【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

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幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66
【記憶】まだ見ぬ君への愛の詩 


 

 

 7/24 

 

 今日は、久しく休暇が取れたから、妻と出かける計画を立てていた。

 『どこへ行きたい?』と僕が訊ねると、妻は『西の丘へ行きたい』と言った。

 

 西の丘といえば、向日葵畑があるところ。僕たちの思い出の場所でもある。

 

 早速、二人で支度にかかった。とはいっても、僕は何時もの襟付きのシャツへ着替えて、あとは精々眼鏡を拭く程度のものだ。

 

 しかし、妻の支度とは何かと時間がかかる。僕は持て余した時間、住宅雑誌を読み漁っていた。

 

 センターカラーを飾っていたのは、今時モダンなリフォームマンション。和洋折衷、広いリビングと畳の和室が同居する空間が温かい。妻やお義母さんも、このような部屋が好みだと言っていた気がする。だが決して安くはない。マクラーレンがコレクションできてしまう値段だ。

 

 次の特集は、激安の穴場アパート。風呂なしのトイレは共用で、築は僕より年上。但し駅近で、家賃は東京にしては目を見張る程の破格。僕も学生の頃はこのくらいのアパートに住んでいた。流石にトイレは共用ではなかったが、貧乏だった昔が懐かしいものだ。

 

 更にページを捲ると、今度は理想の一軒家特集。この雑誌の読者から投稿された家を紹介しているらしい。

 今回紹介されていた家は、都内の三階建て。玄関前に4人家族と飼い犬が揃ってピースサイン。こちらのご主人の拘りポイントは、秘密の小部屋と広い庭なのだそう。書斎からのみアクセス可能な屋根裏の小部屋。そこには、ご主人専用のオーディオ・ルームがあるのだそう。小部屋の中央に置かれた、真空管式のアプリファイア。パワーアンプは別体らしい。それでJBL製のパッシヴスピーカーを鳴らす。最近のお気に入りは、スティービー・レイ・ボーンやBBキング。エリック・クラプトンにラリー・カールトンだと書いてある。ウイスキーを嗜みながら、彼らのブルースに陶酔するのだと、ロックグラスにジャック・ダニエルズを注いだご主人の陽気な写真があった。

 

 隠し部屋というのは、いつも少年の心を擽ってくれる。オーディオルームというのも男の憧れだ。ちょうど、妻もクラシック音楽を嗜むウマ娘。同意を得るに難くないのかもしれない。と、ページを捲る。

 

 広い庭には、子供たちの為の簡易遊具が揃っている。この広さを利用して、週末はご近所さんを呼んでバーベキュー。気が向けば、テントを張って自宅キャンプ。テントから顔を出す幼い子供たちの写真が、とても愛らしかった。

 

『うらやましい』

 

 本心がうっかり心から出てしまう。それを妻は聞き逃さなかった。

 

『何を読んでいる』

 

 と訊ねてきた来た妻を見た。彼女は白いワンピースに身を包んで、アイシャドウに至るまで隙なく仕上げられていた。思わず、とくりと心臓の鐘が鳴る。

 

『いやぁ、家だよ、家。この賃貸も何れは手狭になる。もう少し、広い家が欲しくなるだろうと思ってさ』

 

 そういうと、妻は僕の隣に掛けて。

 

『広ければいいというものでもない……二人が快適に過ごせる空間が担保されていれば、それでいい』

 

 といった。

 

『二人? 三人の間違いだろう?』

 

 僕は、妻の下腹部に手を添えて言った。だが、妻は。

 

『いいや、二人だ』

 

 と言った。どういうこと? と僕が訊くと、彼女は、準備が出来たから早く行こうと、らしくもなくはぐらかした。

 

 運転席に僕、助手席に妻。いつものポジションだ。エンジンを掛けた時に、インストゥルメントパネルから、総走行距離(オドメーター)が見えた。既にこの車、地球を2周以上もしているらしい。そろそろ買い替え時。その言葉が頭を過った。

 

