【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

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あの娘は誰?

 

 

「……………………お母さん?」

 

 

「………………………は?」

 

 

 ショパンの放った一言。それは、聡明な頭脳を持つエアグルーヴの理解を一瞬にして上回った。

 

今、目の前の不審ウマ娘はなんと言ったか。

 

 

 

 それは最も普遍的な言葉であり、最も理解し難い言葉。

 

 

 

 エアグルーヴは組んだ腕を解き、その瞳を丸くする。どうも次の言葉が出てこないらしい。

 

 それはシンボリルドルフも同じだった。持っていた筆を机に置いて口を噤み、先ずはショパンの出方を伺った。彼女の言葉の真意や目的を可能な限り思案するが、ここまで見抜けない事象はそうあることではない。

 

 

 当のショパンは、その瞳を眼球が飛び出るほどにまで見開いて、ソファから立ち上がった。どうやら彼女自身、呼吸すら忘れ混乱の渦の中で溺れているらしい。

 

 

「貴様……今なんと……?」

 

 

 膠着を振り切って、エアグルーヴが一言目を発した。

 彼女がそう宣う目的とは何だ。弄ばれるな。そう態勢を取り戻した先に――

 

 

「お母さん!!」

 

 

 瞬間的な出来事に等しかった。ショパンはその一言と同時に、エアグルーヴの下へ脇目すらも振らずに駆け寄ると、彼女へ深く深く抱き着いた。

 

 

「――!?」

 

 

 動けなかった、エアグルーヴはショパンにされるがまま。理解を置き去りにする彼女の行動に弄ばれた。

 

 

「おがあざん……う゛っ……おがあ……ざん……」

 

 

 泣いている。エアグルーヴの懐で濁声を漏らしながら、ショパンは咽び泣き続ける。何度も何度もえずくような引付けのような引っ掛かりを残しながら、何度も何度も母を呼び続けた。

 

 

「何のつもりだ!? 貴様っ! 離せ!!」

 

 

 エアグルーヴは、ショパンを両手で引きはがそうとした。だが、彼女の体はびくりとも動かない。彼女は全身に力を入れている。まるで。

 

 

 二度と逢えなかった筈の、誰かに会えたかのように――絶対に失いたくない、宝を手にしているかのように。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「災難だったな。エアグルーヴ」

 

 ひと時を置いて、ルドルフがエアグルーヴに同情を投げかけた。エアグルーヴは深くソファに掛けて、自前のハンカチで制服の懐を何度も擦った。先ほどの不審ウマ娘の涙を始めとした体液が染みになっているようだ。だが、彼女の険しい表情の真意は、制服を汚されたからというわけではなさそうだ。

 

「何者なのです……彼女」

 

「さぁてね……」

 

 ルドルフは机に肘を当てて、己の眉目秀麗な顔を支える。しかしその表情には幾何かの憂いを秘めているようにも伺えた。

 

お母さん(・・・・)……か。つかぬことを伺おう。エアグルーヴ、君は子を孕んだ経験は?」

 

「……新しい冗談と受け取ります」

 

「はは、私の頭も乱雑無章の状態でね。ただの不審者ならば、もっと話が早かった」

 

 ルドルフは背凭れに大きく背を預ける。彼女の背で大きく輝く太陽に、無性のいらつきを覚えるようだった。

 

 明るい陰鬱。それが今の生徒会室を表現するのに相応しい言葉であった。あのショパンという子供の狙い、目的、行動。全てが一本の線として繋がらない。この難解な数式を、エアシャカールやアグネスタキオンのようなマセマティシャンたちに投げつけたいものだ。きっとあの二人であろうと、ナヴィアストークス方程式よりも難解だと嘆くに違いない。

 

 そこに残る沈黙、無駄な会話が目立たない何時もの生徒会室の静寂さとは違った。少しだけ、空気が湿り、漂う流体に似つかわしくない質量が纏わり付くようだった。

 

「あの子供、何が目的で……。何故私のことを……」

 

「ただの悪戯が目的ならば、わざわざそんな演技を買って出る理由もない。状況の混沌(カオス)化を狙ったとしても、咄嗟の付け焼刃で流せる涙だとも思い難い」

 

 ルドルフは生徒会室の書籍棚から一冊の本を取り出す。『メソッド演技法』と記された書籍だった。数ページをぱらぱらとめくり、彼女は続ける。

 

「仮に彼女が非常に秀でた役者だとしよう。君を母と呼び、泣き崩れることは容易だろう。だが、役者とするならば、必ずそこから続くシナリオを有しているはずだ。自分を優位に働かせるためのエチュード」

