「……やっぱり、ルカの言ったとおりだったか」
ダイキが、どこか悲しげに呟く。
「ど、どういうことなんですか黒野さん!? どうして、祈ちゃんが、あんなことに……」
「……落ち着いて聞いてくれ皆瀬さん。君を毎日脅したり、ハヤトくんをおかしくさせていたのは【アカガミ様】じゃない」
「え?」
真実を明かすことを躊躇うように、しかしそれでも向き合わなければいけないと言い聞かせるように、ダイキは語る。
「そもそも【アカガミ様】は願いを叶えた時点でもう何もしていない。君とハヤトくんの縁を結んだ。それ以上のことはしていないんだ」
「そ、そんな……ハヤトくんがおかしくなったのは、私が一方的に『おまじない』をしたせいじゃないんですか?」
「……一方的じゃなかったんだよ」
「え?」
「【アカガミ様】の『おまじない』……皆瀬さん、これを成功させるにはひとつ条件があったんだ」
「条件?」
「……ハヤトくんも、やっていたんだ」
「え?」
「ハヤトくんも【アカガミ様】の『おまじない』をしていたんだ。皆瀬さんに向けて」
「っ!?」
「【アカガミ様】の『おまじない』を成功させるには、お互いが思い合っていないといけない……皆瀬さん、君たちは、もともと両思いだったんだよ」
「そんな……ハヤトくんが、私を?」
信じられない。
だって、ハヤトは誰にでも優しくて、サッカーが恋人のようなもので、特別に意識する相手なんていないものと思い込んでいた。
だがカナエは思い出す。
異性の話題に関して、ハヤトは意外と奥手だった。部内で好きな女子について話が始まると、よく顔を赤くして席を外していた。
単にハヤトが色事に耐性のない初心なだけだと思い込んでいた。
だがあれは……もしや好きな相手を知られたくなかったのでは?
その相手が、自分だった?
あの眩しい笑顔は、カナエだからこそ向けてくれていたものだったのか?
……願えば必ず好きな相手と結ばれる恋の『おまじない』。
だが、それは一方的な片思いでは成立しない。
祟り神に堕ちたとはいえ、【アカガミ様】は正真正銘、縁結びの神である。
結ばれるべき男女の縁。お互いがお互いを強く求める運命の絆。それを永遠のものとすべく、決して破れない契りを結ばせる。
不滅の愛を証明するための縁結び……それこそが【アカガミ様】の『おまじない』の正体だった。
「【アカガミ様】の『おまじない』を成功させたのは、皆瀬さんとハヤトくん、君たちだけだ。……そして、その関係を妬んだ人間がいる。ハヤトくんが突然おかしくなったのも、皆瀬さんを精神的に追いつめるようなことをしてきたのも、ソイツの仕業だったんだ」
「妬んで……それ、って……」
カナエは理解を拒んだ。
ダイキの言葉を認めたくない自分がいる。
だって、それでは……このひと月以上、自分を苦しめてきたのは!
「勘違いしていたんだ。神の気配が濃すぎて、ずっと【アカガミ様】の仕業だと思い込んでしまった……でも違った。逆なんだ。
ダイキは語る。
【アカガミ様】の『おまじない』によって願いが叶わなかった者たちの情念は、行き場を無くして、まるで浮遊霊のように
「神のもとまで届いたものの、神に拒まれてしまった願いの数々……わずかでも神の手に触れられたソレは、神の力を宿している。ひとつじゃ大した力はない。でも……それが無数に集まれば……」
神と同等の気配を持ったナニカが誕生する。
「きっと
「ま、待ってください黒野さん! それじゃあ、あれは……あれは本当に……」
カナエは震えた。
突拍子もない話だったが、どこか得心してしまう自分がいた。
だって……皆、カナエに言っていたではないか。
羨ましい。どうしてあなたたちだけが? 自分たちは失敗したのに……。
いったい、これまで何枚の赤い手紙が燃やされたのだろう?
いったい、これまでいくつの願いが無下にされたのだろう?
もしも、その未練が、まるで意思を持つように漂っていたのだとしたら?
微弱ながらも、神のエネルギーを宿したソレらが、自分のよく知る人物に宿ったのだとしたら?
目の前にいる、友人によく似た、あの赤色の異形の正体は!
「……あれは
「そん、な……」
狭間祈。
小学生の頃から、ずっと仲の良かった一番の親友。
要領の悪い自分と違って、何でもそつなくこなせて、皆から頼りにされる少女。
ドジばかりする自分を励まし、いつだって味方になってくれた。
そんな優しく頼もしい彼女が……なぜ、あんなおぞましい姿になって、こんなことを?
「……カナエ。アンタが悪いのよ?」
「ひっ」
親友の形をした赤色の異形が、カナエに憎悪の視線を投げる。
カナエは、常軌を逸した戦慄を覚える。
「かわいいことしか取り柄が無いくせに……ずっとずっとあたしがいなくちゃ何もできなかったくせに……ひとりだけ思いを成就させて、幸せになりやがってさ。許せるわけないわよねぇ?」
カナエの瞳に涙が溢れる。
生霊が相手とはいえ、かつて親友にこんな悪感情を向けられたことがあっただろうか?
