私の親友は死んだ。
私たちは幼い頃から一緒に育ってきた。
同じ病院で産まれ、隣の家で育ち、同じ学校に入った。
私たちは、ウマ娘だった。
人とは違って頭の上に耳を持ち、人類が退化させた尻尾を持つ。
何より違うのは、その身体能力。
人が車に乗って出せるような速度で走り、人よりも遥かに強い力を持つ。
道路にはウマ娘の専用レーンさえ用意されているのだ。
私達は走ることが大好きだ。ウマ娘という種族に遺伝子レベルで刻み付けられた走りたいという本能。
その欲求に従い、競技として、大衆の娯楽としてレースをする。
私たちは強くありたかった。
必死に走り、勉強をして、国内最高の設備が整う日本ウマ娘トレーニングセンター学園に私たちは入学した。
寮に入った私たちはそこでも同室で、寮長に怒られるまで笑いあった。
入学してから数か月が経った。
私の親友は事故で死んだ。
歩道で転んだ子供を助けていたら、居眠り運転のトラックがそこに突っ込んできたという。
その子の家族もお母さんしか助からなかったと聞いた。
二人の子供とそのお父さんに巻き添えになって、優しかった私の親友は壁の染みになった。
……死体が入った棺桶は、顔の部分が開いていなかった。
酷く遺体は損傷していたらしくて、
朝、眠っていた彼女を見たのが私の記憶に残る最後の姿だった。
私は彼女の家にいる。
彼女が数か月前まで過ごしていた部屋で、ぼんやりと夕日を浴びながら三角座りをしていた。
トレセン学園の寮の部屋よりも、彼女を感じることができた。
スペースが無くて家に置いてきたと言っていた、緑のクリーム色のギター。
それに、私の左耳のピアスが反射して映った。
事故に遭ったという話を聞いて、葬式に参列しても得られなかった実感が一気に私に襲い掛かってきた。
この時までとうとう流れなかった涙が、床一面を満たして扉さえ開かなくなるかもというほど、泣いた。
暗くなる前には帰らないといけない。
涙が収まったころ、私はようやく門限の存在を思い出した。
まだ十分間に合うが、これ以上感傷に浸っていられるほどの余裕はない。急いで家を出ようと、準備をした。
線香を改めて一本立てて、家を出ようとしたときに親友の母から呼び止められた。
「あの子が、いつも大切にしてたの……貴方と、一緒に買ったんだって言って……」
震えながらゆっくりと手を開いて見せてきたのは青色のピアス。
私が左につけている赤色の物と対になっていて、二人でよく吟味してから奮発して買ったものだった。
「私はてっきり、事故で失くなってしまったのかと……」
でも、良かった。あったんだ。
それは、お母さんが大切に持っていてください。お願いします。
私は彼女との別れを受け入れたから。断ろうとした。
"あなたが付けて走って。娘と一緒に"
『私と一緒に、G1走ろうよ。負けないからね!』
呪いのように足元に絡みつく言葉が、私の事を囚えて離さない。
思い出の中の彼女が、私に語り掛けてくる。
"一緒に走って"
私は右耳に、青のピアスを付けた。
それから、私は寂しくなった一人の部屋に戻り、来るレースへの特訓を始めていた。
一週間、二週間、一ヶ月もすると、初めてのレースがやってきた。
私は元の走り方から、いつの間にか大きく変わった走り方になっていた。
脚質は先行から差しに。ピッチ走法からストライド走法に。
短距離から、中距離に。
完璧なメイクデビューを決めてから、私は着々と勝ちを積み重ねていった。
デビューから二年目。
私はG1ウマ娘となった。
新入生が入ってきて、後輩ができた。
私の部屋に新しい後輩を入れることを寮長はとても申し訳なさそうにしていたが、もうそろそろ一年が経つ。
それに、彼女は私と共にいる。
後輩のレンギオラスが同室になった。
♢
傾いては来ているが、まだまだ地平線に沈む様子を夕日は見せない。
橙色の光が、私と先輩を包み込んでいた。
ベンチに座り込んで、私たちは一日の終わりを全身の暖かさと倦怠感で受け取っていた。
私は、ふと気になっていたことをこの機会に聞くことにした。
「―――先輩。先輩は、本当に強いです。とてつもない急成長を遂げて、重賞を制覇して……なんで、先輩はそんなに強いんですか?」
ベンチに深く腰掛けて、弛緩し切った身体を後ろに投げ出した先輩が起き上がる。
「うんしょ。んー……ギオラ、ちょっと重い話になるけれど、先輩のお話に付き合っておくれよ」
先輩の口から話されたのは、この人の両耳に輝く象徴的な存在のピアスにまつわる切ない話だった。
「それで、これがそのピアス。親友からの最後の贈り物……と捉えるのはちょっと詩的かな?」
照れくさそうに笑った先輩が見せてきたピアスは夕日でとても輝いて見えて、ラピスラズリの深い海色に吸い込まれそうになった。
私はその美しさに思わず見入ってしまっていた。
「そんなに気になる?……いいよ、手に取って見ても」
その言葉に甘んじて、受け取った青色を両手で丁寧に扱って夕日に当ててみる。
一分ほど様々な角度から味わった後、困ったような顔に気づいて慌てて返した。
「なんか、センチメンタルな気分になっちゃったね。走ってくる」
それに、ギオラって忘れっぽいし何か用事を忘れてたりしない?
