SEVEN’s CODE二次創作夢小説【オレンジの片割れ】第二部   作:大野 紫咲

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とあるどこかの世界のサービス終了によって、ただの二次創作だったはずの世界が、オレンジの世界になるまでの話。

折角なので、サ終という概念すら二次創作に導入する形にしてみました。ただでは転びません。
本当は番外編扱いの予定だったのですが、思った以上に長くなってしまいましたので、第二部の前日譚的な位置付けとしてここに置いておこうと思います。


オレンジの夜明け(前編)

 その日は唐突に——何の前触れもなく、やって来た。

 少なくとも、この世界に「住んでいる」存在だと言っても等しい、ボクらにとっては。

 

「セブンスコードの閉園……?」

「閉鎖……と言っても、実際の事態はそれ以上に悪いかもしれないな。

このセブンスコードを根幹から支えている運営団体の一つから、もうこれ以上の援助は出来ないと打ち切りの打診が来た」

 

 ボクを呼び出した二人きりの手狭な面会室で、神妙な顔をしたカシハラが切り出したのは、そんな話だった。

 いい加減、こいつと二人きりのシチュエーションなんて勘弁して欲しいけれど、こいつがわざわざSOATの主要メンバーを集めた集会室じゃなく、この小部屋で話を切り出すということは、よほどな事態だということは把握しているので、何とも言えない。

 まあ、右腕として頼ってくれるのは、悪い気分じゃないけどさ。いい加減、ボクを頼りすぎでしょ。相棒にイサクがいるくせに。

 ボクなしじゃ何もできなくなったって、知らないからな。

 眉を寄せるカシハラを、ボクは壁際に立ったまま睨む。こういう畏まった話だと、向かいに座って聞けとか言われても落ち着かない。

 突然、ここが閉園するかもしれないとか言われて、ボクだって今多少なりとも動揺している。

 

「運営ってことは、スポンサーとか金の問題だけじゃないってことだよね。この都市機能そのものに関わる話だ。そうじゃなきゃ、あんたはわざわざボクをここに呼んだりしない」

「さすが、お前は鋭いな。

機能、空間……ある次元から秘密裏にルートを通して運ばれて来ていた、アップデートの為の資材や情報、人員などが全てストップする。

……というか、『時空間の穴』自体が閉鎖される」

「……? 密航者以外でそんなルートを運営が使ってたなんて初耳なんだけど。ということは?」

「このセブンスコードは、運営側から見て『遺棄された世界軸』に認定された。

——もうこの場所が、どこかの世界と繋がることはない。大野紫咲や、鈴木愛理……彼女らがいる、過去の世界とも。

この世界の外に存在する『主たる世界軸』にとって、ここは棄てられた世界の一部になるってことだ。そして、通路を閉じられたまま廃棄された世界は、そのままゆるやかに消滅する」

 

 カシハラはそう一気に言い切ったが、思ったよりスケールの壮大な話が来て、遠慮なくボクは眉を顰め、思い切り頭を抱えた。

 こんなに脳がオーバーヒートしそうになるのは、捕縛の時以来だ。

 それ、ボクらがどうにかこうにかできる域を、ぶっちゃけ超えてない?

 多次元? 遺棄された世界軸?? セブンスコードが消滅する???

 

「……って、それ、閉鎖とか閉園とかいう騒ぎじゃないだろッッッ! 隕石が降ってきて地球が滅亡しますって言われてるようなもんだぞッ!?!?!?」

「だから、関係者以外には情報統制を敷いて漏らさないようにしているんだ。SOATの隊員にさえもな。

まあ、こんな話出回ったところで、政府の陰謀論か何かと思われて誰にも信じられないのが関の山だろうがな」

「陰謀論に謝れ……ったく、こんな理不尽な世界滅亡聞いた事ないよ」

 

 それに、何より。

 ムラサキやアイリのいる世界ともここが繋がらなくなるって、カシハラはさっきそう言ったか?

 ——もう、二度と会えないのだとしたら。どんな言葉を掛ければいい?

