白鳥歌野は農業王になる   作:amorphous

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拙稿ですがよろしくお願いします。他に影響を与えることがどれだけ恐ろしいかを学びましょう。


前回あらすじではない
若葉「友奈……。千景……。球子、杏……。何だ私は……っ。……仲間ひとりも"ぉ…………救えな''い"……っ‼︎」



第七十七話 一騎討ち

 

 ――彼女たちには手も足も出なかった。自分たちの力ではどうする事も出来なかった。

 

 歌野が出した"逃げろ"という指示も結局のところ果たされず。現状は惨憺たる光景。

 一度歌野が出した撤退命令も機能しておらず、全員ここからの離脱に失敗する。

 戦いの中で『逃げる』という行為は『戦う』こと以上に難しい。

 敵に背を向けて逃走を図るには、ある意味戦い続ける事よりもシビアなのだ。それを戦いにすらならなかった相手に対して出来るはずもない。

 

 ……故に今、歌野たちは逃げられずに絶望の淵に立たされている。

 

 

「――仲間ひとりも"ぉ…………救えな''い"……っ‼︎」

 

 

 ――精一杯守ろうとした。足掻こうとした。逃げようとした。

 

 どれも通用しなかった。

 伊予島杏をはじめとする彼女たちへまともなダメージを与えられず、ただ蹂躙されるだけ。

 心と体が悲鳴を上げ、これ以上の活動は不可能だと危険信号を送る。

 

 ……だが、自分の状態の事は一切気にしていない。

 歌野が嘆き苦しんでいる理由はただひとつ……。

 

 

 ――誰も助けられなかったこと。

 

 

「歌野ッ!!!」

 

 その微かに漏れた慟哭を耳にした芽吹は歌野の意識の糸が切れないように必死で呼びかける。

 

「しっかりしなさいよ‼︎ 貴女がそれでどうするの⁉︎ ……聞こえてるのッ⁉︎」

「…………」

 

 その言葉が聞こえたのか、痙攣していた歌野の身体が止まる。

 だが返答は無い。

 

「くっ……」

 

 芽吹は走り出した。しかしその方向は歌野でも無ければパシフィスタでもない。

 

(……芽吹?)

 

 蓮華は辛うじて目線だけ上げると芽吹がこちらへ走ってくるのが分かった。

 

「これ……借りるわよ」

 

 蓮華の武器である精霊刀(ソウルソリッド)を手に取る。

 

「軽……」

「芽吹、それは……」

 

 一枚の新聞紙を丸めて作ったのかと疑いたくなるくらい軽く、持っている感覚がない。

 

 蓮華の能力である『カネカネの野菜』は蓮華自身が扱うからこそ効力を発揮する。

 芽吹が手にしたところでそれはただの細長い棒でしかない。

 

三十六(サンジュウロク)煩悩鳳(ポンドホウ)!」

 

 しかし構わず振るった。

 元の威力には到底及ばないがそれでも目的を果たす分には充分だ。

 

「きゃっ……!」

 

 放たれた飛ぶ斬撃はそのまま一直線に歌野へ向かっていき彼女の足元へ命中した。

 

「アイツ……仲間を氷の拘束から助けたのか」

 

 歌野の足と地面を固着させていた氷を砕く。その反動で歌野はバランスを失い尻餅を付くがこれで氷から解放された。

 少しでも精度が狂えば凍っている歌野の足を砕き割るところだったが、芽吹は器用に地面と足との境界を狙って割った。

 

「私の刀じゃ、威力が強くて無理だったわね」

 

 芽吹は武器を置くと倒れている歌野に駆け寄った。

 歌野は弱々しい目で彼女を見る。いつもの彼女とはまるで違ったものだ。

 

「歌野……周りをよく見て」

「まわり……?」

 

 言われるままに周りを見る。地面に倒れている仲間たちの姿や、こちらを見ている杏とNo.3。そしてパシフィスタとその腕に囚われている水都がいた。

 水都の表情は今の歌野と大差無い程に重く暗い。それを見る度に更に歌野の胸は苦しくなる。

 

「私の今までは、何だったのかしらね……。誰ひとり守れなかっ――」

「守れなかった? ()()何も失ってないわよ! 歌野」

「……っ」

 

 自分の無力さを呪う歌野の頬を、芽吹は軽く触れる。

 

「このまま終わりにしないで。……貴女が望むなら囮にもなるわ。逃げる事だって厭わないわ。戦いもするわ。何だってやってやるわよ。だからそんな顔しないで」

「どう……して……?」

 

 触れた頬に少しだけ力を入れてつねる。この状況で芽吹の瞳にまだ光が灯っているのが不思議だった。

 

