【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

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See You Again

 

 昼食の後、複合商業施設を出た二人。

 蒼介はショパンに断りを入れてその場を後にし、近くの手洗い場へと向かう。

 

 単純に用を足したかったというのもあるが、それ以上に、一旦あの娘と距離を取って落ち着きを取り戻したい気持ちがあったのだ。

 

 あの娘の前だと、どうしても心が体が言うことをきかない。

 あの娘の前で、いい恰好をしようとすればするほど、空回りしてしまうのだ。

 

 手洗台の鏡で、自分の姿を見る。

 汗に滲んだ白いシャツと、明らかに不相応な金色のネックレス。セットしたきたつもりの髪の毛は、いつの間にか纏まりを失っている。

 

 その顔はどうしても辛気臭い。女の子をエスコートしてあげる男の顔ではないなと思う。

 

 手を水で濡らして、もう一度髪をかき上げる。そして、鏡に向かって無理に微笑んでみる。そうすると見えるのは、歯に着いた青のり。昼食の名残りだ。

 

 口に水を含み、乱暴に吐き出す。鏡の中の自分の表情はやはり険しい。

 

 そんな自分に向かって、叱りつけてみる。しっかりしてくれよ、と。

 

 そうすると、逆に言われてしまうのだ。しっかりするのはお前の方だと。

 

 ――好きな子の前で大した見栄も張れず、困らせてばかりじゃないか。おまえはあの娘を欲している、でもおまえはあの娘に何も与えてやることができていない。そんな情けないおまえに、あの娘が振り向いてくれる筈がないじゃないか。

 

 ――わかってるよ、そんなことくらい。

 

 ――わかってないんだよ。だからおまえはあの娘を困らせ続けるんだ。はっきり言って、おまえがあの娘を好きになる資格なんてないんだよ。

 

 ――黙れよ。それでもおれは……。

 

 ――悪いこと言わないからさ、あの娘から手ぇ引きなって。あの娘にはもっと相応しい男がいるんだよ。おまえなんかよりももっと頭が良くて、背が高くて、面が良くて。そして、あの娘の幸せを陰から見守ってやるのがおまえにできる唯一のことなんだよ。身の程も知らないで、核心に迫る言葉もなく、ただあの娘が好きだという一心でバカみたいに奔走してる。それが今のおまえなんだよ。

 

 ――悪いことなのかよ、それが。

 

 ――いいや、何も悪くないさ。ただ、おまえには足りないものが多すぎるんだよ。あの娘を幸せにしてあげる為に必要なものが。飯を食わせてやる金も、あの娘が何をしたら喜ぶかなんて考えるアタマも、あの娘に面と向かって好きだといえるような度胸も。その程度のおまえが、それでどうやってあの娘を幸せにしてやろうってんだよ。

 

 背後から咳払いが聞こえる。

 手洗台の前を陣取って動かない蒼介を、初老の男性が睨んでいた。

 

 聞こえない程小さな声でスミマセンというと、蒼介はまたあの娘の所に戻る。

 

 あの娘は、ウマ娘のグッズ専門店の前に居た。遠目から見ても、一目でわかる程に神々しく、麗しい純白のワンピースだ。

 

 蒼介に気付いた彼女は、小走りで彼の下へ。優しい左目が、より蒼介を悩ませる。

 

「次はどこへ行くの?」とショパンが訊く。この先を考えていなかったな、と蒼介は思う。

 

 この娘が喜びそうな場所……金もかからず、少し静かな場所がいいかな、と考えていたとき。蒼介の視界に、数人の男子学生の姿が飛び込んでくる。

 

 蒼介といつもツルんでいる仲間達だ。当然、彼らに今日がデートだという話なんかしていない。する筈がない。故に、連中に見つかると非情に面倒だ。

 

 カラオケ店から出て来た彼らは、入り口付近に屯って談笑をしている。その内の一人の視線が、こちらに向きそうになった時。

 

「ごめん、ショパン! こっち!」

 

 蒼介は途端にショパンの手を取ってその場から駆け出す。

 

「え、蒼介くん!?」

 