 途中、ディーラーに寄っても? と僕が訊く。妻は顎で了承してくれた。

 街中を少し走れば、国内外問わず様々なディーラーショップが並んでいる。

 

 特定のブランドを決めるつもりもなかったので、僕たちは街中の有料パーキングに車を停め、ディーラーが並ぶ通りを歩いた。

 

 今は国産車(スバル)に乗ってはいるけど、次は何にしようか。少年のような高揚感が身を包んだ。

 

『やっぱり、ドイツ車がいいかな。フォルクス・ワーゲン。アウディ。BMW……ベンツは少し高いかもね』

 

 と、ショウウインドウから見える綺麗なセダンの意匠に見とれた。

 

 途端、彼女が僕の袖を引いた。きっと下手なブランドよりも合理性を好む彼女なら、国産車で十分だと言うだろうと思った。だったら、トヨタかホンダかな。もう一度スバルでもいいけど。

 

 だけど彼女は、とあるブランドを指して言った。

 

『私はあれが好みだ』

 

 彼女の指の先にあったディーラーは、スウェーデン車のボルボだった。少し意外だった、日本では比較的マイナーなブランドであったから。

 

 彼女の腕に引かれるまま、僕たちはボルボのディーラーへと足を運んだ。

 

 エントランスを潜ると、3ナンバーのSUVタイプが真っ先に目に入る。随分と大型だ。それに目を取られていると、スーツ姿のスタッフが声を掛けてくれた。

 

 お探しですか? と訊ねる彼へ、冷やかしだよと僕は言った。それでもスタッフは笑顔で、胸に手を添えていた。きっと僕みたいな冷やかしを、何人もボルボユーザーへと昇華させたのだろう。その自信が垣間見えた。

 

『でも、どうしてボルボ?』

 

 入念に車を吟味する妻へ、僕は訊いた。そうすると、彼女は、ここのブランドの得意はなんだ。と訊いた。えっと、と詰まる僕の代わりに答えたのは、スタッフだった。

 

『世界一を誇る安全性でございます。大切なお客様方を、誰一人として不幸にしない』

 

 妻は黙って頷いた。結局その日は、パンフレットとスタッフの名刺だけを貰ってディーラーを後にした。

 

 自分の車まで戻る途中、妻は、軽くて安価な国産車は心配だ。何があっても、貴方たち(・・・・)を守ってくれる車がいい。と言った。

 

 僕は妻の背を追いながら、ボルボのパンフレットに目を落とす。だが本当は、横目でちらりとホンダのCIVIC TypeRを見ていた。

 

 もう少し車を転がし、ICで高速に乗る。ジャンクションから分岐して二つ目のICで降りれば、西の丘とは直ぐだった。

 

 一キロほど、坂を上る。都会の街が少し小さく見える。

 駐車場は閑散としている。これほどのスポットだというのに、こんなに知名度が低いのは勿体ないと思いつつも、誰にも邪魔されない穴場としては最適だとも思った。

 

 駐車場の脇から遊歩道へ歩けば、向日葵の群れが顔を出す。太陽の恵みを受けて、健気に咲き誇る彼らは、どうも美しい。そこを僕たちは、手を繋ぎながら綺麗に歩く。

 

 途端、妻が僕の肩をたたく。ここで私の写真を撮ってくれないか。と言った。

 

 僕は少し驚いた。妻が自分から進んで被写体になりたいと言ったのは、今まで連れ添った記憶の中でも殆ど無かったのだから。僕は鞄から、ミラーレス一眼カメラを取りだすと、キャップを外し彼女へレンズを向けた。ISO感度やシャッタースピード、F値を手動(マニュアル)で設定しようと考えたが、僕の下手な撮影で彼女の怒りを買う結果だけは避けたいもの、だから、プレミアムオートモードに設定してファインダーを覗いた。

 

 ファインダー越しに映る彼女は、やはり美しかった。太陽の光を受けて、鹿毛の鬣と尻尾が麗しく靡く。

 

 向日葵畑を背景に、微笑む女帝の姿。このまま写真コンクールに提出すれば、最優秀賞は疑い無しだろう。

 

