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ドッペルゲンガーとは。
自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種で、「自己像幻視」とも呼ばれる現象。
聞いたことはないかい?ドッペルゲンガーにあったら死んでしまうと。
つまり...
「ちょ~っとお手洗いに行ってきますわん、オホホホホ」
疑問に満ちた二人の顔を無視して、ノアは席を立った。
トイレの前にあるデッドスペースで、目的の人物に電話を掛ける。めげずに繋がるのを待ったが、留守番電話に接続されてしまった。しょうがない、とりあえず用件だけでも伝えよう。ああ、私はなんて優しいのかしら。
「あー、降谷さんですか~?いきなりですが、降谷さんは双子だったりします?ああ、それなら問題ないんですけどね。ん?苗字違う時点で問題なのかな?まあ、どっちでもいいんですけど、ついさっき降谷さんのそっくりさんとお会いしましてね~。昔読んだ本にドッペルゲンガーに会ったら死ぬとか書いてあったの思い出しまして。てなわけで、気を付けて下さ~い"っっだぁ!!!」
「誰がドッペルゲンガーだ、誰が」
すぐに後ろを振り返れば、ドッペルゲンガーさんが木のお盆を片手に呆れた顔をしていた。もしかして、そのお盆でスパンと頭を殴ったのかい?しかも、留守電の内容は保存されずに消えてしまった。まったくどうしてくれるんだ。
「説明しなかった僕も僕だが、まさかドッペルゲンガーという発想になるとは思わなかったよ」
「はい?どういうことですか?」
「僕は安室透という名前で探偵業をやっているんだ。降谷零という名前は訳あって隠している。なぜ君にわざわざ教えたかというと...」
「ストップ!はい、ストップ!」
ペラペラと良く回る口、無駄に整ったその顔で微笑む安室さんもとい降谷さん。半ば強引に会話を止めて二人の待つ席へと戻ろうと背を向ける。仕事用のスマホの着信履歴に彼の名前が大量にあったのをふと思い出した。ああ、何か嫌な予感がする。昔からこの手の勘だけはよく働くのだ。
微笑むままに肩を押さえつけられれば、綺麗な顔と壁のサンドイッチ状態になってしまった。
「実は、君に頼みがあってね」
「あ~、聞きたくないです~。絶対めんどくさい、もう降谷でも安室でもこの際どっちでも良いです~」
「酷いなあ。まあ、ここで話すのも良くないから、シフト終わるまで待っててくれるかい?」
「付き合ってられませ~ん。せっかくの休みなのに~」
「つれないなあ、何度も連絡したのに」
おかしい。なぜ彼は一歩も引かない?こちらとしては、彼の本名を知っている優位な立場なはずなのになぜ彼は余裕の表情で笑っていられる?どの範囲で彼の名前が認知されているのかはまだ分からないが、探偵というシビアな職をしているのに本名を知られるなんて痛手でしかないだろう。
まるでこちらの弱みを握っているかのような....
「よく分かってるじゃないか」
「はい?」
「ノア。確定申告って知っているかい?」
キラキラと効果音が見える破壊力抜群な笑顔。反対にノアの顔は一気に曇った。
「ついでに開業届も出した方がいいぞ。延滞税もきちんと払わないとなあ、あとこの国にはそもそも無申告加算税というものもあってな」
耳が痛い、耳が痛い。流石探偵とでも言うべきか。
めんどくさがりに磨きがかかったノアにとって、この手の手続きは大の苦手。「今なら僕が手続きの書類一式を用意しよう、君は印を押すだけでいい。簡単だろう?」と耳元で囁く。なんて色気のない内容だ。ある意味鳥肌がゾワリと立つ。
「...悪魔だ」
「分かったなら、僕の話を....」
「きゃああああ!!!!」
「「!?」」
部屋中に響き渡る悲鳴と騒めく胸騒ぎ。二人は急いでフロントへと走り出し、蘭とコナンが座っている席の隣に目を見張る。
小奇麗な女性が口から血を吐きだして白目を剝いたまま倒れ込んでいた。
床に広がっていく赤黒いしみ。店内は騒然としていた。コーヒーのいい香りの中に錆びついた匂いが混ざってきた。
探偵である安室は厨房にいるもう一人の店員へ救急車と警察を呼ぶように電話をお願いした。隣に座っていた小さな探偵は、怯える素振りも無くまじまじと遺体を観察していた。蘭は「お父さん呼んでくる!」と店を出る。
「......」
