【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

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少女の名はショパンと言った。

不思議な名だった。奇しくも、私の愛する音楽家と同じ名を持つ娘だったのだから。

初めて聞く筈なのに、どうしても懐かしい名だったのだから。



原罪 ニ短調 作品5
喪った者たち


 

 

 

 

「ええ、すみません。埋め合わせはきっと」

 

 

 そういってメルセデスは秋名の隣(ナビシート)で通話を切った。会話の内容から察するに、相手は恐らく彼女のトレーナーなのだろう。

 彼女はスマホを仕舞うと、失礼と一言、秋名へ詫びた。

 

「大丈夫なのかい。次の試合(レース)もそう遠くないんじゃ」

 

「平気ですといえば、少し嘘になります。ですが、大切な生徒のこと以上に、優先されるべきことなどあり得ません……トレーナーは少し怒っていましたが」

 

「……気持ちは凄く有難い。だけど、君も今を生きるウマ娘だ。君の栄光までをも狂わすわけにはいかない。調整の期間を蔑ろにすることは僕も反対だ。目的のないブランクはいい結果を結ばない。学園へ戻ったほうがいいんじゃないのかい」

 

 しかしメルセデスは首を横に振った。

 

「いいえ。私にはこの結末を見届ける責務があります。この行く末を、ショパンを……」

 

「だけど」

 

「私の敗北を憂慮されていると仰るのでしたら、是非今度レース場へお越しください。杞憂に終わることを御覧に入れましょう」

 

 彼女の声色は、その年に似付かわしく無いほどに据わっていた。これでも現役の生徒会長。言い訳の通用しない席に身を置く覚悟は、痛いほどにあるらしい。

 

「……なるほど。妻を思い出す」

 

 メルセデスの覚悟が、秋名の一つの記憶とリンクしたときに、その言葉が無意識に飛んだ。

 言い訳も通用せず、後ろ盾もない。そんな世界で、(秋名)彼女(エアグルーヴ)は共に歩んだ。彼女の覚悟の言葉は今も未だ、彼の身体に深く刻まれている。

 

「御理解、感謝致します。……流石は元トレーナー。私のような愚昧な輩は放っておけませんか」

 

「誰だってそう言うさ。きっと」

 

 左様ですか。とメルセデスは薄く笑った。

 信号が青に変わる。秋名は愛車(ボルボ)のアクセルを踏み込む。

 

「どうして秋名さんは、トレーナーを辞職されたのですか。貴方のトレーナーとしての技量は、勇邁卓犖であったとお聞きしていましたが」

 

 勇邁はどうかなと、秋名は自嘲気味に笑い、つづけた。

 

「トレーナーを辞めたのは、URAへの異動命令が出たからだ。名目は、僕のトレーナーとしての技量を買っての栄転であると」

 

「……失礼ですが、今秋名さんが所属されてる部署は」

 

「キャリアの名からは程遠いところさ。劣悪なところだよ。先月も二人辞めていった」

 

「一体何が」

 

 再び車は赤い記号に止められる。秋名はサンバイザーに差し込んでいた妻の写真を手に取った。

 

「昔、URA理事の席に着いていたお偉いさんから縁談を持ち掛けられたんだ。でも、僕は断った。それから程なくしてのことだった」

 

「まるで報復人事……今もURAの上層は、時代錯誤を象ったような、排他的で保守的で、権力で物を語り、癒着が蔓延る汚濁であると、ルドルフさんも宣っていました。皆の夢であるべき場所、潔白な光の下、献身的であることが、全てのウマ娘たちの幸いの礎となる筈だと」

 

 彼女なら実現してくれるかもしれない。秋名はそう言って再びアクセルを踏んだ。

 

「まぁ、理事に逆らえばどうなるか。僕もわからなかったわけじゃない」

 

「だけど、貴方はエアグルーヴさんを選んだ」

 

 少しだけ、メルセデスの表情が綻んだ。

 権力者からの圧力にも屈せず、愛を貫いたストーリー。恋愛物の書籍やドラマを好む彼女にとっては、この上なく美味しい話なのかもしれない。

 

「現役だった頃から、互いに懇ろだったということですか?」

 

 彼女の声が少しだけ前のめり。

 

「いいや。最初はただの担当だとしか思ってなかったさ。担当とトレーナー。不純な関係はそもそも御法度だからね。だけど、初めて彼女とさっきの向日葵畑に来た時だった。僕たちは『何か』に導かれた」

