【悲報】ビビリの俺、ホラー漫画に転生してしまう   作:青ヤギ

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プロローグ
転生した先は怪異だらけ


 

 ホラーというジャンルがとにかく苦手だ。

 

 怖い物見たさで、刺激を求めてそれらを嗜好とする人々がいることは理解できる。

 でも自分の心臓は彼らのように頑強にできていない。

 

 ホラー映画なんて見たら絶対に失神するし、お化け屋敷なんて入り口に立っただけで膝がガクガクと震えて、腰を抜かしてしまう。

 夏休みになると必ず放送される怪談スペシャルとか、心霊写真の特集とかも勘弁願いたかった。

 自分と違ってそういうのが大好きな兄妹たちがテレビで見ている間、自室でタオルケットを被って震える夏を幾度も過ごしてきた。

 

 それくらい俺はビビリな性格だった。

 それをネタによく同級生にからかわれたり、イタズラでよく驚かされたものだが……こちらにとっては笑い事じゃない。

 本当に笑い事じゃない。

 いや、だってさ……。

 

 まさか、そのビビリな性格のせいで死因がショック死になるだなんて、ちっとも笑えないだろ?

 

 念のため同級生たちの名誉のために言っておくと、べつに彼らのタチの悪いドッキリで心臓停止したわけではないので、あしからず。

 頻繁にからかってくるとはいえ、決して悪人とはいえない彼らが俺の死を引きずって罪悪感を募らせるのは、それはそれで寝覚めが悪い。

 

 では、赤の他人に悪質な精神的ブラクラを送られたのか? それでもない。

 では、ビビリな性格を矯正するためホラー映画に挑戦したか? もちろんありえない。

 

 正直……()()()()()()()()()? というのが本音だ。

 

 お化けなんて、いるはずがない。

 もちろん、誰もが本当はそう理解している。

 霊感を持つ人々の話も、実際のところ霊を認識できない我々一般人では真相の判別などできない。

 

 でも、もし……。

 

 もしも、あの日に目にしたものが、学園の帰り道に遭遇したものが……()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──ねえ、知ってる? 『赤い服の女』の話?

 ──ああ、知ってる知ってる。気に入った男に付きまとうってヤツでしょ?

 ──何ソレ? そんなのただのストーカーじゃん。

 ──まあね。でもさ……それがどうやら、ヒトじゃないらしいんだよね。

 ──男に捨てられた女の怨念の集合体とか、死んだ恋人の後追いをしてずっとその面影を探して彷徨(さまよ)っている霊とか……まあ諸説はあるんだけどさ。目を付けられた男の人は……ずっとその女に追い回されるんだって……。

 

 ──ドれダけ逃げテも……どコまデも、本当に……。

 

 

 

 

 

 ド コ マ デ モ

 

 

 

 

 

 よくある都市伝説のひとつだ。

 もちろん信じていなかった。信じるワケがなかった。

 ただ……どれだけ信じていなくても恐怖や不安は心に沈殿するものだ。

 特に、ただでさえ明かりの少ない田舎の暗い暗い帰り道では、いろいろ不穏な空想を働かせてしまう。

 だから……。

 

 アレが俺の恐怖心が見せた幻だったのか。

 それとも、ただの不審者だったのか。

 死んだいまとなっては、確かめる術はない。

 もちろん確かめたくもない。

 

 幻だろうと、不審者だろうと、あんなものとは二度と遭遇したくない。

 あんな……。

 

 

 ──諢帙@縺ヲ縺?k繧(ア■■テイ■ワ)

 

 

 現実に存在して、いいはずがないんだ。

 あんなモノが。

 

 あんな、姿も、声も、色も、ありえないモノが。

 

 

 

 ともかく。

 俺は、死んだ。

 死んで……第二の生を得た。

 転生というやつだ。

 まさか自分がネットで流行している小説のように前世の記憶を持って転生するとは夢にも思わなかった。

 

 そして現在進行形で、俺は全力で神様を恨んでいる。

 ビビリな俺を過酷な異世界ファンタジー世界に転生させたからか?