「ごめん、ついてきて!」

 

 蒼介は都会の中を駆ける。駆け続ける。あの娘の左手を握ったまま。このまま辿り着く場所が何処かなんて知らないまま。街行く人々の間を縫って。

 

 ちくしょう、情けないことの連続じゃないか。好きな娘を困らせ、仲間からは逃げ、歯には青のりだ。

 

 あの娘の前では、カッコいい男になるって決めた今朝の自分は死んだのだ。

 

 ダサいったら、ありゃしないな、と思う。

 

 ……だけど、大丈夫さ。おれはきっと、いつかきっと、この娘に相応しいくらい、カッコいい男になってやるんだよ。

 

 そう腹を括らなきゃいけないくらい、おれは、この娘のことが好きなんだから……。

 

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「はぁ……はぁ……いったい、どうしちゃったの?」

 

 駅構内の改札所付近。ショパンは少し胸を上下させ、蒼介の顔を覗き込む。

 蒼介はショパンの何倍も息を切らし、顔中から汗を滴らせる。何かを喋ろうとしているようだが、激しい呼吸に邪魔をされているらしい。その場にしゃがみこんで、呼吸が整うまでを必死に待つ。

 

 ショパンは蒼介の額に溜まった汗をハンカチで拭ってあげると、バッグから小さい水筒を取り出し、蓋のカップ一杯分の水を蒼介へ。

 

「……ごめん、知り合いがいたんだ」

 

 落ち着きを取り戻した蒼介から出た言葉はまた謝罪だった。今日だけで、何度その言葉を吐いたのだろう。

 

「そうだったんだ」とショパンはくすりと笑う。

 

「腕、急にひっぱってごめん。大丈夫だった?」

 

「うん。ちょっと驚いただけ」

 

 ショパンと蒼介は近くのベンチで並んで座る。駅構内を行き交う人々を眺めながら、また少しの沈黙。

 

「……今日は、ごめん。いろいろ君を困らせちゃった」

 

 蒼介は徐に、独り言のように語り出す。

 

「ううん。私も、久しぶりにすごく楽しかった、最近は中等部生にもなって、テストとかレースとかで忙しくて遊びに行けなかったから。映画もすごく楽しかった。でも、あの女優さんが私に似てるってのは、ちょっとおだてすぎじゃないかなぁ」

 

 苦笑を交えてショパンはそう言った。

 

「別に、おだてたつもりじゃないさ。本当に君はあの女優みたいに綺麗……で」

 

 取り繕うために出た言葉に、また自分の心臓が締め付けられる。

 ふと、横目で見たショパンの顔、また少し赤かった。

 

「……ごめん、そういうつもりじゃ」

 

「ううん、お世辞でも、男の子にそういって貰えるのって、ちょっとくすぐったいけど、嬉しい」

 

 お世辞じゃないさ、とまで言う勇気はなかった。

 

「……デートってこんな感じなんだね」とショパンが言った。

 

 唐突に出たその言葉に、蒼介の胸の奥がまた締め付けられる。

 意地でも口にしなかったその言葉。曖昧なままにしておきたかった、この時間。

 

「昨日ね、ルームメイトの娘に言われたの。あんたは映画を口実にデートに誘われてるだけなんだって。最初はよくわかんなかったけど、でもこうして、男の子からデートに誘われてみるのも悪くないなって思っちゃった」

 

「し、下心は無いよ……」

 

「ふふ、そういう事にしといてあげる」

 

 隣にいる彼女は笑っていた。一生懸命な蒼介の姿に、微笑んでいた。

 

「ねぇ、今日は、これでお終い……?」

 

 もうひと時を置いて、ショパンが下を向いたまま蒼介に言った。

 

「えっと、そうだな」時計を見て少し悩む。

 

 そうするとショパンが「もし、蒼介君さえよければ、行きたいところがあるな」と言った。

 

 蒼介が首を横に振る筈もなかった。

 

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 少年と少女はバスに揺られて、賑やかな街を少し離れる。

 

 二人の親父は、それぞれの息子娘に気付かれないよう、少し距離を置きながら、トヨタ・ヴェルファイアでバスを追いかける。

 

