前回のあらすじ
沖縄支部で手に入れた神典について解読を進めていた。この神典に書かれている内容が本物かどうか疑わしいが、惹きつけられる謎の魅力があった。世界にはまだ、多くの未知なる部分が存在していたのだ。
棗とペロは夜の海岸沿いを歩いていた。静かな夜に波打つ音が心地良く響いている。砂浜を波が押し寄せては返っていく。それらは棗とペロにとっては当たり前の日常だった。これまで何度も聞いた音。何度も見た景色。
「今日も月が綺麗だな、ナツメ」
「……ペロ…………」
療養所から歩き出してようやくペロが話し始めた。ペロと初めて出会ってから何度も見た姿。人の言葉を話し始めてから何度も聞いたその声。
「今日の夕刻の出来事が嘘だと思えるほどに……静かで美しい夜だ」
「今の海はとても静かで、落ち着いている」
月は満月に近く、雲も無いので周囲はとても明るい。懐中電灯もいらずその海岸沿いをずっと歩いていく。
「この辺りだな。ナツメと初めて出会ったのは……」
ペロは進む足を止めた。そして棗もまた足を止めた。
まだ棗が"勇者の野菜"の能力者になるずっと前。ここで初めてペロと出会った。時間は確か、夕暮れ時だったか。
同年代の子に揶揄われ、心が酷く沈んでいた時、棗は海に潜ってその心を落ち着かせていた。
海に潜ること自体はもう数え切れないほどのことで、嫌なことがあっても、良いことがあっても、あるいは何もなくとも棗は海に潜る。
何をするでもなくその中で漂う。波に身を任せ、ゆらゆらと、息が続かなくなるまで。
息継ぎの為に海面へ浮上して大きく空気を吸い込み、また潜る。それをただ、繰り返す。
心を落ち着かせて海から上がると浜辺に一匹の犬がいた。その犬は吠えるわけでもなく、ただじっと静かに棗を見つめていた。
「犬……」
棗が一人でいたのと同じく、その犬もまた一匹だけ寂しくいた。
その姿が自分と重なっていた。
「どう……した? 何か……欲しいの、か?」
お腹が空いているのではないかと、棗は再び潜り魚を獲った。焼いた魚を火傷しないように冷ませてから、手に乗せて犬に食べさせる。
その犬は大いに喜び、尻尾を振りながら食べ、その後も棗の手をペロペロとなめていた。
「なは……はっ。くすぐったいぞ」
その犬と触れ合う中で、棗の心が自然と安らいでいくのを感じた。友達と呼べる人がいなかった彼女に、ようやく友達と呼べる存在ができたのだ。
その犬が他ならぬ『ペロ』だった――。
そして何年か経ち、
漂う中で、何かがこちらへ語りかけてきた気がした。
(誰だ……。私を呼んでいるのは……)
海から出ると、珍しくペロが吠えていた。そして棗に何かを知らせるかのように辺りを走り回っていた。
「私を呼んだのはお前か……?」
海の中いた棗にペロの声が届くはずがない。結局は気のせいだということにして棗はペロの案内に従って走った。
向かった先は祖父が農業を営んでいた畑。サトウキビが多く植えられていた。
しかし棗の目に映るのは燃えている畑の光景。近くに停めていた自動車や農作機が破壊され、そこから漏れ出たガソリンが爆発して火が点いたのだ。
そして周囲を飛び回る白く異形なバケモノの姿。そのバケモノが建物や乗り物を破壊して回っている。
「お爺の畑が……!」
爆発は所々でも起きており、遠くから爆音が聞こえてくる。
棗は怒りで拳を振るわせた。
「……!? あれは……」
また何かに呼ばれた気がして棗は視線を畑の隅に向けた。そこには一本のサトウキビが横たわっていた。バケモノに荒らされた影響で倒れたのだろう。他にもたくさんのサトウキビが倒され、燃えている。
しかし、目を向けた一本だけは他と存在感が違っていた。
「光っている……?」
心なしか蒼白い光が棗へ呼びかけているように思えた。
棗は姿勢を低くしてそのサトウキビの元へ行った。
サトウキビを手で掴んだ時、ペロの鳴き声がした。顔を上げるとバケモノの一体が口を開けて突進してきたのだ。
「私を食べるつもりか。……だが遅い」
気付けば棗はそのサトウキビを食べていた。あとで思い返してみると不思議な感覚だった。サトウキビを掴み齧る時は自分が自分でない感覚だったのだ。
そしてこの時から、棗は"勇者"となった。