 

「何か……?」

 

「そう、何か。思えば、僕と彼女の関係には、いつもその何かが付き纏っていた。それが何だったのかは思い出せない。昔はそれが見えていたような気もする」

 

「素敵な話。まるでキューピッド」

 

 メルセデスが温かい溜息を漏らして言った。

 

「揶揄わないでくれよ。僕は本気で言っているんだ」

 

 秋名は少し不満げに、それ以上メルセデスの顔を見なかった。

 カーナビの無機質な音声が、目的地周辺であることを告げる。まさかここに来る機会が出来るとは思わなかった。秋名は小さな声で言い、カーナビではアテにならない正門の場所を探した。

 

 対するメルセデスは、何度か訪れたことがあると言い、戸惑う秋名を『ウマ娘支援センター』の正門へと導いた。

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 その施設に訪れる、一台の外車。

 グレーメタリックに包まれたその意匠は、ここの職員のものではないと、正門に駐在する警備員が腰を浮かせる。秋名は車のウインドウを下し、URAの社員証を警備員へと提示する。

 

 警備員は少し怪訝な様子を引きずりながらも、バーゲートを解放した。

 

「便利なもんだ」

 

 社員証に載った自分の顔写真を見てそう言った。

 腐っても最高機関。このカード一枚で、URAの息が掛かっている場所ならば、大方何処へでも自由に出入りができるのだから。

 

「それで、牧野さんだっけ。何処にいるか知ってるの?」

 

 来客用の駐車場に車を停め、シートベルトを外しながら秋名が言う。

 

「ええ、ウマ娘健全育成支援課の主任さんなんです。部署へ行けばきっと」

 

 車外に降り立ち、コンクリートの建物を見据える。おおよそ中規模の病院程の大きさのそれ。コンクリートに入った隠し切れないヒビが、その年季を物語る。

 

 メルセデスを先頭に、二人はエントランスを潜り、牧野という女性が待つ場所へと歩みを進める。彼女の背に続きながら秋名は慣れない環境に周囲を見回す。この施設に集う少女たち。皆がウマ娘。だが、二人が今すれ違った娘は、足を引き摺って歩いていた。少し遠くで、誰かの喚く声が聞こえる。職員数名に宥められながら喚くその娘、どうも情緒が定まっていないらしい。

 

「ねぇ! あなた私のトレーナーさんね‼ よかったずっと探してたの! ねぇ! ダービーの日はいつ?」

 

 唐突に現れた見知らぬ幼きウマ娘が、秋名の手を握る。

 秋名は驚嘆を隠せずに、思わず仰け反った。その娘のきらきらとした瞳は眩しかった。だが、どうも焦点が定まっていない。

 

「ほら、ミディちゃん。その人はあなたのトレーナーさんじゃないのよ。困ってるから放してあげなさい」

 

 彼女に遅れてやってきたここの職員。彼女もまた、ウマ娘。

 

「いや! 私ダービーウマ娘になるもの! ねぇトレーナーさん! そうだよね! ねぇ、今日のトレーニングは何するの?」

 

「……ごめんなさい。この娘、ちょっと前に酷い事故に遭っちゃって。目がよく見えてない上に、物事の判別も付きにくくなってるんです。今でも自分のトレーナーが迎えに来てくれると信じてて……」

 

「そのトレーナーは?」

 

 秋名が訊いた。だが、ウマ娘の職員は静かに首を横に振った。その時車を運転していたのが彼だったと言って。

 

「ねぇ、ローズさん。今日は牧野さん、オフィスにいらっしゃいます?」

 

 メルセデスが訊いた。どうやらこの職員とは面識があるらしい。

 

「あら、メルセデス久しぶり。主任なら多分居ると思うけど、同僚(ドライブ)がまたやっちらかしちゃってるから、その対応で忙しいかもね。ほら、ミディちゃん。行くよ」

 

 そういって、その職員は幼いウマ娘を秋名から引き離す。その娘は途端に喚きだす。

 

「いや! いかないでトレーナーさん! 私を置いてかないで! いい子にするから! お願い! 嫌! 嫌ぁ!」

 

 おおよそショパンと大差ない程の幼子。その幼き身体で抱えた、余りに惨過ぎる現実に、秋名は呼吸の方法を忘れそうになる。

 