 胸がぎゅうっとなる感覚と同時に、様々な感情が去来する。けれど、限界まで精神力を駆使してそれらの感情論を一旦脇に置いてから、ボクは努めて冷静になりながら尋ねた。

 

「もし彼らに遺棄された場合、具体的にはこの世界に何が起こる? 捨てられても、時空間としてはここは完結してるはずだろ」

「完全に切り離された時空は、過去にも未来にも、空間的にも、ある程度の『果て』がある状態になる。時間の進まない世界で、内側にいるボクらだけでは、進歩や発展を生み出す余地がないからな。

水風船の中身みたいなものだ。そして、酸欠になった水風船の中の人間がどうなっていくかは、想像に難くない。

そもそも、水風船の形を保持する前に、外の奴らの判断で勝手に割られたら、ここは終わりだ」

「……彼らは、なんて?」

「今のところは、積極的な破壊までは検討していないような口振りだった。おそらくここのデータは、外時空で残すつもりなんだろう。

ただ……データを保持したところで、これ以上発展の兆しがないことには変わりない。ここを外と繋ぎ、変革と物語をもたらす者がいなければどうにもならないのに、あとは自分達でなんとかやってくれと、言われてしまった」

 

 それまでもなんとか、運営がこの時空の外から「観測者」の興味関心を引き出し、彼らの支援によって世界を維持してきたのだという。

 嘆息しながら、カシハラはコーヒーの黒い水面を見つめたまま、続けた。

 

「期限は、向こうの西暦時間で2022年6月30日の17時00分。

おそらく当日は、世界の断絶に伴う大規模な時空震が観測されるだろう。……その影響によって僕らがどうなるのかは、ここの設備によるシミュレーションでは見当もつかない」

 

 今、ボクは、ものすごく意地の悪いことを考えていた。

 もしムラサキに、「これからは二度と元の世界に戻れなくなる。自分が元いた世界に帰るか、ボク達とこの世界に残るか、どちらか選んでくれ」と言ったとしたら。

 彼女は、ボクと一緒に残ると、口にするだろうか。

 あれだけ大好きだと豪語していた、ボクの為に。自分が元いた世界のものを、全て捨ててまで。

 なんて。感傷的に過ぎるかな。

 バカバカしい問いだと分かっていても、答えを聞くのはちょっと怖かった。

 そのくらい、あんたの存在がボクの中では大きなものになっていたなんて、なんだか癪だな。

 頭を振って脳みそを切り替えてから、ボクはカシハラにきっと向き直る。ここで折れたら、SOAT隊長の名が廃る。

 

「それで? 我らが総帥は、何も考えてない訳じゃないんでしょ」

「話が早くて助かる。

これでも、セブンスコードの『神』と称される存在だからな。僕も、やれるだけのことはやろうと思っているんだ」

 

 微笑みを浮かべたまま目を閉じたカシハラが、すぅっと息を吸う。

 純白が眩しい特製の隊服を纏ったカシハラが腕を広げると、いくつもの浮遊するデータ群が部屋中いっぱいに現れた。

 セブンスコードを輪切りにした、地図みたいなもの……グラフや何かがいっぱいに書かれたそれを前に、逆光の中、カシハラは真剣な顔でボクを振り返った。

 

「僕は、時空震の起こるその瞬間に、この世界を中にいる存在ごと個別のものとして分離し、別のアクセス可能な異空間へ丸ごと繋げられないかと考えている」

「……。そんなこと、できるの?」

「未来・過去へも大掛かりな干渉をしていたアウロラや、彼女の研究をしていたニレの立場に近い力を手にした今であれば、な」

「だってそれ、あくまでセブンスコードの中で、ってことだよね」

「そうだろうな。たとえば僕が、捕縛の際に過去を繰り返したり、未来へトんだりした過程で、現実に眠るバーチャル世界へ接続されていた僕までもが、時空を移動していたとは思えない。

あくまで、現実世界にいる人間を移動させたり、分離させたりするわけではなく、ここにある意識の話だと思ってくれ。……それでも、ここはセブンスコード。来てくれる者達の、美しい夢を守るための場所だ」

 