 それなら、まだマシだった。

 恐ろしいモンスターだろうと物理で倒せる相手ならまだ強気でいられた。

 でも、俺が転生した世界は全然そういう世界じゃない。

 

 舞台は現代。

 俺が生きた前世の世界とまったく変わらない。

 そう、表面上は……。

 

 なぜだ神様?

 なぜよりにもよって、極度のビビリである俺をこんな世界に転生させた?

 だって、この世界は……。

 

「こっくりさんこっくりさん♪ どうかお帰りください♪ ……ああ、やっぱり十円玉動かないや。ちょっと由美、わざと力入れてない? 脅かさないでよ~」

「違うわよ~。やだ、本当に動かないわよコレ。どうしよう、このままじゃこっくりさん終わらせられないじゃない……」

「……べつにいいんじゃない? 『こっくりさんが帰るまで十円玉を離しちゃいけない』なんて、どうせ脅し文句でしょ? もう遅いし、このまま離しちゃおうよ?」

「それはそうだけど……」

「なあに由美? もしかして怖いの~?」

「そ、そんなことないわよ!」

「ならいいじゃない。じゃあ『せーの』で指離そう?」

「う、うん……」

「じゃあ、いくよ? せーの……」

「っ!? おい、そこの女子たち! ()せ! 『こっくりさん』のルールを破るな!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

「ちょっと何よあなた急に? ……って、え? ……きゃああああ!? なになに!? 窓ガラスが急に割れて……」

「いやあああああ! 何よコレ!? 化け物!? た、助けてぇえええ!」

「しまった! ちょっ、ヤメロ! こっち来んな!」

 

 こっくりさん。

 一般人でも容易にできてしまう、メジャーな降霊術のひとつ。

 こっくりさんをやっている間は、決して十円玉から指を離してはならない。

 その禁を破ったことで……ソレは出現した。

 ギョロリと血のように赤い目玉を向け、恐怖に怯える俺たちを嘲笑うかのように、異形の牙を剥く。

 もちろん、合成映像などではない。演出でもない。

 ソレは、確かに、現実に、目の前に存在している。

 日常を侵蝕する、闇の住人。

 

 俺が転生した世界。

 そう、ここは……。

 

 

 本物の怪異が蔓延(はびこ)る、ホラー漫画の世界だ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 『銀色の月のルカ』。

 

 俺のようにホラーが苦手な人間でも、タイトルぐらいは耳にしたことはあるだろう。

 それぐらい前世の世界ではメジャーなホラー漫画だった。

 

 隣の家に住む友人でオカルトマニアであるヤッちゃんに「本当におもしろいから。絶対に君も嵌まるから。何ならこれでホラーを克服したまえ」と半ば押しつけられる形で読んだので、俺も概要程度なら知っている。

 

 主人公はタイトルにもなっている白鐘(しろがね)瑠花(ルカ)という強い霊能力を持つ美少女だ。

 彼女はその強い霊能力を見込まれて、毎度毎度秘密組織から怪異関連の依頼を受けたり、または一般人たちからお願いされ、頼もしい友人の少女たちと一緒に怪異に立ち向かっていく。

 簡単に説明すればそんなオムニバス形式のホラー漫画である。

 

 ……まあ正直怖いシーンなどはちょくちょく飛ばし読みしていたので、肝心な内容はうろ覚えだったりするのだけれど。

 だってドッキリなコマが多いんだもの。

 不意打ち気味に恐ろしい怪異の顔がアップになるあの演出、本当に勘弁してほしい。

 俺の反応を横で笑っていたヤッちゃんも許しがたい。

 

 この作品について俺が知っているのは精々……。

 この世界が「何で人間社会が存続してるんだ?」ってレベルで危険な怪異で溢れかえっていること。

 結構容赦なくモブキャラが死んでいく過酷な世界だということ。

 ……そして、やたらと胸の大きい美少女が多いということ。

 

 この作品、ガチめのホラー作品ではあるのだが、同時にお色気要素がかなり強い。

 頻繁に女の子のパンチラや着替えや入浴シーンがあるのは当たり前。

 そして毎度メインキャラの女の子たちが、怪異や怪異の影響でおかしくなった男たちに襲われて「あんなことやこんなこと」と結構ギリギリまで過激なことをされる。

 コミケではその手のシーンをより濃密にした薄い本が毎年多く出たそうだ。大いに納得である。

 