「気が滅入ってしまいそうだ」

 

 秋名はそう、弱音を吐いた。それ以上、ここに集うウマ娘たちを直視できなかった。

 

「でも、これが大切な現実。光があれば、影もある。喪った者たちを影と呼んでくれるのなら、もう一つの光を用意すればいい。……ルドルフさんの言葉です。"全てのウマ娘たちに幸いを"その全てに、例外は無いと」

 

「彼女もよくここを訪れる?」

 

「そこに」

 

 メルセデスの指す先、廊下に飾られた一枚の写真。

 訳あってここに集うウマ娘たちと、ルドルフの姿。皆が隔たりなく、肩を並べて。

 

「彼女の尽力もあって、この施設も大きく刷新されたと聞きます。……昔は、天下りした権力者の椅子(リゾート)と揶揄される程の場所だったと。旧所長の方針では、世話をする娘を選り好んで、手の掛かるような娘は、例えどれだけ困っていようが見捨てる。そういった悪辣非道を平然と行っていたそうですよ。助けたい娘がいるのに助けられない。牧野さんも、そんな体制には辟易としていたと。今じゃとても考えられない」

 

 メルセデスは目を閉じて、首を横に振った。

 

「喪った者たちは影……か。ならばきっと僕も、こちら側だ」

 

 耳を澄ませば、いくらでも聞こえる。お父さん、お母さんと虚空に向かって呼び続ける子供たちの声が。

 

『お仕事のばか』

 

 子供たちの叫びに呼び起こされるように、彼の記憶(ダイアリー)が一つのページを捲る。それは、昔ショパンが残した、孤独を恨んだ殴り書き。

 

 彼女だけは、彼女だけには、何も喪わせたくない。妻を亡くした夫は、絶望の中からそう叫び続けていた。だが、実際はどうだ。彼女は喪い続けていた。大切なものを、いくつも、いくつも。

 

「だったら、光の当たるところへ行けばいい。ショパンと一緒に、手を繋いで」

 

「……ああ。早くあの娘の手を握りたい。もう、孤独にはしない」

 

 秋名は、すっかり水気の衰えた自分の手を見て、誓った。

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

「ごめんなさい。待ったでしょ?」

 

 応対用のソファに掛ける二人の前に、牧野という女性が現れたのは、既に二人のティーカップの底が見え始めていた頃だった。

 彼女は少し息を切らし、額に汗が滲んでいる。彼女は急ぐように、水筒の水を一口含んだ。

 

 彼女の姿を見つけるや、秋名とメルセデスはソファから立ち上がる。

 

「ご無沙汰してました。牧野さん」

 

 メルセデスは朗らかな笑みでそういった。

 

「はぁ、私から呼びつけておいて御免なさい。ちょっと突発で面倒ごとが出来ちゃって」

 

「ドライブさんのことですか? さっきローズさんが仰ってましたよ」

 

「ええ……これで椿課長に叱られるのは私なのよ。堪んないわ」

 

 もう一口水を含むと、牧野はメルセデスの向かいに立ち、行方不明になった少女の父親へと視線を移す。その顔は酷くやつれている。碌に休めてもいないのだろう。

 

「初めまして。秋名 司さん……で、よろしいんですよね。私、"ウマ娘支援センター"主任の梶原と申します」

 

 牧野は一枚の名刺を秋名へ手渡す。そこには確かに、『梶原 優』の名が記されていた。

 

「梶原……? 牧野さんじゃ」

 

「牧野は旧姓です。でも、職場じゃ専ら旧姓で呼ばれることが多いですから。呼び方はお任せしますよ」

 

「そうですか。どうも、URAの秋名です」

 

 秋名も名刺を一枚、牧野へと手渡した。

 

「あのエアグルーヴさんを担当されていた、名トレーナーだったということは私たちもお聞きしてました。この度は……胸中、深くお察しします」

 

「いえ……。ところで、私に御用とは?」

 

「ええ。その、ショパンちゃんのことなんです」

 

「娘のこと……?」

 

 牧野は椅子に座らず、机に小さな水筒を置き、脇に抱えていたクリアーファイルを両手で取った。

 

「秋名さん……突飛なことを訊きます。貴方は、その。20年前に、ショパンの名を持つ黒鹿毛の少女に出会ったことはありますか?」

 

