無職さんのデンドロ履歴書 作:リリアーナを照れさせ隊
■Past
濡羽姫が訪れた場所は漆原の神域、水神が住まう湖水の畔だった。
護衛として伴をした旅人は、しかし、一度と剣を抜く機会はなかった。人も獣もとっくの昔に生き絶えるか、逃げ出していたのだから。
『ここは料亭があったわ。私のお父様のお父様のお父様の時代から続いていた、御家御用達というやつね』
『鍛冶屋の裏手は悪童が溜まり場にしていたの。勝手に鉄屑をくすねて、玩具にしたり、秘密基地の材料にしたり、親方は毎回茹で蛸になって叱るのよ』
『収穫期は一面に黄金色の穂が生い茂ってね。毛皮みたいに柔らかそうなものだから、一度だけ、頭から飛び込んで見たの。……その後のことは思い出したくないな』
『桜にちなんだ行事があってね。知ってる? そう、花見。盃に酒を注いで。散った花は風に舞い、川面を彩り、やがてこの池に流れ着く』
道中、黒髪の少女は唄うように、取り止めのない話ばかりを口にした。
故に旅人は専ら聞き役となっていた。
『花見で川に櫛を落としたの。翌日、見知らぬ小姓がその櫛を届けにやって来てね。私に求婚した。でも……小姓は明らかに人ではなかった。素性を怪しんだお父様は小姓を追い払うと、以前から寄せられていた縁談を強引に推し進めようとした』
大名の一人娘は縁談に不満などなかった。濡羽姫は人並みの幸せを享受できるとは考えておらず、また、政略結婚など天地においてはありふれている。
たとえ顔も知らない、二回りほど歳の差がある、だが家柄と財力だけは持ち合わせた放蕩家だろうと。
婿を招いて漆原の家が存続するなら。
変わらず領民が暮らしていけるのなら。
相手が下衆でも人外でも関係ない。
『逆鱗に触れたのかな。婚姻の日の朝、
漆原家の居城を中心に、城下町から田畑まで含む所領を収める巨大な水塊が天に浮かんでいて。
少女以外は等しく洪水に沈んだ。
氾濫した河川、荒れ狂う波が家屋を押し流し、ダメ押しとばかりに雷雨が生存者の命を奪った。
『あなたが訪れる一日前の出来事よ。それでね、これからどうしたらいいか考えたんだけど』
濡羽姫は一振りの太刀を取り出す。
瓦礫を掘り返して、水没した父親のアイテムボックスから探し当てた武装。
『ご先祖様が【征夷大将軍】より直々に賜った漆原の家宝。語り継がれる逸話が真実なら、神を殺せる』
濡羽姫とて大名の娘、天地の武芸者として鍛錬を積んでおり、合計レベルは500に到達している。
加えて剣術の技巧は人並外れているという自負が彼女にあった。北玄院家から招いた高名な師範と手合わせして、ただの一度も勝ちを譲らなかったのだから。
『神殺しは私の役目。あなたは絶対に、何があっても手を出さないで』
少女は旅人に念を入れて言い含めると、単身、揺れる水面に向けて歩みを進める。
踏み出す一歩は水に沈まず、確かな足場として濡羽姫の体重を支えた。水神の権能によるものだ。
花嫁を祝福すべく水上に道が生まれる。行きつく先は湖の中央、湖底から首をもたげた蛟。
真珠を思わせる光沢の白鱗に紅玉の蛇眼、漆原の水神は所謂アルビノの個体だった。
姿形は東洋の龍、あるいは白蛇に似て。ある種の神々しさを湛えた威容はまさしく神と称するに相応しい。
それもそのはず。水神こと【大蛟】は事実、神話級に相当する能力を持つモンスターだ。例え挑むのが超級職だとしても討伐は困難を極める。
だからだろうか。
太刀を佩いた濡羽姫を、水神は脅威とみなさない。
むしろ花嫁の反抗心に愛らしさすら覚えた。一族郎党と領民を虐殺した憎き仇に楯突いて……それでも水神に嫁がねば行く当てもない黒髪の少女を哀れむ。
『悍ましい蛟……本当に嫌になるわ』
黒髪の少女は抜刀して、
――自らに太刀をあてがう。
『…………!?』
水神は驚愕する。無理もない。花嫁が、目の前で自害を試みたのだから。
動揺する意識の間隙を突いた少女は一息で水神の元に駆け寄った。湖面から曝け出している無防備な胴体、鋼鉄に勝る硬度の鱗と鱗の間に刃を立てて。
『供物は捧げたわ。目覚めなさい――【髪切】』
名刀百選【髪切】。
古の【神刀工】が鍛えた退魔の太刀である。