 

 ルドルフは書籍をぱたりと閉じる。

 

「だが、そこから意識は閉ざされ、今は保健室。私たち(オーディエンス)に納得のいく筋運びを何も魅せない。笑える三文芝居だ」

 

「芝居というのなら、私もある程度であれば見抜けます。この学園には下手な嘘吐きが多いですからね。……ですが彼女」

 

「ああ、私も概ね同意見だ。あそこまでの感情表現。あれが偽りであるとすれば芸術点だ。……最早自己催眠の領域と言ってもいいほどの出来だった」

 

「では、あの涙を真と見ますか……?」

 

「話は振出しだね」

 

 再びルドルフは席に着く。それと同じタイミングで生徒会室の戸のヒンジが軋む音が響いた。

 

「会長よ、さっきの学生証の件、照会が終わった」

 

「ああ、有難うブライアン。照会用の端末の使い方は分かったかい?」

 

「知るわけないだろう。だからURAの出向者をとっ捕まえて調べさせた」

 

「実に君らしい。それで、どうだった」

 

 ブライアンはショパンの学生証をルドルフの机に置く。そして彼女の瞳を見据えて解を出した。

 

「結果は――該当なし(・・・・)だった」

 

 エアグルーヴはふっと息を吐く。やはりか。と、どこか溜飲が多少下ったような感覚を覚えた。

 

「会長。やはり彼女、ただの悪戯者と見るのが妥当でしょう」

 

「まて……」

 

 だが、ルドルフの表情は固かった。ブライアンの発したセリフが、彼女の何かに触れてしまったようだ。

 

「ブライアン……確かか? 確かに『該当なし』と出たのかい?」

 

 ブライアンは表情を変えずに、ああと二文字だけの回答を返した。

 

「会長?」

 

 エアグルーヴはルドルフが構える理由を直ぐに察せなかった。学生証が該当なしと出るということは、彼女が本学の生徒であることが否定されたのだ。喜びはすれど、疑念を抱く点などないはずだ。

 

 ルドルフはショパンの学生証を手に取って、再び視線をそこへ譲った。

 

「トレセン学園の学生証にはね…特殊なICチップが組み込まれているんだ。偽造防止の為にね。このチップは学生証の他には流用されてもいない。無論複製も不可能な代物だ。そしてそれは、厳重な管理の下一枚一枚発行されている」

 

「何を仰りたいのですか? 該当なしというのなら偽物であったという証明なのでは」

 

「そう、該当なし(・・・・)と出た。だから問題なんだ。ただの偽装カードであれば、そもそも端末が情報を読み取ることが出来ない筈なんだ。だからここで私が期待した解は…『読み込み不可』だった。だが、該当なしと出たということは…ICチップ自体は本物であったことを示している」

 

「本物?」

 

「先にも言った通り、この学生証(ICカード)はURA内部の特殊機関によって厳重に管理されている。新規に発行する場合も、予定枚数を割り出し、枚数が絶対に狂わないように調整されているんだ。仮に紛失や失効があれば、速やかにカードは機能を失うようにも設計がなされている」

 

 エアグルーヴはルドルフの言わんとすることに気が付く。そうであれば、彼女が訝しむ理由に合点がいく。

 

「つまり、彼女が有していた学生証は、想定されていないもの(ブランクカード)……?」

 

「その通り。そしてブランクカードが世に出回ることは想定されていない。書き込みも書き換えも、登録も抹消も、すべてURA内で行われる規定になっているからだ。もし仮に、ブランクカードが存在するとすれば」

 

「窃盗……URA内部からの」

 

「文字通り大問題だ」

 

 ルドルフは大きな溜息と共に、ショパンの学生証を置いた。

 

「出向者も同じことを言っていた。今血相変えて本部(URA)に問い合わせているところだ」

 

 ブライアンはソファに身を投げて、耳を掻いた。彼女にとっては、これもくだらない騒ぎの一つと変わらないらしい。

 

「だが、あの子供がわざわざURA内に忍び込んでまでカードを手にする理由はなんだ。調べれば直ぐに疑惑が掛かるとわかるようなカードを持ち歩く理由は」

 

「それがわからない。ここまで意匠を整えておいて。肝心の情報が抜けているのなら、むしろ持ち歩かないほうが賢明だ。下手な一般人程度なら欺けるかもしれないが、私たちの目を抜くことが不可能だと気付かなかったのか?」

 

「そもそも子供(ガキ)だ。見たところそこまで頭が回るようにも見えん」

 

「協力者の存在も考えられる。それと、子供だから何もないという考えは非常に危うい。世界には子供を使った刺客(アサシン)だって居る。思案することに越したことはない」

 