思い返してみると、確かに今日の放課後に教科担当の先生に提出するはずだった課題を出し忘れていたことに気づいた。
「あわわわわ……放課後出す予定だった補習課題のプリント、すっかり忘れてました!」
「んふふ、ほらね?頑張りなさい」
ひらひらと手を後ろに振って、第二のトレードマークであるレモネードの缶をゴミ箱に投げ捨てた先輩は学園の外へと走り出していった。
はぁ、と一つ溜息をつき、立ち上がって下を見ながら歩き始めたとき、きらりと光るものが目についた。
何かと思い近づいて見てみると、それはあの青のピアスだった。
外したばかりだったので、留めが不十分で落ちてしまったのだろうか。
追いかけようと思い、先輩の行った方を見たがもう影も形もない。
しょうがない、帰って来てから渡そう。
僅かに背筋を伝う罪悪感から目をそらし、私はそれをポケットに仕舞い込んだ。
心の中の感情から逃げるように、私はプリントを取りに部屋へと走り出した。
プリントを渡したのはいいものの、他の先生にも捕まってだいぶ時間を使ってしまった後部屋に戻った私は、ポケットの感触をまさぐった。
出てきたのは、青色の綺麗な宝石が輝くピアス。
「あれ、こんなのどこで拾ったんだっけ?」
今日のうちに拾ったであろうことは間違いないのだが、それがどこで、いつなのかは思い出せない。
まぁ、いいか。そのうちに思い出すだろう。
私はそれを机の小物入れに仕舞い込み、それきり記憶の彼方へと飛んで行ってしまった。
♢
無い。ピアスが無い。
私がそれに気づいたのはトレセン学園から5kmほど走った時だった。
左耳からはピアスが揺れる感触が伝わってくるのに、右耳からはしない。
疲労が如実に感じられてて、無心になってきてようやくそれに気づいた。
外した後、確かに付け直したはず。
何回も右耳を触り、ポケットの中も確認した。
だけど、見つからない。
走っている途中で落としたのかもしれないと、そう思って何回も通った道を探し回った。
地面の溝も、ベンチの下も、草むらの中も。
門限ギリギリまで探し続けていたが、とうとう諦めるしかなかった。
とぼとぼと部屋に帰る。
ドアを開けて、後輩の顔を見たときに気づいた。
レンギオラスが拾ったのではないか。
そうなら説明がつく。
飛びつくように近づいて、必死に聞いてみたけれど。
先輩が付けて走っていきましたよね?と言われて、私はこくとベッドに倒れることしかできなかった。
それから私は、酷く調子を崩し始めた。
練習に身が入らないという程度の話ではなく、私の全てが揺らいだような感覚だった。
ペース配分が上手くできない。
末脚が上がらない。
以前の私と、ピアスを付けてからの私がごちゃ混ぜになって、狂ったようになってしまったのだ。
当然、レースに勝てない。
G1はおろか、重賞を取ることすら危うくなってしまった。
それでも、私を応援してくれる人たちがいた。
ファン投票で出走が決まるレース―――有馬記念。
私は、それに出ることを決めたのだ。
「───先輩!トレセン、辞めるって……本当なんですか」
「うん。本当だよ」
酷く困惑した顔でレンギオラスが話しかけてくるが、全く人が悪い。
私がここを辞めるなんて、容易に想像できることだろうに。
結局、有馬記念でも大きく離されて最下位。
トレーナーのキャリアにも傷を付けてしまうし、ここですっぱり引退したほうが、収まりがつく。
「でも……」
思ってくれるのは嬉しいが、それはそれだ。
もう自主退学の意志も提示してあるし、今更どうこうするつもりもない。
「これまで応援してくれて、ありがとね」
でも、一つ心残りがあるとするならば。
あのピアスは、何処へ行ってしまったんだろうか。
「ねぇ、ギオラ。きっと、強いウマ娘になってね」
左耳からピアスを外し、彼女の手の中にそっと包み込む。
「約束、だよ」
「はい。私も、先輩のように強いウマ娘になります―――!」
私は、彼女に向かって微笑んだ。
♢
それから2年が経とうとしていた。
私は飲食店でバイトをしたり、何個かを掛け持ちすることでギリギリではあるが人並みの生活を送れていた。
ギオラは私に言った通り着々と戦績を積み上げているようで、先日はG1にも勝利したらしい。
先輩として鼻が高かったが、まだ彼女のレースは見れていなかった。
それを恐怖心もあったし、嫉妬の感情も含んでいた。
だけれど何より大きかったのは、私の再来だとネットで騒がれている彼女に、黒い感情を抱いていることを自覚したくなかったからだ。
所詮、彼女は私の後追いだ、なんて。
そんな感情、嘘だと分かっているのに。
だから、その心と決別することにした。
私にとってもターニングポイントである、有馬記念。
彼女がそれに勝てば、私は自分の生き方を取り戻せるはずだ。
そして、今日がそのレース。
お気に入りのクランベリージュースをグラスに注ぎ、テレビをつけた。
映像が私の目に飛び込んできた途端。
手からグラスが滑り落ちた。
こちらに向かって笑顔で手を振っている彼女の両耳には赤と青の―――
一組のピアスが煌めいていた。