かつて巫女が手に、荒ぶる神を鎮めたと言い伝えられるこの名刀は一風変わった力を秘めている。
『魔性の封印。【髪切】は神であろうと、その権能を切り取り封じ込めることができる』
虚無の瞳に乾いた笑い。既に代償を支払った濡羽姫は、伝家の宝刀を白竜から引き抜いた。
黒髪の少女……否、彼女の長く美しかった黒髪は肩口でバッサリと斬り落とされている。
名刀【髪切】の代償は毛髪。
長ければ長いほど、美しければ美しいほど、代償としての価値は高まる。
生後十五年間、一度も髪に刃を入れなかった濡羽姫の黒髪はこのために。有事の際に【髪切】を振るう担い手としての価値を期待されていたからだ。
髪を切り。
神を、斬り。
噛み、切る。
故に【髪切】。
打たれた銘の如く、名刀は水神の権能の全てを切り取り……リソースを失った白竜は肉体を保つことができず、光の塵に変わり消え去った。
神殺しの顛末を見届けて、濡羽姫は足を引き摺って旅人の元に戻る。
『仇は取りましたお父様。漆原の娘として責を果たした。我が家と領地に仇なす蛟はもういない』
だがしかし。
美しき黒髪も、神殺しの代償には不足していた。
『……そう。死ぬのね私』
名刀も妖刀も変わらない。所有者に振るわれ、内在する理を発現させるという仕組みは。
世界は等価交換で回っている。
奇跡には相応の対価を支払う必要がある。
今回は、それが少女の寿命だったというだけの話。
『あ、いけない。報酬のことを忘れてた。そうね……私のすべてをあげる。大したものは残っていないけど。こんな領地と滅びたお家。あとは……お望みなら、私の体もご自由にどうぞ。生娘だから安心して?』
死ぬまでの時間制限付きだけど。
冗談混じりに呟いた濡羽姫は。
湖から伸びた七つの顎に呑まれた。
『…………ぁ』
漆原に住まう水神は
同一の権能を有する八頭の白き竜。
濡羽姫が封じた竜は末の子。流れ着いた櫛に絡まった毛髪を目にして、人間の乙女に懸想した変わりもの。
末弟を喪った悲しみと怒りに身を任せ、七頭の兄達は、不届きな神殺しの肉を貪り喰らう。
少女の最期を旅人は見た。
メニュー画面のクエストクリア表示を一瞥して。
無言でドロップした太刀を手にした。
薬瓶を呷り、黒髪の少女に変身する。
クエストは完了した。漆原を滅ぼした竜の末弟は討ち倒された。旅人はお仕事の報酬として、正当な対価として、濡羽姫の容姿を貰い受けることにした。
これより先の出来事は仕事ではない。
七頭の竜は、仇を模した猿に憤怒を向けて。
旅人は、己の土地に巣食う蛇が気に食わないため。
死闘の結末は当事者だけが知っている。
◇◆◇
□■首都メイヘム跡地
白竜に転じて猛威を振るう【分御髪】。
あなたは嵐を前に鼻を鳴らした。
七倍酷い状況を知っているため、なんとかなるだろうという気持ちしか湧いてこない。
『でも、あの手段は使えない』
黒髪の少女の囁き。
あなたは耳を押さえて飛び退いた。
なんで隣にいるんですか? 結界内ぞ?
アンデッド絶対殺すフィールドは発動中よ?
『あなたは【髪切】で七頭の白竜を封印した。それが原因で我が家宝は妖刀に染まってしまったわけだけど』
今の【分御髪】生誕秘話である。
神話級モンスターの権能と怨念で容量が埋まったので、もう【分御髪】に封印の力は残っていない。
しかし。あなたには疑問が生じる。
あれは目撃者などおらず、もちろんあなたは当時の事を誰にも話していない。濡羽姫が死んだ後の戦闘について本人は知っているはずがないのだ。
目の前の彼女が本物の死者なら。
それこそ、当時死霊となって、その場に化けて出ないとおかしな話ではないか。
『考えている時間はあるの?』
「変なことしていないで真面目にやってください!」
リリアーナの叱責であなたは我に返る。
雨足が強まり、もはや土砂降り状態。
気を抜くと暴風で体が飛ばされてしまう。
どうやら、あなたと黒髪の少女が接近したことで妖刀を刺激してしまったようだ。殺意ぱねえ。
近づいてきたのは少女からなのだが。
あなたは多分死なない。しかしリリアーナ含むその他アザーズは洪水に耐えられない。
よって魔法を捌きつつ解決策を思案する。ヨシ!
