【悲報】ビビリの俺、ホラー漫画に転生してしまう   作:青ヤギ

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決戦、決意、神罰

 

 

   * * *

 

 

 役割はすでに決まっている。

 俺とルカは狭間祈の生霊と相対し、皆瀬さんを守る。

 キリカとアイシャは生霊の本体である狭間祈の自宅に向かっている。

 そして、つい先ほどその二人から連絡が来た。

 

 交渉は決裂したと。

 

 ……やはり、狭間祈は生霊の存在を自覚した上で、使役していたんだ。

 一般的に生霊とは、生きている人間の強い怨みや情念が霊魂として体外に出てしまう現象のことだが……今回の生霊の場合、完全に本体とは独立した分身として活動している。

 あまりにも強すぎる情念は、ときとして霊的なもう一人の自分を生み出すことがある。

 そしてタチの悪いことに、狭間祈はその生霊を駒のように使い、皆瀬さんを間接的に殺害しようと企んでいる。

 夕方に俺たちの捜査を意図的に止めようとしたのは計画の邪魔をされたくなかったからだ。

 決して生霊の暴走ではない。狭間祈は最初から皆瀬さんを殺すつもりで、あの生霊を使っていた。

 

 可能ならば話し合いで狭間祈を説得させるつもりだったが……どうやら、それは叶わなかったらしい。

 生霊の力で皆瀬さんを殺す……狭間祈のその意思は揺らがないらしい。

 恐らく今頃キリカとアイシャは、狭間祈から強制的に生霊を切り離す儀式を始めたところだろう。

 

 しかし……それほどまでに、狭間祈が抱える怨みや、皆瀬さんへの嫉妬が根深かったということか。

 

「くそっ! くそっ! どいつもこいつもあたしの邪魔をしやがってよぉ! 何であたしの思い通りにならねぇんだよ! ムカツクんだよ! いままでは何もかも、うまく回ってたのに! あたしを中心にして回ってたのに! なんでなんでなんでどいつもこいつもカナエばっかりに味方すんだよおおおおお!!」

「あなた、もう黙って。耳障りよ」

「なっ!?」

 

 狂乱する狭間祈の生霊に、ルカは冷ややかな眼差しを向けて、指先を標的に定めた。

 

【 《紅糸繰(べにしぐれ)》 よ 《生霊》 を 《捕らえよ》 】

 

 ルカの言霊を合図に、指先から紅く光る筋がいくつも飛び交う。

 それらは瞬く間に、狭間祈の生霊を拘束した。

 

「なっ!? なんだコレ!? 糸!?」

 

 紅く光る無数の糸。それらが巻き付き、生霊の動きを止める。

 無論、ただの糸ではない。

 ルカの霊力を帯びた、特殊な糸だ。

 

 霊装(れいそう)紅糸繰(べにしぐれ)』──ルカやキリカ、アイシャといった霊能力者たちには、それぞれ霊装(れいそう)と呼ばれる専用の装備がある。

 キリカの場合は、ご神木によって造られた木刀を本人の足りない霊力を補うための補助具として使い、アイシャのようにベテランの能力者ともなれば、術式が刻まれたロザリオから戦闘に特化した武装を展開し、純粋な攻撃手段として用いている。

 

 そしてルカの『紅糸繰』は、彼女の言霊の効力をより強める補助具であると同時に、攻撃手段としても使える万能の霊装だ。

 高い霊力を持つルカであっても、ときには彼女の言霊を拒絶するような強敵がどうしても現れる。『紅糸繰』はそんなときに役立つ。

 糸電話を連想するとわかりやすい。糸は振動を伝える。その原理と同じだ。

 霊力が込められた糸に言霊を流し込む。こうすることにより、通常よりも霊力が増幅された状態で言霊は標的に向かう。

 これが一本、二本、三本と加われば、より効果は強まる。

 また『紅糸繰』はルカの意思で自在に動かせ、物理的な攻撃手段としても、いまのように捕縛手段としても使える。

 ……亡き母の形見でもある、ルカの専用霊装。これによって、ルカはいくつもの強敵に打ち勝ってきた。

 

 ……だが、今回ばかりは勝手が違う。

 