 もっとも、本家のお色気シーンだけでも充分満足のいくクオリティーではあったが。

 なにせ女の子たちの体つきがとにかくエッチなのである。

 童顔なのに、ウエストはくびれ、腰元は丸く、素晴らしい脚線美を誇る美少女ばかり。

 なにより全員、胸がデカイ。すっごくデカイ。巻を重ねるごとにデカく描かれていたような気がする。

 きっと作者の趣味に違いない。

 良い仕事をしてくれてありがとうございます、先生。

 

 生粋のおっぱい星人である俺は正直、本筋であるホラーシーンはそっちのけで、そういうシーンばっか熟読していた。

 なにせ描き込みが凄いのだ。作者はもともと成人向け雑誌でストーリー重視の作品を連載していたらしい。

 なので描く線も色使いもとにかく扇情的だ。水着回や入浴シーンのカラーページが掲載された号は即日完売したという。

 その上、お話も純粋に面白いというのだから凄い。

 作者の高い画力と純粋に面白いストーリーを書ける構成力を見込んで、一般誌にスカウトした編集者は実に慧眼だったと言えよう。

 単行本だと謎の光や不自然な湯気も消えていたので、大いに感動したものだ。本筋のホラーはそっちのけにして。

 許せヤッちゃん。男とはそういう生き物なんだ。

 

 絵柄だけなら萌えエロ系の作品だと勘違いしてしまうので、表紙に釣られた読者が思いのほか本格的なホラー描写に悲鳴を上げるのがお約束だとか何とか。

 一方で少女たちの固い友情に尊さを覚えたり、ときどき箸休めのように挟まれるギャグ回や、思わずホロリとしてしまう感動的な人情話があったりと、単なる怖くてエッチな漫画だけではない側面を持つ。

 だからこそ多くの読者に長年支持される作品となったのだろう。

 

 ……ただ俺は、あまりの怖さで三巻でギブアップしてしまったので本当にザックリとした概要しか語れないのだが。

 なんせ全三十一巻にも及ぶ長期シリーズだ。

 ビビリの俺が、さすがにそんな量を読破する勇気はなかった。

 でも最終巻で少女たちの胸がどれくらい増量されていたのかだけは確認したかったかもしれない。それだけが無念である。

 

 ……そう。俺はこの世界の全貌を把握していない。

 それが何を意味するか?

 

 黒野(くろの)大輝(ダイキ)

 それが今世での俺の名前。

 そして、そんな名前を持つ登場人物は少なくとも俺の記憶には無い。

 俺が読んでいない後半の巻に登場するのかもしれないが……主要人物のほとんどが女性キャラで構成されている作品だから、その可能性は低いだろう。

 すなわち……。

 

 俺は、いつ怪異に襲われて命を失ってもおかしくないモブとして生まれてしまったということだ!

 しかも転生者にとって本来ならアドバンテージとなるはずの原作知識も中途半端という状態!

 ……いや、これ絶対にどっかで死ぬじゃん俺!?

 だってこの世界には日常的に死亡フラグが溢れているんだぞ!?

 

 呪いの人形! もちろんある! というか幼稚園のとき遭遇した! 何度捨てても戻ってきてベッドの中に潜り込むのやめてくれ!

 一週間以内に誰かに手紙を送らないと死ぬ不幸の手紙! もちろん小学生のとき受け取った! しかもネタじゃないガチのやつな!?

 決して出てはいけない死の電話! 中学時代に何度もかかってきてノイローゼになったわ!

 

 超有名なメリーさんもいろんなパターンがあった。

 電話だけでなくSNSや動画配信を駆使するなど、怪異も時代に合わせて先進的になっていくようだった。こんちくしょうめ。

 メリーさんに関しては「もしや前世で流行っていた萌え系寄りのキュートなヤツなんじゃね?」と期待していたけど……普通にどいつもこいつも怖い系統だったね! 世の中甘くねーや! 「いま、あなたの布団の中にいるの」とか心臓止まるかと思ったよ!

