SEVEN’s CODE二次創作夢小説【オレンジの片割れ】第二部 作:大野 紫咲
そこには、明らかに異質な空間が広がっていて…?
「うぐ……い、たた……?」
気付けば硬い場所に盛大に尻餅をついていて、私は袴のプリーツを摩りながら立ち上がった。ものすごい高所から落下したような気もするし、その割には怪我も何もしていないから、ぬるっとした滑り台を滑り落ちただけのような気もする。
それにしても、随分と深い階層まで降りてきてしまったようだ。セブンスコードには、運営の管理区域を超えた空間——俗に言う「裏世界」と呼ばれる場所が存在する。その性質は様々だが、管理区域のすぐ外側にあるメンテナンス用のエリアから、さらに深層にあるデジタルの理を超えて不可解な事象が発生するエリアまであり、運営もその全てを把握しているわけではないらしい。
生ぬるい風が吹く辺りを見渡してみた感じ、正規のエリアから近い場所にいるとは思えない。昼間の街だったはずの風景が、夜空と山に囲まれているし、下は乾いた土と砂利と落ち葉だ。さっきまでいたセブンスコードの都市部に、わざわざこんな歩きづらい場所を運営が作るとは思えない。明らかに異質な空間だった。
そこまで考えてから、私は慌てて相棒の姿を探した。ひょっこり袖の下から顔を出したことりを抱き上げて、無事を確認する。
「よ、よかったぁ、潰しちゃったかと思ったよ……!大丈夫?」
「ぴるるっ」
元気そうに羽をぱたぱたさせることりの姿に安心していると、背後で足音が聞こえた。私を拘束していたはずのサヤコさんは、ブーツ姿のまま辺りを偵察しているようだ。
「……随分と深い場所まで落ちたみたいね。ここじゃ、外部からの信号も届きやしない。まあでも、邪魔が入らないという意味では都合がいいかしら」
「さっきの手榴弾みたいなやつ、なんだったの?」
「土のエレメントの地面を破壊させる力を利用して作った、撹乱と同時に使用者をテレポートさせる機能のある煙幕よ。テレポートと言っても、自分で飛べる場所を選べるわけじゃないから、運任せだけれど。ニレの率いる組織が作ったものよ。そんな事よりも」
短いパンツのポケットやベルトのあちこちを探ったサヤコさんは、肩をすくめた。
「さっき落ちてきた反動で、銃を落としたみたい。あの隊員を脅すのに、手に持ちっぱなしだったから無理もないわね」
「! やったぁ! ってことは、今のサヤコさんには私は殺せないってこと!? 私もしかして助かった!?」
思わず飛び跳ねそうになりながら言うと、サヤコさんは呆れたような目を向ける。
「その通りだけど、あなた正気で言ってるの? こんな何が出て来るかもわからない、下手したら永久に閉じ込められたままのエリアで、外部との連絡も取れずに丸腰のまま私と二人きりでいるって事なのよ?」
「う、うおー……それを聞くと、事態が好転したとも悪くなったとも言い難いような」
そろそろと周囲の様子を伺うと、何やらおどろおどろしい雰囲気だ。そんなに強風が吹いているわけでもないのに森がざわざわ鳴っているし、空気が澱んでいるような感じがする。よく耳を澄ませば、遠くからは呻き声や呟き声の合唱みたいなものが絶えず聞こえていて……とにかく、できる事ならば一秒でも早く立ち去りたい場所だった。ことりも、さっきから怯えてずっと私の懐から出て来ない。
獣の遠吠えのようなものが俄に近くで聞こえ、さっきまで殺されそうになっていた事も忘れて、私は思わずサヤコさんにぴとっとくっついた。
「な、なんでセブンスコードの裏世界に、こんな心霊スポットみたいな場所があるのお……!」
「それこそ、人間がログインする際に意識の端から切り落とされた、余剰な思念の情報の蓄積だとか、エレメントの漂う場所が異空間化したとか、色々言われているわね。まさかこんな深い場所まで落ちるとは、私も思っていなかったわ。せいぜい、廃線のチューブにくらいまで潜り込めればいいと思っていたのに」
「じゃ、じゃあじゃあ、せめてそこまで帰れないの!? っていうか一緒に帰ろう!?!? サヤコさんだって、どの道そこまでは帰れないと困るでしょう!? そこまで休戦協定っていうか、殺す殺さないの話はなし! ね!? いい!?」
