翌日、俺はオカ研で事の顛末を説明した。
「というわけなんだ」
「お泊まり」
「いや、ルカさん? 注目すべきはそこではなくてだね……」
「二人きりで、お泊まり」
「わ、わかったよ、今度ルカの屋敷に泊まるから。それで機嫌直してくれ? な? 除け者にして悪かったよ……」
「七泊八日で」
「一週間丸々!?」
黙ってスズナちゃんを親が不在の家に泊めたことは、やはりルカとしてはおもしろくなかったようで、何とか彼女のご機嫌を取りつつ話を本題に戻す。
「人気グラドルの大谷清香の霊がスズちゃんに憑依、か……。ルカ、どう? スズちゃん、いまどうなっちゃってるの?」
話を一通り聞いたレンが心配げにルカに霊視するようお願いする。
「ずび……。よく見ると確かにスズナとは別の霊魂が入ってる。スズナの意識はいま眠ってる。いまのところ、害はなさそうだけど……」
風邪の影響でまだ本調子でないルカは深い眉間ができるほど目を凝らしてスズナちゃんの状態を確認した。
スズナちゃんは無事なのか。それが一番の気がかりであったが、ルカの言葉を信じるなら、いまのところスズナちゃん本人は危機的状況に陥っているわけではないようだ。
「きっとスズナが大谷清香さんを『可哀相』と思ったから、その優しい気持ちに引き寄せられちゃったんだ。未練を残した魂は、特に暖かい心を持った人間の傍にいたがるものだから」
ルカがそう説明する。
よく聞く話だ。車に轢かれた猫の死骸を哀れに思うと猫の霊がついてくる等、霊は陽のエネルギーを求める傾向がある。
特にスズナちゃんのように裏表のない純真無垢な少女は好まれやすいようだ。
「スズナはただでさえ陽のエネルギーが強いし、なにより心がとても清らかだから。霊にとっては憑依先としてすごく居心地が良いの。うまく言えないけど……魂の色が透き通っていて綺麗なんだ」
魂の色が綺麗か……。
普段のスズナちゃんを見ていると納得してしまう自分がいる。
お茶目なところもあるが、スズナちゃんがそこにいるだけでその空間は穏やかな雰囲気となるし、こっちまで優しい気持ちになる。
霊もどうせ憑依するなら、そういう住み心地のいい清潔な場所を選ぶということか。元は人間なのだから、考えてみればその通りなのかもしれないが。
「でも、あの程度の霊力であっさりと憑依できるとは思えない。だから……たぶん、スズナ自身が受け入れちゃったんだと思う。スズナ、誰に対しても優しいから……」
ありえる話だ。
見知らぬ人間の魂が入り込んできたら拒むのが普通だが……心優しいスズナちゃんなら「それであなたの魂が救われるなら」と受け入れてしまうかもしれない。
なにせ虫も殺せないほど、深い慈しみの心を持つ少女だ。
実際ルカの霊視によると、特にスズナちゃんの魂から助けを求める反応は見受けられないそうだ。
憑依した大谷清香さんのために、あえて沈黙しているのか。
……とはいえ、やはりこのままにしておくわけにもいかないわけで、昨夜に引き続き、俺は交渉を試みた。
「大谷清香さん……お願いです。その体はスズナちゃんのものです。どうか出ていってください。あなたには同情していますが……スズナちゃんはオカ研の大切な仲間なんです。だからどうか彼女を返し……」
「うまあああ!? 新作のチョコ菓子うっまあ! うぅ! 幸せ~! もう二度と食べられないと思ってたスイーツが食べられるなんて!」
「いや、ちょっと聞いてくださいってば!?」
真面目な話をしたいのに、肝心な清香さんは先ほどコンビニで購入した山のようにあるお菓子に夢中で聞く耳を持ってくれない。
「うぅっ……グラドル時代は体型維持のためにほとんどお菓子なんて食べられなかったから超感動~! ああ~! 生を実感する~!」
くっ……。そんな幸せそうな顔で涙を流している姿を見ていると強く言い出せないじゃないか。
「うわぁ。スズちゃんがあんなにガツガツとお菓子頬張ってるの、凄い違和感……」
レンがドン引きしながらそう言う。
同感だ。いつものスズナちゃんならコンビニスイーツですら食べる姿が優雅なのに、いま目の前にいるのは完全にダイエットを諦めた食べ活女子である。
生前はよほど我慢していたのか、結構な量だったお菓子も、あっという間になくなってしまう。
「はぁ~、満足~♪ やっぱ甘い物はいいものだね~♪ 心まで満たされていくようだわ~♪」
「あ、そうですか。じゃあもう未練ないですよね? ルカ~、除霊しちゃって~」
「あいあいさ」
「あああっ!? 待って待って! まだ! まだ未練残ってるから! 一番やりたかったことまだやれてないから!」
レンが除霊の指示をすると、清香さんは慌てて俺たちから距離を取った。
そんな彼女の様子をレンは呆れ気味に見る。
「未練~? あのですね~清香さん? 仮にもいい歳した大人が未成年の体を乗っ取って好き勝手していいと思ってるんですか~? しかも、その未練の内容が何ですか? ……男の子と一度でいいからお付き合いしたい!? ふざけてんですか!?」
「ふ、ふざけてないよ! 真剣も真剣だよ! だ、だって……私一度も男の人と交際したことないんだもん! 事務所の言うとおり恋愛は禁止にしてきたんだもん! なのに周りは普通に破ってる女の子ばっかりでさ!? 真面目にルール守ってた私がバカみたいじゃない!? 私だって……したいんだよ~! 恋が~!」
スズナちゃんの愛らしいお目々をバッテンみたいな形にしながら清香さんが心からの叫びを上げる。
そう……なんとあの人気グラドル大谷清香の未練とは、生前に男と交際できなかったことだったのだ!