「じゃあもう一つ。一般人を欺くためにカードを持ったとして、何故西暦を合わせない。20年以上もズレた西暦表記、疑ってくださいと言ってるようなモンだ」

 

「ああ。ブライアン、君の指摘は尤もだ。だからこそ、余計にわからない。彼女のすべてが全く繋がらない。……ハッキリ言おう。お手上げだ」

 

「お手上げって……」

 

 エアグルーヴは眉でハの字を作って、ルドルフに訴えかけるように呟いた。

 

「兎に角、彼女の身は然るべき機関(・・・・・・)へと委ねるのが賢明だろう。これ以上私たちが議論を重ねて出る解とは考え難い」

 

 ルドルフは再びショパンの学生証を机に置いて、席を立つ。おそらくショパンの様子を見に行くつもりなのだろう。エアグルーヴもそれに続こうとした時、おいとブライアンが何かを思い出したかのように、二人に声をかけ、あるものを投げた。

 

「そういやこれ、アイツが持ってたペンダント(・・・・・)だ。お前、自分によく似た姉(・・・・・・・・)でもいるのか?」

 

 それはエアグルーヴに問いかけられた質問らしい。だが、エアグルーヴは眉間に皺を寄せて苦言を呈すかのように一言「はぁ?」と唸った。まさかお前まで、妙なことを抜かすつもりかと。

 

 だが、そのペンダントを受け取ったルドルフは黙ってそのペンダントに目を落としていた。その神妙な面持ちは、ブライアンの言葉が全くの戯言(ざれごと)ではないと無言で語るように。

 

「会長?」

 

 ルドルフは黙ってエアグルーヴにペンダントを差し出す。そこに映るとあるウマ娘(・・・・・・)

 

 白いワンピースに身を包み、柔らかい表情をそのペンダントを手にする者へ優しく手向ける――エアグルーヴの姿だった。

 

 

「……私?」

 

 だが、決定的な違和感がそこにある。

 

 ブライアンが言った、よく似た姉(・・・・・)という言葉の意味。

 

 

 

 ペンダントの中のエアグルーヴは、今よりも成熟している大人の姿(・・・・)だった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「あのねショパンちゃん。私たちは本当のことを知りたいだけなの。その……ショパンちゃんが言ってくれた住所も学校も……悪いけど全部デタラメ」

 

 時を数日経て、ショパンはURAが運営するウマ娘支援センターなる施設で、一人の女性職員と対面で聴取を受けていた。だが何度問いかけてもショパンの受け答えは一貫してのデタラメ(・・・・)だった。

 

「でも……私……」

 

「せめて、ご両親のことだけでも本当のことを教えてくれないかしら? その、私たちも信じるわけにはいかないのよ。現役のトレセン学園生が母親だなんて。勿論エアグルーヴさん自身も否定をしている。これ以上誰かに迷惑をかけるようなことをしちゃダメよ。困ってるわよ彼女」

 

 話は平行線の真っただ中だった。職員は数日間同じことを同じ調書に、同じように記すことの繰り返し。

 

「本当のことを話してくれないのなら、あなたをここから出すわけにはいかないの。ショパンちゃんだって嫌でしょ?」

 

 だがショパンとしては、本当のことを話しているに過ぎなかった。だがしかし、20年以上のブランクがあるこの世界では、彼女は存在すらしていない。彼女に整合性のとれる説明は不可能であった。

 

「今日はここまでにしましょう」

 

 そういって職員は諦め気味に、ため息と共にそういった。これで3日目だ。何も進展がない。

 

 職員はショパンの部屋を出て、廊下につく。そこから数歩だけ進んだ時、彼女の背中に一人の男性職員が声をかける。進展はあったか?という彼女としては嬉しくない問いかけだった。

 

「今日も同じ……。わからないわね」

 

「家出ウマ娘とかじゃないの? 家に帰りたくないから嘘をつく」

 

 と男性職員が言った。

 

「ただの家出ならもっと対応は簡単よ。少し身元を調べれば、すぐに割れる」

 

「でも、あの娘はそうじゃない?」

 

「戸籍が見つからないの。あの娘」

 

「マジかよ……」

 

「身分証明書もデタラメ。戸籍もない。でも、悪い娘にはどうしても見えない。受け答えもできる限り誠実になろうとしてくれてる」

 

 廊下を歩く二人に、幾何の沈潜が訪れる。コツンコツンと足音だけがとどろいた。

 

「じゃあ、あの娘どうすんの? 警察にでも突き出す?」

 

「何の罪で?」

 