「あなたねえ……」
有無を言わせない勢いで必死で迫ると、サヤコさんはいいとも悪いとも言わなかったが、複雑な表情で顎を引いて、先に立つと歩き出した。せっかく私を殺したとしても、ニレの元へ帰れないのは恐らく彼女にとってデメリットに違いない。薄気味悪さから、友達として過ごしていた時と同じように思わずサヤコさんと手を繋いだが、ひんやりとした指先は、私を振り払うことはしなかった。掌の中心に、微かな熱を感じる。
砂利道を歩いていくと、周りを囲んでいた木々から切れ目が見えて、ふもとあたりに駅舎らしい建物があるのが見えた。人の気配はないが、そこが唯一の光源なので、ひとまずはそこに向かって歩くことにする。
しきりに野犬が遠くで吠えるような声や、何かの叫び声に怯えながらも、私はどうにか気を紛らわそうと、サヤコさんに世間話を振っていた。
「す、すごい場所だね、ここ。ド田舎の山中みたいな」
「私のいた寒村とも、大差ないわね。ちょっと車で走ればこんなものだわ」
「そういえばサヤコさんって、家の人の起こした事件に巻き込まれて……だっけ。都会に出てきたのは。ごめん、無神経な言い方だったかな」
「今更突っ込む気も起きないけど、あなた本当に何でも知っているのね。人のプライベートに関わる無粋なことまで」
「なんでもは知らないよ。……犯罪者の子供ってだけで居場所がなくなって、ずっと辛い思いをしてきたんだ、って事しか」
そう呟いて、思わず私は俯いた。
ゲーム内で見たサヤコさんに関する記録では、美容室を営んでいた彼女の母親は、客との金銭トラブルが原因で犯罪行為に及んだのだという。叔母に引き取られて都市部に出た後も、犯罪者の娘という周囲が身勝手に刻み付けたレッテルは、サヤコさんに苦労を強いるだけでなく、深い暗闇を残した。
口火を切ってしまったものはどうしようもないので、私は覚えていることを躊躇いながらもぽつりと問い直す。
「東京の専門学校で資格取って就職したって書いてあったけど、『上京してから家賃をどうやって稼いだかは知らない方がいい』って言ってたのは、やっぱり……」
「リアルの世界にいた頃から、体を明け渡すなんて、当たり前だったの。穢れた金がなきゃ、まともに生活費すら稼ぐことは出来なかった。どちらにしよ、そんな仕事に携わる奴の気持ちなんて、恵まれたあなたには関係ない話でしょうけど」
「私だって、女の子と寝てたよ。この世界でだけだけど。まあでも、サヤコさんの人生の辛さに比べたら、私のそれなんて重みが違うよね」
「……」
あなたなんかにわかる訳がないと責められるかと思ったけど、サヤコさんが口を開く前に、私たちは道を抜けて、古ぼけた建物の前に辿り着いていた。
構造から見ると、やはり駅舎のようだが……木製の外壁はペンキが剥がれてボロボロになっているし、屋根も雨晒しで今にも崩れ落ちそうだし、改札にももちろん人気はない。それなのに、ホームや入り口の蛍光灯だけはぽつりと灯っているのが、かえって不気味だった。
入り口の上あたりにある風雨に晒された看板には、かろうじて「やみ駅」と読める看板がある。私は、足を止めて見上げながら思わず息を呑んだ。
「ここ、もしかしたら……」
「何か心当たりがあるの?」
「いや、心当たりってほど役に立つ情報でもないと思うけど……。サヤコさん、きさらぎ駅って知ってる?」
「話の触りくらいは……でもそれって、都市伝説の話よね?」
無言で私は頷く。某掲示板のスレッドへの書き込みが元になっている、フィクションなのか事実だったのかも未だに判然としない、都市伝説の一つだ。そして、これまた誰かの創作かもしれないが、あの話には色々と追加要素がある。
「きさらぎ駅の前後の駅が、たしかやみ駅とかたす駅だったと思うんだけど……」
きさらぎ駅にある看板の前後の駅名が「やみ」と「かたす」だったという目撃証言があるのだ。もちろん、本当かどうかはわからないけれど。
「だからさ、もしかしたら、ここから電車に乗れば……」