 こちらを見る口元に、優しい微笑みが浮かんでる。

 まったく。こいつも、ボクより年下のくせに、ちょっとやそっとこの世界を裏から運営しただけで、立派な口叩くようになって。

 けれど、事実そんな大技ができるのは、カシハラだけとしか思えない。あの「捕縛」の危機と同じだ。肩を竦めたボクは、気を引き締め直してから問い掛けた。

 

「当日……大きな時空震が起こることは、間違いないんだよね」

「そうだ。何せ、世界が一個丸ごと消失するわけだからな。ヨハネには、その時に起こるであろう混乱に備えて、警備を頼みたい。

事情を伏せたまま、いつものメンバーにも警備に当たってもらうが、何が起こるか分からない。用心してかかれよ」

 

 SOAT内部にも極秘の作戦か。少なくとも、ボクの隊内には詳細な情報は伏せて動くことになるだろう。

 他に誰に知らせるべきか、と脳内をざっとリストアップしたところで、思いもよらない声を掛けられ、ボクはひっくり返りそうになった。

 

「それっ、私にもなんとかできない?」

 

 いつの間にか、スライドドアの隙間から覗いたムラサキが、大きなリボンをひょこんと揺らしながら中に入ってきてきた。いつも通りの、ピンクと紫色を基調にした袴姿だ。隣には、リアちゃんまでいる。

 

「ムラサキ!? 聞いて……っ、」

「パートナーでしょ。盗み聞きはよくないと思ったけど、紋で繋がってる以上、ヨハネさんの感情がとてつもなくざわざわしてるの、伝わってくるんだもん。

……ていうか、運営のサービス終了の話は、私もあっちで聞いたし。だからリアちゃんに、匂いで二人の居場所突き止めてもらっちゃった」

「えへへ、すみません……隊長のパートナーの、ご命令でして……」

「パートナーだからって、ボクと職務権限まで同等にしたつもりはないんだけど?」

 

 そう詰りながらも、ボクはどことなく、ほっとした心強い気持ちを感じていた。

 どうにもならない、手の打ちようもなく無力を感じざるを得ない状況下で、この二人の笑顔はどうあったって眩しく感じる。

 思わずカシハラの方を伺ったが、こいつは何食わぬ顔をして唇に笑みを浮かべている。こいつ、さては最初から盗み聞きされてることに気付いてやがったな。

 

「話が早くて助かる。ボクからも二人にそう打診しようと思っていたところだ」

「えへへっ。頼りにしていただき光栄でーす」

「折角ですから、皆さんのことも招集しておきますね!」

「相変わらず仕事が早いねリアちゃん……」

 

 ボクが呆れる暇もなく、それから数時間後には、カシハラがSOATの上級職員を集めて会議を始め、詳細な予定を詰めていったのだった。

 スライドを棒で指差しながら、カシハラが言う。

 

「まだ試作段階だが、時空転移装置の開発は、ミソラ達の研究部署で密かに進めてもらっている。そっちの安定化とプログラムの施行については、ボクの方で何とかするとして……

要となってくるのは、やはりこのセブンスコード内そのものの安定性だ。柱の跡地が、今でもこの時空間を支える根となっている。あそこは、ニレがD.C.システム発動の際にも、空間データの書き換えに使っていた場所だからな。今回も、柱同士を接続して転移装置の一部として使う。

今はエレメントの放出もあり危険を伴うが、そこの警備は……イサク達、頼めるか」

「おうっ! 任しとけっ、相棒!」

「アタシも張り切っちゃうわよお! 久しぶりで腕が鳴るわぁ」

 

 武闘派のイサクとミカに任せておけば、万が一凶暴なエレメントや集合体が出現しても大丈夫そうだ。

 それはそれとして、柱同士はかなり離れているし、同時に周りの状況まで目を配るのは難しそうだ。もし周囲に民間人がいたら危険なんじゃないかと思っていたら、そこはミライ隊長が手を上げてくれた。

 

「街中の民間人の誘導は、私に任せてくれ。どこか一箇所に集めた方が得策か?」

「そうだな。出来るだけ大人数で固まっていた方が、位相をズラす作業自体は、負担が軽減されるが……」

「だったらよ、当日はヴァイス主催で、ヴァイスドームのライブやるってえのはどうよ?」

 

