【完結】女帝の意志を継ぐ者へ   作:マシロタケ

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北東の風が乾いた四肢をすり抜けてゆく。

やけに湿った細波が、ひとり寂しく悲壮を嘆く。

偽紫と柑子色が対立を成す朧気な空の色に、巻雲がぼやをかける。それは朝焼けというには余りに哀しく、夕焼けというにはどこか幼い。

彼らの背後で全てを見守る太陽でさえ、それが本物かどうか確信が持てずにいた。

曖昧だ。そう、すべてが曖昧。

揺蕩う波も、抜け行く風も、熱くも冷たくもない砂浜も。

しかし、そんな彼らの混沌と漠然を歯牙にもかけぬ様子で彼女(・・)は言う。

「いい天気だ」と。

何が、どこが、どういい天気なのだとエアグルーヴが問い詰めても、彼女は飄々とした面持ちを崩さず、憂いの空へ穏やかを向け、「何れにわかる」とだけ。

輪郭のない、鬱屈な世界に感じるのはエアグルーヴだけなのだろうか。ビーチの砂浜へ深く腰を据える彼女の瞳に映っているのは確かに希望だった。

「何れとは何時だ」

痺れを切らすように、エアグルーヴは重ねて問う。

「何れとは何れだ。焦ることはない。堅実さがウリなのだろう?彼も言っていたではないか」

彼女は途端に立ち上がり、尻と尾についた砂を軽く払って、深く泥んだ海へ歩き出す。

「すまない。あまり長くは居られなくてな」

どこか名残惜しい哀愁を引っ提げて、彼女は一つ海へ足を入れる。

エアグルーヴもそれに続こうとしたとき

「まだ来なくていい。それよりも、今はあの娘(・・・)をよろしく頼む」

とだけ、無責任を残して彼女は姿を眩ませた。



From the...

 

「……んぅ」

 

 彼女を呼ぶは己の声。差し込む淡い光芒が、時計の代わりに朝を知らせる。

 

 覚醒から7秒(7s)。夢と現実の狭間を少しだけ彷徨い、そして現実(リアル)へ着地する。

 

「またか。また、あの夢(・・・)か……」

 

 彼女は額を抑えて、深く溜息を。

 

 少し前から、不定期に、時折その景色は姿を現す。見知らぬ砂浜、見知らぬ海、見知らぬ空と、見知らぬ、少し熟れたウマ娘。否。ウマ娘にだけ限って言えば、見知らぬと言っていいものなのかが分からない。

 

 不可思議だ。通常、対面する相手のことは"知っている"か"知らない"のどちらかである筈なのに。そこにいた彼女(・・)は、そのどちらにも属さない。

 

 知ってるのかもしれない。彼女はずっと近くに居るような気さえしている。だけど、知っている筈がない。知らないでいるほうが正しいとさえ、彼女の何かが囁く。

 

 彼女は誰だろう。その存在を問う言葉をいつも忘れる。ただ、意味の通らない会話を続けている。

 

 所詮は夢だ。気にしなければそれでもいい筈なのに。

 

 ただ、覚えている。この夢を見始めた時期を――丁度、ショパンと出会ったあの頃あたりから。何か因果があると言うのだろうか。

 

「……何を。くだらん。今日は大事な日だというのに」

 

 彼女は起き上がろうと、ベッドの中で横を向いた。そこに、ひょこひょこと、毛布の中から生えてきた二つのお耳。時折ゆらゆらと動いては、後ろにペタリと寝かせたりと、どうも忙しない。

 

「……」

 

 エアグルーヴが指先で、その生えてきた耳の先端を摘まんですりすりと擦ると、それらはひょんと毛布の中へと逃げて行った。

 

「ショパン。起きろ。朝だぞ」

 

 エアグルーヴは毛布を引っぺがし、彼女を呼んだ。

 

「……んぅ?」

 

 もう少しだけ微睡の中に引き籠っていたいのに。と彼女の重い瞼が物語っていた。

 

 

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「互いに老けたものね。若い頃はずっとこの美貌が続くものだと思っていたけれど、寄る年波には何とやら。かしら」

 

