【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

31 / 37







今日は、年に一度だけ訪れる、誰かの大切な日。










それは、出会いの日であり、別れの日。










そんな大切な日に、もしも願いが叶うとしたら、あなたは何を望みますか?




























4月23日 幻日

 

 

 カーテンの隙間から射す淡い光芒が、一人の草臥れた男の瞼を苛める。

 

 窓の外では、小鳥たちの織り成す優しい三声コーラス。希望の朝とはよく言うが、早朝の微睡の時間とは、どうしてこうも億劫なのだろうか。

 

 娘はしっかりと自立して、学園へ羽搏いていったというのに、大人である自分がこの体たらくか。

 薄く開けた瞼でスマホの電源を入れる。4月23日 日曜日 午前8時20分。

 

 目立ったニュースは特にはない。小さく吐息を吐いて、再び布団へ目を閉じる。

 

『おい、朝だぞ。何時まで惰眠を貪っているつもりだ』

 

 ふと、聞き馴染んだ女性の声が、彼の鼓膜を突く。少し慌てた彼は布団を蹴り、上体を起こして、声が鳴る方を見る。

 

 

 

 そこに居たのは、何時も清く、正しく、麗しい……鹿毛の鬣を靡かせる一人のウマ娘。そして、彼女は――秋名の妻。

 

 

 

「いやぁ、今起きようと思ったところ」

 

 秋名は妻へ誤魔化しを吐く。だが、彼女の瞳に嘘は通用しない。女帝の視線に刺される男、結局はその沈黙に気圧されて、嘘を自白し、御免と挨拶。

 

『今日は大切な日だ。現を抜かしてないで、早く支度を済ませてくれ』

 

 妻は秋名へそういって、背を向ける。

 

「……?」

 

 その妻の背中。20年も連れ添った彼女の背中に、一瞬だけ妙な違和感を感じたのは気のせいなのだろうか。

 

 

 

 

◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■

 

 

 

 

「君は、いつ帰ってきたんだっけ」

 

 食パンにマーガリンを少しだけ。ドイトン・コーヒーのローストされた香りが、寝起きの鼻を擽る。トランジスター式のオーディオから鳴るのは、フレデリック・ショパン。

 

『いつ、とは』

 

 彼女は質問を返す。秋名は返された質問に戸惑う。自分でも、何故こんな質問をしたのかがわからないから。

 

『寝惚けているのか。さっさと食べて顔を洗ってこい』

 

 妻の瞳は笑っている。その話題を引き延ばすつもりはないらしい。それでも、やはりそれでも、随分と久しく妻の顔を見た気がしてならない。……こんな当たり前の日常(・・・・・・・)の、何を疑っているのだろう。

 

 朝食を終えて、顔を洗う。鏡に映る自分とは、やはり年相応に草臥れている。皺は増えて、白髪も隠せない。

 

『早く支度を済ませろ。悠長に構えている時間はないぞ』

 

  と、妻が彼の背中に言う。振り返った先にあった、妻の顔。それは、鏡の中の秋名よりも、ずっと若々しく、麗しい。やはり、現役を退いても、女帝。若さを保つ努力を怠っていないといったところか。だが、しかし。それにしては、随分と若すぎる気もした。若さを保っていると言うより、そもそも歳をとっていないといった方が似合う程に。

 

 ……今日は何か、感覚がふわふわとしている。それを自覚しながら、歯ブラシを咥えた彼の視線の先には、朝の掃除に余念のない妻の背中。現役時代の華奢さと比べれば、僅かに緩やかになった体の稜線。それは、母親になった者としての体のつくり。それは暖かく、どこか儚い。そして、どうも言語化できない聊かな違和感を孕む。

 

 秋名はふいに、彼女の鹿毛の尻尾を触った。彼女は僅かに驚きつつも、首だけを彼へ向けて、何か付いているか? と微笑む。秋名は、ごめんと一言を飛ばして、慌てて手を放した。

 

『娘がいないからと、朝から節操がないのは頂けないぞ』

 

「いやぁ、そういうつもりじゃあ」

 

『では、どういうつもりだ?』

 

 妻は夫の顔を下から覗き込む。それもどこか、愉し気に。少しだけ目を細めて、彼の不浄な心を読み解こうとするよう。その表情は、麗しくもシニカル。

 

「……参った」

 

 その視線に忍びない秋名は、根を上げる。

 夫の降参に満足を覚えた妻は、彼の頬を指で突くと、娘が待ってるぞ。と言った。

 

 彼女の支度は既に万全だった。白いワンピースに、灰簾石の瞳を修飾するアイシャドウ。そのワンピース、まだ持っていたんだ、と秋名が言う。妻はただ一言、気に入っているから。と答えた。

 

 そして、ようやく身支度を終えた二人は、ボルボ・V60へと乗り込む。秋名が運転席、妻が助手席。いつものポジション……の筈。

 