 

 あと一番イヤなのは「話を聞いただけで、その怪異が聞いた人間のもとに現れる」とかいう、あの類いのヤツな!?

 噂話を聞いただけでアウトとか勘弁してほしい。

 三日以内に同じ話を三人にしないといけないとか、寝床に特定のアイテムを置かないと足を切断されるとか、中にはそもそも対策不可能で、向こうが飽きるまで振り回されるのもあったりと本当にタチが悪い。

 もし同じ系統の噂話をふたつ以上聞いてたらどうなると思ってんだ? 「怪異には怪異をぶつけんだよ」のオンパレードになってしまうではないか。

 そして実際、起こったよ!

 一カ所に集った怪異同士がまさか()()()()()()()()()()()だなんて……あのときばかりは本当にダメだと思った。

 

 こんな具合に今世での俺の生活は常に死と隣り合わせだった。

 ぶっちゃけ異世界ファンタジーよりも過酷だ。

 よく無事にこうして高校生になるまで生きてこれたと思う。

 

 ……いや、本当に何でよりにもよってこんな世界に転生させたのですか神様?

 自分で言うのもなんだが、前世の俺は非行には走らず謙虚に慎ましく生きてきた。

 なのに……。

 俺がいったい何をしたというんだ!?

 

 とはいえ、悪運ばかりというわけでもなかった。

 絶望的な世界の中にも、一縷の希望があった。

 そもそも怪異に対して非力な一般人でしかない俺が、なぜこうして無事でいられたか?

 それは……。

 お隣の家に()()が住んでいたからだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 教室に出現した狐型の異形。

 こっくりさん……ルールさえ守れば害は無いと思われがちだが、実は違う。

 この手の儀式で降臨するのはだいたいタチの悪い低級霊だ。

 こいつらは様々な方法で降霊術を始めた人間を脅かし、最終的に十円玉から指を離させようと誘導する。

 つまり……こっくりさんとは()()()()()()()()()なのだ。

 

 異形の眼球が俺をとらえる。

 目に付くものはすべてヤツの獲物になるのか。

 あるいは、かつてその筋の専門家に言われたとおり俺がヤツらに()()()()()()()()だからなのか。

 ヤツはおぞましい奇声を上げて、刃のように鋭く尖った爪を振り下ろしてきた。

 

「くっ!」

 

 すんでのところで攻撃を躱す。

 巨大な彫刻刀で削ったかのような痕が四つ、床に残る。

 喰らっていたら、とうぜん即死レベルの一撃である。

 前世の貧弱な俺だったら、間違いなく避けることもできず死んでいただろう。

 

 だが今世の俺は、度重なる怪異の脅威から生き残るため日々身体能力を高めてきた。

 おかげで、怪異の影響で暴徒と化した人間相手なら一騎でも戦えるほどの実力を得た。

 

 ……だが、どれだけ体を鍛えたところで、怪異に対しては何の意味もないが。

 

 ちくしょう。

 本当に怪異ってのは理不尽だ。

 向こうはこうして物理攻撃ができるのに、何でこっちの拳や蹴りは全部すり抜けるんだよ!

 

「ふぅ、ふぅ……」

 

 恐怖とプレッシャーで息が荒くなる。

 冷や汗が噴き出て、膝がガクガクと震える。

 

 落ち着け、俺の心臓。

 これぐらいなら、まだ正気は保っていられるはずだろ?

 これまでの人生で、いったい何度怪異と遭遇したと思ってるんだ?

 

 ビビリな性格は、今でも治っちゃいない。

 だが幾度もの修羅場をくぐり抜けてきたことで、ある程度の耐性はついた。

 少なくとも、こうして怪異を目前にしただけでショック死するようなことはなくなった(不意打ちでたまに気絶することはあるが)。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 だが、それも時間の問題である。

 こうして怪異と対峙している間も、俺の理性は徐々に削られていっている。

 これは、もう俺の気性だけが原因ではない。

 怪異そのものの特性だ。

 霊能力者でもない、ただの人間が怪異を見続けるのは危険だ。

 ヤツらは、ただそこにいるだけで、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 どんなに精神力が強い人間だろうと関係ない。

