帰宅の途中、とつぜん雲行きが怪しくなってきた。
「さっきまであんなに晴れてたのにね」
「まあ、一応梅雨の時期だしな」
空気もやたらとジメッとしてきて蒸し暑い。
肌にいやな感じの空気がつきまとう。
「これは一雨降りそうだな。ルカ、早く帰ろうぜ」
「うん、そうだね……ふ、ふわっ」
「ん? どした?」
「何か急に鼻がムズムズと……へっぷちゅん!」
くしゃみするルカも可愛いな!
いかん。恋人のちょっとした仕草が愛しくてたまらない。
「花粉にはまだ早い時期だと思うけどな。はい、お鼻チーン」
「むう。こんなに蒸し暑いから風邪でもないと思うけど……チーン」
ポケットティッシュをルカに差し出し、昔よくしてあげたようにお鼻を拭ってあげた。
「あ、降ってきた」
ドンヨリとした雲からポツポツと雨粒が落ちてくる。
「皆、雨に濡れてないといいけどな」
ファミレスに行ったレンたちのこと、そして泣きながら部室を抜け出したスズナちゃんのことが気にかかる。
あんな風に泣くスズナちゃんは初めて見たから、戸惑いが大きい。
やはり少しだけ連絡を……いや、レンがあれだけ釘を刺したのだから、ヘタな真似はしないほうがいいか。
一応レンが明日フォローを入れてくれるようだし。
……俺って、こういうときに限って無神経で空気が読めないこと言いがちだしな。
繰り返し逡巡したものの、やはりここは素直に適任であるレンに委ねることにした。
「ダイキ、大降りになる前に私の家に入ろう?」
「おう」
駆け足でルカの屋敷に向かう。
……しかし、この蒸し暑さは参るな。
急に湿度上がりすぎじゃないか? 向こう側も霧がかかって見えにくいし。
何だか……まるで山の中にいるような気分だ。
* * *
屋敷に入ったタイミングで雨音の勢いが強まった。
ちょうど大降りになる前に帰れたようだ。
「ふぅ危ない危ない。びしょ濡れになる前に帰れて良かったな……うおっ!?」
ドアを閉めた途端、ルカが俺にしがみついてきた。
「……私、イヤな子だ。スズナのこと泣かせちゃったのに、こんなことしちゃうだなんて」
「ル、ルカさん?」
「でも、やっぱり無理……どうしたって、この気持ちを抑えきれないんだもん」
顔を上げ、俺を見つめてくるルカ。
その顔は今朝以上に紅潮していて、瞳がトロンとしている。
「ねえダイキ、やっぱり今日、ズル休みすれば良かった……一日中、我慢してて辛かったよ」
「ちょっ、おいルカっ」
「ダイキと結ばれて、とっても幸せ……でも、足りないの。もっともっと実感したいの。心だけでじゃなく、体で。もう一秒だってダイキと離れたくないの」
熱い吐息をこぼしながらルカがさらに深く抱きついてくる。
密着する体が火のように熱い。
ルカの両手が艶めかしい動きで俺の体を這う。
「……椿さんが戻るのは夜頃だから、まだ二人っきりだよ?」
耳元でルカがそう囁く。聞いたこともない大人っぽい声色で。
「お部屋、行こ?」
そんなこと言われたら、俺だってもう……。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。
「……ぷくー」
雰囲気をぶち壊す音で、ルカが不機嫌に頬を膨らませる。
「なんという不躾な訪問。これからというところでっ」
「お、おい、ルカ。出たほうがいいんじゃ……」
「いいよ。居留守使っちゃおう」
「いやいや。椿さんかもしれないだろ?」
ピンポンピンポンピンポンッ!
チャイムがけたましく鳴る。
訪問者は痺れを切らしたのか、扉をドンドンと叩き出す。
よほど急用らしい。
『……ダアアアアアア!』
「うおっ!?」
扉越しからバカデカい声が上がる。
「わ、すっごい声。アヒルさんかな?」
「何を呑気なことを言っているんだルカ」
『何で出ないんだよォォォ! こちとら土砂降りの中、来てあげてるんでしょ~!』
声からして来訪者はどうやら女の子らしい。
ハスキーボイスでありながら、どこかアニメ声の特徴的な悲鳴を上げている。
『こら白鐘瑠花ァ! 早く入れなさいってばァ! 居るのはわかってんだからね~! ちょっとクレハ! 本当に屋敷の中に居るんでしょうね~!?』
『ええ、ちゃんと彼女の霊力を感じるわ。帰宅済みのはずよ』
ん? いまクレハって言ったか?