 だが、一つだけ気になることがあった。こちらを向く、彼女の微笑み。その宛先は、僕ではない、誰かのような気がした。多分、思い過ごしだろうけど。

 

 妙な違和感を無視して、僕はシャッターを押した。

 

 

 

 

 

 

11/8

 

 同僚の礼司に子供が生まれた。

 

『見に来いよ、子供を抱く練習をさせてやる』

 

 だなんて僕に言うんだ。それでも、親友の子供は一目見ておきたい。そう思った僕は、彼の家へ赴くことにした。

 

 妻の手を取って、結局納車したボルボの助手席へと導く。少しお腹が大きくなってきた彼女。丁寧にエスコートせねばという僕の気遣いを、心配しすぎだと笑った。

 

 彼の賃貸マンション。来客用の駐車場がないというと、礼司は電話口でその辺に路駐しろだなんて言った。僕は少し躊躇ったけど、お腹が大きくなった妻を無駄に長くは歩かせたくはないと、止む無く路駐した。じっさい駐禁エリアでないにしろ、僕の車を避けて通る軽自動車を見て、少し忍びない気がした。

 

 インターホンを鳴らし、出てきた僕たちを出迎えてくれたのは礼司だった。

 上がれ上れと上機嫌に言う彼。リビングに上がると、ベビーベッドの中に天使はいた。

 

 まだ0歳の男の子。今度生まれてくる僕たちの子より、少し先輩というわけだ。

 

 少しすると、彼の奥さんが、お茶とお菓子を持ってきてくれた。どうだ、可愛いだろう? と言ってくるファイバトリガーさんの顔は、母親の顔そのものだった。

 

 抱いてみろよ。と礼司が言った。自分の子なのに、ずいぶんと安売りじゃないかと僕が言うと、お前らだから心配してないだけだと礼司は笑う。

 

 僕はそっと赤ちゃんを抱きあげた。すると、急に泣き出すんだ! 慌てた僕に、下手だなお前。貸してみろよと先輩面する礼司。だけど、礼司の腕の中でも、赤ちゃんは泣き止まない。

 

 嘘だろお前!? お前のオヤジだぞ! と赤ちゃん相手にも容赦のない突込みを入れる礼司の姿が、少し可笑しかった。

 

『とーちゃん! 何やってだよ! ったくもう! 折角寝かしつけたのに』

 

 と、ファイバさんが礼司の腕から赤ちゃんを奪う。そうすると、まるで魔法にかかったように、赤ちゃんはおとなしくなった。母の力とは偉大だと、思い知らされた。

 

『お前はどうする? エアグルーヴ』

 

 とファイバさんは妻に言った。妻は、少しだけいいか? と赤ちゃんを受け取った。

 

 赤ちゃんは妻の腕の中、不思議と泣かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1/1

 

 妻と二人で初詣。現役時代だった頃は、あのレースに勝てますようにと願っていたが、今の願いは『安泰』だった。

 

 そのあと、二人でおみくじをひいた。……二人揃って『凶』

 縁起でもないと、僕はそれを枝に結んだ。だが、妻はそれを捨てなかった。

 

 理由を訊くと、妻はおみくじの内容を見せてくれた。その、出産のところ。

 

『子は無事』と書かれていた。

 

 その言葉を、妻は消化しているようだった。

 

 その横顔が、どうしても儚く見えた。……所詮は、おみくじだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2/9

 仕事へ出ようとした僕を、妻が呼び止めた。

 どうしたの、と問いかける僕。妻は、僕の首に手を回して、何かを結んだ。

 しゃらん、と細い金属チェーンの音がした。

 

 それは、ペンダントだった。写真が入ったロケット・ペンダント。

 

 中の写真には、あの日僕が向日葵畑で撮影した、妻の姿。

 

『何時も私のことを忘れてくれるな』

 