「急に走り出したと思えば、次はバスか? もう帰るつもりか?」

 

「いや、でもこのバスじゃあ僕の家にも、礼司、君の家の方にも行かないよ」

 

「トレセン方面、でもねぇよな。郊外行きか……じゃあラブホか?」

 

「君、未だに奥さんに蹴られてるんじゃない?」

 

「聞いて驚け、3日前に蹴られた。ケツの痣見るか?」

 

「いいから前を向いてくれ、君がハンドルを握ってるんだから」

 

 バスが赤信号で停まる。少し車間を開けてヴェルファイアが後ろに停まる。間に割り込んで来た軽トラが幸いだった。

 

 フロントウインドウから、バスのリアガラスが見えた。そこに薄っすら映る人影……ウマ影。シルエットでなんとなくショパンであることに秋名は気付く。

 

 あの娘は誰かと話しているようだ。相手が誰だなんていう必要はない。

 

 その相手は男の子なんだよ……だなんて妻に言ったら、彼女はどういう反応を見せるんだろうか、と秋名は思う。

 

 少し見なかった間に、あの娘は自分の知らない大人のウマ娘になろうとしている。

 今はまだ発展途上。しかし、何れは、本当に自分の手元を離れていくときが来るのだ。

 

 あの娘が、遠くの存在になっていくような、安堵と緊張が混じった奇妙な感覚が秋名を襲う。

 

 カーオーディオから流れるガンズ・アンド・ローゼズの"Sweet Child O' Mine"のメロディが、やけに甘く感じた。

 

「どんどん西の方に行っちまうな」と織戸が言った。その時に秋名はふと、例の場所を思い出した。

 

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「蒼介君、大丈夫?」

 

「へ、ヘーキだって……」

 

 そう言う蒼介の額はまた汗に濡れている。

 西の丘停留所で降りた二人は、山頂に向かって歩いている。

 

 約一キロ程ある上り坂。部活で鍛えている筈の体にも響いてくる程だ。

 

 暫く登ると、雄大な都会の街が見えてきた。

 山頂まではもう少しだ。数歩先を行くショパンが度々振り返っては蒼介を気遣う。

 

 そうして、ようやく都営駐車場まで辿り着く。

 意外な程にも、車は数台程度しか停まっていない。

 

 そのうちの1台は、何か見覚えのあるヴェルファイア。しかし蒼介はあまりそれを気にしなかった。

 

 都営駐車場の脇から、遊歩道へと、ショパンの背中についてく、ついてく。すると、突然現れる黄色い群青に、蒼介は言葉を失う。

 

 彼らの目の前には、蒼介の背丈に迫るほどの向日葵たち。まだ若々しいが、その迫力は稚拙な言葉で表すには惜しい程。

 

「そろそろ、咲く頃かなと思って」とショパンが微笑んで言った。

 

 微笑む彼女の横顔――蒼介が追い求めていた、あの横顔だ。

 

「向うの方に、もっといい場所があるの……」ショパンが東の方を指して言った時。途端に彼女は悲鳴に近い声を挙げ、その場にしゃがみこんだ。

 

「どうしたの!?」

 

 蒼介が彼女に駆け寄る。すると、ショパンは両耳を押さえながら、怯えるように「む、虫がいるみたいなの……羽虫の音……」と狼狽える声で言った。

 

 蒼介は辺りを見回す。そして耳を澄ませた時、ぶうん、ぶうんと不快な羽虫の音が彼のすぐ横を過ぎて行った。

 

 蒼介はすかさず、持っていたハンドタオルでその虫を追い払う。だが、その程度のもので素早い敵を仕留めることはできない。

 

 小さく素早い羽虫は少年を翻弄する。すると、一瞬の隙を突いて、そいつはショパンの下へ一直線。

 

 蒼介の目はそれを逃さなかった。そいつがショパンの腕へ辿り着く前に、タオルを思い切り振り下ろした。

 

 パンッと子気味の良い音が、向日葵畑に小さく響いた。

 そして羽虫は、どこかへ消えてしまった……と思った時。

 