「赤嶺さん! あなただって女の子なんだからわかるでしょ!? 一生に一度の人生なんだから、素敵な男の子と恋をしたい! 乙女として生まれたならそう考えるでしょ?」
「た、確かにそうですけど……でもダメです! さっさと成仏してください!」
「そこをなんとか!」
「いいえ! 認めません! だいたい何ですか!? その交際したい相手が……よ、よりによって、ダイくんだなんて! 何考えてるんですか!?」
レンの発言で、思わず体温が上昇する。
いまだに信じられない。
あの大谷清香が生前一度も異性と付き合っていなかったことにも驚いたが……彼女がまさか、俺と交際したいと言い出すだなんて!
「男なら誰でもいいんだったら他の相手探してください! ダイくんだけは……とにかくダメです!」
「だ、誰でもいいわけじゃないもん! だって、私……ダイキくんに、ほ、本気で惚れちゃったんだもん……」
「へあっ!?」
「……はあ?」
「ア゙ァ?」
とんでもないひと言が投下され、三者三様の反応が巻き起こる。
俺は思わず上ずった声を上げ、女性陣はドスの利いた怖い声を出す。
「あのね? 体を共有しているから、この子の記憶を見ることができたの。憑依したとき近くにいたダイキくんのことが気になったから、ダイキくん中心に記憶を覗いてみたんだけど……その……か、かっこいいなぁって」
頬を赤らめながら、彼女は人差し指同士をツンツンとする。
「臆病なのに人助けのためならオバケにも挑める勇気があるところとか。男の人たちにエッチなことされそうになったら必ず助けてくれる頼もしいところか。……いや、ダメだって。女の子はああいうのに弱いんだって。それに、ダイキくんすごく優しいし、ちょっと抜けてるところもギャップがあってカワイイというか……ああ、とにかくその……好きになっちゃいました。はい」
モジモジとしながらも色っぽい流し目を向けて、大谷清香が俺に告白をする。
……あの、大谷清香が! 俺に!
マジか。
夢じゃねえよな?
俺、大人気グラドルに惚れられちまったのか?
思わず高笑いしてしまいそうになる。
ヤバくね? 俺スゴくね?
記憶越しの情報だけで、あの美人なグラドルの心を奪っちゃったわけかい俺ってば!?
いや~、俺も捨てたもんじゃなかったんだな~。
やべぇ。だらしない顔になってしまう。
でもそれぐらい嬉しい。
こんなにも自分を誇らしく思った瞬間がかつてあっただろうか!?
