「うっ……ここは……」
スズナは意識を醒ました。
視界に映る景色が異様に高い。
いま自分はどのような状態になっているのか。
「お目覚めかな、お嬢さん」
「っ!? あ、あなたは!」
老齢の言葉遣いをする少年が、巨大なキノコのカサのようなものを足場にして立っていた。
常闇の侵徒、妖円丸。
今回の一件の諸悪の根源を前にして、スズナはキッと力強い眼差しを向ける。
「ほう、そんな顔もできるんじゃな。実に人間らしくて好感が持てるぞ」
「あなたは何を……スズナを利用して何がしたいのですか!?」
「くくく、儂はお嬢さんの心が成長する様子を観察したいだけじゃよ」
「観察、ですって?」
「ほれ、見てみるがよい。お嬢さんの心が、このキノコをここまで育て上げたのじゃ」
「え?」
スズナは周りを見回す。
「な、なんですかこれ?」
天を突くほどに巨大なキノコ。
自分はそのキノコの一部になっていることにスズナは気づく。
「このキノコと一体化しているおぬしなら感じ取れるはずじゃ。この街で何が起きているのかをな」
「っ!?」
タワーマンションを侵蝕するように菌糸を広げる巨大キノコ。
それと同化しているスズナには確かに感じ取れてしまった。
この街の惨状を。
「あっ、ああっ、そんな……橘さんたちが……ばあや……街の皆さんもっ!」
目には見えなくても、スズナは知覚した。
タワーマンションの上階が崩落したことで、瓦礫の隙間で気絶しているメイドたちの姿を。
巨大キノコが放出する胞子のせいで、街の住人たちが苦しみ悶えているのを。
「いや……いやあああ! やめてええええ! これ以上を胞子を撒かないで!」
「無駄じゃよ。一度成長を始めた菌糸はもう止められまい。宿主であるお嬢さんの意思であってもな」
「そんな……」
「おぬしの心の闇がここまでキノコを育て上げたのじゃ。見事じゃよお嬢さん。人形のように良い子を演じていたおぬしにも、ちゃんと人間らしい闇があったではないか」
悪魔のように妖円丸は囁く。
「スズナの心の闇……そのせいで、皆さんを、こんな目に……」
「苦しいのう。おのれの醜い部分を突きつけられた上、それが親しい者たちのを命を奪おうとしておる。お嬢さんにとってはさぞ辛かろうなぁ」
「……っ」
顔を俯かせるスズナに、妖円丸は尚も畳みかける。
最後の仕上げとばかりに。
「……人々を助けたいかね? なら、ひとつ方法があるぞ──宿主である、おぬしが命を絶つことじゃ」
「っ!?」
「おぬしが死ねば、このキノコも枯れる。おぬしに人としての誇りが残っているというのなら、いますぐ舌を噛んで死ぬがよい」
妖円丸は期待する。
スズナがどう選択するのかを。
「……できません」
「ほう! そうかそうか!」
スズナの答えを聞いて妖円丸は歓喜する。
ああ、やはりこの娘も所詮は自分の命が惜しいのだと。
「やはりおぬしも善人の皮を被った紛い物じゃな! 他者の命よりも自分の命を優先するというのだな!」
「いいえ、違います。あなたの言葉を信用していないだけです」
「……なに?」
スズナは顔を上げる。
妖円丸に向けるその顔つきは、絶望に満ちていない。
「スズナが死ねばキノコも枯れる? それが偽りではないと誰が証明できますか?」
「……儂が嘘を言っていると?」
「そうです。そもそもスズナが死んでしまっては、その後本当に皆さんが助かったのか確かめる
「……まだ知恵が回る理性は残っているようじゃな」
妖円丸はつまらなさそうに嘆息した。
「ああ、嘘じゃよ」
「っ!?」
「じゃが、宿主のおぬしが生きている限り、このキノコはさらに成長するぞ? このキノコはおぬしの心を栄養分としているのじゃからな。より凶悪化する前に、やはり自ら命を絶ったらどうじゃ? のう、見せておくれよ、おぬしの残った善性を! 誇り高き正義心とやらをのう!」
「……満足ですか?」
「なに?」
「楽しいですか? 人の心をそんなに追い詰めることが。そんなにも性悪説を証明したいのですか?」
スズナの瞳には、静かな怒りと、呆れが宿っていた。
「ご老人の振るまいをされているようですが、どうやら見た目のまま時が止まっているようですね。あなたは……子どもなのですね。人の本性は醜い? その屁理屈がまかり通らないと『いやだ』と駄々をこねる子どもそのものです」
「……」
スズナの指摘を、妖円丸はただ黙して聞いている。
「私の心の闇が、こんな事態を巻き起こした……それは認めましょう。だからといって、命を絶つ理由にはなりません。だって……」
スズナの瞳に涙がこぼれる。
ああ、自分の心の弱さが、こんな惨劇を起こしてしまったというのに。
それでも……スズナのために戦っている仲間がいるのだ!