「うっ!」

 

 蒼介の左腕に、鋭い痛みが走った。アイツだ。ショパンを攻撃すると見せて、蒼介を襲ったのだ。

 

 痛みに顔を歪めながらも、それでも蒼介は右腕でその羽虫を思い切り払った。そして羽虫はようやく二人の下から去って行った。

 

「痛ぇ……」

 

 痛みが走った箇所を見る。肘関節辺りが少し赤くなっていた。蒼介はその場にしゃがみ、タオルで覆いながらそこを擦っていると「大丈夫!?」とショパンがすぐさま駆け寄ってきて、蒼介の左腕を支えた。

 

「ヘーキだよ。多分アブか何かだ。噛まれるのは初めてじゃない。痛みも特にないから」

 

 虫に噛まれた箇所の痛みと違和感を必死に誤魔化しながら、蒼介はそう言った。傍目から見ても強がっていることは丸わかりだった。

 

 するとショパンは「待ってて」と言い、小さなバッグから虫刺され用の外皮用薬を取り出す。チューブに入ったクリームを薬指に付けると、蒼介の左腕に塗ってあげた。

 

「ごめんね、有難う」とショパン。

 

「いや、俺は平気。君は噛まれなかった?」蒼介がそう返すと「おかげ様で」とショパンは微笑んだ。

 

 すると、また羽虫の音が二人に近づく。

 蒼介は、またか、とタオルと取り出し、羽虫めがけて振り下ろそうとするが。

 

「待って、その子は大丈夫なの!」

 

 ショパンがそう言った。蒼介は慌ててタオルを持った手を止める。

 ショパンがその場で手を開くと、その手のひらに、赤と黒のてんてん模様が降り立った。

 

「テントウムシ……?」

 

「うん。ちっちゃくて可愛いでしょ? 私、虫ちょっぴり苦手なんだけど、この子なら平気なの。それに、この子は私と私のお母さんを救ってくれた精霊さんだから」

 

「精霊?」

 

 ショパンはテントウムシが乗った手を、空へと掲げる。テントウムシが飛んで行ったことを見届けた後に「もう少し、一緒に歩こ?」と蒼介に手を差し出した。

 

 蒼介は少し戸惑いながらもショパンの手を握り、立ち上がった。

 ……その後、彼女の手を放すタイミングが分からなかった。するとショパンは蒼介の手を繋いだまま歩き出したので、蒼介も彼女に続いた。

 

 そして、少年と少女は肩を並べて、手を握ったまま、綺麗に歩く。お互いの歩幅を、お互いが意識しあって。

 

 小さなショパンの左手。それはとても柔らかく、暖かく。少し力を入れると簡単に壊れてしまいそうな程、繊細なものに感じた。先ほど街中で仲間達から逃げていた時には、全く気が付かなかった。それほどのものを、おれはあんな乱暴に握って走り回っていたのか、と背筋が冷えた。

 

 数百メートル程歩くと、ショパンがそこで足を止めた。彼女の横顔は遠くを見つめていた。

 

 蒼介もそこに視線を合わせる。そこに広がっていた光景。一面に広がる向日葵たち。

 視界の限りを、黄色い情景が埋め尽くしていた。

 

「……綺麗だな」

 

 そう、蒼介の口から純粋な気持ちが零れた。

 

「そうでしょ?」

 

 少女もまた、同じように。

 

 ……すると、ショパンはその場から一歩踏み出して、向日葵達に向かって何かを囁いた。

 読唇術ができる蒼介ではないが、彼女のその口の動きは、なんとなく『おかあさん』と言っている気がした。

 彼女はそのまま手を組んで、まるで祈るように、瞳を閉じた。

 

 向日葵畑に佇み、祈りを捧げるワンピース姿の少女。まるで絵画のような美しさが、そこにあった。

 

 ……綺麗だ。と蒼介の心から、また、純粋が溢れる。今度は向日葵畑にではなく、ショパンに対して。

 

 嗚呼……この娘は、どこまでも、どこまでも綺麗なんだな。蒼介の心が知らぬうちに締め付けられる。

 