私の言葉を裏付けるように、遠くから微かに電車の走る音が聞こえてくる。おそるおそる無人の改札からホームの中に進むと、確かに右手から、電車らしき灯りが近付いてくるのが見えた。驚いたように、サヤコさんがマスカラで彩られた目を走行音の方に向ける。
「でも……きさらぎ駅の話だって、主人公が助かったという内容ではないでしょう? ここから先に行ったところで、助かる保証はないわよ」
「それはそうだね。かといって、やみ駅に関しちゃ私はきさらぎ駅以上に情報を知らないし、ましてやかたす駅の先は本格的に異界に行っちゃうのかと思うと……どうも降りる先は、きさらぎ駅しかないように思うんだけど」
滑り込むように、煌々と明るい電車がホームへ停車した。よく地方鉄道で走っているような二両編成だが、人間の代わりにぼやけた影のような透けた乗客が、ちらほらと間を空けて座っている。がたりと音がして、自動扉が左右に開いた。
「……行こう」
このままここに残っていても仕方がないし、もしこの列車を逃したら、次にいつ移動手段がやって来るのかもわからない。悪手かどうかは行ってみてからでないと分からないが、もしこの電脳空間が都市伝説を元にしているのなら、そのお話の中のどこかに、現実世界に繋がるヒントがあるかもしれない。
手を引いてステップを跨ぐと、サヤコさんは素直に私について来た。手を握る力が、微かに強くなる。
「大丈夫だよ。何の力もないけど、私がついてるから」
「っ、別に怖がってるわけじゃないわよ! それに武器も持ってないあなたじゃ、足手纏いになるだけじゃない」
そんな風に強がってみせるサヤコさんは、私について隣に座った後も、手を離す気配はなかった。ドアが閉まり、ごとごとと音を立てて列車がホームから走り出す。懐かしさを感じる、田舎の電車に特有の揺れだ。どうも田園っぽい景色のところを走っているらしいということは辛うじてわかるが、時折電線や踏切らしいものが見えるほか、相変わらず周囲は真っ暗で、まったく見覚えのない場所だった。
「一駅の間って、どのくらいなんだろうね。見た感じトイレの付いてる車両じゃないから、あんまり長い間乗ってなくてもいいとは思うんだけど」
「わからないわよ。ワンマン車両でも、寒村じゃ終着駅まで1時間2時間平気で走り続けてることだってあるじゃない」
「そうなんだよなあ……私も通勤に使ってたからわかるよ」
さすがに二人で窓の外を凝視していて停車駅を見逃すという事態はないと思うが、どうしても緊張が走ってしまう。それでも揺れに身を任せながらこんな話をしていると、こんな不気味な空間ですら、まるで学校帰りの友達と下校中一緒に喋っているかのような感覚を覚えるのだった。友達と最後に電車に乗ったのって、いつだっただろう。通学に限定するなら、中学生の頃ぶりくらいかもしれない。
ふとサヤコさんが、さっきの話の続きを振るように、隣に座ったまま問い掛けた。
「ねえ。あなたは何のために、わざわざ私たちみたいな、裏側の人間がいる世界に飛び込んだの?」
「なんのため……うーんと、自分が恵まれてると思わないようにするため……?」
「何であなたが、そんな事を気にするの? 与えられた環境がどれほど幸せか、分かっているの? そこからはみ出さずにいれば、何も失うことはないじゃない。ただまっすぐに生きているだけで、愛してもらえて、守ってもらえて。あなたみたいに愛嬌がある人は、そっちの方が苦労はないでしょう? なんでわざわざ」
サヤコさんには、解せないらしい。私がサヤコさんや、かつてクロカゲにいたソウルくんやウルカちゃん達みたいな、アンダーグラウンドの人間と関わりを持とうとする事が。
興味本位と言ったら、怒られるだろうか。私にとってのその動機は、あまりにも自己満足的で、身勝手が過ぎている。それでも、正直に考えられるだけの言葉を、私は考えて口に出した。
「そうかもしれない。はみ出さずに、綺麗なものだけ見ていれば、一生幸せで居られるのかもしれないし、見ようとしたって上部のほんのちょびっとしか、見ることは出来ないのかもしれない。それでも現実を見たようなつもりになって、勝手に他者を哀れんで、結局はどうしようもないんだって割り切りながら、偽善者ヅラしてる人もいるのかもしれない。世の中のほとんどは、そういう人だと思う」