恐怖とはまた別の感情が含まれた涙が溢れて止まらなかった。
「……どうして? どうしてなの祈ちゃん? だって、ずっと応援してくれていたじゃない! サッカー部のマネージャーになることも『おまじない』を勧めてくれたのも、祈ちゃんだったじゃない!」
「応援? ……本気でそう思ってるの?」
「え?」
祈の生霊は、口を三日月の形に歪めてケラケラと笑い出した。
「バァァァカ! ハヤトくんを諦めさせるために言ったに決まってるじゃない! 臆病なアンタが運動部のマネージャーなんてできるわけない! そう思ってたのに……なにちゃっかりサッカー部のアイドルみたいになってんのよ!? どうせ皆アンタのいやらしい体が目当てに決まってるのに、毎日まいにち楽しそうにサッカー部の話しちゃってさ! 幸せそうにハヤトくんの話しちゃってさ! ああっ! 忌々しいったらありゃしなかったわ!」
「……なんで? なんで、そんなこと……」
「なんで? 決まってるでしょ……あたしもハヤトくんが好きだからよ!」
「っ!?」
親友が打ち明けた衝撃の事実に、カナエは顔面を蒼白にする。
「アンタなんかより、ずっと前から好きだったわ! でも何度告白しても断られてきた……『サッカーに集中したいから』って言われてね! だからアンタにも同じ惨めな思いをさせてやろうと思ったのよ! 相談にのるフリして、諦めさせようとしたのよ! なのに……何で全部うまくいっちゃうのよ!? なんでハヤトくんは……アンタなんか好きになったのよ!?」
「祈、ちゃん……」
「だから、全然効果のない『おまじない』をさせれば、いよいよ諦めると思ったのに……それまで成功させるなんて……絶対に許さない……あたしを差し置いてハヤトくんと幸せになるなんて、絶対に認めない! だから……ぶっ壊してやろうと思ったのよ! アンタたちの関係を! ハヤトくんに取り憑いて、アンタを追い詰めて、別れを切り出させて【アカガミ様】の呪いで殺されるようにねぇ! あははははは!」
カナエはとうとう耐えきれず顔を覆った。
あまりにも残酷な現実を前に、耐えきれないとばかりに。
「どうしてなの……祈ちゃん……違うよ。祈ちゃんはそんなことする子じゃない。小学生の頃だって、私をイジメから庇ってくれたじゃない」
「ああ、あれぇ? はん、あんなの……あたしがけしかけたに決まってるじゃない! ヤラセよヤラセ! カナエ、アンタがずっと目障りだったのよ! 見た目がいいだけで男子からチヤホヤされちゃってさぁ! 滑稽だったわよぉ! 何も知らず主犯に助けられて、子犬みたいに懐いてくる姿はさぁ! ざーんねんでした! アンタはずぅ~っと騙されてたってワケ! 『祈ちゃんはそんなことする子じゃない』? ……アンタがあたしの何を知ってるっていうのよ! こっちの恋心にも気づけないマヌケが、あたしを語るんじゃねぇよ!」
足場が崩れるような思いだった。
信じてきた日常が、なにもかも嘘だったと突きつけられて、いったいどう立ち直ればいいのだろう?
「どうカナエぇ? いまどんな気持ちぃ? 生きる気力も湧かない~? きゃははは! アンタに幸せな時間なんてもう一秒だって与えないわ! アンタが絶望して死ぬまで、あたしが根こそぎアンタの幸せを奪ってぶち壊してやるのよぉ!」
「わかった。もう黙れお前」
冷えた声が鋭い刃のように放たれる。
「……少し安心したぞ。いくら暴走した生霊だからって、中学生の女の子相手にするのは後ろめたさがあったが……ハッキリした。お前には、一切の容赦も、慈悲も必要ないってな」
声の主を、カナエは見上げる。
勇ましい後ろ姿がそこにはあった。
「黒野、さん……」
聞けば、彼は霊能力者ではなく、極普通の一般人とのことだ。
……だが、なぜだろう。
いま、そんな彼の背中が、とても頼もしく見えた。
「どんな理由があろうと、お前のやっていることは許されない。それも神のフリをしての行いだ。どんな報いがあるか、わかったものじゃないぞ? 覚悟はあるんだろうな?」
「はんっ! アンタに何ができるっていうのよ!? 思い知るがいいわ! 恋が報われなかったあたしたちの怨みをね!」
祈の叫びを合図にするように、空き地に無数の足音が聞こえてくる。
いくつもの人影……それは、カナエの見知った者たちだった。
「サッカー部の皆!? どうして、ここに……」
ちょうど部活帰りだったのか、ジャージ姿の部員たちが、ゾロゾロとやってくる。
様子がおかしい。
まるで夢遊病者のように、目線が安定しておらず、フラフラと歩いている。
「カナエ、気づいていた? ここにいる全員、アンタとヤリたいってアンタを欲望の目で見てた連中よ? アンタのその無駄に育った胸が気になって練習にならないってね。きゃはは、マネージャーとして面倒見てあげなさいよ。その男を煽ってやまないハレンチな体を使ってさぁ!」
