諦め猫熊はかく語りき 作:幽
吾輩は、人間である。名前は、スパンダム。この名前を聞いて、ピンとくる人間は多いだろう。何故なら、この名前は某有名海賊漫画に出て来る人物の名前だからだ。おまけに、ものすごい小悪党の。
幼いころからあるぼやけた記憶は、自分には俗に言う前世、なんてものがあることを示した。
その知識で、この世界の大本の事情を把握したとき、何よりも思ったのはどうやってこのストーリーに関わらないかということだった。
止められる悲劇は確かに多いが、自分の命が何よりも最優先だ。それに、おぼろげな記憶の中でもスパンダムという存在の末路は碌なものではなかったはずだ。
そう思って、足掻いたはずが。ものの見事にそんな足掻きはくじかれた。
親のコネで世界政府に勤め、CP5に入局、そしていつの間にかCP9なんてものの長官にまで登りついていた。
おまけに、自分は望んでいなかったというのに、部下の余計な気回しによって顔は鉄板で固定されるという過去もしっかりと通ってきてしまっているのだ。
ため息を吐きそうだ。いや、この世界の神様に唾でも吐いてやりたい気分だった。
おまけに、何故か前世と同じ女の性で生まれている。性別も変わっているのなら、スパンダム自体が筋書から遠のいてもいいだろうに。
といっても、男装をして女であることを偽っているのなら事実として変わりはないのかもしれないが。
(・・・・というか、いくら男装してるといっても気づかれない程度の貧相な体に嘆きゃあいいのか。)
「・・・・長官。」
苛立ちの募る考え事を遮ったのは、聞きなれたあの男の声だった。
机の上にうずたかく積まれた書類の隙間から声のする方を見れば、そこにはエニエスロビーの給仕たちが騒ぐのも納得の見目麗しい男がいる。
仏頂面のその肩に鳩が乗っているのが、妙にほのぼのしてなんとも笑いを誘っていた。
「・・・・・なんだ。」
不機嫌です、と丸わかりな低い声にルッチは微動だにしない。
「この間の任務の報告書を持ってきました。」
「・・・・そこに置いておけ。」
書類の山の中に報告書を置くが、ルッチは何故かその場を離れることなくスパンダムの側を離れなかった。
向けられる視線が鬱陶しく、スパンダムは渋々といった体でルッチに話しかけた。
「なんか用か?」
「いえ、今日はやけにご機嫌が悪いようで。」
「この仕事の量を見れば、理由を察せられる程度の頭はあるだろう?」
背もたれに凭れ掛かり、スパンダムは気だるげに息を吐いた。
なかなかルッチに対してぞんざいな口の利き方だが、特に相手が苛立つことは無い。原作がどうかは知らないが、目の前の男とはそこそこ長い付き合いをしているのだ。
父親を通じて、幼いころから彼らと面識があった。あの五、六歳児の姿を思い出すと怯える気もおこらない。
(・・・・あの頃は可愛かったんだがなあ。)
頭の中で、今はバカデカくなってしまったそれらから少年少女の面影はすでに消えて久しい。
「・・・・なんでもジャブラとフクロウが一人殺すはずが、三十人殺したと。」
「分かってんなら聞くんじゃねえ!あんの馬鹿野郎どもの尻拭いで忙しいんだよ!」
スパンダムはそう怒鳴ると、乱雑な手つきで目の前の書類に手を伸ばした。
そのまま机の上に目を向け、無言で書類の処理に徹する。この書類の山が終われば、上層部に対しての侘び、そして多すぎる死んだ人間の処理、おまけで少し表に出てしまった物事への根回し。
考えれば考えるほど面倒な事ばかりだ。が、そう言った裏工作にも、死人の処理にも、平然としてしまうぐらい物事に慣れてしまった自分もいる。
小さくため息を吐きながら、次の書類に手を出そうとすると暗い人影が目に入る。それに、驚いて改めて視線を向けると、何故かルッチが立っている。
驚いた拍子に、机の端に置かれていた冷めたコーヒーが床に落ちる。がしゃん、と音が部屋に響いた。
書類に掛らなかったことに安堵しながら、スパンダムは眉間に皺を寄せた。
「ルッチ、まだ用があるのか?」