電車は、スピードを落とさずに走り続けている。周囲でぼそぼそと聞き取れない独り言を漏らす、人ならざる影たちの差し掛ける不安に負けないようにと、私は顔を上げて、向かいのガラス窓に反射した自分を見つめた。
「でも、私は……そういう人間には、なりたくないの。んな事言って、気付いたら私も『そっち側』の人間なんだろうし、実際には『違う世界』の人との間の溝は、埋まらないままなんだろうね。私が境界線のこっち側から何を声高に物申したって、向こう側の人には何も届かないんだってことも、わかってる。ただの利口ぶったナルシストなのかもしれない。……それでも、考えることだけはやめたくないの。考え続けていることさえ止めたら、本当に終わりになってしまうような気がするから」
そこまで話し終えた時、ちょうど電車が速度を下げたことに気が付いて、私たちは進行方向を見つめた。何度か分岐点を乗り越えるような振動があり、先程と大差ないおんぼろな木造の駅の前で、電車は止まった。古ぼけた看板に「きさらぎ」の文字がある。
「降りよう!」
慌てて手を引いて電車を駆け降りる。間もなく背後でドアが閉まり、再び何事もなかったかのように去っていく電車を見送ってため息を吐いている間に、サヤコさんはぽつりと私の隣でこう漏らした。
「……あなたって、つくづく変な人よね」
「えっ! そっ、そう?」
顔まで変になっていたので、本当に不思議だったのだと思う。真面目に色々語り過ぎたかと恥ずかしくなったけど、何故か仰ぎ見たサヤコさんの横顔は、ほんの少し笑っていた。
とりあえずホームに降り立ち、私はきさらぎ駅の周囲を睨むように見渡した。
駅舎は、地面こそコンクリートで出来ていたものの、看板はサビだらけで、壁にある時刻表も案の定ボロボロになっており読めなかった。
無人の改札の外には、電柱にくくりつけられた蛍光灯が、今にも消えそうにちかちかしているだけで、あまり周囲の様子は伺えない。けれど、風の中に微かな草の香りがする。暗闇の中に目を凝らせば、どんよりとした雲のかかった夜空の下に、辛うじて山の稜線が見えるような見えないような。民家一つなく人っこ一人の気配もないところが、どう考えても異質な気配を醸し出していた。
ことりも、困ったように私の髪の中に隠れておろおろしている。
「っていうか、こんな緊急事態だから言ってみるけど、一回携帯電話見てみない?」
「やむを得ないわね」
望み薄ではあったが、私達はホームのベンチに座ってそれぞれのスマホに電源を入れ、お互いに画面を覗き合った。圏外。ネットも電話も、もちろん繋がらない。
「都市伝説じゃSNSなら辛うじて繋がったみたいな話だったけど……それもダメかぁ」
「よっぽど深層に落ちてしまったんだとしたら、望み薄でしょうけど……まさかニレの通信もここまで届かないなんて」
不意に、どんどこと場違いな祭り囃子みたいな音が聞こえてきて、サヤコさんはびくっとしながら私にくっついた。完全に無意識なんだろうけど、さっきから可愛いなこの人。
「な、何、この音……」
「あ〜……そういえば都市伝説じゃ、巻き込まれた人は線路を歩いて帰ろうとしたんだっけ? それでトンネルの方に歩いて行ったら、太鼓と鈴の音みたいのがどんどん近付いてきたとか、何とか……」
砂利の敷かれた線路の向こう側に、確かにトンネルが見える。ここに来るまでにトンネルを通ってきたかどうかはあまり記憶がないが、あそこを抜ければいいんだろうか。黒黒と口を開けているトンネルは、灯りらしきものも見えず、正直進んで入りたくはない。
「そもそも、都市伝説の通りに動くのは最後助からなかったと思うんだけど、それでいいのか……? でも、ここから駅を出て山中散策して生き残れる気はもっとしないし……」
「ム、ムラサキ、あれ……」
震え声のサヤコさんが、私の肩を揺する。その尋常じゃない怯え方は、私の知ってるサヤコさんではまず見られないものなので、珍しいなと思いながら振り向くと——線路に、農業用の帽子らしきものを被った、片足のおじいさんが立ってこっちを見ていた。
「線路を歩くと、危ないよぉ」
