諦め猫熊はかく語りき 作:幽
こつこつと、ハイヒールが石畳を叩く音がする。
颯爽と歩く女は表面上は冷静を装っていたものの、実のところほくそ笑んでいた。
(やっぱり、あのときグーを出していて正解だったわね。)
事の顛末は、数日前に遡る。
書面や電伝虫では伝えにくいことがある。代表として、一人帰還せよ。
そんな知らせがウォータセブンに潜伏していたCP9に入った折、いの一番に手を上げたのはロブ・ルッチだった。
ブルーノやカクについてはいつものことかとそれを譲った。が、珍しくそれに否を唱える者が珍しくいた。
「ルッチ、あなたこの前も故郷に帰ると言って休暇をもらったでしょう?さすがに怪しまれるわ。」
カリファのその意見はもっともなもので、ルッチの帰省の頻度は高いとカクたちも頷いた。
「・・・・なら、誰が行くんだ?」
「私が行くわ。休暇を取った方がいいと言われているし。丁度良いでしょう。」
つんと澄ました彼女の言葉に、ルッチから嫌にじっとりとした湿り気を帯びた殺気が漏れ出た。
カクとブルーノは好きにしろと二人を放置した。どちらにしろ帰る者は必要なのだから下手に首を突っ込みたくないという意思表示だった。
「にしても、珍しいな。こういったとき、いっつもカリファは名乗りを上げんが。」
「まあ、ルッチのやつ、そろそろ大きめの仕事があるからだろう。」
あーとカクが納得の声を上げている間、二人の間でばちばちとにらみ合いが続いた。
一触即発という空気の中、慌てたブルーノの待ったが入る。
さすがに力尽くで決めるなんていう目立つ行為をは控えろ。
それに、ルッチとカリファは少しだけ考えた後、無言で拳をかかげた。
カリファはアイスバーグからもらった休暇に、内心ではうきうきと弾んでいた。はっきり言って、帰るといっても所詮は仕事だ。
が、それでもカリファは少々浮ついていた。
何と言っても、久方ぶりにスパンダムを独り占めできるからだ。
カリファとスパンダムの関係は、CP9の中で一番に長い。というのも、彼らの関係性は己が父親まで遡るためだ。
彼女にとって、一番に古い彼との記憶は、父親のことを待っていた政府の直属の施設でのことだった。
カリファは幼いながらに父に憧れ、いつか海軍に入ることを夢見ていた。当時、父の所属する部隊のことを知らなかった彼女は無邪気に勉学に励んでいた。
父であるラスキーとは滅多に会うことができなかった。ただ、ほんの時折だけ時間を作っては会っていた。
その日も、そんなつかの間の約束をしていた。
(お父さん、話すことがあるって言うけどなんだろう?)