「ルカ。念のために聞いておくが……神の力の断片を持っていても、相手が生霊なら言霊が使えるんじゃないか?」

「残念だけど、それはできない。狭間祈の生霊自体に大した霊力はない……でも集まった神力の欠片が多すぎる。あれだけ神力が集まっている以上、もう【アカガミ様】の一部も同然。それに言霊を使うことは、間接的に【アカガミ様】に意見したことになって、神罰が降る」

「そうか……融通が利かないな、神様ってのは」

 

 まるでヤクザだな。

 末端の部下であってもソイツに喧嘩を売ることは組に喧嘩を売ったも同然ということか。

 そうなると、こちらから攻撃を加えるのも危険ということだろう。

 操られている人間に対する攻撃は問題なさそうだが、生霊に対しては拘束で動きを封じ、向こうの攻撃を防ぐのが関の山といったところか。

 

「なら……やっぱり()()()()()()()になるってコトか」

「そういうこと……彼を救えるのは、皆瀬さんしかいない」

「え?」

 

 思わぬところで自分の名を言われたことで、皆瀬さんは驚いた顔を浮かべる。

 

「皆瀬さん。私たちはあくまで手伝いにきただけ。危機から守ることはできるけど……恋人を救うのは、皆瀬さん、あなた自身よ」

「わ、私が? で、でも私、そんな特別な力なんて……」

「特別な力は必要ない。最初に伝えたとおり。……思いの丈を、彼にぶつけて。そうすれば、変化が現れるはずだから」

「そ、そんなこと言われても……」

「やるしかないの。【アカガミ様】も……きっとあなたの覚悟を見たがっている」

「え?」

「ああして神の名を騙って、神の縁結びを切ろうとしている愚か者がいるにも関わらず【アカガミ様】は静観している……つまり、これはあなたに与えられた試練。取り憑かれた恋人を取り戻すことができるか。きっと【アカガミ様】は、それを見たがっている」

 

 ルカの言葉に、皆瀬さんは呆然とするばかりだった。

 まさか、自分にすべてが委ねられているとは思いもしなかったのだろう。

 

「私が、ハヤトくんを……で、でも、私なんかの言葉で、本当にハヤトくんを助けられるかどうか……」

「あなたの言葉じゃないと意味がないの。だって……彼はずっと待っている。あなたの呼びかけを」

「え?」

「よく見て。彼は、ずっと抗っている。戦っている。いまこのときも、ずっと」

 

 ルカに言われ、皆瀬さんは向こう側で蹲る恋人に意識を向けた。

 

「……ぐっ……カナエっ……俺、は……ヤメ、ロ……これ以上、カナエを、傷つけるなッ!」

「っ!? ハヤトくん!」

 

 皆瀬さんは見た。

 生霊に取り憑かれながらも、自我を取り戻すべく必死に抗っている恋人の姿を。

 

 そうだ、彼の意識は消えていない。

 皆瀬さんが恋した相手は、完全に生霊に屈するようなヤワな男ではなかった。

 ずっと、ずっと戦っていたのだ。

 愛した少女を守るため。

 それも、断片的なものとはいえ……神の力を相手に!

 

「ああ、ダメよハヤトくぅん。あたしを拒んじゃダメ~。あなたは、もうあたしのもの。たとえ死んでもあなたの魂を離したりしない! 永遠にあたしの操り人形になるのよ!」

「うわあああああ!」

「ハヤトくんっ!」

 

 赤黒い霊力が少年ハヤトの体を覆う。

 苦悶の表情がより強まる。

 いけない。あれ以上は彼の命が危険だ!

 

「ルカ!」

「わかってる」

 

 ルカもいよいよ状況が危ういと判断してか、皆瀬さんに厳しめの目線を投げる。

 

「……皆瀬さん。アレを見ても、まだ平気でいられるの?」

「っ!?」

 

 ルカの言葉に、困惑するばかりだった皆瀬さんの顔つきが、変わる。

 

「好きなんでしょ? 彼の夢を支えるんでしょ? だったら……取り戻しなさい! あなた自身で! あなたの恋人を!」

「私、が……」

「あなたが始めた『おまじない』でしょ? なら、最後まで向き合いなさい!」

 

 珍しく声を荒らげるルカに驚く。

 個人的に、何か皆瀬さんに思うところがあったのか。

 皆瀬さんが決意を固めることを、強く願っているように見えた。

 

「……」

 

 ルカのその思いが通じたのかわからない。

 だが、もうそこに気弱な表情をした少女はいなかった。

 皆瀬さんは腰を上げ、まっすぐに少年ハヤトのほうを見据える。

 

「……待ってて、ハヤトくん。絶対に……助けるから!」

 

 最愛の恋人を救い出すため、覚悟を固めた女の顔が、そこにはあった。

 

「させるかああああああ!!」

「なにっ!?」

 

 空間を歪める赤黒い斬撃。

 狭間祈の生霊を拘束していた糸が一瞬のうちに切り刻まれてしまった。

 

 バカな! 両腕は拘束されていたはず!