 まるで毒が広がるように、人の理性を蝕んでいくのだ。

 そして恐怖度の限界値を越えた者は……発狂する。

 

「い、いやぁ……」

「た、助けて……お母さん……神様……」

 

 教室の隅から、少女たちの怯える声が聞こえる。

 明らかに正気を削がれている声色。

 マズい。

 このままでは俺よりも先に彼女たちが発狂してしまう。

 

 魔除けの数珠とまじない、そして切り札のお札を身につけている俺と、何の装備もない彼女たちでは、理性の削れる速度が違う。

 

 ……守らねば。

 たとえ怪異相手に戦えなくとも、今は俺が彼女たちを守らなければ。

 

 人が怪異によって軽々と殺されてしまう理不尽な世界。

 そんな世界じゃ、自分の命を守るだけでも精一杯だ。

 でも、だからって……。

 女の子たちを見捨てて自分だけが逃げるワケにはいかないだろ!

 

「ふぅ、ふぅ……」

 

 幸い、ヤツの視線はいま俺だけに向いている。

 このままゆっくり移動して、逃走経路を用意する。

 せめて彼女たちだけでも逃がしたい。

 

 ……よし、今ならダッシュで教室から抜け出せるはずだ。

 

「逃げ……」

 

 逃げろ、と少女たちに言おうとして、一瞬だけ意識が怪異から逸れた。

 その瞬間を……ヤツは見逃さなかった。

 

「あ」

 

 削岩機のように尖った無数の牙が眼前に広がる。

 まるでグロテスクな花が開花したかのような、真っ赤な(あぎと)

 赤、赤、赤。

 視界にあるのはその色だけ。

 この赤に、いま新鮮な赤が加わろうとしている。

 俺の頭蓋ごと噛み砕いて、舞い散る花びらのような血飛沫を上げさせようとしている。

 

 死ぬ。

 そう直感した矢先、

 

「大丈夫」

 

 地獄と化した放課後の教室に、凜として透き通るように柔らかい声が響く。

 

「あなたは、私が守るから」

 

 眼前に瞬く白い閃光。

 

【 《こっくりさん》 は 《此処》 では 《行われなかった》 】

 

 光と共に反響する、祝詞のような言葉。

 

【 《彼女たち》 は 《禁忌》 を 《犯さなかった》 】

 

 それは不思議な声色だった。

 人が放つ声とは思えなかった。

 だが、決して不気味なものとは感じない。

 むしろ、それはまるで天使が祝福の唄を奏でるような。

 そんな荘厳な、美しい声だった。

 

【 《こっくりさん》 は 《在るべき領域》 へ 《還る》 】

 

 それは、人に聞かせるための言葉ではない。

 世界そのものに、星そのものに語りかける『言霊(コトダマ)』であり……。

 

 怪異そのものを()()()まじないだ。

 

 因果が捻じ曲がる。

 彼女の『言霊』によって、歪んでいた世界が元の姿を取り戻していく気配を、肌で感じる。

 

 シン、と先ほどの喧噪が嘘のような静けさが教室を満たした。

 眩しさで反射的に閉じていた目を開けると、そこには見知った銀髪の少女の後ろ姿があった。

 

 異形の気配はすでにない。

 まるで幻だったかのように、跡形も無く消えていた。

 だが、割れた窓ガラスや床に刻まれた傷跡が、先ほどまでの凄惨な現象を物語っていた。

 

 窓の割れ目から入り込む風が、少女の長く煌びやかな銀髪を揺らしている。

 幻想的な光景だった。

 少女の後ろ姿は、現実味を感じられないほどに美しかった。

 見る者によっては、麗しい少女の霊と思い込むかもしれない。

 だが、少女は現実に存在する生きた人間である。

 

 少女が振り向く。

 赤い眼が、こちらを見つめる。

 鮮やかな血を連想させる瞳……俺にとって恐怖の色。

 俺は赤色が怖い。前世のこともあって、本能的に赤色に恐怖を覚えるようになってしまった。

 

 ……でも、不思議と少女の瞳だけには恐怖を感じなかった。

 なぜなら彼女の瞳には、深い優しさと、意思の強さが宿っているから。

 その赤い瞳に見守られている限り、この命は絶対に大丈夫なのだと信じられるから。

 