「私には夢があるから。越えたい相手がいるから。貴女と農業したいから。こんなところでは終われないの。諦めたくないの」

「え……?」

 

 頬から離れた手はそのまま歌野の襟を掴む。

 

「でも仲間ひとりも守れずに己の夢も野心も無いわよね。だからその為なら多少のプライドは捨ててやる。みっともなく足掻いてやる」

 

 芽吹は手に力を込めて歌野を引っ張り上げて無理やり立たせた。

 

「だから貴女も、もう少し踏ん張ってみせなさい‼︎ 足掻いてみせなさい。――"農業王"‼︎」

「……ッ‼︎」

 

 その時、歌野は雷に打たれたような衝撃を感じた。と同時に、その瞳に芽吹と同様に光が宿る。

 

「芽吹……ありがと」

「違うでしょ? そこは『サンキュー』って言うんじゃなかった? ()()()()貴女なら」

 

 コツンと額を小突いて微笑む。

 

「……ええっ。サンキュー芽吹。……もう少しみっともなく足掻くわ。エブリワンを助ける為に!」

 

 芽吹が手を離すと歌野は自分の両足だけで身体を支えて立つ。まだ杏に凍らされた部分はじんじんと痛むが歯を食いしばり堪える。

 

 

 

 ――しかしその瞬間、芽吹の姿が目の前から消える。

 

「――ッ!!!?」

「芽吹‼︎」

 

 芽吹は目の前が歌野から急にパシフィスタに変わり、すぐに自分の身体が奪われたのだと理解する。

 

「楠さ……」

 

 水都が微かに呼ぶ声と同時に、無防備な身体へパシフィスタが持っていた片方の斧が振るわれる。

 

「ぐあああああァァ……ッ‼︎」

 

 横腹に斧の刃がめり込み、右側の肋骨が砕けるのを感じながら吹っ飛ばされる。

 

「……ぅぐっ! がはぁあ‼︎」

 

 そのまま頭から地面へ落下し、数メートル転がっていった。

 

「呑気に敵の前で話すなよな」

 

 そう言いながらNo.3は少し意外に思っていた。彼女にとって芽吹がそんな行動を取るイメージが無かったからだ。

 ……少なくとも芽吹が防人として活動していた時は。

 

(今はそんなの関係ねェか)

 

 そんな考えはすぐに捨てて芽吹たちへ話す。

 

白鳥歌野(そいつ)の指示が出た瞬間、てめェらは逃げるべきだった。何も考えず、出遅れた奴らを切り捨てて」

 

 だがそうしなかった。いや、出来なかったと言うべきか。故に語りかけているのは事実上、芽吹に対してだ。

 

(まんまと絆されやがって)

 

「だから死ぬんだ。……"勇者(てめェら)"は」

 

 とどめを刺す為に倒れている彼女たちの元へ歩いていく。

 

 だが目の前に歌野が立ち両手を広げる。

 

「どけよ」

 

 思いっきり突き飛ばすと抵抗無く倒れ込んだ。

 

「ウッ……」

「じゃあまずてめェからとどめといくか」

 

 ふらふらとよろけながらも立ち上がる。

 

「どうしても……みーちゃんを……連れて行くの……?」

「その為に私達は来ました」

 

 杏も歌野の前に歩いて来てそう答える。

 

「何故……みーちゃんなの?」

 

 杏の言う奉火祭が何かは分からないが、その対象者が水都である理由も分からない。

 

「そうですね。……それならば話してもよいかと」

 

 杏はNo.3と歌野の間に入り、説明を始めた。

 

「ある"巨大な敵"の怒りを鎮める為、今回の奉火祭は行われます。その対象者となる少女"達"は、事前に大社側で決められていました。……ですが数日前、進化体バーテックスが()()()()()()()()討伐されたという情報が入ったのです」

 

 杏が言っているのは双子座バーテックスの事だろう。あの二体一対の進化体は最期、水都を庇って死んだのだ。

 

 そしてそれを知った大社上層部は、進化体が身を挺するほど水都に入れ込んでいたと結論付けた。

 その水都を奉火祭の生贄として"巨大な敵"に捧げれば、その怒りの溜飲を下げられると仮定した。

 

「勿論100パーセントではありませんが、現状最も確率が高いと判断されたのです」

 

 それを歌野と芽吹、そして水都は黙って聞いていた。直接関わったこの三人がどんな気持ちでそれを聞いていたかは分からないが。

 