 ……原因にすぐ気づく。

 狭間祈の生霊の腕が、倍に増えていた。

 新たに生やした腕の鉤爪を使って、『紅糸繰』の拘束を解いたのだ。

 

「くそっ! マジでバケモノになる気か!? ヒトに戻れなくなるぞ!?」

 

 あれ以上の変異を繰り返せば、生霊といえど怪異の領域に足を踏み入れてしまう。

 そうなったら、本体である肉体もただでは済まない。

 早いところ決着をつけなければ、取り返しのつかないことになる。

 

「死ねええええ!!」

 

 四本と化した凶手が俺たちに迫る。

 鞭のように変幻自在に軌道を変えながら、俺たちの急所を狙って鉤爪が振り下ろされる。

 

【 《紅糸繰》 よ 《鎌》 と 《成れ》 】

 

「なっ!?」

 

 だが、弾かれる。

 紅色の一閃が、四本の凶手を薙ぎ払った。

 

「な、なんだ!? なんだその鎌は!?」

 

 狭間祈の生霊が瞠目する。先ほどまで自らを拘束していた糸が、形を変えていることに。

 

 霊力によって束ねられ、固定された糸。

 何層にも重なり、巻き付いた糸は、ひとつの武器として形を得ていた。

 

 それは、紅色の大鎌であった。

 『紅糸繰』はその特性上、ワイヤーのように拘束具としても移動手段にも使えるが、これこそがルカの霊装の真髄。

 糸の性質を利用し、自在に形を変え、あらゆる武器に変形させることができる。

 

 これはその形態の内のひとつ。

 

 『紅糸繰』──第一形態『三日月』。

 

 ルカが最も愛用している武装だ。

 

 黒地のブレザー服を着た美少女と大鎌。

 一見すると不釣り合いな組み合わせだ。

 実際、非力な少女がふるえるような代物ではない。

 だが問題はない。

 霊能力者は己の肉体に霊力を込めることで身体能力と動体視力を何倍にも向上させることができる。

 ルカが四本もの凶手を一撃で薙ぎ払えたのも、そのためだ。

 

 言霊を使うことだけがルカの戦い方ではない。

 あらゆる状況に応じて、彼女は戦闘スタイルを切り替えることができる。

 ……だが、それは怪異や霊能力者に限っての話だ。

 

「は、はは、物騒なもの出しやがって……だったらこれでどう!? 一般人もその鎌でぶった斬れるかしらぁ!?」

 

 悪知恵とはこのことだ。

 狭間祈の生霊は気絶していたサッカー部員たちを再び操り、壁にし始めた。

 なんてことを。

 よりによって無関係の一般人たちを盾にするなんて。

 

 実際、これによってルカの『紅糸繰』は効力を発揮できなくなった。

 ルカの大鎌に、光り輝く紋章のようなものが浮かび上がり、警告音が鳴り出す。

 漢字の『禁』を連想させる模様……これはルカの母によってかけられた『禁呪』だ。

 一般人には決して攻撃できない。霊装『紅糸繰』にはその制限が設けられている。

 この『禁呪』がある限り、ルカはどんな人間に対しても『紅糸繰』を使うことはできない。

 霊力による身体強化も同様だ。

 ルカの母にとって、人間とは守るべき対象だった。

 その守るべき対象に霊能力を行使してはならないと、ルカの母は固く禁じ、こうして死後も効力が続くまじないをかけたのだ。

 ゆえにルカは一般人の前では、ただの非力な少女となってしまう。

 

 ……なるほど。俺の知らない原作では、ここでルカと皆瀬さんがサッカー部員たちに襲われるところだったのだろう。

 だが、そうはさせない。

 

「俺の存在を忘れてねぇか? せいやあああっ!」

「ぐっ!?」

 

 何度立ちはだかろうと、人間相手なら俺がすべて対処する。

 密集して襲ってくるサッカー部員たちを再び投げ飛ばしていく。

 