 慈しみと、恋慕と、純粋と、そして葛藤。様々な心が蒼介の中に渦巻いていた。

 

 そして、ショパンが目を開く。「付き合ってくれてありがとう」と蒼介に微笑んだ。

 

「今日は、もう遅くなっちゃうから、そろそろ帰ろっか?」

 

 蒼介の顔を覗き込み、そう言った。二人を包んでいた夏の日差しは、既に黄昏を迎えていた。

 

 夕間暮れの世界を見た時に、蒼介はようやく、今日という日の終わりを知った。

 あれほど戸惑い、悩んだ今日が、終わってしまったのだ。

 

「また、一緒に来れたらいいね」とショパンはそう言い、来た道を引き返そうと、蒼介に背を向け、歩き出した。

 

 消えていく。あの娘の背中が、黄昏の中に消えていく。

「また一緒に」……"また"が本当にあるのかよ、と蒼介の心が呟いた。

 

 ああ、綺麗なんだ。この娘はどうしようもなく綺麗なんだ。おれの手に余るくらいの、高嶺の花なんだ。

 そうさ、好きなんだよ。おれは、この娘が。どうしようもないくらい、自分がバカになってしまうくらい。

 

 本当に終わらせていいのかよ、今日という、二度と戻らない日を。

 

 ――悪いこと言わないからさ、あの娘から手ぇ引きなって。あの娘にはもっと相応しい男がいるんだよ。

 

 知ってるさ。でも、俺は誓ったんだ。俺こそがその相応しい男になってやるんだって。

 

 蒼介はもう一度自分に問い質す。

 

 

 おれはこの娘を、どうしたいのか。と。

 

 

「ショパン」

 

 ショパンの背中に向かって、蒼介が声を掛けた。

 

 彼女はその場で振り返って「どうしたの」と訊く。

 

「あの……さ」

 

 身体が途端に凍えだす。まるで死刑執行の直前のようだ。でも、それでも蒼介は続ける。

 

「今日は、いろいろとごめん……俺、女の子を誘うだなんて今までなかったからさ、何とかして、君に喜んで貰おうって、でも、色々困らせちゃった」

 

 ショパンは無言で、首を横に振った。

 

「君が楽しんでくれたって言うんだったら、それでいいんだ。……だけど、俺、これだけは君に言っておきたいことがあって」

 

「言っておきたいこと?」

 

「嘘……じゃないけど、でも、俺、ちょっと卑怯だったからさ。君の友達の言う通りなんだ。俺、何とかして君をデートに誘いたかったんだ。映画が口実だってのも、間違いじゃない」

 

 それからはショパンの顔を見ることができなかった。

 

「デート……」

 

 ショパンが小声でそう言った。

 

「ショパン……俺……さ」

 

 蒼介はもう一度、硬直する身体を振り切って、ショパンを真っすぐ見つめて、言った。

 

 

 

 

「俺……君のことが、どうしても、好きなんだ」

 

 

 

 

 途端、風が甲高い音を引き連れて、二人の間を縫うように吹いた。それに踊らされ、蒼介の短い髪と、ショパンの鬣は、風の赴くままに靡いた。

 

 

 ……蒼介の言葉から、どれ程の時間が経過したかは分からない。

 ただ、心臓は激動を続けている。そのまま破裂するかと思う程だった。もしくは激動を通り過ぎ、動いていないような気もした。

 

 顔が、耳の端まで赤いことが、感覚でわかる程だった。

 

 さぁ、引き返せないことをした。ショパンの顔をもう一度見る勇気が出なかった。

 瞼の裏の世界で、壊れそうな心と体を必死に保っていた。このまま死んでしまっても不思議じゃないよなと思えるくらい……

 

「蒼介君」

 

 暗闇の世界に、彼女の声が届いた。

 蒼介はそっと瞳を開く。そこにいた、ワンピース姿の少女。彼女は必死に深呼吸を繰り返しながら、それでも微笑みを保ち続けていた。

 

 すると、ショパンがそっと、蒼介に右手を差し出す。「握ってみて」と言った。

 少女の腕に触れる。その手は、小刻みに震えていた。

 