いかにも面倒くさそうな声を出しても、ルッチは相も変わらず平然としている。当たり前だ、こんな声で遠慮する様な玉ではないのは知っている。
重いため息を吐きながら、ルッチをねめつける。ルッチは手を後ろで組み、周りを視線だけで見回した。
「・・・・あの、黒猫はどこに?」
黒猫、という言葉でそれが何かを察する。
「メランの奴ならとっくに寝たぞ。」
「・・・・護衛という名目で置かれている身にしては、少々暢気すぎるのでは?」
「いいんだよ。ここまで入り込んでなおばれないやつなら、そもそもあいつじゃ歯が立たねえ。」
自分でも矛盾したことを言っている気がしたが、それを無視する。
メランは、スパンダムが旅先で拾って来た捨て子だ。悪魔の実の能力者、ネコネコの実、モデル黒豹を食べたそれは、良くも悪くもルッチとの相性がよくない。
彼女を拾った経緯は色々あったものの、自分の元にいるのだ。
(あいつも、結局はこいつらと一緒だ。)
自分に酷く懐いたまだ十数歳の少女は、笑顔で人殺ししたことを褒めてくれという。
普通なら哀れというだろうが、自分はそうは思わない。そんなものは、山というほど見てきた。
そして、何だかんだであの少女は今まで大切な癒しになっている。
ルッチはそれに少しだけ、呆れた顔をする。
なぜ、メランを護衛にしたと聞かないだけこの男は優秀だ。余計なことを言わないのは何よりも大事なことだ。
「それ以外に用が無いなら、さっさと寝ろ。体に障る。」
「・・・明日は休暇なので。」
「どうせ、定時に起きちまうような奴が何言ってるんだ。休める時に休んでおくのがプロだ。」
そう言いはしたものの、スパンダムはルッチが何を望んでいるのか分かっていた。分かっていたものの、煩わしさが勝ち、無視していた。
けれど、渋々スパンダムはルッチに声をかけた。
「・・・・任務、ご苦労だ。見事な結果だな。」
「報告書は、まだ読んでないのでは。」
「お前のやったことだ。成功以外にないだろう。」
憎々しげであったものの、そこには確かに賞賛の色があった。ルッチはそれに満足したのか、深々と頭を下げる。
そして、無言で部屋を出ていった。
その後姿を眺めながら、スパンダムはため息を吐いた。
任務が終われば褒めること。それは、ルッチの好んでいるルーティンだった。それがなぜであるのかなんて、スパンダムにはかけらだって理解できなかった。
今回はウォーターセブンから長期的な休暇をもらったそうで、一時エニエスロビーに帰還していた。
残念ながら、ホワイトとは程遠いブラックな職場は彼らを仕事に放りだしていた。
好かれるような覚えはなかった。幼いころ、彼らの故郷で、彼らを兵器に仕立て上げた地獄で、言葉をかけたことはあった。今手元にいる、いつかの子供たちに、何かしら気にかけていた。
けれど、それでなつくなんてことはないだろう。
己を地獄に落とした悪魔に掲げる愛なんてもの、兵器の感じる愛など、この世にはないのだろうから。
スパンダムという存在を、愛する者はいない。それは決まったことだ。どれほどまでに自分が拒んでも、この椅子に座っていることと同じように。
(憎まれては、いないのだろう。)
本筋であったような、彼らがスパンダムという存在にしていた蔑みはないようだ。スパンダム自身、道化として間抜けを演じることはあるが、そんなものは相手による。普段からそんな道化を演じるような疲れること、するわけもない。
スパンダムの脳裏に、また厄介な猫のことが浮かんだ。
(・・・ルッチはなあ。)
ロブ・ルッチというそれを扱いかねているのは、理由がある。
ロブ・ルッチというそれは、なんというか、表面的にはスパンダムに懐いているようなしぐさをする。
例えば、猫のようにじゃれつき、スパンダムの私的な用に自ら付き合ったり。
それがありえないことぐらい、スパンダムも理解している。
ルッチはプライドが非常に高い。どれだけ相手が優秀でも、そんな媚びを売るようなしぐさをするはずがない。