 映えたシャンデリアが、琥珀色の希望を演出するようだった。その照明に似つかわしいソファもまた、品位高く厚みのあるものだった。

 豪邸とまでは言わないが、あの女帝が育った家庭。そして女王が棲む園。多少なりにも恵まれた環境で育った自覚のある秋名でさえも、初めて訪れた際にはその格式高さに大きな気後れを感じた。

 

 ……今もその気後れは乾いていない。それは、格式高さによるものというより、敷居の高さに起因するようなものだった。

 

 自分は妻も娘も守れませんでした。その報告をしに来たのだから。

 

「ちゃんと休めてる?」

 

 エアグルーヴの母がそう秋名に訊ねる。既に『お祖母ちゃん』として板についた容姿が、時間の流れを感じさせた。

 

「ええ……」

 

 秋名の視線は、紅茶の紅い鏡に映った自分に向いていた。暫く鏡を見なかった間に、随分と顔の皺が増えていた。紅茶の越しにも白髪がはっきりと分かってしまう。……確かに彼女の言う通り、老けたものだ。

 

「嘘ばっかり。あの娘の言う通り、あなたって嘘が下手な人よね」

 

 エアグルーヴの母は、優しい声色で少しの笑みを連れてそう言った。

 

「お義母さん。僕は……」

 

「皆までいいなさんな。辛さは分かち合いましょう。それに、きっとあの娘は無事よ」

 

「すみません……」

 

 エアグルーヴの母を直視できなかった。優しさがどうしても痛かった。お前は、お前は、大事な娘を守れず、孫までをも。そう責められる覚悟さえあったのだから。

 

 頭に鉛を付けたように沈み込む秋名へ、エアグルーヴの母は言う。

 

「但し、一つだけ私と約束なさい。例えこの先、どんな結末になろうとも、決してばかな真似(・・・・・)だけはしないで頂戴。絶対に」

 

 心を見透かされているようだった。考えたくはない結末だが、仮にショパンと『最悪な形での再会』を余儀なくされてしまった場合。彼の選択肢の中に『ばかな真似』は確かにあったのだから。

 

「はい……」

 

 エアグルーヴの母は一つ頷くと、秋名の差し出したCDに手をかけた。娘の残した遺品、過去の記憶で当時と邂逅する。

 

「懐かしいわね。普段我儘を言わないあの娘が、唯一欲しがった物。まだ小さかった頃かしら、私におねだりをしてきたの。このCDがどうしても欲しいって。可愛かったわぁ」

 

 そして、閉じられたCDのカバーを開け、問題のそれを手に取る。

 

「"女帝の意志を継ぐ者へ"、か」

 

「どう思われます……?」

 

 エアグルーヴの母は、黙って娘の残した謎多き手紙を読み続けた。目で何度も行を追い、濁り滞った情報を瞬きのチェイサーで整理すると、もう一度手紙へ。

 

「エアグルーヴは、予測していたというのでしょうか。僕と彼女の間にショパンが産まれ、あの娘がトレセン学園へ入学すること。そして――」

 

「ショパンと引き換えに自分の命が(つい)えることを」

 

 秋名の代わりにエアグルーヴの母が言った、しかし彼女は手紙を閉じると、それはあり得ないと呟いた。

 

「そう……ですよね。未来を予言だなんて」

 

「そうじゃない。夢物語を嫌うあの娘が、預言だなんて根拠なき妄言を残すことはあり得ない」

 

「じゃあ」

 

「予言じゃなくて、確信していたのよ。あの娘は、この未来が訪れることを」

 

「確信?」

 

「もっと言えば、知っていたんでしょうね。全てを」

 

「ま、待ってください!」

 

 秋名は余裕のなくなった額を押さえ、二度息を飲みなおし、ふっと息を無理に吐き出した後に続けた。

 

「未来を知っていただなんて、どうやって」

 

 エアグルーヴの母は首を横に振った。母親とは意外にも娘のことを知らないものよ。と付け加えた。

 

「そういえば、ひとつ貴方に見せておきたいものがあるわ。来て頂戴」

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 モノトーンを基調とした、おおよそ10畳ほどのエアグルーヴの部屋。少しばかり女性らしさに欠けるその部屋にあるのは合理性と造花。