 背中に何かが過る感触がした。牧野が言うそれが、エアグルーヴの手記が語ったそれとリンクしたのだから。

 

「何を……」

 

 彼は言葉を詰まらせた。また、不可思議が不可思議を呼んだのか。彼は身構えた。新たな情報は、娘の手がかりとなる吉報なのか、更なる謎を呼ぶ凶報なのか。

 

「……少しだけ、昔話をさせてください」

 

 牧野はそういい、ソファへと掛けた。

 

 

――

 

 

 もう、20年近くは経ちます。私がまだここの駆け出しだった頃、エアグルーヴさんがこちらへいらしたことがあったんです。

 当時から、私はルドルフさんとは連絡を取り合う関係ではあったのですが、まさか彼女が来るとは予想にもしていませんでした。ルドルフさんからの命で来たのかと問いかけても、首を横に振って。

 

 彼女は誰かを探しているようでした。そして、私に懇願してきたんです。

 

『とあるウマ娘の調書と記録を見せてほしい』と。

 

 何故、彼女がそんなものを見たがるのかは分かりませんでした。当然、私は一度断りました。一応個人情報の類でしたから。

 

 それでも彼女は喰い下がってきました。こんな私に頭まで下げて。

 あのエアグルーヴさんが、そうまでして何を見たかったのか。結局は彼女の熱意に絆されて、私は根負けしてしまいました。そして彼女を資料保管庫へと案内したんです。こんなこと、今やったら一発で懲戒ですよ。昔は今ほどコンプラもきつく言われてなかった時代でしたから。若気の至りも勝って。

 

 資料保管庫へ案内すると、彼女は直近、そう、ここ一か月間くらいの調書を漁っていました。誰か問題を起こした生徒がいるのかと尋ねても、答えてくれませんでした。

 

 そして、彼女は一枚の調書を手にしました。それを、深く眺めて。

 今でも覚えています。彼女は確かに言いました。

 

 

 

『ああ、よかった』と。

 

 

 ひどく安堵に満ちた表情でした。私には、何なのかさっぱり理解できませんでした。

 一体何を探していたのか、何がよかったのか。私は彼女にまた尋ねました。そうすると彼女は、その調書を私に手渡しました。

 

 そこには、身元不明の家出ウマ娘として『ショパン』の名が記載されていました。担当職員は、私の名で。

 

 私は酷く混乱しました。だって、ここ一か月で、そんな名前の娘を相手にした記憶が一切なかったのですから。

 

 私が困惑していると、彼女は訊きました。この調書の保管期限はいつまでかと。

 原則としては、その娘の支援が不必要と判断されてから5年間は保存、その後はシュレッダー等で破棄することとなってましたから、その旨を伝えました。

 

 そうすると彼女は、もう一つ我儘を聞いてほしいと、私に言いました。

 

『何れ、そう何れ。10数年後、または20年後に、この調書を必要とする男がきっと現れる筈だ。それまで、この調書をここに保管しておいてほしい。彼が現れたら、これを手渡してほしい』

 

 そう言いました。

 

 

――

 

 

「もう、ずっと忘れていました。だって20年も前のことですもの。でも、ショパンちゃんの名前を聞いたあの瞬間、まるで記憶の封印が解けたように、あの時の映像が脳内に映し出されたんです」

 

 そういうと牧野は、クリアーファイルを二人の前に置いた。

 

「どうぞ。それが、エアグルーヴさんが探し求めていた物です。そして、それを必要とする男性は、秋名さん。きっと貴方」

 

 秋名は書類を手にした。牧野の言うことは真だった。そこには確かに、ショパンの名が記されていたのだから。じわりと汗が滲んだ。

 

「秋名さん……?」

 

 書類を手にして沈黙を続ける秋名に、メルセデスが声をかけた。

 ひと時を置いて、秋名はようやく、沈黙の時間から抜け出した。

 

「ここに書いてある、現住所。今の僕たちが住んでいるマンションだ。……20年前には無かった場所だ」

 

 秋名は住所の欄を指して言った。そのまま指を下へなぞっていく。

 

 名前は『ショパン』 年齢は、家の電話番号は。所属は、友人は、両親は。

 

 両親の欄は空欄だった。だが、その備考欄。

 