スズナには見える。
いまこのときも、スズナの元に駆けつけるべく、もう一体の侵徒と対峙しているダイキたちを。
「ルカさん、レンさん、キリカさん……ダイキさんっ。ごめんなさいっ。スズナが未熟なばかりに……」
こんな筋違いの恋心をいだいてしまったばかりに、仲間を、街を危険に曝してしまっている。
だが、それでも。
スズナが命を絶つ理由にはならない。
「私を助けるために、皆さんが必死に戦っています。私が自ら命を絶つのは、そんな皆さんへの裏切りです!」
スズナは唇を噛みしめる。
衝動的に、舌を噛み千切らないように。
「それに、感じます……街の救護で走り回っている機関の人たちを……皆が戦っているんです。たとえ非難されようと、スズナもスズナの戦いをします! あなたの思い通りにはなりません!」
「黙れ」
ぱんっとスズナの頬が叩かれる。
頬を腫らしながらも、スズナは妖円丸から目を逸らさない。
それが余計に妖円丸を不愉快にさせる。
「綺麗事じゃ。いずれにせよ貴様が生きている限り、このキノコはより成長する。貴様のくだらぬ意地が、この街を滅ぼすのじゃ」
「成長させません。もうこれ以上……スズナは、諦めません」
「きっ……」
妖円丸は思わず、足がたじろぐ。
「気味の悪いっ! なんなんじゃ貴様は! なぜこの状況で絶望せぬ!」
妖円丸はただ困惑する。
おかしい、計画と違う。
この娘はもっと自己嫌悪するべきはずなのに。
罪悪感で苦しみ、泣きながら助けを請うはずなのに。
なぜ、この女の目は死んでいない?
(……落ち着け。死擦が奴等を足止めしておる。その間にじっくりと娘を追い詰めれば……)
妖円丸は怒りを鎮め、スズナの心に突き入る隙を探ろうとした。
……その直後のことであった。
「っ!?」
凄まじい圧が、襲う。
妖円丸は、震えた。
恐怖のあまりに。
(なん、じゃ、いまのは?)
それは久しく忘れていた感覚だった。
生ける屍となったいまでは、縁遠くなったはずのもの。
闇の住人として、超越者として、捨て去ったはずの動物的本能。
死にたくない、という恐怖心。
(まさか……いまのは、殺気か? いったい、何奴の?)
ダイキたちのほうから放たれたものではない。
もっと遠くだ。
いまもなお、胞子が撒かれ惨劇が起こっているはずの街から。
──何者かの殺気が飛んできたのだった。
震えが止まらなかった。
ただの殺気だけで。
ありえない。
ただの殺気だけで、こんな原始的恐怖に陥るはずがない。
(……いや、違う。怯えているのは……儂の中に宿る闇の因子か?)
常闇の侵徒として、与えられた闇の力。
それが警報を鳴らしている。
──天敵が、向こうに居ることを。
妖円丸の中に、ある幻影が浮かぶ。
すでに滅びたはずの、古の種族の姿が。
(ありえん……ありえんありえん! 奴等は根絶やしにしたはず! 仮に生き残りがいたとしても……制御できるはずがないっ! ヒトの身で、あの血を!)
妖円丸は頭ごなしに否定する。
もしも、あの血筋を引く者たちがこの時代に生きていたら……。
闇の眷属にとって、悪夢の再来に他ならない。
「スズナちゃん!」
「っ!?」
思考の海に落ちていた妖円丸の意識が現実に戻る。
背後を振り返る。
「待ってろ! いま助ける!」
「しっかり掴まってなさい黒野大輝! 天才のあたしに運んでもらうこと感謝なさい!」
黒野大輝と青鹿ミコト。
宙に浮かぶ巨大な機械の手に乗った二人が、囚われたスズナを目指して接近していた。
「死擦め、いったい何をしている!?」
足止めを任せていた死擦の失態に激昂する妖円丸だったが、すぐに理由を察する。
死擦も感じ取ったのだ、先ほどの殺気を。
その隙を突かれたのだと。
* * *
あらゆる死を操り、強制的に心中に巻き込む、死擦の能力。
その死が気に入らなければ復活。気に入れば即死。
彼女の気まぐれで生死が左右される、まさに脅威的能力に誰もが震えた。
「ダイキ! 愛しい人! さあ、次なる心中を私と……っ!?」
艶やかに笑っていた死擦の顔が一瞬にして蒼白になる。
「アッ……アアッ……な、なに? この殺気は?」
死擦の顔が恐怖に引き攣っている。
何か、強大な存在に怯えるように。
その隙を、赤嶺レンは見逃さなかった。
──
レンは懐から御札型の魂魄霊装・天眼札を取り出す。
本体が無事な限り、いくらでも複製を増やせる能力で、人数分の天眼札を即座に用意する。
『ダイくん! ミコトちゃん! いまの内にスズちゃんの元へ行って!』
「「っ!?」」