 

 自分の写真やポスターすらも飾らない彼女のストイックさが、部屋にそのまま表れていた。

 

 彼女が去った今でも、そこの空間だけは時が止まったまま。いつまでも帰らぬ(あるじ)を、ただひたすらに待ち続けている。

 

 エアグルーヴの母は、クローゼットを開け膝を付いて、その奥に仕舞われたとあるものを秋名へ。

 

「これは?」

 

「実は、あの娘が亡くなった後、部屋を整理してたら出てきたものなの。本当は貴方に返しておくべきかと迷ったけど。でも、さっきの手紙と同様。あの娘にしては、どうもらしくない(・・・・・)ものだった。だから少し奇妙で、仕舞っておいたの」

 

 おおよそ片手でも抱えられる程度のレターボックス。淡いチェック柄の意匠。重量はさほどなかった。

 

 秋名は一度それを床に置き、開封する。開けた瞬間、その軽さが腑に落ちる。そこにあったのは、手記と一枚の写真だけだったのだから。

 

「この写真」

 

 写っているのは、どうしても懐かしく、愛おしいかつての妻の姿。白いワンピースに身を包み、背後に広がる向日葵畑を背に、こちらへ優しさを手向けていた。

 

 続けて手記を開ける。どうやらそれは、スケジュール手帳とは少し違い、彼女の心の内がただつらつらと綴られているだけのもの。彼女の直筆で描かれる、なんてことのない日常。

 

 今日の生徒会の仕事はどうだった。ブライアンがまた会議をさぼった。会長の駄洒落にまた気が付けなかった。次のレースに向けての調子が良い。生徒が問題行動を起こし、胸中穏やかではない。トレーナーが、また部屋を散らしている。今に家庭を持つと苦労するぞ。花壇の花が健やかに育ってくれている。後輩たちもこの花々と同じく、麗しく育ってほしいものだ。など。

 

 裏も表も変わらない。そんな女帝の心だった。まるで、かつての彼女と対話をしているような錯覚に陥る。喪った存在がすぐそこに居るのではないのかと、心が求めてしまう。だから、それ以上を読み進めることが少しだけ苦痛だった。

 

 

 だが、手記の最後の数ページ。秋名はようやく辿り着く。

 

 

 

 ――らしくない(・・・・・)女帝へと。

 

 

 

 

 

『未来から来た不思議な娘と出会った』

 

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「迷ったら、いつでもここへ来なさい。いいこと。一人で抱え込まないこと。ショパンは貴方の娘であり、私の大切な孫。苦しむときは同じよ」

 

「ええ、有難うございます」

 

 そういって秋名は愛車のボルボのシートへと、深く身を預ける。

 

「こんな時くらい、仕事なんて止めちゃいなさいよ。倒れちゃうわよ、貴方」

 

「ですが、僕がいないと回らない部分があるもので」

 

 秋名は無理に笑顔をエアグルーヴの母へと向け、左手でエンジンスタートのノブを回す。コンマ数秒のクランキングを経て直列4気筒の心臓に火が入る。秋名はエアグルーヴの母に軽く頭を下げると、静謐かつ重厚なサウンドに身を任せて、車を動かした。

 

 URA本部へ向かう道中、彼の頭の中ではどうしてもあの手記のことがリフレインした。同じく、写真のことも。

 

 秋名は信号待ちの間、もう一度あの写真を取り出す。その際にようやく気が付く。写真の裏面に、何かが記されていることに。

 

 それも、彼女(・・)の直筆だった。

 

 

 "From The Past To The Future(過去から未来へ)"

 

 

 信号が青になっていたことに数秒遅れで気が付き、再びアクセルを踏み込む。彼は左手でナビの設定を消す。URA本部の行き先をとある場所へと変更する。

 

 ステアリングを返して、少し強めにスロットルを開ける。ボルボ製の直列4気筒サウンドに、過給機(スーパーチャージャー)の補助が加わるほどに。

 