 そう提案したのは、向かいの席に座っていたオージ。相変わらずのハデハデな衣装だけど、今のこいつは、パフォーマーじゃなくてプロデューサーだ。ボクの後を継いで、ハルツィナヴァイスの運営やまとめ役をやってる。

 裏方まで含め、一人で色んな仕事を背負って大変そうだけど、なかなか楽しくやってるらしい。その上、こんな時にはSOATにも力を貸してくれるんだから、やっぱりオージは善人っていうか、根っからのお人好しだ。

 その隣にいたクソガキ、もといソウルも、勢いよく手を挙げた。

 

「あ! だったらオレも警備回りますよ、オージさん。何かあっても、観客席からステージまで、オレのコロンをぶっ飛ばせば一撃なんで!」

「とか言って、お前はソロで出るウルカを観客席から見たいだけだろ〜?」

「う……いいじゃないっすかぁ、別に。そのくらい、クロカゲの同僚権限で許してくださいよ。オレ、SOATじゃないんだし」

「まあ、どっちにしろウルカにも出演依頼はするつもりだったし、いいだろ」

 

 オージにウィンクされ、ソウルの奴はよっしゃと拳を握る。

 真面目に仕事してよね……と思うけど、多少純朴が過ぎるとはいえ、腕は確かだから大丈夫だろう。セブンスコードそのものの仕組みに関して詳しい、ウルカが作戦に入ってくれるのも助かる。

 そわそわとボクの隣で落ち着かない素振りだったムラサキが、着物の腕を上げる。

 

「あのっ! 転移先の時空? って、私がいる世界の近くに、座標をセットしてるんだよね」

「その通りだ。極力ムラサキに負担は掛けないようにするが、向こうに関して知りたい事もあるし、貴女から何件か抽出しておきたいデータもある……協力を頼めるか?」

「うんっ。それはもちろん……だし、ここのセブンスコードや、みんなという『概念』を移行するってことは、転移先の世界でみんなのことを知っててくれる人が多ければ多いほど、安定はするってことだよね?」

「うん……かなり抽象的な話にはなるが、それはあり得るな。今のところ、一番大きな『認知』の鍵となるのはムラサキ、貴女だが、他にも知ってくれている者が増えれば、世界の解像度や強度は上がると思われる」

「そゆことなら、出来るだけ向こうのSNSとかで呟いてみるよ。まあ、私フォロワーがそこまでいるわけじゃないし、ここに興味関心を持ってくれる相手もいないかもしれないけど……少なくとも一人には心当たりあるからさっ! そういう友達には、話してみるから!」

 

 だから頑張ろう、と拳を握って頷くムラサキの言葉に、全員がひとつになる。

 そういうわけで、あくまで公にしない水面化での動きでありながら、作戦は迅速に、それでいて大規模に進んでいった。

 決行日は、世界の断絶が起こる6月30日当日。

 その瞬間に、ムラサキのいる世界に繋がる異世界のサーバーへ、全意識体の分離と移譲を行う。

 サーバー名は仮称で「orange」と名付けられた。

 

 もちろん、限られたSOAT内でも色々な意見が出た。

 分離・切り離しが起こった結果、元いた世界はどうなるのか。

 元の「遺棄された世界軸」から切り離されたボク達は、もはやオリジナルの存在とはいえない、クローンのような物になってしまうのではないか。自分達が本物の自分達であると、どう証明するのか。それこそ、テセウスの船みたいな命題だと思う。

 何も知らないまま、何も考えないまま、何も変わらない世界で、ループした日常を過ごす。本当は、それが一番楽なのかもしれない。

 それでも、この成功するかしないかも不確定なこの作戦に、皆は閉じゆく世界からの脱出を賭けて乗ってくれた。このままでは確実に放棄される、と分かっている場所にじっとして最期を迎えるよりは、やれることは全部やった上で諦められた方がいい。