「蒼介君もきっとそうだと思うけど、私も、すっごくドキドキしてるの。怖いくらい、この場から逃げ出しちゃいたいくらい……お父さんとお母さんも、こんな思いをしたのかな……」

 

 凍えるショパンに、蒼介は言う。

 

「……ごめん。別に今すぐ答えが欲しいとか、俺と付き合ってくれだなんて、君をこれ以上困らせることを言うつもりは無いんだ。ただ、ただ……どうしてもそれだけを君に伝えたかった。ごめん、俺、何もできなくて君を困らせてばっかりの酷い男だけど、それでも……」

 

 喋っている間、呼吸ができなかった。目尻から流れてくる汗は、涙なのだろうか。

 

「ううん……好きだって言って貰えて、困る子なんてきっといないよ。だって、凄く勇気がいることなんだもん……ね」

 

 ショパンは自分の胸に手を置いて、深く、深く息を吸った。

 そして、蒼介へ「……でもね」と返した。

 

 ああ、やっぱりそうか。そう、上手く行くはずがないよな。と、彼女の一言から導き出した蒼介の解はそれだった。

 

 しかし、ショパンはその後の言葉を直ぐには発せず。胸元に提がった、銀色のチェーンが光る、琥珀食のロケット・ペンダントを取り出し、蓋を開いた。

 

「この場所ね、この、向日葵畑ってね、私の凄く大切な場所なの。かつて、お父さんとお母さんが結ばれた場所で、そして、私がお母さんから大切なものを貰った場所」

 

 そのペンダントに眠る、ショパンの母。蒼介にも、それを見せた。

 

「君の、お母さん……」

 

「エアグルーヴって言うの。すごく強くて、とっても綺麗なウマ娘だったんだよ」

 

「知ってる。母さんからも聞いたことあるんだ。昔のライバルだったんだって。でも、そのヒトって……」

 

 ショパンは浅く頷く。

 

「私が産まれた時に死んじゃったんだ……だから私は、お母さんの命と引き換えに、今を生きてるの」

 

 蒼介は数刻押し黙った。何と言ってあげたらいいのかが、分からなかった。

 

「一時は、そのことで凄く思い悩んじゃったこともあって。私が、お母さんの生きたかった未来を奪ってしまったんじゃないかって……でも、お母さんは言ってくれたんだ。『お前が女帝の意志を継ぐ者として、明日を生きてくれるというのなら、この身体、喜んでお前に差し出してやろう』って……私はこの場所で、お母さんの意志を、心を受け取ったの」

 

「……えっと」

 

「ふふ、不思議な話でしょ? 生まれと共に亡くなったお母さんと、この場で逢って、お話をしただなんて。信じなくてもいいよ。でも、私は確かに、女帝としての誇りと、魂を受け継いで生きていくって決めたの」

 

 彼女の呼吸が大分落ち着きを取り戻しているように見えた。

 ショパンは続ける。

 

「だから私は、この中央のレースの世界で、お母さんが追い求めた夢の続きを、この手で、この脚で、描いていきたいって思ってるの。それが、今の私の夢でもあるから」

 

 すとん、とショパンの声が落ちる。黄昏から夜に変わろうとする世界を、その瞳に焼き付けようとしていた。

 

「……そう、だよね。ああ……そうだよな。君は、ウマ娘、だもんな。……変な事言って、本当に、ごめん。でもそれでも俺、これからも君のこと、応援し続けようって思う……俺のこと、俺の言ったことなんて全部忘れてくれていい。君の夢の応援、俺も陰からしてるから……」

 

 言葉がつっかえて上手く出せない。でもこれが男ができる、最後の意地っ張りなのだ……蒼介は目を思い切り瞑って、最後にそう言い通した。

 

 すると、ショパンが言った。「ううん、違うの」と。

 

 蒼介は閉じた目をもう一度開き、ショパンを見た。彼女の表情、薄っすらと瞳に涙を貯めて。それでも微笑んでいた。

 