「ぎゃああああああああっ!?!?」
たとえ女子二人が揃っていたところで、本気の緊急事態に可愛らしい悲鳴を上げるなんてどだい無理な話である。
すーっ……と滑るようにホームに近付いてくるので、私達は仕方なく、軌道へ降りておじいさんとは間反対のトンネルの方に向けて走り出した。駅の外に逃げたいところだが、土地勘も情報もなく視界も悪い場所で逃げ惑うのは危険すぎる。線路だって危険なことには変わりないが、少なくともトンネルがある以上行き止まりってことはあり得ないだろう。
「な、なんで私がこんな目に……っ」
「文句なら、こんな下層階まで落っことす兵器を作ったニレに言えばー!?!?」
ぜえぜえ言いながら走ってから振り向くと、もうおじいさんの姿は消えていた。けれど、駅に戻ってまた同じ目に遭うのかと思うと、あそこに戻る気にもなれない。
「片足のおじいさん……都市伝説では、主人公が線路を歩いてたら、危ないよって警告してくる人だっけ。片足しかないのに、体重も掛けずにまっすぐ立ってたのが逆に不気味だったね……ていうか、線路に降りる前に出てきたけど」
「やっぱり何が何でも、こちらに行かせたいのかしら」
「まあ、ホラーゲームでも、基本幽霊が出てくる方角が正解だからなぁ……うう、行きたくないよお」
ひょおひょおとトンネルを抜けてくる風は生ぬるいのに、足元にそれが当たった瞬間、ぶるっと体が震えた。けれど、背後から迫ってくる笛太鼓や鈴の音が、ガンガンとトンネルの壁に反響して、私たちの足を止めさせてくれない。後ろを振り返るのも恐ろしい思いに駆られながら、私たちは一気に暗闇の中へと駆け込んだ。しばらく歩いていると、嘘のようにやかましい音色が遠ざかって静かになる。
「……いなくなった、みたいね」
「うん。それに、出口はちゃんとあるみたい……向こうが明るいから」
トンネルの内側にこそ灯りがないものの、出口の形はここからでもぽっかりと半円型に見えるので、多少遠いが歩いて出ることはできるらしい。
足元を石に取られて転ばぬよう、発光して灯りの代わりを務めてくれたことりを連れながら、私たちはゆっくり先へと歩いた。
ホラー的にこんな時のトンネルほど不気味なものはないが、一応出口は見えているし、ことりとサヤコさんがいるのも相まって、心持ちは幾分さっきより軽い。それに、私の知っている都市伝説では、トンネルの中にいる間に何か危険なことが起きたという記述があった記憶はないので、ここは貴重な安全圏かもしれない。
手こそ繋いでいないものの、思いっきり腕を掴んで私の体に肩を寄せていたサヤコさんが、私に尋ねた。
「それで、この後はどうなるの……?」
「トンネルを抜けた先に親切な人がいて、車に乗せてホテルまで送ってくれるって言い出すの。けどその人はホテルじゃなくて山奥の方にどんどん車を走らせて、妙な独り言を呟きながら段々様子がおかしくなってって、主人公は隙を見て逃げようと思うって書き込みを残して以来、その消息を絶った……って話だったかな。まあ、だから、その車に乗ったら異界に連れ去られて助からなかった、って解釈なんだけど」
「じゃあ……そこからは私たちが、自力で何とかするしかないってことね」
「そういうこと。とにかく、ここを出たら、話し掛けてくる人間とは話もしないし取り合わない。あとは……そうだっ」
そういえば一個、帰る方法を思い出した。
急に勢いよく立ち止まった私を、サヤコさんが驚いたように見下ろす。
「サヤコさん、煙草吸ってたよね!? ライターとか持ってない!? たしか、きさらぎ駅の世界で火を起こしたり煙を出すものを持ってると、元の世界に帰れるって説があるんだよ。だからもし、何かそのへんの草とか紙にでも引火できたら……」
「残念だけど……車の中に置いて来ちゃったから、今は持ち合わせがないわ。発火させる類の武器も、ここへ落ちる時に落としてきてしまったみたいだから、他に何か火を起こせそうな物もないし」
「そ、そっか」
まあ、そう都合良く火を起こせるものを日頃持ち歩いてる方が珍しいし、ワンチャンもしあればって感じだったから、別に問題はない。
それなのに、サヤコさんは私に叱られたようにして、怯えた様子で肩を縮めた。