壊された祖父の小屋から昔、祖父が道場で使っていたヌンチャクを引っ張りだして戦い始めた。畑とその周りのバケモノを殴り倒し、蹴り倒しながら町の方へ走った。ジョギングのつもりで走ってもペロよりも速い。
あっという間に町に着いたが、そこはすでに半壊していた。
建物は火事で焼け落ち、人は倒れその部位を所々無くしていた。
「えっ、なっち!? ど、どうしたの!!?」
クラスメイトが棗の戦う様を見て驚いた。ヌンチャクを振り回してバケモノの頭部らしき部分へ叩き込む。すると、バケモノは血飛沫をあげて霧散していく。
「これは……海の神が与えてくれた力なんだ。多分」
「へ、へぇそうなんだ……。なにはともあれ助けてくれてありがと。なっち!」
棗はバケモノを屠り、沖縄の南城市に束の間の平和が訪れた。
棗はその不思議な力も相まって生き残った町の人々から神聖視されていく。
「……人類の敵よ。花により散れ」
攻めてきたバケモノを容易く粉砕する。
「見ろ! また棗様がバケモノを討伐してくださったぞ!」
「ありがたやありがたや。棗様は御伽話に出てくる英雄のようじゃ」
「我らが
人々から感謝され、その賞賛の言葉を一身に背負う棗は少しくすぐったく感じていた。
「こういうのは……慣れないな」
小屋の中で休んでいる棗はペロの頭を撫でた。ペロは相変わらず手をなめてくれた。
みんなは自分のことを『棗様』や『古波蔵様』と呼び慕ってくる。大人たちだけでなく同年代の子供たちも。
自分と彼らとの間にある距離は、棗がひとり海で泳いでいた時と変わらないままのように感じた――。
今日もまたペロの導きで海に出るとバケモノがこちらへ迫ってきていた。
棗の持つヌンチャクの威力もさることながら、沖縄に古くから伝わる武術も駆使して一匹たりとも上陸させることはなかった。『海』というフィールドにおいては棗は他の追随を許さない活躍だった。
「なっ……棗様‼︎ 此度も素晴らしいご活躍を遂げられましたね! いつも私たちを守ってくださりありがとうございます‼︎」
クラスメイトもまた、慣れない敬語を使って労いの言葉を述べてくれる。
「様付けはやめてくれ。前みたいに『なっち』でいい」
「いえいえ。そう呼ばないと私が怒られちゃいますって」
困り眉毛でクラスメイトは笑っていた。その愛想笑いを見て棗もまた同じように愛想笑いを浮かべた。
「やれやれ……。今も昔も、私はずっと"ひとり"だな……」
クラスメイトが去って、棗はそう呟いた。すると足元にいたペロが頭を擦り付けながら短く鳴いた。
「あぁそうだな。私にはペロがいるな。……ひとりじゃない。…………おまえだけだ」
頭を撫でて笑った。この時の笑顔は少しだけ優しさが表れていた。
全員が棗を勇者として崇め、
ペロを診てくれる医師は周りに人がいない時だけ"棗ちゃん"と呼んでいる。科学を信じ、それに基づく医学を重んじる医師にとっては、棗を勇者として崇拝するみんなの考え方とは反りが合わなかったため、敢えてそう呼んでいる。
『――祈っただけで病気や怪我が治るなら医学の道はこんなに険しくないよ』
医師はそう言った。守り神や海の神への信仰心など微塵も持たない彼は棗を様付けして崇拝などしない。しかし、それでも棗を
様付けや敬語で話さないだけで、結局は医師の棗に対する態度はみんなと同じなのだ。
――そして時が流れたある日。
「ナツメ。今日も海に行くのか?」
「ああ。ペロはどうだ?」
「いつもどおり一緒に行くさ、当然だろ。また魚を獲ってきてくれ」
ペロが食べた野菜の中に偶然にも"勇者の野菜"が入っていたらしくペロは人の言葉を話せるようになった。
「
「護衛ではない」
ペロが話せるようになったことをクラスメイトも医師も目玉が飛び出るほど驚いていたが、数日経てば最初からそうであったかのように接してくれた。
「古波蔵様……か。もう名前ですら呼んでくれなくなったな」
「あ……ははは。棗様と呼んでいるとつい昔の癖で『なっち』って呼んでしまいそうだから……ぁです」
「……。そうか」
ペロはそのぎこちない二人のやりとりを黙ったまま見ていた。クラスメイトから呼ばれる度に、棗の表情が陰るのをペロは何度も見てきた。二人の関係は、"勇者"と"人間"という枠組みで構成され、これ以上その枠組みが近付くことはないのだろう。