 それが、ボク達の結論。

 身勝手な我儘と罵られても、本当はそんなのボクらに勝手に決める権利はなかったんだとしても、船は抗うボクらの思いを乗せて、動き出す。

 

*****

 

 世界ごと、異次元へと自分達を跳躍・分離させる。

 そんな並外れた、それこそ神にも等しい大技を成功させるため、SOATの研究所でシミュレーションに励んでいたユイトは、頭からゴーグルを外し装置の席を降りた。

 丁度、お茶を研究員に配っていたリアが話し掛けてくる。

 

「進捗はいかがですか……?」

「イメージトレーニングに近いものだが、今のところミソラが開発した装置も問題なく稼働している。こんなに早く虎の子を使う予定ではなかったと、彼女も言っていたがな。世界が終わってしまうとあっては、これも仕方がない」

「乱用されたら大変なことになってしまいますものね……」

 

 長い時代を生きてきた・則ち時空を隔ててきたと言っても過言ではない不老不死であるアウロラの体細胞をヒントに、時間を跳躍させるに必要なメカニズムをミソラ達は解明したらしいが、その原理自体はユイトもよく分かっていない。

 ただ「とにかくシステム面はあたし達でなんとかするからっ! 総帥は自分のイメージ通りの場所に飛ぶことだけ考えててくれたまへ!」とだけ言われている。(総帥というユイトの呼び名はヨハネが流布させてしまい流行っているらしい)

 

「少し、お休みされてはいかがですか?」

「そうだな。ボク自身が倒れてしまっては、元も子もない」

 

 心配顔のリアは、素直に休憩に入って眉間の間を揉むユイトに、温かいおしぼりを差し出していた。

 

「リアルの世界でも、こうやって目や首筋などを温めると、凝りや疲れに効果があるそうですよ」

「そうか……現実世界の体は、アウロラの肉体だったな。もう随分と帰っていないが」

「たまには、動かしてあげた方がいいかもしれませんね。メンテナンスの手配もしておきますね。他に何か、私にお手伝い出来ることはありませんか?」

 

 細かなことに気がつくリアは、ユイトが何か指示する前に次々と自分からやるべき仕事を見つけ出してくれる。

 その勤勉さに感謝しつつ、ユイトは笑顔で首を振った。

 

「もう十分すぎるくらいだ。榊一人で根詰めすぎるなよ」

「はいっ。私もちゃんと、仕事を分担しますので。とはいえ、いつもとは違う状況下ですから、やはり少し緊張してしまって……」

「無理もないな。ボクだって初めてのことばかりで、緊張していないと言えば嘘になる」

「何か作戦に当たって、特段SOATや市民の皆さんに、意識を促した方がいいことってあるのでしょうか。何も伝えずに気を付けてもらうのは、難しい気もするのですが……」

 

 コンタクトを装備したオッドアイの瞳を眇めながらリアは考え込むが、ユイトはそれにもゆるゆると首を振る。

 

「時空を跳躍する際、安定性を保つのに重要になってくるのは、やはり『自分が自分であること』だからな。

皆が皆らしく、好きに過ごしてもらえるのが一番いい。個々人の意識データのチェックを急げ」

「……! そうですね! 了解いたしました」

 

 そう言って仕事に戻りかけたリアだが、ふと何かを思い出したかのように、とててっとユイトの方へ戻ってくる。

 

「どうした?」

「ひとつ、報告し忘れていたことがありまして。

といっても、これは私の植能といいますか、独自の感覚に基づくものなので、不確実なデータと言えるかもしれませんが……」

「何でもいい。気になったことがあるなら、教えてくれ」

 

 少し躊躇していた様子のリアは、ほっとした表情を浮かべながら、手元のボードの紙を捲る。

 

「不思議なんです……。

ムラサキさん自体は何も専門的なことはされていないのですが、転移予定地となる先の時空間の基幹データが、すべてムラサキさんを中心に集まってきているようなんです」

「何だって?」

 

 リアが纏めた、サーモグラフィーのようなデータ分布図を見ると、確かに今もリアルタイムで、ムラサキの周囲には点状のデータ群が累積している。

 そしてリアの更なる調査によれば、それが本人の意図とは何ら関係もなく、転移地となる新たなデータ空間の構築や安定化に影響を及ぼしているとのことだった。

 

「バタフライエフェクト、というのをご存知ですか?