あなたはリリアーナに作戦を伝えた。
「……了解しました」
非常に何か言いたげな雰囲気を醸し出しているが、火急の事態のため、おふざけの猶予はない。
仮に言語化するとしたら『お前ふざけるのも大概にしろよ頭おかしいのか?』という感じだ。
誠に残念ながらあなたは大真面目であった。
あなたとリリアーナは二手に別れる。
当然あなたが集中砲火を受ける。リリアーナの方は手薄でも、嵐の余波で十分に身の危険がある。
可能な限りのバフと耐性装備を渡しているが、あまり長い時間は保たない。
あなたは秘策、散髪大作戦を実行に移す。
妖刀【分御髪】の主人格は白竜の末っ子だ。
封印の際にモンスターとしては絶命したが、リソースの残滓が【髪切】と混ざり合って発露した。なお毛フェチとしての気狂い度はひとっ飛びで駆け上がった。
要するに【分御髪】は毛髪を痛めつける光景に精神的苦痛を感じるのである。その隙に倒す。
幸い、生前の白竜と異なり弱点もある。
妖刀本体を依代に肉体を作っているので、その核を叩けばあれは機能停止するのだ。
あなたは【ミスティコ】を、
『えい』
「――…………ッ!?!!??!!」
飲む前に黒髪の少女が断髪した。
泥に沈む髪束を目撃して妖刀は絶叫する。
「《グランドクロス》!」
背後に回ったリリアーナが白竜の尻尾に奥義を放った。一撃で両断まではいかないものの、剣撃と合わせて、肉の内側に隠れた妖刀毛フェチ本体が露わになる。
よほど断髪のショックが大きいのか、急所を晒したまま妖刀は動きを止めている。ほな摘出しまひょか。
あなたは愛刀を鷲掴みにした。
「…………ッ!」
寸前で気を取り直した妖刀が吼える。
神の残滓から湧き出る呪詛を物質化。
それは、“射干玉”の如き漆黒の糸。
曰く――《髪斬》。
神速の隠し刀にあなたは反応が追いつかず。
絡みついた斬撃が、両腕を断つ。
……ひゅー。やるぅ。
よもや執念で防御を抜いてくるとは見事なり。
だが、両腕を失っても口が残っている。あなたは妖刀を咥えて引き摺り出した。
呪詛が抜けて黒雲は散り、快晴に。
核を失った竜の肉体が地に沈む。
やがて自然魔力に還元されるので放置して問題ないが、倹約家はリソースがもったいないと感じるだろう。
あなたは白竜を三枚におろした。
愛刀をそのままカトラリー代わりに、餓鬼系統のジョブスキルを駆使して残さずいただきます。うーん淡白。
ごちそうさまでした!(ごちそうさまでした!)
『変質したとはいえ怨念の塊よ、それ?』
あなたは過去に悪食の実績を解放済みだ。
いまさら呪いを食したところで腹は下さない。
閑話休題。
あなたは黒髪の少女に問いかけた。
なぜ協力してくれたのかと。
美少女あなたが行うはずだった断髪を、黒髪の少女は打ち合わせなしに実行してくれた。
おかげで貴重な【ミスティコ】の変身を温存できたが、黒髪の少女が手を貸す理由があるだろうか。
あなたは<UBM>を討伐して、地上に死者が蔓延る現状に終止符を打つ予定だ。そうすると黒髪の少女は現世に留まれない。<UBM>に操られている場合はもちろん、自由意志で行動できる場合も単に死を早めるだけ。
『言ったでしょう? あれに振り回されるのはうんざりなの。それに無辜のティアンを巻き込むのは嫌だからね……ふふ。よかったね? あなたが
黒髪の少女は意味深な言葉で応えた。
『私達は基本的に自由。だから、こうやって話ができる。でも制限も多い仮初の自由なの。あまり遠くには行けなかったり、時折自由と意識を奪われたり。あとは……ああ駄目ね。教えてあげられないや』
リリアーナが駆け寄って来る。
時間ね、と黒髪の少女は会話を切り上げた。
『あなたは気づいているよね? なら大丈夫』
謎の信頼に胸が熱くなりますな。
当然ながら、あなたは黒髪の少女が何を言わんとしているのか、はっきり理解していない。
しかし個々の違和感を辿ると朧げな輪郭が浮かび上がるのもまた事実。あなたは仮説を実証して、学術的でクレバーな推理を組み立てる必要があるらしい。
あなたの灰色の脳細胞が火を吹くぜ。
鹿撃帽とパイプは持ったな?