 俺の身が無事だとわかると、少女は心底安堵した笑みを浮かべて近づいてくる。

 

「良かった。ダイキが無事で」

 

 少女はそう言うと、俺をぎゅっと抱きしめてきた。

 

「ぐっ。ちょっ、おい……」

 

 俺は、いつのまにか腰を抜かしていたらしい。

 そのため俺の顔が、高さ的にちょうど彼女の胸元辺りの位置に当たってしまう。

 ブレザーの上からでも激しく主張する豊かな膨らみ。

 ……公式設定で、三桁越えサイズの特大バストに顔ごと包まれる。

 彼女は恥じらうこともなく、どころかより深く胸の中に俺を導き、頭を撫で始める。

 この世で最も大切な存在とばかりに、優しく、慈しみを込めて。

 

「よしよし。怖かったね? もう大丈夫。ダイキは、私が守ってあげる」

 

 少女はそう毎度恒例の言葉を口にして、赤ん坊をあやすように俺を包み込む。

 少女特有の柔らかい感触や、甘く芳しい香りに包まれて、意識が朦朧としていく。

 恐怖に支配されていた脳が、一転して安堵に包まれ、自然と少女の温もりに身を委ねていってしまう。

 胸元に加わっていく重みに少女は歓喜を覚えたのか「んっ」と悩ましい息づかいを上げながら、抱きしめる力を強める。

 

「ダイキ……心配しないで? 私が付いている限り、あなたを死なせたりしない。絶対に」

 

 少女は決意を新たに宣言するように、俺の耳元にそう囁いた。

 

 俺がこれまで怪異の魔の手から逃れ、生存できた理由。

 それは、いま俺を胸の中に抱きしめている幼馴染の少女……。

 

 物語の主人公である霊能力者の少女、白鐘(しろがね)瑠花(ルカ)のおかげだった。

 

 なんの因果か。

 隣家に主役である少女が住んでいたことで、俺はこの世界のことを知り……そして絶望したのである。

 転生者特有のチート能力も目覚める様子もない……。

 まずい! このままでは死んでしまう!

 だから必死の思いだった。

 恐怖のあまり。怪異の脅威に怯えるあまり。

 俺は、強い霊能力を持つ幼馴染の少女に縋ったのだ。

 最初はそんな打算的な、最低な理由で近づいたのだ。

 でも……。

 

 

 一応、原作の知識では知っていた。

 ルカが幼少時、その特殊な容姿と能力のせいで周囲から浮き、凄惨なイジメを受けていたことを。

 そのせいで彼女はすっかり心を閉ざし、依頼でない限りは人助けをしない孤高の少女になってしまったことを。

 彼女が生来の心優しさと正義感を取り戻すのは、怪異事件を通して知り合った少女たちと打ち解け、友情を育むようになってからだ。

 

 そんな少女の過去を知っていながら、当然見過ごせるはずがなかった。

 

『やーいやーい! この白髪女! ウサギみたいに赤い眼で気持ちわりぃんだよ……イテッ! 何すんだよ黒野!?』

『黙れ! 銀髪赤眼の魅力がわからん愚か者どもめ! ソシャゲだと銀髪はトップクラスに人気の属性なんだぞゴラァ!』

『ぎゃー! ワケわからんけどこえー!』

 

 気づけば当初の目的は頭から消え失せていた。

 ただただ幼馴染の女の子が理不尽にイジメられるのが我慢ならなくて、無我夢中だった。

 

『やーいやーい! この中二病電波デブ女! いっつも何もない場所に話しかけててキモいんだよ……イデエエエエ!? 何すんだよ黒野!? マジで痛いぞ! いや、いったいな本当に!』

『黙れ! 着膨れの見分けもつかん愚か者どもめ! ルカは他の子よりお胸の発育が早熟なだけだ! 数年後に後悔するのはお前だぞ! というか毎度アブねえ存在から俺たちを守ってくれてるルカに礼のひとつでも言わんかゴラァ!』

『ぎゃー! コイツ眼がマジだ! こえー!』

 