『母:エアグルーヴ、父:秋名 司 (本人証言) 上記項目全不整合。虚言癖の疑い? 家出?→両親からのネグレクトの可能性。 反抗心無し、非常に温順。精神状タイもアンテイ。専門カウンセラーと本人に関わる公的シ料の手配。 追記:当該ウマ娘、身柄をトレセン学園へ委託。本件終結(クローズ)の命令』

 

 そして、最後に見たのは、調書作成日。それは、エアグルーヴが残した手紙の日付と、誤差の範囲に収まる程に近い。

 

「これ、間違いなく牧野さんの字ですよね。それでも、記憶がない?」

 

 メルセデスが問う。彼女も、その調書が持つ魔力に惹かれているようだった。

 

「まったく。その前後に対応した娘のことなら何となく覚えてるの。でも、その調書に関することだけは、ゴッソリ記憶が抜き取られてるようなカンジ……。自分でもちょっと気味が悪いと思ってる」

 

 牧野は自分の額を押さえ、嘆いた。

 秋名は、ただ、その調書をひたすらに眺めていた。書面の一番下に辿り着けば、また一番上へと戻って。

 

 普通の神経をしている者ならば、これはただの悪戯だと憤って破り捨てるのかもしれない。だが、彼はその紙切れ一枚を、どうしても愛おしそうに。

 

「あの、この調書の裏、何かついてます」

 

 メルセデスがそういった。書類を裏返すと、そこには古びた一枚の黄色い付箋。秋名はそれが破れてしまわないように剥がす――ここにきて、エアグルーヴからの3つ目のメッセージ。

 

『秋名 司殿へ。一つ不安に思ったことがあったから、この付箋を残した。貴様がここへ辿り付いたということは、ショパンの身を案じているのだろう。ただ、安心していい。あの娘は今、私の所に居る。無理に信じなくてもいい。だが、あの娘は無事にそちらの世界(・・・・・・)へと帰ってくる筈だ。そして、あの娘と再会できたのなら、一つだけ頼みがある。抱きしめてあげてくれ。深く、深く』

 

 付箋の隅に、エアグルーヴの名。

 三人は互いの視線を合わせた。さて、どこまでを信じるべきか。彼女の真意とは何なのか。ショパンは――。

 

「もし、この調書と付箋に書かれていることが本当だとしたら、ショパンが今いる場所は、この時代の世界ではない……?」

 

 メルセデスが自らの口から吐き出した、空想(SF)。ショパンは過去の世界へとタイムスリップをした。そう言った。

 

「でも、たったこれだけでそう決めつけちゃうってのは」

 

「いえ……他にもあるんです」

 

 メルセデスは秋名へと視線を向けた。あのCDのことを言っているのだろう。

 秋名は鞄から一枚のCDケースを取り出し、机の上の書類の横に置いた。

 

『幻想即興曲 オムニバス ショパン』

 

 いくら古くても、CDの状態の良さが、その持ち主の几帳面さを語るようだった。

 

「これは……?」

 

 差し出されたCDを牧野が手に取ろうとした瞬間だった――。

 

 

 

 

――バキッ!!

 

 

 

 そのCDケースが、一瞬の悲鳴をあげた。

 

「――!?」

 

 まだ、牧野が手にする前だったはずだ。誰も触っていなかった筈だ。なのに、CDケースは割れた。ひとりでに、稲妻のような大きな罅を、ケースの意匠につけた。

 

「え……?」

 

 いくら古かろうが、ポリスチレンのCDケースが一つの衝撃も与えずに、ひとりでに割れるものだろうか。

 三人は直感で感じた。それは"何か"が起こる、不吉な前兆なのかもしれないと。

 

 

 彼女(ショパン)の身に、何かが起こっているのではないかと。

 

 

 前兆はそれだけではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

『秋縺 司縺輔。一つ不安に譁ュ邨カ、この譁ュ鄂ェを残した。諞るャアここへ辿り付いた荳紋サ」ということは、ショパンの身を案じているのだろう。ただ、安心していい。あの娘は今、私の所に居る。無理に信じなくてもいい。だが、あの娘は無事に縺斐a繧薙↑縺輔>(・・・・・・)へと帰ってくる筈だ。そして、あの娘と再会できたのなら、一つだけ頼みがある。縺翫°縺ゅ&繧薙%繧阪@縺ヲ縺励∪縺」縺ヲ縺斐a繧薙↑縺輔>』

 

 

 

 

 

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