 ほどなくして、彼の車は再び赤信号により遮られた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 赤信号から1分とおおよそ、彼は忙しなく腕時計の分針を睨みつけながら、中央に大きく構える六連星(スバル)のエンブレムが刻まれたステアリングを、縋るように握った。

 

「勘弁してくれよ。なんでこんな日に限ってぇ……!」

 

 信号が変わろうとも、突然の事故渋滞が解消してくれる様子はない。焦燥を露わにしているのは秋名だけでもなさそうだ。周囲のドライバーたちも全く変わらない景色に、不満の色を曝け出す。

 

 時計をもう一度。出走まで時間はまだあるが、このままでは彼女と最後のミーティングをする余裕が無くなってしまう。

 

「こうなりゃ……!」

 

 秋名はステアリングを深く切り込む。こういう時に大柄な3ナンバーボディは少し不便だと思いながらも、裏路地へと侵入する。

 

 同じ考えを持つ輩も少なくない。彼と同じように脇道へ逸れる他車も数台。だが、入ってしまえばこちらのもの。

 

 対向車とすれ違うのがやっとといった程度の道路幅。だが、構ってはいられない。彼は瞬時に道路状況を認識すると、やや強めにアクセルを開ける。回転系(タコ)がやや派手に踊る。フードの中に眠った水平対向4気筒(ボクサー)エンジンが唸り、過給機(ツインスクロールターボ)が叩き起こされる。

 

 スピードメータは……警察と出会わないことを祈るしかない。

 

 そしてようやく、彼は東京競技場の関係者専用の駐車場へと車を滑り込ませた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「遅い」

 

「遅いね」

 

 数多の人込みから逃れるように、エアグルーヴとショパンは東京競技場の関係者控室にて、指導者の姿をひたすらに待ち続ける。

 

 そこにいる全ての関係者、皆殺気立っているようだった。

 

 それもそうだろう。だって今日この日は

 

 ――最強の女王(オークス)の称号をかけた狂気の祭典なのだから。

 

 周りのトレーナー、ウマ娘、その苛立ちにも似た視線の先。標的にされているのはエアグルーヴだった。

 

 今日こそ、あの女帝サマの首を狩ってやる。お前の神話はここで終わる。彼女らの視線が攻撃的に物語っていた。

 

 閉鎖的かつ、肌がひりつく様な息苦しさすらも感じるこの気鬱。当然、場慣れすらしていないショパンにとっては逃げ出したくなる程の遣る瀬無い空間。片時もエアグルーヴから離れることができなかった。

 

 だが、対照的にエアグルーヴは何時もと変わらぬ、凛々しく正しく、戸惑いなき女帝としての姿を保ち続けていた。

 

「ねぇ、緊張とかってしないの?」

 

 ショパンがふいに問う。

 

「……する。緊張がないということは覚悟がないということだ。皆の期待、お母様の残した雄姿、私が私として居られる為の証明。…試される日だ、今日は」

 

 エアグルーヴの瞳は鋭かった。女帝を名乗る者としての覚悟。散れば終わり。俯瞰して見えない程の重圧に耐え、時を待ち続ける。

 

「怖くないの……?」

 

 ショパンは重ねて訊いた。自分だったら、レースを棄権してでも逃げ出してしまいたくなる程の恐怖がここにはあったから。

 

「怖い……か。怖いかもな。1/10秒、1/100秒。それで全てが決まる世界だ。ゲートが開いてしまえば、二度と後戻りはできない。例え己の舌を噛み千切る程に悔いたとしても、結果は覆らない。大衆が私に掛ける期待は、"希望"でなく"当然"だ。勝って当たり前。私はそれに全力で応えなければならない。女帝の名を語る者として」

 

 エアグルーヴは静かに語り続けた。ふと、ショパンに手を差し出す。ショパンは直ぐにその意図を汲めなかったが、戸惑うショパンにエアグルーヴは握ってみろといった。

 

 ショパンがそっとエアグルーヴの手を握る。ショパンはふと一瞬息を止めてしまった。

 

 震えていた。彼女の手が。凍えるように。

 