俺たちが所属することになった対常闇の侵徒チーム『
とすると、来訪者は逆月の関係者ということか。
これは居留守を使うわけにはいくまい。
「げっ。クレハ? あの女も来てるの? やっぱ居留守しとこ」
「ダメでしょルカ。大事な話かもしれないだろ? はいは~い。いま開けますよ~」
『誰ェ!? 男の声がするんだけどォ~!?』
『あら、この声は……うふふ♪ 付いてきて良かったわ』
とにもかくにも豪雨の中を放置するわけにもいかないのでルカの代わりに玄関を開ける。
扉が開く。その僅かな隙間から……。
手刀が飛んできた。
「……お前な」
「うふふ。こんにちわ、ダイキ」
グググ、と咄嗟に相手の手首を掴んで手刀を止める。
……これ、頭部に喰らったら普通に気絶する威力だぞ?
そんな危険な手刀を繰り出した赤髪の少女──緋凰クレハはまるで悪びれもせず、どころか上機嫌な顔で玄関に入ってきた。
「さすがね。この不意打ちも止めちゃうんだ」
「おい、まさか顔を会わすたびにこんな真似をするつもりじゃないだろうな?」
「ダメかしら?」
クレハはこてんと無邪気な子どものように首を傾げる。
「ダメに決まってるだろ。心臓に悪すぎる」
「でも、ダイキなら平然と対応しちゃうんでしょ? こんな風に」
クスクスと笑いながらクレハは掴まれていないほうの手を伸ばして、俺の頬に添える。
「……やっぱり、あなたって素敵……」
「っ!?」
琥珀色の瞳がうっとりと俺を見つめてくる。
くっ! 遊びで攻撃を仕掛けてくるクレイジーな女なのに顔が良いからドキドキしてしまう!
「……な~に人の男に色目使っとんじゃゴラァ……」
「ひっ!?」
俺とクレハの間にニュッとルカが生えてくる。
怨嗟の声を上げながら。
「あら、白鐘瑠花。私とダイキの間に挟まるなんて空気が読めない娘ね」
「それはこっちのセリフだよ。せっかく恋人同士の時間を楽しもうと思ってたのに、アポも無しで来るだなんて」
「恋人?」
「そう。私とダイキはお付き合いすることになったの」
むふ~とルカが自慢げに語る。
「もう婚約も済ませてるんだから!」
した覚えはないぞ!? いや、もちろん然るべきタイミングでするつもりだけどさ!
「だから緋凰クレハさ~ん? 私の恋人にちょっかいかけるのは金輪際やめてくださる~?」
「え? やめないけど?」
「……は?」
「確かに交際や婚約は1対1が鉄則ね。……でも、それは表社会での話でしょ? 私たち霊能力者の界隈じゃ寧ろ、特異な能力ほど継承者を増やすために多重の……」
「あーっ! あーあーっ!! ダイキは一般人! 霊獣を四匹も宿してるけどギリ一般人だから!」
「うわっ、何だよ急にルカ……イテテ、耳に指を突っ込まないで……」
とつぜんルカは大声を上げて俺の耳を塞いできた。
何だ? クレハとルカはいったい何の話をしてるんだ?
「……ダアアアアア!!! いつまで玄関で漫才しとるんじゃい~! さっさとあたしも中に入れなさいっての~!! 雨がこんなに降ってるでしょうが~!!」
「「ぴっ!?」」
耳を塞がれていても聞こえるほどの怒声に、俺だけでなくルカも跳ね上がる。
「あら、ごめんなさいミコト。忘れてたわ」
「ちょっとクレハァ!? 相棒の存在を忘れるんじゃないよォ! まったくもう~! 医術専門のあたしが風邪でもひいたりしたら示しがつかなくなるでしょうが~!!」
やたらと語尾が伸びる特徴的な声の持ち主が屋敷に入ってくる。
「おっほん~! お初にお目にかかるわね白鐘瑠花~!」
バサァ! と白衣が翻る。
雨雫を弾く水色のセミロング。自信に満ちたアーモンド型の金眼。
ブレザー系の制服の上にお医者さんのような白衣を身につけた少女が、謎のポーズを取りながら自己紹介を始める。
「あたしは逆月のメンバーの一人、
そう言って少女は資格証らしきものを見せてくる。
心霊治療術士?
確か霊能力者対象の病院で働く人たちがそう呼ばれていたはず。
物理的な負傷だけでなく、霊的な病や不調……いわゆる『霊障』を癒す専門家だとか。
資格証に記載された生年月日を見るに、彼女は俺たちと同い年のようだが。
「その歳で心霊治療術士? え、普通に凄いね」
「ふふん~! そこらの凡人と一緒にしないでもらいたいわね~!」
ルカの発言に青鹿ミコトは鼻を高々にする。
「なぜなら、あたしは天才だから~! どんな霊障も、この青鹿ミコトにかかれば治せないものは、ぬぁいのだ~!」
少女は腰に手を当てて胸を張る。
それはもう、ご立派な胸を「どたぷんっ!」と。
……うおっ、デッカ。
もしかしてアイシャ並にデカくねえか?