生気を吸われたような色の無い目、口から流れる赤黒い液体。
じんと心の底に沈んでいくような感覚。もう、忘れたはずなのに。
いや、忘れてはいけないのだろう。
震える手と背中に感じる冷たい汗の感覚が気持ち悪い。
忌まわしいあの日の記憶。あの日から私は、一生出られない檻の中だ。
フィルターが掛かったように店内の騒ぎが聞こえなくなっていた。ただ、呆然とその遺体を眺めるだけ。
「ノア?どうした、大丈夫か?」と、降谷に肩を揺すられ、ようやく戻ってこれた。
「あ、すみません。あまり、こういう現場は慣れてなくて」
下手くそな笑みを貼り付けて、ノアは言い返す。
コナンの元へと向かったノアは、一目散にテーブルの上のティーカップに目を向ける。
いつもの飄々とした笑みを取り戻して。
***
降谷は思った。慣れていないなんて嘘だと。
もしそうなら食い入るように遺体を見つめないだろう。怯えている訳でもない彼女の目は、逆だ。何度もその光景を見たことがある様な、そんな雰囲気を感じた。当の本人は、先ほどと別人のようにコナン君と遺体の様子を確認している。
ってこらこら、コナン君。また勝手に捜査をしてはいけないぞ。
ノアも少しは怯えてみるものだぞ。蘭さんを見習え。
降谷が止めに入ろうとした時、別の人物が二人の首根っこを掴んでいた。
なるほど、今日はこの二人か。
体格の良いその二人によって、小さいコナン君とノアは見えなくなった。
「おい餓鬼ども。捜査の邪魔だ、アッチに行ってろ」
「お、いつもの探偵坊主か?久しぶりだな」
「松田刑事!伊達刑事!こんにちは~!」
「ねえ、ほんとに君の声帯どうなってんの?猫被りスイッチでもあるの?」
「ノア姉ちゃん、ちょっと黙って。うるさい」
「辛辣」
「なんだ?坊主んとこの少年探偵団の新入りか?」
「あたしもうすぐ成人なんですけど」
いつの間にか規制線が張られていて、遺体は救急車で運ばれた。赤黒い血痕は僅かに固まり、捜査一課の面々や鑑識が捜査を進めていた。錆びた鉄のような匂いが残らなかったのは、店のコーヒー豆のお陰だろうか。
「よう、安室サン。アンタも大変だな」
「お久しぶりです松田刑事。風評被害が出ないうちに、すぐにでも事件を解決して頂きたいですね」
「はっ、任せとけ」
店内に残った客、顔馴染みの捜査一課と小さな探偵、修理屋。色々な意味で濃いメンバーだなと降谷は思った。毛利先生を呼びに行った蘭さんが戻ってこないということは、昼間からアルコール摂取に勤しんでいるのだろう。
鑑識が現場をくまなく調べている中、松田は事件の概要を話し始めた。
「被害者は杯戸町に住む会社員の女性。26歳。それで今日は久しぶりに会った貴方方3人と被害者である女性の4人で、ここ喫茶ポアロでお茶をしていた、と。」
「ええ、そうよ」
「まさか、私達を疑っているの!?」
「ぅ...あかりぃ......」
その時の現場の状況としては、コナン、蘭、ノアが座る席から通路を開けて4人の女性が座っていた。友人には悪いが一緒に座っていた3人が怪しまれるのは必然だろう。と、降谷は店のカウンターから見守っていた。
「ボクとノア姉ちゃんで遺体を確認したんだ」
「こら、私の名前を出すんじゃない。頼むから巻き込まないで」
「一目散にコーヒーカップ確認しに帰って来たくせに」
「そういえばアンタ見ない顔だな。学生か?」
「よくぞ聞いてくれました。私は修理屋『armstrong』のノアで~す。以後お見知りおきを~」
殺人現場内とは思えない軽い口調で同期の二人に名刺を配るノア。きっと筋肉ダルマみたいな男がポージングをとるおかしな名刺だろう。コナン君は内心「おいおい」と呆れているに違いない。
「まあいい。坊主、ここからは警察の仕事だ。ここには殺人を犯した人間がまだいるということを忘れるな?」
「は~い」
珍しくコナン君は理解が早かった。洞察力が優れている松田が居るから、大丈夫だろうと確信したらしい。二人は大人しくその場を離れようとしたが、友人の一人が荒々しく声を上げた。
「ちょっと貴方」
「へ?私ですか?」
「貴方、朱里が倒れる前席立ったわよね。どこに行っていたのかしら」
「お手洗いですけど」
「貴方なんじゃないの?トイレに毒を流したかもしれないじゃない」
「はっ、確かに。出来るかもしれない」
((おい))
