その夜、スズナは久しぶりに亡き母の夢を見た。
たとえ夢でも、母と会えるのは嬉しかった。
『おかあさま! おとうさまとはどうして結婚なされたのですか? スズナ、知りたいです!』
それは懐かしい思い出のひとつ。
ラブロマンスの映画を見た影響で幼いスズナは、父と母の馴れ初めを知りたくなったのだ。
オマセな娘の質問に母は苦笑を浮かべながらも、スズナに話を聞かせた。
『そうね。私が根負けをしたから、かしら』
『こんまけですか~?』
『実は何度もプロポーズをされたのだけど、その
『え!? どうしてですか!? おとうさまのことお嫌いだったのですか!?』
『いいえ。愛していたわ。だからこそ不幸にしたくなかったの。私と一緒になったら、あの人を悲しませてしまうから』
不思議そうに首を傾げるスズナに母は真剣な眼差しを向けた。
『スズナ。これは、あなたにも関わりのある話ですから、よく聞きなさい』
母は語った。
母の血族……特に女性は、なぜか早世が多いのだと。
実際、母方の祖母は、母が幼い頃にすでに他界していた。
『私も長生きはできないかもしれない……だからあの人の告白を受け入れるわけにはいかないと思った。でも、あの人は「それでもいい。僕には君しかいない」と言ってくださった。それで一緒になることを選んだの』
そう言って母はスズナを強く抱きしめた。
『いまは結婚をして良かったと心から思っているわ。スズナ、あなたという宝物に出会えたのだから』
母にそう言ってもらえて、スズナは嬉しく、誇らしく思った。
それでも、母の話を聞いて恐れが芽生えた。
『おかあさま……スズナも、すぐに死んでしまうのですか?』
怯える娘の背中を母は静かに撫でた。
『そうならないと信じたい。でも……覚悟はしなさい。私も、母にそう教わって育ったの。スズナ、悔いのないように毎日を生きなさい。人との縁を大事になさい。いつでも、お別れができるように』
幼い娘に告げるには、あまりに酷な教えだった。
だがスズナにはわかっていた。
母の言葉は、娘を本気で思うからこそのものだと。
母は「そしてね……」と続けた。
『あなたも恋をしなさい。恋は素敵です。心の底から好きな人に出会えたら、それはとても幸せなことなのよ?』
母はそう言って、本当に幸せそうに笑った。
その笑顔を、スズナはとても羨ましく思った。
いつか自分も、そんな殿方に出会えるのだろうか?
それから間もなくして、母は亡くなった。
病名は最後まで不明だった。
どんな名医でも治せなかった謎の病に蝕まれながらも、母は笑顔で眠った。
──あなたたちに出会えて、私は幸せでした。
スズナは思う。
はたして自分は、母のように笑って逝けるだろうかと。
恋は素敵だと母は言った。
母の言葉はいつだって、スズナにとって真実だった。
だが……今回ばかりは、素直に頷くことはできなかった。
(お母様……スズナは、恋をしてはいけない人に恋をしてしまいました)
それが、とても苦しい。
思いが強まれば強まるほど、笑顔が消えていく。
(お母様、教えてください。スズナは、どうすればいいのですか?)