スパンダム自身も元々の彼よりはましではあるが、それでも七光りの域を出ないだろう。
何か、湿ったものは感じるが、それがけして良い感情から出たものでないことぐらいは理解している。
だからこそ、どう扱うか、迷っている。
(・・・いや、だからと言って、便利だってメランの世話を任せたのはどうかと俺も思う。)
気まぐれな野良猫の気持ちなんぞ、きっと一生わかりなんてしないだろう。
スパンダムはそんなことを考えながら、立ち上がった。
ぐーんと、朝から座りっぱなしであったことを考慮して、伸びをすればくらりと目眩までしてくる。それに、老いを感じてしまう自分が切なく感じた。
「・・・・かたづけねえと。」
ちらりと床を見て、自分がぶちまけたコーヒーの残骸にため息を吐いた。ルッチは、場をかき乱すくせに後片付けをしていかない人間だ。
「雑巾は、と。」
「あるじぃ?」
部屋の隅に置かれている棚に足を向けたスパンダムの足になにか、柔らかいものが擦り寄る。それに目線を向ければ、子猫とまではいかないが未だ大人になり切っていないネコ科の動物がいる。
「・・・・メランか。お前、何処に行ってたんだ?」
「・・・・ルッチ来てたの?」
「ああ、報告にな。」
そう言えば、メランはむっつりと顔を膨らませる。黒豹の状態でもそう分かるぐらいには長い付き合いになってしまっている。
スパンダムは屈みこみ、メランの頭をぐりぐりと撫でた。
小さな、毛並みの良い獣はぐるぐると鳴く。
それは、抗いたいという己の小さな足掻きだった。何かが違えば、何かが違ってこないだろうかと。けれど、全てが無駄であったことは今現在分かり切ってしまっているのだが。
それでも、幼い少女の存在はある意味で、ともしびのような希望だ。
ただ、呼び方に関してはいろいろと間違えたかなあと悩んでいる。
(いや、父とかそういうのも嫌だし、なんか師匠的なノリで主になったんだけど。)
「私の方が、ずっと主の事好きよ!主だってそうでしょう?」
(・・・・その言葉を聞いてると、ルッチの奴が俺の事好きみたいに聞こえるなあ。)
スパンダムは後ろでひょこひょことついてくる中型犬ほどの猫の言葉を聞きながら、取り出した雑巾でコーヒーの後片付けをしていた。
「あーるーじー!!!」
「ああ、お前さんの方が好きだよ。」
そこそこぞんざいなセリフであったものの、メランはその言葉に顔を輝かせてるんるんと尻尾を振る。そして、急に人に戻るとコーヒーを拭くために屈んでいたスパンダムの背中に飛びついた。
「それでね、主!」
「ぐえ!!」
スパンダムは引きつった声を出しながら、後ろを振り返る。そこには、真っ裸の少女がいた。
「・・・・お前、そういや服。」
「脱いだ!」
元気いっぱいのそれに、スパンダムはぐったりとため息を吐いた。
そこにいるのは、名前の由来になった真っ黒な髪をした愛らしい少女だ。アーモンド型の海のような深い青がきらきらとスパンダムを見つめる。
スパンダムはぐったりとしながら、己の着ていた上着をメランに着せた。彼女は相変わらずはしゃいだように、きゃっきゃと笑った。
そうした後に、彼女はスパンダムに微笑んで、どこに隠していたのか一枚の紙を手渡した。
「あ、そうだ、主。メランは任務を達成いたしました!」
スパンダムは、渡された紙に目を見開いた。
そこには、麦わら帽子を被った、笑顔の眩しい少年の写った手配書が一枚。
「・・・・モンキー・D・ルフィ。」
「うん!つい最近のだよ。でも、どうしてそんなのいるの?」
不思議そうなメランを横目に、スパンダムは泣き笑いのような、そんな歪な顔をする。
(・・・ああ、そうか。そうなのか。もうすぐ、会えるのか。)
抗いきれなかった運命は、もうすぐ己の元にやって来るのだ。
(ニコ・ロビン。)
おいで、はやく、ここにやってくるといい。
(そうしたら、きっと、全てが終わるはずだから。)
どうか、どうか、一度もあったことのない、わが運命よ、わが宿痾よ。どうか、すべてを終わらせにこい。