そしてまた時が経ち、棗の側に立ってくれる者が現れた――。
「――同い年なのねっ。アタシは犬吠埼風。よろしく」
「――あっ……。えと、犬吠埼樹、です……」
棗と歳が同じで
この姉妹は"
棗とペロは犬吠埼姉妹と協力してバーテックスを撃退し、さらには天竜人が開催したオークションも中止にさせた。
天竜人が樹の作った糸のトラップに引っ掛かり転んで擦り傷を負い、そのせいで"四勇"土居球子を呼ばれるという非常事態に陥ったが、何とか逃げ切れた。
その時の棗の表情は見るからに嬉しそうだった。ペロもやっと同世代で棗を一人の友として見てくれる人間ができたので安堵した。
別れはお互いに惜しい気持ちでいっぱいだったのもよく憶えている。
「ナツメ。あの姉妹と共に行きたかっただろう」
「風と樹にも"一緒に来ないか"と言われた。だが、私は残ると答えた。ペロやみんなを残してはいけない。ここで全てが終わるまで戦い続ける」
棗は寂しくも強い覚悟を持って言葉にした。
(あの姉妹を見送った日も……夕焼けが綺麗な海岸線だったな)
――棗とペロは互いに今までの思い出を話し合った。どれだけ時間が経ったのかは分からない。随分と長い時間話していたような気もするし短かった気もする。
「ナツメ。気付いていると思うが俺はもう永くない」
ペロは自分の身体のことを単刀直入に話した。今は"勇者の野菜"を食べているからこそ今日に至るまで延命できているのだが、日に日に体力と記憶力も乏しくなってきている。
オークションで競売品となっていた棗のクラスメイトも、言われるまで忘れてしまっていた。
さらに今ではもう、風と樹の顔も思い出せない。
「俺の身体にはまだ天竜人に撃たれた弾痕が残っている。あのボディガードからもらった攻撃も癒えていない。……もう限界なんだ」
ペロ自身、早くて数日。遅くとも1ヶ月の命だということは分かっている。
先が視えているのなら、棗のために。今、ここで……。
「もう……私のそばには居てくれないのか……。居て欲しい時に……居てくれないのか……」
棗は寂しく呟く。その表情は昔見た孤独に怯えた表情だった。
出会ったあの頃から、ペロはずっとそばにいてくれた。話すのが苦手でみんなに揶揄われた時も。ひとり海に漂っていた時も。勇者になった時も。バーテックスと戦っていた時も。
――ペロがいてくれたから、棗は…………。
「また私は……独りになるのか……」
「独りではない。ナツメ、ゆガラにはもう……支え合える友がいる。これから先も出会うことができる。あの姉妹にもまた会える……!」
ペロは両脚に軽く力を入れて棗に飛び掛かった。
棗はペロを抱き止めたが、反動で尻餅をついて砂浜に座り込む。
「俺は思う。ウタノたちこそが……世界を"本当の夜明け"へと導く者たちだ……! そこにナツメもいるんだ……!」
「私が歌野……たちと共に……?」
「ああそうだ。俺は自分の命の終わりと共に予感していた……‼︎ 今、このタイミングでウタノたちが来たその意味を……! 彼女たちと共に生きることが、ナツメにとってどれ程に意味のある事か……いずれわかる!!!」
包帯だらけの痛々しい身体に鞭打ってペロは力を入れて棗へ語りかける。
「ハァ……ハァ……。ぐッ……ハァ、ハァ……」
呼吸が荒くなっている。痛みを必死に耐えているのだろう。……最期の言葉を棗に言うために。
「……"野菜"を食べて。力を手に入れて、人の言葉を話せるようになって……本当によかった……」
「ペロ……」
「ナツメに、きちんと想いを……告げることが出来るからな……」
抱きしめている手が少しだけ強くなったのをペロは確かに感じた。それもまた嬉しかった。
「コハグラナツメ。……今まで大事に育ててくれてありがとう…………」
棗にしっかり伝わるように、彼女の左頬に自分の左頬をピタッとくっつけると、ペロは伝えたかった言葉を、想いを込めて口にする。
「かなさんどー」
そして最期に、棗の頬をペロっとなめてから……ゆっくりと瞳を閉じて生涯の幕を眠りと共に落とす。
――少しだけ、潮の味がした。
次でサウスジャパン編は最後になります。
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