中庭のような場所に通されたカリファは ベンチに座ってラスキーのことを待っていた。
その時だ、自分に近づく人影があった。
ちらりと見たそこには、少々猫背の青年がいた。
ひょろりと高い背に、肉というものの存在しない華奢な体をしていた。目を引くのは、ふわふわとしたラベンダー色の髪だろう。それは、自分に気づいたようでゆっくりと近づいてくる。
カリファはそれにどうしようかと悩むが、父の仕事場に変な人はいないだろうとそのままでいた。
ワイシャツにスラックスを履いたそれは、わざわざカリファと同じぐらいまで腰をかがめた。
「お前さん、親は?」
「・・・・待ってる。」
「あー。あのな、ここはあんまし普通の子供がいるにゃあよろしくないんだ。名前は?」
「知らない人には、教えない。」
カリファの警戒心に満ちあふれたそれに、青年はそうだなと頷いた。
「そうだな。悪かったよ。俺の名前は、スパンダムだ。せめて親の名前は無理か?」
カリファは謝罪の言葉に面を喰らう。どこか不躾なそれは謝るという行動からはあまりにも遠い気がしたからだ。
カリファはそれに、恐る恐るという体で口を開いた。
「・・・・お父さんの名前は、ラスキーっていうの。」
その言葉に、男は目を見開いた。
「そうか。」
次の瞬間、スパンダムは愁いを帯びた悲しげな顔をする。その、夕暮れ時のような寂しさを漂わせる表情をカリファは見たこともなく、なんだかそわそわしてしまう。
「少しだけ待っていなさい。」
そう言って、スタスタとスパンダムは去って行く。そうして、数分ほどして彼はラスキーを引き連れて帰ってきた。
「お父さん!」
「すまないな。話が長引いたんだ。その、スパンダム様。」
「いいえ、父が長く引き留めてしまい申し訳ございませんでした。どうぞ、今日はゆっくりと休まれてください。」
「ええ、ありがとうございます。」
スパンダムはそう言った後、ちらりとカリファを見た。静まりかえった黄昏時のような瞳はやはり愁いをたたえてカリファを見ていた。
「娘に何か?」
ラスキーのそれに、スパンダムは首を振る。
「いえ、何も。」
そう言い捨てて、彼はさっさとその場を立ち去る。カリファは、何となしに今まであまりであったことのないタイプの人間で、じっとその後ろ姿を見つめる。
「気になるのか?」
「え?」
「まあ、今から顔を覚えられた方がいいんだろうな。」
ラスキーは淡々とカリファを見下ろしていった。
カリファ。さっきの男をよく覚えておきなさい。あれは、将来お前の上に立つ男なのだから。
「・・・・どうかしたのか?」
「なんでもありません。」
カリファは目の前にいる男を見る。
カリファがいるのは、政府の人間が極秘裏に諜報関係の人間を一から育てている島だ。カリファがラスキーにこの島のことを教えられたのは、数年前。
ラスキーも元々はこの島の出身で、カリファも同じように島で教育を受けることとなった。
カリファはそれをあっさりと受け入れた。
自分の父のことは尊敬していたし、彼に認められるような人間になりたいと願っていたということもある。
やってきた島では、少々体術に関しては劣る面もあったが、座学においては優秀な成績を収めていた。
そんな中、その男はよく島を訪れた。
何をするまでもない、ただ、遠巻きに自分たちのことを見つめ、合間にほかの子供と話をしている。
カリファはそれに何も思っていなかった。
甘えたければ甘えればいい。所詮はその程度の人間だ。何の価値もないだろう。
誰かに甘えるような暇などない。
カリファは己が父のためにそれ相応に優秀な結果を残さなければならないと自負していた。
体術、強さにおいては限界がある。だが、ほかに突き抜けられることは多くある。
努力できるところは努力した。それこそが自分の価値だ。父に誇れるものであるためだった。
が、そのスパンダムという男はどこまでも怠惰だ。
特別な用もないという島を訪れて、子供を甘やかす。
特別なところなんてない、凡庸なそれ。