『安全運転で頼む。この間のような(・・・・・・・)荒い運転は、もう(・・)するんじゃないぞ』

 

「え……あ、ああ。そういえば、そんなこともあったっけ」

 

 プッシュスタートで、エンジンを始動。重厚かつ静謐なサウンドは、女帝のバ車として相応しき品格を演出する。

 マンションの駐車場から出て、国道に就く。今日は不気味な程に道が空いている。この時間帯、日曜日というのなら、数kmの渋滞も珍しくないというのに。

 

「今日は街が静かだ」

 

 それらの印象を受けて、秋名はそう零す。妻は彼の隣で、そうか? と据わった声で言う。奇妙なことに、信号にすらも引っ掛からない。

 

『今日は特別な日なんだ。きっと女神たちが働きかけてくれているのだろう』

 

「女神……か。君もそういうことを言うんだね」

 

『たまにはな……ほら、見えてきたぞ』

 

 彼女が指す先――東京競技場。懐かしい場所だと彼女は小声で呟く。秋名にさえも聞こえない程に小さな声で。

 

 

 

◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■

 

 

「久しぶりに来たな……ここ」

 

 秋名は周囲を見回す。20年の時を経て、変わったところもあれば、変わらないままのところもある。

 競技場への入場ゲート付近に、かつての勇士達を飾った、写真(メモリアル)。シンボリルドルフ、フジキセキ、オグリキャップ、ナリタブライアン……そして、エアグルーヴ。

 

 若かりし頃の妻の姿。当時は未だ、伴侶という関係には程遠い所に居た。だが、何時しか時は二人を導き、懇意を育ませ、比翼の連理を授けた。……人は後ろ向きに未来へ入ってくと、どこかで聞いた。よく言ったものだと感嘆する。

 

『もういいだろう』

 

 妻が秋名の袖を引く。振り返れば、少しだけ面映ゆい表情の彼女。幼い日の自分の写真に、妙なこそばゆさを覚えているかのよう。あの娘が待っているから。と彼女は、メモリアルの前に佇む秋名の手を取る。そんな彼女を見たときに、秋名はふと思う。今日の妻の姿、帽子も被らなければ、変装用のサングラスもしない。

 

 仮にでも、あの女帝・エアグルーヴだ。彼女がこの競技場へ来ているというのなら、その場の衆目を集めることは想像に難くないというのに。周りの観客たちは、誰一人として彼女に見向きもしない。……いくら現役を退き、暫くの時間が経っていると言えど、その周囲の無関心さには多少の奇妙さを覚える。周囲の人々には、彼女の姿が見えていないとでも言うつもりなのだろうか。

 

 秋名はその違和感を腹に落とせぬまま、妻に手を引かれ、レースの観戦席へと踵を鳴らした。

 

 

――

 

 芝右の1600m 天候は晴れ、バ場も良好。時計の針が、12:45を指そうとしている。

 

 スターティングゲートの前で、時が迫るのを只管(ひたすら)待つ戦士たちの姿。そこの、14番ゲート付近には、黒鹿毛の少女の姿。

 

 少女はこちらに気づいたのか、手を振り、駆け寄ってくる。

 

「来てくれたんだ! お母さん!」

 

 すっかりと晴れた瞳でそう言った。

 

『たわけ! 集中を失念するんじゃない』

 

「ごめんなさい! でも、私、頑張ってくるから! きっと!」

 

『ああ……勝ってこい』

 

 母から娘への、激励。娘は踵を返すと、自分のゲートへと向かった。

 

「大丈夫かな、あの娘は」

 

 秋名が零す。

 

『まさか、自分の娘を信用していないとでも言うつもりか?』

 

「いやぁ……そうだね」

 

 秋名はコースの埒に腕をかけて、競技場の風光を見渡す。穏やかな天気に包まれた

 妻と二人、娘の雄姿を見守りに。そのシチュエーションに、妙な既視感を覚える。

 

「ねぇ、僕たちは、前も一度こうして娘のレースを見に来なかったかい?」

 

『……そうだったか?』

 

 そう答える彼女の表情は、記憶に悩まされてなどいない。思い出すことを放棄しているというより、秋名の問いをはぐらかしているように思えた。

 

「何か、覚えがある。前もこうして、僕と君とで、あの娘のレースを見ていた気がする……」

 

 とん、と妻が彼の肩に手を置く。

 

『今見るべきは、目の前のあの娘のレースだ』

 

 既にスターティングゲートは開かれていた。16人のウマ娘たちの足音が、いくつも重なり観客席へと轟く。娘は先頭集団の中で息を潜めている。

 

 それでも秋名は、目の前のレースに集中できないでいた。何故なのだろう、自分の娘が走っているというのに。どうも今朝から、拭いきれない何かが、彼の第六感を刺激しているよう。見えない違和感に、彼の表情が少し曇る。