「その奉火祭自体がまだよく分からないけど、みーちゃんを奪う理由は分かったわ」

「納得したか? じゃあこいつは貰っていくぞ」

「バット! それでみーちゃんを連れて行く事にイエスなんて言えないっ」

 

 歌野は拳を握り締める。

 

「伊予島さん‼︎ 白鳥(ホワイトスワン)農業組合(のうぎょうくみあい)のリーダーとしてリクエストがあるのっ」

 

 歌野はそう言うと両膝を付いて頭を下げた。

 

「みーちゃんを賭けて……っ。私と一騎討ちをしてほしいっ‼︎」

 

 下げた頭をすぐに上げ、杏を睨むように見据える。

 

「え……っ」

「はあァ?」

 

 目の前で聞いていた杏とNo.3はその願いにハテナが浮かぶ。

 

「この状況で一騎討ちとか分かって言ってんのかァ⁉︎」

 

 No.3の言う事はもっともだ。歌野と芽吹以外は戦闘不能であり、二人も満身創痍。

 あとは杏かNo.3のどちらかがとどめを刺せば水都を連れて帰ってそれで終わりだ。

 わざわざ一騎討ちを受ける必要など無い。

 

 ……だが杏はその意図が分かっていた。

 

「承りました。その一騎討ち、私がお相手します」

「あ、あぁん?」

 

 杏がその提案に即決した事を当然No.3は反対する。

 

「そんな必要ねェだろ。あとは俺が片付けてやるから……」

「私達は藤森水都さんを奪いに来たんですよ? それなのに彼女たちへ何の筋も通さずにいるつもりですか?」

「何言いだすんだ」

 

 杏はNo.3と水都を一瞥したあと、改めて歌野に向き直る。

 

「私達は略奪者では無いんです。双方納得のいく方法があるのならばそれが一番です」

 

 杏は歌野の想いを汲んで一騎討ちを受けるつもりのようだ。歌野が何を考えているか察しがついたうえで。

 

「双方納得? 今更だな。交渉で済むんならハナからそうしてるだろうが」

 

 確かにこのタイミングで一騎討ちなど杏側にはメリットは無い。

 それでも杏は歌野の提案に乗る事で、これ以上誰かが傷付くのを避けたかった。

 

「ここで白鳥歌野さんの意向を無視して藤森水都さんを連れて行ったり、他の人に手を出したりすれば恥をかくのは私達です」

「恥ィ……? そんなもんに拘って何の意味になんだよ」

 

 No.3は構わず歌野に攻撃しようと手を前に出そうとするが、それを杏が阻んだ。

 

「この御役目を任されたのは私です。そして貴女はその補助を任されただけの筈です。なのでここは私の指示に従ってください」

「……ちっ」

 

 杏の言う通り、大社上層部からの命令を受けたのは杏だ。そしてNo.3とパシフィスタはその手助けを任されたに過ぎない。

 

 No.3は渋々引き下がった。

 

「白鳥歌野さん。それでいいですか」

 

 そして歌野と杏の一騎討ちが成立する。

 

 これは歌野が杏の人柄を見抜いて提案してきた後生の頼みだ。そして杏はそれを受け取った。

 

「ふふっ♪ ビーグレイトフルだわ。やっぱり貴女はいい人ね」

 

 歌野はニッコリと微笑んだ。

 

「まさか……手ェ抜いて敗ける気じゃねェだろうな?」

「しません。それは白鳥歌野さんへの失礼に値しますから」

 

 すると、杏は歌野の横に氷で車輪付きの担架を作り出した。

 

「一騎討ちを受けた以上、この戦いに他の皆さんは立ち入れません。これに乗せて移動をお願いします」

 

 氷の担架は詰めれば四人は乗せられるスペースがある。

 

「芽吹っ。動けるっ?」

「なん……とか、ね」

「……この蓮華も、動けるわよ」

 

 パシフィスタに受けた痛烈なダメージが治っていないが、口元についた血を拭き取りながら辛うじて立ち上がる。また、蓮華もゆっくりと起き上がった。

 そして歌野は雪花を、芽吹と蓮華は友奈二人を乗せて担架の車輪を転がして運ぶ。

 

「エブリワンをお願いね」

「……歌野、そっちは頼んだわよ?」

「…………うん」

 

 そう小さな声で返事をして歌野と芽吹、蓮華は別れる。

 

「……この三人どうする?」

「友奈二人が危ないわ。とりあえずこの辺りに水辺が無いか探すの。そこでゆっくりと氷を溶かしましょう」

 

 

 歌野は二人を見送ると、真剣な顔付きになって杏へ向き直る。

 

「さぁ! 行くわよっ‼︎」

「……すぐ終わらせますね」

 