けれど、それは将来的に自分の上司になるというのだ。
それが、カリファには不満だった。
ただの親の七光りが自分の上に立つという事実が気に入らなかった。
カリファが見つめる中スパンダムは、木陰でぼんやりとした目でどこかを見ていた。どこともしれない、ぼんやりとした目で世界を見ていた。
その、誰のことも目に映さない無関心さがあまり好きではなかったのだと思う。
「ただ、お暇なのかと思いまして。」
「暇じゃねえな。見学だ。」
「セクハラです。」
「意味をちゃんと調べた上でそういった単語は使いなさい。」
ぴしゃりとそう言われて、カリファは不満げに顔をしかめた。スパンダムはそれを横目でちらりと見た。
「俺に何か用か?」
「別に、おられたのでご挨拶に来ただけです。」
生意気につんと澄ましてそういえば、スパンダムは目を伏せて頷いた。
「そうかい。」
緩やかに一言だけ返事をして、スパンダムは口をつぐんだ。そうして、ちらりとカリファを見た。
「何ですか?」
その視線に落ち着かなくなり、カリファがそう言うと彼は目を伏せる。
「・・・・ラスキーは元気だぞ。」
何故、そんなことを言うのかわからずにカリファはスパンダムを見る。彼は、変わることなくぼんやりとした目で地面を見ていた。
「当たり前です。」
なんとか返したそれに男はそうだなと呟いた。そうだなと、そう、幾度も、幾度も、頷いた。
スパンダムという男は、こちらから踏み込まない限り、同じように近づいてこない人間だった。けれど、近づけば拒絶をすることはない人だった。
なんとなく、昼間の影の中にいるのが似合う人であった。
そのせいか、彼の周りにはいつだって子供に溢れていた。
どちらかといえば、島で良い結果を出すことのできない落ちこぼれが多かったと記憶している。
彼はそんな子供たちにも平等に扱った。つたない言葉をこくりこくりと頷いて聞いていた。かまえかまえと自分を取り巻く子供の話も平等に聞いてやっていた。
泣きじゃくれば抱き上げて、背を叩いてあやしてやっていた。
それをカリファはずっと遠巻きに眺めていた。
呆れていたのだと思う。
カリファがいるのはただの学校ではない、政府のために動く人間を育てている場所なのだ。甘さを持てば足下をすくわれる。
(あれだから弱いままなのよ。)
カリファは勉強のために用意した本を抱きしめて。さっさとそんな光景を後にした。
カリファは別段、スパンダムという存在が嫌いではなかったのだと思う。ただ、漠然と気にくわなかった。
際だった者があるわけではないのに、自分の上に立つそれのことが。下手をすれば、父の上に立つかもしれないという事実が気にくわなかったのだ。
それ以上に、彼の周りにいる同胞も気にくわなかった。そんなふうに誰かに縋り付いて泣く存在も気に入らなかった。そんな暇があるのならすることがあるはずだ。
自分は違う、父のようになるのだ。父に認められるような、そんな存在に。
それでも、届かない存在はいる。
自分よりも年が上の少年に、負け続けるようになってカリファは冷静にそれを理解した。
座学はそれ相応に努力によって埋まる部分はある。けれど、戦闘というそれは、圧倒的なセンスがそれを凌駕する。
ロブ・ルッチという少年は、カリファという少女をあっさりと乗り越えていってしまった。
(しょうがないわ。)
それは、彼が相応に鍛錬をし、カリファを凌駕しただけだ。
絶対的な実力差は覆ることはない。
けれど、その日、カリファは珍しく座学の予習をすることもなく休み時間塞ぎ込んでいた。
タイミングが悪かったのだ。
ルッチに負けたその日、教官は一言だけ言った。
戦闘よりも人心掌握を学べ。お前は容姿はいいのだから。
わかるのだ。
自分の容姿だって武器になる。けれど、最初から、何もかも期待されていないような言葉はその時のカリファにとって何よりもキツいものだった。
(お父さんは。)
この島に来て、一度も連絡の無い父を思う。仕方が無い、そんな優しさは不要だし、立場として無理なことぐらいはわかる。