「……オイ? どこ見てんだ、オイ?」
「ギッ!?」
片耳に凄まじい痛みが走る。
瞳から光彩を消したルカの顔面が間近に迫る。
「もう浮気か、オイ? もう飽きたのか私の胸に?」
「ひぃぃ!? そ、そんなことはございませ~ん!」
これまでにないルカの嫉妬を前に命の危機を覚える。
……そうか。もう俺はルカ以外の女性の胸をマジマジと見るわけにはいかなくなるんだ。
それが、女の子と交際をするってことなんだな!
「お~い~!? 夫婦漫才してないであたしのことに注目せんか~い~!?」
「む。夫婦と申したか? あなたはいい人。アポ無しで来たことは不問にしておく」
夫婦と言われてルカの機嫌はケロリと治った。
ありがとう、青鹿さん!
「アポ無しですって~!? そんなわけないでしょ~! ちゃんと今日『検診に行く』って逆月用のグループチャットにメッセージ送ったでしょうが~!」
「え? ……あ、ほんとだ。ごめん、ダイキと愛を育んでたから全然確認してなかった」
「バカタレ~!? 逆月のメンバーになったんだからちゃんと確認しとかんか~い~!?」
こらこらルカ。ちゃんとメッセージは確認しとかないとダメでしょ?
……とはいえ一応、半分は俺のせいでもあるのでルカと一緒に頭を下げましたよっと。
「すみませ~ん、反省してま~す。……ところで検診って? 別に私、どこも悪くないよ?」
「ハァ~!? そんなはずがないでしょうがアァァァ!!?」
「にょわああああ!? 声量で体が吹き飛ぶぅ!?」
ルカが本当に吹き飛びそうだったので慌てて支える。
声でっかいね~青鹿さん。歌手も目指せるんじゃない?
「あんたねぇ!? 二体も妖魔八大将の力を使ったのよ!? 何かしら反動が起こるに決まってるでしょうが~!」
「っ!? それって……いまルカの体に良くないことが起きてるってことか!?」
妖魔八大将。
ルカの霊装、紅糸繰の中に宿る八体の強大な妖魔。
邪心母との戦いで、ルカはその八体の内の二体に認められ、力を引き出した。
……八大将の長である『
八大将の力を使えば使うほど、ルカは怪異に近づくと。
この間ルカが使役した八大将は雪女の『
懺悔樹の戦いも含めれば『雹妃』の力は二回、『走焔』は一回だけ……。
たったそれだけの回数で、もうルカの体に危険が及ぶというのか!?
「青鹿さん! あんたならルカの体のことがわかるんだな!? だったら頼む! すぐにルカの状態を調べて……」
「……」
「あれ? あの、青鹿さん?」
「……男子に話しかけられたァ~!!!!」
「うおっ!?」
「ギャース! というかあたし、男子と同じ空間に居て同じ空気吸っとるやんけー! 孕ませられる~!」
「何言ってるの!?」
何だ!? 俺が話しかけた途端、青鹿さんが錯乱しだしたぞ!?
「ごめんなさいね、ダイキ。ミコトって女子校通いだから歳の近い男子に慣れてないの」
クレハがそうフォローを入れる。
……いや、だからって過剰でないかこの反応は?
「わ~んクレハ~! あたしの魅惑ボディが絶対にエッチな見られてる~! どっかに連れ込まれて種付けされるんだァ~!」
「……ダイキ?」
「しないしない! 絶対にしないからそんなこと!」
「ハァ~!? あたしのこの悩殺ボディに魅力が無いってのかァ~!?」
「めんどくせーなあんた!?」
ルカの担当医とやらを名乗る青鹿ミコト。
どうも、また癖の強い人間が現れたな……。
* * *
一方その頃、ファミレスにて。
「……ごくごく……ブハァ! もう、やってられませんわ~! こんちくしょうめですわ~! キリカさん、もう一杯!」
「ドリンクバーのジュースでヤケ酒の真似しないでよ! 自分で取ってらっしゃい!」
「ひ~ん! キリカさんったら冷たいですわ! わたくしはいま傷心していますのよ!? お~いおいおいおい! クロノ様がルカの手であんなことやこんなことをされたかと想像するだけで……オッ……オオッ! オオオオオオ~ン♡♡♡」
「アイシャ! 店で変な泣き声上げないでちょうだい! はぁ~もう2時間もこんな調子で参っちゃうわね……レンも何か言ってやってちょうだい!」
「……ねえ、キリちゃん。将来の夢って何?」
「な、何よ急に? そうね、スポーツインストラクターとか体育教師とか考えてるけど……」
「私は編集者になるか企業するか考えてたんだけどさ~……いまから総理大臣とか目指そうかな~」
「え?」
「でもって一夫多妻制に法律を……」
「ちょっとレン!?」
「オオオオオオン♡♡♡」
「反応すんじゃないわよアイシャ!」
「あの、お客様……他のお客様のご迷惑になりますので大声は控えめに……」
その日、ファミレスに付き合ったことを後悔するキリカであった。