「ふっ……俺ってば、結構罪作りな男みたいだな……イテっ! 痛い痛い痛い! ちょっ! ルカ!? レン!? 無言で蹴るのやめて!?」
窓に映る自分の顔を見つめながら黄昏れていると、表情を消したルカとレンから容赦のない蹴りをお見舞いされた。
「……この子の体で勝手なことをしようとしたことは、謝ります。幽霊になってから、何というか本能が抑えられなくなって、おかしくなってたの。これ以上この子に取り憑くのは良くないって、いまならわかる……」
霊になると、人は生前の未練を核として活動する存在になる。
だから昨晩も衝動の赴くままに俺を襲おうとした彼女だが……除霊されかけたことで理性を取り戻したのか、いまのところ暴走する気配はない。
だが……。
「でも……それでもお願い! 一日だけ! あと一日だけでいいの! 私に時間をください!」
冷静になったからこそ、この奇跡の瞬間を逃したくないと彼女は願う。
もう二度と戻らない生身の人間としての時間を、あと一日だけでも欲しいと。
「ワガママなのはわかってる! それでも、お願い! ダイキくんと思い出を作らせて! 一緒に出かけるだけでもいいの! それ以上のことはもう望まないから!」
「清香さん……」
アイドルとして煌びやかに活躍するはずだった大谷清香。
きっと数えきれないほどの未練があるに違いない。
本当なら全部、晴らしたいはずだ。
……だが清香さんはあえて、俺との思い出作りのほうを選んだ。
「最後に、素敵な思い出が欲しいの……それができたら、成仏するから……だから、お願い!」
こんな俺を好きと言ってくれた女性が、俺との思い出作りを求めている。
ファンとして、これほど嬉しいことはない。
もしも、本当にそれで彼女の魂が救われるというのなら、俺は……。
「うん、やっぱり除霊するしかないね。ルカ、部長命令です。やりなさい」
「いえすまぁむ」
「ええええ!? いまの流れでそうなるか普通~!?」
物悲しい気持ちになっていた俺と違って、女性陣はかなりドライだった。
ちょっとくらい心揺らいでもいいんじゃないの君たち!?
いや、スズナちゃんが心配なのはわかるけどさ!? さすがに容赦なさ過ぎではないですかレンさんにルカさん!?
「あの、部長様……せめてもう少し、手心というものを……」
「はぁ~っ!? ふっざけんじゃないよ!? なんで私らが幽霊の恋活のお手伝いしなきゃいけないわけ~!? な~にが思い出作りよ!? 幽霊は幽霊同士イチャイチャしてろってのよ! あの世でいくらでもイケメン幽霊探せばいいでしょうが! 私なにかおかしいこと言ってる!? あぁん!?」
「ど、どうどう部長様。キャラが崩壊しとりますぜ……」
不機嫌なあまりとてもSNSに自撮りを投稿できないような形相になっているレン。
こんなにブチ切れてるレンは初めて見たな……。
「去れ、去れ。潔く去れ。アバズレの霊」
「いやいや、ルカももうちょっと言葉をオブラートに包んであげて!?」
「ダイキの貞操は、私が守る」
「せっかくの決め台詞をそんな風に使うんじゃない!」
そして塩をかけるんじゃない!
一応相手はスズナちゃんなんだから!
「ひいい!? ちょ、ちょっと待って! 本当に容赦ないわねアナタたち!? い、一日だけでもダメなの~?」
「あったり前でしょうが~!? 不幸なグラドルだかなんだか知らないけどねぇ! アンタには一分一秒だろうとこの世に残る時間は与えないと今決めた! うちの男子部員に色目を使ったことを後悔させてあげるわ! ルカ! ひと思いにやりなさい!」
「ふーっ! ふーっ! ダイキは渡さない」
猫のように威嚇しながらルカが除霊の構えを取る。
……ええ? マジでヤル気なの?
「告げる……スズナに取り憑く霊よ……その魂を清め、あるべき場所へ……げほっ! ぶほっ!」
「どうしたのルカ!? はっ!? まさか霊による攻撃!? おのれ大谷清香!」
「いやいや! 私なにもしてないよ!? その子が勝手に倒れたよ!?」
いつものように言霊を唱え始めたルカだったが、途中で咳き込み倒れてしまう。
「おい、ルカ。どうした大丈夫か?」
慌てて駆け寄り、抱き起こす。
「ふにゅ~……ち、力が出ないよ~……」
「ああ、ダメだこりゃ……またポンコツ化しちゃったぞ」
どうやら興奮したせいで風邪を余計拗らせてしまったようだ。
ろくに言霊を唱えられないほど弱まってしまっている。
「えんえん。ダイキ~、元気が出ないよ~。だっこして~。お菓子ちょうだい~。それと……あっつあつのチュウ~……」
「はいはい、おねだりしない。大人しくジッとしてなさい」
またもや甘えんぼになってしまったルカをヨシヨシとあやす。