けれど、カリファはずっと考えてしまう。
とっくに父は自分に失望してしまっているのではないだろうかと。
そんなことを考えていたその時だ、上から誰かに声をかけられた。
「どうした?」
カリファが声をかけたその先には、静かな目をした男がいた。
「どうした、しょげた顔なんてして。」
何故、今日に限ってとカリファは思った。だって、いつもならば木陰の中でじっと自分たちを遠巻きにしているくせに。何故、今日だけはわざわざ日の中で自分を見ているのだろうか。
それが、たまらなく忌々しくて、カリファは奥歯をかみしめて立ち上がった。
「なんでもない、です。」
それにスパンダムははあとため息を吐いて、カリファを見た。
「お前は父親によく似てるな。」
何気ない言葉であったけれど、それでもカリファは思わず驚いてスパンダムを見た。彼は、どこか気だるそうにカリファを見ていた。
「どこがですか。」
「完璧主義の、頑固者な所だよ。」
それにカリファは驚いた。今まで、見目を似ていると評されることはあっても内面を言われることはなかったせいだ。
けれど、その時のカリファは素直に言葉を受け取ることもできずに顔を伏せた。
「似てませんよ。」
「どこかだ?」
「・・・・私、座学ばっかりで、強くありません。」
それにスパンダムは頭をがりがりと掻いた。そうして、カリファの視線と合うように腰を落とした。
「ラスキーの奴も強さで今の地位にいるわけじゃねえよ。」
それにカリファはスパンダムの方を見た。彼は変わることなく無愛想な表情でカリファを見ていた。
「もちろん、常人からすりゃあ過ぎたもんだが、一定のラインは超えてる。だがな、あいつは別に最強ってわけじゃねえよ。何よりも、お前は期待されてる。」
「私が?」
「そうだ。カリファ。お前は賢しい子だ。なら、諜報部員にもっと期待されていることがどういうことかわかるだろう。ラスキーもそうだ。内に入り込み、秘密を晒し、そうして、悉く滅ぼす。」
カリファ。お前にそれができるか?
挑発的な言葉にカリファは言い返した。
「できるわ!あんな無愛想なのよりも、私の方が上手くやれるわ!」
叫ぶようなそれに、スパンダムは一瞬だけ少女の頭を撫でた。
「そうだ、カリファ。お前たちは兵器じゃねえ。諜報部員として立ち回るんだ。その意味をお前がわかっている。お前は強くなる。あいつの子だからな。」
こくりと頷けば、スパンダムはよしと頷いて、そうして笑ったのだ。
優しい、まるでお日様のように優しい笑みだった。
お日様の中で、紫苑の髪がきらきらと輝いている。黄昏時の瞳が、柔らかに細待っていた。
綺麗だなあと、幼心に思ったのだ。
父とは違う華奢な手のひら、薄い体、どこか浮世離れした空気を。
「カリファ、お前は賢しい子だ。そうして、上手く立ち回れる子だ。なら、お前は自分の強みを理解するといい。そういった意味ではお前は、ルッチよりもよほど勝ることができるだろうさ。」
その時、カリファは自分の心をどう言い表せばいいのかわからなかった。
ただ、その男は心の底から言っていたのだろう。カリファという少女がルッチに勝るのだと、そう、心から。
ああ、綺麗な人だと。幼い少女は見上げた黄昏の色を纏ったその人に、そんなことを考えたのだ。
それから、カリファは時折スパンダムの元に行った。彼はそれに対して特別な反応もせずにこくりこくりとカリファの話を聞いてくれた。
カリファがいれば、落ちこぼれは寄ってこず、スパンダムを独り占めすることもできた。
お前はラスキーによく似ているな。
そんな言葉を聞くのが好きだった。
男の中には、カリファの憧れへの肯定があった。父のようにと、そう願うカリファへの共感があった。
父の話をすると、スパンダムはよく笑っていた。
かっこいい人だよなあと、そんなことを言うのは彼ぐらいだった。
カリファは、大好きな人の記憶を共有できるその時間が好きであったのだと思う。
スパンダムを見上げながら、優しい声を聞くと、ひどく心が安らいだ気がした。