「ひっ!?」
カナエは気づく。
サッカー部員たちの虚ろな目が、だんだんと肉欲の色に染まっていくのを。
全員がカナエの中学生らしからぬ発育した肢体を舐め回すように見ている。
「……皆瀬さん……ずっと、好きだった……」
「ハヤトばっかり、ズルイよな……」
「どうせ、ヤリまくってるんだろ……俺たちも、楽しませてくれよ……」
心許なかった少年たちの足取りが、とつぜん狩りをする獣のように早くなる。
全員がカナエの体を狙って駆けてくる。
女として本能的な恐怖がカナエの総身に走り抜ける。
「い、いやっ! 皆どうしたの!? 正気に戻って!」
「無駄よ! あたしの力に逆らうことなんてできないわ! せいぜい楽しませてやりなさいカナエ! 好きでもない男たちに犯される苦しみを味わうといいわ!」
「いやああああ!」
カナエに迫る欲望にまみれた無数の手。
しかし、それが届くことはなかった。
「おおおおおお!」
「……え?」
「……は?」
雄叫びと共に、吹き飛ぶサッカー部の少年たち。
空を切る轟音。立て続けに巻き起こる拳風と鋭い蹴り。カナエを目がけて駆けてくる部員たちが、次々と向こう側へ飛ばされていく。
「一応加減はした。頼むから、そのまま気絶していてくれ。お前たちの選手生命を奪いたくない」
凜然と構えを取るダイキが、そう厳かに言った。
「く、黒野さん」
「安心しろ皆瀬さん。人間相手なら俺は誰にも負けない。君には指一本触れさせない」
絶対の自信が込められた宣言。
決して大言壮語ではない。
その言葉を裏付ける修羅場を彼は何度もくぐり抜けてきた。
そう確信させるほどの迫力と覇気が、ダイキの鍛え抜かれた肉体からほとばしっていた。
「な、何よアンタ!? いったい何者よ!?」
「見ての通り、ちょっと喧嘩に自信のあるただの一般人だ」
「ふざけんな! くそっ! 眠ってんじゃないわよお前たち! 数で押し切れば、こんなヤツ!」
祈のかけ声で、再びサッカー部員たちが立ち上がる。
白目を剥いている辺り、意識は無い。
それにも関わらず見えない力によって、無理やり動かされている。
完全に生きた人形として操られていた。
「ちっ。そう都合よくいかないか」
再び向かってくる少年たちを、ダイキはまたもや華麗にいなしていく。
できる限り大きな怪我が残らないよう最大限配慮した一撃を食らわせながら、カナエから離れた距離まで投げ飛ばしていく。
「すごい……」
その光景に、カナエは思わず見入ってしまっていた。
人間とは、こんな動きができるのか?
いったいどれほどの鍛錬を積めば、これほどの超人染みた身体能力を得られるのだろう。
カナエには想像もつかない。
この異様な身体能力が、単純に『死にたくない』という生存本能による産物であることを。
できる限り怪異の魔の手から生き抜くためにも、せめて肉体面では万全を整える。
その一心によって鍛え抜かれた肉体。
聞きようによっては情けない動機ではある。
だが……結果として黒野大輝は、人間に限って無双を発揮するほどの武力を得た。
日々激しい練習に励むサッカー部員たちの身体能力も中学生としては優れているが……それでもダイキの積み重ねてきた歳月には敵わない。
宣告通り、カナエに指一本触れさせることはなかった。
……あくまで人間相手に限っては。
「うらああああああ!!」
「っ!?」
業を煮やしたか。祈の手が、まるで鉤爪のように伸びる。
異形そのものと化した手を、さらにロープのように伸ばし、鋭い爪を振り上げる。
「こうなったらテメェをカナエごと八つ裂きにしてやるよ!」
迫り来る死。
親友と信じた相手の凶手にかかろうとしている間際、カナエは己の命以上に、自分を守って戦ってくれるダイキへ意識を投げた。
「黒野さん! 逃げて!」
いくら鍛え抜かれた体でも、異形の一撃ばかりは受けきれないだろう。
やめて。
これ以上、自分のせいで誰かが傷つくのは見たくない!
必死の思いでダイキに呼びかけるカナエだったが……。
「大丈夫だ」
少年の声は、驚くほどに落ち着いていた。
「俺たちには──ルカがいる」
夜空に瞬くひと筋の光。
異形の鉤爪は、一瞬にして弾かれた。
「あ……」
カナエは見た。
銀色の月を背に佇む、銀色の髪の少女の姿を。
綺麗だ。
思わず、目の前の危機も忘れて見入ってしまうほどに、少女は美しかった。
「さあ」
透き通るような少女の声が、決して大きくはない静かな声が、混沌と化したこの場に不思議なほどに広く響いた。
まるで福音をもたらすように、天の使いが救済の唄を奏でるように、少女は言葉をのせる。
「──悪夢を、終わらせましょう」