「私は、今はその夢を追いかけ続けたいって思ってる。……でも、もし、私がその夢を追いかけきれたその時もまだ、蒼介君が私の事を好きだって思ってくれてるんだったら……その時はもう一度、この向日葵畑で蒼介君に逢いたい。……凄く都合のいいこと言ってるのかもしれないけど、それでも蒼介君がその時まで待っててくれるんだったら、私は蒼介君に逢いに、きっと行く」

 

 二度目に吹いた初夏の風は、思いの他、優しかった。

 少女の甘い香りが、蒼介の鼻を擽った時。蒼介は迷わずに、もう一度ショパンを見つめて。

 

「待ってるよ、俺。きっと待ってる。俺も、その時までに、もっと恰好の付く男になって、必ず君を迎えに行く……!」

 

 その声は、既に震えていなかった。

 

 ショパンは浅く頷くと、蒼介の傍へ。

 

「本当は、最後の駅で渡そうと思ったけど、これ、ペンダントを見つけてくれたお礼」

 

 ショパンが差し出したのは、金色のチェーンで作られた、ブレスレット。元々、ショパンのペンダント用に使われていたものを加工して作られたものだと直ぐに分かった。

 

「ありがとう。ずっと、大切に持ってる」

 

「うん……それとね、もうひとつ」

 

「もうひとつ?」

 

 するとショパンは、蒼介へ更に一歩歩み寄り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼介の顔に向かって、少し踵を浮かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「……アイツら、帰ったか?」

 

「もう、何も聞こえない、ね」

 

 暗闇の、向日葵の茂みに倒れる二人の男。

 

「ショパン……君は……」

 

「何だよ、泣いてんのかお前」

 

「泣いてはないさ……でも」

 

「娘のハジメテを見るのはあんまりショッキングだったか?」

 

「……言い方だ。でもまぁ、そうなのかも。……僕の知らないところで、あの娘はどんどん大人になっていくんだな」

 

「嬉しくもあり、悲しくもある。親ってのは、どうもフクザツでいけねぇや」

 

「でも、幸せではあるのかも」

 

「違いねぇや」

 

 男たちは仰向けに、星々に満たされる夜空を眺める。

 

 秋名は星の一つに手を伸ばし。かつての妻の名前を、そっと呼んだ。

 

 

 

 

 

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「……で、みんなどーよ。この夏の成果は」

 

「お母さんに新しい水着買うからお金ちょうだいって言ったら、学校の水着があるでしょ、だってさ。学校の水着なんかで男子が引っ掛かるワケないじゃん、わっかんないなー」

 

「アタシんとこは、子供だけで海に行っちゃダメだって言われちゃった」

 

「そもそも私、補習で夏なんてなかったしなぁ……」

 

 新学期明けの放課後の教室。ショパンのクラスメイト達は隅っこに固まり、お菓子を広げてこの夏の反省会。

 しかし、その集いにショパンの姿はない。

 

「はーあぁ、結局この夏はショパンの独り勝ちかぁ……あーんなオクテな娘に彼氏ができるなんて、誰が思ったか」

 

「いやーでもショパン、あの男の子フっちゃったらしいんだよね」

 

「え、マジッ!? なんで?」

 

「いや、うーん……フったってのが正しいのか分かんないけど、でも今はレースに集中したいからって」

 

「いやいやマジメか」

 

「真面目でしょ、ショパンは。真面目生真面目」

 

「でもさ、初めてのデート、どこまで行ったんだろうね」

 

「さぁ、手は繋いだって聞いたけど」

 

「うわーヤラシー。真面目に見せかけての大胆ウマ娘だ」

 

 

 

 

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「へぇ……待ってて、か。罪な女だね、アンタも」

 

 放課後の花壇、上級生のロータスとショパンはスコップ片手に並んで花のお手入れ。 

 ロータスの感想に、ショパンの手が止まる。

 

「……やっぱり、酷かった、ですか。いつになるか分からないのに、待っててだなんて」

 

「別に、それで相手が頷いてくれるんだったらいいんじゃない。でもさ、男って本当にバカだからさ、待っててだなんて言うと、本気にしていつまでも待ってるよ。愚直にさ」

 