天眼札に触れた者のみが聞けるレンの指示。
それを聞いたダイキとミコトは直ちに動いた。
「千手薬師、特大版! 乗りなさい黒野大輝!」
ミコトが人よりも巨大な機械の手をふたつ出現させる。
掌の上に乗り移ったダイキとミコトは、上空を目指して飛翔した。
「っ!? しまった! ああ、運命の人があんなに遠くに!」
死擦の髪の先が蛇と化し、飛翔していくダイキたちに追尾する。
空に向かって無数に伸びる蛇。
それらは銀色の斬撃によって断ち斬られた。
「赤嶺レン。あの二人を妖円丸のもとへ送ったということは、あなたの中ですでに編成は決まっているということでいいかしら?」
西洋剣を鞘に納めながら、クレハが尋ねる。
『うん。胞子の毒に対応できるミコトちゃんは絶対にあっち。ダイくんは影浸に打ち克った霊獣の力がある。何より……』
あの状態のスズナを救えるのはダイキしかいない。
レンは直感で、そう思った。
『死擦は倒せない。それはわかったよ。だったら……
「そのとおりよ。最優先に倒すべきは妖円丸だけ。私たちはここで死擦を足止めする」
『そして、そのための手段をあなたは持っている。一度受けた攻撃に耐性を得る死擦の髪を、迷い無く切断したのも、まだ手の内があるからでしょ?』
「……素晴らしい洞察力ね、赤嶺レン。いいわ、私はあなたの指示を信頼する。どうかサポートをして。白鐘瑠花、藍神キリカ。あなたたちも」
「本当は癪だけど……いまは従ってあげる」
「侵徒との戦いに関しては、あなたのほうが先輩だしね」
クレハの呼びかけに、ルカとキリカが応じる。
戦陣はこうして整った。
* * *
「第二救護班、ただいま到着!」
「投薬を急げ! 胞子の広がりが早まっている!」
「第三救護班、聞こえるか!? 精製が済み次第すぐに転移しろ!」
防毒スーツを身につけた機関のエージェントたちが街中を駆ける。
灰崎家の空間転移霊装によって本部から即時出動した彼らのおかげで、幸いにも死者は出ていなかった。
「回復を確認したらすぐに次の投薬に移れ! 看護は後だ! おい、ボーッとするな! 早く次のブロックに……」
「それは、薬ですか? すみません、僕の妻にも打ってくれませんか?」
「……え?」
エージェントは目を疑う。
この毒煙の中を、ガスマスク無しで歩いている人間がいる。
妻であろう女性を抱えた、丸眼鏡の成人男性だった。
「お願いします、妻を助けてください」
「あ、ああっ!」
エージェントは戸惑いながらも、すぐに投薬をおこなう。
「こ、これで大丈夫だ。あ、あんたも早く!」
「僕は平気です。毒が効かないように、昔から鍛えられています」
「い、いや、普通の毒じゃないんだぞ!?」
「そのようですね。でも、平気です。あの、よろしければ僕にも手伝わせてください。手が足りないのでは?」
「そ、それはそうだが……いや、一般人は関わるな! 大人しくしていろ!」
「事情は聞きません。記憶処理が必要ならば、後でお受けします」
「……な、なんなんだ、アンタは? 何者だ?」
「見ての通り、ただの一般人ですよ。生まれは少々特殊かもしれませんが」
丸眼鏡の男は妻を安全な場所に降ろし、眠る彼女の頬を撫でた。
「ここで待っていてユウさん。街が危険だ。手伝ってくるよ」
そう言ってから丸眼鏡の男は、この毒煙の発生源であるタワーマンションのほうを睨んだ。
「……良くない気配が二匹いるな」
「は?」
「僕の最愛の人の命を奪おうとしたね? 誰かは知らないけど……許しておけないな」
「っ!?」
ゾクリ、とエージェントの体が震えた。
(なんだ? いまのは? 空間が、歪んだ?)
そうとしか表現のしようがない圧が丸眼鏡の男から発せられた。
「……しぶといね。いまので仕留められないのか」
「え?」
「独り言ですのでお気になさらず。あちらはあちらで、対応してくれている人たちがいるようなので、任せましょう」
丸眼鏡の男は薬を受け取り走り出した。
(……あの気配はもしかして……いや、いま考えるのはよそう)
邪悪な気配と対峙する、清き複数の気配。
その中に、よく知る気配があった。
最愛の女性との間に生まれた、大切な息子の気配だ。
仮に、あそこで戦っているのが自分の息子だとしても……隠しているのなら、彼から打ち明けてくれる日を待つとしよう。
……あるいは、自分のほうから踏み込む日が訪れるかもしれない。
自分と息子の中に流れるもの……それが、最悪の結果に至ったときに。
(できれば、そんな未来にはなってほしくないな)
そう切に願いながら、ダイキの父──黒野