「そりゃ、不法侵入の類とか」

 

「初犯なら精々厳重注意で釈放よ。それに無戸籍者だって稀には居る話。警察はまともに取り合ってくれないわよ。……それに彼ら、ウマ娘が関わる事件には何かと渋い顔をするのよね。きっと相談しても『ウマ娘のことならおたくらが詳しいからそっちで何とかしてくれ』って言うわよ」

 

「それで国の奉仕者かよ」

 

「まぁ、いよいよとなったら……だけど、出来るのなら私たちの力で穏便にお家に帰してあげたい」

 

 と女性職員が言ったところで、二人に背後から声がかかる。二人が振り返った先に居たやたらに身なりのいい前期高齢者。歳に似つかわしくない装飾品が何かと癪に障る。そして、その皺が目立つ表情は、どこか晴れやかだった。

 

「所長。どうかなされました?」

 

「あぁ牧野君、君が担当していたあのウマ娘の件だが……」

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ぽつんと一人、淡い桜色の壁紙と、壁に向かった一つの机。テレビはつくけど見たい番組なんてない。どれもこれも、古い番組ばかりだもの。女性職員が置いて行ったお菓子に手を付ける気にもならない。部屋のカギは掛かっていないけど、どうせ外に出てもいいことなんてない。

 

 ああ、こんな日々が後どれくらい続くのだろうか。本当のことを言っても信用なんてされるわけがない。嘘をつこうにも、辻褄を合わせる方法なんてわからない。文字通り八方塞がりだ。

 

 ショパンはベッドに身を投げて、無機質な天井を仰ぐ。これからどうすればいいのだろう。元の時代への帰り方もわからない。自分はこの世界で、身元不明の少女のままのたれ死ぬのだろうか。

 

 思うことは沢山ある。考えなきゃいけないことも沢山ある。

 

 だけど、今の彼女の脳内のトレンドは。

 

「……おかあさん」

 

 この施設へ来て早三日。ふと気を抜けば、彼女の脳内を母の面影が支配した。彼女はそっと、返して貰ったペンダントの蓋を開ける。小さな枠に囚われた、彼女だけの優しい母の姿。ペンダントを返された時、エアグルーヴはずっともの言いたげな表情で、ショパンへ睨みを利かせていた。

 

 それもそうだろう。そもそも彼女はまだ、ショパンの母親ではない、ただの少女なのだ。

 

 それなのに『お母さん』だなんて、そんなことを言われても困るのは当然だろう。怒りたくなるのも当然だろう。

 

 

 だけど

 

 

 だけど

 

 

 ショパンにとっては。この世にたった一人しかいない

 

 

 大事な大事な母親なのだ。

 

 

 ショパンは、ただでさえ辛気臭さが目立つ表情をさらに泥ませると、諦めるようにペンダントの中の母とお別れを。

 

 

 きっと明日も同じ日を繰り返すのだ。そんな希望の見えない悪夢から逃げるように、ショパンはベッドの中に包まった。頭から尻尾の先端までを、余すことなく布団の中へ収める。布団に潜り込むことは彼女の一つの癖だった。

 

 何も見えない、光が閉ざされた空間。ショパンはその褊狭の中、圧し掛かってくるような微睡に身を委ねていく。不思議とこの空間だけが、彼女にいつも安らぎを与える。

 

 こっくり こっくり 船を漕ぎ とろり とろり 落ちてゆく。

 

 

 

 

 

 

 きっと明日は、いい日になりますように……。そんな儚い我儘を呟いて。

 

 

 

 

 

「……ショパンちゃん。居る?」

 

 それは扉が開くタイミングと同じだった。先ほどまで、ショパンの聴取を行っていた女性職員、牧野がノックもせずに現れた。きっとまた、晩御飯を食べろというのだろう。生憎食欲はない。

 

「……はい?」

 

 折角眠りに落ちようとした矢先、叩き起こされるのはやはり気分のいいものではない。布団から頭だけを出し、少しだけ不躾にショパンは応える。

 

「ショパンちゃん。お迎えが来てる」

 

「お迎え?」

 

 一体何の迎えだろうか、また施設をたらい回しにされるとでもいうのだろうか。次こそは警察かもしれない。ショパンは布団の中で身構える。……だが。

 

 

 牧野の背後から彼女(・・)は現れた。

 

 

 腕を組み、アイシャドウで彩る瞳を釣り上げながら、未だに納得のいかないような表情を残したまま。

 

 

「え……」

 

 

 だがショパンにとって、それは後光が差す程の幸いだった。

 

 

 

「――お母さん?」

 

 

 

 

 

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