「……もし、そうであれば、私も本気で、また逢いに行こうって思ってます」

 

「アンタもホレたんだね、あの男の子に」

 

 ロータスが口端を吊り上げてそう言う。ショパンは無言で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

《数年後》

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、お帰り、ショパン」

 

「ただいま、お父さん」

 

 都内のショパンの実家。日曜日の秋名は相変わらずゆったりモード。

 

 ショパンは父に軽く挨拶をすると、そのまま歩いて自分の部屋へ。

 

 クローゼットを開けると、中には二つのワンピース。一着はショパンがまだ中等部生の頃に来ていたワンピース。そしてもう一着は、成長に伴って買い直した、新しいワンピース。

 ショパンは静かに、それに手を伸ばす。

 

 秋名がリビングでジョルジュサンドと共にくつろいでいると、ワンピース姿のショパンが姿を現す。

 まだどこかあどけなさを残しつつも、すっかりと大人の印象を纏うようになった彼女の姿に思わず息を呑む。

 

「ショパン……お出かけかい?」

 

「うん、ちょっと、人に会いに行くの」

 

 ショパンは父の顔をはっきりとは見ずに、そう言った。

 

「そう……気を付けて」

 

 秋名は敢えて深くを訊かなかった。いや、訊けなかったといった方が正しい。

 

 ショパンはジョルジュの頭を少し撫でて、母の写真に手を合わせて、そして「行ってきます」と、リビングを後にしようとした時。

 

「あ、そうだ。お父さん……もう、ついてきたりしちゃ、ダメだからね」

 

 と言って、家を出た。

 

 秋名は目を丸く、暫くソファを降りれなかった。

 

 

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 日曜の朝、織戸家の姿見の前で入念に自分をチェックする青年の姿。

 アイロンがけをした綺麗なシャツ。美容室にも通って整えた頭髪。歯に青のりはもうついていない。

 左腕には、金色のブレスレット。

 

 高校の卒業も間近に控え、すっかりと背丈も大きくなった少年の背中に、父が声を掛け、横に並ぶ。

 

「はぁ……お前に身長を抜かれる日が来るたぁ、思ってもみなかったなァ」

 

「おかげ様で」

 

「そんで、出掛けんのかお前。なんなら昔みてぇにあのネックレス貸してやろうか?」

 

「いや、必要ないよ。俺にはこれだけで充分」

 

 そう言って、ブレスレットを見せた。

 

「お前、昔よりもいいカオするようになったじゃねぇか。さァ、行くんなら行ってこい。遅刻すんじゃねぇぞ」

 

「父さんじゃないんだから。でも、ありがとう。行ってきます」

 

 

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 青年が西の丘の麓のバス停で降りた時、初夏の熱気が彼を包む。

 僅かに汗をにじませながら、それでもゆっくり、丘を登っていく。

 

 暫く進むと、都会の雄大な街が見える。いつまで経っても、変わらない街だな、と思う。

 

 麓から一キロ歩いた先に、都営駐車場が見える。

 今日は、車は何も停まっていないようだ。

 

 駐車場脇の遊歩道を進む。砂砂利の音を足の裏から弾き出し、一歩一歩を踏み締める。

 

 すると、辺りを覆い尽くす程の向日葵たちが姿を現す。

 

 耳元で虫の羽音が聞こえる。手を開いてみると、そこに一匹のテントウムシが降り立つ。彼を解放すると、テントウムシはとある方向へ、蒼介についてこいとでも言うように飛び立つ。

 

 テントウムシの後を追いかけるように、またそこから歩いてみる。

 

 そして、視界一面が黄色く満たされる場所に辿り着いた時、青年は一人の淑女を見つける。

 

 ワンピース姿と、麦わら帽子が眩しい、黒鹿毛の淑女。

 

 彼女はこちらに気付いたらしく、小さく手を振り、言った。

 

「ごめんね、随分と待たせちゃった」

 

 淑女の朗らかな顔は、少女の面影そのままだった。

 

 そんな彼女に、青年は答えた。

 

 「いや、また逢えてよかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ショパン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 -おしまい-

 

 

 

 

 

 

 

 

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