「ごめんなさい」
「どっ、どうして謝るの!? 謝らないで。サヤコさん何も悪いことなんてしてないよ」
思わず手を伸ばしてその黒髪に触れると、一瞬びくっとした後に、サヤコさんは戸惑いながら、反応を伺うような表情で私に撫でられていた。
この顔色の伺い方。私にも身に覚えがある。何か大人の気に入ることを言わなければ、機嫌を損ねたら自分の居場所はなくなってしまう。そう思って、自分が本当に悪いかどうかなど考えずに、ただ相手のために頭を下げる、怯えた犬のような瞳。
確かに私の誘拐は悪いことだが、たまたま脱出の意図口になるライターの持ち合わせがなかったくらいで、そこまで怯えられる筋合いはない。
(もしかして……ニレに与した後も、もしかしたらその前からも、ずっと)
こんな風に、怯えて生きてきたのかもしれない。誰かの顔色を伺うのが癖になっている。普段どれだけ対象を踏み付けにして自信ありげな態度を取っていたとしても、その本性は、こういう恐怖の中では姿を現すものだ。
思わず私は、安心させるように微笑んで——そして、ずっと考えてきたことを言った。
「……ねえ。サヤコさんってさ。本当は私のこと、そんなに殺したいって思ってないでしょう」
「ッ……!?」
その反応が答えだと断じたくなるほどに表情を揺るがせたサヤコさんは、一瞬で私と距離を取りながら、トンネルの出口を背に私を睨む。高いヒールで砂利を踏む音が響いた。
「な、何言ってるのよ……こんな場所に居るからって、動揺させるつもり? そんなわけ、」
「だって、あなたは私を攫ってから、私を袴姿のまま連れ回してたよね。しかもあんな大通りで。目立たないように潜伏するなら、私をあの制服なり、他の私服なり別の格好に着替えさせた方が、絶対に好都合なはずなのに、事もあろうに攫った時の格好のまま、通りから丸見えの席をお茶する場所に選んだ。本当は、誰かに見つけて止めて欲しかったからじゃないの?」
「……」
そう。攫われてからずっと、思っていたことだ。でも、彼女が素直に認めるはずはないと思ったから、いつこの理屈を突き付けるかは迷ったけれど、今なら私の心が届くかもしれないと、そう思った。背筋を伸ばしたまま、私は孤高の彼女を見つめる。
「あの時だって、『思ったより』到着が早かった、って言った。あのまんまあそこに居たら、多かれ少なかれSOATに発見される事を想定してたってことだよね。私を殺すだけのつもりならお茶会なんてしてる暇はないはずだし、何よりニレの為なら、あなたはもっと冷酷に賢く立ち回れる。サヤコさん、本当はすごく優秀な人なんだから」
「あ……あなたに、何がわかるって言うのよッ!」
激しく叫び立てるサヤコさんの表情が、苦しげに歪んでいた。
私の動向を探るためにSOATに侵入する計画を立て、その手筈を整えて一人で実行できるだけの行動力のある人が、間抜けなはずはないのだ。こんなに長々と私を連れ回す意味がどこにもない。連れ回す行為自体に計画性がないのだとすれば、これは彼女にとっての躊躇いに他ならない。
殺してしまうだけなら、攫ったあの時点でも、車の中でも、なんなら隊員の目の前でもよかったはずだ。セブンスコードでは、殻さえ破壊してしまえば死体など残らないのだから。その後彼女は捕まるかもしれないが、いずれにせよ目的は達成されるし、ニレのために目的さえ遂げられるなら、躊躇するような彼女ではないだろう。
それなのに、そうしなかったのは。
「こ、来ないでったら!」
涙の滲む目で、とっさに拾い上げた線路の傍の尖った鉄屑を、必死に振り回すサヤコさん。私を殺しに来たはずなのに、これじゃ私が彼女を追い詰めているみたいだ。
ことりがまたしても警戒してぶわーっと膨らみながら毛を立てるが、私はつかつかと歩み寄ると、鋭い鉄片を翳したままの彼女の背の高い体を、真正面から両腕に抱き締めた。こんな現実離れした場所にいても、体の温もりと心臓の鼓動だけは正直に、リアルの世界と寸分違わず、その存在を伝えてくるし伝えられる。私はここにいるよ、と。
「ッ……!」