 目を閉じて、杏は集中力を高める――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――すぐ近くに池を見つけ、そこに氷の担架ごと三人を放り込んだ。

 水中の温度により身体を覆う氷はみるみるうちに溶けていく。

 

「ぶっっはああ! 氷が溶けていく。た、助かった〜」

「た……助けてくれてありがとう……って言いたいんだけど、あの……意識失ってる私たちを水の中に放り込むのはもうやめてね?」

 

 目を覚ました三人のうち、友奈二人は皮肉混じりに感謝を述べる。

 

「勇者でしょ? それぐらい耐えなさい」

「芽吹ちゃん! 勇者は不死身じゃないんだよ⁉︎」

 

 芽吹と結城友奈のやりとりを横目に、雪花は歌野たちの事を食い気味に聞く。

 

「……歌野は‼︎ 水都ちゃんは‼︎ あのあとどうしたのッ⁉︎」

「「歌野と水都はまだ向こうよ」」

 

 その問いに芽吹と蓮華が同時に答えた。

 

「はぁあ⁉︎ なんで?」

「一騎討ちがしたいって言ってたわね」

「水都を賭けてね……」

 

 それを聞いた雪花は怒りをあらわにする。

 

「一騎討ち? 馬鹿じゃないの‼︎ それであいつらのところに二人置き去りにして来たのッ⁉︎」

「リーダー命令よ、仕方無いじゃない」

「何さそれっ! いくらリーダー命令でもそりゃ無いでしょ⁉︎ 薄情過ぎじゃないのさ‼︎」

 

 すると芽吹が雪花の胸ぐらを強く掴んで叫んだ。

 

「黙りなさい‼︎ "一騎討ち"なのよ⁉︎ この意味が分からない貴女じゃ無いでしょ!!!」

「落ち着きなさい芽吹‼︎」

「ウッ……ゲホッ、ゲホッ」

 

 叫んだ芽吹だがすぐに胸を押さえて苦しむ。彼女の怪我も尋常では無い筈だが今に至るまで必死に耐えていた。

 

「せ、雪花……今私たちはね。"瀬戸際"に立たされているのよ」

 

 激痛に苛まれてもなお、雪花への叱咤を続ける。

 

「あの決断が……ッ、歌野の気まぐれだろうと何だろうと、"もしも"の時はそれに応えるだけの腹を括っておきなさいッ」

 

 それだけ告げると、力無く地面に疼くまった。

 

「…………くっ」

 

 雪花は悔しそうに唇を噛み拳を強く握り締める。

 どちらからも血が滲んでいた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――杏の攻撃を食らい続けていた歌野の身体は三割近くは凍り付いていた。

 歌野の疲労や直前まで足を凍らされていた事を踏まえると、動きが鈍るのも無理はない。

 

「ハァ……ハァ……」

「やはり貴女は変わり者ですね」

「ムチムチの〜〜攻城砲(キャノン)ーーッ!!!」

「カマクラ」

 

 即座に地面からカマクラを形成させて防御する。

 

「割れ……てぇええ!」

 

 歌野の一撃でカマクラに僅かなヒビが入った。

 

「……! まだこれだけの力が」

 

 杏はカマクラから出るとクロスボウを向けて矢を放つ。

 

「ムチムチの暴風雨(ストーム)‼︎」

 

 ベルトを高速に回転させて竜巻を引き起こす事で、放たれた矢を弾き飛ばした。

 そしてその勢いのまま杏にベルトを伸ばす。

 

「アンド〜〜。ムチムチの予測不可能な(イレギュラー)(ピストル)!!!」

「ーーッ⁉︎」

 

 風圧により更に軌道を複雑にさせながら飛んでくる攻撃に、杏は対応出来ずにその顔に直撃して叩き飛ばされた。

 

「ハァハァハァ……。やっ……たわ。……攻撃がやっとヒットした……わ」

 

 歌野の渾身の一撃は初めて杏の右頬を捉えてはたき飛ばした。

 

 ――パリン

 

「……えっ」

 

 起き上がった杏の顔には亀裂が入っていた。

 

「流石です……。私の"氷の鎧"を砕くとは……」

 

 見ると、杏の顔が剥がれ落ち、その下に本当の顔が露わになった。

 彼女はこの戦闘に入る前から自身の身体に薄い氷の膜を覆わせていたのだ。そのおかげで自身の素肌は無傷だった。

 

「そんなウィークな氷の膜で私の攻撃を防いだ……っ?」

「確かに薄い膜でしたけど、私はそこに"武装色"を纏わせていたんです。そうすれば厚くしなくても自分の身を守るには充分な鎧に変わります」

 