 

 だが、隣の妻の表情は、彼とは対照的な太陽だった。

 

『そうだ! 考えることを忘れるな! そうだ……いいぞ……!』

 

 正真正銘、娘を想う母親としての顔が、そこにはあった。まるで、かつての(しがらみ)から解放されたかのような――綺麗な表情だった。

 

 途端、妻が秋名の腕を大きく抱く。

 

『今は、今だけは何もかも忘れよう。何も考えずに、あの娘の帰りを見届けようじゃないか』

 

 瞬間、実況が大きく唸る。レースは終盤。直線の先のゴールラインへ向かって、先頭三人のスリーワイド。二人の(ライバル)に挟まれて、あの娘は駆ける、駆け続ける。

 

 観客席が潮騒のように揺れる。三つ巴の、一騎討。

 

 そして妻は、静かに

 

 

『――行け。ショパン』

 

 

 と言った。

 

 

 

 

 

 ――芝右1600。今日の勝利の女神は、黒鹿毛の少女(ショパン)へと、微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■

 

 

 

 

「ただいま……」

 

 少しだけ草臥れた男の声が、闇夜の中へと吸い込まれてゆく。その闇夜を照らしてくれるのは、電球色の照明と、妻子の明るい声。

 

「ただいま!」

 

 娘はその瞳をきらきらと輝かせ、久しぶりの実家に高揚する。靴も揃えずに脱ぎ散らかそうとするものだから、母からお耳をつねりとされ、ヒーンと鳴く。

 

 晴れて未勝利を駆け抜けたショパン。両親はそれを祝ってやろうと、トレーナーへ断りを入れて、実家へ娘を連れ帰った。学園と実家が近い故に成せる業という訳だ。

 

 娘は褒美は何がいいかと訊かれ、お決まりの人参ハンバーグを妻へと強請る。

 妻――母は腕を捲り、エプロンを施し、台所に立つ。そこは彼女の戦場だ。そこでの彼女は、孤独の戦士。だが、今日だけはその限りでもないらしい。母の隣に立つ、援護兵の姿。

 

『お前は疲れているだろうに、休んでていいものを』

 

「ううん! 私も手伝うの!」

 

 母娘が並んで台所に立つ。二人の背中は、どうしても愛おしい。

 

 ……だが、やはり。秋名はその光景にどうも既視感を覚える。どうも似たような光景を、何処かで見ていると、彼の記憶が叫ぶのだ。

 

 そして、薄々気付き始めている。

 

 今朝からどうも見え隠れする、数々の違和感。その根源は、妻なのではないかということを。

 

 

 

 

 

◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■

 

 

 

「じゃあ、おやすみ」

 

『ああ』

 

 そういって、二人は同じベッド。だが、それは単身用(シングル)のベッド。妻の分のベッドはないのだろうか。

 秋名がそう訊いても、私と一緒に寝るのは嫌か? と彼女は笑ってまたはぐらかす。

 

 その時、僅かな風が寝室へ流れ込む。それと共に鳴る、ドアヒンジが僅かに鳴く音。

 そこに居たのは、自分の枕を持って、面映ゆい表情をする娘の姿。

 

「今日だけ……一緒に寝ていい?」

 

 と訊いてくる。

 

 妻は布団を捲って、早く来いと言った。娘は表情を明るく、布団へと潜り込む。

 父と母、間に娘。三人は揃って川の字。

 

 そこから、1分も経たないうちに、娘の寝息が聞こえる。

 妻は、就寝した娘のお耳を、くにくにと触って顔を綻ばせる。

 

 しかし、その綻んだ表情は、どうも切ない。

 

『今日という日が、終わらなければいいのに』

 

 妻は小さな声で囁く。秋名にも聞こえない程、小さな声で。

 彼女は娘の頭を、自身の胸に抱きよせる。

 

 その時に、ふと気づく。……夫が、妻の顔を、穴が開くほどにじっと見つめていることに。

 

『どうかしたか?……残念だが、この娘が居る手前、相手(・・)はしてやれんぞ』

 

「……いや」

 

 秋名は一声を置いた後に、言った。

 

「君は、どうしてそれほど迄に若いんだ……?」

 

 妻はふっと鼻を鳴らして

 

『世事か。己の伴侶が何時までも若々しいことは、悪いことではなかろう。……あえて言うなら、努力をおこた』

 

「それにしては、若すぎるんだ」

 

 はっと、彼女の瞳が少し膨らんだ。

 

「……だって、僕と君とはもう、20年以上の連れ添いがある筈なんだ。……生き物というのは、老いには絶対抗えない。僕がそうであるように、君もそう(・・)でなくてはならない筈なんだ。だけど、君はどうしても若すぎる。君だけが、時が止まっているかのようなんだ」