 彼女は確かにそういった。このためにわざわざ写真を。自分を思い出させるために。か。そんな彼女に、どうしようもない愛しさを覚えた。堪らず、彼女の唇を奪った。そのまま彼女の胸に手を伸ばそうかとも思ったが、あくまで朝は紳士でなくてはならない。それが女帝の杖としての振舞い。

 

 嗚呼、こんな愛しい妻を置いて仕事など行きたくない。少年のような我儘が、心を支配する。しかし、そこはネクタイという首輪を巻かれた社会人。彼女から唇を外し、もう一度ペンダントを見た。

 

 向日葵畑を背景に、こちらへ優しく微笑む彼女が、憧憬のよう。それは、100万ドルでも安い宝玉にも等しい。

 

 そんな僕に、妻は重ねてこういった。

 

『大切にしておいてくれ。それはきっと、いつかきっと、私たちの大切な子を守る、お守りにもなる筈だ。その時までずっと、守っていてくれ』

 

 僕にはよく、意味が分からなかった。だが、彼女の瞳はすべてを見通しているかのようだった。

 

 ……結婚してから、時折見せる。妻の、少しだけ理解し難い言動。彼女には一体、何が見えているのだろう。そして、それを語るとき、彼女の表情は、少しだけ哀しくなる。

 

 ……考えすぎなのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3/2

 日に日に、妻のお腹は大きくなっていった。妻のお腹に手を添えると、少しだけ命を感じた。

 

 あまり自由に動けなくなってきた彼女に代わって、僕がメインで家事を行った。

 

 だけど、料理をすれば『野菜はもっと細かく切ること、味も濃すぎる』と言われ、掃除をすれば『細かいところを見逃しすぎだ』と叱責される。

 

 流石に家事師範。その肥えた目は決して甘くはない。さすがに厳しいな、と少し思った。

 

 だが、妻は言った。

 

『私がいなくても、一通りは熟せるようになっていてほしい』

 

 と。確かに、彼女の外出や出張があったときに、子が居ながら、父が何もできなくては困ると、僕は納得した。

 

 一通り、家事を済ませ、妻の横に座る。彼女は上出来だと僕を褒めた。

 

 二人でベビー用品のカタログを見て、時間を過ごす。ちらりとカレンダーを見る。予定の日も、そう遠くはない。

 

 いよいよ来週から、妻が入院する。そして僕はいよいよ、父親になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 4/23

 

 

 4/24

 

 

 4/25

 

 

 4/26

 

 

 4/27

 

 

 4/28

 

 

 4/29

 

 

 4/30

 

 

 5/1

 

 

 5/2

 

 

 5/3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5/4

 

 4/23に、子が生まれた。そして、妻が死んだ。

 

 未だにこれが、現実だとは思えずにいる。

 

 あの時何があったのかは、よく覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、妻は産まれてきた娘へ言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『また逢えてよかった』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 娘の名は『ショパン』に決まった。……妻の遺言だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
















 ▲/□

 娘が帰ってきて、少しだけ日が流れた。

 一応、退院はしたけれど、もう少しの間は実家で過ごさせることにした。

 今日は、二人で家の掃除をした。これでも僕は、妻の薫陶を受けた身だ。掃除のテクニックは一通り心得ているものと自負していたが、娘のほうが一枚上手。てきぱきと要領よく、身のこなしが軽い。それは妻の動き宛らだった。はたきのアイテムを手に、掃除というダンスを踊る娘に、妻の面影が重なる。

 また、こんな日常が、戻ってきてくれるとは思わなかった。

 リビング、ダイニングキッチンと掃除して、次に物置を掃除していた時、日記が出てきた。若かりし頃の記憶だ。

 懐かしさを覚えてそれに浸っていると、ショパンから叱られた。

 だから、掃除を終えて、一人こんな時間にひっそりと読んでいる。

 そして、十数年ぶりに、またこうして筆を執っている。

 ……過去を振り返っていると、やはり思ってしまう。たった一日だけでいいから、もう一度妻と過ごしたいと。

 あわよくば、妻と娘と、三人で過ごしたいと。

 さすがに、贅沢かな。


 
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