「私だって生き物だ。恐怖も緊張もする。だが、目指したい場所がある。私の追い求める理想郷(ユートピア)の為に。この重圧の対価は理想だ。お前も何れ解る」

 

 ショパンは何も言えなかった。映像に映る母の姿。いつも、勇敢で自分みたいに怖気づいたり、緊張なんてものと縁がない人なのだろうと、ずっと思っていた。

 

 だけど、本当は、吐き出したくなる程に己を侵す辛苦に耐えながら、一歩一歩を踏み続けていたのだ。

 

 嗚呼、自分とは本当に、彼女のことを何も知らないのだな。とショパンはエアグルーヴの手を包み込むように手を重ねると。

 

「きっと大丈夫。……頑張って」

 

 と弱く言った。

 

「ああ、ありがとう」

 

 返ってきた返事は、意外にも優しさだった。ショパンに対する、小さな笑み。

 

 それにショパンは重ねて言った。

 

「おか……先輩は必ず勝つよ」

 

 下手な気休めは止せ。とエアグルーヴはショパンから視線を逸らして言ったが、ショパンは続けた。

 

「ううん。私、知ってる(・・・・)もの…今日のレース――」

 

「ごめん!! 間に合った…!」

 

 控室の扉がドンと勢いを誘って。そこの関係者たちの視線が一気に彼に向く。全身滲んだ汗が、頬を伝い顎から落ちる。眼鏡すらも曇っていた。

 

「っ! トレーナー! 貴様どこで油を……!」

 

「遅いよ! トレーナーさん!」

 

 鹿毛(エアグルーヴ)黒鹿毛(ショパン)は秋名の前へ立つと、母娘(ふたり)揃って耳を後ろに絞り腕を組んだ。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

「主任? 牧野主任聞いてますか?」

 

「聞いてるわよ」

 

 コーヒーの香りと、ひたすらに響くタイプ音。ここに席を置いてどれほどの時間が経ったのだろう。それは既に彼女にとっては馴染んだ光景。

 

 そこに囀るは、牧野*1とは違って潤わしく、若々しい活気のある声。だが、そんな若手の持ってくる話はいつもくだらない。最新のコスメがどうだとか、駅前のパスタ屋がどうだとか。陰謀説やオカルト話だとか。

 

 ウマ娘たちの為に献身的に奉仕する我々がそんな体たらくでどうするのだ。とウマ娘支援センターの主任に席を置く牧野はそう胸中で呟き続けた。

 

「そいでですね!」

 

「わーかったから。今は仕事の時間。とっととやること済ませなさい。この間のメンタル疾患疑いの娘、対応終わったの?」

 

「へへ、まぁ一応、対応中……ですねぇ」

 

 歯切れの悪く彼女はそう返す。下手なことを口走れば、主任の容赦ない指摘が飛んでくるからだ。

 

「そ、そういえば聞きました?」

 

「だから仕事……」

 

「関係ある話ですよ!ほら、この間失踪したウマ娘、実はあの娘、あのエアグルーヴの娘さんって話らしいですよ」

 

「そう。不幸な話ね。早く兆しがあるといいのだけれど」

 

 牧野はため息一つ。やはり彼女らが望む先はウマ娘たちの健全。バッドニュースはできるだけ避けたいもの。

 

「それで、その失踪事件、結構不思議なウワサが立ってるみたいなんですよね。その、ショパンちゃんって娘なんですけど、なんでも女神様の神隠しなんじゃないかってネットで噂されてるみたいで」

 

 ピクリ、牧野の眉が少しだけ動く。

 

「……ねぇ、今なんて?」

 

「へ? ああ、ほら神隠しですよ神隠し。なんでも煙みたいにぽっと消えちゃって…」

 

「誰が居なくなったって?」

 

「え、名前ですか。ショパンちゃんですよ。あの黒鹿毛の」

 

 若手の職員はタブレットを牧野へとむける。そこに映る一人の黒鹿毛。

 

 牧野は、抱えていた珈琲カップを置き、手で口元を覆って、記憶の中の世界へと身を投じる。

 

「主任?」

 

 

 

 

 

「ショパン……?」

 

 

 

 

 

 

*1
参照:第三話『あの娘は誰?』

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