こうなってしまったルカはもはや役に立たないだろう。
「もうルカったらこんなときに限って! しょうがない! だったらキリちゃんを呼んで代わりに除霊してもらいましょう!」
そう言ってレンはキリカに連絡を取りだす。
「あ、もしもしキリちゃん!? 部長命令です! 至急オカ研の部室に来なさい! え? 剣道部の助っ人がある? もうキリちゃん! 最近ずっとそれを理由にオカ研に来ないじゃないの! まだ【アカガミ様】のときのこと引きずってんの!? いい加減に立ち直りなさい! それより除霊よ除霊! そう! 巫女さんの得意分野の除霊! 名誉挽回のチャンスよキリちゃん! え? 『どうせアタシなんて……』? 卑屈すぎるよキリちゃん! 大丈夫きっとやれるから! 気持ちの問題だから! ああっ、こら切るな! そろそろ登場しとかないと存在感が薄くなっちゃうよ!? ちょっと聞いてるのキリちゃん!? こらぁ! ……切れた」
どうやらまだキリカは傷心中のようだ。
この間あれだけキリカの部屋でドンチャン騒ぎして励ましたというのに、効果なかったのか? 「何でわざわざアタシの部屋で打ち上げすんのよ!?」と愚痴を言っていたわりには王様ゲームとか楽しんでたと思うが……。
「こうなったら仕方ない。アイシャちゃんに頼もっか」
「あ、アイシャなら無理だぞ。いま別件で遠出してるみたいだから。この間、貰った手紙にそう書いてあったんだ」
やたらと
達筆な日本語で書かれた手紙の内容を二人に見せる。
親愛なる親愛なる親愛なるクロノ様。
あなた様の平穏と幸福を日々、神に祈るアイシャでございます。
こうしてわざわざ手書きの手紙を送るのは、肉筆によってわたくしの思いの丈をあなた様に知ってほしかったからでございます。
ああ、クロノ様。アイシャはしばらく任務によってこの街を離れなければなりません。
これも神の試練なのでしょうか? いっときとはいえ、あなた様と離ればなれになってしまうかと思うと、いまにも胸が張り裂けそうでございます。いえ、本当に裂けては困るのですが。だってこの胸はクロノ様のための……きゃっ♪
クロノ様。アイシャが帰還するまで、どうか息災でありますように。本当ならあなた様の傍を離れたくはありません。むしろ二十四時間一分一秒ず~っとあなた様のお傍に仕えてそれはもう親密に交流を深めましてそのままぐふふふふ……(以下、謎の赤い液体によって文字が潰れて読めない)。
失礼。インクを零してしまいましたわ。ええインクです。紙がこれしかないのでこのまま書かせていただきますわ。
ああ、クロノ様。どうかこの手紙をアイシャだと思って肌身離さず持っていてくださいまし。
あなた様のためにたくさん祈りを込めましたので、きっと悪しきモノからあなた様を守ってくださいますわ。
ええ、それはもう、心を込めて注ぎましたから。
あなた様のことを思いながら胸に抱き寄せて……ああっ! やはりあなた様は罪深い御方! アイシャはあなた様のことを考えるだけで、もういろいろ溢れてしまうのですわ!
それはもうどぷどぷと熱いものが胸に込み上がって……ああっ、この手紙があなた様の手元に届くことを想像するだけで、熱いものがさらにたっぷりと滲み出て……。
「ぽいっ」
「ちょっ!? ルカ!? 手紙を勝手にゴミ箱に捨てないの!」
「けっ! あの淫乱シスターめ……けっ!」
憎々しげにゴミ箱に放り投げたアイシャの手紙を睨み付けるルカ。
そんなに手紙の内容が気にくわなかったのか? そりゃ変人なアイシャらしく、やたらと詩的というか大袈裟で遠回しな文章が多かったけどさ。
「あ、あの~? それで私の処遇はどうなるのでしょうか~?」
清香さんが恐る恐ると尋ねてくる。
……さて、どうしたものか。
マトモに除霊を行える霊能力者は現状この場にいない。
スズナちゃんも、そして清恵さんの霊も、このまま放置するわけにもいかない。
そうなると、残る手段は……。
「なあ、レン」
「……はあ。しょうがないな、もう」
レンは俺の意図をすぐに察してくれたようだ。
呆れ気味に溜め息を吐きながらも、肯いてくれた。
方針は決まった。
「……清香さん。約束してください」
「え?」
「一日です。本当に一日だけです。今日が終わったら、スズナちゃんの体を必ず返してください」
「っ!? そ、それって……」
俺だって、いますぐスズナちゃんを元に戻したい。
……でも、それと同じくらいに、一人のファンとして清香さんのことも救いたいんだ。
だから……彼女の未練を晴らしてあげよう。
「こほん。不束者ではありますが──今日一日、俺が清香さんの恋人になります」
※アイシャが言っているのは女性ホルモンのことです。