母の言葉が欲しい。
どうか、この愚かな娘を叱り、教え導いて欲しい。
だがスズナの思いは虚しく、夢は終わりを告げる。
頬を伝う涙の感触で、スズナは目覚めた。
部屋はまだ暗い。
電子時計を見ると、深夜の二時であった。
中途半端な時間に目覚めてしまったようだ。
「お水、飲も……」
少し喉が渇いていた。
スズナはなるべく音を立てず、リビングに向かう。
ウォーターサーバーの冷たい水を飲み、スズナはソファーに座る。
どうも寝直す気にはなれなかった。
いま眠ると見てはいけない夢を見てしまいそうで、どうにも怖い。
『どんな夢?』
心の中でもう一人の自分が尋ねる。
決まっている。ダイキの夢だ。
もしも夢の中で思い人が現れたら、きっと不誠実で不義理な内容になるかもしれない。
『べつにいいじゃない。夢の中なら』
夢でもダメだ。
それは、ルカへの裏切りだ。
『……そんなにルカさんとの友情が大事?』
大事に決まっている。
ルカは父を呪われた絵画から救ってくれた恩人だ。
心から敬い、支えるべき存在なのだ。
『あなたから初恋の人を奪った女なのに?』
「それは……違います。お二人の間に後から割り込もうとしているお邪魔虫は、スズナのほうです」
思わず口にしてしまった。
『順番がそんなに大事? 積み重ねてきた年月が無いと恋をしてはいけないの? 関係ないわ。力ずくで奪ってしまえばいいのよ』
「そんなのは、間違っています!」
『……じゃあ、消してしまえばいいのよ。邪魔な存在を』
「……え?」
スズナは気づく。
心の声かと思っていた囁きが、実際に頭の中で響いているのを。
『いまの私たちなら、それが実現できるのよ?』
「……だれ? だれなんですか、あなた?」
『私はあなたよスズナ。私たちで力を合わせてユメを叶えるの』
「なにを、言って……」
とつぜんリビングの明かりが落ちる。
代わりにテレビが勝手についた。
「え?」
テレビに映る画面を見て、スズナは混乱する。
番組に映っているのは、スズナ自身だった。
『みなさーん! ルカさんのこと嫌いですか~?』
『嫌いでーす!』
テレビの中のスズナはまるで児童番組の解説役のように明るい声色でそう言った。
合わせるように、無数の小さなスズナたちが元気に答える。
『ダイキさんを独り占めにするルカさんなんて、許せませんよね~?』
『許せませ~ん!』
『それでは皆さんでルカさんを消してしまいましょう~!』
『わ~い!』
場面は移り変わり、ルカが映し出される。
壁にはり付けられたルカが。
『それではみなさん! ルカさんをこらしめてあげましょう~!』
『お~!』
スズナたちは変わらず無邪気な調子でルカたちを囲む。
手にナイフを持って。
「ひっ!?」
番組の中のスズナたちは一斉にルカに刃を突きつけた。
血飛沫が上がる。
引き裂けるような悲鳴が、ルカの喉元から上がる。
『ザクザク~♪ ザクザク~♪ お歌に合わせてルカさんを刺しましょう~♪』
『ザクザク~♪ ザクザク~♪』
目の前の惨劇に似つかわしくない陽気なBGMが流れる。
それが一層、不気味であった。
「や、やめて……やめてえええぇ!」
スズナは耐えられず目をぎゅっと瞑り、耳を塞いだ。
『なぜ目を背けるの? これがあなたが望んでいることよ?』
頭の中の声が「クスクス」と笑いながら、スズナに囁く。
「違う! 違います! 望んでない! スズナは、こんなこと望んでません!」
『いい加減に素直になりなさい。いつまで天使のフリをするつもりかしら?』
肩をそっと掴まれる。
スズナは「ひっ」と反射的に顔を上げた。
薄闇の中で、誰かが立っていた。
「だ、だれ? だれなの?」
「だから、私はあなたよ。スズナ」
声はもう頭の中で響かなかった。
自分とまったく同じ顔をした女が、目の前で妖しく笑っていた。
「ありがとうスズナ。あなたのおかげで私も、あの小さなスズナたちのように、やっと出てくることができたわ」
スズナは悟る。
目の前の自分は、キノコの影響で生じた存在だと。
だが、愛らしかったチビスズたちと異なり、目の前の存在は本体であるスズナと瓜二つの姿をしていた。
……いや、違う。とスズナは強く否定する。
自分はこんな娼婦のような、はしたない笑顔を浮かべたりはしない!