  

 秋名の息は、少しだけ荒い。気付きたくない、何かに気付こうとしている。

 

『疲れているんだ。……無理をするな。早く休もう』

 

 途端、秋名はエアグルーヴの頬に手を添えた、そして――

 

「……違う……違う。だって君はもう……居ない(・・・)筈なんだ」

 

 秋名は、己の言葉に恐怖していた。声が激しく揺れていた。

 

 (エアグルーヴ)は、(秋名)の手を取って、何かを諦めたように、そっと言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

『そうか――気付いていたのか』

 

 

 

 

 

 

 彼女は哀しく笑っていた。

 

 

「……これは、夢なのか、君は、幻なのか」

 

『夢と現実の幻日(はざま)だ。もう、夜明けが近いんだな』

 

 エアグルーヴは、秋名の手を取って、また微笑む。

 

『今日は、大切な日だ。だから、少しだけ我儘を言ってみたかったんだ。夫と娘と、三人で過ごしてみたいと。……女神は、優しかったんだ』

 

 エアグルーヴは右手でショパンの頭を、左手で秋名の手を包んだ。

 

 途端、途轍もない程の微睡が、急に秋名を襲う。視界が眩む。彼女の姿が、徐々に見えなくなってくる。それでも指先の感覚だけで、エアグルーヴを求めた。

 

『今日は楽しかった。例え幻だったとしても、貴方たちと共に過ごせてよかった。……有難う』

 

「待って……! 行かないで……! お願いだ。君が逝くのなら……僕も連れて行って……」

 

 最早、枯れるような声しか出なかった。それでも見えない目で、エアグルーヴを探し続けた。

 

『たわけ……。貴方がいなくては、この娘はどうなる。ショパンには、貴方が必要だ。温もりをくれる家族が必要なんだ』

 

「あ……ああ……あ……」

 

 秋名の顔を覆いつくす、涙の雫。既に目は見えなくとも、涙だけは、零れ続けた。

 

『私は二人を、何時までも想い続けている。だから、だから』

 

 エアグルーヴの声が次第に遠のいていく、終わる。幻日(まぼろし)が終わる。女神の悪戯という光の屈折により生まれた、エアグルーヴという太陽の幻日が、消えてゆく。

 

『貴方……そして、ショパン。二人とも……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛してる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

「……っは!」

 

 自宅のベッドで覚醒する。彼の体は、大量の汗に苛まれている。

 

 激しく呼吸を繰り返す。今、この時間が現実なのか夢なのかを疑う。

 

 20秒の時が流れる。そしてようやくここが、孤独の男の部屋だと知る。妻の姿など、あるはずもない。

 

 すべては……夢だった。

 

 

 

「う……う゛っ……うぅ……あ゛……あぁ……」

 

 苦しい。どうしても、苦しい。もう少し、もう少しだけでいい、もう少しだけ夢を見ていたかった。

 

 夢で流した涙は、現実とリンクしていた。この歳になって尚、涙の止め方がわからない。

 

「……おとうさん?」

 

 寝室の出入り口から、少女の声がした。そこには、寝間着姿のショパンがいた。

 

「おとうさん……泣いてるの?」

 

 ショパンが訊いた。

 

「……ああ。夢を見たんだ」

 

 最早涙を隠しようがない彼は、目元を手で覆って、頷いた。

 

「お母さんに逢えた夢……?」

 

 秋名は、覆っていた手を外してショパンを見た。……彼女の顔も、涙で濡れていた。その顔で、必死に微笑んでいた。

 

「私もね……夢を見たの。私のレース、お母さんが見に来てくれたの。それでね、それでね……私、ちゃんと勝てて、お母さんが褒めてくれて。そして、私とお父さんとお母さん、三人で過ごしたの。それでね……おかあさん、私が眠る前に最後、言ってくれたんだ。……私とお父さんのこと、愛してるって」

 

 一つ語る度に、涙がいくつも零れた。大きく揺れ続ける感情に、呼吸も大きく乱される。それでも、語り続けた。

 

「お母さんね、やっぱりすごく優しかったんだ。そして、とっても暖かかったんだ……」

 

 秋名はベッドを降りると、ショパンを深く抱きしめた。それを皮切りに、ショパンはまた、大声で欷泣した。その激しい涙は、秋名へも伝染する。

 

 ふと、部屋のカレンダーが目に入った。日付は、4月23日。そして秋名は、二人が見た夢の真実に気が付く。その夢は、彼女からの贈り物であったということに。

 

 

 

 

 

 4月23日。その日は、妻の命日。そして――ショパンの大切な日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋名は、必死に涙を押し殺して、言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ショパン……お誕生日、おめでとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の部屋の隅に佇む純銀の写真立て。その中に居る妻は、何時までも二人へ微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。