そうして、あるときのこと。
ふらりと、ルッチがやってきたのだ。
カリファは固まった。何故って、彼がスパンダムを訪れる理由がわからなかったのだ。
彼に縋り付くほどの弱さも、彼と話すことで得られる安らぎも、悉くルッチには必要がないものだと思っていた。
ルッチはちらりとカリファを見たものの、興味を無くしたようにカリファから視線をそらした。そうして、彼は木の根元に座り込んでいたスパンダムの隣、カリファの反対に腰を下ろした。まるで話しかけるなと言うように彼は抱えた膝に顔を埋める。
カリファは驚いて、探るようにスパンダムを見た。彼は、どこか憂いを帯びたような、けれど以前見た優しげな笑みを浮かべて、ルッチの頭をそっと撫でた。
「こんな日もあるだけだ。」
それはカリファが今まで一度だって見たことがない表情だった。
カリファに向ける優しい笑みと似ているようで、けれど少しだけ違う何かが混ざっている。
スパンダムはそのまま、ルッチに対してそれきり触れることもなくまたカリファに視線を向けた。
(あれが、私の初恋なのかしら。)
海列車を乗り継ぎ、そうしてエニエスロビーに帰ってきたカリファはカツカツとハイヒールをならした。
カリファにとって、スパンダムとはそういった存在だった。
なんというのだろうか、大人というあり方の象徴だったのだろうか。
平等で、子供を庇護し、優しく落ち着いた、そんな存在。
憧れと言うには熱烈で、尊敬と言うには甘ったるい感情だった。
すっかり大人になったカリファには、とっくに放り投げられてしまった感情であったが、それでも、確かにあれこそがカリファにとっての初恋であったのだと思う。
すっかりそんな感情を手放してしまったのは、彼女の覚悟と。
(あの、猫のせいね。)
カリファの脳内には、ふてぶてしく傲慢で、甘ったれのわがままな猫が一匹。
ルッチは何があっても自分を押し通した。それこそ、なりふりかまわずスパンダムの側に居続けた。
それは、カリファ自身が証人である。
いつだって、それはスパンダムの隣にいて、周囲を振り回してまで彼の隣にいる。
カリファにはそこまでの感情がなかったと言うだけだ。その執着に振り回されるほど、感情的な何かを彼女は持っていなかった。
それでもだ。
きいいいいと扉が開く。
その先にある、スパンダムの仕事部屋。大きな机に、山積みの書類。そうして、痛いほどの沈黙の中にかすかに響く紙に何かを書き付ける音、身繕いの音。
カリファは淡く笑って、こつこつと先に進む。
机の手前まで来れば、とっくに気づいた己が上司に出迎えられた。
「ああ、ついたのか。よく帰ったな、カリファ。」
おかえり、背、伸びたか?
久方ぶりにあった女に対する反応は、まさしく変わることなく親のようで。
「ええ、ただいま帰りました。」
悪い癖だと、カリファだって自覚している。
独占欲の強いルッチをかいくぐり、スパンダムを独り占めできる瞬間がカリファはとても好きなのだ。
彼は、変わることなくカリファを出迎えてくれる。そうして、昔よりもずっと静かであるが、それでも気だるそうな彼の浮かべる笑みは変わることなく綺麗だった。
別段、ルッチと争う気は無い。自分はルッチほどの情熱を持てなかったのだから。
けれど、独占されてばかりでは面白くないのだって事実なのだ。
スパンダムが入れてくれたコーヒーを飲む。二人でこんなふうにのんびりと飲めるのだって珍しいことなのだ。
スパンダムの護衛になっているメランはお使いにいっているらしい。
「どうした、カリファ?」
目の前の人は、変わることなく日の当たる影の中にいるのが似合う。
「いえ、何でもありません。長官。」
どうか、どうか、変わることなくそのままであってください。
あの日のように、半端に優しく、そうして、どこか罪悪に塗れたまま自分たちに囚われていてください。
日の当たる場所にいたいわけではない。ただ、あなたと日の当たる場所を影の中で眺めたあの日々をカリファは心の底から愛していたのだ。
