで経っても、彼の上を退かない彼女に、秋名は問いかけた。

 だが、彼女の色は増してゆく一方。

 

「なぁ、トレーナー。訊きたい。あの縁談を、貴様は受け入れるのか?」

 

「え……?」

 

 彼女の瞳は、一見座っているように見えても、その裏に獰猛な瞳が隠れていることが伺えた。

 

「どう……なんだ」

 

「僕は……」

 

「……ろ」

 

「え?」

 

「決めろ……今、ここで」

 

 彼女の胸が大きく上下に揺れる。それほどまでに荒い呼吸を繰り返している。

 その彼女の姿に、秋名の心も揺れた。

 

「……君が望むものは何?」

 

「私に言わせるつもりか」

 

「言わなきゃわからない。だけど、僕は君の杖だ。君が望むのなら、この心臓を差し出す用意だってある」

 

 秋名という男は、気弱で優柔不断な男だ。だが、そんな彼の心にだって――――獣は棲んでいる。

 

「欲しい……私は女帝だ。全てをこの手に納めなければ、気が済まない(タチ)なのだ。だから……だから」

 

 

 エアグルーヴは右手で彼の首を掴んで、吠えた。

 

 

「――貴様をよこせ。貴様は私の杖だ。私の傍らを外れることを許した覚えなどない。何時であれ、この私に仕えろ。貴様の全ては……私のものだ!」

 

 僅かに余韻の風が二人の間を潜った。

 エアグルーヴのヒートした体を冷やすには、その風は不十分だった。

 

「聞かせろ……貴様の答えを」

 

 秋名はエアグルーヴの右手を掴んだ。そして、それを解きながら体を起こし、エアグルーヴと改めて向かい合い、彼女の右手を握った。

 

「……仰せのままに」

 

 その手に、エアグルーヴは自分の左手を重ね、崩壊しそうな表情を耐えながら続けた。

 

「恨んでくれるなよ……それが、私の杖としての」

 

運命(さだめ)だ……からかい?」

 

 秋名は、残った手を彼女の肩に置いた。そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これも事故だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういって、再び彼女の唇に、己を授けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 「大丈夫……だよね……?」 

 

 しげみの影から、ショパンは二人の様子を伺った。

 

 二人が何やら話している、だが、彼女の耳にまでは届かない。

 

 だが、次の瞬間彼女は目にすることになる。

 

 両親が互いに身を寄せ合い、口で契りを交わす瞬間を――

 

 

 

 

「ヒィン!!」

 

 

 

 

 望んでいたこととは言え、ショパンにとってはあまりに刺激の強いシーンに、彼女はノックダウン。

 少し頭がくらくらする感覚を覚えながらも、それでも二人を見守った。

 

 再びショパンの鼻に、赤と黒のてんてん模様の精霊の姿。

 

「えへへ……精霊さんのおかげだよ……ひっきゅしゅ!」

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 とくん、とくん、とくん、とくん。

 

 交わした名残が、度数の強いアルコールとなって二人を侵す。

 

 今はただ、この時間を愉しんでいたいと二人は願う。向日葵畑という、自由な開けた密室の下、互いの腕に抱かれて。

 

 きっと数時間後に二人は、自分たちの犯した醜行を大きく恥じて後悔するだろう。でもそれでもいい。目に見えぬ未来など気にせずに、今だけ自由なら、それでいい。

 

「眞城理事には伝えておく。やはりあの話は、僕には似合わない。それだけだったというだけさ」

 

「ああ……」

 

 とろり、とろりと時間が溶けてゆく。気が付けば月の姿までもが、空にはあった。

 

 ショパンはどこへ行ったんだろう。秋名がそういった。エアグルーヴは、さぁな。とだけ答えた。今だけは、あの娘のことに構ってられないのだから。

 

「まるで、あの娘に導かれてしまったようだ。つくづく、不思議な娘だ」

 

 エアグルーヴは思い出す。母から言われた、あの言葉を。

 

 

『この娘が言ってることが本当なら、この娘、貴女の"運命の人"を知っていることになるわよ』

 

 

 それが真だとするのなら。ショパンという存在は、本当に……。

 

 

 

 

 

――ひっきゅしゅ!

 

 

 

 一つの愛らしいくしゃみと同時に、しげみから出てきたのはショパンだった。

 右手に眼鏡を、左手に耳飾りを。

 

 二人は慌てて寄せ合っていた体を外した。そして、ショパンへ説教の一つをとしようとしたとき。

 

 ショパンはそんなこともお構いなしに、二人の間へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 碧く、月は輝いて妖精たちは踊りだす。

 

 

 遠い昔の伝説のよう、物語は始まるのさ。

 

 

 時の翼に乗って、新しい未来生まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 













成功 大成功!!




これで、これで!!




これで、お父さんとお母さんはいつかきっと結ばれるんだ。



お母さんが学園を卒業して



二人は恋人同士になって



デートなんかしたりして



そして、結婚して



そして私が生まれて……




そして





そして






























お母さんは死んじゃうんだ。






























……………………………………………………あれ?
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