 幼いルカは、もともと人々を無条件で怪異から守ってくれる優しい少女だった。

 でも一般人にとってはそれが不気味な光景にしか映らず、誰もが彼女を遠ざけた。

 ルカがいなければ、危うく命を落としていたにも関わらず……。

 

 そんな少女の孤独を目の当たりにして、俺は自分の浅はかさを恥じた。

 

 俺は、こんな良い子を利用しようとしたのか……。

 自分が助かりたいあまりに。

 

 ルカが真に信頼できる友人に出会えるのは、まだまだずっと先の話だ。

 それまでは……俺が彼女の理解者にならなければならないと悟った。

 

『ルカ。俺は、何があってもお前の味方だ』

 

 いまとなっては、虫のいい話かもしれない。

 ただルカに知って欲しかった。

 ルカは決して孤独じゃない。

 ルカの優しさを理解してくれる存在は必ず現れる。

 そして俺はルカのそんな優しさを知っている一人だ。

 だから、どうか、塞ぎ込まないでほしい。

 そんな気持ちを、ルカに伝えた。

 

『ダイキ……うん、ありがとう』

 

 顔中を涙で濡らす幼いルカは、原作でも滅多に見せない笑顔を浮かべてくれた。

 

 そうして俺たちは周囲から浮きながらも、仲睦まじく過ごし、恐ろしい怪異の脅威を一緒にくぐり抜けてきた。

 その結果、ルカは……。

 

「ダイキ。ずっと一緒。絶対に、死なせないから。もしダイキが死んだら、私……生きていけない」

 

 どういうわけか。

 ちょっと重い女の子になっていた。

 

 

 

   * * *

 

 

 ──ねえ、知ってる? 『赤い服の女』の話?

 

 ……ドコ?

 

 ──ああ、知ってる知ってる。気に入った男に付きまとうってヤツでしょ?

 

 ……ドコニ イルノ?

 

 ──何ソレ? そんなのただのストーカーじゃん。

 ──まあね。でもさ……それがどうやら、ヒトじゃないらしいんだよね。

 

 ……コンナニモ ■シテイルノニ

 

 ──男に捨てられた女の怨念の集合体とか、死んだ恋人の後追いをしてずっとその面影を探して彷徨(さまよ)っている霊とか……まあ諸説はあるんだけどさ。目を付けられた男の人は……ずっとその女に追い回されるんだって……。

 

 ……ニガサナイワニガサナイワニガサナイワ

 

 ──ドれダけ逃げテも……どコまデも、本当に……ドコマデモドコマデモドコマデモドコマデモ。

 

 

 

 たとえ、死んで転生したとしても。

 

 

 

 少年はいずれ知ることになる。

 仮に『銀色の月のルカ』を全巻熟読していたとしても、シリーズに登場するすべての怪異の対処法を把握していたとしても……未知なる脅威の前では何の意味も為さないことを。

 少年は、少女の信頼を得るしかない。

 それしか彼に生存の道はない。

 ……いや、むしろ死こそが彼にとっては安息なのかもしれない。

 それが()()()()であるならば、の話だが。

 

 死後の世界を知る生者は存在しない。

 三途の川も、楽園も地獄も、すべては生きる人間の想像物に過ぎない。

 臨死体験も個人の中で完結している話である以上、誰も死後の世界の実在を証明することはできない。

 ……だがここに、例外的にソレを知っている少年がいる。

 彼は知っている。死した魂は、ただ『無』になるわけではないことを。

 前世の記憶を持ったまま、第二の生を得る可能性もあることを。

 

 ……その事実の裏に潜む危機に、少年が気づく瞬間は、はたしてあるのだろうか。

 死して『無』になれるのなら、それはむしろ救いなのだ。

 彼は、想像に至れるだろうか。

 

 

 

 死した魂が……得体の知れないモノに囚われ続け、永劫の苦しみを味わうかもしれない、ということを。

 

 

 

 必ズ ミツケルワ ドコニ逃ゲテモ……キャハハハハハ

 

 

 

 ソレは彷徨(さまよ)い続ける。

 見初めた少年が存在する『次元』に辿り着くまで。

 


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