『聞いているんですか、長官。』
電伝虫から聞こえてくる男の声に、スパンダムは顔をしかめた。
「聞いてる。つーか。詳しい報告はカリファの奴からある程度受けてるんだが?」
スパンダムは仕事部屋にてでんでん虫を見つめながら首をかしげた。
『・・・・カリファはどこに?』
「報告も終わったし、すでに下がらせた。部屋で休んでるんだろう。」
『どうせあなたのことだ。色々と世話を焼いたんでしょう。』
「ああ。メランの奴が食いたいって言ってたからなカレーを作ってやったのを一緒にな。」
『・・・・・・・・・前に帰還した折、俺も頼んでいたんですが。』
スパンダムはその湿り気を帯びた声に思わずでんでん虫から遠ざかった。
確かに、前回の帰還にメランから何かを聞いたらしいルッチがこれまた嫌に湿り気を帯びた声で言ってきたのを覚えている。
スパンダムも平均的な程度には料理もできる。中に入っているのが自分のせいか、あまりドジというものをした覚えもない。ただ、壊滅的に運が悪いと思うことはある。が、あまりにも時間が無いばかりに基本的にエニエスロビーの使用人に任せている。
さすがに夜中に使用人をたたき起こすのは申し訳なく、夜食は自分で用意していたのだが。メランにも幾度か食べさせていたことがあったのだ。
それに何かを言われたらしいルッチがスパンダムの料理を食べたいと望んだのだ。
「知らねえよ。大体、お前が帰ってきすぎなんだよ。」
『長官は、昔からカリファやカクに甘いんですよ。』
スパンダムはだんだんと、言いようのないやばさが溢れてくる電伝虫から距離を置く。
「・・・・・カリファは父親に世話になったし。何より、カクは最年少だろうが。お前と同じ扱いのわけねえだろう。」
苦言をもたらすようにそういった。スパンダムは、いったいそれは何が気に入らないのかわからずに、あーとため息を漏らす。
不機嫌なのはわかる、自分に気にくわないことがあり、ねちねちとそんなことを言っていることも。
『・・・長官、声が遠いのですが。』
「気のせいだろう。」
スパンダムはそう言いつつ、電伝虫をさっさと切ることを考える。口を開こうとした瞬間、先にルッチが話し始めた。
『・・・・・いえ、ただ、あいつらも一人前の諜報部員です。あまり、甘やかすのはどうかと思いましたので。』
それにスパンダムは声に詰まる。
スパンダムとしてはさほど甘やかしている自覚はないが、彼らからすれば甘やかしているという範疇に入るのかもしれない。
「そうか?」
『ええ、ですが、あなたの性格からして久方ぶりに会った者に構ってしまうでしょう。ですので、俺がこれからも帰還するのが妥当かと。』
その声は変わることなく湿り気を帯びているが、ルッチのそれはいつものことでスパンダムはあまり気にはならなかった。何故って、そんなのはいつものことだったから。
電伝虫の視線は寒気がするほどにじっとりとしているが、スパンダムはうーんとそれを見つめてうなる。
「まあ、直接的な帰還の頻度はそう多くないだろうが。お前が優先的に帰ることは考えておく。」
『わかりました。』
心なしか、浮き足だった声音にスパンダムはああと頷いた。
「そろそろ切るぞ。お前、明日も早いんだろう?」
『・・・・名残惜しいですが、わかりました。長官。』
「なんだ?」
『すぐに帰ります。なので、待っていてください。』
「わ、わかった。」
『はい、おやすみなさい。長官。』
切られた電伝虫を前に、スパンダムは湧き出てくる鳥肌を押さえる。
最後のさいご、それこそ、恋人へむけるもののように甘いというのに、何故か捕食者を前にしたときのような寒気に襲われる。
(長い付き合いだって言うのに、あいつの真意が全くわからん。なんだ?面倒な任務押しつけやがってってことか?)
スパンダムは頭を抱えながら、脳裏には良くも悪くも手のかからなかった少女のことを思い出す。
(ませてたが、カリファのほうが可愛げがどれほどあるんだか。)
スパンダムはどら猫のことを思ってはあとため息を吐いた。