「こ、来ないで! 違う……あなたは、私じゃない! 私なわけがない!」
「いいえ。私もスズナなのよ。ずっと、ずっと心の奥底で眠らせていた黒い感情……天使の振る舞いでずっと隠してきた、醜い部分。それが私」
「嘘……そんなの嘘です!」
「怖がらないでスズナ。私があなたを救ってあげる」
「ひっ!?」
もう一人のスズナの体が、緑色に変色していく。
腕の先から多種多様なキノコが生え、ヒトならざる形になっていく。
逃げなくては。
だが足が動かなかった。
恐怖で足が竦んだのではない。
スズナの足を掴む者たちがいた。
無数の小さなスズナたちだった。
「あ、あなたたち……どうして?」
「ルカさんが許せない」
「一緒に消す」
「それがあなたの望み」
「や、やめて……そんなこと、言わないでっ!」
妹のように愛らしかった小さな自分が、いまや恐怖の象徴としてスズナを苛む。
「ルカさんさえ、いなくなればいい」
「邪魔するやつは、みんな敵」
「一緒にユメを叶えましょう」
「ひっ!?」
小さなスズナたちも緑色に変色し、粘り気のある軟体となってスズナに絡みつく。
「全部、あなたの本心よ。だって私たちは、あなたから生まれたのだから」
「違う! 違う違う違う!」
「天使として振る舞う時間はもう終わりよ、スズナ。さあ、私たちと相応しい姿になりましょう?」
「いや……いやああああああああああああっ!!!!」
スズナは無数の自分自身に囲まれながら、ひとつに溶け合っていった。
* * *
懐かしい夢を見ている。
前世の親友、ヤッちゃんの夢だ。
……あれ? こんな夢、前も見たような。
「あまり時間がない。大事なことだけ伝えるよ、親友」
何をだい、ヤッちゃん?
「黄瀬スズナのことだ。彼女はこのままだと、原作通りの展開で……」
……え?
おい、ヤッちゃん。
いま何て言ったんだ?
「だが君なら……彼女の運命を変えられるかもしれない」
ヤッちゃんの姿が遠のいていく。
待ってくれヤッちゃん!
いったい、どういうことなんだ!
このままだと……
スズナちゃんが死ぬだと!?
夢から覚める。
けたたましいアラーム音によって。
誰かが悲鳴を上げている。
「みんな起きなさい! ここから離れるの! 全員死ぬわよ!?」
クレハが叫んでいる。
俺とルカもハッと起き上がる。
「な、なに、この音!?」
「なんかマズイぞ! ルカ、ここから出るぞ!」
建物全体が軋んでいる。
壁がピシッと音を立てて、ひび割れたかと思うと触手のような物体が無数に飛び出してきた。
「な、なんだよコレ!?」
「いけない! レン! ばあやさん!」
向こう側からレンとばあやさんの悲鳴が上がる。
そうだ、霊能力者でない二人の安全を確保せねば!
崩れた壁の隙間をくぐって、別室に向かう。
「レン! キリカ! 無事か!」
「ダ、ダイくん! な、何が起きているの!?」
「状況確認は後! まずはここを脱出する! ダイキはレンを! 私はばあやさんを抱える!」
「ルカ、アタシも手伝う!」
ルカとキリカはショックで気絶をしているばあやさんを抱え、俺は言われたとおりレンを両腕に乗せる。
「スズナちゃんは! スズナちゃんはどこだ!?」
「いけないわダイキ!」
スズナちゃんの姿を探していると、クレハに窘められる。
「この現象は、黄瀬スズナを中心にして起こっている! いま彼女に近づくのは危険よ!」
「な、に?」
「いまはとにかく安全な場所へ! ミコト! いつまで寝てるの!」
「むにゃむにゃ~、もう食べれにゃい~」
これをスズナちゃんが起こしているだと?
混乱を余所に、触手のような物体は天井を突き抜ける。
「うわっ!」
「きゃああああ!!」
床から隆起する触手の勢いで、俺たちの体も上に向かって跳ね上げられる。
「いったん屋上へ!」
クレハの指示に従い、崩れる瓦礫を避けながら、穴が開けられた天井から外へ脱出する。
屋上に出る。
ヒビ割れていない安定した足場に一度避難する。
「な、何だアレは?」
屋上に出たことで、俺たちは異変の全貌を目にする。
屋上を突き抜けて長く伸びる物体。
まるでタワーマンションを浸食するように粘ついた触手を広げながら、ソレは夜空に向かって伸びていた。
中央には赤く光る丸い物体。
まるで一つ目をつけたような巨大なキノコ。
そう形容するしかない物体だった。
そして……。
「スズナちゃん? ……スズナちゃぁん!!」
赤い一つ目の下に、浮き上がる人型。
それは間違いなく、スズナちゃんだった。