「くそっ! なら、お前から先に始末してやる!」

 

 俺を放置することのほうが厄介だと判断したか、生霊の鉤爪が飛来してくる。

 瞬時に、紅色の一閃が俺を凶手から救った。

 

「ダイキは、私が守る」

「ち、ちくしょうがああああ!!」

 

 ルカと背中合わせになって、構えを取る。

 人間は俺が。

 怪異はルカが。

 いつものフォーメーションだ。

 どれだけ卑怯な手を使おうと無駄だ。

 この数年、俺たちはずっとこうして力を合わせて怪異の脅威から生き延びてきた。

 この布陣を、簡単に崩せると思うな。

 

「……皆瀬さん! 走れ! 道は俺たちが作る!」

 

 迫り来るサッカー部員たちをあしらいながら、皆瀬さんに呼びかける。

 

「彼のもとへ向かって。そして伝えて。あなたの気持ちを、【アカガミ様】に示して」

 

 異形の攻撃を捌きながらルカが言う。

 怒り狂った生霊は、いまやルカと俺たちにしか意識が向いていない。

 チャンスは今しかない。

 注意は俺たちが引きつける。

 絶対に彼女を、恋人のもとへ辿り着かせてみせる!

 

「……黒野さん、白鐘さん……はいっ!」

 

 意を決した少女が駆け出す。

 

「ハヤトくん……ハヤトくんっ!」

 

 涙の尾を引きながら、少女は真っ直ぐ走る。

 

「たくさん、あるの。あなたに伝えたいことが。もっと、もっとあなたと思い出を作りたいから……だから!」

 

 あと少し。あと少しで、少女の手が、少年に届く。

 その僅かのところで……。

 

「カァァァナァァエエエエエエ!!」

 

 生霊が皆瀬さんの存在に気づく。

 舌を異様なほどに伸ばし、槍のように鋭くして、皆瀬さんを狙う!

 まずい!

 

【 《紅糸繰》 よ 《壁》 と 《成れ》 】

 

「ギィィ!!」

 

 だが間に合った。

 隙間なく密集した糸の壁──『紅糸繰』第二形態『満月』が皆瀬さんを守る盾となった。

 

「おのれぇ……がああああ」

 

 防壁はすぐに形を変え、生霊を拘束する縄となる。

 先ほどの拘束とは異なる、もはや膜で包むように、厳重に。

 

「今度は、絶対に逃がさない」

「むっ、があああ!!」

 

 口元にも糸を巻き付かせる。

 これで動きは完全に封じられた。

 

「ハヤトくん!」

 

 皆瀬さんは無事に恋人のもとへ辿り着いた。

 

「ハヤトくん! 私、来たよ! 目を覚まして! 一緒に、一緒に帰ろう!?」

「うぅ……カ、ナエ……」

「……ごめんなさい。気づいてあげられなくて。ハヤトくんも、ずっと苦しかったんだね? 私、自分のことばっかりで……でも、もう大丈夫だよ? 私が、絶対に助けるから」

 

 穏やかな笑顔を浮かべて、皆瀬さんは少年ハヤトの頬を優しく包む。

 

『ハハハハ! カナエ! アンタに何ができるっていうの!? 何をしても落ちこぼれのアンタが! ハヤトくんを救えるとでも本気で思ってるのかよおおお!』

 

 口を封じられているにも関わらず、生霊から声が上がる。

 これは……念話か!?

 言葉責めで皆瀬さんの意思を削ぐ作戦のつもりらしい。

 くそっ! どこまで性根が腐っているんだ!

 

『アンタなんか顔が良いことしか取り柄がないじゃない! 落ちこぼれのアンタがどれだけ頑張ったところで周りに迷惑かけるのがオチなのよ! ハヤトくんだってアンタと一緒になったって後悔するだけよ! アンタが足を引っ張って夢の邪魔をする未来がありありと見えるもの! 本気でハヤトくんの幸せを考えるなら、とっとと別れ……』

「もう黙って」

『……あ?』

「あなたにハヤトくんの幸せを語る資格なんてない」

 

 皆瀬さんは鋭い目線で、かつて親友だった生霊を睨めつける。

 悪意に満ちた言葉にも、彼女は動じていない。その瞳には、これまでにない意思の光が宿っている。

 