或いは、日本では『風が吹けば桶屋が儲かる』という諺の方が、有名かもしれませんが」

「蝶の羽ばたきは、やがて旋風を巻き起こす。

小さなアクションやきっかけが次の動きを巻き起こし、それらが連鎖した時、やがては世界を変えるほどに大きな流れに転じることもある例だな。

或いは、当初は全然見当が付かなかった方向へ結果が出ることもある」

「それと同じなんです。データはただのデータなのですが、これに接触した人の士気が上がったり、ある場所の空間工事が、このデータを使ったことで予定外に他のエリアまで拡張して終わってしまった、などということが起きていまして……」

「ムラサキの集めてきたデータは、因果関係に干渉するということか……?」

「可能性はゼロとは言えないです。ただこれも、異空間転移と同じくらい突飛な発想ですから……どこまで確証を持っていいのか」

 

 現実世界じゃとてもあり得ないですよね、と困ったように笑うリアを見て、ユイトは思案する。

 

「やはり彼女は、自分で思っているより重要な、この世界のピースということか……」

 

 転移先に彼女のいる時空を選んだのは偶然だと思っていたが、それにも何かムラサキの意志が働いているのかもしれない。

 だとしても、今はそれを善意と信じて乗るしかない、と考えながらリアと研究施設の廊下を歩いていたユイトは、不意に何かを蹴飛ばして我に返った。

 軽い反射板のようなものが床を滑る。他にも防護服や電動ドリル、ネジや鉄の板など、バーチャルでの空間拡張工事に必要そうなものが、山と置いてあった。水分や飴、菓子などの嗜好品も満載だ。

 研究所の方から特に支給申請があった覚えはないので、ユイトは首を傾げる。

 

「この物資はどうした……?」

「あ……こちらの防護服と工具ですか?

先程、鳩のマスクを被った方がSOATにやって来られて、寄付してくださったんです。

時空間の転移を起こすための作業に、必要ならば使って欲しいと。

ムラサキさんの知り合いだと仰っていました」

「ムラサキの?」

 

 二度驚き、ユイトは眉を上げて瞠目した。

 

「名前を聞いたか?」

「ボランティアなので、名乗るほどの者ではないと。お礼をしたかったのですが、去って行かれてしまいました……。でも、鳩さんが大好きな方のようでしたから、また公園できっと会えると思います。移転作業が上手くいけば、きっと」

 

 頬を綻ばすリアに合わせ、ユイトも微笑む。

 

「ムラサキは『観測者』だったからな。時空の穴があるのなら、他にも彼女の仲間がいるのかもしれない。

何にせよ、緊急事態にはありがたいことだ」

「はいっ。とても助かります。

あと、その方の連れておられたウルカさんが……いつものウルカさんと、違うというか……」

「ウルカ……コニもやって来ていたのか?」

 

 今頃ドームでリハーサルのはずだが、とユイトが首を傾げると、リアは静かに首を振る。

 

「いえ。『その』ウルカさんではなく、まだ自我を取り戻す前のウルカさんのような……。

けれど、私たちが保護したことのある、あの時点のウルカさんとも違っていて……。

同じ人物だということは分かるのですが、匂いが全然違いました。まるで、『ここではない』別の世界を、私たちとは異なる人と出逢って歩んだ、もう一人のウルカさんのように」

 

 リアの感慨深げな言葉に、ユイトは頷いて考える。

 時空の転移と分岐。自分達がやろうとしていることを、他の誰かも既にやってのけたのかもしれない。

 誰かが見る夢の数の分だけ、平行世界は存在する。

 それは恐ろしいことのようにも思えるけれど、今は自分達のいる夢を守るだけだ、という決意も新たに、ユイトは頭を一つ振って顔を上げた。

 

「さあ、ラストスパートだ。僕達の乗ったこの船を、消えてしまうただの箱庭で終わらせたりはしない」

 


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