「知ってるよ。サヤコさんは、本当はそんなことを出来る人じゃないでしょ。……哀しいって、誰かに見つけて欲しいって、本当は泣いてる。ニレの命令じゃなきゃ、誰かを傷付けるような真似だって、本当はしたくないはず。カッコいいけど優しいもん、サヤコさん。私知ってる」
「……ムラ、サキ」
「あなたは、本体の意識がログアウトしても、この世界に取り残されてしまった、サヤコさんの本当の心でしょ」
刺されたら、一応は痛いんだよな。バーチャルにいるから、死にはしないかもしれないけど。
でも、彼女にはこれ以上私に危害を加える気はなさそうだというのが、私にはわかっていた。からん、と鉄の塊が震えた手から落ちる。
私に縋り付く彼女の、アイラインとマスカラで真っ黒に縁取られた綺麗な目から、嗚咽と共に涙が零れ落ちた。その背中を摩っていると、サヤコさんは私に身を任せたままで、ぽつりと言葉を漏らした。
「私は……ニレと同じ存在よ。あの人のオリジナルが生み出した、人工知能の一つ。バックアップが作動しなかった時のために、予備で作られていた」
「……! そんなものが……? ってことは、あなたはセブンスコードにしか存在できない、人間じゃない存在……?」
「概ね、そういったところね。あの人は、私を元のサヤコとそっくり同じにトレースして作り上げた。見た目も、記憶も、思考回路も。今頃本物のサヤコは、悪魔の影響で精神崩壊した後に警察に捕まって、刑務所から出ては来れないでしょうからね。
でも……私にはもうわからない。私は、
そっと身体を引き離したサヤコさんが、両肩に手を添えたままで私の顔を覗く。
「だから……どうしたらいいかわからない。あなたの言う通り、私はあなたを手に掛けたくはないわ。与えられた偽物の心でも、ニレの配下にある以上どうしようもない宿命だと知ってはいても、もし私にあなたという友人が、もっと早くに出来ていたならと……何度も想像が頭を過ってしまう」
「だったら、その気持ちに従っていいんじゃないかな。あなたはあなただもの」
「でも……」
「それに、あなたは
はっとしたように、その頬を涙が伝う。
求められて生まれた存在では、なかったかもしれない。ただ道具のように扱われる為だけに、バックアップとして残されたのかもしれない。でも、私にとってのサヤコさんは道具じゃない。ニセモノでもない。
こうやって涙を流して、目の前の誰かのために葛藤できる人間だ。それが作り上げられた心でも、オリジナルの鞘子さん本人とは違ったとしても、私の目の前にいて、一緒にケーキを食べてくれて、困った時には助けてくれて、怖い時には寄り添ってくれるサヤコさんは、紛れもなく私の友達なのだから。
いつの間にか、私の気持ちに呼応するように、ことりが飛んできてサヤコさんの肩に止まっていた。女の子のように泣きじゃくるサヤコさんを、私はしばらくの間、その場で抱き締めていたのだった。
しばらくして涙が落ち着いてから、サヤコさんは汚れを気にするように、しきりに手で顔周りを擦りながら隣を歩いていた。こんな事態だし、別にメイクの事なんて気にしなくていいと思うけど、メイクがなかったとしても、サヤコさんの素顔は十分綺麗だ。
少し鼻をぐずつかせながら、サヤコさんが言った。
「それにしても、妙に冷静だし呑気だと思ったら、最初からあなたには私の本心なんてお見通しだったって訳ね」
「いや、友達に銃突き付けられて冷静でいられるはずないでしょ……普通にずっと血の気が引いてたよ。もしかして攫うフリして私の味方になろうとしてくれてるんじゃないかっていうのも、本当は殺したくなんてないんじゃないかっていうのも、私の希望的観測でしかなかったわけだし」
何をしてでも殺されたくなかったというのが本心だが、それと同等かそれ以上に、サヤコさんとは普通に友達になりたかったし、友達でいたかった。それが実現するかは、とりあえず表の世界に帰ってからどうするかによるのだろうが、何にせよ早くここから脱出しなければ。トンネルの出口まではあと少しだ。今の所、変わったところはない。
「ねえ」
ひとしきり大泣きした後のサヤコさんは、啜り上げた鼻を鳴らし、目尻の涙を拭ってから、隣を歩く私に唐突にこう問い掛けた。
「あなた、ヨハネを落とすつもりなの?」