ノアが席に立ったタイミングは確かに怪しいと感じるだろう。だが、初めて会った面識のない客がそんなことをするだろうか。ましてや相手はノアだ。トイレに入る前に引き留めた僕が証明するしかないな。おもむろに口を開ければ、僕が声を出す前にノアが話し始めた。いつもの緊張感のない声で。
「お姉さん、馬鹿ですねえ」
「はあ?」
「だって~要らないこと言わなければ、まだバレなかったんですよ?」
「な、何のことよ!」
「え?言っちゃっていいんですか?お姉さんが犯人ってこと」
にっこりと安室スマイルに負けない営業スマイルを見せつける。
なにか間違ったことでも?と言わんばかりの顔だ。
「「...は?」」
「ノ、ノア姉ちゃん?」
「すみませんふるじゃなかった安室さん」
「なんでしょう」
「今日ペペロンチーノの注文はありましたか?」
「....そちらの女性だけ、ですね」
僕がそう答えれば、またより一層ノアの笑顔は増す。もはや悪役のようだ。コナン君も同期二人も呆気に取られている。もちろん僕もだ。
「お姉さん、貴方は私にトイレに毒を流したのではとおっしゃいましたね。確かに朱里さんの死因は毒殺です。ですが、なぜはっきり毒だと思ったんですか?遺体を隅々まで見たわけじゃないのに、おかしいですねえ」
「そ、それは、、」
「なんか盛り上がって来たんで全部喋りますね。恐らく毒は砒素でしょう。砒素は独特なニンニクのような匂いがします。安室さんに先ほどペペロンチーノの注文を聞いたのはその為です。コーヒーカップに混ぜても分からないようにペペロンチーノを注文してカモフラージュしたんでしょう」
「...もうやめて」
「次に、貴方は食前にメイクパレットを広げて化粧を直していましたね。通路側に座っていた私からは見えてしまいました。黒々とした違和感のあるカラーのアイシャドウ。頑張って抽出したんですかねえ、乾燥ひじきとか使ったりして」
「もういいわよ!!!」
アイツのせいなの、全部、アイツのせいなの!!!!!
泣き崩れる女性に、ノアはニコニコと貼り付けた笑みを捨て真剣な表情で見つめる。
声には出さずにぱくぱくと口を小さく動かしていた。
あっという間に解決まで導いてしまった彼女は、どこか不服そうだ。
饒舌なノアに違和感を覚えたのは降谷だけだっただろう。めんどくさがりなノアが自分から事件に首を突っ込み、推理ショーというよりはネタバレを暴露するように淡々と語る様は異様だった。
ただ、鑑識が手荷物検査やらコーヒーの中身を調べれば一瞬で特定できただろう。何か理由があって、事件の捜査を終わらせた?そう考えながらノアを見れば、「疲れたからコーヒー牛乳作って」といつもの自分を取り戻していた。
「...ノア姉ちゃん、化学分野に詳し過ぎない?」
「ん~、昔憑りつかれたように化学の勉強したからねえ」
いや、いつものノアじゃないな。
コナン君が班長のところに行ったのを見計らって声を掛けた。
「君は相変わらず物識りだね」
「まあ、もう一つ言うなら吐血かな。普通毒殺で血は出さない。呼吸困難とかが無難だから。消化器官を損傷させるほどの物質は、砒素と辛うじてアマニチンくらい」
「ノア」
「はい?」
「顔色、悪いぞ」
「ああ、実は今日朝から調子悪くてですね。まさか気付かれるとは」
「それだけか?」
「......」
「君は表情を隠すのは上手だが、その額に浮かぶ汗は隠せていないぞ?」
ついでに言えば、いつもより真面目なその口調が素なのかい?
はらりとその重たい前髪をかき上げようとすれば、白くて小さい手によって阻まれた。
可愛らしい顔からは想像も出来ないくらい怖い表情で訴える。触るな、と。
「...ノア?」
「凄いですね、探偵ってなんでも分かるんですか?」
そう話す彼女は呆れたように笑った。
これ以上深くかかわらないでと、そう言われた気がした。
「おーいお嬢ちゃん」
「はいはーい」
タイミング良く声を掛けられた彼女は、そのまま班長のもとに向かった。預かっていた証拠品を返すらしい。荷物の少ない彼女から預かっていたのは、何の変哲もないスマホと財布。そして、傷だらけの銀時計。
「大事なものなのかい?年季入ってんなあ」
「全然ですよ~。今すぐ捨てたいくらいなんですけどね」
「?」
その時はまだ誰も分からなかった。
彼女の抱えていた闇も過去も境遇も何もかも。
ただ、ノアも知らないことが一つある。
降谷零が、公安警察のゼロであるということを。
面白いこと書きたかったのに、あれれ~おかしいぞ~。
なぜ私の推しは皆死んでいるのでしょうか。