「私、ずっと祈ちゃんは頑張り屋さんな良い子だと思ってた……でも、違った。何でも自分の思い通りにならないとダダをこねて、自分よりも下の存在を作らないと満足できない……子どもなんだね。そうしないと人と関われないんだ。イジメられていた私なんかよりも、ずっと可哀相だよ」

『なっ……なんですってぇ!? カナエのくせに、何を偉そうに! あたしが、どれだけアンタの面倒見てきたと思ってるんだ!?』

「そうだね。いつもフォローしてくれたね。……でも、それはただ優越感に浸りたいだけだったんだよね?」

『くっ……』

「……本心はどうあれ、サッカー部のマネージャーになることを勧めてくれたのは、感謝してるよ。おかげで、ハヤトくんと仲良くなれた」

『ヤ、ヤメロ……』

「ハヤトくんを好きになったのは、確かに祈ちゃんのほうが早かった。思い続けてきた歳月には勝てない……でも、ハヤトくんと積み重ねてきた時間は、私のほうが多い」

『ヤメロオオオオ!!』

 

 生霊の様子が変わる。

 皆瀬さんの言葉に動揺するたび、形が崩れていく。

 それに合わせて、少年ハヤトの背中から赤黒い粘液が切り離されていく。

 

「もう友達ゴッコはおしまい。私はこれからも、ハヤトくんと生きていく。あなたの指図なんか受けない。こんな形でしか好きな人に関われないあなたなんかに、私たちの邪魔はさせない!」

『ナ、ナンダヨォ……カナエのくせに、ナンデ、ナンデそんな……ダメよ……アンタはあたしよりも下じゃなきゃ……下じゃなきゃいけないのにぃぃ!』

 

 生霊の輪郭がどんどん崩壊していく。

 ずっと下に見ていた皆瀬さんの思わぬ強さの前に、狭間祈が萎縮している。

 その影響か、生霊として、存在の維持ができなくなっているようだ。

 

「あっ……カナエ……」

『っ!? ハヤトくん! いやっ! あたしを拒まないで!』

 

 少年ハヤトの意識も、徐々に回復の兆しを見せている。

 効いている。

 皆瀬さんの言葉が、決意が、恋人を思う強い心が、邪悪な存在を遠ざけている。

 

「ハヤトくん。大丈夫、きっとやり直せるよ。もう一度一緒に、夢を追いかけよう? 私がずっと、あなたを支えるから」

『あ、ああ……ヤメテ……見セナイデ……絆の深さを、見セナイデ……入れない……間に挟まれなくなる!』

「あなたが挟める隙間なんて、最初からどこにもない。いい加減、ハヤトくんから離れて!」

『うわあああああああああああああああ!!!』

 

 断末魔のような叫びが上がる。

 勝てない。

 もはや狭間祈では、皆瀬カナエの心を折ることはできない。

 一方的な、押しつけがましい劣情まがいの感情が、真実の愛に敵うはずがない。

 

「……ハヤトくん。お互い、勇気があれば、こんな『おまじない』に頼る必要はなかったんだね」

『ヤメテ……ヤメテエエエエ!』

「もう一度、始めよう? ここから、私たちの本当の恋を……だから、ちゃんと伝えます」

『イヤアアアアアアアア!!』

「ハヤトくん。あなたが、好きです。大好きです」

 

 ブツリと、邪悪な縁が、切れた。

 そう感じ取れる音を、確かに聞いた。

 

「イ、イヤダァ……消エタクナイィ……モット、モットハヤトくんノ傍にィ……」

 

 生霊は、少年ハヤトから完全に切り離された。

 形を維持できなくなった生霊が、ヘドロのように溶けていく。

 

「ドウシテ……ドウシテナノヨォ……両思いしか結ばれない『おまじない』とか……どこが恋の『おまじない』よぉ! 片思いの恋も叶えろよおおお!」

 

 もはや悪態をつくことしかできないのか、液状になりつつ狭間祈の生霊は『おまじない』の内容に対して怨み言をのたまう。

 

「ふざけんなよぉ、アカガミよぉ! テメェ! 神様ならよぉ! あたしの恋をいますぐ叶えやがれってんだぁ! カナエばっか贔屓してんじゃねぇよぉ!」

「っ!? いけない!」

「え?」

「ダイキ! 皆瀬さんの目と耳を塞いで!」

 

 切羽詰まった様子のルカが、声を張り上げる。

 

 ……ゾクリ、と潜在的な恐怖が引きずり出される。

 反射的に俺は皆瀬さんの元へ駆けた。

 まさか……まさかまさかまさか!