「落とすって……いや言い方……うんでもまあ、そうだね……そういうことになるのかな」
言わなくても、ここまで付き合いがあれば、おそらく私の気持ちはサヤコさんにバレバレだったことだろう。鋭い人だし。
複雑な面持ちで頷くと、サヤコさんはふぅん、と声を出しながらそっぽを向く。
「ま、ニセモノのニレしか居ない世界で、今更どうこうしようと私には関係のない事だけど……恋敵をどうにかして貰えるのなら、私としては願ったりだわ」
「……? ……あー、なるほど」
そういえば、「捕縛」の時のサヤコさんって、あんまりにもニレが(そして、情報を集める必要上とはいえ、ニレの体に憑いたユイトまでが)ヨハネの居所を求めて執心してるもんだから、すっごい焼き餅焼いてたんだっけ。
「でも、はっきり言ってヨハネは難しいと思うわよ」
何となくその答えは予想していたので、私は苦笑しながら振り返って応える。
「だよね。全っ然簡単には人のこと信用しそうにない子だもんなぁ」
「あの子が信用してるのはお金だけよ。綺麗なのは見た目だけで、がめついし、性格悪いし。本当に、ニレはどこが良かったのかしら、あんな子」
「まぁまぁ。それだけでもないかもしれないよ? ヨハネさんって、変に情に厚いとこがあるから。その辺も、もしかしたらニレの琴線に引っ掛かったのかもね」
「ふぅん。あなたも、ヨハネの強かさやそういう優しさが気に入ってるってわけ。私みたいな卑屈な人間には、いくら努力しても勝ち目はないってことね」
隣でつまらなそうに、小石を蹴るサヤコさん。
私は思わず、足を止めてぽかんとサヤコさんの顔を見返してしまった。
「……なんか、その言い方だと、私にサヤコさんのことを好きになって欲しい、みたいに聞こえるんだけど?」
「! や、やだ、勘違いしないで。どうせあの子みたいな人間しか、社会で愛される価値はないんだって思っただけよ。……私、なんでこんな事言ったのかしら。どうかしてたわ」
サヤコさんは大慌てで手を振って否定するも、ちょっと頬が赤いし、言い方の割にはあまり険があるようには聞こえない。拗ねてる女の子みたいだ。思わず私は、ニレの愚鈍さを思いながら盛大なため息を吐かざるを得なかった。
「はあああああ。こーんな一途にずっと傍に居てもらってんのに、この可愛さに気付かないなんて、ニレは目玉が腐り落ちてるか、脳みそが深刻なバグを起こしてるか、どっちかに違いないな」
「ちょっと。いくらあなたとはいえ、そこまでニレの悪口なんか……って、な、何それ。どういうこと……? わ、私が可愛い? 何かの冗談でしょ?」
最初はキツく私を睨んだサヤコさんは、言ってることの意味が分かったのか、途中でさっき以上に真っ赤になって慌て始めた。面白がってる場合じゃないんだけど、なんか面白い。ふふ、と笑ってから、もう一度傍に寄ってその肩をぽんぽんと叩いてしまう。
「心配しなくても、私はちゃんとサヤコさんのこと好きだし、可愛いと思ってるよ」
「!?!?!? ば、馬鹿言わないで……私はねぇ! あんた達のこと、陥れようとしたのよ!?」
思わず裏返りかけた声のサヤコさんと共に、私たちは気が付けばトンネルの出口まで辿り着いていた。
おそるおそる顔を出すが、外は相変わらず線路が続いているばかりで、周りの景色も森や山が多く、変わり映えがない。まさかループしてるなんてことはないだろうな……と思いながらも、私が腕組みして周囲の様子を伺っていると、ふと私の袖を引いたサヤコさんが、向かい合ったまま、真剣な顔で言った。
「ムラサキ、さっき火を起こす方法はないかって私に聞いたわね。……さっき、あなたと話をしていて思いついたことがあるのよ。一つだけ、あるにはあるわ」
「ほんと!?」
「でも、それにはあなたの身体に負担を強いることになる。その方法は……」
躊躇いながら、サヤコさんがそこまで言い掛けた時だった。
「人の使役物でありながら、主人を無視するなんていい度胸だよねぇ。感動のワンシーンなんだろうけど、ボク、自分を除け者にされるのが大嫌いなんだ」
ゲームの中では散々聴き慣れていた、冷徹で高慢な少年の声が、その場に響いた。