安楽椅子でくつろぐのも悪くない。
ふざけているうちに、黒髪の少女は広場の中心部に戻っていき、溶けるように姿を消した。
「何してるんですか」
あなたは小突かれた。解せぬ。
真面目に<UBM>の考察をしてるのに。
ともあれ、リリアーナはナイスファイトだ。
尻尾を切るお仕事を果たしてくれた。
「いえ大したことは。尻尾を切れたのも、あなたに魔法で強化していただいたからですし」
それでも与えられた役目をこなす姿勢にあなたは敬意を評する。役目とは、即ちお仕事である。
あと、あなたの
この通り……【分御髪】も反省しておりますので今回の件は許していただいて……。
「……(金髪もいいよね)」
へし折るぞ毛フェチ。
あなたと愛刀は血で血を洗う第二ラウンドのゴングを響かせた。仁義無用のデスマッチ再開である。
「いえそんなことよりあれを!」
無理やり顔を広場に向けられた。
リリアーナの指の感触について言及しようとした瞬間、デコピンを受けたので口を閉ざす。
あなたはデリカシーと距離感を弁えているのだ。
広場は変わらず死者と生者がひしめいている。
はて、変わった点は何もない。
……いや、あれだけの嵐と戦闘で誰一人逃げ出さないというのは些か妙な話ではある。
「見えないんですか? あそこですよ!」
あなたは改めて目を凝らした。
リリアーナの指先が示す方向を、ゼロコンマずらさず正確に把握するあなたの眼力。実にマーベラスだ。
目視で対象を確認する。
指と視線の向きからして間違いない。死者に遮られてここからだと見えづらいが。
襤褸の男。遊戯派パーティを全滅させた凄腕の剣士であった。
「だいぶやつれていますが【剣王】です。彼なら、事情を説明すれば協力してくれるかもしれません」
味方戦力が増えることは喜ばしい。
それが超級職の猛者なら万々歳だと、リリアーナの顔にでかでかと書いてあるな。
一応あなたも超級職の<マスター>なのだが、この扱いの差。誠に遺憾である。
希望的観測は控えるべきだった。
あなたはポップしたもう一つの影を視認する。
広場の中央に立つ全身甲冑。
頭上の銘は――【騎死廻聖 ブロークンシルド】。
さてここで問題です。
広場に堂々と現れた<UBM>。
共闘が見込めるなら、なぜ【剣王】はやつに手を出していないのか?
答えは簡単。やつは敵だ。
あなたは魔法で千切れた腕を癒着すると。
ノータイムで魔法を放った。
詠唱破棄した《グリント・パイル》は、魔法拡張スキルの効果で超級職の奥義に匹敵するビームと化す。
『Gu、ar』
全身甲冑は、光の壁で魔法を受け止め――
「――《エンド・ブレイカー》」
――【剣王】がその奔流を両断した。
はい決定! グル決定ー!
「何してるんですか!? いえ分かりますけど、もう少しこう、なんというか対話を!」
信じた【剣王】と<UBM>の結託に傷心するリリアーナの気持ちを察して、あなたは胸を張る。
安心していい。今日のあなたは味方である。どこの馬の骨ともしれぬ【剣王】なんぞ放置しておくが吉。
「王国ではどちらかと言うと、あなたの方がポッと出の得体が知れない人間だという事実はさておき……無視する選択肢は取れないと思いますが? 今まさに攻撃したばかりでしょう」
であるな。来てるし。
【剣王】があなたに急接近する。
凄まじい移動速度。
あなたは咄嗟に反応する。
しかし、彼を警戒していたとしても。
「《オーヴァー・エッジ》――《ソード・アヴァランチ》」
静かに立ち上がる二つのスキル。
第一のスキルで長大で強靭な刃を形成。
第二のスキルは、刃の間合いにある全てを切り刻む超々音速の連続剣。
想定外の間合いから、脅威の速度。
瞬きする暇もなく、呼吸する暇もなく。
あなたの視界の中で、彼は、その表情を変えないまま、刃を振って……。
甲高い、剣戟の音が響いた。
「……何?」
思わず男が溢した困惑。
まさしく必殺の連撃を、
距離を取った【剣王】は間合いを計りかねている。
様子見するはあなたも同じ。しかし、相手のにらめっこに付き合ってやる理由もない。リリアーナとアイコンタクトで意思疎通を交わす。もちろん伝わるよな!
「……?」
リリアーナは首を傾げた。どうして。
あなたが【剣王】を足止めするから、<UBM>の方に向かえと言ってるのよ。わかるでしょ?
「あ、はい! お気をつけて!」
駆け出したリリアーナの背中を守るため、あなたは【剣王】との鍔迫り合いに移行する。
「何のつもりかは知らないが……あの<UBM>はやらせない。邪魔をするな……っ!」
あなたは売り言葉に買い言葉で返した。
邪魔はお前だ、今立ち去るなら見逃すが?
答えは斬撃。やはり剣はペンよりも強し。
戦わなければ世界平和は訪れないのであるな。
それなら無様に死に晒せぇ! 天・誅ッ!
◇◆◇
「大丈夫でしょうか、あの人? 戦闘中も……
リリアーナは思考を切り替えて、甲冑姿の<UBM>を目指すのだった。
<Infinite Dendrogram>折れた剣/朽ちた盾