 

「来る……」

 

 空間が揺らぐ。

 骨の髄まで軋むような、強大な気配を感じ取る。

 

「本物の……【アカガミ様】が来る!」

 

 夜空が、裂けた。

 そう形容するしかない現状が、この場に起こる。

 

「は?」

 

 一瞬だった。

 狭間祈の生霊は、裂けた空間から伸びた巨大な腕によって……どこぞへと連れて行かれた。

 

 ……惨劇が始まった。

 

「黒野さん!?」

「見るな!」

 

 急いで皆瀬さんの前に立ち、視界を塞ぐ。

 

『ぎゃああああああああああああああああああああ!!!!!?』

 

 空間の裂け目から、おぞましい悲鳴が零れ出る。

 

「ひっ!?」

「ダメだ皆瀬さん! 見ちゃいけない! 聞いちゃいけない!」

 

 壁となりつつ、皆瀬さんの耳を塞ぐ。

 数珠やお札を持っていない皆瀬さんに、背後の光景を見せるわけにも、聞かせるわけにもいかない。

 一瞬で発狂してしまう。

 いま、俺たちの後ろで起きているのは……。

 

 正真正銘の、神罰なのだから。

 

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!? 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!! 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!!』

 

 刃物で肉が削ぎ落とされるような音。

 剥き出しにされた肉を炎で炙るような音。

 

 ……ああ、そうか。そこは、噂どおりということなのか。

 【アカガミ様】の怒りを買った者は……全身を切り刻まれ、血まみれで真っ赤にされた後、最後に火炙りによって焼き殺される……。

 狭間祈は、あろうことか【アカガミ様】をけなした。敬うこともせず、無茶な要求をした上、神が結んだ縁にケチを付けた。

 

『ヒギャアアアアアアアアアア! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!! 調子に乗りすぎました! あたしが愚かだったです! だから許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して!!!』

 

 ……無理だ。止められない。

 神の名を騙り、神の縁結びを邪魔しただけでも大罪だというのに……狭間祈は、神をも愚弄した。

 もはや、試練など関係ない。

 神の静観は終わった。

 慈悲などない。

 狭間祈は、もう救われない……。

 

『ダズゲデェェェ……ナンデェ……ナンデェヨォォォ……アダジハ、タダ、スキナヒトト……結バレタカッタ、ダケナノニィ……』

 

 悲痛な怨嗟を最後に……裂け目は閉じられた。

 

 

 

 

 

 静寂が戻る。

 草木から虫のささやかな鳴き声が聞こえてきたことで、ようやく怪異による悪夢が終わったことを実感する。

 

「んっ……んんぅ」

「ハヤトくん!?」

「カナエ? ……俺……」

 

 皆瀬さんに膝枕されていた少年ハヤトも、やっと意識を取り戻す。

 

「ここは……俺は、いままで何を……」

「大丈夫。もう、大丈夫だよ」

 

 皆瀬さんは涙を流しながら、恋人の手を握る。

 見たところ、もう生霊による影響はないようだ。

 

「カナエ……」

「何?」

「俺、ずっと暗いところに居た気がするんだ……でも、カナエの声が聞こえた。声を頼りに走っていたら……光が見えた」

「そっか……」

「……なあ、よく覚えてないけど……俺、ずっとお前に酷いことを……」

「いいの。もう、いいのハヤトくん。全部、終わったから……」

 

 若き恋人たちが、月に照らされながら、視線を交わし合う。

 そこには、誰にも立ち入ることができない、二人だけの世界ができあがっていた。

 

「……ううん、終わったわけじゃないね。ここから……ここから、始めないといけないんだ、私たちは」

「え?」

「ハヤトくん……一緒に、背負っていこう。この運命を……一緒に、乗り越えていこう」

 

 神の試練は終わった。

 だが二人には神による『誓約』が残っている。

 【アカガミ様】によって結ばれた二人は、決して別れてはいけない。

 そう。二人の本当の試練は、ここからなのだ。

 

 でも……。

 俺は信じたい。

 この二人なら、その試練を乗り越えていけると。

 

 





 次回で【アカガミ様】編は終幕です。

 ※追記
 ルカにかけられた『禁呪』はある条件を満たせば自動で解除できますが、現在のルカはまだその条件を満たせていません。

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