 身体全体を覆う氷と"武装色の勇気"とを併用させる事で歌野の攻撃をノーダメージで防いだ。脅威の硬さである。

 

「リアリー? じゃあどうして今までは避けてたの?」

「一回剥がされると戦闘中に再構築できませんので。……それにこの一撃で()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 そう言って歌野の両手を見ると、力無くぶら下げた状態で痙攣している事が分かる。

 

「氷の盾を破壊した時、貴女は相当無理をした。そのまま疲労が頂点に達してもまだ戦い続け、遂には限界を迎えた」

 

 歌野の繰り出す"予測不可能な攻撃"は流石の杏も回避出来なかったようだ。だが、歌野の腕はその一回で武器を振るえなくなってしまった。

 

 カマクラにヒビを入れ、杏の頬に一撃を入れたその功績に見合うだけの代償だったのだ。

 

 ……たったそれだけの為に払った代償だった。

 

「貴女の可能性はとても素晴らしいものでした。……その返礼として私も"覚醒フォルム"で幕を閉じましょう」

 

 意味ありげな事を言い、杏は目を閉じる。そして身体全体に蓄えていたエネルギーを一気に解放する。

 

「――ッうわあ⁉︎」

 

 刹那、杏の後方に紫羅欄花の大輪が投影され咲き誇る――。

 

「これが私の能力、『雪女郎』の覚醒フォルムです。そしてその出力は更に上昇し、先程言われたように()()()()()()()()()

 

 杏自身の装束も白色味のある薄紫をした、厚着の衣を纏いて凛と佇む。

 その姿は、とても美しく儚げで……少し恐怖を感じた。

 

 彼女の背中から見える真っ白な"羽衣"がまた、一層人間らしさを喪失させているようだ。

 

氷河時代(アイスエイジ)

 

 杏は身動きひとつせず、ただそう呟くと歌野の身体が徐々に動かなくなっていった。

 

「こ……これは……っ。身体が……」

「今、貴女の周りにある空間を凍らせました。その結果、貴女は動く事が出来ずにいるんです」

 

 凍らせる対象に触れていた今までとは違う。杏は一切触れる事なく歌野の周囲の空間を凍らせたのだ。

 

 ――これが、"他に影響を与える"という『勇者の野菜』の"覚醒"。

 

 そして手も足もまったく動かせない歌野にゆっくりと近付いていき、そっと抱きしめた。

 

「アイスタイム」

「…………う……ぁあ……」

 

 遠隔では完全に凍らせられなかった歌野を、直接触れる事により数秒で全身凍結させた。

 

「さて……終わりましたね」

 

 すると装束は元に戻り、周りの空気も元の温度に戻っていく。

 

「う……た…………」

 

 水都はこの一騎討ちの最中、ひと言も喋れないままだった。困惑、恐怖、絶望感。あらゆる負の感情が水都の声を殺し光を閉ざしていた。

 

「いや……だよ……。うたの……ん……。死んじゃ……やだよ……」

 

 目の前の光景を見て、水都の涙は止まる事なく溢れ続けていた。

 

「大丈夫です。今は仮死状態なのでゆっくり解凍すれば死にません。……体は割れやすくなって危険ですが」

 

 杏は水都の元へ歩き寄るとポケットから一台のスマートフォンを取り出した。

 

「約束通り、勝った私達は貴女を連れて行きます。……ですがこのまま言葉も無くお別れというのも酷です」

 

 渡されたスマートフォンを見て、水都はそれが音携帯(トーンダイアル)だと分かった。

 

「それ……音携帯(トーンダイアル)

「ご存知でしたか。()()()()()()()()ものでして、貴女の声をそのままの音質で記録出来るそうです」

 

 ここまでくれば、これを渡された意図にも気付く。

 

 パシフィスタの拘束から解かれた水都は少し離れて携帯(ダイアル)の側面のボタンを押して録音を開始する。

 

 

「……………………」

 

 

 そして水都は歌野へのメッセージを残す。

 

 

 これが今生の別れになるかもしれないのだから。

 

 




・覚醒:能力を極限まで鍛えている者が稀に到達する境地。原則として能力が他に影響を与える。単純に出力も上昇する。また、覚醒フォルムと呼ばれる形態は自身の装束が変化し、背中に羽衣が出現する。


 これが勇者が能力を覚醒させた場合。……そういえば勇者以外にも『勇者の野菜』の能力を使う奴らがいるけど、じゃあソイツらが覚醒した場合もそうなるのか……?


 予想してみてください。


次回 崩れたものをもう一度
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